ヨガの歴史
ヨガがいつから始まったのか、正確なことは分からないようですが、最も知られているヨガの経典「バガヴァッド・ギーター」が編纂された約2500年前に、既にヨガには長い歴史があっると考えられていました。ヨガの心情や実践の形跡が、ヒンドゥー教の「リグ・ヴェーダ」にも見ることができます。「リグ・ヴェーダ」は古サンスクリット語で書かれた経典で、1028の賛歌で構成されています。紀元前3000年、もしくはそれ以前に書かれた文献であることが確認されており、インド・ヨーロッパ言語で書かれた文献の中では最古のものです。
この「ヴェーダ」に書かれた賛歌は、予言詩人(カーヴィー)たちの霊感によって作られたと言われています(ヴェーダは知識を意味します)。予言詩人たちは精神的な鍛錬を受けることによって、五感と感覚に縛られた心を超えたモノを見ることが出来るようになった存在です。ヴェーダの賛歌は、予言詩人たちの幻視経験や忘我、神秘的な洞察力の神髄で、啓示によって得られた智慧と考えられています。その後のヒンドゥー教の賢人や宗教思索者は多かれ少なかれこのヴェーダの啓示(シュルティ)を拠り所としています。一方、ヴェーダの啓示によらない、例えばゴータマ・ブッダ(釈迦牟礼尼)やジャイナ教の開祖マハーヴィーラのような人々は、ヒンドゥー教の枠外にいるとされています。「リグ・ヴェーダ」は4部ある「ヴェーダ」の1つであり、その他に「ヤジュル・ヴェーダ」と「サーマ・ヴェーダ」、「アタルヴィ・ヴェーダ」があります。これはインド初期の精神文化の芳醇なる宝庫であり、古代ヨガの形式と位置づけて良いと考えられています。
様々なヨガのもチーフは、紀元前2800年から1900年頃のインド北部で栄えたインダス・サラスヴェティ文明の工芸品にも見られます。4つのべーだのうち最古である「リグ・ヴェーダ」は、インダス・サラスヴァティ文明と全く同じ特徴を持っている、もしくは重なる部分が非常に多いため、この文明から大きな影響を受けているのは間違えないと考える研究者も増えています。長い間、早くても紀元前1500年頃にインドにやってきたサンスクリット語族のベーダ人(アーリア人)が、ドラヴィダ語を話す原住民をその強力な軍事力で征服したと考えられてきましたが、1920年代初頭に、これまでハラッパー文明またはインダス文明と呼ばれていたインダス・サラスヴァティ文明が発見されたことで、その文明破壊の原因はアーリア人による侵略にあったと結論づけられました。そして、その侵略時期を以前の説よりも早い紀元前1700年頃としました。
一方で、新たな証拠は、インダス・サラスヴァティ文明が既にそのずっと前から甚大なる苦難を経験していたことも示しています。その中でも特に、何百もの村や、都市集落を潤していたと考えられる大河サラスヴァティ川が、紀元残1900年ごろには枯渇していたことがわかっています。巨大地震や大規模な地殻変動が引き起こしたと考えられますが、この苦悩は想像に絶するものがあったことでしょう。しかし、当時インドきっての大河であったサラスヴァティ川の消失により、文明が終わったわけではなく、文明の中心地が肥沃なガンジス川流域に移ることになりました。こうして文明が復活をし、初期ヴェーダ文明からヒンドゥー文明にへつながっていきました。
初期のヨガは、ヴェーダ人の犠牲儀式主義から始まったとみて差し支えないと考えられます。ヴェーダ人はインダス川やサラスバティ川沿いに多くの素晴らしい街を築き、美しいヴェーダの賛歌を作りました。そして目に言える世界と目に見えない世界が強固につながっているとする精神性を信奉しました。犠牲をささげる儀式(ヤージュナ)を通して、天の力、ヴェーダの神々との内なる絆を築き上げ、より強固なものにしようとしました。世界の自称あ天則(リタ)に導かれなくてはならず、そうしてこそ調和や幸せ、繁栄を手にすることができると考えました。
精神の光明を求めるヴェーダ人は、複雑な世俗的事柄や種々の神々を超えた先に、統合が存在すると神事、それを「唯一の存在」(ニーカ)と呼びました。これは「リグ・ヴェーダ」のなかの1つの賛歌で謳われていることですが、賢人たちは様々な形でこれを語っています。これは、彼らが決して原始的な多神論者だったわけではなく、言葉の相対性を正しく認識していたことの証左といえます。
「リグ・ヴェーダ」
「リグ・ヴェーダ」の賛歌(1・164-46)にもあるように、その超越した単一性に到達するため、予言詩人たちは自らの視野・思考(ディー)を調和のあるものにし、宇宙的存在にも広げました。霊感を得た予言者や賛歌の作者たちは、自らに課せられた神聖なる仕事を、牛馬に鋤きを繋ぐ作業(ユガ)に例えました。これは先程述べた「ヨガ」の後者の用法、「静謐な内的世界を手に入れるため、五感と心に火器具を付けて抑制する意味」を予示する隠喩です。ある詩人は手に負えない感覚に心がそそのかされる様を「取りのようにあちこちひらひら飛び回る」と記しています(リグ・ヴェーダ10・33-2)。解放の心理は、静謐な心の深みにおいてのみ見いだされます。なぜなら心こそが神の宿る場所であり、有限と無限が結びつく場所だからです。「リグ・ヴェーダ」にはその神秘的なイメージが記されているのです。
全宇宙は、海の中、心の中、生命の中の貴方の家にある。我ら、流れの交わる際に寄せるあなたの「甘い波」を得られんことを。(4・58・11)
「甘い波」とはヴェーダの供物に使われるバターの別称であり、柄杓からだけでなく、人間の心(祈祷や賛歌、霊感呼吸という形をとります)から、火の中にくべられます。古代ヴェーダのヨガはしばしば「タパス」という語を用いており、これはもともと「熱」や「流れ」の意味ですが、修行によって得られる内なる熱やエネルギーの意味にも通じています。
以上の考察から、ヨガの歴史は5000年以上になると推測されます。しかし、厳密に言うと、ヨガの伝統は、「カター・ウパニシャッド」(カターの奥義書)、「バガヴァッド・ギーター」、「シュヴェータシュヴァタラ・ウパニシャッド」(最も白い馬の奥義書)が書かれた時期に確立しました。「カター・ウパニシャッド」では、ヤマ(悪魔・死者の神)がヨガの伝統を以下のように説明しています。
「カター・ウパニシャッド」
善きこと(シュレヤス)は良きこと。心地よきことは心地よきこと。それらは相異なり、それぞれ人に(プルシャ)を誘惑する。そのうちの良きものを選択することは良きことである。しかし心地よきものを選ぶものは「人生」の目的から道を踏み外すであろう。
善きものと心地よきものは人間に「関連する」。賢者は「その2つを注意深く」公家津する。そして心地よきものよりも善きものを選ぶ。愚者は心地よきものを選ぶ。
「この問題を」よくよく考えた後で、おおナチケータスよ、おまえは心地よく見える欲望の数々を拒絶した。「ぬかるみに足を取られるように」多くの人間が陥った富への道を行くことはなかった。
無知(アヴィッドヤー)と、知(ヴィドゥヤー)として知られるものは、遠くかけ離れている。私は、おまえが知を欲しているのだと思う。多くの「取るに足らない」欲望がお前を悩ますことはなかったのだから。
無知のただなかに留まり、自らを賢者と思い込む愚者は、盲人に導かれる盲人のごとく、たえず惑わされる。
死の先にある究極の実在に至る道(サンパラヤ)は、富に目がくらんだ不注意な愚者には見えない。彼らは「現世だけが存在し、他の世界は存在しない」と考える。そして再びわが「死の」力にひれ伏す。
多くは、「究極の実存や自己を」聞くことすらできず、聞いたとしても知ることはできない。それに至った優れた師の素晴らしきこと!「〈自己〉を知る優れた師に」教授された、知る者の驚くべきこと。
尖った者に指導を受ければ、〈彼〉「究極の存在」を多様な者と捉え、正しく理解することはできない。そして思いもよらぬほどに、微少な存在よりも更に微少な存在になってしまい、「〈彼〉を真に知る」他の誰かに教えを請わぬ限り、〈彼〉に近づくことはできない。
理解は、理論によってではなく、深遠なる知識を求めた者に教授されたときにのみ得られる者なのだ。一旦手に入れさえすれば、真理は決してぐらつかぬ。ナチケータスよ。お前のような探求者が現れんことを(リグ・ヴェーダ1・2・1~9)
ナチケータスなる若者は、世俗のものに飽き、燦然たる実在、究極の存在を知ろうと熱望する全てのものの象徴で、死の神ヤマは、熱望する者の自己充足と世界に対する日常の認識を断ち切る精神的師(グル)の象徴です。師が存在のあるレベルからあるレバルへの移行に過ぎないように死の神とと全ての精神的師は、新たな理解と神聖なる新たな生命の形へと至る入り口なのです。
「カター・ウパニシャッド」の匿名の作者によれば、賢人は喜びと悲しみを捨て去って、アディヤトマ・ヨガ(最も奥にある自己のヨガ)を通しtえ、心の洞窟におわす神(デーヴァ)を悟るといいます(1・2・12)。これは永遠なる精神を黙想するということであり、心と感覚の平穏を必要とします。しかし、逆説的ではありますが、精神や自己は努力だけで手に入れることはできません。「カター・ウパニシャッド」がいうように(1・2・23)、それは「選ばれたものによってのみ」得られることができます。つまりそこには寵愛が存在するのです。ヨガに於けるよう愛については多くの権威が強調しているところであり、「バガヴァッド・ギーター」で明確にされたように、バクティ・ヨガにおいて重要な役割を果たしています。
「バガヴァッド・ギーター」
この聖なる経典「バガヴァッド・ギーター」は、インドにおける最も貴重なヨガ文献で、マハトマ・ガンディーは敬意を表して、これを「私の母」と呼びました。「バガヴァッド・ギーター」は、インドのに大叙事詩の1つ「マハーバーラタ」に納められています。ちなみに、二大叙事詩のもう一つは「ラーマーヤナ」で、その精神性は苦行もしくはタパスにあります。「マハーバーラタ」は古代インドのクル族とパーンドゥ族の戦いの物語です。作者とされるヴィヤーサは「マハーバーラタ」のなかで、戦争に至るまでの様々な出来事や、18日間の戦争、および後日談を描写する中で、様々な精神的教訓を物語に織り込んでいます。「バガヴァッド・ギーター」もそうして教訓的なエピソードで、戦いの初日の朝に、パーンドゥ族の王子の一人、アルジュナが敵軍の中に師や友人の姿を見付けて戦いを拒否するところから始まります。アルジュナの御者として使えていた神の化身クリシュナは、適法の王国と道徳秩序の復活を目指すこの正しき戦争において戦士としての義務を果たすべきだと王子を諭します。「バガヴァッド・ギーター」はこの二人の間でかわされた対話です。
ヨガの教訓は「マハーバーラタ」第12巻のモークシャ・ダルマ(解放の教え)にも見られます。それは、「バガヴァッド・ギーター」の教訓と同じように、叙事詩的ヨガや古典期以前のヨガの特徴を持つとされ、紀元前500年から紀元100年という長きに渡って次第に形が整えられていきました。この間、ヨガの教えを含んだ数多くのウパニシャッド(哲学)が編まれていますが、中でも、「シュヴェータシュヴァタラ・ウパニシャッド」と、「マイトラーヤニーヤ・ウパニシャッド」は特に大切です。
ある無形の賢人のつけた名称からその興味深い表題が切り取られているとされる、「シュヴェータシュヴァタラ・ウパニシャッド」(1・3)は、瞑想訓練(ディヤーナ・ヨガ)を説いたもので、瞑想によって秘められた神の自己の力を見いだすとされています。その神は宇宙を支えるイーシャ(主)で、ここでは瞑想をし、聖音「オウム」を唱える鍛錬(最古のヨガ訓練の1つ)が推奨されています。初心者は心を平静にすることで多くの内的ビジョンを見ますが、それは単なる道しるべであり、決して自己や神の認識と言った究極のゴールと混同してはいけません。
「マイトラーヤニーヤ・ウパニシャッド」では、、ヨガの道が更に体系的に記されておりそこには次のような一節があります。
「マイトラーヤニーヤ・ウパニシャッド」
ここに精神修行を成し遂げるための規則を記す。つまりヨガとは、呼吸コントロール、感覚制御、瞑想、集中、探究(タルカ)、三昧・忘我(サマーディ)であるとされる。以上の方法を通してみるとき、金色に輝く創造主、主、精神、ブラフマンのみ名元を目にするであろう。そうして賢人は善も悪も捨て去り、全てを崇高な不滅なる者のうちに結びつける。「燃え上がる山に鳥や鹿がいられぬように、絶対的存在(ブラフマン)を知る者のうちに欠点(ドーシャ)は存在しない」といわれる所以である(4・18)
古典ヨガが登場したのは、こうしたヨガ発展期の終盤もしくはその少し後、おそらく紀元200年頃と考えられています。古典ヨガは、パタンジャリの著書「ヨガ・スートラ」(ヨガの格言集)において成文化され、卓越したヨガの哲学体系となりました。わずか195(版によっては196)の簡潔な格言(スートラ)で構成されているこの書二冠しては、サンスクリット語で多くの注釈書が書かれています。最も古く貴重な注釈書はヴィヤーサ(編集者の意味)の手になる「ヨガ・バーシャ」(ヨガについての演説)です。
パタンジャリ以降は、古典ヨガ以外にもたくさんの流派がありました。古典ヨガは精神と物質を区別する二元論を信奉していましたが、それ以外は全ての流派が古代よりインドにおいて主流だった非二元論(アドゥヴァイタ)を信奉していました。通常それらはポスト古典ヨガと呼ばれています。
これらの非二元論のヨガの教えは、宗教的形而上学的な知識を詰め込んだ百科全書的書物「プラーナ」のなかに見ることができます。これまで、18の代表的なプラーナと補遺的な18のプラーナ(実際はもっと数は多いと想われます)が伝えられており、サンスクリット語で書かれたこれら文献では多少の差はあれ、それぞれに精神的な道について詳細に論じています。この分野で最も知られているのは、紀元10世紀に編まれた「バーカヴァタ・プラーナ」で、クリシュナの伝統を中心に記されたものです。プラーナとは、「古代」を意味し、プラーナの伝統が非常に古い時代にまで遡ることを物語っています。初めてプラーナに言及しているのは、およそ4000年前に編まれた、「アタルヴァ・ヴェーダ」ですが(2・6・24)、今日知られているプラーナは、ずっと後の時代に作られた作品です。
プラーナによく似た10世紀の書物「ヨガ・ヴァシシュタ」は、想像力に富んだ美し詩的な作品で三万もの詩節(スタンザ)から成っています。七段階に展開する非二元論のジュナーナ・ヨガを説いており、最高段階をトゥルヤ・ガ(四番目にあること)と呼びます。四番目とは意識の3つの状態(目覚めている状態、夢を見ている状態、深く眠っている状態)の先にある、超越した自己を意味している。
こうした豊かなヨガの知識は、シャクティズム(シャクティ崇拝)の伝統に連なる経典「タントラ」(織物・経糸の意)の本文にも見られます。「タントラ」はタントラ教の奥義をまとめたもので、シャクティはもともと「力」の意味で、眼に見える宇宙の彼方にある精神的エネルギーを表しており、女神として人格化されています。タントラ教はヨガを通じてこの女神のエネルギーを得ようとする者です。研究科によってこれまで192のタントラが確認されていますが、中でも一番よく知られているのは「クラ・アルナーヴァ・タントラ」(タラの海のタントラ)と、「マハーニルヴァーナ・タントラ」(消滅のタントラ)です。他にもサンスクリットがチベット語で書かれた仏教のタントラが多くあります。
ヨガは、「マーガマ」(伝統の意。200以上が知られているが、一般に全28あるとされる)にもあるように、シヴァ教(シヴァ崇拝)において絶対不可欠です。ヨガの教えはまた、ヴィシュヌ教(ヴィシュヌ崇拝)の「サンヒター」(本集)にも見られます(なおこれまで108のサンヒターが認められていますが、ある学者は215のリストを集めて意おり、元々存在した数はもっと多いと推測されます)。このようにタントラ、アーガマ、サンヒターは、ヨガ研究に関連する重要な文献であるのだが、これまで殆ど研究されていないのが実情です。
ヨガの重要な発展形は、タントラの影響下に起こったハタ・ヨガ(力強いヨガ)であり、ハタ・ヨガは、独自の経典を持っています。ハタ・ヨガの創設には、紀元11世紀に生きたとされる半伝説化した達人、ゴーラクシャナータ(ヒンドゥー語ではゴラクナス)が大きく関連しています。その名前は多くのサンスクリット語経典の筆者として記されていますが、これらの文献は断片しか残っていない、もしくは構成の作品で引用されているに過ぎません。ハタ・ヨガの最も重要な文献は「ハタ・ヨガ・プラディーピカ」(力強いヨガの光)、「ゲーランダ・サンヒター」(ゲーランダ本集)、「シヴァ・サンヒター」(シヴァ本集)です。「ハタ・ヨガ・プラディーピカ」が最も古く、紀元14世紀に書かれたとされます。
ヨガに関しては、膨大なサンスクリット語文献の他に、土着の言語、例えばタミール語でかかれたものも多くあります。なかでも、南インドの宗教詩人アールヴァール(ヴィシュヌ教信者)と63の聖人ナヤンマー(シヴァ教信者)による詩的な作品に触れないわけには行かないでしょう。神への心からの愛と、神と一体化する願いを歌うこれらの作品は、未なきインドのバクティ・ヨガの要です。そして最も重要なタミール語の作品は、紀元5~6世紀に生きたティルムラーの手になる「ティルマンディラム」(神聖な言葉)と言えるでしょう。タミール語の文献は、サンスクリット語経典を補足する、大変重要且つ魅力的な内容を含んでいるにもかかわらず、これまで殆ど研究されてきていません。
ヨガの歴史や文献は、ヒンドゥー教の歴史の様々なところに存在します。また、ヨガの多種多様なアプローチは、仏教やジャイナ教と言った独立した流れの中においてもみることとができます。実際、ブッダが示した「聖なる八支の道」は、ヴェーダに拠らないヨガの初期の形を象徴しています。インドの偉大な3つの精神的伝統であり文化であるヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教は、お互いに強く影響を与えあい、浸透し合っています。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |