『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(8)

01 シャウチャ

シャウチャは、サンスクリットで「清潔さ」または「純粋さ」を意味し、身の回りや身体を清潔にしておくことを指し示します。シャウチャには、二つの側面があり、1つは、物理的な清潔さです。 体、食事、周囲の環境など、私たちの物理的な存在と関わるあらゆる側面においての清潔さや純粋さを意味します。これは健康を保つ基本的な手段として、また瞑想やヨガの実践における集中を高めるための重要な要素として認識されています。もう1つは、心的・精神的な清潔さです。 これは、私たちの感情、思考、意図などの精神的側面に関連しています。嫉妬、欲望、怒りなどの否定的な感情や思考を浄化し、純粋で明るく、建設的な状態を追求することを意味します。

たとえば、もし瞑想する場所に色んな本や漫画、ゲーム、食べ物などが置かれていたらどうでしょうか。気になって瞑想できないのではないでしょうか。私たちの心は、何か好ましいものを見るとそれに引きつけられてしまいます。例えば、冷蔵庫の中にケーキが入っていて、「よし、瞑想が終わったらケーキを食べよう」と思っていたら、瞑想の間ずっとケーキのことが頭から離れないでしょう。このように、身の回りにある物に対して心は勝手に動いてしまうわけです。そのために、身辺をできるだけ清潔にしておく必要があります。また、ここでの「清潔さ」というのは、単なる身体的な清潔さだけでなく、感情、思考、そして精神まで含まれています。これは、内外の両方で純粋さや清潔さを保つことで、高い精神的状態に達するための手段とされています。体的な清潔さから始め、次第にその範囲を広げていくことで、より健全な生活と精神状態が手に入ると考えています。

02 サントーシャ

サントーシャは、今あるもので満足することです。サントーシャは、物理的な欲望や外的な状況に動揺されず、現在の瞬間や持っているものに感謝する心の状態を指します。これは単なる受動的な満足や現状維持ではなく、積極的な受け入れと深い認識に基づくものです。その結果、欲望や欲求に振り回されないことで、自らの真の自己や魂の声により近づくことができます。

アパリグラハで述べた問題と同じですが、今あるものに既に満足しきっていて、これ以上何も求める物がないという状態でなければ、瞑想はできません。例えば、「成功したい」とか「お金持ちになりたい」というような願望があれば、その人は自分にはまだ足りないものがあると思っていて、今の状態に満足していないのです。心が今あるもので満足せずに、外側に向かって何かを求めているなら、心は活発に動いてしまい、瞑想のために落ち着いて座ることはできません。

またよくある間違いは、瞑想そのものに何か願望を持ち込んでしまうことです。例えば、「神秘的体験をしたい」とか「悟りたい」というような願望を持って瞑想すれば、瞑想中、その人の心は期待によって動き続けることになります。これでは瞑想にはなりません。何も期待せず、ただ座っていることがすでに悟りであると考え、瞑想に目的や意図を持ち込まないことが大切です。私たちのプルシャは既に悟っているので、悟りにはどんな経験も体験も必要ありません。あなたが今以上に求める心を捕らえて、鎮めることが最も重要なことです。

03 タパス

タパスは、我慢強く耐えることです。現代人の日常生活は、非常に多くの刺激や誘惑にさらされているので、心は常に乱れています。そのような心を落ち着けようと思えば、大変な忍耐が必要になります。ちょうど長くタバコを吸っている人が苦労して禁煙するようなものです。喫煙の楽しみを味わった分だけ、相対的に禁煙は苦しみとなります。このように、すでに得た開花にゃ刺激を解消するには忍耐が必要となるのです。

このような苦しみのサンスカーラは、普段の生活の中で殆ど表面化することがないので、気づきづらいものです。例えば、「甘い物が食べたいな」と思ったら、すぐにチョコレートやケーキなどを口にすることができます。欲求が生じれば、それらはコンビニでもスーパーでもどこでも売っていて、すぐに手に入るので、苦しみが生じる機会がないのです。しかし、苦しみがないからといって、サンスカーラが存在していないというわけではありません。病気になって甘い物を禁止されると、それまでのサンスカーラが苦しみとなって現れ、「甘いものが食べたい」という一種の飢餓状態になるのでしょう。

このとき「病気のせいで甘い物が食べられなくなったので、とても辛い」と思うかも知れませんが、そうではありません。病気のせいではなく、ずっとため続けてきたサンスカーラが、病気という機会に応じて現れてきただけなのです。これは瞑想においても同じです、落ち着いて座るためには、それまで蓄積していたサンスカーラを消化する必要があります。そのためには、忍耐しなければなりません。もちろん、このような苦楽は誰にでも起こりますから、ラージャ・ヨガを実践するかどうかは別にしても、日頃から自分の欲望に対して甘やかしたりせずに、ほどほどにしておく必要があります。

04 スヴァディヤーヤ

スヴァディヤーヤは、自分について学ぶことです。スヴァディヤーヤは、単なる自己学習や知識の習得ではありません。それは、自己の内部を照らし出し、自己の本質や真実を探求する精神的な実践を意味します。これには、聖典の研究、瞑想、そして日常生活における自己反省が含まれます。インドの一部の哲学派では、入門者にまず「あなたは誰か?」という質問をします。そのとき入門者が「私はこういう名前で、これこれの家系の生まれです」と答えると、師匠は「それはあなたの体に付随している性質に過ぎない」と否定して、真の自己認識に対しての問題提起をするのです。スヴァディヤーヤの実践を通じて、自分自身の真の本質や魂の目的に近づくことができます。このように「本当の私とは何か」について学ぶことがスヴァディヤーヤです。

これはまた、聖典の学習と言われることもあります。プルシャあるいはアートマンという自己の本質についての知識は、単にこれまでの経験や観察だけで得ることは難しいでしょう。スートラなどの聖典によって学ばなければ、一体どのように自己について理解することができるというのでしょうか。古くから伝わるヴェーダ聖典、ブッダやクリシュナなど悟りを開いた聖者たちの言葉に助けられて、私たちは自己についての理解が深まるのです。

05 イーシュヴァラ・プラニダーナ

イーシュヴァラ・プラニダーナは神に祈ること、または信仰心を持つことです。私たちは、お正月や行事の折に、神社やお寺などに行って願い事やお祈りをすることがあります。しかし、それは本来の信仰とはあまり関係がありません。なぜなら、そのとき私たちは、合格や結婚などの自分の願望を神にお願いしているだけであって、願いが叶えば良いし、そうでなければ神などいないといった態度だからです。これは神への祈念ではなく、エゴの願号を念じているに過ぎません。信仰とは、自分のエゴにとって良い悪いではなく、全てが神に与えられたものとして受け取る態度のことです。

たとえば、車に乗っていて交通事故を起こしたとき、「もうちょっと注意しておけば事故を起こさなかったのに」とか「車じゃなくて電車で行けば良かった」と後悔するなら、その人は自分の選択によって事故が回避可能だったと考えていることになります。つまり、自分が人生の出来事の選択権を持っており、自分の選択が正しければ幸福になったり、誤った選択をすれば、不幸になると考えているので、後悔をしたり悩んだりするのです。

イーシュヴァラ・プラニダーナはそのようなエゴを捨てて、神を信じ、自分の全存在を神に委ねることにあります。神は愛であり、善であり、私が受け取っているあらゆるものは神によって与えられた最高のものだと考えます。このように、私たちの人生の出来事は自分で選んだものではなく、神によって与えられたものだと考えれば、私たちが人生の中で悩む必要はなくなります。事故に遭っても、これもまた神の愛であって、最高の経験であると捕らえ直すことができるようになるからです。このように、すべてを神に頼り切ることが信仰です。このイーシュヴァラ・プラニダーナについては、ニヤマの中の一つというだけでなく、主要なヨガとしても述べられているので、又後述します。

以上がヤマとニヤマの説明になります。瞑想について言えば、体が座る前にまず心が安定して座っていなければなりません。ですから、これらの実践は瞑想の準備と考えることができます。このような規則に取り組むことで、心は外側の世界に喜びを探し求めることをやめて、内的探求へと向かうことができるようになるわけです。

06 ヨガのアーサナとプラーナーヤーマ

次に、ヨガにおけるアーサナとプラーマナーヤーマについて説明しましょう。ヨガスタジオなどに行くと、様々なヨガのポーズを取り、そのポーズを練習します。このポーズのことを、正確にはアーサナと呼びますが、八支則の中でのアーサナは瞑想のための座り方です。なぜなら、『ヨーガスートラ』には、ヨガのポーズについては全く書かれていないからです。それでは、今世界中で流行しているヨガのポーズはどこからきたのでしょうか。現在世界で行われているポーズを取るヨガは、ハタ・ヨガと呼ばれています。このヨガは、16世紀頃にインドのスヴァートマーラーマというヨギーによって書かれた『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』という本に詳しく紹介されています。そこには、現代でも行われているヨガのポーズがいくつか登場します。

『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』の中で、スヴァートマーラーマは、ハタ・ヨガはラージャ・ヨガのための準備であると述べています。しかし、その内容は、いわゆるヨガのポーズや呼吸法、ムドラーなどの行方によってクンダリニーを上げることについて書かれているのです。ですから、ハタ・ヨーガとは本来、ポーズなどによる身体的な取り組みによってクンダリニーを上昇させるクンダリニー・ヨガであると考えることができます。クンダリニーについてはご存じない方が多いかも知れません。

クンダリニーはサンスクリットで「螺旋状のもの」という意味を持つ言葉であり、人間の脊髄の基部、特に仙骨のあたりに眠っているとされる原始的、または宇宙的なエネルギーを指します。これはしばしば螺旋状に巻かれた蛇の形に例えられることが多いです。このクンダリニーは、脊柱基底部に眠る性的なエネルギーとして修行者の間で古くから考えられてきました。一部の修行者たちは、このエネルギーの絶頂まで上昇させることで、悟りを得られることができると考えており、それをクンダリニー・ヨガ、あるいはラヤ・ヨガと呼びます。

しかし、ラージャ・ヨガはクンダリニー・ヨガではありません。既にお話してきたように、ラージャ・ヨガの目的は、サンスカーラの消滅であり、クンダリニー・ヨガの目的はクンダリニーの上昇だからです。また、このクンダリニーの行法については、古くから批判的な意見がありました。8世紀のインドの哲学者シャンカラは『アパロクシャーンブフティ』という著作の中で「ハタ・ヨガは、世俗的な欲望を鎮めたり、根絶できない人びとのためのものである」と述べ、ブラヴァツキーも著書『シークレット・ドクトリン』の中で、「ハタ・ヨガは低級なヨガである」と述べています。近代で大きな事件を起こしたオウム真理教も、このクンダリニー・ヨガを行っていました。テレビなどで胡座を組んで飛び離れている映像を記憶されている方も少なくないでしょう。尾てい骨に刺激を与えることで、クンダリニーを上昇させようと考えていたからです。しかしながら、身体の行法によって悟りを開くという方法には様々な危険や問題が伴いますので、私としてはこのようなヨガをお勧めすることはしていません。

もちろん、一般的にヨガスタジオで行われているハタ・ヨガはクンダリニー・ヨガではなく、体を柔軟にして健康を保つためのものです。これは危険もなく、多くの人に勧められるものです。シャンカラやブラァツキーが批判したハタ・ヨガはクンダリニー・ヨガのことであるという点は誤解がないようにしてください。それでは、『ヨガ・スートラ』の中に書かれているアーサナの定義について見ていきましょう。それは、非常にシンプルに述べられています。それは「アーサナは、快適で安定していなければならない」とあります。

瞑想に取り組むときに、一番はじめに障害となるのが姿勢の問題でしょう。胡座を組んで座る場合、足首の柔軟性がなければ3分ももたずに足がしびれたり、痛くなって、姿勢を保っていられなくなります。体に苦痛が生じれば、心は乱れ、「足がしびれてきたから」「疲れたから早く終わらないかな」などと雑念が生じてしまいます。痛みや疲れによって心が動いてしまえば、そこで瞑想は中断してしまいます。ですから、瞑想を始める前に体の準備をしておかなければなりません。注意すべき事は、瞑想は我慢大会ではなく、快適で安定して座ることが前提となっている点です。お寺の座禅会などでは、体の準備のできていない一般の参加者に胡座を組んで座ってもらうことがあるため、「瞑想は足が痛くなるもの」という印象を持っている方もいるかもしれませんが、基本的には快適に座ることができるようになってから瞑想を始めるべきです。そうでなければ、瞑想は殆ど維持できないでしょう。

この体の準備のために、ハタ・ヨガのポーズの練習はとても役立ちます。瞑想のために代表的な姿勢はパドマアーサナ、または結跏趺坐と呼ばれます。結跏趺坐(けっかふざ)は、伝統的な仏教の瞑想の姿勢の一つで、日本の仏教実践、特に禅宗においてよく知られています。この姿勢では、足を交差して座り、右足を左の太ももの上に、左足を右の太ももの上に置く方法で座ります。これにより、安定した三角形のベースが形成され、長時間の瞑想に適しています。ヨガ哲学の観点からは、このような座り方は、腰を高くして背筋を真っ直ぐ保つのに役立ちます。これにより、エネルギーの流れが中心のエネルギーチャネルであるスシュムナナディを通して効果的に行われると信じられています。また、安定した姿勢は心と心を落ち着かせるのに役立ち、瞑想を深めるのに有効だと考えられています。

アーサナ、いわゆるヨガのポーズの練習は無理をせず、カラダを痛めないようにゆっくり焦らず時間を掛けて行っていきましょう。体の準備が整えば、座ったときに苦痛を感じることもありません。むしろ、この姿勢はとても快適なので、ずっと座っていないと思うようになることでしょう。

では、アーサナについて『ヨーガ・スートラ』の解説を読んでいきましょう。「それは、瞑想の姿勢を維持する努力がなくなり、永遠に対して瞑想することによって完成へと向かう。そのとき、苦楽などの似厳正に惑わされることがなくなる」と書いてあります。ここでパタンジャリは、快適に座れるようになったら、次は永遠について瞑想せよと言っています。また、これによって苦楽などの二元性に惑わされることがなくなるといっているわけです。この点についてもう少し深くがんが得てみましょう。

私たちの本性はプルシャなので、それは永遠に変化せず存在するものです。しかし、心は、常に変化し続け、苦楽を相対的に作り出すので、喜びに対しては苦しみが、苦しみに対しては喜びが生じることになります。それはすぐにではないかもしれませんが、今生か死後か、来世においていずれ生じるでしょう。ですから、今、この瞬間の禍福さえ実現すれば良いというわけにはいきません。

従って、私たちは今ここだけではなく、永遠の中で物事を見るようにしなければなりません。永遠の中で、心の作用を考えれば、今起きている喜びはいずれ苦しみとなって現れるということがよく分かるようになります。今だけを考えていたのでは、心の相対的な作用や物事の本質的な在り方を見失うことになります。永遠の自己の中に心を置いて、観察してみるならば、心の性質は自ずと明らかになっていきます。心の性質を理解すれば、あなたは心の支配者になります。そうでなければ、心はまだあなたの支配者です。心に支配されていれば、苦楽からは逃れることができないでしょう。

このような態度は瞑想の基礎となります。つまり、あなたが心に惑わされている間、落ち着いて座ることが出来ないからです。永遠に対して、ヨガ的な瞑想を行うことによって、一過性の快感を求める欲望は止み、成功や失敗、快感と不快、勝利と敗北といった二元性に惑わされることがなくなるのです。それらは本質的には存在しないということが明らかになるからです。このように心の性質をよく理解し、二元性のある快感を求めることを辞めるならば、そのとき始めて瞑想のための準備がととなったといえるわけですね。

07 ヨガの呼吸法~プラーマーヤーナ

プラーマーヤーナは、ヨガに於ける独自の呼吸法のことです。プラーナは「生命エネルギー」や「生命の息吹」を意味し、ヤーマは「制御」や「拡張」を意味します。したがって、プラーナヤーマは生命エネルギーの制御や拡張を目的とした呼吸の実践を指します。プラーナヤーマは、身体と精神の調和を実現するために、プラーナの流れを制御します。定期的でリズミカルな呼吸は、心を静め、深い瞑想に入るのを助けます。また、ヨガの伝統には、身体には多くのエネルギーチャネル(ナディ)があるとされています。プラーナヤーマは、これらのチャネルを浄化し、エネルギーの流れを最適化します。近年の医学研究でも、こうした呼吸法は、定期的な深呼吸により、心拍数と血圧を低下させる可能性があることや深い呼吸は交感神経系の活動を減少させ、副交感神経系の活動を促進する可能性があります。これはリラックスした状態をもたらし、肺の弾性性を向上させ、肺容量を増加させる可能性があることが示唆されています。

『ヨーガ・スートラ』を見てみましょう。そこには「アーサナが習得されたら、次に呼吸が制御されなくてはならない。これがプラーマーヤーナである。呼吸は、外へ、内へ、停止のいずれからであり、場所、時間、回数によって調整され、次第に長くほそくなる」と書いてあります。呼吸は、吐く息と吸う息、息を止めること、この3つで校正されています。この割合を、吸う息4:止息(しそく、息を止めること)2・吐く息4などと細かく練習する場合もありますが、はじめは吸う息と吐く息を一対一で練習していくといいでしょう、まずは、吸う息と吐く息を7秒ずつカウントしながら行い、慣れて売れば、徐々に秒数を増やしていくようにしましょう、また、複雑な呼吸法については自己流では行わずに、直接ヨガの指導者に習うようにしましょう。こうして、瞑想中には、できるだけ細く長い呼吸を行うように心掛けます。呼吸の安定と共に心地よい状態を保てるようになり、余計な雑念も起きてこなくなります。

アーサナとプラーマーヤーナは、主に身体的な実践です。アーサナ、つまりヨガのポーズの練習などは、早く体を柔らかくしたいと思って無理をすると怪我をすることもあるので、焦らず長い時間をかけて少しずつ取り組んでください。

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)

【目次】

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(3)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(4)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(5)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(6)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(7)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(8)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(10)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(11)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(12)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(13)

バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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