西洋政治思想史(6)

ⅠReformation
Martin Luther (1485̃1546)
教会制度の否定と義認説:「信仰のみsola fide」による近代的個人の萌
「神を自己の裡に体験する」という神秘主義的傾向
カルヴィニズムと異なり、世俗内禁欲という生活態度を形成し得なかった。
Jean Calvin (1509̃1564)
1.神中心主義:人間と神とのあいだの無限大の距離
2.二重予定説:「救済」における人間の能動性は完全に否定される
3.長老主義
4.神権政治(厳格な倫理と規律に基づく生活)
Ⅱカルヴィニズムの意図せざる帰結
1.二重予定説が生み出す宗教的エネルギー
救済の能動性(悔改)の全面否定とそれにもかかわらない禁欲的生活
←→親鸞:「善人猶以て往生を遂ぐ、況や悪人をや」
……この宗教的エネルギーを理解するために
認知的不協和の理論Leon Festinger, Theory of Cognitive Dissonance 1957
ある個人が持つ相互に関連した認知的要素間での矛盾・不一致 → 不快な緊張 → 不協和低減への動機付け
1.変えやすい方の認知・行動を変える
2.新たな協和的情報を付加する。
3.不協和な認知的要素を軽視する。
予言がはずれたときになぜ信者の信仰心は強まるのか。
2.資本制の起源としてのカルヴィニズム:
カルヴィニズムの歴史的パラドックス M.ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
1.宗教という「非合理的」信念による合理的システム(資本制)の形成
2.非営利的思想による営利追求システムの形成
資本主義の精神
ルターによってもたらされた天職(Beruf)の観念とカルヴィニズムの「予定説」の結合による資本主義の精神
の形成
1.禁欲的で組織的な労働への没頭(労働者のエートス)
2.獲得された富を浪費せずまた蓄財せず、投下資本として生産拡大(資本家のエートス)
『プロ倫』のロジック
予定説 → 不安 → 世俗内禁欲
→持続的動機
覚醒し明敏な生活 → 生産(営利解放・消費圧殺)
しかし保証はない → より一層
の規律
労働の規律性
節約、再投資
数量化(計算可能性)

宗教倫理の抜け落ち
=鉄の檻
鉄の檻:Weber とNietsche
将来、この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そしてこの巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たち
が現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも…一種の異常なで粉飾された機
械的化石となることになるのか、まだ誰にもわからない。それはそうとして、こうした文化発展の最後に現れる『末
人たち letzte Menschen』にとっては、次の言葉が真理になるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない
享楽人、この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう』と。
大塚久雄vs山之内靖:『ツァラトゥストラ』序章に登場する「おしまいの人間」(=末人たちletzte Menschen)
「愛とは何か?創造とは何か?あこがれとは何か?星とは何か?」─「おしまいの人間」はこうたずねて、こざ
かしくまばたきする。/そのときは大地はすでに小さくなり、その上に「おしまいの人間」がとびはねている。そ
の種族は地蚤のように根絶しがたいものだ。「おしまいの人間」はもっとも長く生きのびる。/~/かれらはやはり
隣人を愛している。隣人にからだをこすりつける。温暖が必要だからである。/病気になることと不信の念を抱く
ことは、かれらにとっては罪と考えられる。かれらは用心深くゆったりと歩く。石につまずく者、人間につまずき
摩擦を起こす者は馬鹿者である!/少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には
多くの毒を。それによって気持ちよく死んでゆく。/彼らはやはり働く。なぜかといえば労働は慰みだから。しか
し慰みがからだにさわらないように気をつける。 (上)23~4 頁
近代啓蒙理性(不断の自己審査に基づく合理的生活態度)が奪う人間性への批判
3.全体主義の起源としてのカルヴィニズム
カルヴィニズムの心理的パラドックス 参照:E. フロム『自由からの逃走』
Erich Fromm(1900̃1980) フランクフルト学派第一世代(29̃39)
社会心理学:初期マルクスの「疎外論」+フロイト主義
上部構造(イデオロギー)と経済的土台をつなぐものとしてのエロス的衝動と自己保存衝動という精神分析学
的枠組
エディプス・コンプレックスの超歴史的拡大適用の拒絶
人類史 = 個人の完全な(権威からの)解放史
外的権威からの自由 → 個性化┌自我の成長
└孤独の増大 → 克服衝動┌自由からの逃走
└自発的行為
独立と孤独・不安の二面性
宗教改革:自由からの逃走 権威を恐れ、しかし権威を愛したルター
教会権威からの解放とその「自由」にともなう孤独と無力
自己の完全放棄による神の愛の確信
権威主義的パーソナリティー
サディズム的傾向:他人を自己に依存させ支配しようとする。
マゾヒズム的傾向:自己の外側の力や秩序に依存し服従しようとする
両者は正反対のもののようで、対象に依存することで不安の源である自己そのものから逃げだし、不安を解 消しようとする点では同一の心理的逃避メカニズム カルヴィニズムのサド・マゾ的権威主義 サド・マゾヒズム的人間は、「権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時に彼はみずから権威であ ろうと願い、他の者を服従させたいと願っている」 近代へ 宗教改革は、ウェーバーも指摘するとおり、「人間に対する教会の支配を排除したのではなくて、むしろ従来 のとは別の形態による支配にかえただけ」である。個人を宗教的権威から解放すると同時に、宗教と政治を 根元的に切断し、近代政治理論の原型を生み出したのがホッブズ。

参考文献:
マルティン・ルター『ルター』、(世界の名著23)中公バックス(「キリスト者の自由、奴隷的意志他)
渡辺信夫『カルヴァン』(センチュリーブックス人と思想10)、清水書院
シュテファン・ツヴァイク『権力とたたかう良心』(ツヴァイク全集17)、みすず書房
レオン・フェスティンガー『認知的不協和の理論』、誠信書房
レオン・フェスティンガー『予言がはずれるとき』、勁草書房
マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、岩波文庫
山之内靖『マックス・ヴェーバー入門』、岩波新書
フリードリッヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(上)(下)、岩波文庫
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』、東京創元社
ジークムント・フロイト『エロス論集』、ちくま学芸文庫
ヘルベルト・マルクーゼ『エロス的文明』、紀伊國屋書店

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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