聖者が説くヤマ・ニヤマ

01 ヤマ・ニヤマとはなにか?

人は誰しも自分の人生を一生懸命生きています。いや、「俺(私)は一生懸命に生きていない」という人もいるかもしれませんが、「一生懸命生きないという意味」で一生懸命生きているのです。少し禅問答のようですが、一生懸命生きていない人間などいないとヨガの世界では考えます。その上で、多くの人が幸せを求めて生きています。その中で、少なくともあなたはヨガに出会いこの文章を読んでいます。ヨガを通じて、ダイエットをして体型を変え、自己肯定感を高めたいと思っている人もいるでしょうし、あるいは、ヨガの練習や瞑想を行って、心の穏やかさを実現したい人もいるでしょう。

ヨガの世界では、人は生まれ、その生を終え、再び生まれるという生まれ変わり(これを輪廻思想といいます)、少しずつ進化をしていると考えます。ヨガの世界観ですね。そして、計り知れない回数、さままざな生命の姿をとって生まれ変わりを体験してきました。これをヨガの言葉というより仏教的にいうと、六道輪廻を繰り返してきたというわけです。苦しみもがく無知の生き方をしていた時もあります。人は過去生の人生の体験の記憶、つまりカルマによって生まれてきたのです。カルマという概念は、仏教用語として有名ですが、仏教だけでなく、ヒンドゥー教やジャイナ教などの南アジアの宗教にも共通する重要な概念です。カルマの一般的な理解は「因果応報」、つまり「行いの結果とその報酬(または報い)」という考え方です。カルマはしばしば「行為」や「行動」を指すと理解されます。日本語で言うならば「業」のことです。 行為は必ず、その結果をもたらしますし、現在の事態というのは、必ずそれを生む行為を過去に持っているという思想で、先ほど紹介したとおり、ヨガをはじめとしてインド思想に広く見られると考え方です。そして、あなたはこの世界で願いを叶えたがっています。いろいろな職業についたり、学んで成長して言っています。ギブアンドテイクというエネルギーの効果のを行っています。つまり、、カルマの交換を行っていくのです。このように、ヨガではこのカルマという考えを重視しているのです。

しかし、生きていく中で、ストレスを受けて疲れたり、退屈したり、あなたの望む状況でないこともあります。あなたは望んでいる物が得られないと苦しみます。何かがあなたを邪魔をし、痛みと苦しみが生まれます。世界の調和が取れていないし、人の体と心も調和が取れていません。そうした心身の乱れや不調をヨガで整えようとしている人も多いでしょう。また、家族や、社会も調和が取れていない、また家族、社会も調和が取れていないから苦しむのです。あなたはこの世界に学ぶために神から送られてきたのです。苦しむために生まれてきたのではないのです。この人生は成長するための素晴らしい神からの贈り物です。そしてこの人世が素晴らしいものであることを理解するため、真理を悟っていくのです。

それにはどうしたらよいのでしょうか。無知で、やりたいことを欲望に任せて行うのではなく、人生を無駄にしないで生きていただきたいと思います。自分を大切にして、自らを尊ぶ生き方をしてほしいと願っています。そのことで、命の大切さがわかり、人を尊敬し、愛し始めることができるのです。あなたがここに生まれてきたのは、自分の奥底に働く命を信じ、尊敬していくことを学ぶチャンスを頂いたのです。それは見えない力、神を信じる力でもあります。あなたはこの世界に生まれ、やがて時を経て、また肉体を捨て去っていくことを受け入れていきます。

そして人の奥には、永遠の動かない存在があります。それが神です。それは真理です。ヨガの世界では、仏教と同じく神は真理であり、真理は神であり、それを自分の中にあると信じているのです。それを知り、信じる。真理からすべてが生まれます。時刻を刻みます。真理によって生と死がもたらされます。すべては真理から創造された形に現れてきたのです。そのことを悟ることがヨガの教えです。あなたがヨガを通して、修行をし、真理を悟ることで無知から解放されるのです。それは苦しみから解放されることです。

無知とは暗闇の中で生きているのと変わらない状態にあるということです。暗闇を作るのは無知であり、疑いをもって生きているということです。人は見えるところで、何かを変えたりして幸せを求めて生きています。たとえば、仕事をいつも換え続けたりして幸せを求めています。しかし、それでは真の幸せに向かっているとはいえません。ヨガは、あなたに本当の幸せを得る秘訣と叡智と愛のレベルの気づきから伝えてくれます。いかに心を使うか、行為をするか、あなたがさらに幸せになるための仕方があるのです。無知を解放していく生き方です。光に向かう生き方です。ストレスを取り除く生き方、ストレスを作らない生き方です。単なる常識ではなく、真理からの気づきメッセージです。

この体と心を汚すのではなく、輝かせていく生き方をヨガを通じて学んでいくのです。それはヨガの世界で、サンスクリット語で「ヤマ」「ニヤマ」という教えに表現されています。「ヤマ」は禁じる戒め、「ニヤマ」は進める戒めという意味です。細かいことは、後述しますが、古代インドの哲学者パタンジャリによって書かれたヨガの経典であるヨーガ・スートラに記されていることで、ヨガの道徳的な行為とスピリチュアルな目標を定義します。その中で、パタンジャリはヨガの八つの段階(アシュタンガ)を説明します。その中の最初の二つが「ヤマ」(禁戒)と「ニヤマ」(規律)です。ヤマとは、ヨガにおける社会的倫理や道徳的行為に関する教えで、ヨガを行う人々が守るべき五つの禁戒が含まれています。ヤマは次の通りです。

  1. アヒンサ(非暴力): これは他者への暴力の無い生活を意味します。肉体的な暴力だけでなく、心理的な暴力や口語的な暴力も含まれます。自己や他者への尊重と優しさを通じて、非暴力を維持することが求められます。アヒンサの原則は、自己中心的な視点を超えて他者を思いやる視点を育むための手助けとなります。
  2. サティヤ(真実): 常に誠実で、真実を語ることを強調します。誤解を招かないような明確で公正なコミュニケーションが重要です。
  3. アスティヤ(不盗): 物質的なものだけでなく、他者の時間やエネルギーを盗まないことも含まれます。この規則は、自己の欲望を制御し、他者の所有物に対する欲望を捨てることを奨励します。
  4. ブラーマチャリヤ(貞操): これは性的な自制心を指すもので、通常は肉体的な行為に関連していますが、精神的なレベルでも解釈されます。つまり、一人の人に対する過度な情緒的な依存も避けるべきです。
  5. アパリグラハ(無欲): 物事や人々に対する執着を避けることを意味します。物質的な欲望を超えて、精神的な成長と自由を追求することを奨励します。

それに対して、ニヤマは、個人の規律や自己開発に関する五つの規則を包含しています。

  1. シャウチ(清潔): これは身体的、精神的、感情的な純粋さを指します。ヨガの実践、食事の習慣、思考のクリアさなどを通じて清潔さを保つことが推奨されます。
  2. サントーシャ(満足): 自分が持っているものに満足し、貪欲さを排除することを意味します。現在の状況に感謝し、素直に受け入れることを学ぶことが重要です。
  3. タパス(苦行): これは自己規律と精神的なエネルギーを高めるための訓練を指します。忍耐力と意志力を育むことにより、困難な状況を乗り越える力を養います。
  4. スヴァーディヤヤ(自己学習): これは自己反省とスピリチュアルなテキストの研究を通じた自己認識を奨励します。自己理解と自己成長のための継続的な学習が強調されます。
  5. イシュヴァラ・プラニダーナ(神への帰依): これは宇宙の高次の力、あるいは個々の理解に基づく「神」への帰依を意味します。このニヤマは、自己中心的なエゴを超えて、より大きな存在に対する謙虚さと感謝を育むことを目指します。

心身、さらに魂を傷つけず汚さないで、美しく品位を高める生き方の教えです。道徳的な教えともいるでしょう。ヨガは、エクササイズとして、現代の日本人には理解されがちですが、本来は、精神修養などのために行われた行為でした。簡単にいえば、ヨガとは、心と体を美しく磨くためのガイドであるわけです。ヨガを実践することで、運命が改善され、すべての幸運がやってくる。ヨガの生き方が美しい社会を作ることを目的押しており、それは人間として汚れない生き方を追求しています。真理に向かう生き方です。

ヨガの教えは、人を傷つけません。誰にも痛みを与えません。そうすることで、あなたは他の人からの痛みを受けません。これが自然に法則です。宇宙の法則といっても過言ではありません。何も殺さず、何も盗まない。この人生で多くをもらわないのです。この世界に究極のサマディをなし、真理を悟った人が何人かいます。ヨガで考える真理とは、宇宙を構成しているとヨガ哲学で考える五つの元素、土、水、風、空、それらを浄めて知っていくことで、それらに翻弄されないでコントロールでき、美しく人生を全うできると考えるのです。

それでは、まずは、先ほど軽く概要を紹介した「ヤマ」「ニヤマ」についてもう少し深く考えていきましょう。ヨガをしたことがない人で、「ヤマ」「ニヤマ」という言葉を聞いたことがあるという人は少ないと思います。「それって一体何のこと?」と思われたでしょう。「ヤマ」「ニヤマ」とは「ヨガの八支則」という8つのプロセスの中の一番目と二番目の項目に当たるものです。ヨガというと、ヨガをしたことがない方だけではなく、エクササイズとしてのヨガを軽くしただけという人なら、ヨガの経験者でも「ヨガといえばポーズをとっていること」、つまりアーサナを行っている姿を思い浮かべるでしょう。しかし、ヨガとは本来、自分の外側も浄め、神と一体になっていくトータルな心と魂の修行のことを意味しています。

今、ヨガは健康法として多くの人に親しまれているわけですが、ただ体を元気にする、アーサナだけをヨガと呼ぶわけではありません。ヨガのアーサナは不自然な動きも多く、体へのこだわりを作り、人間性がアンバランスになることもあります。アーサナだけを学び、それができればいいというわけでないのです。また体の成り立ちの科学、解剖学や生理学など、が分からないとどれをどうやったらいいのかわからないでしょう。下手をしてアーサナに取り組むと、どこかの神経や筋を痛める危険性もあります。正しいヨガの講師に指導の下でアーサナに取り組まないと危険な面もあるのです。

また、ヨガでは単に体など外側の修行を行うのでは無く、内側の修行や道徳的な学びを一緒にしていくのが本当のヨガです。単なる健康法としてヨガを行うのは、正しいヨガではありませんし、ヨガの魅力を十分に理解できないままでいることになってしまいます。それでは、早速、「ヨガの八支則」について、8つのプロセスを説明していきましょう。

02 アヒンサー

アヒンサーとは、全てのものを慈しみ、誰も、何も、自分も傷つけない、ということです。ヨガを行う人の心が平和になり、美しくなるためにどのような生き方をしたら良いのでしょうか。皆さん、誰しも人は両親の間に生まれ、それぞれの育てられ方で、すくすく育っていったということでしょう。誰もが子供から大人への成長の過程で「私」という「自我」、つまりエゴが目覚め、欲望が湧き始めます。人と比較し、環境がどうであるか、自分の資質がどうであるかなどがわかり、苦しみが生じ始めるのです。何かを望んで得られないと悩みます。あるいは健康面で悩むこともあるでしょう。

人と比較し、ない物に気づき、それが欲しいと思い悩むのです。人は、みんなが欲しいものを探しだし、便利なものをクリエイティブに作り上げて手に入れてきました。そして、豊かな現代社会を築いてきたのです。人はいろいろな欲望を満たしてきました。さまざまな心があります。クリエイティブな心と破壊的な心があります。肯定的な心と否定的な心があります。願いが叶わないと、悲しい体験や怒りの体験などが積み重なり、破壊的な心にもなります。

心は自分の満足を求めて生きていきます。どうしても運命に左右されて悪いことにつながって苦しい時もあります。自分が何を選択しているのか、注意深く気づいていき、内側に何があるのかと意識を覚醒させていく修行が必要です。それがヨガの取り組みです。心と体とエネルギーに偏りがないのか、どんなクオリティなのかに気づいていきます。人は何世もの過去の生から自分を守るための行為をしています。それは相手を傷つけてしまうこともあり、それが自分を苦しめることもあります。人は自分を守るために必死に生きていますが、自己防衛は一時的な解決策に過ぎません。

あなたが真の幸せになり、才能が開発され、苦しみから解放される最高の生き方に導くのがヨガです。究極のサマディ、つまり悟りからの叡智であなたが幸せになることをヨガは導いてくれます。人は体があり、心があって、心の願いによって行為します。そうした中で、思うようにいかず、怒りが発生したり、悲しくなったりすることがあるかもしれません。行為が正しく行われ、より幸せになっていくために、正しく生きていくのがよいのです。欲望に翻弄されないように、正しい行為をする戒めを持って生きることが大切です。

「ヤマ」とは「してはいけないこと」です。でも、その一つ目は、アヒンサー。暴力を振るわないということです。殺生をしないということです。他の人にも、他の生き物にも暴力を振るわない、殺生をしないということです。はるか昔に宇宙が生まれ、いろいろな星が生まれ、その中で、地球も生まれました。そして、地球の中に生命体が生まれてきて、海の中に生き物が生まれ、植物が生まれ、動物が生まれてきました。その動物が生き物の主役である長い時間がありました。動物は同じ種類でも、互いに傷つけ合うことがあります。でも、互いにいたわり合い仲がよいのです。そのうちに人間が生まれました。

人間もはじめのうちは、食べ物を得るために狩りをしたり、食べ物を奪い合ったりして、暴力を振るっていました。そんな動物と同じような心からさらに進化し、互いに譲り合い、賢者が現れ、大勢が幸せに生きていけるような決め事をしてきたわけです。そうやって調和を図りながら、動物の心のままではなく、さらに心が発達してきました。そして、人間は美しい心になって進化していくんです。与えて、また受け取るものが、良いものになるように行為するのです。すべてのものを慈しんで、傷つけない。それが、アヒンサー、つまり暴力を振るわない、殺生をしないという最初の教えです。

しかし、すべての人がアヒンサーを徹底できているのかというと、なかなかそうはいきません。怒りをコントロールできない人がいます。自分にとって都合の悪い人を殺してしまう人もいます。それらは当然してはいけないことです。人に暴力を振るい、悪い行いをするとそんときはすぐに帰ってこなくても、回り回って自分に報いが返ってきます。小さい子供でも、兄弟に嫉妬して自分より小さな子を虐めてしまうとか、自分たちと異質なもの、違うものを見たときに、それがいけないことだとわからないままに傷つけてしまったり、虐めてしまうことがあるかもしれません。

学校ではイジメの問題がよく話題にされます。弱い人を見たり、何か異質なものを見ると、深く眠っている攻撃の習性が刺激されるのでしょうか。あるいは競争社会というものは、人を差別する心を作るのでしょうか。小さい頃の道徳教育は大切です。慈しむ心を教育されていかないとなりません。すべてのものを慈しむよう教え進めなければいけません。しかし、暴力を振るうのは若い世代の人だけだとは限りません。大人の世界でも、パワハラとかモラハラ、セクハラ、あるいは女性蔑視、なかには幼児虐待と言った悲しい報告があります。これらは思いやりのない考えをもとに起こるいじめの問題なのです。

もっと人は成長していかなければなりません。このような問題が起こることは、レベルが低いと言わざるを得ません。もっと愛のある社会にしていく必要があります。誰もが歳を重ねるとともに自然に成長するということではありません。「キレる老人」という言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。年を取り、体が不自由になったり、いろいろなことが自分の思うようにならない、などの苛立ちからちょっとしたことでキレて、暴言を吐いたり、暴力を振るったりしてしまうのかもしれません。

定年退職をしてやることが無いとエネルギーが余っていて、そのエネルギーを周囲の人のチェックに向けてしまったりするのでしょう。目上の人への尊敬の気持ちがない、礼儀がなっていないなど、年を取った人の目から見たら、若い人ができていないこともたくさんあるでしょう。礼儀ももちろん大切ですが、ガミガミ言ったからといって直るものでもありません。まずは自分が優しい、尊敬される老人になりましょう。相手が「ああ、こういう人になろう」「学びたい」と思うような人になるとよいでしょう。そして、自分を愛します。

心を使っていると、つい他人のことをチェックしてしまうでしょう。他人を気にするために心を使うのではなく、自分と他人に気づき、自他を理解して愛し、クリエイティブなことを行うために心を遣います。人をよくしようと思うかもしれませんが、自分の考えを押しつけていただけでは、相手に受け入れられず、平和の心から遠くなってしまいます。それは真の幸福から遠ざかってしまっていると言わざるを得ません。

肉体的な暴力だけではなく、「思い」の暴力、「心」の暴力というのもあります。人を責めること、自分の価値観を持っていて、それと合わない人を責める。それも一つの暴力です。親が子供を叱る、それはよく育って欲しいという愛情からしつけとして叱っているのですが、いつしかそれが相手のためのみでなく、自分のエゴのためになっていることもあるかもしれません。子供がきちんとしていないと自分が人から悪く思われる、そんな風に世間体を気にして怒っているだけなら、それも暴力になります。

そして、子供に手を上げる親もいるようです。あるいは口うるさく注意をする親もいます。自分がそう育てられたから同じように叱ってしまうのです。その心の癖は深く根付いています。そういうエネルギーを発して子供を育てると、子供がよそにそのエネルギーを向け、暴力的になってしまうこともあると思います。深い愛から子供を育てていかなければならないのです。自分の言葉や思いをもっと注意深く観察し、道徳的な規範である「ヤマ」「ニヤマ」を意識していくことが大切なわけですね。

人に向ける暴力以外に、自分自身への暴力もあります。自分を責めること。何か自分ができないことに対して、自分を責めたり、怒る。自分を愛さない。それは暴力なのです。自分に嘘をつくことも暴力になります。自分を大切にしていないわけです。言葉や行動で表す以外にも「思うこと」も暴力になります。心には常にいろいろな思いが浮かび、「あそこへ行きたい」「これが欲しい」と思いが出てくると、行動を起こします。浮かんでくる思いは行動の動機となるのです。ですから、否定的なことを思うとそれが行為に反映されますし、誰かを怒ったり、それがエスカレートして殴りたいと思ったり、恨みが深ければ殺したいとさえ思うかもしれません。

そう思ったことが動機となり、実際の行為に及んでしまうこともあります。何かの恨みや怒りで人を陥れたいと暴力的な行為をすることはあってはならないことです。エゴがむっとしたときに思わず暴力を振るってしまう人も多いでしょう、また言葉でうまく伝えられず、手が出てしまう人もいるようです。癖になっているのでしょう。そうした癖を直さなければなりません。心の中で、ふとそうしたことを考えたり、思いが浮かんだり、あるいはそうしたことに囚われていつも否定的なことを思っていたりするだけでも、それは自分を穢していることになるのです。

「思う」というのは表面に現れないから人に気づかれないし、どんなことを思っても良いだろうと考える人も少なくないかもしれませんが、「思い」は心の中でそれが質となって波動を作り、神経・内蔵・血液へと影響し、そして皮膚へも伝わります。さらには体の外側へと伝わり、その人の雰囲気を作ります。言葉で言わなくても「思い」はわかるわけです。人を嫌ったり憎んだりする思いは、そういうエネルギーを発してその人のキャラクターになるので、それに気づき、反省し、感謝や愛の思いに変えていかなければなりません。誰でも「好きだ」「嫌いだ」と心の中で思うのですが、もっと愛を強くして、相手の立場を理解し、自分の中に何があるのかに気づいて、許す練習をしていくと良いと思います。こうした自分の「思い」に気づかずに、自分がいじめられたり、人間関係がうまくいかない原因を他人のせいにしている人も多いです。

人は自分の心と一体になって生きているので、自分のことがなかなか見えません。他人のことは見えやすいので、人のことをあれこれ批評はするけれども、自分が何を考えているかはわからないのです。そして、人を責めて、大変な過ちをしている人が少なくありません。あなたの内側に何があるのか、気づいていくことがヨガの行いです。反省し、行為を悔い改めていくそういう過程をヨガを行う過程でしていくことになります。思いや感情、何か深い傷があるかもしれません。あなたを幸せに変えるように訓練するのがヨガの教えです。

暴力を振るわない、殺生をしない。暴力や殺生はその人のカルマになってしまいます。非暴力、つまりアヒンサーを心がけましょう。自分のエゴのため、怒りのために、人を傷つけたり殺したりしてはいけないのです。アヒンサーには動物や生き物に対しても憐れみを持ち、殺生をしないことも含まれます。ヨガの本場、インドでは道に牛や猿が歩いていますが、殺したり虐めたりしないのはもちろん、追い払ったりもしません。たとえば蚊が部屋に入ってきたら、ヨガの修行者の中には殺さずに取って外に出す人もいます。ゴキブリも同じです。都市部や観光地では入ってこないようにしていると思いますが、ヨガの修行者の中には親切な人がいて、アヒンサーの行為をしています。

続く

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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