キリスト者の生活術

1.『エンキリディオン』と生活術

1499年から1500年にかけて、イングランドへの実り豊かな旅を終えたエラスムスは、大陸に帰還してまもなく『エンキリディオン』と題された信仰の手引書を執筆する。この作品は1503年に、前章で検討した『煩いについて』とともに、アントウェルペンのディルク・マルテンス書店から『蛍雪余論』1という論集に収録されて世に出た。その後、1518年にバーゼルのフローベン書店から新たに序文を付して新版を出したことで、この著作は広く注目を集めることになる。『エンキリディオン』は初期エラスムスのキリスト教思想のエッセンスともいうべき著作と見なされており、幾世紀もの間、学生たちはまずこの本からエラスムスについて学んだという2。アルフォンス・アウエルは、「『エンキリディオン』を知る者はエラスムスを知る」(“Wer das Enchiridion kennt, kennt Erasmus”)とまで書いている3。このような指摘は、ある程度まで正鵠を射ているように思われる4。

1 この論集に収録された他の作品はつぎの通り。『マリアへの祈り』(Obsecratio ad Mariam)、『美徳を抱くことについての弁論』(Oratio de uirtute amplectenda)、『聖母に捧げる賛歌』(Paean Virgini Matri dicendus)、『聖母の御子であられるイエスへの祈り』(Precatio ad Virginis filium Iesum)。

2 John W. O’Malley, “Introduction”, CWE 66, p. xl.

3 Alfons Auer, Die vollkommene Frömmigkeit des Christen: nach dem Enchiridion militis Christiani des Erasmus von Rotterdam, Patmos, 1954, p. 53.

4 というのも、『煩いについて』とおなじように、この著作にもたしかにエラスムスの経験が反映されているのを読み取ることができるからである。

とはいえ、このことはエラスムスの数ある著作のなかでも、『エンキリディオン』が必ずしも読み解くに容易な書物であるということを意味するわけではない。なぜなら、この著作は全体が強固な論理によって貫かれているというよりは、キリスト教の伝統的なさまざまなテーマを集積したものであり、全体につながりがあるとしても、それは非常に緩やかなものに見えるからである。この作品は、古典作家、教父、中世の神学者、また聖書のさまざまなテクストや伝統的なトポスを自在に組み合わせることによって書かれた修辞学的な構築物であるため、この著作からエラスムスのことを知ろうとしても、彼の独自性というものはあまり判然としないのである。2

従来の研究では、プラトン主義5、新しい敬虔、オリゲネス6、さらに聖書ではパウロ書簡の思想的影響などが『エンキリディオン』を構成する要素としてつとに指摘されてきた7。さらに、こうした要素がどこからもたらされたのかという同時代のコンテクストとしては、ウィリアム・グロウシン(William Grocyn1440s-1519)、トマス・リナカー(Thomas Linacre c.1460-1524)、トマス・モア(Thomas More 1478-1535)、ジョン・コレット8といったイングランドのプラトン主義者たち、またオリゲネスの影響を受けたフランシスコ会の神秘主義者ジャン・ヴィトリエ9(Jean Vitrier, c. 1456-before 1521)、さらにはマルシリオ・フィチーノやジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラといったイタリアのプラトン主義者らの名が挙げられてきた10。オリゲネスは教父のなかでもとりわけプラトン主義に傾倒した人物

5 Carlos M.N.Eire,War against the idols: the reformation of worship from Erasmus to Calvin,Cambridge University Press,1989, pp.31-33;河野雄一『エラスムスの思想世界―可謬性・規律・改善可能性』知泉書館、2017年、95-119頁;R・H・ベイントン(出村彰訳)『エラスムス』日本基督教団出版局、1971年、73-99頁。

6 AndréGodin, “The Enchiridion Militis Christiani: The Modes of an Origenian Appropriation”, ERSY, 2, 1982, pp. 47-79.

7 カーク・エッサリーが指摘しているように、16 世紀の人文主義における人間学的・心理学的思考の基盤はそもそも、プラトン主義、アリストテレス主義、ストア主義の学問的な混合物であるのが一般的であった。Kirk Essary, Erasmus and Calvin on the Foolishness of God: Reason and Emotion in the Christian Philosophy, University of Toronto Press, 2017,pp. 132-133.

8 コレットとエラスムスの論争は前章で取り上げたが、それは両者の不仲をもたらすものではなかったようである。エラスムスはコレットの人格的な美徳を認めていたようで、コレットのパウロ書簡の講義にエラスムスが感銘を受けたことがエピソードとして伝えられてきた。J・マッコニカ(高柳俊一・河口英治訳)『エラスムス』教文館、1994年、72頁; Margaret M. Phillips, Erasmus and the Northern Renaissance, The English Universities Press, 1949, p. 43. しかし、前章で見たように両者のキリスト論はまったく異なっており、ジョン・グリーソンが指摘しているように、コレットの思想的影響については疑わしいというべきかもしれない。John B. Gleason,John Colet, University of California Press,1989, pp. 93-125.

9 Peter G. Bietenholz, Thomas Brian Deutscher(eds.), Contemporaries of Erasmus: a biographical register of the Renaissance and Reformation, 3, University of Toronto Press, 1985-1987, pp. 408-409.

10 クリスティーヌ・クリスト=フォン・ヴェデルによれば、『エンキリディオン』は、エラスムスがイングランドで出会ったプラトン主義者たちとオリゲネスの思想的影響との産物であったという。また、彼はフィレンツェのプラトン主義がエラスムスを魅了したに違いないとも述べている。ChristineChrist-von Wedel, Erasmus of Rotterdam: Advocate of a New 3 Christianity, University of Toronto Press, 2013, pp. 48-49, 52.

11 Cornelis Augustijn (trans., J. C. Grayson), Erasmus: His Life, Works, and Influence, University of Toronto Press, 1991, p. 43; Otto Schottenloher, “Erasmus, Johann Poppenruyter und die Entstehung des Enchiridion militis christiani”, Archiv für Reformationsgeschichte,45, 1954, pp. 109-116.

12 Eire, op. cit., pp. 31-36.

13 Juliusz Domański,”Introduction”, ASD 5-8, p. 17.

14 Heiko A. Oberman (trans. Andrew Colin Gow), Reformation: roots and ramifications, T & T Clark Edinburgh, 1994,pp. 72-73.

であったから、上述の要素は概してプラトン主義へと還元されがちである。先行研究において繰り返し指摘されてきたように、たしかに『エンキリディオン』には、魂が肉を避けて霊に向かって飛翔するというプラトン主義的なモチーフが作品全体に浸透している。また、『エンキリディオン』著述の直接の動機としては、エラスムスの友人で不信心な鉄砲鍛冶であったヨハン・ポッペンロイター(Johann Poppenruyter)の妻から、夫を回心させてほしいという依頼がエラスムスにあったこともしばしば指摘されるところである11。

こうしたプラトン主義的な要素もその理由の一つなのだが、『エンキリディオン』が、当時の儀礼主義に対抗して、信仰を徹底的に内面化しようとした超越主義(transcendentalism)の著作であると考えられているのは理由のないことではない12。たしかに、エラスムスの同時代人たちにとって、彼が儀礼主義を批判し、キリスト中心主義の視点から信仰を内面化させるための手引きを執筆したことは新しいことであったかもしれない。しかし、そのように説明するだけでは、エラスムスがそれほど魅力的な人物であるようには思われないのである。ルターと比較してみると、エラスムスが言っていることはどこか表面的であるようにさえ見える。というのも、『エンキリディオン』に表現されている思想やテーマの多くは、古典やキリスト教のさまざまな文献から借用された伝統的なトポスだからである13。『エンキリディオン』を信心の歴史のなかでもっとも退屈な本であると評したオーバーマンによれば、エラスムスにとって都市とはまさに大きな修道院にほかならず、エラスムスは修道院の内部で修道士たちが改革しようと志していたことを都市の内部にまで持ち込んでいるのだという。ここには、中世の修道院の価値観や道徳と決別することのできなかった古い修道士であるエラスムスと、元修道士でありながらも真に新たな信徒となり(truly a new layman)、キリスト者の生への意欲を取り戻すことに成功したルターという鋭いコントラストがある14。

だが、本当にそうであろうか。本章で注目したいのは、前章に引き続き、エラスムスの経験的な側面である。『エンキリディオン』で語られている内面的な信仰がけっして表面的なものではなかったとすれば、それはいったいなにによって支えられていたのか。彼の議論が4

伝統的なトポスに依拠しているとしても、それらを選択したことにはたしかな理由があったのである。このような視点から『エンキリディオン』を検討してみると、『煩いについて』とおなじように、そこにはエラスムスが若い頃に苦しんだ、実存的な問題との格闘の跡が刻まれていることがわかる。これこそが『エンキリディオン』を解釈するための決定的な鍵となる。結論から言ってしまえば、エラスムスは自分自身の経験とストア主義哲学にまでさかのぼることのできる思想的伝統から、人間の本性そのものは善悪無記であると認識するようになった。『エンキリディオン』で描かれているのは、この善悪無記な人間の本性と真摯に向き合うことによって、各人の本性にふさわしい生活を送りながら霊的であることを目指すという、画一的な修道院の生き方とは異なるすべてのキリスト者に開かれた生活術の姿である。

ところで、『エンキリディオン』への影響という点で、決定的な重要性を持つにもかかわらず従来見落とされがちだった点がある。それはキケロの『義務について』の影響である15。この点はエラスムスがなぜ信仰生活の手引きを執筆したのかという理由に深くかかわっているため、ここで言及しておきたい。『義務について』の注解をエラスムスは1501年に出版しているのだが、このエラスムス版の注解の重要性については、エラスムスの研究者よりはむしろ『義務について』の研究者により早くから指摘されてきた16。なかでも注目されるのは、16世紀イングランドにおける『義務について』の英語訳について詳細な調査をおこなった、ジョン・バトラー・ガベルの研究である。ガベルは印刷に付された『義務について』の初期の版のなかで、エラスムスの手になるもの以上に重要な版はなかったとして、この版の意義や『エンキリディオン』への思想的影響について興味深いことを指摘している17。それによれば、『エンキリディオン』の執筆に与えた影響という点では、よく言及されるポッペンロイターの妻からの依頼という点はあまり重視されるべきものではなく、むしろ『義務について』とジャン・ヴィトリエの影響こそが決定的であったという。また、『義務につい

15 ルネサンス期にこのキケロの著作が絶大な人気を誇ったことはよく知られている。700点近くの写本が現存していることに加えて、活版印刷の発明以降、最初に出版された古典作品のラテン語テクストが『義務について』と『ストア派のパラドックス』(1465年)であったという事実がその人気を如実に物語っている。Andrew R. Dyck, A commentary on Cicero, De officiis, University of Michigan Press, 1996, p. 44.

16 たとえば、アンドリュー・ダイクの手になる『義務について』の浩瀚なコメンタリーやパトリック・ウォルシュによる英訳版の序文にはエラスムス版への言及が当然に見られる。Dyck, op. cit, pp. 44-45; P.G. Walsh(trans.), On obligations, Oxford University Press, 2001, p. xliv.

17 John Butler Gabel, “The tudor translations of Cicero’s De Officiis” (Unpublished doctoral dissertation), TheOhio State University, 1961, p. 20.5

て』の影響を世に広めたという点では、中世にアンブロシウスの『教役者の義務について』や作者不詳の『哲学者たちの道徳的教義』(Moralium Dogma Philosophorum)、またソールズベリのジョンの『ポリクラティクス』(Policraticus)が果たした役割を、ルネサンス期に『エンキリディオン』が果たしたということさえ示唆されている18。このような指摘は、『エンキリディオン』が哲学的には主としてプラトン主義の視座から論じられていたことを考えれば、新たな解釈をもたらし得るきわめて重要な点を突いていたと言えよう。

18 Ibid., pp. 23-25.

19 A. M. O’Donnell (ed.), Enchilidion Militis Christiani:An English Version, Oxford University Press, 1981, p. xviii.

20 「キケロに大きな悦びを感じるようになったとき、人は自分が前進したことを知るだろう、というクインティリアヌスの言葉に、わたしはこれほど全面的に同意したことはありません。わたしが少年のころ、キケロよりもセネカに惹かれていました。他の作家はほとんどみな好きでしたが、二十歳になる以前は、キケロをある程度長く読むことに耐えられませんでした。わたしが年を取ることで前進したのかはわかりません。いずれにしても、学問への情熱に燃える日々のなかで、老齢となった今よりもキケロを、彼のほとんど神のごとき文体の巧みさだけでなく、学識と高い道徳的な調子との融合という点でも楽しんだことはありません。わたしは彼のなかに直接にインスピレーションを見いだしました。彼はわたしをよ

残念ながら、このガベルの博士論文はその後の『エンキリディオン』の研究においては、ほとんど影響力を持つことはなかった。エラスムス研究の視点からは、アン・オドンネルが『義務について』と『エンキリディオン』の関係性について触れているが、キケロの著作は社会的で政治的であったのに対し、エラスムスの著作はむしろ個人的で宗教的であるとして、類似性よりも両者の差異を強調している19。エラスムス研究者の多くがエラスムス版の『義務について』の持つ意義を見過ごしていたなかで、その決定的な重要性に気がついたのがロス・ディアリーである。言及が一切ないという点からして、ディアリーはおそらくガベルの論文の存在を知らなかったようだが、それとはまた別の視点からエラスムス版の『義務について』に付された注解を詳細に検討し、エラスムスがストア主義哲学の重要な概念に精通していたことを明らかにしている。さらに、彼はそうしたストア主義の前提に基づいて、『煩いについて』や『エンキリディオン』といった初期のエラスムスの著作の読解を試みたのであった。

各人の置かれた社会的状況と役割にふさわしい、賢者でなくとも達成することのできる中間義務の重要性を説いたキケロのこの著作に、エラスムスが大きな魅力を感じたということは十分に考えられよう。実際、エラスムスは1523年にヨハン・フォン・ヴラッテン(Johann von Vlatten,c. 1498/99-1562)に宛てた書簡のなかで、キケロからの青年時代の学びについて回顧している20。この書簡は、エラスムス版の『トゥスクルム荘対談集』(15236)「より良い人間に取り戻してくれるのです」。Ep. 1390, Allen 5, p. 340; CWE 10, pp. 99-100.

21 二宮敬『エラスムス人類の知的遺産23』講談社、1984年、28頁。

22 Ep. 152, Allen1, p. 356;CWE 2, p. 30. エラスムスは『義務について』を含むいくつかのキケロの著作を旅の伴としていた。「旅の伴に一、二冊の本を持っていくのでなければ、わたしの愛する蔵書から離れることはできませんでした。運悪く馬車を共にする気の合う友人に恵まれなかったとしても、無聊を慰めるために話し相手になるようなものが必要でした。そうしたものとして、キケロの『義務について』、『ラエリウス』に『カトー』、それから『ストア派のパラドックス』があったのです。本の小ささがわたしにとって魅力的でした。わたしの重荷にならなかったからです」。Ep. 1013, Allen 4, p. 66; CWE 7, p. 72.

23 Gabel, op. cit., p. 22; Ross Dealy, The Stoic Origins of Erasmus’ Philosophy of Christ, University of Toronto Press, 2017, p. 68.

24 金子晴勇訳「フォルツ宛書簡」『エラスムス神学著作集』教文館、2016年、199頁。

25 O’Malley, “Introduction”, CWE 66, p. xii.

26 たとえば、G・K・チェスタトン(生地竹郎訳)『聖トマス・アクィナス』筑摩書房、2023年、を参照。

そこでエラスムスはキケロのことを「旧友」とまで呼んでいるのである。このキケロの『義務について』の新しい注解を、エラスムスはパリのジャン・フィリップ書店から1501年に上梓した。『エンキリディオン』の構想を抱いたのもそれから間もない時期であったと推定される21。重要なのは、この作品は彼が出版した初めての古典の注解でもあったということである。彼自身の証言によると、この注解を執筆したのはピエトロ・マルソ(Pietro Marso, 1442-1512)のあまりに膨大な注解本に対して、「つねに短剣(enchiridii)のように手に持ち運べるようにするため」であったという22。ここでエラスムスが『義務について』をギリシア語の「短剣」(enchiridion)に喩えているということに注目しなければならない。というのも、この点からすれば、エラスムスの『エンキリディオン』はまさにこの『義務について』をキリスト教化した著作と見なすこともできるからである23。

トマス・アクィナスの『神学大全』がいかに偉大な業績であっても、エラスムスが述べているように、それを日々持ち歩き信仰生活の手引きにすることはできない24。ジョン・オマリーによれば、トマスが『神学大全』の第一問において、神を考察対象とする「思弁的な」(contemplative)学として神学をまず定義したときに、トマスは神学を信心(piety)と聖職(ministry)から事実上切り離してしまったのだという25。もちろん、トマスの神学にはこのように単純化できないところがあるのは言うまでもない26。しかし、トマスの意図はどうあれ、エラスムスにもそのように思われたのであろう。このようなスコラ哲学の潮流に対抗して、哲学や神学を理性よりも生の改造の問題として捉えるエラスムスは、キリスト教徒が敬虔な生活のための実践的な手引きをつねに携えて、日々自らを省みるよすがとするように期待したのであった。その意味では、エラスムスはピエール・アドが古代哲学において探求したところの「生き方としての哲学」を主題とした思想家たちの系譜に属していると言うこともできる27。

27 ピエール・アド(小黒和子訳)『生き方としての哲学-J. カルリエ、A. I. デイヴィッドソンとの対話』法政大学出版局、2021年、194頁。実際、2016年に出版されたASD版の『エンキリディオン』の編者の一人であるユリウス・ドマンスキは、アドの議論の射程をルネサンス期にまで拡げた著作を執筆し、その最後をエラスムスについて論じることで締めくくっている。Juliusz Domański, La philosophie, théorie ou manière de vivre?: les controverses de l’Antiquité à la Renaissance, Editions universitaires de Fribourg, Editions du Cerf, 1996, pp. 114-119.

28 金子晴勇『エラスムスの人間学』知泉書館、2011年、80頁。

29 「人間は二つあるいは三つのひじょうに相違した部分から合成された、ある種の驚くべき動物です。つまり一種の神性のごとき魂と、あたかも物いわぬ獣とからできています。もし身体についていうなら、わたしたちは他の動物の種類にまさるものではなく、むしろそのすべての賜物においてそれに劣っています。しかし魂の面ではわたしたちは神性にあずかるものであり、天使の心そのものをも超えて高まり、神と一つになることができるのです。もしあなたに身体が与えられていなかったとしたら、あなたは神のような存在であったでしょうし、もし精神が付与されていなかったとしたら、あなたは獣であったことでしょう」。金子訳「エンキリディオン」、40頁。

2.プラトン主義かストア主義か

では、実際に『エンキリディオン』の内容を検討しよう。『エンキリディオン』全体は、分量がきわめて不均等な三十九の章によって構成されており、人間学的基礎に基づくキリスト者の自己認識について論じた第一章から第八章と、信仰生活の具体的な教則や治療法について論じた第九章から第三十九章までの二部に大別される28。まず注目に値するのが、信仰生活の主体である人間そのものについて論じられている箇所である。エラスムスは「内的人間と外的人間」と題された第五章において、神的な魂と獣のような身体というプラトンの二元論に基づいて人間という動物を考察する29。

エラスムスによれば、このまったく異なる二つの本性を創造者は至福な調和へと結び合わせた。しかし、この始源の秩序は原罪により損なわれてしまった。その結果、本来は一つに結びついていた両者が分裂し、共に生きながらも相互に戦わざるを得ないという不和の状態が生じたのである。目に見える現世的なものを求めて沈んでいく身体と、永遠なるものを求めて天上へと飛翔する魂とが鋭く対比されて描かれていく。このような描写から明らかであるように、エラスムスの人間学の出発点は著しくプラトン主義的であると言えよう。その基調には精神と身体(あるいは霊と肉)の強固な二元論がある。だが、エラスムスはもちろんキリスト教をすべてプラトン主義に還元しているわけではない。キリスト教の本質8はこの世を越えた霊性の追求にあり、こうした考え方と調和する哲学としてプラトン主義が用いられているのである。したがって、プラトン主義的な二元論はさらに聖書による裏付けがなくてはならない。「内的人間と外的人間、および聖書による人間の二部分について」と題された第七章では、プラトンの言葉がパウロの言葉により置き換えられていく30。『エンキリディオン』全体に通底するもっとも基本的なモチーフは、キリスト者が敬虔な生活を送り救済されるためには、肉を徹底的に蔑視し、霊に向かって上昇しなければならないというプラトン的、パウロ的な霊肉二元論である31。とはいえ、こういったいくらか単純な二元論の形式そのものには、なにか際立った考え方が見出されるというわけでもない。

30 「哲学者たちが理性と呼んでいるものをパウロはある時は霊、ある時は内的人間、またある時は心の法則と呼んでいます。彼らが情念と呼んでいることを彼は時には肉、時には身体、時には外的人間、また時には肢体の法則と呼んでいるのです」。金子訳「エンキリディオン」、49-50頁。

31 「もしあなたが肉であるなら、あなたは主を観ないでしょう。もしあなたが主を観ていないとしたら、あなたの魂は救われないでしょう。だからあなたが霊となるように配慮しなさい」。金子訳「エンキリディオン」、56頁。

32 ASD 5-8, p. 156;金子訳「エンキリディオン」、58-59頁。訳には変更を加えた。

エラスムスはさらに「人間の三つの部分、霊・魂・肉について」と題された第八章において、オリゲネスによる人間の三区分法を導入することで、これまでの霊肉二元論を新たな三分法によってより詳しく展開させていく。注目すべきは、ここで彼がきわめて重要なある要素を追加していることである。エラスムスはつぎのように述べている。「したがって霊はわたしたちを神々とし、肉は家畜とします。魂はわたしたちを人間として立たせます..................。霊はわたしたちを敬虔なものとし、肉は不敬虔なものとし、魂を中立(neutros)なものとします。霊は天上的事物を求め、肉は甘美なるものを求め、魂は必要不可欠のものを求めるのです。霊は天にまで高め、肉は地獄にまで転落させますが、魂には何も帰せられていません。肉的なものはすべて醜悪で(turpe)、霊的なものはすべて完全であり、魂的なものはすべて中間的............(.medium).......で善悪無記.....(.indifferens)............です..」32(傍点は筆者による)。

この箇所もまた従来、プラトン主義と密接に関連付けて解釈されてきた。魂が中間的と言われていることの意味は容易に理解することができよう。霊と肉の中間に魂が位置しており、その魂こそが人間を形づくっている。人間の本質は霊でも肉でもなく魂にこそある。この魂が霊に上昇するか、あるいは肉に堕落するかは人間の自由意志次第であり、そこにこそ人間の自由と道徳的責任がある。エラスムスはこのように人間を三つの部分に区分し直しているのだが、そうとはいっても、これまでの霊肉二元論とまったく異なる見解を述べているわけではない。魂を霊と肉の中間に位置づけることによって、日々の生活のなかで、上下9二つの方向への選択に絶えず迫られた存在として人間を描き出し、霊へと向かう決意を固めるように信徒に促しているのである。こうした発想の背後には、おそらくは同時代のルネサンス・プラトン主義のコンテクストがあったのだろう33。とくに、ピコの『人間の尊厳について』34はよく知られているところである。しかし、エラスムスの実存的な問題に注目するという本章の視座からすれば、この箇所におけるもっとも重要な問題は「中間的」(medium)と「善悪無記」(indifferens)という概念が並置されていることである。これは果たして類義語が二つ重ねられているだけなのだろうか。

33 河野、上掲書、98-106頁。

34 ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ(大出哲、阿部包、伊藤博明訳)『人間の尊厳について』国文社、1985年。

実はこの善悪無記という概念は、霊と肉の間にあるという意味での中間的をただ言い換えたプラトン主義的な言葉ではなく、あとで見ていくように、古くはストア主義哲学に由来し、その後キリスト教神学のなかで発展した独自の伝統を持つ概念であった。『煩いについて』では、人間の生まれついての本性が、ある人の道徳的な価値を判断するうえでまったく意味を成さないと言われていたことを、ここであらためて思い起こそう。人間の本性に由来するものに道徳的な責任を帰することはできない。このことはつまり、人間の本性が善悪無記であるということを意味する。エラスムスは、魂を人間の本質と位置づけることで、それが霊と肉の間で選択をおこなう中間的な存在であるとともに、善悪無記である人間の本性にかかわるものとしても捉えていたのである。『エンキリディオン』を注意深く読んでいくと、人間の本性が善悪無記であるという主張にきわめて重要な位置づけが与えられていることがわかる。これから見ていくように、そもそも霊と肉の間で正しい選択をおこなうためには、この善悪無記なる人間の本性を正しく認識することが絶対に欠かせないのである。『煩いについて』では、この善悪無記の問題は、主としてゲッセマネの園におけるキリストの恐怖の性質をめぐる議論にかかわっており、エラスムスはそこに自身の経験を結び付けていた。しかし、『エンキリディオン』ではさらにより広く、キリスト者の生活全般にかかわる問題として善悪無記な本性が論じられることになる。この展開にこそ、『エンキリディオン』が書かれた意義があると言えよう。

ところで、『エンキリディオン』におけるエラスムスの哲学的な姿勢は、結局のところプラトン主義だったのだろうか、それともストア主義だったのだろうか。ここで、これまでも繰り返し言及してきたディアリーによる『エンキリディオン』の解釈を少しばかり詳しく検討することによって、エラスムスの経験的な側面に注目することで『エンキリディオン』を解釈するという、すでに述べた本章の視点をさらに明確にしておきたい。ディアリーが『煩いについて』に着目し、初期のエラスムスの思想形成に関して新たな視点を提示したことはすでに前章で見たとおりである。だが、彼はそれだけに留まらず、『エンキリディオン』の10

解釈においても従来の研究の根本からの再考を促すようなきわめて斬新な視点を提示した。ディアリーは、『エンキリディオン』を解釈するうえでなかなか避けて通ることのできない、そこに含まれるさまざまな構成要素間の位置づけの問題を非常に明快に解決している。彼の解釈によれば、オリゲネスやソクラテス、プラトンといった諸要素をエラスムスが導入しているのは、驚くべきことに、ストア主義によってそれらを修正するための下準備としてであったという35。したがって、魂が上昇や下降を通じて霊や肉に一致するというプラトン主義のモチーフは、エラスムスが本当に主張したかったことではなく、自分の主張をそこから展開するために提示した、修正されるべき足がかりに過ぎなかったということになる。ディアリーは、従来プラトン主義によって理解されてきた『エンキリディオン』の解釈を根本的に覆し、エラスムスがストア主義者であったという驚くべき見解を提示した。もちろん、エラスムスがオリゲネスやプラトンの議論を導入する際には、これらの思想をそのまま採用しているわけではなく、キリスト教の正統な解釈に、そしてエラスムス自身の考え方に適合する箇所のみを部分的に利用していたのは間違いない36。しかし、果たしてエラスムスは、ディアリーが主張するようにストア主義者であったと言うべきなのだろうか。あるいは、そのようにエラスムスを規定することになにか意味があるのだろうか。このことは、前章で検討した問題とも密接にかかわって来ざるを得ない。つまり、エラスムスがストア主義の鍵概念であるアパテイアを完全に否定し、さらに感情を人間の自然本性として位置づけたことが、果たしてストア主義の否定ではなく、ストア主義の枠内における修正だったと言えるのかという問題である。アパテイアを明確に否定しているにもかかわらず、エラスムスがストア主義者であると言える根拠はどこにあるのか。

35 Dealy, op. cit., pp. 263-316.

36 それはエラスムスがつぎのように述べているとおりである。「たとえ同じ言葉ではないにせよ、同じ事柄がすべて聖書の中に指示されていないならば、哲学者たちの権威はすでに価値が低くなっているでしょう」。金子訳「エンキリディオン」、49頁。

ディアリーはその根拠を、彼が「二者両立型」と呼ぶところのストア主義哲学に由来する独特な思考方法に求めている。ディアリーの議論の骨子は、エラスムスの思想構造がこのストア主義の思考法によって規定されていたという大胆な主張にある。ディアリーは、ストア主義の思考法として「二者両立型」(two-dimensional, both/and)と「二者択一型」(one-dimensional, either/or)の二つがあると主張する。これを簡単に説明すれば、前者は、「高潔さ/有益さ」(honestum/utile)、「高潔さ/善悪無記」(honestum/indifferens)、「正しい行為/ふさわしい行為」(katorthoma/kathekon)というペアが矛盾することなく両立する思考様式を示しており、それに対して後者はペアのうちのどちらか一方を二者択一的に選ぶ思考様式を示している。ルネサンス期における例を一つ挙げてみれば、「観想的生活」(vita contemplativa)と「活動的生活」(vita activa)のどちらを選ぶべきかという問いに対して、どちらも衝突することなく両立可能であると考えるのが「二者両立型」であり、どちらか一方のみの選択を迫るのが「二者択一型」である。この思考様式の利点は、変わることのない絶対的な真理(「高潔さ」や「正しい行為」)と、そうした真理を維持している限りでは比較的柔軟に変更することが許される実践的な真理(「有益さ」や「ふさわしい行為」)とを両立させることができる点にある。ディアリーによれば、ストア主義の核心は本来この「二者両立型」の思考法にあったにもかかわらず、長い間この思考様式は忘れ去られていたために、ストア主義は極端な二者択一を迫る思想であると考えられてきたのである37。ところが、エラスムスは、キケロの『善と悪の究極について』や自身が注解を施した『義務について』の詳細な読解を通して、およそ1000年ぶりにストア主義の核心を正しく理解し、それを心理的、社会的、知性的、宗教的な場に適用したのだという38。

37 エラスムス自身の見解といえるかどうかはさておき、彼は『痴愚神礼賛』においてストア主義を実際にそのように捉えている。「しかしながらセネカがそれをするということは、人間というものを置き去りにしているのみならず、これまで一度たりとも存在せず、今後も存在しないであろう神のごときものを創造シテイルことにほかなりません。それどころか、もっとはっきり言ってしまえば、馬鹿げていて、人間としての感情をまったく欠いている、大理石の人間の像を作り上げているわけです。そんなわけで、ストア派のお歴々には、お気に召すなら、ひとりその智者たる境地を楽しんでいただき、競争相手もいないこととて、智者を愛していただくのがよろしく、智者ともどもプラトンの国にでも、それともそっちのほうがいいのなら、イデアの王国か、タンタロスの庭園にでもお住まいになったらよろしいでしょう」。沓掛良彦訳『痴愚神礼賛』中央公論新社、2014年、75-76頁。

38 Dealy,op. cit., p. 10.

39 Damianos Tsekourakis, Studies in the terminology of early Stoic ethics, Steiner, 1974, pp. 13-14.

40 セネカ(高橋宏幸訳)『セネカ哲学全集』5巻、岩波書店、2005年、150-200頁。

41 I. G. Kidd, “Moral Actions and Rules in Stoic Ethics”, in John M. Rist (ed.), The Stoics,University of California Press, 1978, p. 255.

こうしたディアリーの議論の背景には、「ふさわしい行為」と「正しい行為」の関係性をめぐるストア主義哲学の現代における研究の蓄積がある。たとえば、ジョン・リストやダミアノス・ツェクラキスは、おなじ人物によってなされた同一の行為の異なる二つの側面を示す概念と考えることでこの二つの行為を架橋した39。簡単に言えば、「ふさわしい行為」は自然的価値の側面を表し、「正しい行為」は道徳的価値の側面を表しているということになる。また、イアン・キッドはセネカの『倫理書簡集』(Ep. 94-95)40で論じられている「原理」(decretum)と「忠告」(praeceptum)という概念に注目し、「正しい行為」と「ふさわしい行為」がそれぞれ「原理」と「忠告」に相当する規則であると考え、これらがともに進歩の途上にある人を補助するためのものであったと主張した41。兼利琢也によれば、この二つの行為の関係性をめぐる研究者の解釈にはさまざまな方向性があるが、ストア派に好意的に解釈するならば、両者がなんとか両立・結合しているということにはほぼ同意があるという42。

42 兼利琢也「ストア派の義務論をめぐって」『社会科学討究』43-1、1997年、163-164頁。

43 しかし、実際には既述のピエトロ・マルソの『義務について』註解を読んでみると、エラスムス以前にもストア主義哲学における二つの義務概念が非常によく理解されていたことが分かる。この注解はきわめて膨大なのだが、試しに『義務について』1巻7節につけられた注解の一部をつぎに引用してみよう。「この義務は、そのように行為がなされたところの、たしかな理由(ratio)を与えることができる義務である。というのも、ストア派の見解によれば、すでに述べたように、理性によって〔理由をともなって〕(cum ratione)おこなわれたことが義務だからである。この義務については忠告(praecepta)が授けられる。なぜなら、徳の性質から生じていないからである。ところが完全義務とおなじように、この義務を教えることは知者にも属している。というのも、知者の義務は究極目的(finem vltimum)を示すことであり(つまり最高善である。なぜなら、善と目的は交換可能だからである。最高善、究極目的、なにがなされるべきかを命じることも同様に交換可能である)、目的に到達するための中間を発見することはおなじ人に属するからである。すなわち、これが中間義務(media officia)であり、これによって人は市民社会(societatem ciuilem)に向けて教育される。この義務はすべての人に共通である。キケロが論じようとしているのはこの義務についてである。なぜなら彼は、賢者ではなく、馬鹿げているかもしれないが、粗野な人たちを教え、知恵に向けて形作ろうとしているからである。然るに、この義務は共同生活への教育(institutionem vitae communis)のために定められ授けられたように見えるけれども、あの善の究極と人間の幸福に関係しているのである。というのも、これらの義務によって、われわれはついに徳の性質にたどりつくからである」。M. T. Ciceronis Officiorvm. Libri Tres Svmma Cvra Nvper Emendati, Commentantibvs Petro Marso, Francisco Maturantio, & Ascensio, Franciscus Bindonus, 1554, p. 10; ルネサンス期におけるストア派の義務概念の詳細な検討は今後の研究の課題であろう。16世紀に出版された義務についての注解には、エラスムスやメランヒトンなど複数の注解者の注解が併記されている場合が多く、比較研究のために開かれている。この課題に関するもっとも重要な先行研究は、ジル・クレイのつぎの論文である。Jill Kraye, “Cicero, Stoicism and Textual Criticism: Poliziano On κατóρθωμα”,Renascimento,23,1983, pp.80-110.

ディアリーの主張では、エラスムスはストア主義哲学のこうした「二者両立型」の思考の枠組みを理解することのできた、古代以来の初めての人物なのである43。ディアリーのエラスムス解釈の根幹は、まさにこの一点にあると言ってよい。そのため、ディアリーにとって、魂が霊か肉のどちらかに一致すると考えていたオリゲネスの議論は、「二者択一型」であるという点でエラスムスの「二者両立型」の思考法と相容れないものであり、エラスムスは霊にも肉にも一致することなく、「必要不可欠のものを求める」という独立した地位を魂に与えることで、オリゲネスの議論の欠点を修正したのだとされる。つまり、ディアリーによれば、エラスムスが捉えたキリスト教の本質とは、二者択一的に霊か肉かを選択させることにあるのではなく、人間にとって必要不可欠な善悪無記なものと霊とが共に矛盾することなく両立可能であると考える点にこそあるのである44。したがって、オリゲネスやプラトンといった「二者択一型」の議論が示されている箇所は、修正を要するがゆえに、あえてエラスムスが提示した箇所であり、彼はそのことをはっきりと明言することなく(ディアリーによれば、これこそがエラスムスのレトリック的な戦略であるとされる)それらを「二者両立型」に修正することで自分の見解を述べているのだという。また、ディアリーはプラトン主義の欠陥だけでなく、それをエラスムスが持ち込むことの利点についても説明している。すなわち、「二者両立型」の議論の一側面であるところの、変えることのできない抽象的な真理を保持する必要性を主張するという点では、プラトン的な主張を持ち込むことは理に適っていたというのである45。しかし、プラトン主義はやはり真理の一面しか示していないという点で、エラスムスにとってはストア主義によって修正が必要な誤った見解だったのだという。

44 「オリゲネスのキリスト教理解は、善悪無記、霊と悪の間にあるものの物質的な実在性、霊と善悪無記の一体性についてのストア主義の考え方を把握していなかったという点で、まさにその核心部分において欠陥があった」。Dealy, op. cit., p. 327.

45 Dealy, op. cit., p. 302.

46 金子訳「エンキリディオン」、57頁。

47 金子訳「エンキリディオン」、57頁。

ところがどうであろう。たしかに、『エンキリディオン』においてプラトンやオリゲネスの考えがそのままに採用されているわけではないこと、またストア主義に関する概念や考え方に重要な位置づけが与えられていることはその通りである。だが、これほどまでにすべてをストア主義に結びつけて解釈することには疑問がないわけではない。一例を挙げるならば、魂が霊や肉に一致するというモチーフそのものをエラスムスが否定していると解釈するのはやや強引であるように感じられる。たとえば、エラスムスははっきりとつぎのように述べている。「魂は党派によって分裂した国家におけるごとく、党派のいずれか一方に加盟しないわけにはいきません。それはあちらこちらに引きこまれます。しかし二つのうちどちらに決定しようとするかは魂の自由です。もし魂が肉を拒絶し、霊の党派に味方するとしたら、それ自身が霊的になるでしょう。しかし、もし肉の欲望に自己自身を捧げるとしたら、自分自身を身体にまで貶めるでしょう」46。注目すべきは、このように書いた直後にエラスムスがパウロを持ち出すことによって、この主張を支持しようとしていることである。「このことこそパウロがコリント人たちへ書いていることにほかなりません」47。そのため、ディアリーによれば、パウロでさえストア主義によって修正されるべき対象と見なされるのである48。

48 Dealy, op. cit., p. 327.

49 「魂はあるいは途方にくれるか、あるいは動揺しているのです。〔霊と肉との〕両方のいずれに向かって方向を転じたとしても魂が近づくものが何であれ、そのものとなるでしょう。もし霊を軽蔑して娼婦なる肉に聴き従うならば、魂は肉と一体となるのです。だが、もし肉を拒否して霊に向かって高められるならば、魂は改造されて霊となります」。金子訳「エンキリディオン」、59-60頁。

50 Dealy,op. cit., pp. 299-300.

51 たとえば、この章の最後の部分にはつぎのようにある。「不潔な動物と一緒に地の上を這おうと願わず、プラトンが愛の情熱によって魂のうちに引きだされ再び成長しだすと考えた、あの翼に支えられて、あなたは常に飛び立ち、身体から霊へ、可視界から不可視界へ、文字から秘義へ、感覚的なものから知性的なものへ、合成体から単一体へ、ちょうどヤコブのはしごを一段一段昇るように、あなた自身を高めなさい」。金子訳「エンキリディオン」、110-111頁。

52 Dealy, op. cit., p. 176.

それだけではない。エラスムスは、魂が善悪無記であり必要不可欠なものを求めるという議論を導入した後でも、魂が霊や肉に一致するという主張を繰り返している49。ディアリーによれば、エラスムスのレトリック戦略の特徴は、前提となる議論を修正しつつ徐々に自分の主張を発展させる点にある50。だが、もしこれが本当だとすれば、このレトリック上の戦略は『エンキリディオン』においてあまり有効に機能しているとは言えないだろう。というのも、エラスムスは、ディアリーにとって本来の主張であると思われる議論を導入した直後に、あらためて魂が霊や肉に一致するという「修正」が必要とされる議論の前提へと戻っていることになるからである。さらに『エンキリディオン』の第五教則は、ASD版で三十七頁に及ぶもっとも多くの頁が割かれた章であるが、この章は明らかにプラトン主義を基調として書かれており、その結論部分はとりわけそうである51。第五教則の分量と構成の仕方を考えれば、その意義を単なるたたき台へと矮小化することには無理がないだろうか。

ディアリーの解釈に内在する問題はおそらく、エラスムスが伝統的なテクストから借用してきたすべての要素を、「二者択一型」か「二者両立型」かという視点に基づいてストア主義による読み替えの対象に還元することで、それぞれの要素が本来有していたエラスムスにとっての価値を著しく引き下げてしまう点にある。エラスムスがアパテイアを否定しているにもかかわらず、そのことが後期ストア主義の感情理論の発展として理解され52、大枠においてはエラスムスがストア主義に留まっていたと解釈されるのも、「二者両立型」という思考の枠組みに基づいてのことである。この点に関して、カーク・エッサリーはディアリーをつぎのように批判している。「〔ディアリーの〕この著作はエラスムスの強固なストア主義に固執するあまりに、一方的な印象を与えており、それゆえに、エラスムスが自身の著作のなかでユニークに受け止め、変容させ、体現することのできた無数の影響に対する理解が欠けている」53。また、ハン・ファン・ルーラーはディアリーの議論を受けてつぎのように述べている。「もしわたしがキケロにラベル付けをするように求められたならば、エラスムスをそう呼ぶであろうように、折衷主義哲学者と呼ぶだろう。ただし、折衷主義といってもそれにはさまざまな形態があることを理解しておく必要がある。キケロの折衷主義は、道徳哲学における新しい立場を打ち出すために、諸学派から選び出した特定の諸要素を組み合わせている。これに対して、エラスムスの折衷主義が提示しているのは、新約聖書の見解に照らして哲学の諸々の主張を読み解くという統合的な手法に基づいて、それらをまとめることである。エラスムスの道徳哲学に関するディアリーの分析は新たな基準を打ち立てたが、少なくとも今のところは、エラスムスが折衷主義者であるとともに、哲学においてはなによりもプラトン主義者であったというわたし自身の考えを捨て去る理由は見当たらない」54。

53 Kirk Essary, “The Stoic Origins of Erasmus’ Philosophy of Christ, by Ross Dealy”, Erasmus Studies, 39-1, 2019,p. 119.

54 Han van Ruler, “The Stoic Origins of Erasmus’ Philosophy of Christ. Ross Dealy”, Renaissance Quarterly, 71-4, 2018, p. 1446.

55 Anita Traninger, “Erasmus and the Philosophers”, in Eric MacPhail(ed.), A Companion to Erasmus, Brill, 2023, pp. 66-67.ディアリーの解釈では、レトリックの役割が完全にストア主義哲学への従属的な位置に置かれているため、エラスムス研究に欠かすことのできない新約聖書に関するエラスムスの仕事については、ディアリーの方法からアプローチすることは困難であるように思われる。

こうした批判はたしかに的を射ているように思われる。だが、それにもかかわらず、ディアリーが従来のエラスムス研究においてまったくと言ってよいほど注目されることのなかったストア主義の影響と、エラスムス自身の経験という重要な側面に光を当てたことは重く受け止めなければならない。本稿はとくに、エラスムスの経験を解釈の基盤に据えるというディアリーの方法に全面的に同意する。しかし、ストア主義の思考枠組みによってエラスムスを解釈するという視点とは距離を取る。やはり、エラスムスは哲学においては折衷主義者だったのであろう。エラスムスの古典テクストに対するアプローチは文献学的で修辞学的であり、それを利用する方法もまた、構成上の厳密な首尾一貫性というよりは収集と編纂の精神によって裏打ちされていた55。

『エンキリディオン』の解釈において重要なのは、エラスムスがストア主義者であったかどうかということよりも、彼がプラトン的・パウロ的な霊肉二元論に善悪無記な人間の本性という考え方を接続したことである。この本性の捉え方こそ、『煩いについて』と『エンキリディオン』を通じてもっとも一貫して維持されているエラスムスの主張なのである。さまざまな要素やテーマが混在し、全体が緩やかなつながりによって構成されている『エンキリディオン』を解釈するうえで、このことは決定的な導きの糸となる。しかし、善悪無記という考え方そのものは、エラスムスが一から生み出したものではなかった。この考え方は、もともとはストア主義に由来する概念であり、それはさらにキリスト教神学の歴史においても長い伝統を有していたのである。しかし、エラスムスがこのような概念を利用したことにはたしかな理由があった。以下では、この概念の思想的系譜を簡単にたどり、ついでエラスムスの経験的側面について少し視点を変えてもう一度検討してみよう。

3.善悪無記の思想的系譜

古代において善悪無記(adiaphoron, indifferens)という概念を発展させたのは、ストア派の哲学者たちであった。その発展の契機は、幸福がどのように達成されるのかという古代哲学上の主要問題である。ジュリア・アナスが指摘しているように、ストア派が独自の学説を構築する起点となったのは、アリストテレス(あるいはペリパトス派)による幸福学説が根本的に間違っているという認識であった56。アリストテレスは幸福のためには徳だけでなく外的な種々の善が必要であると論じていた57。ところがストア派は、こうした主張が徳の価値とその他の事物の価値とのあいだに存在する根本的な違いを認識しそこなった結果に過ぎないと考えていた。アリストテレスの学説が間違っていると論じるうえでストア派が立てたのは、幸福のためには徳だけで十分であり、究極の目的には外的な善が必要でないという学説である58。この二つの学説の鋭い対照は、アリストテレスとストア派の違いとしてよく指摘されている59。

56 Julia Annas, The Morality of Happiness, Oxford University Press, 1995, p. 392.

57 アリストテレス(高田三郎訳)『ニコマコス倫理学』岩波書店、1971年、39頁。

58 Annas, op. cit., p. 392.

59 たとえばキケロは『善と悪の究極について』三巻で、ストア派の小カトーにつぎのように言わせていた。「ストア派とペリパトス派とのあいだの相違は言葉よりも事実に関わる方がはるかに大きいと私は断言しますが、その理由は言うまでもなく、ペリパトス派の方は、彼らが善いものと呼んでいるあらゆる事物が幸福に生きることに関係すると主張しているのに対して、われわれの学派は、何らかの評価に値するもののすべてが幸福な生を満たすわけではないと考えるからです」。キケロー(永田康昭・岩崎務・兼利琢也訳)「善と悪の究極について」『キケロー選集10』岩波書店、2000年、邦訳190 頁。

とはいえ、ストア派はアリストテレスが外的な善と呼ぶところのものにもなんらかの価値(axia)があることは認めていた。この点が重要なのだが、ストア派はこうした価値を区別するために一連の専門用語を導入した。この価値の領域こそが善悪無記の領域である。善悪無記なものはそれ自体では「善」(agathon, bonum)や「悪」(kakon, malum)といった道徳的な価値からは明確に区別されているが、それでも「優先されるもの」(proegmena)、「斥けられるもの」(apoproegmena)、「どちらでもないもの」という三つの基準によって分類される60。善悪無記なものにいかなる価値も認めなかったアリストンとは異なり、正統ストア派は善悪無記なものにもなんらかの価値があることを認めていた。というのも、もし徳のほかにはまったく価値がなく、善悪無記なもののあいだにいかなる違いも存在しないというのであれば、日常生活においてなんらかの選択を行使すること自体が根本的に不可能になってしまうからである61。周知のようにアリストテレスは中庸を徳と考えたが、ストア派にとって善悪無記なものは徳からはっきりと切り離されている。このような考え方が、キケロの『義務について』の主題でもある「ふさわしい行為」(kathekon)の基盤となった。

60「優先されるもの」に含まれるのはたとえば、「良い素質」、「生命」、「健康」、「親」、「子供」、「財産」、「名誉」、「生まれのよさ」などであり、「斥けられるもの」に含まれるのは、「素質のなさ」、「未熟さ」、「死」、「病気」、「病弱」、「貧困」、「不名誉」、「生まれの卑しさ」などである。クリュシッポス(中川純男・山口義久訳)『初期ストア派断片集4』京都大学学術出版会、2005年、86-87、91-92頁。

61 キケロー「善と悪の究極について」169、194頁。

62 クリュシッポス『初期ストア派断片集4』、320頁;キケロー「善と悪の究極について」、174-175、200頁。

63 ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳)『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波書店、1989年、288頁;キケロー「善と悪の究極について」、198-199頁;キケロー(中務哲郎訳・高橋宏幸訳)「義務について」『キケロー選集9』岩波書店、1999年、132頁。

64 兼利、前掲書、166-167頁;Tsekourakis, op. cit, pp. 38-40;ディオゲネス『ギリシア哲学者列伝(中)』、288-289頁。

65 キケロはつぎのように述べている。「ふさわしい行為とは、善のうちにもその反対のもの

つまり、「ふさわしい行為」とは、この善悪無記なものの領域における「自然に即したもの」(ta kata phusin, secundum naturam)の選択にほかならない62。「ふさわしい行為」の特徴として重要なのは、それがかかわるのはあくまでも善悪とは無関係な相対的な価値の領域であって、行為の判断基準は人間の自然本性にかなっているかどうかということである。このことの表現としてストア派は、「ふさわしい行為」を「その行為がなされたときに、理にかなった弁明をなすことができるもの」と定義したのであった63。ところが、「ふさわしい行為」にかかわる「自然に即したもの」はあまりにも広い事柄を包含しているために、この行為の内実はかなり複雑なものとなっている。つまり、「ふさわしい行為」は自己保存に発し、健康や財産、名誉などを獲得することから、両親や兄弟や祖国を敬うとか、友人と仲良くするといった日常道徳的な内容にまで及ぶのである64。一般に日常道徳にかかわると思われる行為までもが善悪無記と規定されていることに違和感があるかもしれないが、ストア派はこうした行為を道徳とは無関係であるとして厳密に区別した65。健康であることはある一定のうちにも置かれない、中間的なものであるということが理解されます。また、以下の仕方でも導かれます。すなわち、徳のうちにも悪徳のうちにもない事柄の中にも、役に立ちうる何らかのものが存在する以上は、そうしたものは無視されてはならない。さらにその種の行為もまた存在する」。キケロー「善と悪の究極について」、199頁。

66 アレクサンドリアのクレメンス(秋山学訳)『ストロマテイス(綴織)I』教文館、2018年、212頁。

67 Bernard J.Verkamp, The indifferent mean: adiaphorism in the English Reformation to 1554,Ohio University Press, Wayne State University Press, 1977, p. 22.

68 この問題についてはつぎの研究を参照。L.Wm. Countryman, The rich Christian in the church of the early empire: contradictions and accomodations, Edwin Mellen Press, 1980.

69 アレクサンドリアのクレメンス(秋山学訳)「救われる富者とは誰であるか」『パイダゴーゴス(訓導者)他』教文館、2022年、503頁。

70 クレメンス「救われる富者とは誰であるか」、508-509頁。

71 「総じて食物は何であれ、忌避すべきではなく、そのことに神経質になってはならない。むしろキリスト教徒に相応しく、供されたものには与かるべきである。交際が無害で忌まわしくないように継続され交わりを保つべく、招待主を重んじつつ、供されるものの豪勢さに関しては、これを善悪無記と考え、ご馳走に関しては、ほどなく無に帰すものと軽んじるべきの価値を有してはいるが、それは道徳的な価値ではない。また一般に、富んでいることは貧困であることよりも好ましいが、富んでいること自体はその人の道徳的な卓越性をなんら示すものではない。このような善悪無記なものにかかわる「ふさわしい行為」に対して、ストア派は善にかかわる行為として「正しい行為」(katorthoma)を規定したのである。

注目すべきことに、こうしたストア派の倫理学説はキリスト教思想家によってさまざまな形で受容された。古代教父から近世の神学者に至るまで、善悪無記という概念は幅広く用いられている。たとえば、アレクサンドリアのクレメンスは『ストロマテイス』において、明らかにストア派の議論を念頭に置きつつ、善悪無記(adiaphora)の問題系に属する事柄として、富、貧困、名誉、不名誉、健康、病気、生命、死、苦痛、快楽を挙げている66。クレメンスはおそらく正統派の教父としてこの概念を用いた最初の人であった67。彼は特に、キリスト教における富と救いの関係の問題を扱うに際して、この概念に大いに依拠している68。クレメンスによれば、富とはそれ自体においては善悪無記であって、もし正しく用いる術を心得ているのであれば打ち捨てられるべきではない。富は思慮、節制、敬虔をもって扱われるならば有益であり、富そのものが害を及ぼすことはないからである69。「善悪どちらにでも成しうる財を美しく適切に用い、永遠の生命に向けて出発することができる術を学ぶならば」、キリスト者は貧しくかつ富める者になることができる70。クレメンスはさらにこの概念を食物にも適用した。彼は人びとの交際を重視する視座から、なにを食べるかということはキリスト者にとって善悪無記な事柄であると述べているべきであるというのである」。アレクサンドリアのクレメンス(秋山学訳)「パイダゴーゴス」『パイダゴーゴス(訓導者)他』教文館、2022年、93頁。

72 「存在するもの、あるいは行われることは皆、善であるか、悪であるか、そのどちらにもつかないもの(indifferentia)であるかのいずれかです」。オリゲネス(小高毅訳)『ローマの信徒への手紙注解』創文社、1990年、268頁。

73 日本聖書協会『聖書新共同訳』1987,1988年、294頁。

74 「兄弟の向上に役立つなら、食べるべきです。しかし、それによって神の業が増大しないのであれば、食べてはなりません。それによって兄弟が信仰へと進むのであれば、飲むべきです。しかし、それによって兄弟が信仰の上で損害を受けたり、あなたが愛の被害を被ったりするのであれば、飲んではなりません」。オリゲネス『ローマの信徒への手紙注解』、649頁。

75 アウグスティヌス(熊谷賢二訳)『主の山上のことば』創文社、1970年、260-261頁。

76 Verkamp, op. cit., p. 22;たとえば、働きだけを考えれば、他人の財から手を引くことは正義に適っているように見える。しかし、その目的が争いによって金銭が失われないためであるとすれば、それは真の正義に適っていると考えることはできない。このように、ある働きが善であるかどうかは、その目的と切り離すことができないのである。アウグスティヌス(金子晴勇訳)「ユリアヌス駁論」『ペラギウス派駁論集(4)』教文館、2002年、211頁。

77 Verkamp, op. cit., p. 22. “Sane hoc advertendum, quod quaedam sunt pura bona : quaedam pura mala, et in his nullam deberi hominibus obedientiam : quoniam nec illa omittenda sunt, etiam cum prohibentur ; nec ista, vel eum jubentur, commitenda. Porro inter haec sunt media

エラスムスに少なからぬ影響を与えたと考えられているオリゲネスもまたこのストア派の概念に言及しており72、ロマ書14章21節にある「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい」73というパウロの言葉を解釈するに当たってそれを用いている。つまり、パウロがこの言葉によって実際に教えているのは、オリゲネスによれば、肉を食べたりぶどう酒を飲んだりすることがそれ自体では善悪無記(indifferens)な事柄であって、こうした行為は兄弟の信仰に役立つか否かによって判断されるべきだというのである74。アウグスティヌスもまた『主の山上のことば』において、食物に関する問題を扱った際に、どんな食物でも善意と単純な心をもって食すことが可能であるとして、善意をもっても悪意をもってもおこない得るあいまいな行為があると指摘している75。こうした行為はそれがおこなわれる意図こそが重要である。このことは、アウグスティヌスが働き(officium)と目的(finis)を区別していることとも結びつく。中世においても、善悪無記という概念は使用され続けたが、その範囲をどのように取るかは論者によって大きく異なっていた。たとえば、クレルヴォーのベルナールは、状況、場所、時間、役割に応じて善にも悪にもなりうる「中間のもの」(media quaedam)が存在すると主張している77。善悪無記の領域を最大にまで拡げたのはアベラールであった。彼は「quaedam, quae pro modo, loco, tempore velpersona, et mala possunt esse, et bona : et in his lex posita est obedientiae, tanquam in ligno scientiae boni et mali, quod erat in medio paradisi.” Ep. VII, 4, PL 182, p. 95.

78 Verkamp, op. cit., p. 22; アベラールの意図主義的倫理学についてはつぎの論文を参照。Peter King,”Abelard’sIntentionalist Ethics”, The Modern Schoolman, 72, 1995, pp. 213-231;「行為というものは、実際、偽善者にも信仰篤い者にも共通なのだが、このような行為というものはすべてそれ自体において無差別であり、行為者の意図を元にしなければ、善い、あるいは悪いと言われるべきではない」。ペトルス・アベラルドゥス(大道敏子訳)「倫理学」上智大学中世思想研究所編訳『前期スコラ学中世思想原典集成7』平凡社、1996年、555-556頁。

79 エラスムスはこれほどに極端ではなかったが、アベラールはいくつかの点でエラスムスの考え方に似ている。たとえば、アベラールは人間の欠陥を自然本性と考え、それをむしろ「闘いの事由」(pugnae materia)と捉えていた。アベラルドゥス「倫理学」、530頁。

80 アベラルドゥス「倫理学」、557頁。

81 アベラルドゥス「倫理学」、542頁。

82 Verkamp, op. cit., pp. 23-24; トマス・アクィナス(高田三郎・村上武子訳)『神学大全』9巻、創文社、1996年、387-391頁。

人間のあらゆる行為は意図を抜きにすれば、善悪無記であると考えた78。アベラールの考え方は非常に明快で、彼にとっては同意と意図こそが道徳的価値のすべてである79。彼が挙げている例は興味深い。貧民救済のための施設を建てる心づもりの人物が二人いたとする。一人は実際にその行為を全うしたが、もう一人は自分の咎のためではなく、他人に金銭を奪われてしまったがゆえに、当初の志を全うすることができなかった。この場合でも、神はこの二人の報酬に差をつけることはないであろう。なぜなら、もし前者の方が後者よりも神の前で価値ある者と見なされるのであれば、富が人を善くすることとなり、人は豊かであるほど善人になることができるという考えに帰結するからである80。そのため、外的な行為が魂を善くしたり悪くしたりすることはない。「どのような行為の遂行も罪の重さには関わらず、魂に属するもの以外は何も魂を汚さない。魂を汚すのは、われわれが唯一罪であると言ったところの同意であり、同意に先行する欲求でも、また同意に後続する行為の実行でもない」81。アベラールが善悪無記の領域を最大にまで拡げた一方で、トマス・アクィナスはこの領域を著しく狭めている。彼は善悪無記な行為を、ストア派であれば「優先されるもの」とも「斥けられるもの」とも考えなかったであろうような具体的な行為に結びつけた。それはたとえば、地面のゴミを拾うとか、野に出るとか、髭を撫するとか、手足を動かすといった行為である82。

このように、善悪無記という概念は古代以来さまざまなキリスト教思想家によって受容され、場合によってはアベラールのように神学思想のなかできわめて重要な位置づけが与えられることもあった。とりわけ注目すべきは、中世後期に至って、この概念がキリスト教思想史上のある重要な潮流と結びついたことであろう。それは、古代から中世を通じて教会法や儀礼の数が次第に増加し、それらの拘束力が強まるなかで、キリスト教徒に課されるくびきを軽減しようとする動きがさまざまな思想的潮流のなかで生じたことである83。バーナード・ヴァーカンプはこの経緯をつぎのように説明している。「やがて、新しい敬虔、人文主義、信仰義認、聖書のみの立場の主要な論者たちは、信仰、聖書、内面性、古さなどを新たに強調するという文脈のなかで、伝統的な儀式や法律をどのように扱うべきか、よりはっきりと正確に説明する必要に迫られた。この目的のために、ほとんどの人が最終的にはアディアフォリズムの理論を取り入れるようになった。イギリスの初期の改革者たちの大多数もこれに倣った。これらの改革者たちは、キリスト教徒が「耐え難いくびき」から解放される最善の方法は、アディアフォラの方向性で儀式を評価させることだと考えたのである」84。こうした多くの改革者たちのなかに、エラスムスと、そしてルターがいた。興味深いことに、ルターもまた善悪無記という概念を利用したのである。

83 Verkamp, op. cit., p. 13.

84 Verkamp, op. cit., pp. 14-15.

85 Bernard J. Verkamp,”The Limits upon Adiaphoristic Freedom: Luther and Melanchthon”,Theological Studies, 36-1, 1975, p. 57.

それはルターの死後、彼の立場を引き継いだメランヒトンによってアディアフォラ論争が戦われたほどに、同時代の信仰の在り方において重要な問題となっていた。善悪無記にかんするルターの見解は一見するとエラスムスの主張とさほど違わぬようにさえ見える。しかし、そこに行きつくまでの過程はまったく異なっていた。雷雨の体験を経て自ら修道士になることを決意しエルフルトの修道院の門を叩いたルターは、厳しい戒律を遵守し欠点のない修道士としての生活を送ろうとした。しかし、それにもかかわらず彼はつねに良心の不安を抱えていた。それは彼が戒律を遵守することができなかったからではない。自分が救われたいと欲しておこなわれる行為の動機そのものが、彼には根源的に罪に染まっているように思われたのである。やがてルターはいわゆる塔の体験を経て、人間の罪と神の義についての新しい認識に到達し、功績による救いという考え方から百八十度の転回を経験する。キリスト者は律法の束縛から自由である。隣人を自らの救済の道具としてもはや利用する必要はないのだ。しかし、罪人としての自覚のもとに自らをキリストに委ねた信徒は、新約聖書に記された神の律法には従わなければならない。ここにおいて隣人への愛は、もはや功績を得るためではなく、キリストにすべてを信頼した人の奉仕として、純粋に利他的に表現されることになる85。ヴァーカンプによれば、ルターが考えていた善悪無記の領域は、聖書に記された命令や禁止がキリスト教徒の生活のすべてをカバーするわけではないという認識から生じたという86。聖書が指示を与えていない領域が存在する。こうして、ルターにおいては、善悪無記の領域が功績からも聖書の命令や禁止からも切り離された自由な領域としてキリスト者に確保されることになった。

86 Ibid, p. 63.

87 このことは、初期の宗教改革の展開における大事件である、エラスムスとルターの決裂の理由を理解することにも関わる。

88 Ep. 447, Allen 2, pp. 302-303, CWE 4, pp. 19-20.

89 Dealy, op. cit., p. 95.

エラスムスの場合には、「耐え難いくびき」がまさに彼自身の実存的な問題を構成していたために、善悪無記の理論は、そうした問題を解決し得る手段として一度彼自身の経験と深く結びつき、そこからさらにキリスト者の生活全般を改革するというプログラムにまで発展した。その転換点となったのが『エンキリディオン』なのである。ルターとの対比のなかで伝統的に描かれるエラスムスの姿には、理性的ではあるものの、概してどっちつかずの冷たい人物であるといった感がある。エラスムスの言葉が経験的な基盤を抜きにして理解されるならば、そこに切実なものを感じ取ることは難しい。以下では、今一度エラスムスの経験について、今度はルターとの比較も交えながら検討してみよう87。

4.自然本性と善悪無記

エラスムス本人の証言によれば、彼の身体は生まれつき脆弱で、断食に耐えることができなかった。徹夜の祈祷にも持ちこたえることができない。睡眠障害を持ち、体が受け付ける食物にも限りがあった。こうした「繊細な精神」と「珍しい身体的特徴」を備えていたにもかかわらず、彼は自らの意に反して修道院に送られることになった88。生まれつきの脆弱な本性にも、なかば無理やり修道士にさせられたことにも、そして聖職者の私生児として生まれたということにも自分はなんら道徳的責任を負っていないはずだ。エラスムスはそのように深く信じたのである89。このことはやがてルターとの決定的な論争の争点となる自由意志の問題ともけっして無関係ではなかった。

ルター批判として書かれた『自由意志論』のなかに、つぎのような記述があるのは注目に値する。「主人が、奴隷が背が低いとか、鼻が高すぎるとか、さもなければ姿があんまりよくないという理由で、彼を革紐でむち打ったとしたら、だれしもこの主人は残酷で不公平な人物だと判断するであろう。この奴隷がむち打つ主人に対して、「どうして私にどうにもな.....らぬことのために........、私を罰しなさるのですか」と不平を述べても、当然ではなかろうか。ことに私たちの意志をかえることが神のみ手のうちにあるように、主人が奴隷の身体的欠陥を矯正する力をその手中にもっているとしたら、あるいはまた、神がいっさいの悪までも私23

たちのうちに働きたもうとある人々が考えているように、主人が腹を立てている奴隷の欠陥そのものが、主人自身が鼻を切り落とすとか傷痕で醜くするとかして、奴隷に加えた傷害であったとしたら、奴隷の言い分はいっそう当然だと言えよう」90(傍点は筆者による)。

90 エラスムス(山内宣訳)『評論「自由意志」』聖文舎、1977年、80頁。

91 Ep. 447, Allen 2, p. 311; CWE 4, pp. 30-31.

このような発言をエラスムスの自伝的書簡のなかで語られていることと比べてみよう。教皇からの特免を得るために1516年に書かれた書簡のなかで、エラスムスは修道院生活に自分を縛りつけようとする者をつぎのように批判する。「ある人がラバに蹴られたせいで足が折れたとしましょう。足が不自由であることを理由にその人を責めるほど野蛮な人がいるでしょうか。戦いのさなかに敵に片目をえぐり出されたとしたら、片目しかないということでだれがその人を責めるでしょう。もし生まれつきそうであったのなら..............、だれがその人をてんかんやハンセン病のゆえに嘲笑するでしょう。あるいは、船が難破して荷物をすべて失った人を、だれが貧乏だとあざ笑うでしょう。真の人間は、そのような不幸な人びとに同情し、彼らがよくなることを願い、できることならば助けてあげたいと思うものです。そして、その障害が大きいほど、同情も大きくなるのです。このような生活に追い込まれること以上に、若者に降りかかる大きな不幸があるでしょうか。災難として降りかかったのに、それを...あたかも罪であるかのように人に突きつけること......................がきわめて非人間的であるとすれば、自分の過ちによって招いた災難のゆえに他人を嘲笑う人はどうでしょう。たとえば、やぶ医者が、自分の不手際のせいで片目をつぶした人を片目と呼んで侮辱するとしたら。あるいは、海賊がある人を奴隷として放り込んだのに、その人を奴隷であることを理由にあざ笑うとしたら。自分が犯した過ちの罪を他人に着せるとは、きっとだれもが厚顔無恥なふるまいとみなすことでしょう。彼らがしていることはこのことに他ならないのです。彼らは若く未熟な人に、忌まわしい業を課し、自分たちの罪を他人に押し付けているのです」91(傍点は筆者による)。

ルターを批判する論理と、修道士たちを批判する論理とが驚くほど重なり合っていることがわかるだろう。必然的であることに悪を帰し得ないというのは、『自由意志論』全体で幾度も繰り返される主張である。エラスムスがルターを理解しなかった経験の核はここにこそ求めることができる。生まれつきの本性からして不可能であるにもかかわらず、修道院での厳しい生活を自らの意に反して強制され、そうした生活に失敗したと責められること。それは、自らの自由な意志による非でないにもかかわらず、悪しか成し得ないようにされた人が、その悪ゆえに罰されることと違いはない。彼は自分の意志ではないことの責任を負わされることに苦しまねばならなかった。その罪を認めるということは、彼の社会的な名声だけではなく、またもっと根本的には信仰の次元においても、自らが不敬虔な修道士であると認めることを意味した。エラスムスとルターはともに、まったく異なる形においてではあるが、自らが善をおこなうことができないという困難に直面したと言ってもよいだろう。しかし、エラスムスが苦しんだのは、人間一般の自由意志が損なわれているからではなく、むしろ彼自身に自由な意志の余地があまりにも欠けていると思われたからであった。彼は自らの自由な意志が確保できる場所を探し求めなければならなかったのである。エラスムスの信仰が著しく内面化したのはその帰結である。善悪無記という概念は、この問題を解決する突破口となった。

エラスムスは自分の気質が非常に特殊なものであることを強く自覚していた。彼が救いを見出すことができたのは、人間の本性は生まれながらにしてなるものであるという事実を認識し、各人によって異なるその本性と信仰の在り方との関係に真摯に向き合い、そうした本性そのものを善悪無記と捉えるに至ったからである。そこから彼はさらに行為そのものの道徳的価値をも人間の本性を基準として判断するようになった。つまり、強靭な気質に支えられて断食を完璧に実践できるということは、それだけではなんらすぐれたことを意味しない。また脆弱な気質ゆえに断食ができないとしても恥ずべきではない。その断食が神のためにおこなわれるのであれば霊的である。しかし、食べていたとしてもそれが神のためになることを意図しているのであればおなじく霊的であり得る。人間の本性を善悪無記と規定することで、道徳的価値の基準は著しく内面化されていった。しかし、このことがエラスムスに自由を与えたのである。

この善悪無記な人間の本性についての正しい知識を持つことこそが、『エンキリディオン』において提示された生活術の要である。『エンキリディオン』の内容をくわしく見ていこう。エラスムスはつぎのように述べている。「あなたは両親を尊敬し、兄弟を愛し、子供たちを愛し、友人を尊重しているとします。これらを行なわないことは罪ですが、これらすべてを行ったからといってそれほど功績があるわけでもないのです。異邦人が自然の本能(naturae instinctu)により行い、家畜でも行っていることを、あなたはキリスト教徒としてどうして実行すべきでないのですか。自然本性に属していることは功績として数えられません(Quod naturae est, non imputantur ad meritum)」92。善悪無記な自然本性にしたがってなされた行為に道徳的価値はほとんどない。魂を霊に向けて高めるために必要なのは、霊に属することと善悪無記な自然本性を混同しないようにつねに警戒することである93。エラスムスは裁判官の喩えを持ち出すことによってこのことを説明する94。ある裁判官が生まれつきの冷酷さに従って(seruitque rigori cuidam genuino)、心の痛みをまったく感じることなく罪人に対して厳格な判決を下したとする。この人がしていることは中間的(medium)である。もしこの裁判官が自分のために法を悪用したとすれば、この人がしていることは肉的である。しかし、もしこの裁判官が心に大きな悲しみを感じ、父が最愛の息子を切開するような心持ちで厳格な判決を下すとしたら、この行為だけが霊的なのである。

92 ASD 5-8, p. 156;金子訳「エンキリディオン」、59頁。

93 「あなた自身をこういう仕方で賢く点検する習慣を身につけなさい。というのは自然本性に属するものをときおり何か絶対的な敬虔と考える人たちの誤謬は大きいのですから」。金子訳「エンキリディオン」、60頁。

94 ASD 5-8, p. 156;CWE66, p. 53; 金子訳「エンキリディオン」、60頁。25

この箇所はさらにつぎのように続く。「たいていの人は自然の傾向性(propensione naturae)と独自の気質(ingenii proprietate)にしたがってある事物を喜んだり、あるいは嫌ったりしています。性的快楽によってすこしも刺激されない人たちもいます。善悪無記(indifferens)なるものをただちに徳性として自分のものとしてはなりません。性欲を欠いていることではなくて、それに打ち勝つことが徳性に属しているのです」95。この記述と『煩いについて』におけるフォキオンやソクラテスの描写につながりがあることは明らかだろう。つまり、死に直面した彼らが恐怖をまったく感じることがなかったのは、美徳や精神的気質のためではなく、彼らがただ稀な身体的気質を有していたからに過ぎない。恐怖の有無という視点からは、ある人の道徳的価値を判断することはできないのである。性欲を欠いているという状態もこれとまったくおなじように考えることができる。むしろ、性欲を持っている人のほうが、霊性の実現という観点からすれば、より積極的な価値が与えられていると言うこともできるのである。『煩いについて』において、エラスムスが「自らの過ちによるのではない自然の困難は、徳を積むための素材と機会を増やしてくれます」と述べていたことが思い出される96。

95 ASD 5-8, p. 156;CWE66, p. 53; 金子訳「エンキリディオン」、60頁。訳文には変更を加えた。

96 LB 5, p. 1275; CWE 70, p. 35.

97 ASD V-8, p. 156; CWE 66, p. 53;金子訳「エンキリディオン」、60-61頁。

この箇所に続く形で、エラスムスはさらにつぎのように述べている。「他の人は断食することや、ミサに出席することや、いつも礼拝堂にいることや、できるかぎり多くの詩篇を唱えることに喜びを見出していますが、それは霊においてなのです。この規則にのっとって彼の行っていることを吟味しなさい。もし彼が自分の評判と利益を目指しているならば、霊ではなく肉のにおいがただよっています。もし彼が自分の気質(ingenio suo)にのみ従って、自分の心に気に入ったものをなすならば、それは大いに満足できる理由をもつのではなく、かえって彼が恐れなければならないものをもつことになります」97。この箇所はとりわけ重要である。裁判官の心情や性欲の有無といった事柄が各人の気質の問題と結びつくことは容易に理解できよう。しかし、断食やミサや詩編の誦詠といった事柄をなぜ各人の気質と結びつけて語らなければならないのかは、この箇所の記述からだけではまったく明瞭ではない。この論理を理解するためには、その脆弱な本性ゆえにこれらを実行することが困難であったというエラスムス自身の気質を念頭に置かなければならない。エラスムスはここでこの自分の気質を裏返しにして語っているのである。つまり、生まれつき強靭な気質を備えた人が、これらのことを容易に実行できたとしても、そのような行為は霊的であることをただちに意味するわけではないのだ。むしろ、エラスムスによれば、このような状態は危険でさえある。なぜなら、「あなたにとって危険なのは、あなたが祈っていて、祈っていない人を裁くことです。あなたが断食していて、食事をしている兄弟を非難することです。あなたが行っていることをなしていないすべての人よりも、あなたの方がより良いのだと思っていないでしょうか」98。これこそまさに、エラスムスが自身の経験において耐えがたかったことである。『エンキリディオン』の目的は、このような「誤り」を正し、各人の生まれながらの本性と向き合うことにより、真の霊性に到達するための方法を示すことであった。

98 金子訳「エンキリディオン」、61頁。

99 Dealy,op. cit., p. 278.

100 「自分自身を知るということは、すでに前六世紀以来、ギリシア人にとって道徳的な重みをもっていた思想であるが、パナイティオスはそれを、「適切さ」の基準として導入した。われわれは、人間の一般的な自然にも、われわれに固有の自然にも適った仕方で行為すべきである」。A・A・ロング(金山弥平訳)『ヘレニズム哲学』京都大学学術出版会、2003年、325頁。

101 「魂が自分自身を知るためには二つの認識方法があるようです。自分自身が何であるか、どのように感動しているか、つまり本性としては何を保持し、性向としては何を保持しているか〔を知ることです〕」。オリゲネス(小高毅訳)『雅歌注解・講話』創文社、1982年、120頁。

102 Pierre Hadot, “Exercices spirituels antiqueset «philosophie chrétienne »”, Exercices spirituels et philosophie antique, Études augustiniennes, 1993 (3e éd), p. 68.

5.生活様式の自由―「汝自身を知れ」

したがって、魂が肉を避け霊に向かうためには、自分の本性と行為がおこなわれるときの心情を正しく認識することが不可欠である。『エンキリディオン』に「汝自身を知れ」(nosce teipsum, temetipsum noris)という教則が登場するのはそのためである。ディアリーは、エラスムスの念頭にあったのはソクラテスであるだろうが、この考えはストア主義の枠組みで使われていると指摘している99。つまり、自分自身を知ることとは、自らの本性を知ることである100。とはいえ、実際にはエラスムスがオリゲネスを参照していたという可能性も十分に考えられる101。ピエール・アドによれば、オリゲネスの『雅歌注解・講話』のなかに、キリスト教的伝統における最初の自己吟味の実践が見出されるという102。古代哲学における精神的修練(askesis)の伝統を受容し、キリスト教を真の哲学と捉えた初期キリスト教の教父たちに103、エラスムスが影響を受けていたとしても不思議ではない。エラスムスの神学のキーワードは「キリストの哲学」(philosophia Christi)であった。

103 Ibid., pp. 61-62.

104 金子訳「エンキリディオン」、47頁。

105 Ep. 447, Allen 2, p. 302, CWE 4, p. 19.

106 ASD 5-8, p. 186;金子訳「エンキリディオン」、85頁。

107 エラスムスは『格言集』においてこの表現を取り上げており、キケロの『義務について』に言及している。LB 2, p. 44;CWE 31, p. 91.

108 「というのも、本性に抵抗することも、達成できないものを追求することも的外れだからである。このことから適正さとはどのようなものかがいっそう明瞭になる。なぜなら、俗に言う、ミネルウァ女神の意にそぐわぬとき、つまり、本性に反抗し抵抗するとき、適正なものは何一つないからである」。キケロー「義務について」、192頁。

109 De officiis M. T. Ciceronis libri tres, cum D. Erasmi Roterodami annotationes, Ioannem Kyngstonem, 1574, p. 57; Dealy, op. cit., p. 277.

エラスムスはまず自分自身を知ることが、幸福にいたるための唯一の道だと述べる104。自分にふさわしい生活様式を選ぶためには、まず自らの本性を認識しなければならない。エラスムスは、書簡のなかで自身の脆弱な気質について説明した際に、若い頃の彼は「自分自身について無知であり(sui ignarus)、そのようなことについてはなにも考えたことがなかった」と告白している105。『エンキリディオン』を執筆したときのエラスムスにしてみれば、若い頃のこのような在り方では真の幸福に到達することはできないのである。各人がどのような生活様式を選ぶべきかは、自らの本性の正しい認識に結びついている。

たとえば、エラスムスはある人が結婚すべきかどうかについてつぎのような忠告を与える。「自然本性に反する欲求はひかえなければならないし、(ただ誉むべきものであるかぎり)あなたが本性的に傾くものへ心を向けるべきであるということを、想い起こさせるでしょう。たとえば独身生活があなたの生き方にいっそう適しているなら、ご自身を結婚の鎖につないではならないし、それに対し結婚がいっそう有益だとあなたに思われるのでしたら、独身生活の誓いをすべきでないのです。なぜなら、あなたがミネル...ウ.ァの意...に反して....(inuita Minerua)獲得しようとするものは大抵不幸に終わるからです」106(傍点は筆者による)。この箇所がキケロの『義務について』を参照しているのは、「ミネルウァの意に反して」という表現から明らかである107。キケロによれば、徳に反しないかぎりは自分に固有のものを保持すべきであるという。たとえ、他の人の歩む道のりのほうがすぐれているとしても、人は自分の本性を物差しにして生きなければならない108。エラスムスは『義務について』のこの箇所の自身の注解に「むなしく本性と闘うべきではない」(Non frustra cum natura pugnandum)と書き込んでいる109。書簡においても、エラスムスは自らの本性についてつぎのように述べていた。「力ずくでこうした本性を消し去ろうと試みましたが、無駄に終わりました」110。

110 Ep. 447, Allen 2, pp. 302-303, CWE 4, pp. 19-20.

111 柳沼正広訳「エラスムス「セルウァティウス・ロゲルス宛書簡」(1514 年7 月)-翻訳と解題」『創価大学人文論集』21号、2009年、78頁。

112 “Monachatus non est pietas, sed vitae genus, pro suo cuique corporis ingeniique habitu vel vtile vel inutile. Ad quod equidem vt te non adhortor, ita ne dehortor quidem. Hoc modo commoneo, vt pietatem neque in cibo neque in cultu neque in vlla re visibili constituas, sed in iis, quae tradidimus.”ASD 5-8, p. 300;金子訳「エンキリディオン」、183頁。

113 Ep. 447, Allen 2, p. 309; CWE 4, p. 29.

結局のところ、エラスムスの判断基準となっているのは、ある生活様式がその人の本性にふさわしいかどうかという一点である。これは修道院生活と世俗の生活のどちらを選ぶべきかという問いへの回答でもあった。エラスムスのように虚弱な気質の人は、修道院生活ではなく、もっと自分の気質にあった生活を送るべきである。そうした生活様式の選択そのものに道徳的価値があるわけではない。しかし、自分の気質にそぐわない誤った選択をしてしまうと、不幸な結果がもたらされるというだけではなく、最終的には敬虔な生き方そのものが失敗しかねないのである。エラスムスの書簡にはつぎのようにある。「もしいくらか自由な生き方に巡り合っていたなら、私は幸せな者の中にだけでなく、善き者の中にも数えられていたであろうと信じています」111。

これまでに検討してきたエラスムスの考え方の骨子を、もっとも簡潔に表現しているのがつぎの箇所であろう。「修道士の生活は敬虔〔と同義〕ではありません。そうではなくてそれは各人の身体の性質、あるいは才能の性質に応じて有益でも無益でもある生活の仕方なのです。わたしとしてはそれを勧めもしませんが、さりとて思いとどまらせもしません。ただわたしが忠告したいのは、あなたが敬虔を食物の中にも儀式の中にも、また見える事物の中にも基づかせないで、わたしたちが宣べ伝えたことのうちに確立して下さることです」112。修道院生活は数ある選択肢のうちの一つに過ぎず、敬虔の道はけっしてそれだけではない。もしそれが自分の気質にふさわしいのであれば、修道院生活を選ぶことにはなんら問題はないだろう。しかし、このような選択は慎重になされるべきである。エラスムスの書簡によれば、修道院生活の選択はゆっくりと真剣に考えたうえで、十分に歳をとってからなされるべきであって、四十歳を過ぎてからにするのがよいという113。エラスムスの時代には、たとえばルターもそうであったように、なにかふとしたきっかけで修道院入りを決意するということが日常的にあった。しかし、エラスムスにとっては、自分の本性にあった生活様式を選択することが幸福と敬虔に到達するための大前提であるがために、修道院に入るということは自分のことをよく理解したうえで、自由な意志をもって慎重に判断すべき事柄なのである。

修道院生活についてのエラスムスの見解は大きな批判を呼び起こした。たとえばスペインのフランシスコ会士ルイス・デ・カルバハル(Luis de Carvajal, c. 1500-1552)は、1528年に出版した『修道院生活の弁明、エラスムスの駄弁を駁す』(Apologia monasticae religionis diluens nugas Erasmi)において、エラスムスの上記の発言をとりあげてつぎのように批判している。「エラスムスいわく、「修道士の生活は敬虔ではない」。ルターいわく、「修道士の生活は不敬虔である」。あなた〔エラスムス〕は「それが敬虔ではない」と言っておられます。あなたとルターとのあいだにどれほどの一致があるかおわかりでしょうか。しかし、この点においては、あなたはルターよりも有害なのです。なぜなら、あなたの方が先にこの定義を世に公表したからです。そのため、もしあなたが先に、それが敬虔ではないと言わなければ、もしかするとルターもそれが不敬虔だとは言わなかったかもしれません。このような理由から、エラスムスが卵を産み、ルターが雛を孵した、とドイツ人たちは言っているのです」114。カルバハルの指摘は明らかに誤っている。エラスムスは、あくまでも修道士の生活が敬虔とイコールではないと言っているのであって、ルターのように「修道士の生活は不敬虔」だと言っているわけではない。エラスムスはカルバハルの批判に対して、敬虔は言葉や行為や服装のうちにではなく、神への愛と隣人への愛を包含する心情(animi affectus)にこそあるのだと応答した115。

114 “Monachatus, inquit Erasmus, non estpietas. Lutherus ait, Monachatus est impietas. Tu dicis, Non est pietas. Vides quam tibi cum Luthero conueniat? Sed in hoc tu es Luthero pestilentior, quod prior illo finitionem tuam mundo propalasti. Vnde forsan Lutherus nunquam dixisset est impietas, nisi tu prius dixisses, non est pietas. Ob haec & similia Germani dicunt, Erasmus peperit oua: Lutherus exclusit pullos.” Luis de Carvajal, Apologia monasticae religionis diluens nugas Erasmi,Paris, Simon Du Bois, 1529, p. 12.

115 Erika Rummel, Erasmus, Continuum, 2004, p. 43.

116 金子訳「エンキリディオン」、61頁。

敬虔なキリスト者の生活というものは、自分の気質にふさわしいものを選択しつつ、心情においてはつねにキリストを目指している。結婚した人についてエラスムスが挙げている例を最後に見てみよう。妻を単に自分の妻であるという理由だけで愛している人は、なにも偉大なことをしているわけではなく、異教徒たちとおなじことをしているに過ぎない。また快楽のために愛するのであれば、それは魂が肉を目ざしていることになる。そうではなくて、妻のうちにキリストを、敬虔や節制や貞淑のような美徳を認めたからこそ愛する場合には、彼女を彼女自身においてではなくキリストにおいて愛しているのであり、彼女においてキリストを愛しているのである116。エラスムスにとってもっとも重要なことは、「すべてのことがキリストに関わらせられているかどうか」(quod est praecipuum, si omnia ad Chrisum 30 referantur)117であり、このキリスト中心主義が著しく内面化した敬虔の在り方を方向付けることになる。とはいえ、『エンキリディオン』ではまだキリストについての考察そのものが深められているわけではない。その断片のようなものははっきりと見て取ることができるが、エラスムスのキリスト中心主義について理解するには、さらに彼の新約聖書に関する多くの仕事を検討しなければならないだろう。

117 金子訳「エンキリディオン」、27頁。

118 Auer, op. cit., p. 61.

119 金子訳「フォルツ宛書簡」、199頁。

120 William Barker, Erasmus of Rotterdam: the spirit of a scholar, Reaktion Books, 2021,p. 73.

6.おわりに

『エンキリディオン』はさまざまな要素が入り組んだ著作であるが、エラスムスの書簡に描かれた彼自身の経験と『煩いについて』を補助線として読むとき、両者に一貫している要素が浮かび上がってくる。それこそが、各人の本性は善悪無記であるという考え方であった。エラスムスが『エンキリディオン』において、初期の『現世の蔑視』における世界からの逃避を撤回し、世界への開放性を強調したとアウエルが評価しているのは的を射ている118。エラスムスが自らの経験からよく理解していたのは、各人は生まれつきの気質も置かれている状況もまったく異なるという事実であった。キリスト者として良く生きるための鍵は、そうした気質や状況を正しく認識することによって、自分の本性にふさわしい生活を送るところにある。『エンキリディオン』では、このように言ってよければ、一人一人異なる個人の姿がたしかに見据えられているのである。「才能や境遇の相違はまことに大きいものです。[……]それでもなお、良く生きるということはすべての人にとって大切なことなのです」119。

エラスムスの実存的な問題との格闘は、『エンキリディオン』において、キリスト者一般のあるべき生活術に帰結することになった。それとともに重要なのは、この著作が当時広く受け入れられたという事実である。エラスムスの存命中だけでも、チェコ語、ドイツ語、低地ドイツ語、オランダ語、スペイン語、フランス語、イタリア語、英語に翻訳された120。このような人気の理由には、エラスムスがただ有名であったというだけではなく、この著作が時代のニーズに適していたということもおそらくはあったのではないか。

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(2)

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『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(11)

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お勧めのヨガスタジオ

ヨガを定期的にレッスンしたい方や、豊富なバリエーションからヨガピラティスだけで無く、ボクササイズキックボクササイズHIITなどのエクササイズをしたい方には、立川駅徒歩1分、国内唯一の、イタリア溶岩石「バサルティーナ」を使用した、立川溶岩ホットヨガスタジオ「オンザショア」をおすすめしたいと思います。バサルティーナは火山石の中で最も美しい色調と流れがある溶岩石で、古代ローマの時代より建築家に愛されてきました。現在も国内外の有名ブランドや、美術館などにも好まれて利用されています。イタリア中部バーニョレッジョで採掘されるバサルティーナについて、また溶岩石の効果についてより詳しくお知りになりたい方はこちらをどうぞ!

スタジオ名立川エリア唯一の溶岩ホットヨガスタジオ「オンザショア」
住所〒190-0012 東京都立川市曙町2丁目14−10 エトロワビル 3F
TEL042-595-8039
事業内容溶岩ホットヨガ、ピラティス、キックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、バトルロープ、総合格闘技、パーソナルトレーニングなど
特徴50種類の豊富なレッスンと早朝から深夜まで開催しているヨガのレッスンなど
対応エリア立川、西国分寺、国分寺、国立、昭島、東大和、日野、青梅、あきる野、府中、武蔵村山、福生、羽村、八王子など
定休日年中無休
URLhttps://ontheshore.jp/

立川エリアで唯一の熔岩ホットヨガスタジオ「オンザショア」でアナタも今日からヨガを始めてみませんか?

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立川ヨガ 立川エリア唯一の溶岩ホットヨガスタジオ「オンザショア」

海辺でヨガをする女性 立川発イタリア溶岩ホットヨガピラティス専門スタジオontheshore
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