HIITで認知機能が向上する
認知機能や記憶に欠かせないタンパク質が増える
HIITは健康な体を作るだけではなく、脳の神経細胞にも良い効果を及ぼしている可能性が様々な研究から分かっています。人の体内には、BDNF(brin-derived neurotrophic factor、脳由来神経栄養因子、注1)と呼ばれる脳細胞の増加や成長を促すタンパク質が存在します。
注1:「脳という固有・個別の臓器が、その中にある細胞の内外に、常時作り出している“脳由来神経栄養因子:Brainderived neurotrophic Factor, BDNF)とは、脳が作り、細胞外へ分泌し、それを自らで、または、他の細胞が食する、分泌性タンパク質であり、すなわち、殆どの神経細胞の栄養」のことです。
柳本他「『脳機能を高める分泌性タンパク質、脳由来神経栄養因子:BDNF』環境が制御する道具としての、気力と記憶」(2017)
BDNFは、下記のような機能があります。
①記憶力が向上する。
柳本他、前掲
②うつ病が予防、または改善される(気力の向上)。
③糖・脂質代謝が改善する(インスリン感受性、糖尿病の改善)。
④食欲を抑制する(過食や肥満の抑制)。
⑤脳卒中による脳傷害、および、後遺症が低減する。
⑥慢性疼痛を抑制する。
⑦網膜を保護し、視力を増強する。
⑧脳卒中後の運動機能(熟練行動)の回復を促進する。
医学の世界では、運動及び運動習慣がBDNFの産生を促進することは以前より知られてたことですが、2015年に発表されたラットを使った研究で、中等度の持続運動よりもHIITの方が脳内のBDNFを増加させるという結果が得られました。
2018年に報告された別の研究では、HIITをすることで認知機能や記憶に重要な脳の海馬におけるBDNFの産生が高まることが分かりました。人の場合は、血液中のBDNFを調べる方法がとられていますが、HIITを行うことで血清BDNF濃度が上昇することが確認されています。
更に別の研究では、たった1回のHIITでも血清中のBDNFが増えることが示されており、HIITが認知機能の向上に役立つ可能性があることが示唆されています。
解剖学の授業などで「大人になったら脳細胞は死んでいく一方だ」と昔は習った方もいるかと思います。確かに、人の脳細胞には寿命があり、1度死んだ脳細胞は蘇ることはありません。しかし、同時に人には新しい脳細胞を生み出す力が備わっているのです。
有酸素運動で脳細胞を増やす
そして、それは年齢を問いません。高齢の方でも脳細胞が新しく生み出せることが分かっています。では、どうやって脳細胞を増やすのか。一番簡単に脳細胞を増やす方法こそが、有酸素運動です。たとえば、ヨガやピラティス、あるいは軽いウォーキングなど有酸素運動を習慣にしている人の方が認知症になりにくいというデータがありますが、やはりこれも運動によって脳細胞が新たに作られることが関係しているからです。
但し、運動さえしていれば良いというわけではありません。注意したいのはカロリーを摂取し過ぎないことです。肥満は認知症のリスク要因であると言われますが、それはカロリーを摂取し過ぎていると脳細胞が増えにくくなるからです。とはいえ、逆に脳に十分な栄養が回らない状況もやはり脳細胞を減らす原因になります。あくまでも、食事は適量に抑えつつ、運動をすることが重要です。
運動や食事と併用してもっと脳細胞を増やしたいのであれば、オススメは「何か新しいことを学んでみること」です。たとえば、今は絵画のド素人の方でも、本格的にデッサンなどを習ってコツコツと絵を描き続ければ、数年後にはちょっとした作品なら描けるようになるはずです。それは、その人の脳の中の輪郭を捉えたり、筆を自分の手の延長として操る能力をになう特定の領域の脳細胞が増えて発達するからです。
仕事や勉強などで新しいことを学んでいくことを、一般的には「経験を積む」といった言い方をしますが、脳科学的には、脳の構造や機能がその仕事や勉強に合うように変化しているのです。状況に応じて、新しい脳細胞が生まれ、細胞同士が連絡を取り合うためにシナプス結合を介して、新たに繋がる現象を脳の可塑性と言います。
この脳の可塑性を促進するためには、BDNFがどんどん作られていくことが重要です。従って、もし皆さんがこれから何か新しいことを勉強したいとか、スキルを身につけたいと思ったら、HIITのような運動を習慣づけて、BDNFを増やした状態で取り組むと上達が早まるかもしれません。
逆に言えば、運動不足で食生活が乱れていて、更に新しいことに対する好奇心もない生活を長年送っていると脳細胞は減少する一方なので、どんどん頭の固い人になっていきますし、認知症のリスクも高まります。
HIITで脳の遂行機能を強化
また、HIITには、BDNFというタンパク質が増えるということだけではなく、実際の脳機能の改善効果もあることを調べている研究グループが近年増えています。
2018年に報告された研究では、被験者の脳の遂行機能に着目した調査が行われました。遂行機能とは「目的を持った一連の活動を、効果的に成し遂げるために必要な脳の機能」のことです。日頃、仕事や勉強をするときに、「今日は頭が冴えているな」と感じたときはサクサクとミス無く仕事や勉強が進みますが、逆に「何だか今日は頭が働かない」と感じる日もありますよね。その差は、脳の司令塔も言われている前頭前野の重要な機能の一つである遂行機能が発揮できているかどうかで生じています。
この調査では、遂行機能を定量的に計測するために、脳科学の世界では定番の「ストループテスト」を実施しています。このテストは、「赤」や「青」と書いてある文字の意味ではなく、実際に書かれている色を選ばせるテストです。たとえば今の例で言えば、「赤」と青色で書いているので「あお」と回答するのが正解で、「青」は「あか」と答えるのが正解です。このように書かれている文字ではなく、色の名称を答えさせ、その反応時間を調べるテストを「ストループテスト」と言います。
そして、この調査では、被験者を二つのグループに分け、まず全員にストループテストを受けてもらいます。その後、一つのグループはHIITを10分間(ウォームアップ2分+最大負荷の60%で30秒のサイクリング運動と30秒の休憩を8セット)と休憩を15分。もう一つのグループには25分間ずっと休憩してもらい、最後にまたは全員にストループテストを受けてもらいました。
その結果、正解を導き出すまでの反応時間を比較したところ、運動をせずに休憩をしていたグループは2回目のテストで反応時間が長くなっていた(情報処理能力が鈍った)のに対して、HIITを行ったグループは反応時間が短くなった(反応速度が上がった)のです。つまり、HIITを行うことで情報処理能力が高まったということです。
その時の脳の変化をNIRS(near-infrared spectroscopy:近赤外分光法)と呼ばれる方法を用いて計測した結果、HIITを行った被験者たちは情報処理などの高次な脳機能に関わる左脳の背外側前頭前野で、酸素化ヘモグロビンが増えていることが分かりました。酸素化ヘモグロビンが増えているのは、その部位の働きが活発になっている証です。
私自身HIITをやった後に文章を書いたり計算をしたりすると、集中力が増して仕事がはかどることが多いですが、HIITに限った話ではなく、運動は体のコンディション作りに最適なだけではなく、脳のコンディション作りにも効果的です。運動をすることでBDNFなどの神経栄養因子の分泌が促進され、脳血流が増加。運動によって酸素化された血液がより多く脳へ運搬され、なおかつ脳血管の新生が促進されます。そして、脳細胞の新生が促進され、情報処理に関わる神経伝達物質(ドーパミンやノルアドレナリンなど)が増加し、脳内環境が改善するわけです。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |