ヨガには欠かせない!「ヤマ」、「ニヤマ」が八支則の冒頭に加わったのはなぜ?
01 「ヨガ・スートラ」の古典ヨガ期の「ヤマ」、「ニヤマ」
ヨガの教えには、アシュタンガ(Ashtanga)=八支則(はっしそく。8階梯とも呼ばれる)という8つの段階・行法があり、その中でも、 冒頭にある「ヤマ(*1)」、「ニヤマ(*2)」は、日々の社会的・個人的行動規範となり、もっとも基本的かつ実践するのが難しいとも言える教えとされ、インドの僧院やヨガを学ぶ道場では、「ヤマ」、「ニヤマ」を実践できなければ、アーサナ(ポーズ)の練習をするスタート地点にさえ立ってない、とされるほど、重要なものとされています。それでは、「ヤマ」、「ニヤマ」はなぜ八支則にあり、どんな意味を持つのでしょうか(▶ヨガとは)。
(*1)ヤマ(Yama)/禁戒 日常生活で行なってはいけない5つの心得。
(*2)ニヤマ(Niyama)/勧戒 日常生活で実践すべき5つの行い。
ヨガの体系的思索と実践は、パタンジャリが「ヨガ・スートラ」を編纂した紀元前3世紀ごろに始まったとされています。この頃、インドではヴェーダ・ウパニシャドからバラモン教正統六派哲学が、また反バラモン教の非正統派としてジャイナ教や仏教が興りました。インドの伝統哲学では「人間精神の開放」と「究極の自由の実現」が各派の追求する共通理念であり、パタンジャリの「ヨガ・スートラ」とその注釈書の理想も、精神の解放による絶対自由の境地(カイヴァリヤ)への到達でした。
「ヨガ・スートラ」の実践論である八支則の最初の2支則に「ヤマ」、「ニヤマ」が統合されています。「ヤマ」と「ニヤマ」は、本質的にはどちらも「完全なる制御」という意味で、「ヤマ」を対社会的な行動規範、「ニヤマ」を事故への規律と区分するのは、パタンジャリ特有の意味付けです。「ヤマ」、「ニヤマ」にはそれぞれ5つの心得と実践すべき行いがあります。特に5つの「ヤマ」は、ジャイナ教の戒律である「マハー・ヴィラタ(大誓戒)」と同じで、あらゆる環境・条件において絶対的に「ヤマ」を尊寿すると言うジャイナ教のコンセプトもパタンジャリは「ヨガ・スートラ」で採用しています。
また、「ヨガ・スートラ」の第1章(サマーディ・パーダ)には、その時代の原始仏教・部派仏教の瞑想理論の影響がみられます。これら仏教の戒律である「パンチャ・シーラ(五戒)」では、最初の4項目がパタンジャリの「ヤマ」と同じ。5番目に「不所有」の代わりに「不飲酒」が入っています。
このように当時のインドでは、正統派のインド哲学でも、非正統派のジャイナ哲学や仏教哲学でも、「ヤマ」・「ニヤマ」はインド的な価値観や行動原理、実践理論として必修項目でした。パタンジャリの「ヤマ」・「ニヤマ」も哲学的な思索の対象で、ヨガ実践の理論的枠組みとして八支則に組み込まれていったと考えられます。
ヨガの「ヤマ」・「ニヤマ」は宗教的な罰を恐れる戒律ではなく、あくまでも自己実現に向かうための自律的な自己啓発です。

【参考】
ヨガの八支則(Ashtanga)
ヨガの教えには、八支則(はっしそく、アシュタンガ。8階梯ともいう)という8つの段階・行法があります。八支則は、聖者パタンジャリが説いたヨガの聖典、「ヨガ・スートラ」の中に出てくる、ヨガ哲学の基本的な教えです。
その中でも、 「ヤマ」・「ニヤマ」は、日々の社会的・個人的行動の規範となり、もっとも基本的かつ実践するのが難しいとされる教えです。
①ヤマ(Yama)/禁戒 日常生活で行なってはいけない5つの心得。
●アヒムサ(Ahimsa)/非暴力、不殺生
いかなる生きとし生けるものも殺してはいけない。行動、言葉、思考のレベルで他者に暴力をふるってはいけない。誰に対しても怒りを抱かない。(もとの語源は、”苦痛を引き起こさないこと”。自分自身を大切にすることから始まる)
●サティヤ(Satya)/嘘をつかない
自分の利益やエゴを守るために、嘘をついてはいけない。ただし、他者を傷つけるようなことであれば、真実であっても言わ ない。その場合は、きちんと言わない理由を正直に言えばよい。第一にアヒムサ(非暴力)が優先される。(嘘をつかずに誠実でいるためには、言動、言葉、思考を日頃から一致させることを心がけ、自分に正直に生き、心が穏やかな状態でなければならない)
●アスティヤ(Asteya)/不盗
他人の物、時間、信頼、権利、利益などを盗んではいけない。自己中心的な行動はやめなさいという教え。自分自身がちっぽけな肉体だと思うところから、その肉体の感覚を満たそうと執着が生じたり、名声やよい評判を得ようというエゴが生まれる。
(約束の時間に遅刻したり、行列に割り込んだり、 相手の話をきちんと聞かずに遮って自分が話すことも他人の時間を盗んでいることとされ、アスティヤ(不盗)に反します。また、物やお金、地位、名声などは、常に変化します。どのようなものごとにも、人間関係や楽しかった思い出にも、執着しない状態でいることが一つの鍵です)
●ブラフマチャリヤ(Brahmacharya)/禁欲
もともとは、性欲に代表されるような、エネルギーの無駄使いをしてはならないことをせず、生涯を独身で過ごすことが説かれていた。現代では、パートナー以外の異性とむやみに性的関係を持たないことの他、利己的な欲を満たそうとするのは避ける こととされている。生命エネルギーは必要なところに集中させることが禁欲の本質。
●アパリグラハ(Aparigraha)/不貪
貪欲さを捨てること。次から次へと湧き起こる、尽きることのない欲望に身を任せない。何かを必要以上に所有しない。
(程度を超えた欲を持たず、独占欲を抑えること。必要以上に所有すると、執着がわいて、それを失うことへの恐れや他者への怒りと嫉妬を生みます。アパリグラハの実践は、外の物質世界に縛られず、自らに満足感をもたらし、寛容になり他者から奪うのではなく、与えることにつながります)
②ニヤマ(Niyama)/勧戒 日常生活で実践すべき5つの行い。
●シャウチャ(Saucha)/清浄
自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと、身の回りの空間をに清潔に保つことも含まれる。心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう心がける。
●サントーシャ(Santosha)/満足、知足
今あるものに、常に満足すること。(環境、今置かれている状況、人間関係、自分の能力、健康、物質的なものすべてに対して)
ヨガの基本的な思想の一つは因果律。今置かれている状況は先に何か原因があり、ここに理由があって必然であると考える。なので、あるがままそれ自体で、すでに完璧である。そして、今、どんなに苦しく思える状況でさえも、実は何か成長のためのステップアップの機会かもしれず、今そこに何かしらの判断を加えることは無意味である。人は身の回りのものごとは当たり前だと思い感謝を忘れ、無くしてみて初めてそれが、かけがえのないものだったことに気が付く。健康も愛する人の存在も同様に。た、人の欲望は尽きることがなく、外の状況や変化してしまう諸々のことに幸福を求める限り、真の幸福は見つからない。自分自身で、今あることに感謝をし満足することが真の幸福への近道だ。
●タパス(Tapas)/苦行、自制
精神鍛錬のために困難なことを実行すること。または、人間として生きていく限り避けられない人生のさまざまな問題や試練を受け入れる。
強さを培うこと。ただし、ただ単に自分を痛めつけたり、我慢す ることはアヒムサ(非暴力」に反する。どんなに苦しい状況や試練に出逢っても、自分の成長の糧として受け入れられる強さを養うために実践する。
●スヴァディアーヤ(Svadhyaya)/読誦、学習、向上心
心を調える働きを持つ書物(聖典、マントラ、名著、人格者が書いた本、本質的なことが書かれている本など)を読むこと。
自分の心を善い方向に導いてくれる本を読むこと。得た知識を実生活を通じて、智慧に昇華させ、人格を成長させることを 意味する。
●イーシュワラ・プラニダーナ(Ishvarapranidhana)/自在神記念、信仰
唯一絶対なる存在(宗教では”神”と表現される)に信仰心を持ち、それに祈りを捧げること。 自らに備わっている神性を信じること。万物に対して、感謝と尊敬の気持ちを持ち、献身的な心を持って生きようとすること。
自分ではどうすることもできないこと(自然の力、時代の変化など)を受け入れ、身を委ねること。
③アーサナ(Asana)/坐法
瞑想を深めるための座法。もともとは単なるポーズではなく、瞑想を行なうための姿勢や道具を指すアースが語源である。
様々なポーズの実践により、体を鍛錬し、長時間の瞑想に耐えうる状態をつくる。また、心と体はつながっているので、身体能力の向上は、心の調整にもつながる。ポーズは、安定していること、快適であることが理想形。そして、冷静かつ客観的に、自分の身体感覚や心の状態を観察し、他者と自分を比べたり判断することなく、こだわりをなくし、その空間と一つとなる ような感覚で集中していく。
④プラーナヤーマ(Pranayama)/呼吸法・調気法
瞑想を深めるために呼吸を整えること。「プラーナ」は生命エネルギーのこと。「プラーナヤーマ」は、呼吸をコントロールすることによって、体内の見えないエネルギーを調整することを指す。呼吸と心と体の状態はつながっていて、呼吸が落ち着いて安定してれば心も穏やかで、体はリラックスする。呼吸のもうひとつの目的は、血液や脳により酸素や影響を与えること。理想的に呼吸を深めていくためには、正しい姿勢を心がけることが必要。つまりアーサナの実践を通じ、身体を鍛錬することが必要になる。
⑤プラティヤハーラ(Pratyahara)/感覚の制御
感覚への意識を深め、繊細に感じること。外側に向いている五感の知覚を、内側に方向づけ、内的感覚を高める。感覚を内側に向ける練習をしなければ、瞑想の境地に到達することはできない。感覚に意識を向け続ける。アーサナを実践していても、決して、感覚を我慢したり抑えつけたりするのではなく、それを感じている自分を常に冷静・客観視していく。これは、日々起きてくる様々な出来事や問題に、感情を振り回されるのではなく、何が起ころうともブレない自分を作る精神の鍛錬につながっていく。この先の「ダーラナ」「ディアーナ」「サマーディ」の3段階は、区切りの付けられない一連の心の流れとなる(それぞれ、瞑想状態の深さの程度が異なる)。
⑥ダーラナ(Dharana)/集中・精神統一
意識を特定の対象物に長時間留めておくこと。心が集中すればするほど、一点に向かう大きなパワーが生まれます。
⑦ディアナ(Dhyana)/瞑想
仏教の〈禅〉は、サンスクリット語で〈瞑想)を意味する、このDhyanaが語源だ。意識が積極的な努力なしに一方向に深く集中している状態。プラティヤハーラ(感覚制御)とダーラナ(集中)が深まっている状態。自分と他を分け隔てなくなった意識の状態。雑念から解放された無我の境地。
⑧サマーディ(Samadhi)/三昧、超意識、悟り
ヨガの最終目標。悟り。梵我一如。煩悩からの解放。解脱。瞑想がさらに深まり、集中の対象との一体感を感じている状態。(瞑想の状態をかなり長い時間維持できるようになったらサマーディの状態に入る)
02 中世のハタ・ヨガ期の「ヤマ」「ニヤマ」
ハタ・ヨガの背景には、中世に開花した多種多様なヒンドゥー教の宗教文化があります。ハタ・ヨガは、10世紀ごろにナータ派(ヒンドゥー教シヴァ派の一派で仏教とシヴァ派が混ざったもの)の修行法として発展しました。
ハタ・ヨガの文献ではあまり「ヤマ」「ニヤマ」について言及されていません。記述があったとしても「ヨーガ・スートラ」の「ヤマ」「ニヤマ」とは異なっていることがあります。ハタ・ヨガ期では、哲学的な考察よりも、実際にヨガ修業の具体的目標であるサマーディ(Samadhi、超意識、悟り)に到達する技術に比重が置かれたので、「ヤマ」「ニヤマ」に対しても哲学的に深く考察する傾向はみられません。
03 ヨガの近代化と「ヤマ」「ニヤマ」の扱い
1920年代のインドではヨガの近代化が行われました。まずハタ・ヨガのアーサナを合理的な体操体系として再構築し、その上でアーサナを単なる身体技法にとどめずインド的精神性復興への手段に再統合するために、パタンジャリの哲学体系が加えられました。
ハタ・ヨガの技術を科学することで学術的なヨガ研究の礎を築いたクヴァラヤーナンダは、著書「アーサナ」で、アーサナを始める準備としての「ヤマ」「ニヤマ」の必然性を細かく論じています。彼はヨガの目的を「精神が体と心の束縛状態から解放されて、限定されない実存の至福を実現すること」と定義しています。体より心の方が協力でアーサナによる体の強化と平行して心の強化トレーニングである「ヤマ」「ニヤマ」の実践が無ければ、体も健全に育成されない、アーサナの真の効果も享受できない、とするのです。そのためヨガの伝統では、身体面のトレーニングよりも心理面でのトレーニングに比重が置かれています。それがパタンジャリの八支則では、「ヤマ」「ニヤマ」が身体面のトレーニングのアーサナより先に置かれている理由だとしています。
04 「ヤマ」、「ニヤマ」があってこそ
1920年代にインドで学術的なヨガ研究の礎を築いたクヴァラヤーナンダは、ハタ・ヨガに継承されているアーサナを瞑想的アーサナと修練的アーサナの二つのカテゴリに分類しました。そしてアーサナの実習者を身体的・整理手学的な効果を求める身体鍛錬派と、精神的な効果を求める精神性探究派に分類し、両者のアーサナへの取り組みの違いを指摘しています。ヨガに合理的な身体トレーニングを期待する向きは修練用のアーサナを中心に練習するでしょう。しかし身体面での結果を得るには、「ヤマ」「ニヤマ」での心理面のトレーニングも不可欠です。
また、ヨガで精神性の開発をしたい向きは、修練用アーサナにとどまらず、瞑想用のアーサナの練習による内的体験を深める必要があります。そのためにはクンダリニーと呼ばれる潜在的なエネルギーとの相互作用に耐えらる様に、神経系を鍛える事が必須で、「ヤマ」「ニヤマ」を尊寿しなければ効果は全くないと述べています。
更にクヴァラヤーナンダは、「ヤマとヤニマの完全な実践は極めて到達困難」であり、その完全性に近づけるのは「100万人に一人もいないだろう」と述べています。しかし、「ヤマ」「ニヤマ」には、「その理想にはわずかでも真剣な試みを始めるものには、心理的な健康を与える応用力がある」とも言っています。必要なのは「健康な心を育むと言う信念」で、「ヤマとニヤマを実践するという確固たる努力」としています。そこで「ヤマ」「ニヤマ」とアーサナの実数を土時に始めるよう推奨しています。アーサナの最良の効果を望むなら、「ヤマ」「ニヤマ」の実行に最大の必要性があると言うのです。
このようにヨガの近代化の過程で合理的な心身統合の方法としてヨガへの期待が高まるにつれ、「ヤマ」「ニヤマ」は再発見されていったのです。現在私たちを取り巻く自然環境や社会環境は急激な変化を続けています。そのなか、ヨガで心身の統合レベルの向上を図り、いつでも最適化された自己で前向きに生きていくことが現代のテーマでしょう。そのためにも、「ヤマ」「ニヤマ」に込められてきた意味について考えることは実り多いヨガ体験を積み重ねていくために必要な実践と言えるでしょう。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |