幸福とヨガの道徳的基礎

自分の至福に従う

どうすれば最高に生きられるか、と尋ねられた時、アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは「自分の至福に従え」と答えたのは有名な話ですが、それでは、人の至福とは何でしょうか。インド宗教哲学も熟知していたキャンベルの事ですので、「快楽に従え」という意味で言ったのでは、勿論ないでしょう。彼はまた、至福(アーナンダ)とは財産などではなく、超越的な〈実在〉そのものの本質であることも十分わかっています。つまりキャンベルの助言は、形而上学で言う経験の偽りの中心である自我人格(アハンカーラ)ではなく、真正なる〈個我(アトマータ)〉への専念を示唆しています。

自我人格の領域は有限の世界であり、有限であるがために終わりのない苦しみ(ドゥッカ)の源となる。勇気を出してよくよく観察してみれば、喜びを感じるときにさえ苦痛は存在していることが分かる。これは最高の喜びも長くは続かないという痛ましい事実を見抜いている古今のインド賢人たちの見解です。また、賢人たちは、喜びの体験を永見貸せることが可能だとしても、苦痛の一種である退屈が伴うことにも気がついています。

仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタが深い瞑想を終えた後にこう語っています。

僧たちよ。これは苦しみという崇高な現実である。誕生は悲しい。老齢は悲しい。病は悲しい。死は悲しい。嘆き、悩み、絶望は悲しい。望まないものとむずび付けられるのは悲しい。望むものから引き離されるのは悲しい。欲するものを得られないのは悲しい。つまり5つの集合体は悲しいのである(”マハーヴァッガ”(1・6・1))。

5つの集合体(五蘊(ごうん、スカンダ))とは、色(肉体)、受(感覚)、想(知覚)、行(意思)、識(認識)です。これらは本来、永続するものではなく、真の幸福や至福へと導く力を持ちません。

至福は肉体や精神など有限なものを超えた、絶対的〈実在〉に属するものです。偉大な探求者たちが常に熱望していたのは、この至福であり、自我人格を調節した者たちもこの至福こそが自身の最も奥深くにある本質と捉えています。初期ウパニシャッドの「タイッティリヤ・ウパニシャッド」(タイッティリヤ人の秘密の教義)には、次のような記述があります。

若者を、博識で、俊敏で、しっかりした、力強い、善良な若者であらしめよ。その若者のためにこの地上を富で満たそう。これは一人の人間の至福である。100人の人間の至福は全人間の魂の1つの至福であり、欲望に悩まされることのない教養ある一人の人間の至福でもある(2・8)

この後さらに、人間の魂の至福を百倍強い神々の至福、一万倍強い先祖の至福などと比較し、低位の神々から高位の神々を経て、〈絶対的存在〉(ブラフマン)の至福と比較するに至ります。これは普通の人間の10の18乗倍の至福、ゼロが20個並ぶ数字です。

この一説が伝えようとしているのは、欲望という障害のないものが悟った至福とは、人間や神の世界で体験されるあらゆる形の至福を超えるという事です。創造神という最高の神の領域へと存在の梯子をあがるにつれて、私たちは益々大きな喜びを感じます。ですがそれは超越した〈自己〉、つまり存在の基盤である〈絶対的存在〉(ブラフマン)に不可欠な喜びと比べれば、取るに足らないものです。「これは一人一人の人間の最高の道である」と、ヤージュナバルキャは「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」のなかで述べています(4・3-32)。「これは彼の最高の成就、最高の世界、最高の至福であり、他の人間たちはその至福の本のかけらにすがって生きている」。それゆえ賢人たちは常に問うています。なぜより小さく少ない程度で甘んじるのか、と。これもまたヨガの伝統がとる態度です。

道徳的鍛錬の大いなる誓い

〈自己〉のこのうえない至福を得るために、ヨガ修行者は自ら進んで厳格な規律生活を取りいれ、まず自分の道徳的行為を慎重に律するようになります。これがあらゆるタイプのヨガの基盤となります。要点のみ言えば、ヨガ的道徳とは、他のあらゆる存在の中になる普遍的な〈自己〉を認識することです。ヨガ文献で解説されている様々な道徳規律は、象徴的な言い方をすれば、他者の中にある〈自己〉に対して頭を下げることです。このように、ヨガ道徳はヨガの形而上学から切り離すことはできません。道徳的行為をするにあたり、ヨガ修行者は自分個人の存在という限られた軌道の内にあって、不変なる宇宙の道徳秩序を維持しようと熱望します。つまり、調和とバランスという理想を守ろうとするのです。こうした試みは何もヨガに特有なものではなく、ヨガ修行者たちが従う道徳基準とは一般的なものであり、世界中の偉大な宗教伝統においても見ることができます。

アメリカ人社会批評家セオドア・ローザックが指摘するように、ヨガ修行者の第一歩は必ず道徳的なものでなければなりません。以下、彼の著書からの引用です。

より高度な自覚は良心から生まれる。「自覚(コンシャスネス、consciousness)」と、「良心(コンシェンス)」。つながりのあるこの2つの言葉は、正と誤、善と悪にたいする道徳的認識を広げない限り、精神的認識を広げることはかなわないということにあらためて気づかせてくれる。いつか、言葉ではとうてい言い表せない忘我の調和が訪れるかもしれない。そこにおいて、この世の善と悪とは実は神の両の手であったことが明らかになるのだ。しかし、その高速なるヴィジョン目指して上がることができるのは、ただ暴力、貪欲、欺瞞を完全に捨て去った魂のみである。

ローザックはいつもの鋭い洞察で次のように続けます。

神聖なる科学の本質と精神的生理学的にはずれたところで、つまらぬゲームに興じている西洋のヨガ修行者があまりに多いのは事実である。彼らは鼻腔を洗浄し、頭痛をやわらげ、クンダリーニの喜びで戯れることはできるだろう。もしかしたら、うらやましいほどの引き締まった筋肉を手に入れるだけでなく、はからずも三昧(サマーディ)のような状態を体験してしまうこともあるのかもしれない。だからそれらも、あらゆる精神文化同様、ヨガが人生の鍛錬であり道徳の智慧であることを忘れてしまえば、粗野で下らぬ事柄に過ぎなくなるのだ。

パタンジャリの「ヨガ・スートラ」では五つの道徳の教えを説いており、それらは「偉大な誓い」(マハー・ヴラタ)とも呼ばれる「ヤマ」(禁戒)を構成しています。この五つの教えはパタンジャリが示した八支則の第一です。

  1. アヒンサー(非暴力・不殺生)-行動、思考、話すことまで含む、可能な限り広い意味で悪意を持っていないこと。これが最も重要な道徳規律である。この徳が完全に根付いたヨガ修行者は、野獣でさえ静める平和なオーラに包まれる。
  2. サティヤ(正直)-「マハーニルヴァーナ・タントラ」では、これが無ければマントラの復誦もその他どんな苦行も成果をもたらしえない、と述べている(6・76)。この徳を習得したヨガ修行者は、真実のパワーを持つので、その者の言葉はすべて実現する、と言われる。
  3. アステーヤ(不盗)-「ヨガ・バーシャ」では盗むことを、他人の所有するものを許可なく流用すること、と定義している(2・30)。この徳を習得したヨガ修行者には、物質的精神的なあらゆる富がもたらされると考えられている。
  4. ブラフマチャルヤー(貞操)-「ヨガ・バーシャ」では生殖器の制御として説明されている(2・30)。ヨガ修行者が貞操を守る生活を徹底すれば、大いなる活力(ヴィルヤ)を得て、集中力と精神生活が促進される。
  5. アバリグラハ(不貪)-「ヨガ・バーシャ」のなかでヴィヤーサは、何かを手に入れたり持ち続けたりすることは、何かをなくしたり執着したりするのと同じように損失となるのだから、何かを手に入れようとはしないことだ、と説明している(3・30)。欲を完全に持たなくなると、自分や他者が誕生した理由を見抜く力を得る。こうした達人は非常に単純かつ質素に生きる。

パタンジャリが「ヨガ・スートラ」で述べているように(2・31)、場所や時間、環境、社会的地位などを問わず、これら5つの徳を培わねばならない。そうすれば、より高い目的に向かって強力な生存本能が再び開かれる。そうすれば、より高い目的に向かって強力な生存本能が再び開かれる。五つのヤマを実践することで、修行者の社会的関係には調和が訪れる。そして非常に大きなエネルギーが解放されるので、それを瞑想やさらなる上級実践に注ぎ込むことができる。ヨガ修行者は自分の都合だけでこうした道徳的生き方を選ぶのではない。すべての人が繁栄し、各々が自分の本当の運命を見出すことのできる、普遍的な調和の形を尊重することなのである。

五つの抑制鍛錬

パタンジャリによれば、ヨガの道の第二則は「抑制」、ニヤマ(歓戒)です。語源は「抑制する」という意味のyamであり、yamaもこれから派生しています。接頭辞ni-は強意語です。ニヤマは次の5つの実践から成ります。

  1. シャウチャ(清浄)-肉体の清潔さだけでなく、話す言葉と心の純粋さも指す。ヨガは長期にわたる浄化のプロセスととらえることができる。光り輝く〈自己〉だけが現れるようになるまで、自我人格の不純物を取り除くのである
  2. サントーシャ(知足)-「マハーバーラタ」では「最高の天国」と呼んでいる(12・21-2)。質朴を自発的に実践することである。「ヨガ・パーシャ」では、「手元にある資力以上をむやみに望まないこと」と説明する(2・32)。「ヨガ・スートラ」では、他に勝るもののない喜びに貢献する、としている(2・42)
  3. タパス(苦行)-断食や完全に口を利かないでいる事、微動だにせず長時間立ち続ける事など、あらゆる苦行から成る。このような修行は意志を強くするほか、内的な熱(これもタパスと呼ばれる)を生じさせ、意識に質的な変化をもたらす。「ヨガ・スートラ」によれば(2・43)、苦行することで心と身体の不純物が徐々に取り除かれ、完璧な身体と感覚器官へと近づくことができる。
  4. スヴァーディヤーヤ(読誦)-一般的には神聖な書物の研究と朗誦をさすとされており、修行者が選んだ神との触れ合いに導くと言われる。(ヨガ・スートラ2・44)。「ヨガ・数―トラ」の注釈書である著書「ヨガ・ヴァールティッカ」のなかでヴィジュナーナ・ビクシュは、触れ合うとは、ヨガ修行者が選んだ神との触れ合いに導くと言われる(ヨガ・スートラ2・44)。「ヨガ・スートラ」の注釈書である「ヨガ・ヴァールティッカ」のなかでヴィジュナーナ・ビクシュは触れ合うとは、ヨガ修行者が精神修行を遂行するのを助ける神は賢人、あるいは高位の師のヴィジョンを得る事、と説明している、
  5. イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への献身)-「ヨガ・バーシャ」(2・45)ではm内面状態の全てを神にささげる事、とする。パタンジャリにおいては、神(イーシュヴァラ)とはある特別な〈自己(プルシャ)〉、つまり人間の〈自己〉と違い、有限な自我人格という錯覚には決して惑わされず、いかなるカルマも生じることはなかった〈自己〉である、とされる。神への献身によって、三昧(サマーディ)に達するとされる。

五つのニヤマを実践するには、五つの道徳鍛錬(ヤマ)を継続して行うことで生じたエネルギーを利用します。そうしてヨガ修行者の生活に精神的な弾みが付き、八支則の残りを実践するための土台がつくられるのです。

5つ目の「神への献身」についてもう少し触れておきましょう。パタンジャリのラージャ・ヨガで扱われているということはつまり、知による精神的成長に重きを置くアジャ・ヨガで扱われているということはつまり、知による精神的成長に重きを置くアプローチにおいてさえ、献身という要素がこの上なく重要であることを示しています。研究者の中には、神への献身の実践は本来ラージャ・ヨガに含まれていなかったと論じる者もいるが、その説には根拠がない。それに恩寵(プラサーダ)が、そもそもの初めからヨガ伝統の欠くべからず側面であるという事実を見過ごしている。恩寵よりも自己努力を重視する流派でさえ、肉体を離脱した教師か神々か、あるいは〈神〉そのものかはともかく、目に見えない次元から修行者へ偉大なる助けが与えられることを、完全には否定しない。

こうしたことから西洋のヨガ実践者たちが得られる教訓とは、自分たちは孤立した島々でなくはるかに大きな全体の一部なのであり、その全体とは本質的に善意の存在であるという事実を受け入れよ、ということであろう。あらゆる努力を惜しまない修行者には、必ず行為のパワーによる助けがある。インテグラル・ヨガを創始した賢人スリ・アウロビンドはこう言います。

〈神の恩寵〉はいかなる瞬間にも作用できる状態にあるが、それが顕現するのは、人が〈無知の法則〉から抜け出し〈光の法則〉を奉ずるようになった時である。

人間を変化させる錬金術

「ヨギあるいはジュナーニは、どんなにわずかなエネルギーでもむやみに浪費することは許されない」とスワ―ミー・シヴァナンダは記しています。物質が一定の速度で振動するエネルギーであることを物理学者たちが発見するずっと以前に、インドのヨガ修行者たちは人間の心と身体を〈実存〉の動的側面である究極のパワー(シャクティ)がたわむれに顕現したものとみなしてました。心身のエネルギーは意識に続いて生じるので、真の事故を見つけ出すためには意識をコントロールしなければならないと気付いていたのです。卑近な例でいえば、手足の指先に意識を集中すると、そこへ流れる血液がそれとわかるほど増えるのと同じプロセスです。

ヨガ修行者はどこに意識を向けるかにとても気を使います、ココロはエネルギーのパターンを生み出すものであり、思考・行動の習慣は真の追及を妨げるかもしれないからです。修行者の目的は、意識の仕組みが心身の仕組みから解放され〈自己〉にしっかりと根を下ろすまで、常に〈神〉、あるいは〈自己〉を熟考し続ける事です。そうしてこそ本当に自然な生き方、自己実現の自由の中で生きることが可能になるのです。

いわゆる錬金術とは、卑金属から金を製出しようとすることです。しかし、古来深遠なる精神の錬金術の目的とは、存在の新たな状態を生み出すことでした。多くの人が求めてやまない「賢者の石」とは決して物質的なものではなく、智慧、霊知(ヴィドゥヤー)の体得、つまり内的な実現です。いやしくも堕落した個人から、時空を超えた輝ける無限の〈自己〉へと変化する。ヨガとはこうした精神的錬金術の道なのです。

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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