Alfred Schützと思想史・学説史としての意義
Alfred Schütz(アルフレッド・シュッツ)は、社会学理論においては、「現象学的社会学」を創始した人物として名高い。ただ、その彼の「現象学的」な社会学という方法・姿勢は、P・L・バーガーのような知識社会学、ガーフィンケルに端をなすエスノメソドロジー、そして直接の弟子であるM・ナタンソンやWagnerに引き継がれているが、「中途半端な理論」であると批判に浴することも多い。その理由の一つに、彼が、社会学の対象である事象に、換言してしまえば、社会の中に存在する「他者」という存在とその現象に、根源的に接近するために生涯一貫して「現象学的な」、哲学的な理論的基盤を与えようとしていたということが理解されていないということがあげられるだろう。
(シュッツは、1899年にウィーンで誕生した.その後軍隊生活を終え、大学の法学部へ入学、その後銀行員となる。思索活動を始めた後も、「昼は銀行員、夜は学者」という興味深い経歴の持ち主であった。この二足の草鞋ともいえる彼の思索および人生の遍歴は、独特の観点、体験の世界と哲学的形而上の世界の往復を可能にしたとも考えられるだろう。
シュッツの思想は、W・ジェームズ、M・シェーラー、G・ライプニッツ、H・ベルクソン、E・フッサールの哲学とM・ヴェーバーの社会学と大きな関わりを持っている。(Wagner 1983)ウェーバーの理解社会学とフッサールの現象学、そしてベルクソンの哲学を複合的に用いた彼の研究手法は「中途半端」であるという批判を受けることもある。しかし、かれが求めた「日常世界」なかでの「意味」や「汝―我関係」、「身体と持続」というテーマは、上記の研究者―哲学と社会学―を併せて考えることで相互に補完できる、とシュッツは期待を込めていたのだろう。
「1924年、シュッツはウェーバーの理解社会学における理解するVerstehenという概念に精通する鍵を見つけようと考えてベルクソンに手を伸ばした。この企ては豊かな知識をもたらしたがその研究の極めて重要な箇所で生じた問題に答えを示すことができなかった 。ベルクソンは彼の直観主義哲学の全体構造を支える概念 持続現象へのアクセスを何も示さなかった。そこでシュッツはフッサールに転じた。 しかし意味構成や彼のアメリカの諸著作が示すようにフッサールがベルクソンに入れ替わることはなかった。 フッサールはシュッツの現象学的心理学研究の中心を勝ち取りはしたが、ベルクソンがこれを実質的に補ったの」(Wagner 1983=佐藤ほか 2018)であるとする学説が、現在の研究では主流である。そしてアメリカへと亡命したシュッツは、アメリカの社会学界の中で社会学者たちと多く交流を持った。確かにG・H・ミードやC・H・クーリーから多分に思想的影響を受けている。そのため、シュッツの思想や学説は今まで、多分に社会学的な見地から吟味されていることが多かった。しかし、張江らが指摘するように、シュッツは1932年のウィーン時代に編んだ『ベルクソン草稿』および第一著作である『意味構成』から、英語で執筆したアメリカ時代(Collected Papers)を経て、最晩年に彼の母国語であるドイツ語で『生活世界の構造』を書いている。いや訂正すると、『生活世界の構造』は、彼の長年の構想のもとに進められていた著作であったが、彼は執筆しきる前に過労から早世してしまったのである。シュッツの著作や思想は、時代ごとに、分割され散在した形で論じられることが多かった。しかし、その最後の著作に至るまで、彼は「持続」特に「他者の持続」と身体という概念を持ち続けている。そして特に、彼の哲学的思想に関しては、フッサールとの関係で語られることも多いが、その実、シュッツにとってベルクソンもフッサールと同等に生涯の思索において重要な位置を占めていたのでないだろうか。(張江 1991)
*この部分で、シュッツを哲学的な視点を中心に丁寧に解釈することの重要性、特に「持続」と「身体」に着眼することを説明する。
シュッツは、ウェーバーの理解社会学の理解のために、W・ジェームズやライプニッツの概念を利用したが、特にその後フッサールとベルクソンに接近していく。彼の後継には、同時代人としてのM・ナタソン(彼は友人でもあった)、そしてH・ワグナー、T・ルックマン、P・L・バーガーがいる。特に、私が卒業論文で扱ったT・ルックマンとP・Lバーガーは、シュッツの「生活世界」や「相互主観性」などの議論を引き継いで、相互主観性の中で生成され維持されている「現実」の社会的構成について議論を展開した。彼の思想史として留意しておきたいのは、ウィーン時代(~1932)とパリを経由してアメリカに亡命した後の時代、晩年期の大きく3つの時代があるということである。最初の著作である『社会的世界の意味構成』(1932)は、ウィーン時代、その他の諸論文(Collected papers)はアメリカ時代(この時代の著作の大半が英語で書かれているという点も留意する必要があるだろう)、そして最後晩年にはT・ルックマンによって死後刊行された『生活世界の構造』(こちらはドイツ語で書かれている)である。ウィーン時代とアメリカ時代は、シュッツ研究において区別して捉えられることも多いが、その中で彼の人生で巡り合えた「汝関係」の人びととの関係が彼の思索に影響を与えることはあっただろう、彼の生涯の著作および思想を統一的に、一貫した軸を据えて解釈できるのではないか。(1980-2010年までにシュッツ研究は隆盛をむかえ、現在は以前よりは少ない)それは、近年になってASW(Alfred Schutz Werkausgabe)シュッツ全集において、2020年に出版された、シュッツ自身による『生活世界の構造』の草稿とそれに関する研究、今年出版されるASWの最新巻を踏まえることで、シュッツが一貫して同じ問題意識をもって、社会学を哲学的に基盤づけしようとしていたこと、「持続」の概念を生涯重要な概念として持っていたことを統一的に説明できると考える。
「Zusammen Altern」は、シュッツの時間論=持続の議論と、身体の議論に深くかかわっている(矢田部、石原)その際、まず念頭に置かれるのは、我―汝関係という他者である。しかしアメリカ時代や晩年には、その他者関係を中心点として、時空的に遠くにいる他者を救い上げようとしていた。その際に、シュッツが明言していないうえ、今まで先行研究にはないと思われる。「身体性」を考えることで、シュッツの思索が統一的に理解できるのではないか。社会における他者を論じるときには、身体と時間では足りないのである。そこで、シュッツの他者理解を端的に表すZusammen Alternを解釈したうえで、今まで着目されていなかった身体性という観点をシュッツのテクストから救い上げることで、シュッツの考えていただろう「身体性」を明らかにしたいのである。つまり、時間と身体とつなぐもの、架橋させるものとしての身体性の追求である。
「同時性 Gleichzeitigkeit」と「das Phänomen des Zusammenalterns(共に時を経る/老いるという現象)」である。この2つの概念が関係していることを手がかりに、以下のことを明らかにする。das Phänomen des Zusammenalterns が、空間的な時間だけではなく、内的持続(durée)および身体性を含んだ概念であることを論証する。この概念は、翻訳書および先行研究において「共に時を経る」あるいは「共に老いる」と訳され、文献によっては一つの著作の中でさえ訳され方は統一されていない。そのため、長く時間論(時を経る)と身体論(老いる)が区別され、分けられながら議論されてきた。2そのような分断した解釈ではなく、シュッツの思想全体からみて「das Phänomen des Zusammenalterns」を、時間論かつ身体論として理解することを目標とする。
時間とは持続である
「持続」とは一体何か。中村(2014)が「存在」と対比させて説明している。「存在」の場合は、そのものの存在が続いていようが、突然消えようが、そこに「ある」または、「あった」のであればよい。ところが、「持続」の場合には、ひとつのものが変化しながらも「おなじ」でありつづけなければならないのである。変化しながらも、突然ほかのものに変わることなく「おなじ」であるということ。つまり、「持続」とは「時間の幅」をもつものであると考えられる。
ベルクソンのdurée(持続)という概念は、彼の処女作である『意識に直接与えられたものについての試論』(以下、『試論』1889)から論じられている主要な中心概念である。その後、『物質と記憶』やコレ―ジュ・ド・フランスにおける『時間観念の歴史』に関する講義においてその概念は展開された後、アインシュタインの相対性理論に対する批判としてまとめられた『持続と同時性』(1922)という著作において「持続」の理論は完成をみる[1]。ベルクソンは『持続と同時性』の中で以下のように述べている。
「時間は、われわれにとってまずわれわれの内的生命の連続性と混同されているということは疑う余地がない。この連続性とは何か。それは流出ないし移行の連続性である。しかも、それ自身で充足している流出と移行の連続性である。流出(écoulement)は流れるものを意味せず、経過(passage)は通過する状態を前提としない。物と状態は推移時に人為的に切り取られた一場面に過ぎない:そして、この推移、すなわちただ自然に経験されるもの、それが持続そのものである。」
(Il n’est pas douteux que le temps ne se confonde d’abord pour nous avec la continuité de notre vie intérieure. Qu’est-ce que cette continuité ? Celle d’un écoulement ou d’un passage, mais d’un écoulement et d’un passage qui se suffisent à eux mêmes, l’écoulement n’impliquant pas une chose qui coule et le passage ne présupposant pas des états par lesquels on passe : la chose et l’état ne sont que des instantanés artificiellement pris sur la transition ; et cette transition, seule naturellement expérimentée, est la durée même.)(Bergson 1922 :41=2001 :200)
まず、ベルクソンにとって時間とは、「あくまでも持続であり、その持続の本質は、われわれの内的生命の連続」(中村 2014)である。自然に経験される推移、つまり一点に留まることなく、常に変化を伴う流れこそが、持続であるとベルクソンは考える。彼は持続を「計測するのではなく、持続を感じ取る」(Bergson1889=合田・平井訳2002:142頁)としている。彼は、「質としての持続――意識が無媒介的・直接的な仕方で到達するところの持続」(ibid.142-143頁)として扱うことを明言している。ここで強調したいのは、時計の針によって媒介され、表象されることで分割・計測される流れ・時間のような量的で空間化された時間ではなく、質としての持続とは、何にも媒介されずに直接、私たちが知覚しているような流れ・時間であるということだ。それは、ベルクソン自身が1902年度の講義で発言ように「持続とは、真に内的な形で、私たちの意識状態の継起として捉えられるようなもの」であり、「「持続とは、私たちが、自らを見つめ、意識的な生、内的な生を生きるに任せるとき、自分自身の奥底に見られるもの」(2016=2019:86頁)である。持続は「自分自身の奥底」のうえで受け取られるようなものであり、それは持続が直接的なものとして(意識の)根底的にあるということと解釈できる。それは、物理的、空間的に存在している物質や状態としては見えない、知覚できないものである。近代における時計の流通によって独占的な地位を占めていた量的な時間ではない、「質的な時間」があるということ。それは、分割・切り取り不可能であるがゆえに、数字で表せることのできない「時間の流れ」があり、それは何かによって視覚的に表されることも不可能であり、「意識に直接与えられる」ものである。ここで強調しておきたいのはこの「直接与えられる」ということである。この点を、後にシュッツが受容した持続(durée)における直接性(unmittelbar)に関わるのではないかと私は考えているが、詳述は後論する。
ベルクソンは、『試論』と『持続と同時性』等において持続の特性である「継起の相互浸透」を示す。相互浸透は、メロディーを例に挙げて頻繁に説明される。(1889=2002:142-144頁.)ある曲のフレーズを想像してほしい。そのフレーズに属する一音一音をそれぞれ取り出して、ピアノで一音一音、少し間を開けて弾いてみる。すると、いつも聞き馴染んだはずのそのフレーズが、私たちにはいつもと異なるように聞こえるだろう。つまり、私たちはメロディーを一音一音で知覚しているのでなく、「まとまりとして」、一つ一つの音が前後に溶け合った状態で知覚している。その意味で、分断された音はいつもと異なる「質」をもって意識に与えられ、メロディーとしては知覚できなくなるのである。
メロディーの例示が示す通り、相互に溶け合うように繋がったまま、まとまりとして知覚されるような、シュッツがベルクソンから受容した持続(durée)概念は、「全体として」捉えられるものである。この捉え方は、シュッツにおいて、高艸(2017)が指摘しているように、「Werden」と「Entwerden」、「生成し生成し去るもの」」(Werdewn und Entwerden)(Schutz 1932:43)として展開されている。相互に浸透している持続という流れを掬い取る。すなわち知覚するというときに、シュッツがベルクソンから導入したものがである。この概念はシュッツが、『意味構成』(1932)においてフランス語でそのまま引用したものであることから分かるように、ベルクソンのこの概念を自身の考えの中心に据えて、そのまま受容しようとしたことは明らかであろう。つまり、持続を知覚するということは、点として、部分として切り取るのではなく、注意を向けた方向に(志向性)、スポットライトを当てるように、つまり光があったっている部分を全体として知覚しようとするということである。シュッツおいてこれは、意味の連関として、意味のまとまり・一連の繋がりとして受け止めるという姿勢として表されるだろう。
「持続」概念はベルクソンの著作の中で、『試論』では意識や感覚、そして知覚との関連で考えられ、『物質と記憶』では「わたしの身体(mon corps)が強調され、『創造的進化』において「生命の躍動(élan vital)」が指摘されたことによって、『持続と同時性』において、「内的生命(notre vie intérieure)[2]」という概念へと行きついた[3]。したがって、シュッツが自身の著作で「持続」に関して言及する際に『持続と同時性』を引用しているということは、シュッツが、ただ物理的な対象・世界と精神意識的・内面世界を分けて論じるためだけにベルクソンの「持続」概念に着目しているのではないということの証左である。
それでは、ベルクソンにおいて身体と持続はどのようにかかわっているのであろうか。ベルクソンは、知覚器官としての脳を全面に出している。持続の例としてリズムやメロディーを挙げるベルクソンは、そのような絶え間ない流れを受容するのは「空間=場としての身体」であり、「身体を取り巻いていた物質界、脳を収容していた」(『物質と記憶』51頁)ものとしての身体という側面を強調する。[4]換言すると、持続を知覚する器官としての「脳」を収容するものとしての身体、感覚器官としての身体を念頭においているのである。ただ、シュッツのベルクソン受容と展開をみていくにあったって着目したいことは、ベルクソンが『持続と同時性』において以下のように身体と持続の関係について触れていることである。
Comment passons-nous de ce temps intérieur au temps des choses ?(いかにしてわれわれはこの内的時間から事物(物)の時間に移行/たどりつくのか?)Nous percevons le monde matériel, et cette perception nous paraît, à tort ou à raison, être à la fois en nous et hors de nous(われわれは物質的世界を知覚しているが、この知覚は、その是非は別としてわれわれの内側にあるのと同様に、外側にあるようにも思われる。): par un côté, c’est un état de conscience ; par un autre, c’est une pellicule superficielle de matière où coïncideraient le sentant et le senti.( 一方では意識の状態であり、他方では、感覚するものと感覚されるものとがそこで一致するであろうところの、物質の表面的な薄膜/皮膜(pellicule)である。)A chaque moment de notre vie intérieure correspond ainsi un moment de notre corps, et de toute la matière environnante, qui lui serait « simultané »(このように、私たちの内的生の各瞬間には、われわれの身体の、そしてそれに「同時」である周囲のすべての物質の瞬間が対応している。): semble alors participer de notre durée consciente .(この物質は、私たちの意識の持続時間に参加しているようにみえるのである。)(Bergson 1922 :42)
「物質世界」つまり私たちが物質的に存在しているこの物理的な空間を知覚する際に、その知覚(器官)は、「内側にあるのと同様に外側にあるように思われる」、すなわち、以上の議論を踏まえると、知覚を受け取る器官としての「身体」がわたしたちの「内側」=内的生、持続のあるところ、と「外側」の両方に顕れていると解釈できそうである。加えて、その知覚(器官)は「一方では意識の状態」という内的なものでもあるが、他方で、感覚するもの(「持続」によって捉えられるもの)と感覚されるもの(対象・物質)を隔ててかつ繋げる作用をもつ表面の薄膜(pellicule)として解釈できるのではないだろうか。この身体=薄膜は内的生と周囲の物質を対応させる。このようなベルクソンによる持続と身体(知覚器官)の関係を、シュッツが独自に受容し、展開させ、修士論文のテーマである「Zusammen Altern」という「同時性」、そして他者理解へまで繋げていったということを論証していく。
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