『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)
01 サーンキヤ哲学の宇宙論
サーンキヤ哲学の大きな特徴は、二元論です。この世界は、プルシャ(純粋意識)とプラクリティ(根源物質)という2つの原理で成り立っていると考えます。宇宙の誕生について、現代の科学では、ビック万里論という考え方が主流です。その理論によれば、宇宙はある一点から大爆発を起こして、現在も膨張を続けていると考えられています。ヨガ思想におけるサーンキヤ哲学では、プルシャがプラクリティを見ることでプラクリティのバランスが崩れ、そこから宇宙が誕生したと考えています。また、宇宙の創造過程で、最初に現れるのは、心の作用で、最後に物質世界が現れてくるのです。このような宇宙発生論は、現代の私たちにとって一見不可解なように思われるでしょう。なぜなら、私たちは、肉体を基礎として心が存在すると考えているので、肉体よりも先に心が現れるのはおかしいと考えるからです。
しかし、サーンキヤ哲学の宇宙創造は、心の誕生から始まります。この理由の1つは、私たちは繰り返し生まれ変わるという輪廻思想が基礎になるためです。現代の科学では、心はその人が生まれたときに始まり、死と共になくなってしまうと考えられています。ですが、輪廻があるとすれば、当然、体よりも心の作用が先に存在しなくてはいけません。肉体に生まれる原因は心だからです。ですから、宇宙の誕生に関しても、まず心が生まれ、それによって体の要素が展開していくと考えることができるのです。詳しいことは、『ヨーガ・スートラ』の解説と共に順を追って説明していきますので、今は、ヨガの思想が考える宇宙観の大枠をなんとなく聞き流してください。
まず、プルシャからプラクリティが生まれ、このプラクリティから最初にマハットが生まれます。マハットとは、宇宙の心のことで、マハーブッディとも呼ばれます。個人に対してはブッディと呼びます。ブッディは世界を識別する心の作用です。次に生まれるのはアハンカーラです。これは、自我意識、つまりエゴのことで、自分と他人を区別する心の作用です。心の作用として最後に生じるのがマナスです。これは、思考や欲望など、私たちが日常的にもっともよく使っている心の作用です。
心が生じた後に、行動器官が生じます。これは、声を出すこと、手で握ること、足で歩くこと、排泄すること、性行為の5つです。そして、鼻、舌、目、耳、皮膚の5つの感覚器官、それに対応して、匂い、味、色、音、形の感覚器官の対象、さらに、地、水、火、風、空の五大元素が生じてきます。以上が、サーンキヤ哲学における宇宙創造過程のおおまかな全体像になります。
02 心は物質であるとヨガでは考える
サーンキヤ哲学では、心はプラクリティに含まれるので、ヨガにおいて、心とは物質に該当します。心が物質であると聞くと違和感を覚える方もいらっしゃるでしょう。心は目で見ることができないからです。しかし、見えないからといって、それが物質でないといえません。光もそうですね。光は物質であり、波のようなものですが、普段私たちはそれは明るさとして認識しているだけで物質であるとは考えていません。こころは、全く目に見えないという意味で、光よりもさらに微細な物質現象であると考えることができます。
たとえば、ヨガの世界を離れて日常生活を思い浮かべてみましょう。誰かにひどい悪口を言われたり、きつく怒られたりした場合、吐き気に襲われたり、体調が悪くなったことはありませんか?このようなストレスによって、内蔵の機能に障害をきたすこともあります。心と体が全く違う次元のものであったなら、このように影響を与えることは不合理です。ですから、心も体も共にプラクリティであり、物質原理であると考えることがそこまでおかしな話ではないと理解できるのではないでしょうか。
では、次ぎにプルシャとプラクリティという2つの原理について考えてみましょう。この2つは永続する原理ですが、プルシャは全く変化せず、プラクリティは、変化し続けるという性質を持っています。この2つの原理を私たちに当てはめると、意識がプルシャ、心と体はプラクリティとなります。ですから、プルシャである意識は変化せず、心や体は変化することになります。
心を観察すれば、色々な考え事をしたり、雑誌を見ると新しい洋服が欲しくなったり、好みの人に出会うとその人を好きにあんったりと、様々に動き変化していることが分かりますね。体も同様に、髪や爪は伸びますし、体も成長したり老いたりするので、日々変化していくことが観察されます。一方で、意識は変化することはありません。この点については、疑問に思う方もいるかもしれません。一般的に意識は変化するものだと思われているからです。つまり、昼間活動しているときには意識があり、寝ている間には意識がないように感じられるからです。このように意識があったりなかったりするのであれば、なぜ変化しないといえるのでしょうか。この問題について少し考えてみましょう。
たとえば、普段の生活の中で、意識の対象が様々に変化することがあります。食事中にテレビを見ていると、意識は、食事に向いたりテレビに向いたりと変化を繰り返します。この場合、意識が変化しているように感じるかもしれませんが、実際は心の注意の対象が変わっているのです。例えば、映画を見ているとき、映画のスクリーンには様々な場面が映し出されますが、鑑賞者である私たちは何も動いていません。ただじっと映画のスクリーンを見ているだけです。このように、日常生活の中で意識の対象が変化するのは、心が注意を向ける対象が変化しているのであって、意識そのものが変化しているわけではないということになります。
では、熟睡しているときや強い衝撃を受けて気絶したときはどうでしょうか。確かに、このとき、私たちは意識を失っているように見えます。熟睡しているときは、呼びかけなどから外部の刺激に反応しないからです。しかし、この場合も意識は変化していないと考えることができます。なぜなら、熟睡しているとき、寝てから目覚めるまでを一瞬に感じるからです。もし意識が変化するのであったならば、この時間を一瞬に感じることは不合理でしょう。なぜなら、変化があれば「何時間ぐらいは寝たな」とおおよその時間間隔は存在するはずだからです。意識は変化しないので、何時間経っても一瞬の出来事に感じるのです。つまり、熟睡中に寝ているのは心と体で、意識はずっと目覚めているのです。
このように起きて活動しているときは、意識と心と体が目覚めており、睡眠中に夢を見ているときは、体だけが寝ていて、熟睡中は体と心が寝ているのです。しかし、どんなときでも意識だけは目覚めています。これはヨガの思想における、輪廻についても同様に考えることができます。つまり、肉体の死後も意識と心は残っていて、死後の世界とはちょうど夢を見ている状態であり、次の生において新しい体に生まれ変わると目が覚めるようなもだと考えるわけです。この輪廻の間も、プルシャである意識はずっと目覚めているとヨガ哲学では考えるわけです。以上のように、プルシャである意識は変わらずに存在していて、プラクリティである心や体は変化していくのです。それでは、このヨガにおけるサーンキヤ哲学の考え方を前提に、なぜ私たちの心に苦しみが起きるのかを考えていきましょう。
03 ヨガが考える心の苦しみの原因とは?
『ヨーガスートラ』では、私たちの苦しみの原因を次のようにに述べています。
「賢者にとっては、この世のあらゆるものが苦しみである。なぜなら、万物は常に変化し続け、煩悩は絶え間なく苦楽の原因となるサンスカーラを生み、三つのグナは互いに相反するからである。したがって、これから生じる苦しみは避けるべきである。この苦しみの原因は、見る者と見られるものとの結合である。これを切り離さなければならない。見られるものには、明るさ(サットヴァ)、活動(ラジャス)、惰性(タマス)の三つの性質があり、元素と感覚器官を持っている。それよって、プルシャに経験とそれからの解放が生じる。グナには、特定の差異がある状態とない状態、識別される状態とされない状態が想定される。見る者とは、純粋な見る原理そのものである。しかし、心を通して見ているので、その純粋さは失われている。見られるものは、見る者によって存在する。見られるものは共有性によって存在しているので、解脱した人にとっては消滅しているが、他の人にとっては存在し続けている。所有者(プルシャ)と所有物(プラクリティ)は、両者の本性と力を認識するために結合する。この結合の原因は無知である」(2章15節~24節)
ここでパタンジャリは、心の苦しみの原因となる三つの理由を挙げています。まず、(1)万物が変化し続けること、次に(2)サンスカーラ(潜在印象)が苦楽を生むこと、最後に(3)三つのグナ(プラクリティの構成要素)の対立です。それでは、これら3つの苦しみの言々を順番に考えていきましょう。
既にお話ししたように、この世界にはプルシャとプラクリティという二つの原理があります。意識であるプルシャは一切変化せず、物質原理であるプラクリティは変化し続けるという特徴がありました。プルシャは、変化せず、永遠の中に存在しています。しかし、プルシャが見ているもの、プラクリティである物、体、心は変化し続けています。不変であるプルシャが変化するプラクリティを見ていること、これが苦しみの原因の一つです。では、この点について具体的に考えてみましょう。
まず、私たちが所有している物は変化し続けます。私たちが着ている洋服、乗っている車、住んでいる家などは次第に古くなります。お気に入りの洋服は、着ているうちに汚れが付いたり、色褪せてきます。新車で買った車もだんだんと古くなり、傷も付けば故障もするようになります。家も長年住んでいれば老朽化して、いずれ立て替えなければなりません。このように、目に見える物は、刻一刻と変化しているのです。
自分の体も同様です。若いときは、体の健康は当たり前のように感じますが、年をとれば、体は不自由になり、病気にもかかりやすくなります。黒かった髪の毛が白くなったり、歯が抜けたり、しわが増えたりします。若さを永遠に保ちたいという願いは昔から何度も繰り返されてきましたが、未だかつて叶えた人はいません。
このように、物が壊れたり、体が衰えていくのはプラクリティの原理ですが、それでも私たちは「大事な車に傷が付いてしまった」とか「高いバッグに汚れがついた」とか「髪の毛が薄くなった」と日々悩んでいます。物や体の変化は目で見ることができますが、目に見えない心もまた刻々と変化しています。楽しく遊んでいたゲームがつまらなくなったり、大好物だった料理に飽きてしまったり、好きだった人を嫌いになったりと、心はころころと意見を変えてしまうのです。
心もまた変化するプラクリティの原理とヨガでは考えるのはこういう理由です。しかし、私たちは「あの人は愛を誓ってくれたのに浮気をした」とか「親友だと思っていたのに裏切られた」と悩み苦しんでいます。おおよそ変化しない心など存在しないというのに、それが永遠に続くだろうと思い込んでいるので、このような悩みが生じるのです。ダイヤモンドのように、見た目には変化しないような物でも、その価値が全く変わってしまうこともあります。恋人にもらった美しいダイヤの指輪が、その人が浮気をしたと知った途端にその輝きは消え失せ、見るのも側に置いておくのも嫌になってしまうからです。
以上のように、目に見える物は変化し続け、心もまた変化し続けています。このような無常の世界の中で、ヨガの考えるプルシャは、変化せず、永遠の中でただその変化を見ています。心はプルシャの永遠性に倣って、「これらのものは永遠にそのままえある」と錯覚しています。これが、ヨガ哲学が考える私たちの苦しみの原因の一つです。つまり、私たちの中で永続性と流動性が共存しているために、その境目で心は葛藤しているのです。
04 執着を手放す~ヨガの生き方
この苦しみの解決方法は、変化するプラクリティに対する執着を手放すことです。周りの物や、体や心が変化するのは明らかなことですから、それらの変化に執着せず、「いちいち嘆く必要はない」と言い聞かせなければなりません。体は年老いて、いずれ朽ち果てます。このような変化にその都度、落胆しているとすれば、それは悩みの多い生き方になるでしょう。このように物事の道理を正しく見る人は幸いです。「あらゆるものは変化していくのは当たり前のことだ。それに執着して何になるだろう。全てを移ろいゆくものとして理解して、そこに喜びや悲しみを見いださないようにしよう」と考えて悩み苦しみから離れていくのです。
しかし、世界には、家族や友人、お金、宝石、車など私たちにとって喜ばしい人や物がたくさんあります。私たちは、それらに自然と執着してしまうので、心から苦しみがなくなることはありません。これが苦しみの原因の一つです。
05 ヨガ哲学におけるサンスカーラ理論
次に、ヨガ思想におけるサンスカーラ理論が生み出す苦楽について考えてみましょう。サンスカーラ理論は、『ヨーガスートラ』の中でも主要なテーマなので、この問題についてはより詳しく解説していきたいと思います。サンスカーラとは、潜在的な印象のことで、ヨガの心理学の基礎的な用語になります。たとえば、子供頃に犬に噛まれたことがある人は、大人になっても犬を怖いと感じます。これは、犬に噛まれたというときの痛みや恐怖の印象が潜在的に残っていて、犬を見ると恐ろしく感じるのです。このように、その人の心に潜在的に備わっている印象がサンスカーラです。このサンスカーラは人それぞれ違います。もし子供の頃犬と仲良く遊んだことがある人なら、犬を見ると親しみが湧いて、かわいいと感じるでしょう。したがって、その人に備わっているサンスカーラの違いによって、物事の感じ方は全く変わってくるのです。
ヨガでは、このサンスカーラの影響が私たちの心の苦しみを作っている原因の一つであると考えます。つまり、私たちが快感や不快感を覚えるのは、過去に自分自身が作り出した印象によって生じてくるからです。まずはサンスカーラ理論を日常的な問題と一緒に理解していきましょう。
私たちが日々感じるさまざまな苦楽の原因がサンスカーラの影響であるなら、たくさんの人が同じ場所にいたとしても、それぞれが全く違う世界に住んでいるようなものです。学校や職場で周りの人と仲良く話しているようで、実はその会話の印象は一人一人異なっているのです。つまり、あなたが友人と仲良く話していて、その話の中で喜んだり怒ったりするのは、その人との会話では無く、自分の過去の印象によるからです。
ですが、日常生活の中で、私たちが怒りや苛立ちを感じるとき、その原因は、他者や周りの環境にあると考えています。例えば、職場に嫌いな人がいるとすれば、それはその人の言動や態度が問題なのであり、その人を辞めさせるか、自分が会社を辞めてその人から離れなければ私の怒りは解決しないと思うでしょう。しかし、ヨガの心理学では、これを全く逆にかんがえます。
つまり、私の怒りは他者が引き起こすものではなく、自分の問題であると捉えるのです。なぜなら、怒りを感じるのは自分が過去に作り出したサンスカーラの影響であり、他者に問題がある訳ではないからです。まずはこの点を具体的に考えてみましょう。
たとえば、学校で、友人に「あなたは勉強ができないね」といわれて腹が立ったとします。多くの人は、この「勉強ができない」という言葉を否定的に感じるかもしれません。日本の社会では、一般的に「勉強ができない人は馬鹿だ」「勉強ができないと恥ずかしい」と感じている人が多いからです。しかし、これを腹立たしいと感じるかどうかは人それぞれ違います。たとえば、不良漫画の主人公に憧れていて、「勉強する奴なんてカッコ悪い、ダサい」と感じている人がいるかもしれませんし、学歴がなくても起業して大金持ちになれば、「学校で勉強するような奴は馬鹿だ」と思うようになるかもしれません。こういった人たちにとって、「勉強ができない」という言葉は褒め言葉になるでしょう。
ですから、「勉強ができない」という言葉に対して、どのように印象を持つかは、その人がその言葉に対して、どのようなサンスカーラを持っているかによるのです。したがって、友人の言葉に怒ってしまったのは、友人の言葉が失礼であったかどうかではなく、自分が過去に作り出したサンスカーラが原因であるといえます。つまり『勉強ができない」と言われたことが問題なのではなく、「勉強ができない」という言葉を否定的に感じる自分のサンスカーラが原因なのです。
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(3)
【目次】
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(3)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(4)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(5)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(6)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(7)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(8)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(9)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(10)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(11)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(12)
『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(13)
バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |