第十四回 ソクラテス

1 ソクラテス

ソクラテス(Sokurates.前469~前399)はアテナイのアロペケ区に生まれた。父ソフロニコスは石彫家だったと伝えられ、母ファイナレテは助産婦であったといわれる。若い頃は、プロディコスと音楽家ダモンの教授を受け、アナクサゴラスやアルケラオスの自然哲学を学んだといわれる。彼は対話を重視する姿勢から一冊の書物も書かなかった。それゆえ、今日我々がソクラテスの思想について窺い知ることは難しい。しかし、ソクラテスについて何も触れずにギリシア哲学をすますことはできないだろう。

そこで、一般的にはソクラテスについて記された資料を参考に彼の思想について考えていくようになっている。そこで使われる資料には四つのものがある。一つは、なんといってもソクラテスをその主人公として描いたプラトンの対話編(特に初期対話編:『ソクラテスの弁明』『クリトン』『ラケス』『リュシス』『カルミデス』『エウテュプロン』『ヒピアス(小)』『ヒピアス(大)』『プロタゴラス』『ゴルギアス』など:コーンフォードの分類に従う)であり、一つは、ソクラテスの弟子でもあるクセノポンのソクラテス関係の著作(たとえば『ソクラテスの思い出』など)であり、一つは、当時最高の喜劇作家であったアリストファネスの喜劇作品(『雲』)であり、最後は少々時代は後になるが三世紀前半頃の哲学史家ディオゲネス・ラエルティオス(後のニーチェが彼を研究することから出発した)である。

しかしながら、ディオゲネス・ラエルティオスは当然直接ソクラテスのことを知っているわけではなく、またアリストファネスも喜劇作家であるわけで虚構と真実の見極めを付けることは甚だ難しく余り参考にはならない。やはり、プラトンの対話編とクセノポンのソクラテス関係の著作が妥当であろう。但し、クセノポンはあくまでも軍人であり、彼の描くソクラテスは思想的にあまり豊かではない。そこで、ここではプラトンが描いたソクラテス像を中心に追ってみたいと思う。

2 ソクラテスの特徴

ソクラテスは強烈な印象を持ってプラトンによって特徴付けられている。たとえば、その外見は醜男であり、両目は突き出し、いつも目をぎょろぎょろさせていたという。そして、大層な酒好きであり色好みでもあったようであり、妙な瞑想癖ももっていたらしい。更に、外出する時も襤褸を着て、裸足で歩くという有り様であったらしい。他に、問答好きであることやソクラテス流エイロネイアー(おとぼけ、皮肉)というものも有名であろう(特にソクラテスの皮肉というのは後の哲学者キルケゴールが詳細な研究を加えている)。また、彼が何か間違ったことをしようとするときそれを止める声として現われてくるダイモーンの声の話も有名であろう。以上のように、ソクラテスは奇妙な外見に奇妙な癖を持った特徴的な人物として描かれている。

3 ソクラテスの思想

ソクラテスの哲学的思考は、一部は以前の自然哲学に対する、一部はソフィスト哲学に対する対立によって制約され規定されている(シュヴェーグラー『西洋哲学史』p100.谷川徹三.松村一人訳.岩波文庫)。ソクラテス以前の哲学は主に自然研究を中心としており、それに対してソクラテスは自分自身、自分の本質(特に倫理的な精神としての自己)へと向かった。それは、たとえば彼が樹木や郊外からは何も学ぶことができないという理由で散歩さえいかなかったこと(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳.岩波文庫)や彼が大事にしていたデルポイの神託に七賢人のタレスが記したという「汝自身を知れ(gnothi seauton)」という言葉にも端的に表わされているだろう。また、当時はソフィスト達による価値破壊的な相対主義的思考がもてはやされていたが、ソクラテスは思考が普遍的な働きであることを指し示すことによって客観性と倫理を確保しようと努めた。また、ソクラテスのいわゆる「産婆術」というものも金を取って知識を授けるというソフィスト達のやり方に対する批判ともいえよう。

(1)無知の知

ソクラテスは、デルポイのお告げで彼がギリシアでもっとも賢いといわれたことを確かめるために知恵があると称している人々へ問答を挑むようになった。しかしながら、知恵があると称される人々が実際は知恵がないのに知恵があると勘違いしているだけであったので、彼は自分は知恵がないと自覚している点で彼らよりも賢いと考えた。そこで、プラトンの対話編においてソクラテスは、知恵があると主張するソフィスト達に対して、自分は無知であると主張して、相手が論理的に破綻するまで問い詰めていくことによって、相手が知恵があると勘違いしていたことを自覚させるように促している。その際、彼は「何であるか」という本質(概念規定、定義)を尋ねることを重視していたが、最終的に積極的にそれに答えるようなことはせず、アポリアに陥ってそのまま対話が終るということが多かった。その意味で、積極的な解答は次のプラトンを待たなければならないだろう。

また、ソクラテスは無知であることを自覚するということから知ることを求めること、すなわち知恵を愛すること[哲学]が生まれてくることになる。ちなみに、哲学とはソクラテスが哲学すること(philosophein)といったことに由来する言葉である(プラトン『ソクラテスの弁明』)。もっとも、文献上知恵を愛するという言葉が最初に登場するのはヘロドトスの『歴史』におけるソロンの台詞であり、他にはその後ピュタゴラスが自分のことを哲学者と名乗ったという記述がディオゲネス・ラエルティオスの著書に載せられているが、前者は哲学という意味ではないし、後者は後に作られた伝説に過ぎない。その意味で、哲学とはソクラテスから始まった営みであるといえる。

(2)徳は知

ソクラテスによれば、善悪を知った者は必ず善を為すのであり、仮に悪を為した場合でもそれは一時的な気の迷いに過ぎないとされた。なぜなら、自分のためになると分かっている善を為さない者がいないように、また自分のためにならないと分かっている悪をわざわざ為す者はいないからである。したがって、善を知れば善を為すということになり、徳は知であると考えられることになる。

(3)死の練習

ソクラテスは哲学することを一種の死の練習であると捉えていた。これにはソクラテスの独自の死生観があり、彼は死ぬことよりも悪を為すことを恐れるべきであると考え、また死ぬことによって永遠の眠りにつくか、死後の世界で優れた先達と語り合うかのいずれかであると考えていた。このように、ソクラテスは死を否定的には捉えず、むしろ道徳的に悪を犯す危険の方を危惧していた。このことは、いわゆる単に生きるだけではなく、善く生きなければならないという考えにも表わされているだろう。ちなみに、これらの思想にはオルフェウス教やピュタゴラス学派の影響があることはいうまでもないだろう。

最後に筆者の好きな一節を紹介しておくことにする。プラトンの『ソクラテスの弁明』の最後の一節である。

「しかしもう去るべき時が来た――私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちいずれがいっそう良き運命に出遭うか、それは神より他に誰も知る者がいない。」(プラトン『ソクラテスの弁明』p59.久保勉訳.岩波文庫)

神託とその謎解き(プラトン『ソクラテスの弁明』20e-21e)

アテナイ人諸君、諸君にはたとえわたしが法螺を吹いていると思われるとしても、どうか静粛に願いたい。なぜなら、わたしがこれから話そうとしていることはわたしの言ではないのであって、わたしは諸君にとって十分に信頼できる話し手を引き合いに出すことができるからである。というのは、わたしの[知恵]について、ただし、それが何らかの知恵であるとしての話であるが、それがまたどういう知恵であるかということについて、わたしはデルポイに在す神[アポロン]を諸君に対する証人として出すことができるからである。というのも、諸君はカイレポンのことをご存じであろう。彼は若いときからのわたしの友人であり、また諸君の政治仲間の一人でもあって、近年も彼らとともに亡命し、諸君といっしょに帰国した男である。また諸君はカレイポンがどういう性格の男であったか、つまり、何ごとに向かおうともいかに衝動的な男であったかということもご存じである。そこで彼はあるときわざわざデルポイまで出かけていき、あえて次ぎのような神託の伺いを立てたのである――どうか、諸君、前にもいったように、静粛にしていただきたい――つまり、彼は、だれかわたしより知恵のある者がいるかどうかと尋ねたのだ。するとデルポイの巫女は、だれでもわたしより知恵のある者はいないと応えたのであった。このことについては、彼はすでに亡くなっているので、彼の兄弟が諸君に対して証言するであろう。

それでは、何のためにわたしがこのことの話をするのかを考えてみていただきたい。それは、どこからわたしに対する偏見が生まれてきたかを諸君に教えたいと思うからである。というのも、このことを聞いたとき、わたしは次ぎのように考えたからである。すなわち、「神はいったい何を言おうとしているのか、またいったいどういう謎をかけているのか。なぜなら、わたしは自分が知恵ある者だなぞということにはほんの僅かなりとも身に覚えがないからである。それなら、わたしがもっとも知恵のある者だと宣べることによって神はいったい何を言おうとしているのか。なぜなら、神が嘘をいうはずもないからである。それは神にあるまじきことなのだから」、と。こうして長い間、わたしは、神はいったい何を言おうとしているのかと問うて行きづまっていた。が、その後、まったく不承不承ながらおよそ次ぎのような仕方でそのことの探究に向かったのである。つまり、わたしは知恵ある者だと思われている人達のうちある人のところへ行ったのだ。というのも、もしどこかでできるとすればそこでこそ神託を反駁し、神託に向かって「この人のほうがわたしよりも知恵ある者です。それなのにあなたはわたしのほうが知恵ある者だと宣べられました」と申し立てることができるだろうと考えたからである。ところが、その人をさまざまな仕方で吟味し――ここでその人の名前を挙げる必要はあるまい、彼は政治家の一人であったが、その彼を吟味し、彼と問答を交わすうちに、わたしは、アテナイ人諸君、彼を相手になにか次のような思いを抱かされたのである。すなわち、この人は多くの人達からも、またとりわけ自分自身からも知恵ある者だと思われているが、実はそうではないのだとわたしには思われたのである。そこでわたしは、彼自身は知恵ある者だと思っているが、実はそうではないということを彼に示してやろうとしたのだ。すると、その結果、わたしは彼からも、またそこに居合わせた人達のうちの多くの者からも憎まれることになったのである。しかし、彼のもとを立去りながら、わたしはひとりこころのなかで次のように考えたのであった。すなわち、わたしのほうがこの人よりは知恵ある者である。なぜなら、われわれのどちらもが善美なることを何も知らないようであるが、この人のほうはそれを知らないのに、何か知っていると思っているのに対して、わたしのほうは実際に知らないので、そのようにまた知っているとも思っていないからである。だからわたしのほうがまさにこの点で、つまり、自分の知らないことはまた知っているとも思っていないという点で彼よりはほんの少しばかり知恵ある者であるようだ、と。その後、わたしは彼よりいっそう知恵ある者だと思われている人達のうちの別の人のところへ行ったのだが、わたしには彼について思われたこととまた同じことがまた思われたのである。そしてそこにおいてもまたその人からも、さらに他の多くの人達からも憎まれることになったのである。

神託の意味としての「無知の知」(『ソクラテスの弁明』22-e-23c)

さて、ほかならぬこの吟味から、アテナイ人諸君、わたしに対する多くの憎しみが生まれてきたが、それははなはだ強く、かつ激しいものであったので、その結果、多くの結果がそこから生まれてきて、わたしはこの名前、すなわち、知恵ある者という名前で呼ばれることになったのである。というのも、どういうことについてであれ、わたしが他の人を反駁すると、わたし自身がそのことについて知恵ある者なのだと居合わせた人達はいつでも思うものだからである。だが実際には、諸君、どうやら神[アポロン]が真に知恵ある者なのであって、この神託において神はこのことを、すなわち、人間の知恵なぞというものはなにかもうほとんど、否、まったく価値のないものだということを言おうとしているのである。そして神はここにいるこのソクラテスについて宣べてはいるものの、わたしを一例として挙げるためにわたしの名前を使ったにすぎないのであって、神はあたかも次のごとく宣べているかのように思われるのである。すなわち、「人間たちよ、お前たちのうちではこの者が、つまり、ソクラテスのように自分は知恵については真実のところまったく価値のないものだと自覚している者が最も知恵ある者なのだ」、と。だからこそわたしは今なおあちこち行きながら、わが国の人達や他国の人達のうちでだれか知恵ある者がいると思うならば、神の宣べられるままに探究し、吟味することにしているのである。そしてもしその人がわたしには知恵ある者だと思われないときはいつでも神に手助けして、彼が知恵ある者ではないということを示すことにしているのである。そしてこの仕事のために公の事柄であれ、私の事柄であれ、なにか語るにたるほどのことを行う閑暇がわたしにはなかったのであり、わたしは神への奉仕のゆえにひどい貧乏をしているのである。

愛知(哲学)と魂の気遣い(『ソクラテスの弁明』29d-30a)

アテナイ人諸君、わたしは諸君に敬意と愛情を抱く者ではあるが、諸君に対してよりはむしろ神に従うであろう。そしてわたしの息のあるかぎり、またそうするとのできるかぎり、わたしは知恵を愛し求める[哲学する]ことも、また諸君に忠告することも、また諸君のうちのだれであれ、その時々に出会う人にわたしがつね日頃語っている次のようなことを語りながら示すことも誓ってやめはしないであろう。すなわち、「世にもすぐれた人、君はアテナイ人であって、知恵と力にかけては最も偉大にしてかつ評判の高い国の人でありながら、金銭のことを、それができるかぎり多く自分のものになるようにと、また評判と名誉のことを気遣っていて恥ずかしくないのか。他方で君は知と真実のことを、また魂のことを、それができるかぎりよいものになるようにと気遣うこともせず、また気にもかけないのか」、と。そして諸君のうちだれかが異議を唱え、自分は気遣っていると主張するならば、わたしは彼をすぐには放しはしないだろうし、わたしもまた立ち去りはせずに、彼の尋ね、彼を吟味し、穿鑿するであろう。そしてわたしには彼が徳を所有しているとは思われないのに、そのように主張していると思われるならば、わたしは彼が最大の価値あるものを最小の価値しかないものと見なし、より少ない価値しかないものをより多くの価値あるものと見なしているといって非難するであろう。

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