憲法3 人権総論(1)人権の権利性、平和主義
01 人権の権利性
基本的人権の観念は、理念的なものから、具体的なものに至るまで、様々なものを含んでいます。また、歴史的に発展してきた概念が今日でも使われています。歴史的・社会的背景として、国民の権利としてあるべきものの共通認識があり、それには、以下の区別があります。
一つは、(1)プログラム規定であり、憲法上明記されたが、具体的権利を付与するものではなく、国家に対してその実現に努めるべき政治的目標を示すものを意味します。次が、抽象的権利であり、憲法上保障される権利=法規範性を持つ(「人権」である)。しかし、それだけでは、具体的に裁判で直接請求できる根拠とはならないとされます(あくまでも政治部門での救済を必要とします)。最後に、具体的権利として、法規範性を持つのみならず、具体的に裁判で直接請求できる根拠となる=裁判規範性を持つ(司法部門での救済)ものとされます。
具体例を言えば、生存権「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(25条)はプログラム規定であり、憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」からプライバシー権というのは抽象的権利とされております。また、具体的権利としては、たとえば、憲法29条3項「私有財産は、正当な補償の下にこれを公共のために用いることができる」は、具体的権利とされています。しかし、これらの区別は、憲法の解釈問題であり、具体的に裁判所に持ち込まれてはじめて、裁判所が権利制を判断しています。憲法の条文から一義的には明らかになっていないことに注意しましょう。
02 人権の制度的保障
制度的保障とは、憲法が、一定の制度に対して、立法によってもその制度の核心を侵害することができない特別の保護を与え、当該制度それ自体を客観的に保障している場合をいいます(ワイマール憲法下での学説に由来する呼び名です)。どういうことかというと、その制度が、人権保障を目的とする制度であった場合、制度そのものを保障することが、究極的には人権保障に資することになると考えるものです。つまり、「法律の留保」を伴う基本権の本質的内容である制度の核心を立法権による侵害から守ることを主眼としています。
この考え方のメリットとしては、基本的人権を保障する「制度」それ自体を保障することにより、究極的には人権保障につながります。しかし、デメリットとして人権そのものを保障するものではないため、制度が人権に優越する危険があります。
具体的な例としては、信教の自由と政教分離「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」(20条)や地方自治「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」(92条)といった二つがあげられます。これらは類型の制度的保障に当てはまらず、立法裁量の余地がないからと考えます。
03 人権の国際的保障
人権の国際的保障とは、人権保障を世界の共通目的として設定し、国際的に守るべきとする考え方をいいます。第二次世界大戦より前、国際法の下では伝統的に、国家と国民の関係はもっぱら国内問題であると考えられていました。他国から言われる筋合いはないと考えられていたわけです。第一次世界大戦後、国際連盟が結成されましたが、そこでも、国際法が国民の人権保障について規定することはありませんでした。
しかし、第二次世界大戦における、ナチズムやファシズムによる人権侵害行為を経験し、人権保障の重要性が国際的にも認知されるようになりました。そこで、1948年の国際連合総会において、「世界人権宣言」が採択されるに至りました。これは、個人の古典的な自由と平等のほか、経済的・社会的・文化的権利が30条にわたって規定されたものでした(ただし、文字通りの「宣言」であって、法規範性・法的拘束力はありませんでした)。
そして、1966年にはこれをさらに具体化させた条約としての「国際人権規約」が国際連合総会で採択され、人権一般を包括的に保障する規約が制定されました(批准した国に対しては、法規範性・法的拘束力があります)。
04 平和主義
基本的人権が保障されるためには、何よりもまず平和が保障されていなければならないと考えられます(価値判断)。そこで、日本国憲法は、前文で平和主義と平和的生存権を宣言し、9条で戦争の放棄を宣言しています。また、憲法前文2段は、「平和のうちに生存する権利」を有すると規定していますが、これがいかなる「権利」かが問題となっています。これに関する事例があります。
事例)Xは、訴外Aから土地を買ったが、移転登記を完了しないうちに、Aはその後自衛隊にその土地を売り払ってしまった。そこで、当該土地の所有権を主張したいXは、「自衛隊は違憲無効であるから、Aと自衛隊の間の売買は無効」だと主張した。
そこで、問題点のチェックとして、①自衛隊が、仮に憲法に反するとしても裁判で争えるか?つまり、前文や憲法9条に裁判規範性があるか?と問題になりました。実際の事案には、他にも争点はありましたが、ここではこれだけ取り上げます。事案はかなり簡略化しています。
判例 最判平成元年6月20日 百里基地訴訟
「平和主義ないし平和的生存権として主張する平和とは、理念ないし目的としての抽象的概念であって、それ自体が独立して、具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえず、また、憲法9条は、その憲法規範として有する性格上、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、人権規定と同様、私法上の行為に対しては直接適用されるものではないと解するのが相当」とし、平和的生存権や9条は売買との関係において裁判規範性がないとした。
他には、有名な判例として砂川事件があります。これは、在留米軍立川飛行場の拡張計画に反対するXらが、同飛行場の境界柵を破壊し、飛行場内に立ち入った。そこで、この行為が、(当時の)日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定に伴う刑事特別法2条に該当するとして起訴さえ、在留米軍が憲法9条2項にいう「戦力」に該当するか等が争われました。これは9条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項が禁止した戦力は、我が国が主体となって指揮権、管理権を行使得る戦力をいうものであって、同条項が禁止した戦力は、我が国がその主体になって指揮権・管理権を行使得る戦力をいうものであって、我が国が指揮権・管理権を行使し得ない外国の軍隊は、たとえ我が国に駐留するとしても、本条にいう戦力に該当し得ないとした。(最大判S34.12.16、砂川事件)