2023年3月17日(立川の溶岩ホットヨガ)

「対話のない社会」

00 対話が重んじられない日本社会

今回は、私が敬愛する日本の哲学者中島義道氏の名著『<対話>のない社会』を紹介していきながら、私見ついて簡単にお話したいと思います。もう上に「対話がないな社会」と書いてあるので、何が言いたいかは少し分かってしまうかもしれませんが、対話に関する誤解も解いていきたいと思っています。そもそも、日本社会では「対話」をするという機会がほとんどありません。もちろん、「座談会」だとか「討論会」はありますし、毎日テレビでも昼のワイドショーでコメンテイターが色々と激論を交わしたり、身近な例でも友人と喧々諤々と議論をするということがあると思います。たとえば、仕事終わりに居酒屋で同僚や部下、上司と仕事について愚痴っぽいことをいいあったりするとかですかね。

しかし、残念ながら、それらは「おしゃべり」であって、「対話」ではありません。対話というのは、単にしゃべることではなく、きわめて特殊な言語行為なのです。それは討論とも違います。たとえば、あるテレビ番組で、アメリカの高校生が日本に原爆を投下したことで、賛成派と反対派に分かれて大議論をしているドキュメンタリーがあるとします。実際たまにそういう番組をNHKなどで見かけますよね。安倍首相の暗殺問題で統一教会がフィーチャーされていますが、如何わしい宗教団体は即刻潰すべきだという意見もあれば、いやいやその勧誘方法やお布施などの方法に制限を加えればいいだけだとかよくテレビでもやっていますよね。まあ、日が経つ毎に議論すらされなくなってしまうところもありますが。

先の原爆の問題に戻りますが、こうした微妙な問題に対する教師の公平な視点や高校生たちの率直な意見の交換は確かに素晴らしいことだと思います。しかし、それはディベートであって対話ではありません。こうした討論の場では、なるべく私情を挟まず論理的に相手を説得する技術(弁論術)が要求され、その人の本心がどう思っているかは問題ではありません。その人の口から出る言葉が論理的であるか、説得的であるかが重要であるわけです。

したがって、優秀な討論者は、ちょうど優秀な弁護士のように、最初は原爆投下の賛成はに属し、後半は反対派の立場で語るということも可能ですし、いずれにおいても最高のパフォーマンスをみせてくれるでしょう。しかし、中島義道氏や私が考える「対話」というのは、そうした弁論術の巧拙を重要視はしていません。「対話」とは、特定の立場に立って論理的に話すというものではなく、自らの生きている現実に基づいて、「各個人が自分固有の実感・体感・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ること」です。そうした自分事の現実から目をそらした議論というのは、討論であっても、「対話」ではないのです。

逆に言えば、初めから原爆賛成派、反対派に分かれて意見を構築することや時には立場を交換してまた議論を組み立てることは非常に気楽な行為であるともいえます。こういうことができるのは、自分の立場を離れて他人事として話せる場合のみでしょう。実際、広島に原爆が投下され、家族が皆殺しになったり、今でも自分が白血病など後遺症に悩まされ苦しんでいる人が、原爆が投下されるべきであったか否かという討論に加わるのはかなり抵抗があると思います。もう少し身近な例でいえば、我が子が惨殺された両親が、死刑を廃止すべきかどうかという議論に気楽に加わることはできないでしょう。

もちろん、それでも原爆に賛成することやあるいは反対すること、死刑に賛成することや反対することは可能で、そういう意見を展開することはままあるかと思います。しかし、そういう場合の発言は、残酷な経験を経ていない人とは全く違った価値をもつものでしょう。彼(彼女)の言葉は、自分自身の体験に裏打ちされて、格段の重みを持つもでしょう。こうした彼(彼女)は、まさに「対話」を遂行しており、その言葉の重みを受け止め、当人に対して何事かを語ること、それこそが「対話」なのです。

01 会話は対話ではない

「対話」とは、「会話」でもありません。先に挙げた例でいえば、居酒屋で上司や部下、同僚と仕事の不平不満を話したり、近隣の主婦仲間と井戸端会議をするのは「会話」ではありますが、「対話」ではありません。中島義道氏も紹介していますが、これまた私が敬愛する日本の法哲学者・倫理学者である井上達夫は、西洋的言語観・行為観・正義観の伝統の上に築き上げられたコミュニケーション的行為論に矛先を向け、「会話としての正義」を提唱されています(『共生の作法』創文社)。

会話は、コミュニケーションのような「達成されるべき一定の目的ー情報伝達・意思決定・合意・コンセンサス・相互了解・了解・和解・宥和・融和・交感・合一・洗脳等々」を持ちません。「異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式」です。会話は「分からず屋」を排除しません。「この分からず屋め!」といつもけんか別れする二人の頑固親父が、終生会話的連帯にあるというのは、ある種微笑ましいパラドックスを会話は可能にしています。ようはけんかするほど仲がよいというやつですね。

西洋近代倫理学における討議(たとえば、最近のはやりではマイケル・サンデルの『白熱教室』や彼の著作など)やコミュニケーションに対する井上達夫のいらだちはなんとなく理解しやすいものではないでしょうか。そこでは、合理的に討議する能力が前提にされており、サンデル教授の教室には、ハーバード大学や東京大学、北京大学などの優秀な学生しか登場しません。しかし、それは、あまりにも暴力的かつ狭量な言語観ではないでしょうか。昔私が早稲田大学の学部生だった頃はやった本に『知の技法』という本がありました(東京大学の一般教養の従業のテキストですね)。そこにはこんな例が書いてあります。

「(私はマリ共和国に文化人類学の研究でフィールドワークにでかけ)1987年初頭、マリ共和国に暮らしはじめて間もない頃のことですが、サバンナの中にある人口700人ほどの農村に数ヶ月間住んでいたことがあります。地平線にも山一つ見えない広大なサバンナだというのにその村では日干し煉瓦でできた四角い家々が互いに身を寄せ合うように建てられていました。その、迷路のような細い路地を歩き回るうちに、私はある日『このごちゃごちゃとした家々の配置を地図にしてみたい」と思ったのです。(中略)思い立ったが吉日と、磁石とロープ、まっすぐな木の枝と、それからもちろんボールペンとノート丸一冊を費やして、何日かかかってどうにか次のような地図を作り上げました」

小林康夫ら『知の技法』(東京大学出版会)

「出来合いの素人にしてはまあましなものだと思って村の人に見せたところ、彼らの『たいしたもんだ、白人(ここでは日本人も『白人』の一種だとみなされているのです)は難しい仕事をよくやるなあ」と褒めてくれたのですが、その地図を使って誰がどの家に住んでいるかを確認していくうちに妙なことに気づき始めました。私の作業に合わせて『ふんふん、なるほど』と相づちをうってくれてはいるのですが、どうも地図の配置の方はほとんどわかっていないようなのです。村の人間の多くが読み書きはできないこと自体は私も心得ており、『自分が住んでいる村の配置を移した地図なら文字じゃないからわかるだろう』となんとな思い込んでいたのですが、どうやら彼らは地図を読むことができないようなのです。(中略)最初、村の人たちが地図を読めないことに気づいたとき、私が驚いたのは、『私が読める地図は彼らも読めて当然』というほとんど無意識の前提があったからですが、彼らの生活を考えてみれば、私の『前提』は決して自明のものとはいえません。(中略)村の地図を使って調査をする私に村人がなんとなく話を合わせていたと先に述べましたが、私はその態度の背後には、『客人は歓待するもの』という彼らのしきたりのみならず、読み書き、そしてそれが支配的な世界に対する微妙なコンプレックスがあったのではないか?と思ったりします。実際、現代社会において読み書きができることの意味とは、解きに勘違いされるように「話し言葉と書き言葉との間を地涌に行き来できる」ことにとどまるものではありません。地図という存在が象徴的に示すように、それは一つの強力な『世界の見方』であり、さらには『世界を形作る方法』でもあるのです。(中略)『地図の読み書き』一つをとってみても、ノートの由来(*ノートの製造過程)に加えて、『私はどこでどうやって地図の読み書きを覚えたのか?』(中略)といったことを考え始めると、論じるべき問題は(中略)『学校教育と国民国家』、『地図の歴史と世界認識』などなど雪だるま式に膨れがあり、それだけでもはや袖手がつきません。たとえ『日本からきた文化人類学者がマリの田舎で即席の地図を作る』ということですら、それは決して一時個人のささやかな体験と言い切れるものでなければ、単純なハウ・トゥ式の技術論に還元できるものではないのです。」(小林康夫ら『知の技法』東京大学出版会)

少し引用が長くなってしまいましたが学生時代大変印象的な一説だったので、ある程度長く紹介しました。簡単にいうと、討論するとか、ディベートするとか、議論するということの背景には、西洋史の文化や西洋中心主義的な権力が見え隠れしており、それによって暴力的でありかなり排他的なロジックが背景にあるというわけですね。しかし、中島義道は井上達夫の指摘をもっともとしながら、対話を退けることになるので、これからそのことをお話ししていきますが、私個人としては、井上達夫の政治哲学の本などかなり好きで、彼の指摘はかなり核心をついた話ではあると思いますが、それはまた違う日記で紹介します。

このように討論や議論には暴力的排他的な論理が背景にあるので、それを避ける会話的な対話というのは魅力的ではあります。怒鳴り合う親父同士が実は仲良しみたいな言語行為観は、日本人好みの言語行為観であり、怒鳴ることによる一種の人間的ふれ合いは確かに成立しているでしょう。

たとえば、私は正直そこまで好きではないのですが、多くの日本人が大好きな映画に、山田洋次監督の『寅さん』シリーズがあります。ここに登場する会話は、ほぼこうした人間的ふれ合いです。そこでは、みな寅さんを傷つけないように配慮し、自分の欲求を我慢し、真実を伝えず、しかもそのことを寅さんはすべて見抜いていながら、その「会話」に参入します。「言葉に表現された文字通りの内容」はほとんど重要ではありません。重要なのはどんな気持ちで語ったかであり、みんなどんなに寅さんのことを心配しているかです。このシリーズはえんえん三十年近く渥美清の死まで続いて、その後、渥美清や山田監督の死後続編まで作られたことから、日本人がいかに「会話」を求めているのか痛感させられる作品です。

あるいはこうした「会話」を操る作法というのは、日本人の美意識にも通底しているのでしょう。お茶会での「会話」は語ることが自然現象のように、淀みなくさらさらと進むことを理想としていますし、感謝にも挨拶にも「対立」があってはいけません。「おはよう!」といわれて「今はもうお昼だからこんにちはじゃない」という人は多分嫌われます(芸能界などでは夜でも「おはよう」といいますが、これはこれである種の慣行ですよね)。「いい天気ですねえ」という会話に対して、「私は今日はいい天気ではないと思いますよ。実際日本列島に迫っている低気圧が・・・」などと反論することはほぼ禁じられています。

ここでは、発話者は天気についての討議ないし「対話」を遂行することが目的なのではなく、「いい天気ですねえ」という言葉を通じて人間的なふれ合いを開くことが目的であるわけです。実際言語学の考え方でもこうした挨拶というのは人間関係を維持するための一つの作法であると学ぶと思います。ですから、そうした発言を受けたら「そうですねえ。しかし、歳をとったせいでしょうか、風がしみましてね」などと答えるのが理想的であるわけです。

02 会話が好きな日本人

実際、井上達夫の指摘を待つまでもなく、日本の人びとは個人と個人が正面から向き合い真実を求めて執念深く互いの差異を確認しながら展開していく「対話」はあまり好きではありません。表出されたことなの内実より言葉を投げ合う全体の雰囲気の中で、漠然とかつ微妙に互いの人間性を理解し合う会話をたいそう好み傾向にあります。その好例が、最近亡くなった大江健三郎よりも前にノーベル文学賞を受賞した川端康成の『雪国』における島村と駒子のあいだに交わされる情緒的な会話が、日本的会話の一つの典型でしょう。

「あんた私の気持ち分る?」

「分るよ。」

「分るなら言つてごらんなさい。さあ、言つてごらんなさい。」と、駒子は突然思ひ迫つた声で突つかかつて来た。

「それごらんなさい。言へやしないぢやないの。嘘ばつかり。あんたは贅沢に暮して、いい加減な人だわ。分りやしない。」

さうして声を沈ますと、

「悲しいわ。私が馬鹿。あんたもう明日帰んなさい。」

「さう君のやうに問ひつめたつて、はつきり言へるもんぢやない。」

「なにが言へないの。あんたそれがいけないのよ。」と、駒子はまた術なげに声をつまらせたが、じつと目をつぶると自分といふものを島村がなんとなく感じてゐてくれるのだらうかと、それは分つたらしい素振りを見せて、

「一年に一度でいいからいらつやいね。私のここにゐる間は、一年に一度、きつといらつしやいね。」

(中略)

「君はいい女だね。」

「どういいの。」

「いい女だよ。」

「をかしなひと。」と、肩がくすぐつたさうに顔を隠したが、なんと思つたか、突然むくつと片肘立てて首を上げると、

「それどういふ意味?ねえ、なんのこと?」

島村は驚いて駒子を見た。

「言つて頂戴。それで通つてらしたの?あんた私を笑つてたのね。やつぱり笑つてらしたのね。」

真赤になつて島村を睨みつけながら詰問するうちに、駒子の肩は激しい怒りにふるへ来て、すうつと青ざめると、涙をぽろぽろ落とした。

「くやしい、ああつ、くやしい。」と、ごろごろ転がり出て、うしろ向きに坐つた。

島村は駒子の聞き違いに思いあたると、はつと胸を突かれたけれど、目を閉じて黙つていた。

「悲しいわ。」

駒子はひとりごとのように呟いて、胴を円く縮める形に突つ伏した。

川端康成『雪国』

いやあ、古い言葉を書き写すのはしんどいですね(笑。「笑って」と書きたいのですが、「笑つて」ですから大変です。と、そんな話をしたいわけではなく、こうした会話を読んで多くの日本人は、この非論理的な会話であるのにも関わらず、おそろしく明晰であり、駒子の心の動きが手に取るようにわかるのではないでしょうか(最近の子供たちの中にはわからないというお子さんもいらっしゃるかもしれませんが)。これは、精緻な論理に重ねて真理を求めようとする「対話」ではありません。駒子は私の気持ちなんてあなたわからないでしょう?と愚痴りたいわけですね。そして、「いい女」だねと島村がいったのは、駒子が「いいひと(善人である)」といったのを駒子が(女性的に魅力のある)「いいおんんな」と聞き違えるという場面です。

03 もしも『雪国』の島村がソクラテスだったら

無粋を承知の上で、仮に島村がソクラテスであるならば、「他人の気持ちがわかるということはいかなることか?そもそも他人の心の内などわかるのか?」とどんどん「対話」へ突き進むでしょう。さらに「駒子よ。他人の気持ちが分かれば、それを言葉にして表現できると君は思うかね?どうだろう。」などというかもしれません(笑。それから「では、葉子の場合はどうであろうか?」と付け足すかもしれません。

あるいは、「きみはいい女だね」というのに対して、「どういいの」と聞かれたら「いい女だよ」と答えるのではなく、「駒子よ。『いい』にはさまざまな意味があるのだ。物体的にいい。道徳的にいい。美学的にいい。そういうさまざまな場合に『いい(good)』は使われ、今いったGood woman.というのは、言い換えるならば、Attractive womanという意味ではなくて・・・」などと対話が進んでいくかもしれません。もうこうなると当然文学でもなければ、島村も駒子に一瞬で嫌われてしまいそうですね(笑。

私たち日本人は、一般的に言葉を額面通り受け取る関係よりも、むしろ発話者の意図と言葉の字面とが微妙にずれるところを了解するところに独特の美学を認めることが多いようです。たとえば、「彼(彼女)は口ではああいってお父さん、お母さんに反抗しているけど、本心はとても両親想いのよい子です」とか私も保護者会でよく口にしますし(嘘ではなく本当によい子なのですが)、「おまえなんか顔見みたくないといったけど、本当はおまえにいてほしいのさ」とか、あるいは私が父が先立ち一人老いた母に「あんたなんてうるさいから実家に帰ってこなくていい」といわれることがよくあるのですが、母は本音では「お父さんもいなくなってしまったし、たまには息子の顔もみたい」でしょう。

日本において、文字通りの言葉しか理解できないのは正真正銘の馬鹿であり、人の気持ちのわからないろくでなしになってしまうのです。言葉の裏を了解するコミュニケーション、それが日本的会話にはたっぷりと含まれています。

では、対話とは会話と具体的にどう違い、どういうものであるのか。それについては、またもや日記が長くなりすぎたので、また後日の日記にて。

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立川の溶岩ホットヨガスタジオ「オンザショア」
【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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