第九回 ゼノン

ゼノンは師パルメニデスより25ほど若く、師と同じ都市エレアに生まれます。彼の人 生は半ば伝説的で、反政府運動の結果、僭主に捕まり激しい拷問を受けましたが、 自分の舌をかみきり、死ぬまで仲間を裏切りませんでした(この辺の逸話は『物語 ギリシア哲学史』や岩波の初期ギリシア断片集の編者山本光雄の哲学者の逸話 ばかりを収めた本などに詳しいです)。

何しろ、哲学から引き出せる最大の利点はなにか、と問われたのに対して「死に対 する軽蔑だ」と一言答えたという人物です。まあ、フォールゾクラティカーの中で一番 格好良い男であり、いわゆる強き哲学者の象徴のような人物です(そこらのひ弱い 現代の研究者とはまったく違います)。というのも、彼とヘラクレイトスの二人こそ哲 学者のイメージに強く影響を与えた人物は他にいないぐらいです。

まあ、彼の人となりについてはこれぐらいにしておきましょう。それでは、さっそく彼 の哲学について説明していきたいですが、彼の哲学というのは別に独自にはなく、 ようは師パルメニデスの哲学を全面的に受けついていると思って良いでしょう(専門 的なことはまた別だろうが)。ただし、実際の彼が説いたものは極めて独創的で哲学 史上これほど有名なものはないくらいよく知られています。

それは、いわゆるアキレウスと亀の喩話でも知られるパラドックスの数々です。ゼノ ンは師の教えの正しさを証明するために師の教えに反するとどうなるかをこうした パラドックスによって証明しようとしたわけです(このことからゼノンはディアレクティ ケーの創始者ともいわれる)。そして、その眼目は特に「(存在の)多(様性)」の否 定にありました。

さて、さっそく引用でも見てみましょう。ちなみに、例の如くフォールゾクラティカーたち の引用というのは(直接原典が残っていないので)断片でしかありません(つまり、 他の人が引用あるいは解釈しているものを孫引きしてくるわけです)。ちなみに、すべ て山本光雄の『初期ギリシア断片集』から取っています。

(ゼノンの目的) 「真実を言えば、この論文はパルメニデスの説を愚弄して、もし(一切が)一であると するならば、その説は多くの不合理や矛盾を帰結としてゆるさなければならなくなる、 という者に対するパルメニデスの説の一種の擁護なんだ。だから実に、この論文は 多の存在を肯定する者に逆説を食らわし、かつ同じ愚弄を、しかももっと沢山に、応 酬してやるのだ。」(Plat.Parm.128c)

(一粒の粟) 「彼(ゼノン)は云った”私に答えてくれたまえ。プロタゴラスくん。一粒の粟が、ある いは一粒の千分の一の粟が下に落ちたときに音を立てるだろうか”相手が”たてな い”と答えたので、彼は更に云った”では一メジムノス[約12ガロン]の粟が下に落 ちた場合に音を立てるだろうか”で、相手が”一メジムノスの粟なら音を立てる”と答 えたので、ゼノンは云った”それなら、どうだ、一メジムノスの粟と一粒の粟、或は 一粒の粟の千分の一の粟との間にはある割合があるのではなかね”で、相手は ”ある”と答えたので、ゼノンは云った”では、どうだ、その音にも相互の間に同じ割 合があるのではなかろうか。というのは、音を立てるものに応じて音もあるのだから。 このことが事実このようであるとすれば、もし一メジムノスの粟が音を立てるなら、 一粒の粟も千分の一の粟も音を立てることになろう”と言った」(Simplic.Phys.1108. 18)

(アキレスと亀) 「・・・もっとものろい走者でも決してもっとも速い走者によって追いつかれることはな いだろう。というのは前者がそこから出発した地点へ追っ手は先ず到達しなければ ならない、従って足ののろい走者でも常に幾らか先に進んでいなければならない から」(Aristot,phys.Z9.293.b14)

他にもゼノンは有名な「飛ばない矢」の喩話などもしています。これは、矢が飛ぶと したならば、その矢は二点間の真ん中を通らなければいけないはずですが、更に そこに行くまでにはそこまでの真ん中を通らなければなりません。こうしてそうした 議論を積み重ねて行くと矢は「無限の点」を通過しなければならず、無限を通過し 終えることはないのであるから矢は飛ばない、という結論を導き出すわけです。

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