第四回目「ミレトス学派のまとめ」

ミレトス学派が創建されたのは、ギリシア精神がバビロニアやエジプトと接触した事であると言えましょう。イオニア地方でもっとも盛んで活気溢れた商業都市であり、数多の豊かな文化的影響の行き交う(最も顕著な事は、)雑然とした都市、旧クレタの植民地にして逆に無数の植民都市の建設者たるミレトスと言う都市の存在は、その事に関して一役も二役も買ったと言えます。実際、他の地中海のいかなる都市にも彼らミレトス学派が探究した新しい問題に取り組む事はありませんでしたし、また同時に、神を憚らぬ楽天的(陽気な)態度でそれらに取り組む余裕を持っていませんでした。

ミレトス学派は、その成果によってではなく、成し遂げようと試みた事に関して重要な意義があります。それは、ミレトス学派の偉大な三人の、それぞれの役割以上に重要な共通点である神話的思考習慣に対するきっぱりとした訣別です。確かに、神話においても既に様々な自然的存在が初源的な一者に由来すると言う思考は存在していましたが、それを一元論と言う形で明確化し、一者(根源)は系統譜の出発点であると言うよりは、むしろ生成過程における恒久的で内在的な基礎として機能する方向に持っていったのが彼らミレトス学派でした。それは神話に付きまとっている曖昧さを排除し、宗教的な秘法によらなければ解決できない問題を我々の足元にまで引き下げ、世界の現象を神々の気まぐれな働きの結果とせず、世界に内在する普遍的な法則や原因を説明し、存在するものの本質を言い表そうとしたと言えます。

先にも述べました様に、ミレトスは文化的交流の盛んな都市でありました。そして、そこで、多くの国民と交流する事によって、原始的な偏見や迷信が和らげられたと考えられましょう。これら、タレス・アナクシマンドロス・アナクシメネスの様々な思弁は科学的仮説と言え、擬人的に物事を捉えようとする欲求や神々や神話に頼る考え、道徳的観念による不当な侵入は殆ど見られません。従って、彼らをしてヨーロッパ科学の始まりであると指し示したりもします。但し、彼らの探究が近代的な意味での自然科学とは異なる性格であったと言う事は忘れてはなりません。彼らが実験と言う方法を用いなかった様に、彼らの目的は、個別的な知識にあったのではなく、あくまでも、それらを超えた全体としての世界、即ち、存在するものの一般の本質と根源を思弁的に解明する事にあったと言う事です。彼らは、確かに、神話の神々を排除しましたが、他方でそれは万有不変な第一原理を問題とする事によって、しばしば神学的な存在理解に到達していったのです。

それでは、最後に、ミレトス学派の主要見地についてお話しておきたいですが、それには、(1) 客観性、即ち自然を自然として客観的に見ようとした観点(2) 自然の万物には根源となる物質的なものがあると言う観点(3) 根源的なものは絶えず運動し、それ自身の内的根拠を持って万物へと変容する(自己運動)の観点(4) 1の他への変容、言い換えれば、分化の観点(5) 1なる根源に由来する対立物ないし原理によって、多なる万物が生成し、その中の一つとして人間を理解すると言う観点の大体五つが挙げられます。そして、総じてこれらの観点の内に、唯物弁証法的な思惟を垣間見る事が出来ると思われます。そしてこの後、この様な「物活論(hylozoismus:根本物質が生きて動き千変万化する自然学説の事)」を築き挙げたミレトス学派の反立の精神(アルケーを求める態度では先師を模範とするが、結論的には独自の説を提示している)は学派の外でいよいよ活発になっていきます。 

次の第5回目からは違うページで解説していきたいと思います。

時間つぶしのための哲学2

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