『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(12)

01 ヨガにおける神の祈念

既にお話ししましたように、『ヨーガ・スートラ』の理論の基礎となっているのは、サーンキヤ哲学の二元論です。プルシャは純粋意識であり、プラクリティは心は、体、世界である。では、神の中でどこに当てはめれば良いのでしょうか?プルシャと言いたいところですが、プルシャは、私たちの心の意識、純粋意識ですので、イーシュヴァラではありません。もちろん、心や体、世界でもありません。そうすると、このサーンキヤ哲学の二元論の中では、人間のプルシャ以上の神という概念を説明することができなくなってしまいます。つまり、イーシュヴァラ・プラニダーナは神への祈念ですが、プルシャである私たちが一体何に祈ればよいのか。その対象がサーンキヤ哲学の中には存在しないのです。これは、サーンキヤ哲学が無神論であるといわれる所以でもあります。しかし、ここで『ヨーガ・スートラ』の作者であるパタンジャリは、「イーシュヴァラとは、至高のプルシャである」と説明しています。つまり、『ヨーガ・スートラ』では、プルシャは一つではなく、人間のプルシャと至高のプルシャという二つ想定されていると考えることができるのです。したがって、ヨガの思想の中には、(1)至高のプルシャ、(2)人間のプルシャ、(3)プラクリティの3つの原理が存在するこおとなり、純粋なサーンキヤ哲学の二元論とは少し異なっています。人間よりも高いプルシャを想定するのであれば、神への祈念を説明することが可能になります。

以上のことから、『ヨーガ・スートラ』はこの二つの立場、ラージャ・ヨガによって、プルシャとプラクリティの結合を切り離すという立場と、イーシュヴァラに祈念するという立場が混在していることになります。これは、哲学的な面だけではなく、実践においても大きな違いです。なぜなら、プルシャとプラクリティを切り離すのであればその原因となる心の作用を停止させればいいということになります。しかし、イーシュヴァラに祈念するのであれば、心を停止するのではなく、心によって神を礼拝するということが必要になってくるわけです。つまり、イーシュヴァラにおいては、ラージャ・ヨガにおける心の働きの停止ではなく、心を神の方へ寄せて、一体となることが重要になるのです。この神への祈念は『バガヴァッドギーダー』でより明確に述べられています。クリシュナは「ヨガとはブラフマンのとの結合であると」教え得ています(⇒『バファヴァッドギーター』についてはこちらの記事バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)(4)を参考にしてくださいませ)。「外界との接触に執着せず、自己(アートマン)のうちに幸福を、見出し、ブラフマンのヨガに専念する人は不滅の幸福を得る。世界との関わりから生じる快楽は、苦しみを生むもの過ぎず、はじめと終わりのものである。知者はそれを楽しむことができません。自らの内に幸福と楽しみを見いだし、自らの内の中に希望の光を見いだす者はブラフマンと結合し、ブラフマンの涅槃に達する」(『バガヴァッド・ギーター』)

このように同じヨガの中でも『ヨーガ・スートラ』は「切り離す」ことを目的とし、『バガヴァッド・ギーター』は「結合」を目的としているという違いは、それぞれの哲学の違いによるものです。ですから、パタンジャリは「心の働きを止めるべきだ」と論じながらも「イーシュヴァラ・プラニダーナでもサマーディに達することはできる」と付け加えたと推察することができます。

02 ヨガに於ける宗教とは何か

では、この高位のプルシャという概念はどのような意味を持っているのでしょうか。『ヨガ・スートラ』では、高位のプルシャは煩悩や欲望の影響を受けない全能の智慧のようなものだと説明しています。また、イーシュヴァラとは聖音オームであると述べられているので、同じくオームであるブラフマン(宇宙の根本原理)に相当することになります。このように、プルシャを「私」と「神(ブラフマン)」に分けることは、宗教の根本的な理解です。つまり、私たちの人生を支配しているのは、私たちの心なのか、それとも神なのか、という問題です。

私たちが悩み苦しむ原因はエゴにあります。私たちは、「私がこの人生の主人公であり、私の選択や行動によって、私の人生が作られている」と考えています。これは、古代や中世より、まさに現代人にとって大変リアルな感覚ではないでしょうか。とりわけ、近代資本主義、民主主義の国民国家に生きる我々にとっては、王も領主もいませんし、日本のような無宗教の国であれば、神もいません。ですから、いつもエゴ(自我)を基準にして、この選択は正しかったのか間違っていたのかを悩むわけです。しかし、ヨガに於ける信仰というのは「神こそ私の人生の主人公であり、神によって私の人生が作られている」と考えることになります。つまり、私たちの人生の主人はエゴではなく、神であると考える立場です。キリスト教の宣教師パウロは「私たちは神の中に生き、動き、存在している」(『新約聖書』使徒言行録17章28節)と言っていますが、信仰とはまさにこのような態度を言います。

現代日本人の信仰心というのは、言ってしまえば中身の無い張りぼてのようなものです。私たちはよく神社や仏閣に足繁く通いますが、そこで願われていることといえば、とにかく自分のエゴの利益だからです。パワースポットを巡っては「運気が上がった」といい、初詣にいけば「今年は良い出会いがありますように」「希望の大学に受かりますように」「仕事がうまくいきますように」と様々な願い事をしています。もしこのような願いを神が叶えてくれるとすれば、神は人間のエゴの使用人にしかすぎません。人々の願いを叶えるために神が奔走しなければならないということでしょうか。そして、希望が叶えられなければ「あれだけお願いしたのに効き目がなかったな」とか「あそこの神社はダメだから、次は別の所にしよう」などと言うのです。結局、これはどこまでもいってもエゴの問題でしかなく、信仰とは全く関係がありません。

ここで述べている高位のプルシャとは、私たちのエゴよりも優れた存在です。ですから、エゴにとっての成功や失敗、良い悪いで判断するのではなく、与えられたものは何であれ感謝して受け取るという立場にならなくてはいけません。なぜなら、高位のプルシャによって私たちの人生は形作られており、それはエゴの損得よりも優れているからです。ですから、信仰があれば出会いが無くても、受験に受からなくても、仕事がうまくいかなくても、それを神から与えられた最善のものとして感謝して受け入れることができるようになります。信仰のある人はエゴの損得という二元性から離れているからです。このように神を信頼するなら、一体何が悩みの種になると言うのでしょうか。自分の人生は神に与えられたものであるという確信があれば、過去の後悔や未来に対する心配などおこるはずはありません。そのような境地に達した人は、無闇に会館や成功を追い求めることをやめており、二元性に惑わされることがなくなるのです。

もちろん、神についてどのような確信を持つことができるのかは、なかなか難しい問題です。面と向かって神と会えるわけではないからです。ある人は突然啓示のようなものを受けて神に目覚めることもありますし、何十年も聖典を学びながら確信を得る人もいます。方法は人それぞれですが、いずれにしても神を求める心は持っていなければなりません。では、神のいない世界を想像してみましょう。もしこの世界で人間のプルシャが最高のものであり、エゴによって世界が動いているとするなら、この世界はなんと不確かなものでしょうか。大国の大統領や政治家、大企業の社長などが世界の支配者ということであれば、世界はまるで砂地に建てられた家です。何かのきっかけですぐに壊れてしまうでしょう。しかし、そのような人たちであれ神の原理の元で生きており、至高のプルシャによって世界が導かれているなら、私たちは硬い地盤の上に立てられた安全な家に住んでおり、その家の中で安心してくつろぐことができます。

このように、人間のプルシャよりも高位のプルシャがあり、その中で私たちは活動し、導かれているという視点を持つことが信仰の基本的な立場です。私たちが神の世界の中にいるのであれば、私たちのエゴはその世界に対して一体どれほどの力を振るうことができるというのでしょうか。神の法則の下では、私たちは生まれたばかりの赤ん坊のように無力です。できることと言えば、せいぜい泣いて父母の名前を呼ぶことぐらいです。それでも、とにかく父母の名前を呼べばそれで世話をして貰えるのです。人間の父母ですら子どもの面倒を見るのですから、神が私たちを見放すはずがありません。ですから、「オーム」でも「南無阿弥陀仏」でも「主イエス」でも、とにかく、その人が親しみやすい神の名前を呼べばいいのです。このように神を信頼し、頼り切ることが信仰の重要な実践です。

さて、こうして信仰によってエゴを捨て、苦楽を神によって与えられたものとして平等に見るならば、瞑想と同様に心の平安を実現することができます。つまり、瞑想によって心の働きそのものを停止させてしまうのか、信仰によって心の働きを神の方へ寄せていくのかという違いはありますが、たどり着く境地は同じようなものです。ですから、パタンジャリはイーシュヴァラ・プラニダーナによってもサマーディに達することができると述べたのです。

03 悟りや宗教の問題とヨガ

悟りや信仰について色々とお話しをしてきましたが、山に登るには、いくつものルートがあるように、人が悟ったり、救われたりする方法にも様々なものがあってしかるべきです。そこには険しい道も、なだらかな道も、曲がりくねった道もあるかもしれませんが、とにかく上を目指せば、どのルートで登ってもいずれ頂上に着くことに疑いはありません。ですから、ご自分の理解によって、最もやりやすい方法を選ぶことができます。「ラージャ・ヨガのような瞑想はやっぱり難しいな」と思ったら、イーシュヴァラ・プラニダーナのように自分のエゴを捨てて神を信頼するのも1つの選択肢です。またそれは、特定の宗教に限られるものではなく、キリスト教でも仏教でも、結果的にあなたの心が救われるならどんな神でも構わないでしょう。

問題は、私たちのそのような境地を他人に押しつけたり、自己顕示欲の対象にしてしまうことです。他人からの尊敬や注目を集めたいがために悟りを目指すのでは意味がありません。あるいは、自分の信じている神を絶対的なものだと誇示するために、他人に強要することのないようにしたいものです。実際、宗教における怪しさや対立は、こういった個人のエゴから生じているからです。悟りや信仰は、まず哲学的な思索が基礎になくてはなりません。聞いたことをむやみやたらに妄信するのではなく、その道筋や実践を私たちの知性によって吟味しなければなりません。何か訳の分からない呪いだけで覚醒することはありませんし、特別な体験ができる誰か特定の人がいたり、神に愛される一部の人々だけが信仰を持っているという訳でもありません。瞑想による悟りは誰にでも可能なものであるし、神との合一も分け隔てなく誰にでも実現しうるものです。

その扉を開ける鍵は、まず自分自身がその内容をよく理解し、納得できるかどうかという点にあります。疑問を感じていたり、自分が納得していないものを長く続けても実りを少ないでしょう。疑問を感じれば、とにかく自分で調べたり誰かに質問して自分の納得する答えを探し出すべきです。誰か有名な先生がこんな体験をしたからとか、家族や友達が熱心に信じているからということではなく、その扉の鍵は自分で見付けて開かなければなりません。自分で扉を開かない限り、あなたはただその扉の前で立ち尽くしているだけです。ぜひ、あなたの探究心によって、この扉を開いてみて下さい。

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(13)

【目次】

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(3)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(4)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(5)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(6)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(7)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(8)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(10)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(11)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(12)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(13)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(14)

バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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