バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)

01 ヨガ哲学の神髄を示したヨガ哲学の古典的基本文献

1世紀頃に成立したと言われている『バガヴァッド・ギーター』は、インドの古典文学であり、ヨガの経典であると同時に、ヒンドゥー教の聖典でもあります。この経典の中には、様々なヨガが出てきますが、その中でも特にジュニヤーナ・ヨガ(智恵のヨガ、カルマ・ヨガ(行為のヨガ)、バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)の三つについて学んでいきましょう。

『バガヴァッド・ギーター』のバガヴァッドとは、神(バガヴァーン)のことで、直訳すれば、「神の詩(うた)詩」という意味になります。神のうたの詩ということですね。ちょっと紛らわしいですね。インドでは有名な本ですが、日本では、この『バガヴァッド・ギーター』を知っている人はかなり少ないでしょう。ヨガのインストラクターか、長年ヨガを実践しているヨガ好き以外には、まず知られていないと思います。大学などで。インド哲学を専攻するかヨガを日常的にしているという人でなければ、まず耳にする機会はないでしょう。また、この本について知っているという人も、この本の名前を聞いたことがあるくらいだとか、あるいは読もうとしてみた方でも、内容が非常に難解であるため、十分に親しんでいるという人は稀では無いかと思います。

『バガヴァッド・ギーター』が読みづらいという意見をよく聞きますが、これには三つの理由があります。まず一つ目は、この本が『マハーバーラタ』という大叙事詩の一部を抜き取ったものであるという点です。『バガヴァッド・ギーター』の物語は、主人公のアルジュナ率いるパーンダヴァ軍と、ドルヨーダナ率いる敵国カウラヴァ軍の合戦の直前からはじまりますが、『バガヴァッド・ギーター』の中では、この二つの軍隊が難のために争っているのかすら説明されません。

02 ヨガ好きにも『バガヴァッド・ギーター』が理解されない三つの理由

つまり、読者はこれまでの経緯を一切教えられずに物語の中に突然放り込まれてしまうので、ここで一体何が起きているのか分からないまま読み進めていかなければならないのです。ちなみに、ヨガ好きの皆さんのために、3分で分かる『バガヴァッド・ギーター』の前置きについて、こちらで解説していますので、興味のある方はご覧ください。たとえるならば、荒木村重のことを全く知らない人が信長へ謀反を起こし、失敗し、いつの間にか秀吉の部下になっている顛末などをその経緯を全部飛ばして途中から話されても、一体そもそも荒木村重とは誰なのか、とかそもそもどうしてこういう離しになっているのかさっぱり分からないまま話が進んでいくという感じでしょうか。また、この『バガヴァッド・ギーター』にはこの戦争の勝敗も書かれていないので、『バガヴァッド・ギーター』を物語と楽しむことは断念しなければなりません。ヨガ愛好家が気軽に読もうとしてもこの点が大きな障壁となってしまうわけですね。

しかし、この『バガヴァッド・ギーター』における主題は、この合戦の勝敗と言うよりは、そこでなされた王子アルジュナと相談役クリシュナとの対話が主題であり、この話を物語として読むのでは無く、例えば、プラトンの対話編のような(『ソクラテスの弁明』のような)対話編として、つまり、完全な哲学書として読んでみることはできるでしょう。しかし、このように視点を変えてみたとしても、読者はさらなる困難に直面することになります。それは、この対話編で語られる哲学の全体像を、クリシュナが丁寧に説明することがないのです。プラトンの『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスが、如何に「不識の自覚」を持つべきかかなり丁寧に説明されていますが、それでさえも長年「無知の知」と誤解されていたように、ソクラテスほど(言い換えればプラトンほど)説明がしっかりしているわけでもないクリシュナの話は誤解することすらできない、つまり何を教えようとし、何を伝えようとしているのかさえ理解できません。読者は、クリシュナが結局のところ、私たちに何を教えようとしているのかその本意が伝わらないのです。これが、ヨガの古典文献であるにも関わらず、多くのヨギーやヨガ愛好家たちでさえ『バガヴァッド・ギーター』を理解できない二つ目の理由です。

三つ目に、クリシュナは文脈ごとに自分の立場を変えて話をしているという点です。あるときはアルジュナの戦車の御者として、またあるときは宇宙の根本原理ブラフマンというように、クリシュナの立場がいくつにも変わるのです。この話を単に、人間クリシュナが語った話として読んでしまうと、かなり多くの矛盾が出てきてしまいます。ですから、クリシュナが「私は」と言うとき、それは一体どの立場のクリシュナなのかということを考慮しながら読まなければなりません。これが長年ヨガを愛好している人どころか、ヨガインストラクターさえ、このヨガの古典の基本文献である『バガヴァッド・ギーター』を読み進めることが困難な理由です。さて、このようにお話しすると、多くのヨガ好きの皆さんでさえ、この『バガヴァッド・ギーター』を読むことに難色を示してしまいそうですね。ヨガマニアやヨガインストラクターでさえ理解できないものを読む気はしない、と思われてしまうのは当然でしょう。

03 バガヴァッド・ギーターを学べばヨガの神髄が分かる

しかし、この『バガヴァッド・ギーター』は内容については、ヨガ哲学の最高峰であり、ヨガを深く学びたいという方には最高の書物です。確かに、これまで説明してきたような独特の読みづらさはあるものの、ある程度次のような説明を受けてから、このヨガ哲学至高の書物を読んでいけば、必ず、ヨガ好きの方だけではなく、ヨガに今まで興味の無かった方にも面白い書物として読み進めることができるでしょう。それでは、まず最初に『バガヴァッド・ギーター』を読みづらくさせている物語のいきさつについて説明しましょう。

上述したとおり、『バガヴァッド・ギーター』は、戦争の直前になされた王子アルジュナとクリシュナの対話が主題となっています。では、この戦争、いや合戦はなぜ起こったのでしょうか。古代インドにはクル族という部族が治める王国がありました。この国では、王子が若くして亡くなり、他に跡取りが生まれなかったため、王妃は仙人ヴィヤーサに頼んで子供を産むことにしました。そして、ドリタラーシトラとパーンドゥという二人の王子が生まれます。二人の王子は成人になり、ドリタラーシトラには、100人の子供が生まれ、パーンドゥには5人の子供が生まれました。このパーンドゥの息子の一人が主人公アルジュナで、ドリタラーシトラの息子の長男がドゥルヨーダナという名の男です。パーンドゥの息子たちは武芸など様々な面で秀でており、ドゥルヨーダナたちはそれを寝たんで何かと彼らを殺そうと企みますが上手くいきません。そこで、ドゥルヨーダナは賭博によって、アルジュナたちを陥れる計画を立て、結局賭けに負けたアルジュナたちは13年間王国を追われることになります。

さて、13年間の放浪生活を終えて、アルジュナたちが王国へ帰ることになりました。彼らは当初約束していた通り、王国の半分を自分たちに返すように求めますが、ドゥルヨーダナたちはそれを聞き入れませんでした。話し合いでは解決しなかったため、戦争になると思った両者は賢者であり怪力無双のクリシュナに援助を求めます。クリシュナは二人に相談役としての自分か、それとも自分の軍隊を取るかを選ばせます。そこで、アルジュナはクリシュナ本人を、ドゥルヨーダナはクリシュナの軍隊を選んだのです。

さて、いよいよ合戦が始まろうとしています。ここからが『バガヴァッド・ギーター』の物語です。両軍が対峙する中、アルジュナは自分たちを攻め滅ぼそうとする敵の様子をうかがうため両軍の間に戦車を走らせました。しかし、敵の軍隊を見てアルジュナの勇気は打ち砕かれます。彼は優れた弓の使い手でしたので、闘いそのものを恐れていたわけではありませんでした。闘いそのものではなく、敵軍の中に、自分の親友や世話になった叔父を見つけたのです。アルジュナは戦闘が始まれば彼らを殺さなければなりません。それが彼を躊躇させた理由です。しかし、もちろん、だからといって自分が戦わなければ、味方は殺されてしまいます。このような葛藤の中で、アルジュナは苦悩し、戦意を喪失していきます。

04 クリシュナのヨガ哲学的な回答

こうして戦意を失っていったアルジュナにクリシュナは話しかけます。

「あなたは嘆くべきで無い人びとについて嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。私は決して存在しなかったことはない。あなたも、ここにいる王たちも。また我々はすべて、これから先、存在しなくなることもない。主体(デーヒン)はこの身体において、少年期、青年期、老年期を経る。そして、また、他の身体を得る。賢者はここにおいて迷うことはない。しかし、クンティの子(アルジュナのこと)よ。物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。それらの接触に苦しめられない人、苦楽を平等(同一)のものと見る賢者は、不死となることができる。非有(身体)には存在しない。実有(個我)には非存在はない。真理を見る人びとは、この両者の分かれ目を見る。この全世界を遍く満たすものを不滅であると知れ。この不滅のものを滅ぼすことは誰もできない。常在で滅びることなく、計りがたい主体に属する身体は、有限であると言われる。それ故、戦え、アルジュナ。彼が殺すと思う者、また彼が殺されると思う者、その両者はよく理解していない。彼は殺さず、殺されもしない。彼は決して生まれず、死ぬことも無い。彼は生じたこともなく、また存在しなくなることもない。不生、常在、永遠であり、太古より存する。身体が殺されても、彼は殺されることが無い。彼が不滅、常在、不生、不変であると知る人は、誰をして殺させ、誰を殺すか。人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く。武器も彼を絶つことはなく、火も彼を焼かない。水も彼を濡らすこと無く、風も彼を乾かすことはない。彼は断たれず、焼かれず、濡らされず、乾かされない。彼は常在であり、偏在し、堅固であり、不動であり、永遠である。彼は顕現せず(認識されず)、不可思議で、不変異であると説かれる。それ故、彼をこのように知って、あなたは嘆くべきではない。また、彼が常に生まれ、常に死ぬとあなたが考えるとしても、彼について嘆くべきでは無い。生まれた者に死は必定であり、死んだ者に生は必定であるから。それ故、不可避の事柄について、あなたは嘆くべきではない。万物は、初めは顕現せず、中間が顕現し、終わりは顕現しない。ここにおいて、何の嘆きがあろうか。ある人は希有に彼を見る。他の者は、希有に彼のことを語る。また他の者は、希有に彼について聞く。聞いても、誰も彼のことを知らない。あらゆる者の身体にあるこの主体は、常に殺されることが無い。それ故、あなたは万物について嘆くべきではない」

と語り、アルジュナに、人間の主体(デーヒン、個体の中心主体、真実の自己)、わかりやすい言葉で言えば、魂は不滅であると説き、魂を殺すことはできないので、戦って殺すことはできないので、思い悩む必要はないと教えています。そして、更に、アルジュナに対して、

「あなたが自己の義務(ダルマ)を考慮しても、戦慄すべきではない。というのは、クシャトリヤにとって、義務に基づく闘いに勝るものは他にないから。たまたま訪れた、開かれた天界の門である闘い、アルジュナよ、幸福なクシャトリヤのみがそのような闘いを得る。もしあなたが、この義務に基づく闘いを行わなければ、自己の義務と名誉とを捨て、罪悪を得るであろう。人びとはあなたの不名誉を永延に語るであろう。そして、重んぜられた人にとって、不名誉は死よりも劣る。勇士たちは、あなたが恐怖から闘いを辞めたと思うであろう。あなたが彼らに敬われいたのに、軽蔑されることになろう。また、あなたの敵は、語るべきで無い多くのことを語るであろう。あなたの能力を難じながら。これほど辛いことがあろうか。あなたは殺されれば、天界を得、勝利すれば地上を享受するであろう。それ故、アルジュナ、立ち上がれ。戦う決意をして。苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、闘いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。」

と、アルジュナが戦士として戦って王子としての義務を果たすように促します。このようにクリシュナは、まさにヨガ哲学の根源的な思想を語り出しているわけです。このようにして、クリシュナは、人間の魂は不滅であると説き、アルジュナが戦士として戦って、王子としての義務を果たすように促します。

しかし、クリシュナはなぜこのような話をしたのでしょうか。もしあなたがクリシュナと同じ立場であったら、なんといってアルジュナを励ますでしょうか。「君が戦わなければ、君が死ぬだけでなく、君の国の人びとも家族もみんな殺されるぞ。勇気を振り絞って戦え。」というように説得するかもしれません。しかし、クリシュナはそうは言いませんでした。アルジュナの感情に訴えかけるのではなく、人間の魂についての哲学的な問題を持ち出したのです。

クリシュナが悩むアルジュナに対して、唐突に人間の魂の話を始めるのは、違和感を覚える方もいらっしゃるでしょう。しかし、悩む人に対して、感情論を持ち出すのではなく、魂についての理解を求めたクリシュナの態度は極めてヨガ哲学的です。上辺の解決策やアドバイスをするのではなく、問題の根本的なものの見方の転換を迫るものでした。つまり、人間の苦悩は、本来、自分の魂についての理解が解決しないからと考えたわけです。もし、クリシュナがアルジュナの感情に訴えようとしたらどうだったでしょうか。アルジュナは「自分が死んでも、国や家族がどうなっても構わない。自分は戦うことはできない」とも答えることができるはずです。これは例えば「なぜ人を殺してはいけないのか?」というような問題にも似ています。このように言う人に対して、「自分も殺されたら嫌でしょう」と説教したところで、「自分が死んでも構わないなら人を殺しても良いのか」という理屈が返ってくるでしょう、したがって、このような問題は感情論ではなく、人間の魂の本質的な問題に取り組まなければ解決しないわけです。

このような意味で、アルジュナの深刻な問題に対して、一見不可解ではありますが、完全にヨガ哲学的な面から諭したクリシュナの態度は適切なものであったといえるかもしれません。実際、この教えによって、アルジュナの憂鬱は、晴れたからです。結局、『バガヴァッド・ギーター』の中で、クリシュナがアルジュナの感情に訴えようとする場面はほとんどありまえん。それでは、クリシュナが教えた永遠の魂とは何か、そして、宇宙全体を満たす原理とは何かについて考えていきましょう。

まず、クリシュナは魂とは何か、問題にしています。私たちの人生は、時として大変な困難に遭遇することがあります。地震や津波で生活が一変したり、愛する人を突然の事故や病気で亡くしたり、会社が倒産して借金を背負うこともあるでしょう。自分の安心できる場所、心のよりどころとしていたものを失ったとき、アルジュナと同じく私たちは孤独や不安に襲われ、苦悩します。このようなとき、私たちの不滅の魂についての理解が心に平安と勇気を与え、行動を起こさせる原動力になるということをクリシュナは教えています。まさにヨガ哲学的な考えで、心の平安と平静を与えているわけです。しかし、人間の魂とは一体どのようなものだとヨガ哲学では考えているのでしょうか。この点について、もう少し考えてみましょう。

05 ヨガが考える魂とは?

人間の魂について、19世紀のバラモンであるスバ・ラウが『バガヴァッド・ギーターの講義』という本の中で述べた節があります。スバ・ラウは人間の存在について、ヨガ哲学の観点から、以下の四つの原理を持ち出して説明します。それは、(1)アートマン(純粋意識)として、宇宙全体に満ちている純粋意識、(2)カーラナ・シャリーラ(コーザル体、原因体)として、輪廻の主体、人間の魂を、そして(3)スークシュマ・シャリーラ(ストラル体、幽体)として、肉体の原型、イメージとしての体、最後に(4)ストゥラ・シャリーラ(肉体)としての物質界における身体です。

この三つの体の中で、カーラナ・シャリーラ(コーザル体)は最も重要なものです。その中に人間のより高い個性が存在するとヨガ哲学では考えているからです。ストゥラ・シャリーラ(肉体)は生まれ変わるたびに新しく生じてくるが、その人の寿命が終わると滅びてしまいます。スークシュマ・シャリーラ(アストラル体)はカーラナ・シャリーラから離れると、物質界で生きていた推進力によってしばらく存続はするが、次第にその構成要素に分解されてしまいます。一方、カーラナ・シャリーラはそれ自体が独立して存在できる有機体です。それはまた、スートラートマン(糸魂)とも呼ばれます。個人が次々と生まれ変わる間、連続する人格は糸に通されたビーズのようにスートラートマンに通されるからである。ここで「人格」と呼んでいるのは、物質界での生涯を経験する自我想念のことである。

肉体が物質界で経験することが、その性質に応じてスークシュマ・シャリーラとカーラナ・シャリーラに同化される。もちろん、人間のありとあらゆる精神状態と想念がそれらに伝えられるわけではない。というのも、一般的な人間の精神活動のほとんどは日常生活や些細な気晴らし、あるいはその人の肉体的な要望だけに関係するので、それを永続歴に保存する合目的性にかなわないからである。しかし、人間の知性の深みに関すること、崇高な精神、高潔な熱意によって生じた印象はほとんど失われること無く、カーラナ・シャリーラに保存される。一方、スークシュマ・シャリーラは、人間のより低い性質、動物的な欲望と感情の座です。肉体的な欲求に関する想念は、スークシュマ・シャリーラより高く届くことは無く、また死後にスークシュマ・シャリーラが存続する長さはそのような感情と欲望の強さ次第です。カーラナ・シャリーラは真の自我と通じるもので、肉体の化身が相次いで展開している間カーラナ・シャリーラは存続し、それぞれの化身を通して経験の蓄えに何かを加え、その同化の過程で、さらに高等な個性を発展させる。それゆえ、カーラナ・シャリーラは人間の自我(エゴ)と呼ばれ、ある哲学体系において「シーヴァ、生命あるもの、魂」とも呼ばれるのである。

スバ・ラウはクリシュナの述べている永遠に存在する魂とは、コーザル体(カーラナ・シャリーラ)のことであると述べています。輪廻について考えるとき、私たちは数々の生まれ変わりをつなぐ主体は何かという問題が古くから論じられて来ました。既にお話ししたアートマン、純粋意識であるプルシャは解脱しており、実体を持っていないので、輪廻の主体にはならないからです。したがって、人間個人としての主体がコーザル体ということになり、これを魂と呼ぶのです。コーザル体は数々の輪廻を通して、ずっと存在し続け、それぞれの人生において、その人に個性と人格を与えます。

これはまた、スートラートマン(糸魂)とも呼ばれています。それはつまり、ネックレスのビーズをつなぐ糸のように、複数の過去生と未来の生まれ変わりを繋いでいるからです。そして、この物質世界に生まれ変わるたび毎に、コーザル体はアストラル体が生じ、それによって肉体が生まれてくると考えています。クリシュナは、このコーザル体は誰にも滅ぼすことができないと延べ、アルジュナに自分の義務を果たすよう促したのです。

バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)(2)へ続く

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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