2023年3月24日(立川の溶岩ホットヨガ)
「人を好きになる理由と小林秀雄の思い出」
好きになるには「思い出」が必要だ。
私は男でも女でも人を単純に好きになったり、嫌いになったりしない。性格が合うだとか、顔がタイプだとか、価値観が一緒だとか、そういうのはあまり重視しない。だから、一目惚れなんていうのは人生において経験したこともなければ、仮に女性と付き合っても最初好きであることはない。
それではどのようにして人を好きになるのか。そこで、私は「思い出」を大切にする。「思い出」とは「記憶」とよく混同されるが、私が言う「思い出」は「記憶」とは少し違う。「794年(なくよウグイス)平安京」という「記憶」とは違い、その人と共に体験した出来事を「思い出」と言っている。もちろん、「手続き的記憶(自転車のこぎ方や泳ぎ方など、体で覚えるといわれるような類い)「共有体験」と言い換えてもいい。その「思い出」が積み重なることで俺は人を好きになり、人を愛するようになる。
そう語ると、小林秀雄の『無常という事』の「思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ」という言葉が、すぐに思い出させられる。この箇所と前後して「思い出は美しく見えるとみんなよく言うが、その意味をみんなが間違っている。僕等が過去を綺麗に修飾するのでは無く、過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。」という言葉も好きな箇所だ。
人間中心主義な考え方も多分に入っているかと思うが、それでもやはり人間だけが「思い出す」ということが可能であり、「思い出」だけが人と分かち合うことができるものだと思っている(我が家には愛猫がいて彼女がよく記憶しているし、思い出を築いていると信じたいのですが)。
私は他人との関係性を、この「思い出」の共有をなしに考えることはできない。人と人の関係は共に体験したことによって形成されると思っている。大岡昇平の『野火』で、大東亜戦争後、ガダルカナルで散った戦友の実家に訪れる兵士にあるのは階級でも友情でも、性格の一致でもなく、共に戦った戦友としての体験があるがゆえである。ここには友情や階級、はては価値観の一致、正確の合わないもの超えたものがある。
太宰治は少し極端で、著書『思ひ出』にて「思ひ出だけでも、みよの心に植ゑつけたいと念じたが、それも駄目であつた。」と「思い出」を植え付けようとまでしているが、「思い出」とは植え付けれることができるようなものでもない。太宰自身が諦めたように、「思い出」は一人ではなく、あるいは誰かに強制するものではなく、人と共にはぐくむものなのだ。
少し話が本題とずれてしまったが、そういうわけで、私が人を好きになるには時間がかかる。昔愛した女性(7,8年同棲していたのだが)でさえ、付き合って最初の二年間は毎日のように「俺たちは合わないんじゃないか。別れた方がいいんじゃないか」と言ったものだ。それは決して別れたいからではなく、まだ思い出が少なく、好感を持つことはできても相手が求めるような好きであるとか、愛しているだとかいう感覚がまだ醸成されておらず、相手の求めに応じられないと考えたからだ。
その彼女は美人だったし、よく気がつく素敵な女性だったが、そうした理由で私は人を好きにならない。美人など探せばどこにでもいるものだし、性格など多種多様であってしかるべきだ。私が愛するものは、大勢と比較対象できるものではなく、唯一の関係性であり、唯一の相手の個性だ。
好きなものに理由がつけられてはおかしい
大学院生の頃、同輩と居酒屋などで恋愛論となると、決まって、人にこう語っていたのだが、それは「相手のことを好きな理由を述べられたら、いけない」というものだ。というのも、仮に「彼は背が高いから」だとか「彼は性格が優しいから」だとか「彼は私を大切にしてくれるから」だとか、ましてや「彼は収入があるから」では、いくらでも「取り替え」が効いてしまうからだ。Replace可能な存在を愛するというのは、当時も今でも私にはすこし違和感を感じざるを得ない。私の好きなSF小説などで、魂の好感やら脳の交換、記憶の交換などが話題にされることがあるが、果たして、あなたは相手のどこを愛しているのだろうか?と考えてみたことはないでしょうか。
仮に、比較対象が可能なら、もっと背が高い男ならそっちがいいのか?もっと性格が優しいならそっちがいいのか?という話になってしまうのではないだろうか。その子にOnly oneはない。好きなことに理由があっては、その理由があることが故に、他の人と取り替え可能になってしまうのだ。逆に言えば、好きであると言うことは、理由が語れない同語反復(トートロジー)でなければならないのだと思う。
たとえば、「私はイチゴが好きだ」という台詞と同じように理由がないものじゃなくちゃいけないものだと思っている。苺が好きなのに理由なんてない。甘いから好きといっても、「じゃあ、なぜ他の甘いものじゃなくて、苺なのか?」と容易に反論されてしまうだろう。どんどんその理由を突き詰めていけば、結局、「好きだから好きだ」というトートロジーにしかなりえないだろう。
こう言うと「思い出」で人を好きになるのなら、理由があるじゃないかと思う人もいるかもしれない。確かに、「思い出」はいちごが好きだというレベルのものと少し違う。
だけど、いちごが好きなのを選べないように、「思い出」も選びようがない。共有して積み重なっていった「思い出」はいつしか「生き様」となり「歴史」へとなる。それはもはや「取り替え」のきかないものであり、他者と比べることができるものではない。
閑話休題。恋愛の話とは異なるが、私は、これまで人生でたくさんの大きな挫折を味わった。人生は、失敗することが多い。こんな時、人生の苦楽をともに分かち合えるような相手と「思い出」をはぐくむことができれば幸せだと思う。
人生の次の扉を開けてくれるのは、いつだって馬鹿馬鹿しい偶然、些細なずれ、話にならない勘違いだ。私の好きな映画『ウォール街』でしがない証券マンのバドはこう言っている。「人生はほんの5,6秒で大きく変わってしまうこともある」と。その5、6秒のきっかけから思い出が生まれ、人生が生まれ、思い出が、そして、歴史が作られていくかもしれない。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |