『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)

01 プラティヤーハーラ

ヤマ、ニヤマで心の準備が、アーサナとプラーマーヤーナで体の準備が整ったと仮定して、次に進むべき事は何でしょうか。それは、プラティヤーハーラといい、感覚を制御することです。プラティヤーハーラ (Pratyahara) があります。このサンスクリットの言葉は、多くの場合、「感覚の撤回」と訳されますが、これは単なる表面的な意味に過ぎません。プラティヤーハーラは、ヨガの八つの道、アシュタンガヨガの第五の段階として位置づけられています。この段階において、実践者は外部の世界からの感覚的な刺激を内部に向け、自身の内側の世界に焦点を合わせることを学びます。私たちは日常的に外部の世界からの刺激に晒されています。これらの刺激が我々の意識や注意を散らかしてしまうため、心の静寂や内部の世界に集中することが難しくなっています。プラティヤーハーラの実践を通じて、実践者はこの外的なノイズから離れ、自身の心と精神の中心へと深く潜ることができるようになります。プラティヤーハーラは、瞑想や呼吸の実践を通じて自然に発展します。実践者は、注意を内部に向け、心の動きや感覚の動きに意識的になることで、外部の刺激からの影響を減少させることを学びます。プラティヤーハーラは、ヨガの実践において中心的な役割を果たします。外部の世界からの刺激から距離を置き、自身の内側の静寂と平和へと導くこの段階は、真の自己理解と心の浄化への道を開く鍵となります。

それでは、『ヨーガ・スートラ』の解説を読んでいましょう。「対象それ自体の模倣品のようになり、心が感覚対象を追い求めるのを阻止するのがプラティヤーハーラである。こえによって、感覚器官は高い従順さを得る」とあります。この「対象が模造品のようになってしまう」というのはどういう意味でしょうか。普通、私たちの心は外界に向いていて、様々な刺激を受けています。このとき、その対象と自分の経験は結びついていて、その対象に対する欲求を高めています。このような感覚に対する刺激を抑える方法が、このプラティヤーハーラなのです。

たとえば、お腹がすいているときに、ステーキの写真を見ると、実際には食べていないのに口の中に肉汁や油の印象が現れてきて、それを食べたいという欲望が強烈に湧いてくることがあります。しかし、このような反応が起こるのはなぜでしょうか。もし、これまで一度もステーキを食べたことがなく、味も匂いも知らないなら、写真を見ただけでそのような反応が起こるはずがありません。何かを見て「美味しそうだな。食べたいなあ」と感じるのは、過去にその快感を得た経験があるからです。つまり、その快感のサンスカーラが、そのステーキの写真と共に現れてきて、食べたいという欲求を起こしたと考えることが出来ます。

こういった欲求は、ヤマ・ニヤマの実践によって、徐々に弱まっていきます。そのとき欲望は制御されていて、その対象に対する記憶の印象が薄れていくからです。その対象を見たときに心に欲望を呼び起こせなくなると、それはもはや模造品のように見えるはずです。このように、その対象に対しての印象がなくなり、ステーキであれば、それがまるでプラスチックの塊のように見え、心に何も訴えてくることがないようになっていることが、プラティヤーハーラなのです。

レストランのショウケースにもよく料理の模造品が並んでいますが、実物と比べるなら、ちょっと見劣りするでしょう。ちょうどそのように、快感を伴う記憶がその対象から離れてしまえば、その対象は心が作り出す生き生きとした印象を失って作り物のように感じるのです。このような心の作用の変化によって、感覚は周りのものに惑わされなくなります。

02 ヨガを通して微細な感覚に集中する

プラティヤーハーラのもう一つの実践は、瞑想中に身体の内側のできるだけ微細な感覚に集中することです。たとえば、鼻の奥に集中して、呼吸の際に生じる空気の出入りや感覚を観察するのです。瞑想中に音楽を流して、それに集中しているという方もいるかもしれませんが、体の内側にある微細な感覚を対象にした方が疲れにくく、瞑想しやすいと言えます。呼吸の動きは、私たちの体内にあって、とても観察しやすいものです。この呼吸の動きに集中するなら、感覚器官が外的な対象に向くことはありません。また、体温や体に感じる穏やかな風、床の冷たさ、かすかな音など瞑想の対象としては好ましいでしょう。このように、呼吸の観察を続けるうちに、呼吸はとても甘美なものとして体験されるようになります。普段はなかなか呼吸を美味しいと感じることはありませんが、集中しているうちにそれがある種のおいしさとして感じられるようになるのです。そして、この世界に呼吸ほど美味しいものはないということがわかるようになります。

私たちは普段、外的な対象からその甘美さを得ることに夢中になっていますが、それは身体の中でも作り出すことができるのです。こういった面白さは、ヨガの醍醐味の1つしかもしれません。呼吸というつまらないものを楽しみに変えてしまう、そういう力を養うのが、ヨガであり、ヨガの呼吸法のです。このように自分の身体の内側に喜びを見いだすことで外側に向かおうとする心を引き留めることが、プラティヤーハーラなのです。

03 ダーラナ・ディヤーナ

ラージャ・ヨガの八支即の最後の3つ、ダーラナ、ディヤーナ、サマーディは瞑想のの段階を指し示しています。これをサンヤマと呼びます。まずは、瞑想の最初の段階であるダーラナについて紹介しましょう。『ヨガ・スートラ』には「ダーラナとは、心を1つの対象にとどめておくことである」と書いてあります。これが瞑想の基本的な概念です。呼吸などに集中し、心がその対象から離れないようにすることです。このような集中状態では、心は完全に制御され、新たなサンスカーラを生み出すことはありません。こうも書いてあります。「瞑想による心の集中状態では、カルマの蓄積は生じない」と。はじめは、このような集中は非常に努力を必要とします。ヨガなどを習う際に、瞑想を習うと、「瞑想中は呼吸に集中してください」というような指導をされることがあると思いますが、心は非常に散漫で、呼吸のことなど忘れて考え事を始めたり、周りの様子を気にしたり、何かの音に反応したりと様々に動いてしまうからです。このように動き前÷心を1つの対象に集中させる力を養っていくことがヨガの鍛錬であり、瞑想の練習なのです。心が対象から外れたら、繰り返し、その対象に注意を向け直していきます。これは時間をかけて練習する必要があります。

集中するときの対象は、基本的に何でも構いません。呼吸はその1つの例ですが、ロウソクの炎やマンダラなど、様々な対象を想定することが出来ます。もちろん、プラティヤーハーラでお話ししたように、体の微細な感覚は好ましい対象の1つです。また、ある事柄に対して集中した思考もダーラナと呼ぶことができます。今、『ヨーガ・スートラ』について考えているとすれば、ずっと『ヨーガ・スートラ』のことだけを考え、余計な雑念を排除するのです。このような集中は、ヨガや瞑想だけではなく、日常の生活でも利用することができます。たとえば、書類の作成をしているとき、そのことだけに集中して余計な雑念を排除すれば、仕事の質もあがるでしょうし、仕事も早く終わるでしょう。集中力が散漫であるので、ダラダラと必要以上に時間がかかってしまうものなのです。以上のように、ある対象だけに心を集中しておくことはなかなか大変ですが、ヨガ、そして瞑想の練習を繰り返すことによって、心は徐々に順応性を帯びてきて、長時間の瞑想に耐えることができるようになるでしょう。

04 ディヤーナ

ダーラナが揺るぎなく継続されるようになるとディヤーナとなります。ダーラナでは瞑想の対象に集中するという努力が必要でしたが、ディヤーナでは瞑想の集中状態が努力なく維持され、途切れなく保たれています。『ヨーガ・スートラ』には「ディヤーナとは、その対象に対する想念が途切れなく持続されている状態である」と書かれています。このような瞑想の状態を、仏教では禅定と呼びます。禅定(ちゃんてい、または「ディヤーナ」、「ジャーナ」、「ゼン」、サンスクリットで「Dhyāna」)は、仏教の瞑想実践における核心的な部分であり、心の集中や平静さを高める技法を指します。禅定の主な目的は、心の浮つきや散乱を取り除き、深い集中と内的な平静を得ることです。これにより、真の自己認識や宇宙の真理、涅槃の体験へと進む道が開かれるとされます。継続的な瞑想を通じて、心の散乱や障害が少なくなり、より深い集中が可能となり、高度な集中の状態を通じて、真理や自己の本質に対する深い理解や視覚が得られるとされています。禅定の実践により、心の平静、明瞭さ、そして感受性が高まります。これは、日常生活の中での忍耐、理解、そして共感の向上に繋がり、また、精神的な苦痛や苦しみからの解放への道となります。以上のように瞑想が習得されることで、次なる段階、サマーディへと進んでいきます。

05 ヨガおける段階的なサマーディ

いよいよ八支即の最後になるサマーディについて説明していきましょう。サマーディには、いくつかの状態が想定されていますが、その究極的な境地は、カイヴァリヤと呼ばれます。カイヴァリヤについては、既に何度か説明していますが、プルシャとプラクリティの関係が切り離され、プルシャが独りになることを意味しています。サーンキヤ哲学の宇宙論を思い出してみてください。サーンキヤ哲学での世界の始まりは、プルシャとプラクリティが関係を持つことでしたので、カイヴァリヤは、この逆ということになります。つまり、プルシャとプラクリティが結びつくことで、世界が誕生し、切り離されることでその人の世界は消滅し、カイヴァリヤへ至るということになります。

サーンキヤ哲学では、3つの心の作用が想定されていました。世界が誕生したとき、最初に生じたのがブッディ(識別智)でした。ブッディは、精神の一部として、我々が経験する物事や情報を理解、解釈、および判断する機能を持つ部分として認識されます。言い換えれば、ブッディは私たちの「内なる知性」または「高次の心」を表します。ブッディは、物事の真実の性質を見極める能力を持っています。これにより、我々は現実を正確に理解し、誤解や幻想から自らを解放することができます。ブッディは私たちの選択や決定の背後にある基盤として機能します。それにより、正しい行動や修行の道を選択する手助けをしてくれます。純化され、訓練されたブッディは、現実を正確に認識し、自己の真の性質や宇宙の真理を理解する手助けとなります。ブッディの後、次に、アハンカーラ(自我意識)が、最後にマナス(思考や欲望)が生まれました。従って、サマーディでも段階的にこれら3つの心の作用が消滅していくと考えることができます。それでは、これらの3つの心の性質をより詳しく見ていきましょう。

06 ヨガのサマーディにおける心の3つの作用

万物の最初に生じたのが、ブッディです。この心の根源的な作用となるブッディとはどのような心の作用なのか、具体例を考えてみましょう。私たちは日常的に様々なものを識別しています。たとえば、机の上にボールペン、手帳、コップが置かれているとすれば、それぞれを個物の物として認識しています。これは単に視覚の作用だけではなく、ペンは文字を書くもの、手帳はスケジュールを管理するもの、コップは水を入れる器、というように物やカタチや用途によって独立したものとして見えています。これが、ブッディの作用です。もしブッディがなければ、それら渾然一体となって区別できなくなります。このように、物と物を分けて認識する心の作用がブッディです。ブッディがなければ、心のあらゆる作用が生じません。世界に区別がないとき、欲望や思考は働きようがありません。ですから、私たちが今のように世界を認識し、喜んだり、悲しんだりするためには、まずこのブッディの働きがなくてはならないわけです。

次に、アハンカーラ(自我意識)が生まれてきます。先程のブッディは、物を識別して認識する心の働きでしたが、アハンカーラはその識別された物に対して、「これは私の物、これは他人の物」というように、自分と他人を分ける心の働きです。またプルシャに「私が考えている」「私が行為している」という認識を抱かさせる心の作用です。『ヨーガ・スートラ』では、プルシャに「私が世界を見ている」という感覚を生じさせる心の働きであると述べられています。「自我意識とは、見る者(プルシャ)と見る力(心の認識作用や五感)を同一視することである」。自我意識は、プルシャである私に心や体を結びつけています。もしアハンカーラがなければ、「これは私の体」「こえは私のお金」という感覚はなくなってしまうでしょう。それでは自分の体を気遣うこともできませんし、他人の物を勝手に使ってしまったり、駐車場に止めた自分の車に乗って帰ることもできなくなってしまいます。

このようにアハンカーラは、私たちが生きていく上で必要な心の作用ですが、一方で、さまざまな問題を起こしています。アハンカーラの対象となるもの、たとえば、体や金や車などが害されたり、奪われたり、壊されたりすると、まるで自分自身が害された怒りや恐怖を感じるからです。また、アハンカーラによって、これらに対する執着、「美しくなりたい」とか「お金持ちになって高級車に乗りたい」といった欲望が生じてくることになります。

こうしてアハンカーラによって、自他を区別するようになると、それに応じて、今度は執着が生まれてきます。その執着によって、思考や欲望と言ったマナスの働きが活発になります。たとえば、好きな人が出来るとその人のころをずっと考えていたり、欲しいものがあるとそのことが頭から離れなくなります。このようなマナスの働きの多くは、サンスカーラを生む原因となります。以上で、ブッディ、アハンカーラ、マナスという3つの心の性質について簡単に説明してきました。では、もう一度まとめて考えてみましょう。

たとえば、お金の入った財布を持っているとします。お財布の中には、お札とレシートが一緒に入っています。お札とレシートは両方とも紙ですが、お札は買い物ができる価値のある紙、レシートは買った物の明細で、必要ない紙、というように違うものとして認識しています。お財布を整理するとき、レシートだけをゴミ箱に入れ、お札は大切に財布にもどします。これがブッディが行っている識別です。では、その財布を誰かが持って行こうとしたらどうでしょうか。あなたは「泥棒!私の財布を盗むんじゃない」と大声をあげて追いかけるのではないでしょうか。アハンカーラがあるので、財布を盗まれたとき「私の物が奪われた」という認識が生まれるのです。今度は、お財布に入っているお金が少なくなったらどうでしょう。「まだ給料日まで日があるから節約しなくてはいけない」と理性的に考えたり、「好きな物が自由に買えないなんてつまらない、もっとお金が欲しい」と思ったりするでしょう。これがマナスによる思考や欲望などの心の働きです。私たちが喜んだり悩んだりしているのは、主にこのマナスの働きによります。

以上のように3つの心の働きは、普段何気なく生じているので、私たちが心の動きによって世界を見ることは当たり前のように感じます。しかし、これが絶対的な世界の見方というわけではありません。つまり、私たちは自分の心で見ている世界がただ1つの真実であるかのように思い込んでいますが、これは人間の心だけに生じている世界だからです。もしこういった心の世界の作用が世界の側で行っているとすれば、猫がお金を咥えて逃げたり、蟻がお金に群がったりするかもしれませんが、そうはならないでしょう。猫が咥えて逃げるのは、魚で、蟻は佐藤に群がります。なぜなら、人は人の心の作用によって、猫は猫の、蟻は蟻の心の作用によって、それぞれが全く別の世界を見ているからです。ですから、あなたがとあなたの隣にいる人が全く違う世界を見ていたとしても不思議ではないのです。心の作用に応じて、多様な世界が同時に存在しているからです。これは、これからお話しする、瞑想の世界においての事実です。つまり、ある人が苦楽の世界にいることをと、ある人がカイヴァリヤに達して至福の世界にいること、これは全く同じ場所で起きるからです。

07 段階的なサマーディ

それでは、以上3つの心の性質を元にサマーディの段階について考えてみましょう。すでにお話ししたように、サマーディの最終的な状態であるカイヴァリヤがプルシャとプラクリティとの結合を切り離すことであれば、この段階的に生じてくる心の働きを逆順に停止させていければいい、と考えることができます。つまり、最初に煩悩性のあるマナスの動きを停止させ、次にアハンカーラを、そして、ブッディを呈しさせ、最後にプルシャとプラクリティを分離させるという流れを想定することが出来ます。このプロセスが、『ヨーガ・スートラ』の冒頭で、「ヨガとは心のは働きを止めることである」といっている言葉の全体像になります。ですから、まず最初にマナスによって生じる煩悩を抑えるという課題に取り組む必要があります。これは八支即の中で、ヤマ、ニヤマにあたります。何も求めずに、ただあるがままを受け入れることで、心は落ち着きを取り戻し、瞑想のために準備ができていくのです。

08 ヨガを通して煩悩が薄れていく

さて、ヤマ、ニヤマによって、サンスカーラが次第に減少し、煩悩性の心の働きがある程度収まっていくと、私たちの目に見える世界はどのように変化していくのでしょうか。まず、怒りやいらだちを感じることは少なくなってきます。欲望が静まり、良し悪しで物事を見ることを辞めると、成功や失敗、有名や無名、裕福や貧乏、美人やブスといった二元性で人や物事を判断しなくなるからです。世界を二元性で見ることを辞めれば、自分の心の中の中にこもったような二元性を起因として生じる嫉妬心や劣等感は起きてこなくなります。人を収入や地位などで判断せず、誰に対しても平等に接することができるようになります。また、快感を手放しで居るので不快感も生じなくなっています。このように、執着によって起きる思考や欲望を捨てると、とても平安な生活を送ることができるようになるでしょう。

さらに、この肉体や心に対する執着を手放してしまえば、体にまつわる様々な願望や心配事、氏に対する恐怖も薄れていきます。私はプルシャであり、私は永遠に滅びることのないという確信によって、安心感が生まれてくるからです。さて、このように煩悩や執着が弱まっていくと、世界の出来事に対して冷静な眼差しを向けることができるようになり、感情の起伏はなくなっていきます。ですが、煩悩や執着がなくなったからっといって、世界から全ての意味が消えてしまうわけではありません。「この人は鈴木さん、あの人は佐藤さん」とか「こえはヴィトンのバッグ」というように、人や物に対する名称や知識はそのまま残っているからです。もちろん、これらに対する執着はありませんので、「鈴木さんは美人で家がお金持ちだから親しくしよう、佐藤さんは見た目が悪くて貧乏そうだから友達になりたくないな」というような煩悩による判断や、「ヴィトンのバッグが欲しい」という欲望は起きません。優れているとか劣っているという二元性の判断はなく、知識としての違いがあるだけです。このように、対象に対して、煩悩性の心の働きだけが消えて、その他の心の作用、つまり、思考や名称や知識、自我意識だけが残っている心の状態をサンプラジュニャータ・サマーディと呼びます。

サンプラジュニャータ・サマーディには、論理性、考察、至福、自我意識が伴います。このような心の状態では、サンスカーラによる心の苦しみは殆ど起きません。その人は、苦しみの原因となるサンスカーラを作るような行為をしなくなっているからです。ここまで来れば、ある程度の至福を確立したと言えるでしょう。しかし、実際は、薄い氷の上を歩いているようなもので、踏みどころが悪ければすぐ水の中に転落してしまう危険をはらんでいます。なぜなら、執着を生じる世界とは殆ど隔てられていないので、何かのきっかけによって再び執着が生じてしまう恐れがあるからです。従って、『ヨーガ・スートラ』では、ここで立ち止まらず、さらに瞑想を深めて完全にその可能性を根絶やしにする必要があると考えています。もちろん、私たちが完全な至福であるカイヴァリヤを目指すなら、これは当然の意見です。しかしながら、これ以上心の作用を止めてしまえば、もはや一般的な社会生活はできなくなってしまうでしょう。対象の名前や知識、思考、自我意識、これらは社会と関わるために最低限必要な心の作用だからです。

森や洞窟の中で生活して瞑想に明け暮れるなら、この先に進むこともできますが、社会の中での生活を維持しながらこの先に進むことはまず不可能です。もちろん、僅かにこのような世界を垣間見ることができますが、その感覚を日常生活に持ち込むことはできないからです。ですが、ここで『ヨーガ・スートラ』んも話を終わらせるわけにはいきませんので、理論上はこの先に進むことにしましょう。

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(10)

【目次】

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(3)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(4)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(5)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(6)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(7)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(8)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(10)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(11)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(12)

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(13)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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