ヨガの合間に学ぶ3分で読めるエッセイ
現代文選集
現代文選集もそろそろ容量が大きくなってきたので二枚目に移行することになりました。続きは此方からどうぞ。
和辻哲郎『風土』
沢田耕太郎『虚構の誘惑』
三木清『構想力の論理』
川田順造『聲』
岸田劉生『美の本体』
花田清輝『笑いの仮面』
野矢茂樹『哲学の謎』
大森荘蔵『流れとよどみ』
高橋英之『思想のソフトウエア』
高取正男『民俗のこころ』
蓮實重彦『夏目漱石論』
坂部恵『仮面の解釈学』
野家啓一『歴史と物語』
多田道太郎『風俗学』
山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉』
藤沢令夫『哲学の課題』
西研『ヘーゲル・大人のなりかた』
~和辻哲郎『風土』より~
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ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称である。それは古くは水土とも言われている。人間の環境としての自然を地水火風として把握した古代の自然観がこれらの概念の背後にひそんでいるのであろう。しかしそれを「自然」として問題とせず「風土」として考察しようとすることには相当の理由がある。それを明らかにするために我々はまず風土の現象を明らかにしておかなくてはならぬ。
我々はすべていずれかの土地に住んでいる。従ってその土地の自然環境が、我々の欲すると否と関らず、我々を「取り巻いて」いる。この事実は常識的にはきわめて確実である。そこで人は通例この自然環境をそれぞれの種類の自然現象として考察し、引いてはそれの「我々」に及ぼす影響をも問題とする。ある場合には生物学的、生理学的な対象として我々に、他の場合には国家を形成するというごとき実践的な活動をするものとしての我々に。それらはおのおの専門的研究を必要とするほど複雑な関係を含んでいる。しかし我々にとって問題となるのは日常直接の事実としての風土が果たしてそのまま自然現象と見られてよいかということである。自然科学がそれらを自然現象として取り扱う事はそれぞれの立場において当然であるが、しかし現象そのものが根源的に自然科学的対象であるか否かは別問題である。
我々はこの問題を考えてみる為に常識的に明白な気候の現象を、しかもその内の一契機に過ぎない寒さの現象を捕らえてみよう。我々が寒さを感ずる、という事は、何人にも明白な疑いのない事実である。ところでその寒さとは何であろうか。一定の温度の空気が、すなわち物理的客観としての寒気が、我々の肉体に存する感覚器官を刺激し、そうして心理的主観として我々がそれを一定の心理状態として経験することなのであろうか。もしそうであるならば、その「寒気」も「我々」もそれぞれ単独に、それ自身において存立し、その寒気が外から我々に迫り来ることによって初めて「我々が寒さを感ずる」という志向的関係が生ずる事になる。従って寒気の我々に対する影響なるものが当然考えられてよい。
が、果たしてそうであろうか。我々は寒さを感ずる前に寒気という如きものの独立の有をいかにして知るのであろうか。それは不可能である。我々は寒さを感ずることにおいて寒気を見出すのである。しかもその寒気が外にあって我々に迫り来ると考えるのは、志向的関係についての誤解に他ならない。元来志向的関係は外より客観が迫り来る事によって初めて生ずるのではない。個人的意識について考察せられる限り、主観はそれ自身の内に志向的構造を持ち、主観として既に「何ものかに向ける」のである。「寒さを感ずる」というその「感じ」は、寒気に向かって関係を起こす一つの「点」なのではなく、「…を感ずる」こととしてそれ自身すでに関係であり、この関係において寒さが見出されるのである。だからかかる関係的構造としての志向性は、寒さにかかわる主観の一つの構造にほかならぬ。「我々が寒さを感ずる」ということはまず第一にはかかる「志向的体験」である。
しかしそれならば寒さは主観の体験の一契機に過ぎないではないか。そこに見出された寒気は「我れ」の境内の寒気である。しかるに我々が寒気と呼ぶものは、我れの外にある超越的客観であって、単なる我れの感じではない。主観的体験はいかにしてこの超越的客観に関係し得るか。―この問いは志向的関係において志向せられたものについての誤解を含んでいる。志向対象は心理的内容というごときものではない。従って客観的な寒気と独立に有るところの体験としての寒さが志向対象だという訳ではない。我々が寒さを感ずる時、我々は寒さの「感覚」を感ずるのではなく直接に「外気の冷たさ」あるいは「寒気」を感ずるのである。すなわち志向的体験において「感ぜられたるもの」としての寒さは、「主観的なもの」ではなくして「客観的なもの」なのである。だから寒さを感ずるという志向的な「かかわり」そのものが、既に外気の寒冷にかかわっていると言ってよい。超越的有としての寒気というごときものは、この志向性において初めて成り立つ。従って寒さの感じが外気の寒冷といかにして関係するのかと言う如き問題は、本来存しないのである。
かく見れば主観・客観の区別、従ってそれ自身単独に存立する「我々」と「寒気」との区別は一つの誤解である。寒さを感ずる時、我々自身は既に外気の寒冷の元に宿っている。我々自身が寒さにかかわるということは、我々自身が寒さの中へ出ているということにほかならぬのである。かかる意味で我々自身の有り方は、ハイデッガーが力説するように、「外に出ている」(exsistere)ことを、従って志向性を、特徴とする。
そこでこういうことになる。我々自身は外に出ているものとしておのれ自身に対している。自己を振り返るという仕方でおのれ自身に向かうのでない時にも、すなわち反省を待つまでもなく、自己は我々自身にあらわである。反省は自己把捉の一つの様態に過ぎない。しかもそれは自己開示の仕方として原初のものではない。(もっともReflektierenをその視覚的な意味に、すなわち何ものかに突き当たってそこから反射すること、何ものかの方から反射においておのれを示すこと、の意味に解するならば、それは自己が我々自身においてそれ自身あらわである仕方を言い表したものと見る事も出来るであろう)我々は寒さを感ずる。すなわち我々は寒さのうちへ出ている。だから寒さを感ずるということにおいて我々は寒さ自身のうちに自己を見出すのである。しかしこのことは、我々が己を寒さの中に移し入れ、その移し入れられたる己をそこにあるものとしてあとから見出すのではない。寒さが初めて見出される時に我々自身は既に寒さのうちへ出ているのである。だから最も根源的に「外に在る」ものは、寒気というごとき「もの」「対象」ではなくして、我々自身である。「外に出る」のは我々自身の構造の根本的規定であって、志向性もまたこれにもとづいたものにほかならない。寒さを感ずるのは一つの志向的体験であるが、そこにおいて我々は、既に外に、すなわち寒さのうちへ、出ている己を見るのである。
以上は寒さを体験する個人的意識の視点において考察されたものであるが、しかしここで「我々は寒さを感ずる」と言い表しても何ら支障がなかった様に、寒さを体験するのは我々であって単に我れのみではない。我々は同じ寒さを共同に感ずる。だからこそ我々は寒さを言い表す言葉を日常の挨拶に持ち得るのである。我々の間に寒さの感じ方がおのおの異なっているということも、寒さを共同に感ずると言う地盤においてのみ可能になる。この地盤を欠けば他我の中に寒さの体験があるという認識は全然不可能であろう。そうしてみれば、寒さの中に出ているのは単に我れのみではなくして我々である。否、我々であるところの我れ、我れであるところの我々である。「外に出る」ことを根本的規定としているのはかかる我々であって単なる我れではない。従って「外に出る」という構造も、寒気と言う如き「もの」の中に出るよりも先に、既に他の我れの中に出るということにおいて存している。これは志向的関係ではなくして「間柄」である。だから寒さにおいて己を見出すのは、根源的に間柄としての我々なのである。
寒さの現象が何であるかは以上においてほぼ明らかになったと思う。しかし我々は寒さというごとき気象現象をただ一つ独立に体験するのではない。それは暖かさや暑さとの連関において、さらに風、雨、雪、日光、等々の連関において体験せられる。すなわち寒さは種々なる気象的現象の系列全体としての「気候」の中の一環に過ぎない。我々は寒風の中から暖かい室内にはいった時に、あるいは寒い冬の後で柔らかい春風に吹かれた時に、あるいは激暑の真昼沛然とした夕立に逢った時に、常にそれらの我々自身ではない気象においてまず我々自身を了解するのであり、従ってさらに気候の移り変わりにおいてもまず我々自身の移り変わりを了解するのである。が、この「気候」もまた単独に体験せられるのではない。それはある土地の地味・地形・景観などとの連関においてのみ体験せられる。寒風は「山おろし」でありあるいは「から風」である。春風は花を散らす風でありあるいは波を撫でる風である。夏の暑さもまた旺盛な緑を萎えさせる暑さでありあるいは子供に嬉喜せしめる暑さである。我々は花を散らす風において歓びあるいは傷むところの我々自身を見出す如く、日照りのころに樹木を直視する日光において心萎える我々自身を了解する。すなわち我々は「風土」において我々自身を、間柄としての我々自身を、見出すのである。
このような自己了解は、寒さ暑さを感ずる「主観」としての、あるいは花を歓ぶ主観としての、「我れ」を理解する事ではない。我々はこれらの体験において「主観」に眼を向けはしない。寒さを感ずる時には我々は体を引き締める、着物を着る、火鉢の側による。否、それよりもさらに強い関心を持って子供に着物を着せ、老人を火の側に押しやる。あるいは着物や炭を買い得る為に労働する。炭屋は山で炭を焼き、織布工場は反物を製造する。すなわち寒さとの「かかわり」においては、我々は寒さを防ぐ様々な手段に個人的・社会的に入り込んでいくのである。同様に花を歓ぶときにも我々は「主観」に眼を向けるのではなくして花に見とれる、あるいは花見に友人を誘い、あるいは花の下で仲間とともに飲み踊る。すなわち春の風景とのかかわりにおいては、それを享受する様々の手段が個人的・社会的に実践せられるのである。同様な事は炎暑についても、あるいは暴風・洪水の如き災害についても言えるであろう。我々はこれらのいわゆる「自然の暴威」とのかかわりにおいてまず迅速にそれを防ぐ共同の手段に入り込んで行く。風土における自己了解はまさしくかかる手段の発見として現われるのであって、「主観」を理解する事ではない。
右の如くとして見出さるる様々の手段、例えば着物、火鉢、炭焼き、家、花見、花の名所、堤防、排水路、風に対する家の構造、と言う如きものは、もとより我々自身の自由より我々自身が作り出したものである。しかし我々はそえを寒さや炎暑や湿気と言う如き風土の諸現象とかかわることなく作り出したのではない。我々は風土において我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。しかも我々は寒さ暑さにおいて、あるいは暴風・洪水において、単に現在の我々の間のおいて防ぐ事をともにし働きをともにするというだけではない。我々は祖先以来長い間の了解の堆積を我々のものとしているのである。家屋の様式は家を作る仕方の固定したものであると云われる。その仕方は風土とかかわり無しに成立するものではない。家は寒さを防ぐ道具であるとともに暑さを防ぐ道具である。寒暑のいずれがより多く防御を必要とするかによって右の仕方はまず規定されねばならぬ。さらにそれは暴風、洪水、地震、火事などにも堪え得なくてはならぬ。屋根の重みは地震に対して不利であっても暴風や洪水に対しては必要である。家屋はそれぞれの制約に適合しなくてはならない。さらに湿気は家屋の居住性を厳密に規定する。強度の湿気に対しては極度に通風をよくせねばならぬ。木材、紙、泥などは湿気を防ぐには最もよき建築材料である。が。それらは火事に対して何の防御も持たない。これらの様々な制約がその軽重の関係において秩序づけられつつ、ついにある地方の家屋の様式が作り上げられてくるのである。そうすれば家を作る仕方の固定は、風土における人間の自己了解の表現にほかならぬであろう。同様な事はまた着物の様式についてもいわれる。これもまた着物を作る仕方が長い間に社会的に固定したものであるが、その仕方を規定するものは風土である。ある地方に特有な着物の様式が、その地方の文化的優越のゆえに、風土の異なる他の地方に移植せられるという事は、家屋の場合よりも容易に起こり得ることであるが、しかしいかなる地方に移されようともその様式がそれを産んだ風土に規定せられて居るという事は決して抹殺されない。洋服は半世紀の間行われていても依然として洋服である。このことは、「食物」において一層顕著であろう。食物の生産にもっとも関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉とのいずれかを欲するかにしたがって牧畜か漁業かのいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したのもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。そうして我々の食欲は、食物一般と言う如き物を目指しているのではなく、既に長き間に出来上がっている一定の料理の仕方において作られた食物に向かう。パンかご飯か、ビステキか刺し身か、等などが空腹時において欲せられるものなのである。この料理の様式が一つの民族の長い間の風土的自己了解を表現する。魚貝や海草を食う事は我々の祖先が農業を習得するよりも前からすでに行っていたことなのである。
我々は更に風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる人間生活のうちに見出す事が出来る。風土が人間の自己了解の仕方である限りそれは当然の事であろう。我々は風土の現象をかかるものとして捉える。従ってそれが自然科学的対象と異なる事は明白である。海草を使う料理の様式を風土現象として考察する事は、風土を単に自然環境と見る立場ではない。いわんや芸術の様式を風土的に理解する事は、風土が歴史を離れたものではないことを端的に示すのである。風土の現象について最もしばしば行われている誤解は、我々が最初に提示した如き常識的な立場、すなわち自然環境と人間との間に影響を考える立場であるが、それは既に具体的な風土の現象から人間存在あるいは歴史の契機を洗い去り、それを単なる自然環境として観照する立場に移しているのである。人間は単に風土に規定されるのみではない、逆に人間が風土に働きかけてそれを変化する、などと説かれるのは、皆この立場に他ならない。それはまだ真に風土の現象を見ていないのである。我々はそれに対していかに人間の自己了解の仕方であるかを見てきた。人間の、すなわち個人的・社会的なる二重性を持つ人間の、自己了解の運動は、同時に歴史的である。従って歴史とはなれた風土もなければ風土とはなれた歴史もない。が、これらのことは人間存在の根本構造からしてのみ明らかにされ得るのである。
~沢田耕太郎『虚構の誘惑』より~
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ルポルタージュの方法といったものが気になりだしたのはごく最近のことである。これまでは興味の赴くままに、好き勝手なスタイルで書いていれば良かった。だが、どうしても突破できないいくつかの困難な壁が見えるようになって、方法と言ったものを強く意識せざるを得なくなってきた。
たとえばそのひとつが「無名」の人々をどう文字化していくか、ということであった。ここで文字化と言うとき、それは「思想を定着させる」などという大それたことではない。もっと技術的なことなのだ。取材をし、整理し、いざ書こうという段になって、彼、あるいは彼女の名をどう表わすかというごく初歩的な問題が起きてくる。実名を書いても良いものだろうか。まずそこで筆は止まる。書かれて良い記事ならかまわないかもしれない。だが、ほんとうは「無名」の人にとって、書かれて良い場合などひとつだってありはしないのだ。犯罪者やその家族ばかりではない。どんな小さな出来事によってであっても、ひとたびジャーナリズムに浮上し、あるいはさせられたとたん、「無名」の人の生活は微妙に侵食され始める。だとしたら「無名」の人を描くのは、ついに断念しなくてはならないのだろうか…。
恐らく、このような初歩的なところで躓くのは、僕自身にルポルタージュを書くということに対する大義名分がないからなのだ。「無名」の人を巻き込んでもなお「よし」とする大義名分を持っていないからだ。
幸いなことに、これまで正面切って、あなたはなぜルポルタージュを書くのかと問われたことはない。もし問い詰められたとすれば、どう答えたらよいのだろう。世のためではないことは確かだ。人のためでもなく、正義のためではもちろんない。真実とやらのためでもなかった。
ぼくが十二、三歳の少年時代から長く続けてきたスポーツに陸上競技がある。種目は、時に二百メートルであったりブロード・ジャンプだったりしたが、陸上競技という名でひとくくりにされるスポーツだったことに変わりない。そして二十二、三歳になり、陸上競技と全く無縁になったある時期から、ぼくはルポルタージュを書きはじめた。その二つのことに厳密な相関関係などありはしないが、ぼくにとって、ルポルタージュはやはり陸上競技の一種目のようなものだった。
書くことをスポーツとの比喩で語る阿呆らしさはよく承知しているつもりだ。しかし、ここでルポルタージュは陸上競技と同じものだというのは、結局ルポルタージュと言えども、自分ひとりのためのものでしかないということを、はっきりしておきたいからである。少なくとも、ぼくにとって、ルポルタージュは誰のためのものでもなかった。自分の愉しみだけのために踏切板を蹴り、跳んでいたのだ。
この五年間に何十篇かのルポルタージュを書いた。だが、そのうちたったの一篇ですら、「真実を追究するジャーナリストとしての使命感に燃えて」書いたことはない。ぼくの書いたルポルタージュは「嘘」ばかりだった。自分が自分に課した制約の中で、材料を拾い上げ、自分好みのひとつの物語を織っていたにすぎないのだ。
その制約とは何か。取材に疲れて、安易に想像力の世界に逃げ込まないこと、つまり、「嘘」は書かぬということだった。しかし、執拗に取材し、慎重に材料を選り分け、「嘘」ではないと信じる素材で必死に作り上げたものも、結局は一篇の「嘘」でしかありえない。だとすれば、「嘘」を書くために「嘘」を書かぬ、と言う奇妙な努力をつづけていることになる。なぜそれほどまでして馬鹿ばかしいほどストイックに「嘘」を書かぬという制約を自らに課さなくてはならないのだろう…。
恐らく、いま、ぼくは「嘘」を書きたがっているのだ。だが、それは取材に疲れたからというのでは決してない。どうせ「嘘」になってしまうのだから、はじめから「嘘」でいいというのでもない。「嘘」を書かぬために、取材に取材を重ねたあげく、どうしても「嘘」を書くより仕方が無いことも起こり得るのに気づいたのだ。いや「嘘」をこそ書きたいという欲求が生じることがあるのに、やっと気がついたのだ。
先ごろ、ある雑誌に「おばあさんが死んだ」というルポルタージュを書いた。地方都市の郊外で身寄りのない老女が餓死した。その一軒家を市の福祉職員が整理していると、奥の座敷から老女の兄のミイラ死体が出てきた。老女は兄の死体とともに一年半余りも暮らしていたのだ。生活は困窮していたが、国や他人の援助は受けぬと頑強に主張して、ついに餓死した。話はそれだけである。しかし、これを新聞の小さな記事で読んだとき、どうしても記事の余白をこの手で埋めてみたいと思ってしまったのだ。そして、事実、かなりの部分までは埋まった。だが、知りたいと思い、どうしてもわからなかったことが、ひとつ残った。
隣家の主婦からの証言だった。彼女によれば、夜になるとその家から、何者かに向かって喋っているような老女の低いつぶやきが洩れ聞こえてきていたというのだった。老女はたぶん兄の死体に向かって呟きつづけていたのだどんなことを語り掛けていたのか。知りたかった。しかし、呟いていたという事実はわかっても、その内容まではついにわからずじまいだった。
そんな時である。自分が自分に課した制約に復讐されるのは。その呟きの内容を、背後の膨大な取材から、ある精度を持って推察をすることは必ずしも不可能ではない。だが、それは「嘘」であることに違いない。「嘘」と自覚しつつその呟きの内容を書いてしまった時、その文章のルポルタージュとしての生命は終わる。しかし、書いてみたいという衝動の前には、制約など知ったことは無いと言う声も、一方には聞こえるのだ。
ぼくはほんとうにルポルタージュライターなのだろうか。ルポルタージュを書くということを望んでいたのだろうか。老女の呟きをあれほどまで狂おしく書きたかったのはなぜだろう。にもかかわらず結局書かなかったのはなぜだろう。これから先、その欲求を押さえつづけることが出来るのだろうか。
何もわからない。いまはただ、その呟きを書くか否かが、単にルポルタージュの方法の問題というばかりではなく、ぼくにとっては書くという表現行為全体の問題となりつつあることだけが、僅かにわかっているだけだ。
~三木清『構想力の論理』より~
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あらゆる制度はまず擬制的性質を具えている。そこに我々は神話的存在と制度的存在との区別を認めうるであろう。神話的存在はもとより現実的なものではなく、まさに神話的なものである。しかしながらそれは擬制的というべきものではなくて神秘的なもの、宗教的なもの、神聖なものである。制度はもとより神話化され、一つの神話として存在することが可能であり、、また実際そのような場合も少なくない。古代においては制度は宗教のうちに包括されていた。例えば、ギリシア人やローマ人にあっては、インド人にあっても同様、法律は始め宗教の一部であった。「法律は正義の観念からではなく、宗教から生まれたのであって、宗教の外においては考えられなかった。二人の人間の間に法律が存在するためには、既に彼らの間に宗教的関係が存在しなければならなかった」「、法律は宗教の一つの面にお過ぎなかった、共通の宗教無しには共通の法律は無かった」、とフュステル・・ドゥ・クゥランジュは書いている。単に法律のみではなく、芸術のごときものも宗教の一部分であり、さらに付け加えて言えば、その宗教は血族的なものであった。ローマ帝国の最後の時代に至るまでなお芝居やまたそこでは芸術があらゆる形式の元に展開される公の祭りは宗教的儀式の部分を形作っていたのである。もっとも我々は神話と制度との区別を必ずしも時間的順序において考えるのではない。神話は一定の制度の維持と保存の為に作られると見ることも出来る。またもちろん一般に神話が滅んだと考えられる後においても制度は存すると考えられる点から、神話と制度との区別を考えてゆくことも可能である。しかしながら我々の問題は論理的問題である。そして神話と制度との論理的区別はさしあたり後者の犠牲的性質において認められることが出来る。犠牲は本能の作りうるものではなく、かえって知性の産物である。神話が神秘的なものであるのに反して制度は一層知的なものであり、神話の神秘性に対して制度の知的性質を挙げることが出来る。問題は、かように知性と言われるものが果たして如何なるものであるかと言うことで無ければならぬ。
いま制度が犠牲的なものであるとするならば、その点においてすでに制度の知性は構想的でなければならぬと考えられるであろう。あるいは一般に犠牲的に無いし仮設的に働きうるということが知性の一つの重要な特徴であり、その点において既に知性は構想力と結びつくことができ、事実その場合知性は構想力と結びついていると考えられるであろう。制度の知性の根底には構想力がある。構想力なしには制度の発達はありえない。例えば、道徳も最初その通用範囲は血族関係に限られていた。かかる一定の道徳がその領域を拡大しうるためには、それが合理的なものでなければならぬことは言うまでもないであろう。けれどもただそれのみでは十分ではない。
例えば、我々は人に会ったときお辞儀をする。挨拶は一つの擬制であり、一つの制度である。かような挨拶は合理的なものであろうか。挨拶の仕方は種々の民族において種々に異なっている、我々がお辞儀をする場合に西洋人は握手をする、すなわち挨拶の仕方は合理的なものの本性と考えられるような普遍性を有しない。そして抽象的な挨拶一般が存在するのではなく、ただある一定の具体的な表現としてのみ挨拶は挨拶の意味を有するのである。また挨拶のうちに表現されるものは理知的なものというよりも情意的なもの、すなわち服従、親愛等の意志や感情である。それだからといって、挨拶と言う制度は全く非合理的なものであるのではない。それは一つの擬制として知性の産物でなければならぬ。もし全く非合理的なものであったならば、それが社会的に伝播し永続することは不可能であろう。挨拶は本能的なものであるとも考えられるが、しかし挨拶は礼儀としてむしろ擬制をもって本能に替えるという意味を有している。簡単に言えば、種々なる挨拶の形式は単に合理的なものでも単に非合理的なものでもない。かかるものとしてそれはまさに構想力に属する。実際、我々の生活の主なる部分はこのように単に合理的とも単に非合理的とも言いえない無数の大小の制度のうちに動いている。それを単なる非合理主義によって考えることが誤っているのと同様、それを単なる合理主義によって説明することも誤っていると言わねばならぬ。お辞儀をするとか握手をするとかという挨拶の形式は身分とか階級とか言う社会的関係によって規定され、かような社会的関係を表現すると考えられるであろう、これは挨拶と言う制度に対する知性の合理的な説明の仕方である。確かにその通りであるにしても、それによっては未だある特定の挨拶の形式が如何にして作られたかは説明されない。挨拶は自然の一般的法則を表現する数式のごときのものとは異なっている。それが本能に帰せられるのもこれが為である。もとよりそれは本能的なものではなくて擬制的なものである。しかも或る一定の具体的な形式を有する挨拶は単なる知性の産物ではなく、かえって構想力の産物である。「諸々の義務は、それを久しく実行している者にとっては如何に単純に見えるにしても、その発端においては全て個人的な独創的な発明であった、他の発明と同様に相継いで現れ、相継いで広がった発明であった」、とタルドは述べているが、挨拶のごときも一つの習俗であり、習俗は義務の性質を担っており、しかもそれはもと一つの発明である。そしてもしそれがもと一つの発明であったとすれば、それは知性により構想力に属しなければならぬであろう。ベルグソンもいうごとく、我々の知性は発明を「その湧出において、言換えるとそれが不可分のものを有する点において、またその天才性において、言換えるとそれが創造的な点を有するに置いて」捉えることが出来ぬ。「創造は何よりも感情を意味する」、とベルグソンは述べている。しかし創造は単なる感情ではない。ロゴス的とパトス的とが一つと考えられるような構想力から創造は考えられるのである。
~川田順造『聲』より~
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いとしい者の名を、ひとりで声に出して呼んでみる、あるいは呼びかける、それはその名と重ね合わされた、かけがえのない存在を、自分の声でいつくしんだり、抱きしめたりすることにほかならないし、死の床にある者の名を呼ぶ行為には、その名の消えようとする息を、自分の声で蘇生させようとする願いがこめられていよう。
だが反面、みだりに人の名を呼ぶことは、その名を持つものを犯し、辱めることでもある。そこから名乗りのヒエラルキーも生じるのであろう。一般に、身分の低い者は高い者に対して自分の名を自分の声で告げ、そのことによって相手の前に自分をいやしめる。身分の高い者は低い者に向かって自分の名を、少なくとも自分の声で名乗ることはしない。
名を呼ぶことが持つこの両義性は、だがおそらく一つのことの二つの側面なのであろう。本来、ことばも声も奪われたところにしかありえない、ひそやかな正真の「個」が、ことばで名づけ、声で呼ばれることによって、他者との関係の中にさらされるのであろう。名を知り、呼ぶことは、呼ばれた者を呼んだ者に従わせることでもある。多くの求婚者のうち、娘(若者)の名を言い当てた若者(娘)がその娘(若者)と結婚するという昔話は、私が西アフリカで採録したものの中にもいくつかあるが、いわゆる「難題聟」話の一つとして、世界のさまざまな民族で語られている。逆に、化け物の名を言い当てて化け物を退散させる、日本の昔話研究家が「大工と鬼六」と名づけているタイプの話も世界に多い。この型の話で、大工又は庄屋が鬼の名を知るのが、ふと耳にした童歌や子守唄によってであることは興味深い。名づけると言う行為の神秘とともに罪の意識を、子供の「名乗り」遊戯と重ね合わせて論じた坂部恵氏の「固有名詞と仮面のあいだ―固有なるものの神話」(『仮面の解釈学』)の鋭い直感を裏付けるからである。
やはり怪物退散の昔話だが、名の問題を考える上で面白い点を含んでいると思うのは、「化け物問答」と呼ばれている一連の話だ。
山寺に旅人が泊まると、夜中に化け物が次々に出てくる。旅人が名をたずねると、「さいちくりんのけいさんぞく」「なんちのりぎょ」「ほくさんびゃっこ」「とうざんばこつ」等の名をいう。旅人(山寺の和尚だったり、六部だったりすることもある)が、「西の竹薮の三足の鶏」「南の池の年を経た鯉」「北の山の白狐」「東の山の馬捨て場の骨」などと解き明かすと、化け物は退散する。
これは、まったく知られていなかった名をあてるのではないが、謎めいた、つまりちょっと聞いただけでは意味がわからない文句を「名」として告げた相手の、名の意味を解き明かすことで相手を負かす話だ。そこに起こっているのは、個の指示機能しか持たないように見せかけられたことばの、意味機能をあきらかにすることであり、固有名詞の装いを剥奪してそれを普通名詞に還元してみせることでもある。化け物は、自分の名を普通名詞として解き明かされたことによって、自分の謎めいたアイデンティティを保ちきれなくなるのだ。
いうまでもなく、人に名を付けることは、ある社会がその成員に対して適用する分類と認知の方式であり、人間以外のものも含めた世界の分類・認知体系の一部をなしている。人の命名においてはとくに、「類」を意味するものとしての普通名詞と、「個」を指示するものとしての固有名詞のかかわりの問題が、尖鋭な形で提起されることになる。
~岸田劉生『美の本体』より~
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人工にとって、自然は常に師である。個人的に一画家の作品は常にその画家の見る自然の足らわぬ表現であり、人類全体としては、美術家としての人類は常に自然の絶大や微妙の前に跪く。
しかし、自然の美というものは実は外にあるものではなく、むしろ吾々人間の心の衷に在る。外にあるものは唯の物質に過ぎない。その心なき物質が、「自然の美」とされるにはそこに人間の心が加わらなくてはならない。美は人類の衷にある一つの要求でありまた意志である。善と真を欲する人間の精神は同じく美を欲せずに入られない。均整とか調和とかいう美の標準も外から定められたものではなく、吾々が衷に持つ、自然の美の本能によって生まれるものである。吾々が自然物の諸現象の前に立って、あるいはそれを美しいと感じ、あるいはそれからさしたる感興を受けず、あるいはむしろ不快の感を興す等のことは、みなこの本能の標準によって不知の間にそれを審査しているのである。
かくて、自然の美というものは外のみに在るものではない。そういう組織や要素は外にあるにしても、それを美とするものは吾々の衷にある。自然の美とはそういう無情無常の諸現象と吾々の心とが合致して生れる暖かき子供である。そして美術の美とは、それを人間の手工によって表現したものである。もっとも、純粋の装飾美術や建築等は少し違う。それは自然の美の表現と言うよりも、人間の内なる「美」がもっと直接的に表わされたものだから。
かくて自然の美と言うものも、結局人類によってこの世界にもたらされたものであるということが出来る。しかしそれなら何故、その自然の美を表現し尽くすことが出来ないのか。このことに二つの原因がある。元来表現と言うものは手工によらなくてはできない。手工とは人間の肉体的能力のひとつである。すなわち、自然の物質的能力の一つであり、その中でもかなり矮小な能力にすぎない。ところが、自然の美、すなわちその手工に対する内容は、無限のものを見うる人間の精神の能力である。人力と一口に言っても、一方は肉体の力、一方は精神の力である。しかもその精神によって見られたところのものは、物質ではあるが、人間の限り在る肉体的能力とは比較にならぬほとんど無限の大無限の微を持つ自然力によってできたものである。ただに精神を去ってしまって、その物質的の力だけにしても到底手工は自然力には及ばない。ましてそれを精神の力をもって美としたものを、限り在る手工がしえないのは当然である。この二つの原因が、自然の美を永久に吾々画家にとって謎とさせるのである。
かくて人工は常に自然を師としこれに仕え学ばなくてはならないが、しかしこのことをもって人工は侮蔑されるべきではない。それは人工の尊さを知らぬ人の軽はずみな言である。もとより人口の小器用さに慢じそれを濫用し自然を蔑にすることはいけない。それはむしろ人工にとっての敵である。かかるものに対して自然のあくまで大きく、人工のそれにくらべて小さいことを説くのは当を得ている。しかし、そういうものがあるからとて本来の人工は軽蔑されるべきものではない。僕は画家だから人口の軽侮されることは不服である。
一方においては、美術は自然の美の永久の弟子であるけれど、また一方においては美術はこの世界に、この唯一の「美」の客観的実在である。この世界において、人間の精神が形を与えられ客観的な実在とされたところのものは美術の美の外に求めることはできない。
総ての自然の美は個人の主観に宿る。だからそれがいかに深いものであってもまた永遠のものであっても、それは瞬間にして消える。ここに表現の要求が生れる原因があると思えるが、一度それが表現されればその美は確定され立証され、またある程度まで永遠的な実在とされ、かくてまた機世万人の共有とされる。むろんその表現は、その主観を尽くすこと出来ない。
製作にはどうしても表現し尽くせないものが必ず残る。追えば追うほど、表現が出来れば出来るほど、先へ先へと深い美が見えて遂にそれを捉え尽くすことは出来ない。その美はついに実現されることは無く画家の心の中に取り残されてしまう。しかしこの最も深き美の剰余は終にこの世界に表わされないで消えてしまうものだろうか。少なくとも主観的にはそうである。作家自身が深い美を見ることが出来れば出来るほど、この表現し尽くせない美の剰余を感じるはずである。
しかしその表現し尽くせぬ美は実に唯一の表現の動力である。その美があればこそ表現がそこまで出来るのである。その美が深ければ深いほどその表現はそれを追うて深まる。またその表現が深まれば深まるほどその美は深いところへ逃れていく。一つ捉えれば又一つ、常に先へさきへとその美は見えてくる。永久に捉えることは出来ない。しかしまた一方からこれを見るときは、そう言う風に美が先へさきへと余っていくという事はとりもなおさず、より深い美を捉えていっていることになる。捕らえていくからこそ、捕らえきれないものが先へさきへと見えてくるのだ。かくて表現しきれずに残る美の深さは、表現できた表現の深浅によりてその価値も違う。
だから、或る画家がどうしても表現できない美も、或る画家の表現に及ばないと言うことが或る。ここに作品の生長があるということが或る。初期の作と生長してからの作の美の深さや複雑さが違うのはこの理由である。初期の作でどうしても表現し尽くせなかった美も、だんだん修練していく中にはいつしか捉えている。しかしもっと大きな謎がそのときは目先に控えていると言うことを、本道を通る画家は経験する。
だからこのどうしても表現し尽くせない美の剰余と言うものも、つまりは表現の一つの材料と見ることが出来る。その美の一つ手前までの美を表現さすになくてかなわぬ力は、その表現し尽くすことの出来ない美の力である。かくて表現は見ることを深くさせ、見ることは又表現を深くさせる。かくて、表現とその見るところの美とは、表現し尽くせない最後の美を剰して一致する。同じものとなる。こうして終にその画家の最上の傑作の時に残された美は、その画家の命と共にこの世から消えてしまう。それだけを思ってみると、人工と言うものがなんだか呆気ないもののような気がする。その最後の美や尊さを思うと、いかにもそれが表現されずに終ることは惜しい気がする。少なくとも画家にとって主観的にこの気持ちは強い。自然の美しさには到底及ばないと嘆くのはこの気持ちである。しかし幾度も繰り返すが、この最後に残される表現し尽くされぬ美を見えればこそそこに表現を欲する心が生じ、またそれだけの深い表現がなされるのである。またこの表現によって、さの美を確実に捉え証拠立て現実に具体していかなくては、より深く深くとその美を追求していくことは出来ない。最後に残る美を表現し尽くせないのは惜しいけれど、その惜しい美が先に見えていたればこそ、それほど深い表現がこの世のものになっているのだ。ここに自然の美が永久に画家の師であると同時に、美術の美がまた永久に自然の美の新しき創見である原因がある。
~花田清輝『笑いの仮面』より~
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父親の死の床で娘が叫ぶ。「お父さんが死んであたし悲しいわ。」
これは正確な言葉だ。いささか正確過ぎる嫌いが或る。そのために、ともすれば折角の愁嘆場を、ぶちこわしにしかねない台詞である。いわば2+3=5といった趣がある。もっとも台詞と言うものは、抑揚次第で、様々なニュアンスを出すことが出来る。この味も素っ気も無い言葉にしたところで、次第によっては大変神秘的な響きを持つかもしれない。たとえば2+3=5にしたところでそうである。ピタゴラス学徒にとっては、これは単なる足し算を意味するものではない。ピタゴラスはあらゆる数にそれぞれの意味を付していた。すなわち、10は宇宙の基準であり、人と神の摂理の力であり、正義は4であり、愛と友情とは8であるというあんばいに。そこで2+3=5は何を表現しているかと言えば、これはかれにとって結婚と言う事実を物語る。なぜというのに、男は3であり、女は2であるからだ。
しかし、とにかく「お父さんが死んであたし悲しいわ。」という白(せりふ)は、あまり芸術的とは申されない。たしかにこの白を書いた劇作家は相当のぼくねんじんであったらしい。かれは2+3=5に、べつだん、ほかの意味を発見していたわけではなかった。この白のト書に、(憎々しく)とでもあれば、どうしてこれがいつまでも私の記憶に残っている筈があろう。かれにとって2+3=5は、つねに2+3=5以外の何者でもなかった。数学の発展が2+3=5のほかに、2+3=6をすら成り立たせていると言うような事実は、かれの全然あずかり知らないところであった。
「数学の原則なるものは過大評価されることを許さない。平行線の公理のとり方一つによっても三種の幾何学(双曲線幾何学、抛物線幾何学、楕円幾何学)が得られるように、数の方面においても活撥なる理論構成とその展開が行われるようになった。そして特異なる数系統が続々とわれらの前にならべられた。われらは今2+3=6に驚きはしない。2+3=5がたしかなように、前者もまた、その確かな根拠を持っているのであるから。」(伊藤志郎『数学方法論』)
こういう時、「お父さんが死んであたし悲しいわ。」という正確な言葉への過信は2+3=5を絶対的なものと思い込むのと同様に、若干今日的ではないことは確かであろう。大切な悲劇的クライマックスで、まず普通の劇作家なら、決してこういう間の抜けた白を、娘にさけばせないだろう。気の毒なことにお父さんばかりではなく、その白もまた死んでいる。観客はそういう死んだ白を聞いて、悲しくなるよりも、むしろ悲しさとは反対の気持ちに否応なしに追いやられてしまうにちがいない。小屋中が湧く。笑いがそこから生れてくる。
では二十世紀の劇作家は、父親の死に際して、娘にどういう白を与えるか。一例としてオニールをあげよう。
「そうです、亡くなりました―お父さまは。―その情熱があたしを創った―あたしというものを始めた―お父さまは亡くなりました。唯お父さまの最期が生きているだけです―お父さまの死が。」
確かに「お父さんが死んであたし悲しいわ。」にくらべると大分手が込んでいる。「悲しいわ」などという原始的表現は、どこを探しても見当たらない。これならば、娘役の見せ場も一応引きたとうというものだ。独創的な芸術家なら、皆、こんな白をでっちあげる。
とはいえ、―とはいえ問題はこれからである。断っておくが、正直なところ、私は右に上げたオニールの白を高く買うものではない。むしろ「お父さんが死んであたし悲しいわ。」の簡明率直を愛するものだ。
いかにも芸術の世界では、「お父さんが死んであたし悲しいわ。」と言う言葉は間のびしている。白々しい。いささか軽薄でも或る。したがって、娘さんの悲しみに、私たちは素直に同感することが出来ない。しかし、これが現実の世界なら如何だろう?案外、悲しみきわまったとき、私たちはそういう紋切り型の白を、大して不自然とも思わず平気でつかっているのではなかろうか。すくなくとも私たちはそういう言葉を聞いて決して笑うことは在るまい。
翻って、オニールの書いた娘の言葉が、現実の世界で発音される場合を考えてみよう。「そうです、亡くなりました―お父さまは。―その情熱があたしを創った―あたしというものを始めた―お父さまは亡くなりました。唯お父さまの最期が生きているだけです―お父さまの死が。」どうも私には、たいへん空々しく聞こえる。これは舞台用の言葉である。舞台でこそ真実味を帯びるであろうが、私たちの周囲で「「その情熱があたしを創った―あたしというものを始めた」などと娘さんが回りくどく父親のことを説明したりするのを聞くと、軽薄な私などは早速ゲラゲラと笑い出すかもしれない。
現実の世界における虚偽が芸術の世界では真実(或いはそのVice Versa)。これは今さらくり返すまでも無く、誰でも知っていることである。2+3=5は、いっぱんに芸術の世界では通用しない。毒をもって毒を制する以外に手は無いと悟るとき、芸術家は大同小異に嘘をつき、嘘をもって嘘を殺し、真実のいかなるものであるかを表現する。「われらは今2+3=6に驚きはしない。」
いや驚かないばかりではない。私自身に関する限りでは、もはや2+3=6の顔をみるのも嫌である。つまり、現実と変わりの無い確実な幻想を与えるリアリズムと言う芸術上の手法に、まったくあきあきしているのである。なぜというのに、リアリズムは久しく芸術の世界で跳梁しているばかりではなく、今では現実の世界にまで侵入してきて、猛威をふるっているからである。このことは何を意味するか。オニールの気取った白が、現実の世界で白昼公然とつかわれていることを意味する。もはや私のような軽薄な人間ででもないかぎり、誰一人それを聞いて笑い出すことはないのかも知れない。なんというさびしいことだろう。そうだとすれば、「お父さんが死んであたし悲しいわ。」というような言葉は、たぶん現実の世界でも大きな顔は出来ない筈だ。やはり間が抜けているのである。
しかし、それならば、今度は反対に、この言葉を芸術的に生かす道がある筈だ。これは恐ろしく新鮮な白であるとも言えるのである。拙劣だとみえたのは、2+3=5の秩序をもちこんだからにほかならない。そこで笑いが作家の意図に反して起こったのだ。もしもかれが、敢然として2+3=5の法則を採用し、あくまで意識的に、徹頭徹尾、こういう紋切り型の白ばかりを駆使して一篇のドラマを書き上げるならば、その効果はどうであろうか。おそらくそれは、最も現代的な最も辛らつな―しかしてまた、最も巧緻な作品になるだろう。
一例として、斎藤緑雨のパロディを左に掲げる。
火鉢の上に鉄瓶が
落ちているとて無断にて
他人の物を持ち行くは
取りも直さず泥棒で
泥棒元来不正なり
雲を霞と逃ぐるとも
早く縄ない追い駆けて
縛せや縛せ犯罪人
緑雨の「新体詩」に対する批評は―或いは又、そこから生れる笑いは、たしかに詩の領域だけに向けられたものではないかのようだ。自明の理、同意語反復、陳腐な言葉の羅列―にも拘らず、当時どの「新体詩」よりも新しい。かれはするどい批評眼を持っていた。そうして、独自の表現なるものに退屈していた。いや、むしろかれにはかれの生きていた時代が、なんとも退屈でやりきれなかったのである。そこでかれはいったのだ。「お父さんが死んであたし悲しいわ。」と。「2+3=5」と。
~野矢茂樹『哲学の謎』より~
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(1)生物が絶滅しても夕焼けは赤いか A:地球上から一切の生物が絶滅したとするね。 B:いきなり、何さ。 A:その時、それでも夕焼けはなお赤いだろうか。 B:何か不気味な色に変わるとでも? A:いや、見るものがいなくとも夕焼けは色をもつか、と言う事。 B:もちろん何か色をもつだろうね。例えば、核戦争の後、見られる事もなく西の空が 奇妙な色に染まるとか。だけど、突然どうして? A:漠然とした言い方で申し訳ないけど、例えば見ることと見られた対象ないし世界と 言う事で、どうもなんだか釈然としない気分がある。いま、西日に照らされた雲を 見ていて、依然少し考えていたことを君を考えてみたくなったんだ。君は見るもの がいなくとも夕焼けは何か色をもつだろうと言ったね、でも、私はもたないと思う。 B:どうして。 A:もし、青と黄の系統しか感知しない生物だけが生き残ったらどうなる? B:そしたら、なんだ、何色になるんだ?暗い緑に染まるのかな。 A:そのとき、夕焼けの色は暗い緑だ、と。 B:そうなるね。 A:その生物も死滅したら? B:そうなったら……、そうか。そのとき夕焼けの色も「死滅」しちゃうか。もう夕焼 けは何色でもなくなる。 A:色は対象そのものの性質ではない、むしろ、対象とそれを見るものとの合作とでも 言うべきではないか。それゆえ、見るものがいなくなったならば、物は色を失う。 世界は本来無色なのであり、色とは自分の視野に表れる性質に他ならない。そう思 わないか? B:分かるような気もするけど、なんか、おかしいな。 A:うん、私もどこかすっきりしない。だが、どこがおかしいのだろう。 B:例えば、ぼくが死んだって世界は色を失うわけじゃないよね。 A:まあ、それは、他の人が生きてるからね。 (2)死と他者 B:でも、やっぱり良く分からないな。……あのさ、君は、自分が死ぬことによって何 が終わるんだと思う? A:少なくとも世界が終わるわけではない。しかし、確かに何かが終わる。ときには、 自分が死ぬと一切が無に帰すような感じさえ抱く。 B:そうそう。そういう感じって、確かにある。でも、世界はほとんど無傷のままあり 続ける。これ、どうも、なんか妙な気分だよね。 A:実在の世界はあり続けるが、一つの意識の世界が終わるとは言えないだろうか。 B:意識の世界? A:死は、身体の物質的組織の変化であると同時に、いま感じているこの温かさ、この 明るさ、これらの物音の意識、そしてもろもろの記憶の喪失に他ならない。世界そ のものは終わらないが、私が五官で受け取っているこの意識の世界は消滅する。 B:うーん、何かしっくりこないな。何だろう。 A:何かな。 B:あのさ、あまり考えたくない想像だけど、世界に生き残った生物が僕と君だけだっ たとする。まあおっつけ絶滅だけどね。 A:雌でなくて申し訳ない。 B:いや、それは……もっと考えたくないな。まあ、それでね。 A:うん。 B:そのとき、僕の意識の世界と君の意識の世界と実在の世界の三つの世界があること になるのかな。 A:そうなるだろうね。 B:それがなんだかうさんくさいんだ。君と僕は同じ実在の世界に住みながら、と同時 に異なる意識の世界に住んでいる。 A:しかし、実際、私と他の人々の見ている世界、感じている世界は異なっている。私 の見ているものを君は異なるアングルから見ている。私がそれほど暑くないと感じ ているのに、君は暑がりで、暑い暑いと連発する。これも生活の実感だろう。 B:まあ、それはそうなんだけど。 A:別の語り方をすれば、こうだ。そこに一個のコーヒーカップがある。そこから光が 反射されてそれぞれの目にとどき、それぞれの視神経を通じて脳を刺激し、その結 果、異なったコーヒーカップの姿が見える。つまり、同じ物から異なる刺激が与え られ、異なった処理をされて、その結果異なった意識が生じる。 B:その「同じ物」っていのが、実在の世界にあって、結果としての異なった意識の世 界が、人数分だけあると言うわけだね。 A:そう。 (3)実在の世界はどこにあるのか B:どうも、おかしなことになりそうだな。……いま目の前にコーヒーカップが見えて いる。だけど、これはコーヒーカップそのものじゃなくて、僕の見た、僕の意識に 映じたコーヒーカップの姿だ。君はそういう。 A:そのとおりだ。 B:もしそうなら、実在のコーヒーカップはどこにあるんだ。 A:ここ。 B:「ここ」って、ここ? A:もちろん。ここにコーヒーカップがあるから、ここにコーヒーカップが見えている。 向こうにコーヒーカップがあるなら、向こうに見える。 B:君は今「ここ」と言って見えているコーヒーカップのある場所を指差した。でも、 何て言えばいいのかな、君はいったいどこを指差したのだろう。 A:「どこ」って?何を尋ねられているのかよく分からないな。 B:実在のコーヒーカップから反射された光が君の眼球にとどき、視神経を刺激して脳 に伝わる。そして脳のしかるべき部位が興奮して君にコーヒーカップの視覚象を見 せる。君はここで、テレビの中継のような事を考えてないか? A:テレビの中継?そう言っても良いかもしれない。現場が向こうにあり、そこで撮影 した情報が意識の画面に写ると言うわけだ。うん?……そうか。そうすると、「こ こ」と言って指差した場所が「どこ」なのかは問題かもしれない。 B:どうも奇妙なんだよ。撮影現場はテレビのある位置から遠く隔たっている。そこか 情報が伝えられて、君は君の心の小部屋にある画面を見ている。たとえば、そこに 事故の場面が写る。でも、それは、どこで起こった事故なのか。君は「ここ」と指 を差す。だけど、それはテレビのある君の部屋の一隅なんだ。 A:なるほど。君の感じている疑問が分ってきた。私は私の知覚像が映し出している現 場を指差さねば成らないはずだ。しかし、どこを指差そうとも、それは私の意識の 世界でしかない。「ここにコーヒーカップがある」、私はそのコーヒーカップに触れ てみる。しかし、私は実在のコーヒーカップに触れたのではない。指先に伝わるそ の感触は、私の触れたコーヒーカップの、やはり私の意識の世界の物でしかない。 だとすれば、私は意識の世界の「ここ」に触れたのであり、それは、テレビの画面 に触れたに等しい。実在のコーヒーカップのある現場は、そこには無いかもしれな い。 B:大体、コーヒーカップに触れた君のその指からして、君が見て君が感じている意識 された指の姿なんだからね。 A:そういう事だ。 B:と言う事は、「実在のコーヒーカップは何処にあるのか」と問われても答えようが ないって事か。 A:ふむ。意識の世界と実在の世界とは全く位置関係をもたない。と言うか、位置関係 を持ち得ない。 B:だとすると。えーと。一体。 A:悩ましいな。 B:ねぇ、僕はどっちの世界に居るんだろう? A:見て感じている世界に居るというしかないね。つまり、結局は…。 B:どうなるのかな? A:実在の世界など無い、と言う事だ。 B:え?そうなっちゃうの? A:そうなるのだと思う。 B:わかんないなぁ。 (4)実在が視野から消える A:我々は、実在の世界について、何事かを知っていると考えている。あるいは、いま まではそう考えていた。そうだね? B:僕は今でもそう考えているよ。 A:しかし、どうやって実在の世界について何かを知りうるのだろう? B:知りえないって言いたいわけ? A:考えてみよう。少し不用意に今まで考えていたように答えてくれないか。 B:分った。そうすると、つまり、こうだ。僕は実在の世界について、見えているもの 触っているものから判断する。たとえば、机の上に本が見えているとすれば、実在 の世界でも机の上に本があるんだろうってね。 A:その意識の世界と実在の世界の関係については、どうして知ったのだろう? B:そうじゃなければ、机の上に本があるのなんか見えるわけはない。 A:そうかな? B:たとえば、脳みそに直接電極を差し込んでこんな光景を見させる事が出来るかもし れないとか? A:なるほど。そういう事も考えられる。だが、問題は余りにも単純だ。君が手にしう るデータは全て意識の世界についての情報でしかない。そういう事だ。 B:だけど、こういうふうに見えたり、聞こえたりするからには、そうなるに至る原因 があるはずでしょ。 A:しかし、君は結果にしか手にし得ない。実在の世界が君に引き起こしたと想定され る。この意識の世界にしか君は住んでいない。日差しの眩しさも、かまびすしいセ ミの声もコーヒーの苦さも、「全ては結果に他ならない」。そして、それがいかなる 原因によって引き起こされた者ものなのか、君には全く分からない。いや、何らか の原因によって引き起こされたのかどうかすら分かりようが無い。 B:そうすると、僕は実在について何一つ知り得ないと言う事になるわけか。 A:そう。つまり、どうなったのか。意識だけが残された。現実の内に意識と実在と言 う二つの項目を認め、そこに、メスを入れ切り離した途端に、実在のページが視野 から姿を消し、意識だけが一つ残されたのだ。 (5)他人の意識も視野から消える B:一つじゃないでしょう。 A:と言うと? B:たとえ意識だけが残されたとしても、一つだけじゃない。君、僕の事を忘れてない? A:そうか…。いや、いいんんだ。 B:よかないよ。 A:しかし、実在について一切知り得なかったのと全く同様に、私は君の意識の世界に ついて何一つ知り得ない。君の声を聞き、顔つきや身振りを見て、まぁ、触ってみ たとしてもそれは全て私の意識に映し出された限りでの君の姿でしかない。 B:で、僕には意識は無いとでも? A:実在は切り捨てられても何も文句は言わなかったが、君はお喋りだから、切り捨て るには確かにすっきりしないものを感じる。しかし、議論の構造は同じだ。実在の 世界が視野から姿を消すと同時に、他人の意識の世界も視野から姿を消す。残るの はただ私の意識だけだ。全ては私が見、聞き、感じる世界に他ならない。君が何を 言おうとも。 B:全く、誰に向かってものを言っているんだろうね? A:私の意識の世界に登場している君に。 B:いやはや。 (6)死んでも世界は終わらないか A:全ては私の死とともに終わる。そういう事になる。 B:君の葬式が楽しみだね。 A:それは君の世界の話だ。私の世界には君の葬式はあっても私の葬式はない。私は私 の葬式を見る事は出来ないからね。 B:でも、考える事は出来る。君生命保険に入ってるか? A:やぶからぼうに B:君が死ぬと受取人も消えるんだろう。 A:ふむ。つまりだね。生命保険と言うのは、私の死と言う絶対に経験し得ない。虚焦 点でもって私の生を照らし出す仕方に他ならない…わけだ。 B:なんだそりゃ。入ってるんだ。 A:いけないか? B:いけなかないよ。だけど、君だって、君の死が世界そのものの終わりだって信じて いるわけじゃないだろう? A:しかし、私の意識の世界が終わっても、尚他人の意識の世界や実在の世界が残りつ づけると言う考えは、私の意識を超えた不可知の世界を想定している。それは、今 までの議論が示してきたように、不毛な二元論だ。私の手にしている者は全て、私 の意識に映し出された姿に他ならない。結局のところ、視覚・記憶・思考・想像・ 信念、こうしたものと共に一切が終わる。 B:本気で自分が死んだら世界が終わるって信じているの? A:いや B:ありゃりゃ、なんだよ A:君は私の信念の在り方を問いたいのだね? B:そうだよ。 A:それならば、私だって私が死んでも世界はありつづけると信じている。しかし、私 が死ぬとその信念も消失する。私は「死んでも世界は終わらない」と言う信念と共 に死ぬ。勿論、その信念もその時消失する。 B:またややこしい事になっちゃったな。 A:「死んでも世界は終わらない」と言う信念を捨てる事は出来ないだろう。それはい わば、根源的な信念であり、私の生活の多くの部分はこの信念の上に成立している。 それが私の生き方に他ならない。 B:しかし、その信念もやはり、君の意識の世界の事で、君の死と共に終わると。だか ら相変わらず、君の死はすべての消滅を意味すると言うわけだ。 A:そう。 B:すると、君は「自分の死と共に全ては消滅する」と言う事も信じているわけ? A:微妙な問題だな。 B:うん。もし信じていると言うのなら、それは「死んでも世界は終わらない」と言う 信念と矛盾する。君は矛盾した信念を持っている事になる。 A:信念のレベルが異なるのではないか? B:どういう意味? A:良く分からないが B:「死んでも世界が終わらない」と言う信念は根源的で君の生き方に結びついている。 君はさっきそういったね?それはそうだと僕も思う。だけど、「私の死と共に全て は終わる」と言う主張の方はどうなんだろう?僕にはこの主張の収まるべき場所が 見当たらないんだ。浮いちゃってる様に思える。 A:浮いてる? B:だって、これは君の生き方と結びついていないものなんだろう。もし「死と共に全 てが終わる」という信念もまた君の生き方と結びついていると言うなら、君の生き 方は分裂している。そうでないなら、どっちかが浮いているに違いない。 A:それならば、再び、意識と独立な実在と言う空虚な想定に君は戻ろうと言うのか。 浮いてしまっているのは、まさに、その実在と言う想定に他ならない。その点は君 も同意するのだろう? B:うん。意識と実在と別立てにしてその実在の世界の在り方を探ると言う考え方が空 虚だって事は僕もそう思うように成った。だけど、「全ては私の意識の世界だ」と いうのも、同じくらい空虚な、単なるお題目に過ぎないんじゃないのか。 (7)他人の意識 B:それから、他人の心についても同じ事が言える。 A:言えそうだね。死んでも世界は終わらないと言う事と同じ事くらい根源的な信念と して、私は他人にも意識がある事を信じている。我々の生活がその上に立脚してい ると言う点では、こちらのほうが生活により広く関わっているとも言える。しかし、 見るもの、聞くもの、感じるもの、全て私の意識の事柄だと言うのも、やはり実感 なのだ。私は他人の意識を直接覗き見る事は出来ない。私が見聞きできるのは、そ の顔つき、振る舞い、声と言った外面的なものでしかない。 B:確かに、外に現われたものを僕は見る。でも、顔つきや振る舞いが「外面的なもの でしかない」というのは、どうなんだろう。 A:と言うと? B:例えばさ、そうした外面的なものだけを全て揃えたロボットを作ったとするよね。 流暢な日本語を話し、悩みを訴え、泣き、あるいは笑う。その時、我々はそのロボ ットに対しても意識があると信じないかなぁ。 A:しかし、機械仕掛けなのだろう? B:もちろん、ロボットだからね。だけど…… A:機械仕掛けでも意識があると言うならば、自動ドアや自動販売機にも意識がある事 になる。 B:でも、それだけ良く出来たロボットだと、きっと、本気で悩みの相談に乗ったり慰 めたりしたくなるよね。 A:まあ、何時かそういう日がくるのかもしれない。 B:それって、ロボットに意識を認めてるって事じゃないか。 A:そうかな。 B:他人にも意識があると言う根源的信念に基づいて我々は生活をしている。じゃあ逆 に、その信念を欠いたままで、本気でこうした生活を送れるだろうか。 A:ふむ。 B:本気で相談に乗ったり、慰めたりする事が、即ち、他人にも意識があると言う根源 的信念を持っていると言う事なんじゃないか。 A:すると、自動ドアとそのロボットの違いは? B:それに関わる我々の生活態度の違いだ。 A:では、自動ドアに対して意識を認められるような生活も考えられると言う事か。 B:前に立っても機嫌が悪くて開いてくれない。「おい、頼むよ」とか言うといやいや ながらって感じで開きそうになるから通ろうとすると、意地悪でまた閉まる。「ち きしょう、おまえなんか通ってやるものか」ってんで、 A:わかったよ。 B:まだ続くのに。 A:いや、もう充分。そうすると、我々が「意識」と言う言葉で意味する事は、純粋に 内面的な事だけでなく、生活全体に関わっている、というわけか。 B:そういう事。 (8) 純粋に内面的な意識 A:つまり、君はロボットも「意識をもつ」と言われるような状況になる事はありうる、 と考えるわけだ。 B:うん。さっきみたいなやりとりになるんなら、自動ドアだってそうだ。 A:では、君は君と同じように振る舞うロボットに変身させられても良いわけだね。 B:えっ? A:魔法使いのようなものがやってきて、今から君をロボットに変身させると言う。で も大丈夫、姿形は変わらないし、振る舞いも今まで通り、他人から見たら何一つ変 った様には見えないからと言うのだ。しかし、君にしたらそれは変らないどころで はないのではないか。 B:見えているように振る舞うけど、見えていない。痛がりはするけど、痛みを感じて はいない、そう言いたいの? A:そうならないかな。そしてもしそうなら、それは君にとって「死」に等しいのでは ないか。 B:どうなんだろう。それは本当にしに等しいのかな。 A:身体的には元のままだが、意識の死と言えないだろうか。君は、「今からロボット に変身させる」と言われたら恐怖におののきはしないか。 B:恐いような気もするけど、良く分からないな。 A:想像を超えてる? B:どうも、ね。……確かに、それは僕にとって死に等しい喪失なのかもしれない。だ けど、もしかしたら、「ロボットに変えられた」と言っても実質は何も変ってない ような気もするんだ。 A:いや、そんなことはない。ロボットは、どれほど振る舞いが君と同じになったとし ても、君がもっているそれを持ちえない。 B:「それ」って? あ:純粋に内面的な君の意識だ。 B:「意識」を生活全体に関わる事として捉えようって話になってたのに、話はまた元 に戻ったね。 A:しかし、どうしても、意識がもっているこの内面性は否定できないように思うのだ。 B:その気持ちは僕だって分からないじゃない。だけど、もし自分の内なる意識から出 発したとしたら、もうそこから何処へも出て行けなくなってしまう。僕はこの内な る意識の外、実在の世界について何を知りうるのか。そして、他人の意識の世界に ついて何を知りうるのか。 A:どう考えればよいのか、今は分からないとしか言いようがない。しかし、内なる意 識の世界を確保しつつ、「私の意識だけが全てだ」という独我論にも陥らない抜け 道はどこにあるのではないだろうか。 B:あるかな。 A:誰にでも内なる意識の世界があり、にも関らず、お互いの心についてある程度分か り合え、しかも実在の世界についてもある程度確実に知りうる、という事。 B:それがごく常識的な了解だよね。 A:これほど健全な絵を整合的に描いてみせる事が行も困難だという事が、むしろ驚き に感じられてきた。 B:まったくだね。 (9) 夢中の死 A:余談なのだけど、一つ奇妙な可能性を思い付いた。 B:なに? A:たとえば君と部屋で雑談している夢を見ている。ところがそれは死ぬ間際の夢で、 夢を見つつ、死んでしまう。そのとき、それはその人にとってもはや夢ではない。 B:その人はそれを夢と気付く事なく、死んでいくのだからね。もし老人が若かった頃 の夢を見つつ死んでいくなら、その人は自分が実は年寄りだということに二度と気 付く事なく、死んでいくわけだ。 A:そう。そして、老人は若者として死に、若者としての夢の途中で、映画のフィルム が切れるようにして全てが終わる。そう考えると、今この次の瞬間にも私は、まさ にそのようにして死を迎えるかもしれない。コーヒーカップに手を伸ばしつつある その瞬間に私の夢見の本体が死に、全てがぷつんと終わる。 B:やな感じ。 A:もしそうなら、死と共に世界は終わる。 B:かもしれない。
~大森荘蔵『流れとよどみ』より~
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カメレオンの本当の色は何だろうか。もちろんそんな色などがないことは誰でも承知している。木の葉の中では緑色、岩場の上では茶褐色、それぞれその場その場の色のどれもが真実の色であって、その中でこれこそ本物の色だと言うような色はありはしないからである。だが、カメレオンや七色変化の紫陽花とは違って、色変わりしないものには「本当の色」がある、そう思う人もいるだろう。
しかし、例えば着物の生地に本当の色といったものがあるだろうか。昼と夜、窓辺と部屋の隅、蛍光燈と白熱電球、生地をのせた台の色、見る人の眼の具合、こういった様々な状況でその生地は様々な色に見える。それら様々な色の中でどの色がその「本当の色」だと言えるのか。青磁の壷や翡翠の帯留めは、どの向きからどのような近さで見たときにその本当の色を見せるというのだろうか。いや、こういう場合にもその折々の様々な色の全てが本当の色なのであって、特定の一つの色が他を差し置いて真実の色になる訳ではあるまい。ステレオのハイファイが音キチの間でやかましく言われるのは、その装置が出す音が演奏現場の生の音をどれだけ忠実に複製しているかということであろう。しかし、演奏会の生の音自身が座席によって様々に聞こえる。そこでこの座席で聞く音こそ本当の音なのだ、と言えるような座席があるだろうか。座席によって料金が違うのは高い席ほどより真実の音が聞こえるからだろうか。そうではあるまい。いい席ほどよく聞こえるだろうが、よく聞こえることがすなわち本当の音が聞こえるということではない。天井桟敷で聞く音もそこで聞こえる本当の音であることでは平土間で聞く音と何のかわりもない。真実とは貧しく偏屈なものではなく豊かな百面相なのである。
それなのに人はえてしてことを一面相で整理したがるようにみえる。例えば、犯人の人柄をあれこれ品定めするとき。彼は本当は良い奴なんだ、一見人付き合いは悪いけど本当は親切な男なんだよ、こうした評言はどこにいても聞かれる。こうした言い方の中には、人には「本当の人柄」というものがあるのだが度々それは仮面で覆い隠されている、と言った考えが潜んでいる様に思われる。人を見る眼、と言うのもこの仮面を剥いで生地の正体を見て取る力だと思われている。しかし、「本当は」親切な男が働いた不親切な行為は嘘の行為だと言えようか。その状況においてはそういう不親切を示すのもその親切男の「本当の」人柄ではなかったか。人が状況によって、また相手によって、様々に振る舞うことは当然である。部下には親切だが上役には不親切、男には嘘をつくが女にはつかない、会社では陽気だが家へ帰るとむっつりする、こういった斑模様の振る舞い方が自然なのであって、親切一色や陽気一色の方が人間離れしていよう。もししいて「本当の人柄」を云々するならば、こうして状況や相手次第で千変万化する行動様式が織りなす斑なパターンこそを「本当の人柄」というべきであろう。そのそれぞれの行為すべてがその人間の本当の人柄の表現なのである。普段はけちな男が何かの場合で涙を飲んで大盤振る舞いをしたとしても、それは演技でも仮面でもない。それはその人間の涙ぐましい真剣な行為であり、その人の本当の人柄の現われなのである。その演技に騙されたと言う人は何も嘘の行為に騙されたのではなく、その行為から謝ってその人は普段でも奢り好きだと思い込んだだけである。それは統計的推測の間違えであって、その大盤振る舞いが何か偽の行為であったというものではない。
観世音菩薩も衆生済度の為様々な姿を取られた。六観音とか三十三観音とか。その多様な観音の本元は聖観音だと言われるが、だからと言って他の観音が偽の観音だということにはなるまい。その変化変身のいずれもが正真正銘の観音である。聖観音はただ、観音の基本形だというだけであって唯一真実の観音だと言うのではないだろう。人間もまた済度の為にではなくても生きるが為に様々な姿を示すのである。そのいずれの姿も真実の一片であり百面相の一面なのである。人の真実は何処か奥深く隠されているのではない。隠そうにも隠し場所がないのである。その真実の断片とは否応なく表面に剥き出しにされている。そして、それらを集めて取りまとめられれば百面相の真実が出来上がるのである。人の真実は水深ゼロメートルにある。
世界の姿もまた百面相で現われる。小石一つ取ってもその姿は私のそれを見る角度や距離、お天気具合や周りの事物によって無限に変化する。そのどの姿も等しく真実の姿であり、その中から何か一つの姿を、これこそ真実だ、と特権的に抜き出すことは出来ない。そのとき私の眼の中に故障があると小石は歪な形の姿に見えるだろう。しかし、その歪な小石の姿もまた真実であって偽者ではない。正常な眼に見えるまろやかな小石の姿と、故障のある眼に見える歪んだ姿との間には何の真偽の別もない。その小石は健全な眼にはまろやかに、悪い眼には歪んで見える、そういう石なのである。
夕暮れに山道を歩いてふと前方の道の曲がり角に人が佇んでいるのが見えた。だが、近寄ってみると奇妙な形をした岩であった。こうした時人は先刻見えた人影を錯覚だとか幻影だとかと言うだろう。そこには岩があるばかりで人間などはいなかった、だから私に見えた人影はただの私の心だとか意識のなかにだけあったものだと。だが、この一見無邪気で至極当然な考え方が実は危険な世界観の発端になる。と言うのは、これが、真実の世界と私に映ったその世界の姿と言う「本物-写し」の比喩の入り口だからである。一つの本物の世界(客観的世界)とその十人十色の写し(主観的世界像)、と言う図柄の比喩である。この比喩から言えば、同じ一つの世界が人様々に映るのは当然のことであるし、人間レンズや人間フィルムが悪ければ歪んだ像が写るのも道理である。また、フィルムがどうかしておれば実物がないのに幻影が生じることになる。こうして真実の世界は、われわれに映ったその姿と言う映写幕によって遮られ隔てられることになる。事実、大脳生理学や精神病理学はこの比喩をベースにした言語で語られている様に見える。
だが、この比喩こそが実は幻影なのではあるまいかと私には思われる。だから、この比喩の入り口立ちに戻ってみよう。山道の人影はそれが私に見えたとき真実そこにあったのではないか。そのとき世界は真実その様な姿で現われたのではあるまいか。奇妙な形の岩は白昼近寄って見ればまごうことなく岩の姿で現われる、それと同時に薄暗がりの遠目には時に人の姿で現われる、そういった種類の物ではないか。その岩もまた、そして、その岩を含む世界もまた百面相で現われるのである。それは隠し絵だとかロールシャッハ図形だとか反転図形だとかが様々な姿で現われるのと同様である。芥川の有名な「薮の中」の一見互いに食い違う証言も実は全て嘘偽りのないものであった、と言うことも不可能ではない。一つの事件が当事者の各々にそれぞれ違った姿で現われることは有り得る、と言うよりはそれがむしろ常態ではあるまいか。
それにもせよ、遠目に見えた人影が見誤りであったことには違いない。だが、この「誤り」とはこの世界に実在しない虚妄の姿を見たと言う意味での「誤り」ではない。その人影は確かに一刻そこに現われたのである。岩は確かに人影に現われたのである。ただ、その一刻の面相を永続する堅固な面相だと思い込んだ、と言う点においての「誤り」なのである。それは金離れのいい振る舞いをただ一度だけ見てその人は常々も金離れがいい人間だと思いこんだときの誤りと同様である。この種の「誤り」は時に致命的な結果を引き起こす。暗い波止場で海面を道路だと「見誤った」ドライバーは命を失いかねないし、アパートの隣室を我が家と見誤った人間は面倒なことになる。だから、この「誤り」にはわれわれの命と生活が懸かっている。
しかし、この「誤り」は上に述べてきた意味での真実に対しての誤りではない。それは真実の中での「誤り」なのである。真実の百面相の中でわれわれの命と安全と生活の安穏の目印になる面相を「正しい」とし、われわれを誤導し易い面相を「誤り」とする、こうした生活上の分類なのである。だから、この分類は世界観上の真偽の分類ではなく、極めて動物的でありまた極めて文化的でもある分類なのである。それを取り違えて真実と虚妄の分類だとするとき、客観的世界とその主観的世界”像”の剥離の幻影に陥ってしまう。そして、われわれは世界とは直に接触できず、その主観的映像と言うガラス戸越しにしか世界を眺められないと言った虚妄に嵌まるのである。
~高橋英之『思想のソフトウエア』より~
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心は脳である、という見方では捉えられない側面、少なくとも見落としやすい一面がある。それは「心と世界との関係」である。関係とは、照応関係であり、さらには一体性である。脳の機能地図というのがあり、脳のどの部位が身体のどこをつかさどるか、その照応関係が分かっている。脳と体は直に物的に繋がっているから、脳(=心)と身体との対応関係は、見落とされることはありえない。しかし、脳ともっと広い世界との対応関係の方は、それほど直接的ではない。脳の、視聴覚を司る部分、空間及び時間の知覚に関係した領域、言語中枢、又、欲求や常道に関わる部位等が次々に明らかにされ、こうして人と世界との関わりが,おぼろげに描き出されてきた。これらはすべて先天的な遺伝子子的構造として、人々はあらかじめ用意されており、成長の仮定で開花していくものである。しかし、いくら脳の解剖や実験をしても、その脳が周りの世界の、個々の人物や物体をどう認識しているか、ましてやどんな世界像を持っているかといった事は、明らかになりそうにない。
そういった認識は後天的なものであり、此れらに付いては例えば「反映理論」が唱えられる。心は、感覚や感覚の延長ともいうべき観測機器や実験装置を通して世界を知ろうとするのだが、その時心は鏡の様に、正しく世界を<反映>するし、するべきだ、というものである。外界は客観的に確固として存在し、それは科学主義の枠組みから外れる事はない。心の役割はその外的世界を、歪みなく忠実に映し出す事である。彼は自然科学を極め、多くの知見を手に入れる事であろう。だが、彼が達するべき世界像は、或る意味初めから分かっている。それは額縁である近代の、枠組みに納まるものでなければならないのである。確かに、その絵のディテールには驚くべきものがあるであろう。が、全体としてその絵は、近代という枠組みに納まり、此れを強め、ことほぐものであるべきなのだ。普通の様に絵のための額縁ではなくて、これは絵を支配する額縁である。もし、人が近代という枠組みを超えるような世界観を持ったりなどしたら、それは誤った虚像であり、おそらくは脳が自己分泌する麻薬か何かの仕業であろう、と言う事になる。そう断罪される。彼の探究は、近代主義という前提から始まり、そして近代主義それ自体を、結論として見出して終わる事になる。この円環は、近代主義の空回りであり、自画自尊である。論理的に言えば循環論法であり、「論点先取りの誤り」と言うべきである。
此処にもう一つ、心はソフトウェアである、と言う考えかたがある。情報科学の時代になって生まれてきたこの見方は、同じく近代の観点でありながらも、部分的にそれを超え出る性格を持っている。心は単に世界を<反映>するだけの受動的なものではない。もっと能動的に、自らの想念の世界へ<投影>してゆく存在である、と言う見方である、と言う考えかたの一例として、この「心=ソフトウェア」と言う見方を取り上げたい。コンピュータに類推をとって、物としての脳はハードウェアであり、心はそのハードウェアにかけられるソフトウェアだ、と言うのである。この見方の重要なところは、次の三点にある。先ず第一に、ソフトウェアはハードウェアから独立している。汎用コンピュータにありとあらゆる種類のソフトが載る。ソフトは決して、ハードウェアの一意的関数ではない。ハードに仕組みから、ソフトの内容を推し量る事は不可能である。ソフトはそれ自体として内的世界を持っている。心は脳だと言うときには、心は脳の物質的研究から演繹されるものだ、と言う含みがあるけれども、心はソフトウェアだという見方は、その点を否定する。ハードウェアだけでは本来、白紙なのであり、そこに何らかの仕方で植え付けるソフトウェアこそが、死命を制するのである。ソフトウェアとは言葉であり、教育や文化や思想である。こうして、より後天的なもの、言語的なものが重んじられる。
第二に、ソフトウェアは周りの環境から或る程度、自立的であり、「自走的」である。それは放っておいても自分で活動し、自らデータを増やし変えてゆく事が出来る。心がそんな風に自立的なものであれば、それは自分流の枠組みを勝手に作り、自らの内で「幻想」を紡いでそれを外界へと投影するであろう。白いスクリーンに自分の想念を投げかけ、それを又自分が眺めて知覚する。世界はこのようだと思い、そしてまたその思い込みを自己確認して満足する。そこでは自分から発した矢が壁に跳ね返り、再び自分へと戻ってきて、軌跡の閉じた輪が出来る。彼は世界と一体である。と言うよりは彼の信じている世界は彼そのものなのである。これではたして、世界を知ったといえるだろうか?だがもし心がそんな自給自足的なものだとしたら、彼はそれ以外の知り方はできないのである。この言い方はもちろん極論であって、実際には彼は暮らしの中で、世界の側からの反応や抵抗を味わって、自分の思い込みはいくらかは修正していくだろう。それでも尚事態の本質は、要するに「自己投影」なのである。
第三に、そして、最後に、われわれの見方そのものを問題としなければならない。心は脳であるとかソフトウェアであるとか、心をわれわれの目の前において「外的対象物として」扱ってきたけれども、そんな絵を描く枠組みを与えたのは他ならぬわれわれ自身の心に他ならない。その心がソフトであり虚構であるとすれば、その枠組みそれ自体の確かさが崩れる事になる。絵の外の額縁だと思っていたのに、実はその額縁までもが、絵の一部分だったのである。「問題設定の枠組み」それ自身の仮説性が、問題とならねばならない。こうして、心が脳だというのも、心がソフトウェアだというのも、つきつめて行けば、そんな見方を与える枠組み自体の自己否定、或いは自己破壊にまで、行き着く事が分かる。無論、世の中が平穏無事で、何事も円滑に進んでいるのならば、必ずしもそこまで疑う必要はない。一つの信念から始まってその信念自体の確認に終わる、この首尾一貫性は甘美なものであり、この自己破壊を壊すべき理由は特ににない。
しかし、その独善的なまどろみが覚まされるときが、まれにやってくる。その平衡状態が何らかの現実によって破綻するときである。夢はやはり夢にすぎず、<現実>は黒々として夢の外に横たわっている。その現実のマグマが、まるで休火山の爆発のようにうごめいて、それなりに幸せだった夢から人々を揺り起こす。太平の眠りを黒船が破るのである。自己と世界との一体感が、より広い世界からの(或いは今まで無視していた世界からの)一撃によって齟齬を来たす。人々はより広い世界と調和しうるような新しい枠組みを求めて
~高取正男『民俗のこころ』~
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近代的な自我が成立する以前に存在した個人意識を、近代人の自我と区別する意味で、以後、「ワタクシ」と言う言葉で表現したいが、祖先たちの保持したその様な「ワタクシ」は、近代的な自我以前のものである以上、必然的に禁忌とか儀礼によってその存在を現す以外にないものであった。
葬式のとき、出棺にあたって門口で茶碗を割る風は広く見られるが、儀礼のときも、花嫁が生家を出るとき、同じようなことをする地方もある。おそらくは茶碗を割ることで食物の縁を断ち、その事で再び戻るのを妨げようとする趣旨の行為であり、呪術と言うべきモノであって、その人が日常に使ってきた茶碗を割ることで、その家の家族員として保持してきた私権、ワタクシゴトの全てを放棄することを象徴しているとも解せられる。これは単なる儀礼と言えば儀礼に過ぎないけれども、久しく歴史の中で培われてきた人々の心の持ちよう、情念とも呼ぶべきものは、論理の次元に乗らない以上、儀式によってその存在を象徴化し、いったん生の勢いを撓(たわ)めて発現させなければ表現できない様な側面を持つことに留意されねばならない。
家庭や職場の中で、他人の箸を取り違えることは多くはないが、湯飲みなどを間違えることはある。そうした時、当事者たちが思わず発する言葉は、所有権とかプライバシーの侵害と言った論理の世界のものではなく、潔癖さといった、言葉にならない、もっと心情的な、感覚的なものに根差している。そこには「土足で座敷にあがる」とか、「あがりこまれた」と言えば、日本人であればそれだけでわかるような、そうした事態に通じるものがある。大袈裟に言えば、犯すべからざるものを犯したことに対する驚きとか、嫌悪の念といったものに根差しているともいえる。近代以前の社会の厳しい共同生活の中で、なおかつ個人のものとして主張され、その存在を公認されてきた「ワタクシ」というものは、言葉で表現し、議論したのでは帰って真意の通じがたいような、家族とか村落といった具体的に存在する共同体の成員全体が、理屈抜きで信じている禁忌の意識によって主張され、その存在を保証されてきたとみるよりないであろう。
福井県の敦賀市南部の山村で、家に入る前に、戸口の敷居をまたぐ前に履き物の汚れに気を使うエチケットが有ったが、そうした作法の成立と伝承も、家の土間にはその家の人と神がいつも同居共住しているという信仰、したがって、そこに入るには汚れた履き物を忌むと言う禁忌の存在を措定して、はじめて説明が可能となる。個人用の食器や寝具の存在にしても、事態は全く同じであろう。それらを不可侵のものとみなしてきたものは、共通の信仰であり、禁忌の意識であった。厳しい家族の共同生活を維持し、秩序付けてきたものが家の神に対する信仰であるならば、その中で個人の「ワタクシ」を承認し、主張してきたのは個々人の保持する「霊力」に対する信仰であり、個人用の食器や寝具類が不可侵のものとされてきたのも、それらの使用主が霊魂の形代であり、その分身が宿っているとみなされたからであった。
そして、村落とか家ごとにに祀られる守護神、各種共同体の秩序そのものでもある霊格と、その成員の個々人が保有している霊力とを比較するとき、たてまえとして、霊的なものの位次において、前者が優越してきたのは言うまでもない。だが、、三千世界にただ一人と言う形で、人間の最も根本的なありように密着した後者の信仰が、あながち力が弱かったとは思えない。この二つのものの関係は、村々の公的な祭祀とか、それに繋がる家の座敷や神棚、屋敷のカド(前庭)で行われる祭儀や祖先祭と、家の隅でなされる精霊の域を脱しきれない火の神、水の神などの祭りとに、それぞれ対応していると言えるであろう。個々人の「ワタクシ」を保証してきた信仰とは、それが保持する「霊性―霊的性能」への信仰であり、台所の火の神、水の神に対する信仰以上に呪術そのものと密着し、最も素朴な禁忌意識そのものに過ぎないとも言えるし、倫理とか秩序とか呼ばれる抽象的な理念とはおよそ縁の遠い存在である。けれども、それは人の最も根源的な存在そのものの中に潜み、そこに直接的に根を張る霊性として一歩もそこから離れることができず、ひたすら抽象化を拒否してきたものであるだけに、かえって久しく生き残る力を持っている。茶碗とか箸、枕など、個々人の日常に密着する。
~蓮實重彦『夏目漱石論』より~
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漱石を不意撃ちすること。それには、まずいかにもそれらしい漱石の人影との遭遇を回避しなければならない。遭遇を回避するには、二重の意味で記憶から自由になる必要がある。漱石がいかなる人影におさまるかを忘れること。そして漱石が自分自身を忘るにふさわしい状況を整えてやること。その二重の記憶喪失によって、人は「文学」という「神話」をどうしても思い出せないまでに存在を希薄化する。だから、問題は、「神話」の破壊といった身振りとはあくまで無縁の試みを実践することにある。「神話」は、あらゆる破壊の身振りをかいくぐり、感性と思考とを犯す不断の日常として「文学」たりつづけている。それは誰もが汚染する否定しがたい現実であり、否定の仕草そのものを日常としてとりこんでしまうだろう。
それ故、ここで試みられねばならぬのは、その現実的日常をありのままにうけとめた上で、その日常的な仕草が触れえぬ陥没地点といったものを、匿名の事件としてその核心にうがつことである。漱石を読むことは、したがって、みずから陥没しながら、「文学」的日常の単調さが支配する圏域に、遂に記憶が甦りえないいくつもの隙き間を生起させんとする試みというべきものなのである。その陥没点であり隙き間であり余白とも呼びうるものが、漱石として人が知っている人影とはいささかも類似しはしまいことは、いうまでもあるまい。それは、誰でもなければ、何でもない。そこには、ただ、言葉と呼ばれる現前が無方向に揺れているばかりだ。しかもその方向のない言葉の群は、<B>無=意味</B>を身にまとっているであろう。
意味こそ、「神話」増殖の邪悪なる糧にほかならない。「文学」の不幸と幸福とをとりちがえた連中は、実はひたすら人影と意味との妥協を目論んでいたのである。人影が憂い顔をしているのであれば、そこには何がしかの意味が隠されていよう。それは、何か。たぶん、小説家漱石を「作品」へと駆り立てた忘れがたい体験、つまりは原=体験というやつだ。原=体験あるいは原=風景でもかまうまいが、原=というからには、そこからもろもろの記憶が織りあげてゆく消しがたい「根源」というべきものだろう。「神話」は、人影がその原=体験を背後に引きずっているという確信によって繁茂する。内面の葛藤、生のドラマが小説家の向こう側に埋もれている。それを、隠された意味として解読せねばならない。人には内面があり、言動には背後がある。「神話」は、その内面と背後とを根源的な原=体験として是非とも必要としているのだ。
だが、内面にしろ、背後にしろ、原=体験にしろ、そんなものは、どこかで聞きかじった悪い冗談の歪んだ記憶にすぎない。不幸を幸福と錯覚させるために「神話」が捏造する「現代的課題」という虚構にすぎないのだ。いったい、内面に埋もれ、背後に隠された意味を読むことが「文学」だなどといつから本気で信じられてしまったのだろう。「文学」が何にもまして厄介な代物だとしたら、そこではすべてが表層に露呈されているからではないのか。意味解読を容易にする距離も、奥行きもないまま、すべてがわれがちに表層に浮上し、いっせいに騒ぎ立てている場こそが「文学」なのではないか。そこに、距離の意識の絵解きにほかならぬ「歴史」とやらを導入し、まやかしの奥行きと戯れることが、世にいう意味の解読なのだ。意味の一語を思想と置き換えても事態はいささかも変わりはしまい。「作家」の思想とやらも、「文学」と呼ばれる「制度」にしなだれがかることなしには、断じて思想に似てくれなどはしないのだ。
だから、意味であれ思想であれ、それが読めてしまうということは、「文学」にあっては書けてしまうことにおとらず恥しい体験なのだ。距離も奥行きもない世界を、中心とか根源とかの周辺に再編成しようとするあつかましい精神から「文学」を救うこと、それが幸福への意志というものだ。背後と思われ、内面と見えたものが同時に表面でしかなく、外面でしかなかったからこそ「文学」は困難となり、かつまた幸福が困難でもあったのだ。現在が、遥かかなたの原=体験とやらと記憶の回路によって結ばれてはおらず、いっさいが現在としてあたりにたち騒いでいるが故に、読むことが必要なのではなかったか。不可視を読もうとすることほど怠惰な仕事は、またとあるまい。精神とか、倫理観とか、思想とかが口にされるとき、「文学」は幸福から目をそむけてしまうのだ。仮にそんなものもがあったとして、埋められ隠された思想とやらを探り当てることが肝腎なのだとしたら、人はすべてを「神話」に任せておけばそれで充分だろう。
だが、「文学」が多少とも刺激的な体験たりうるとするなら、それが隠され埋もれたものへの発見の旅へではなく、表層でしかないものの表面に露呈されたものたちへの、理不尽な戯れへと人を導くからではないか。人影と思われたものが実はどこまでものっぺら棒で、その裏側には記憶も、思想も、自己同一性をも隠し持ってはいない不実な相貌をまとっていればこそ、読むことが始動するのではないか。秘密が人目を避けて身を隠しているからではなく、あからさまな秘密として、そのいっさいを瞳にさらしているが故に、悪しき記憶の織物に織り込まれまいとする幸福への意志が不意撃ちを目論むのではないか。
そして、「文学」と呼ばれる記憶に汚染されることのない余白と、間隙と、陥没点へと向けて、読むことがその匿名性の衣をまとうのではないか。あってはならない誤解、それは、いまとりあえず余白、間隙、陥没点と呼んだものを不在や欠落の概念と混同しすることだ。ここでいう余白にしろ、間隙または陥没点にしろ、それはいずれも充実した現存としてあり、いささかも不可視であったりはしない。積極的な過剰として「文学」と呼ばれる時空に亀裂を走らせ、読む意識を不断に戸惑わせるもの、その一帯だけは悪しき記憶に染まることのない磁場。読むという体験が演じられるのは、そのどこでもない時間、いつでもない空間をおいてほかにはない。その余白、間隙、陥没点を旺盛におし広げること、それが幸福への意志にほかならない。われわれの誰もが漱石として知っている人影との遭遇を避け、存在をひたすら希薄なものたらしめようとするのはそのためである。漱石は、どの程度まで漱石たらざるものでありうるか。つまり、匿名の「作家」として「文学」の記憶にさからいううるか。そしてその匿名の「作家」は、まさに匿名であるが故に、どこまで誰にも似ずにいることができるか。われわれの興味を惹くのは、厳密にそうした点に限られている。
~坂部恵『仮面の解釈学』より~
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固有名詞は、各々の文化の分類の体系の極限に位置するものであるとしても、分類の体系を越えでた地点を、何らかの実体的な<先験的な意味されるもの>としての固体といったようなものを指し示すものではない。固有名詞が、多くの場合、「固体」を直接に指示して主語の位置に立つ<名前>としてではなく、むしろ本来述語としてパラフレーズされるべき<記述>として使われることは、ラッセルも『数理哲学序説』で認めているところだ。問題は、しかし、「単純な記号でその記号が意味する固体を直接に指示」し、「その上他の言葉の意味とは全く独立に、たんにそれ自身の権利でそれの意味をもっているもの」とラッセルの定義するいわば絶対的記号としての<名前>なるものが、差異づけの体系の総体の中で、諸関係の網の目の一桔節点として、他の初項との関係においてはじめて意味を受け取り、あくまで相対的な述語にパラフレーズすることが可能な<記述>なるものが、そもそも存在しうるかという点にある。<意味する行為>と<指示する行為>のいわばこのずるずるべったりな短絡、<固有名詞>と<指示代名詞>の短絡が一見自明なもののように見えるのは、事柄自体が自明であるからではなく、むしろ、かえって、この点をめぐっての取りちがい、ないし短絡の背後に、固有名詞という一つの言葉の極限状態をめぐる、<名づける>という行為をめぐる禁止と関係するかなりこみ入った事情がひかえているからであるにちがいない。
意味論的内容の希薄さによって、固有名詞と浅からぬ関係にあるとレヴィ=ストロースのいう、さまざまな<聖語>mot sacre’とおなじく、固有名詞には、古来さまざまな禁止がつきまとう。固有名詞を固有名詞として際立たせるのは、それが当該文化の分類体系の下眼を占めるという事実よりも、むしろ、フーコーの言葉を借りていえば、それが当該社会の欲望や情念のたわむれの場のなかに置かれた、言説の体系の階層的編成において占める特異な位置にほかならないということができるだろう。固有名詞にその<固有性>と<親密性>の領域が保障されるのは、まさに、それが口に出していわれることを禁止されるかぎりにおいてでしかないという逆説が、ここにあらわとなる。一旦口にされてしまえば、固有名詞はもはや厳密な意味での<固有>名詞ではなくなり、ひとをみせかけの固有性と親密性の領域から外につれ出して、一般的な差異と分類の体系のなかに登録し位置づける分類語の一つにほかならぬというその本性をあらわにする。固有名詞の禁止とは、まさに固有名詞を固有名詞の固有な領域の中に保護し、少し強い表現でいえば、<固有性>とか<親密性>とか<主体>とか<人格>とかいった幻想的な領域を聖なるものとして確保するための複雑なからくりにほかならぬというわけだ。
~野家啓一『歴史と物語』より~
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そもそもヨーロッパ系の言語では、「歴史」と「物語」はギリシア語の「ヒストリア」に由来する同根の語であり、英語では後に“History”と“Story”とに分化してそれぞれ「歴史」と「物語」の意味を担うことになったが、フランス語、スペイン語、イタリア語などでは、今でも両者は同じ言葉によって表現されている。それゆえ、歴史叙述はその起源からも人間の「物語る」行為と不可分なのであり、その意味で「歴史」の出自は「科学」よりはむしろ「文学」と通底していると言わねばならない。
この様に言えば、人は直ちに「歴史」とは「思い出」であると喝破した小林秀雄の「無常といふ事」の一節を思い浮かべる事であろう。
「思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思ひ出す事が出来ないからではあるまいか。」
なるほど、「記憶」と「思い出」とは似ていて非なるものに違いない。「記憶」が巨大な水甕だとすれば、「思い出」はそのわずかな割れ目から滲み出した一筋の水滴にでもたとえることができる。その水滴は朝まだきの光に照り輝く事もあれば、夜の冷気に氷結することもあるであろう。小林秀雄は一滴の水が乾いた舌に滴り落ちるその瞬間を捉えて、それを「歴史」と呼んだのである。
おそらく歴史家の夢は、過去の出来事を細大漏らさず蓄えることの出来る完璧な記憶の水甕を作り上げることであろう。そこでは、あらゆる出来事が大小を問わずに正確に記述され、時間的順序に従って隙間なく配列されているはずである。だが、完全無欠な記憶に基づいて陳述された膨大な年代記があるとすれば、これほど無味乾燥で退屈な読み物もまたないであろう。そこには、小林秀雄の言葉を借りるならば、「過去から未来に向かって飴のように延びた時間といふ蒼ざめた思想」があるばかりだからである。
それに対して、「思い出」の方は断片的であり、また間歇的である。あるいは、体験の遠近法によっておのずから枠取られているといってもよい。強烈な印象を刻みつけた出来事はクローズアップで大写しにされ、さほど印象に残らない些末な出来事は遠景に退いてゆく。それゆえ、「思い出」は過去の出来事のありのままの再現では決してない。記憶の水甕に蓄えられた水は、割れ目を通って人の心に滲み出す過程で、薫り高い美酒に醸成されるのである。記憶の布地が体験の遠近法に従って裁断されるときにゆくりなくも浮かび上がる文様、それが「思い出」にほかならない。
しかしながら、思い出が単なる一過性の思い出に溜まるならば、それは甘美な個人的感懐ではあっても、歴史ではない。思い出が歴史へと転生を遂げるためには、「物語る」という特徴的な言語行為による媒介が不可欠なのである。思い出には筋もなければ脈絡もない。薄暗い記憶の闇の中に忽然とスポットライトを浴びて立ち現れる一場面、それが思い出であろう。その断片性と間歇性とを補完し、思い出に一定の筋と脈絡とを与えるのが「物語行為」の役目に他ならない。体験の遠近法によって裁断され、断片と化した思い出は、物語行為の糸によって再び縫い合わされ、衣装としての形を整える。すなわち、一篇の「歴史」として語り伝えられるのである。
物語行為の内実をいま少し敷衍するならば、まず第一に、それは思い出を「構造化」する。それは断片的な過去の出来事の間に因果の糸を張りめぐらし、起承転結の結構をしつらえることによって、「なぜ起きたのか」という素朴な疑問に答えつつ出来事の由来を説明する。それゆえ、物語行為は過去の「客観的再現」ではなく、現在の視点からする過去の「解釈的再構成」である。
第二に、物語行為は思い出を「共同化」する。いかに個人的な思い出であれ、それが物語られる場合には、人々の間に流通する手垢にまみれた公共的な言語によって描写されるほかはない。個人的体験は、物語られることによって、共同的経験へと転生する。物語行為は過去を「共同化」することによって、来し方行く末を時間的に展望する手がかりを与え、それをつうじて現在を生きる我々に自己理解の場を提供するのである。
ところで、「出来事の由来の説明」および「自己理解の場」と言う機能こそは、古来我々が「歴史」の中に求めてきた当のものではなかっただろうか。そのように考えれば、「歴史」と「物語」とはいささかも対立するものではなく、両者は表裏一体のものとして捉えられねばならない。つまり、歴史陳述と物語行為とは、「科学」と「文学」とに二極分解するものではなく、まさに「歴史」という一つのジャンルの中で合体しているのである。たとえば、歴史物語の古典として知られる『大鏡』は、百九十歳の老婆が幼児のときからの来歴を振り返ってその見聞を聴衆に物語るという対話仕立ての形式をとっている。これなどは、歴史陳述を物語行為とが同根であったことを窺わせる典型的事例であろうし、また古老が炉端で子や孫に語ったであろう「歴史」の原型的な姿をしのばせる。
いったいに、人間が「ホモ・ロクエンス(言葉を喋る動物)」である以上、「物語る」ことは人間の基本的欲求の一つである。人は自分が親しく見聞した出来事を他人に語り伝えないではおれない。それが耳目をそばだたせる常ならぬ出来事であればなおさらのことである。さらには、他人から伝え聞いた出来事であっても、それをまことしやかに語りたいのが人間のやみがたい習性というものであろう。そのような口承や伝承の連鎖が、やがては時間の波に洗われて美しい肌理を浮き立たせ、或いは時間の海の中に結晶体となって沈殿する。歴史とは、人間の「物語る欲望」が時間のたゆたいの中で昇華され、共同体の記憶となって結晶化したものにほかならない。
~多田道太郎『風俗学』より~
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個人というものが私たちのものを考える単位になっている。個人は英語ではindividualである。つまり、もうこれ以上分割(divide)できない最小の分析単位、という意味である。私たちのことば日本語では、個人というのは熟さないことばである。自我というものも熟さないことばだ。では、感じ、考え、行動する単位として、何が熟したことばかというとそれは「自分」ということばではないか。日本では「自我」が未成熟だとよく言われる。ヨーロッパにくらべてのはなしであるが。しかし、「自分」が熟してゆけばそのまま「自我」につながるのか、どうか。これが一つの問題である。もう一つは、さきほどの核心ということになるが、自我という核心イメージのことばが、これからの社会と人間とのありかたを指すことばとして適当かどうか。私はふかい疑いにとらわれずにいられない。
しかしまあ、とりあえず日本語の「自分」ということばを見てゆくと、自分というのは、木村敏氏の説によると、気分を分かちもつ単位ということである(木村敏『人と人の間』)。私たちを取りまくぜんたいのふんいきにある気分がただよい、その気分を分かちもっているのが「自分」というものである。だから、悪いふんいきがただようと、自分も気分が悪くなる。相手が気の毒な目にあっていると、自分の気も毒されるというわけだ。ここで働いているのはつながりの論理であるが、では、自分をどこまで押しひろげるか、どこまでが自分の範囲であるか、というとはなはだあいまいにならざるをえない。そして、あいまいとは近代の一悪徳である。しかし、それが現代の悪徳であるかどうか、それは問題だ。
皮膚を境とする内側を、せまい意味での「自分」とすれば、もっとひろい「自分」は、自分の刻印を押した事物の総体ということになる。自分の創造したものはもちろん、自分の好みによって選んだものもまた、その第二の「自分」となる。もちろん、その時代、その社会との協力なしにそんな第二自分はありえないのだが、その境界のあいまいさを覚悟でいえば、身につけるネクタイや下着、手許にある万年筆やブローチ、そして盆栽や自動車、ときには、自分も微細なかたちで参加している街並みにいたるまで、第二の「自分」といえる。少なくとも、自分の表現ではあるわけだ。
だから、事物の――とくに身辺の事物の意味づけは、自分の意味づけでもあるわけだ。事物のふかい意味をみることは、そのまま、自分の発見にほかならない。事物がもし眠ったままでいれば、自分もまた、眠ったままでいるだろう。
~山本雅男『ヨーロッパ「近代」の終焉』より~
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古典的な形式論理においてかならず守られなければならない三大原理がある。ひとつは、「AはAである」という同一律ないし自同律と呼ばれる原理である。厳密な議論では、この原理にも曖昧なところがあるものの、われわれがなんらかの判断や推理をする場合には、少なくとも必ず守られるべき原理と考えられているものである。しかし、この原理を絶対のものと考えすぎると、われわれの判断や表現はつねに真か偽かのいずれかでなくてはならないことになり、いかにも窮屈なものになってしまうだろう。そこに、”自同律の不快”(埴谷雄高)という反感が生まれるゆえんがある。
ふたつめは、矛盾律といって「AがBであるとき、同時にBでないということはありえない」とする原理である。たとえば、ある三角形の図形を指して「これは三角形である」とは言えても、「これは円である」と言えば、矛盾になるというわけだ。たしかに、われわれの日常生活においても、行動や意識、また他人との接触のなかで、いかに矛盾を犯さないようにするか絶えず心をくだいているかがわかる。矛盾した行動や言動は、それだけでも信用を失うに十分だからだ。そのうえ、無矛盾の首尾一貫性さえ、われわれは他人にも、また自分にも要求しているのである。しかし、矛盾のいっさいない、鉄壁の一貫性に貫かれた行動や議論は、一見すると透徹した論理に裏づけられ、形式の美しささえ感じさせるものではあるが、立ち入る隙のない、自由度のきわめて低い退屈さをもっていることも確かだ。ようするに、おもしろみに欠けるということだ。
ところで、さきの例を譬としてみると、三角形の図を指差して「この三角形は、円である」という言い方も、じつはまったく不可能だというわけではなく、成り立つ場合があることがわかるだろう。それを矛盾だとして不可能にしているのは、言葉と実在とがわかちがたく一意対応していると考えるからだ。もし言葉と実在が完全に一体のものであるとするなら、三角形の円が描けないのとまったく同じ理由で、言葉としても表現できないはずだ。むしろ逆に、言葉のうえで矛盾を犯すことが可能だということは、言葉の世界が現実の世界とは切り離されていることを示しているのである。その証拠に、小説や詩歌など言葉をメディアとする文学作品には、そうした言葉の矛盾が無数に見られる。矛盾した表現や転倒した思想の跡があるからこそ、読むもの、聞くものに感動を与えたり不安に陥れたりといった”精神の異化作用”をもたらすのである。
そして、三大論理原則の三番目は排中律である。これは「AはBであるか、あるいはBでないか、そのいずれかである」によって表わされる。つまり、あるものBとその否定である非Bとのあいだにある中間的な第三のものの存在を認めないということである。これに、真と偽の判断基準を入れると、ある事柄は真か偽かのいずれかであって、そのどちらでもないということはあり得ないということになる。
さきのふたつの原理が、現実の世界、日常の世界においても暗黙によく理解されているものであったのに対して、この原理と日常世界との係わりは、きわめて危ういものである。たとえば、あるものが熱いといった場合、たしかに熱いということと熱くないということの間には何もないことになるが、そもそもどういう状態を指して熱いというのか、実際には漠然としているからである。また熱いと熱くないの中間には、温かいとか温(ぬる)いとかいった判断もある。こうした疑念は、論理原則としての排中律に対するものというよりは、真と偽を中心にそのいずれかの判断を強要する排中律的な思考といったものに対する疑義と考えるべきであろう(※)。
こうした思考の原理は、論理学という研究分野で精緻になされてきたわけだが、とりわけ近代以降になると合理主義による思考の論理化のなかで、論理学の厳密性に擬えながら、世界そのものを論理的に、かつ厳密に取り扱おうとする傾向が現われる。近代合理主義が、真と偽とを明確に区別するということも、真と偽という単純な二者択一に還元し、それを繰り返し演繹していくことで、壮大で複雑な世界全体をとらえうると考えたからだ。裏返して言えば、世界があまりにも大きく複雑な要素に満ち溢れているからこそ、単純な原理に還元することが必要であったのだろう。
しかし、真偽の弁別を繰り返していって世界全体の判断に達するという演繹的な論理は、世界全体を判断の傘下に収めようとするのだから、当然のことに、判断の普遍的妥当性を要求することになる。つまり、ある部分では当てはまるが、べつの部分になると当てはまらない理論は、斉一的な世界像を求める近代の科学合理主義のなかでは市民権を得ることはできないのである。たとえば、科学実践の現場でも、理論にそぐわない実験結果や現象が現われたときに、それらを無視し捨象して理論の斉一性を守るということが日常茶飯事に行われるのである。しかし、そうした例外に属する現象が無視しえなくなれば、それを取り込むことのできない理論そのものを変える必要がでてくるわけで、こうして理論の転換がおこなわれるようになる。これが”科学革命”あるいは”パラダイム・シフト”と呼ばれる現象のひとつである。
こうした現象は、しかし、世界に対する理論の普遍妥当性という信念ないし確信にも似た意識に由来するものだということがわかる。あらゆる理論は、数学の原理がそうであるように、いついかなるところでも当てはまらなくてはならないと固く信じられてきたのである。そうしたなかで、理論に妥当しない例外的な現象は、偶然的なもの、あるいは蓋然的なものとして貶められてきたのである。そして、不確定性原理の出現に見られるように、現象をもれなく網羅し説明する理論の普遍的妥当性そのものが揺らぎ出してくると、方法としても、もはや確率統計的な方法をとらざるをえなくなってきたのである。つまり、現象の世界に対し人間の側がなしえるのは、一定の法則を世界に押しつけることではなく、現象のあるがままの姿を記述することと考えられるようになったわけだ。
理論や法則の普遍妥当性という近代科学の絶対主義的傾向は、相対性理論や量子力学など二十世紀の初頭に相次いで現われる新たな潮流によって、おおいに揺さぶりをかけられた。これらは、学問や理論の世界のなかだけで起こったことのように思われているが、そうではない。われわれの日常生活にも、少なからず影響を与えているのだ。影響を与えているというよりは、むしろ、同じ大きな流れが、理論的世界にも、また日常生活にも現われているというべきなのだろう。たとえば、”価値観の相対化”とか”不確実性の時代(ガルブレイエス)”とかいった二十世紀後半の社会相を彩る言葉も、自然科学の展開と同じ根から発したものと言えるからである。その意味で言えば、今世紀初頭の自然科学の知見は、その後の社会の意識を何十年も前に先取りしていたのである。
とにかく、「すべての・・・は・・・である」といった論理学の全称判断のようなものに見られる、普遍性への意識をもった思考法は、個の意識が昂揚し、多様性が横溢するようになった社会的意識や日常生活のレベルにおいては、もはや妥当性を失いつつあると考えうべきだろう。
※排中律を認めない論理学もある(直観主義)ように、ここで作者がいっているような論理学はあくまでも一般的な理解の上であって、なにも現代の専門的な論理学を意味しているわけではない。ここで問題とされているのはあくまでもヨーロッパ近代(の思考様式)であって論理学そのものではない。(宮川)
~藤沢令夫『哲学の課題』より~
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「ギリシア以来の西洋の哲学・形而上学」という単純化がいったん習慣となったうえは、この習慣を共有する一派のなかで独創性を発揮しようとすれば、この「全伝統」をこれまで誰にも思いつかなかったような新奇なやり方と呼称によって、総括し断罪するしかないであろう。そう思いたくなるほど、デリダの告発と断罪の仕方は奇抜そのものであった。ギリシア以来今日に至るまで(ハイデガーをはじめデリダと同陣営と思われる人々をも含めて)、西洋の哲学・形而上学の伝統は「ロゴス中心主義」(logocentrisme)という大罪を犯してきたがゆえに、「脱構築」(deconstruction)されなければならない、とデリダは言う。
ロゴス中心主義?――「ロゴス」とは言葉であり理論であり、そして何よりも、われわれが物ごとを筋道立てて(カタ・ロゴン)考え、語り、書くことを可能にする「理(ことわり)」そのもののことに他ならず、それがなければいっさいの対話も言説も議論もありえないだろう。「ロゴス中心主義」が根本的誤りであるということは、そのようなものである<ロゴス>の尊重自体がけしからんということなのか。
そのとおり、とデリダは言うだろう。われわれの哲学も科学もすべての学問も、そのように理に適った仕方で筋道立てて考え、語り、書くために、「真実」のことと「虚構」のこととを区別し、「理解」することと「誤解」することとを、「事実」と「見かけ」とを、「字義どおり」のことと「比喩的」なこととを区別し、さらに現在/非在、内容/形式、中心的/周辺的、正常/異常、話す/書く、男/女、等々の区別を設けて、どの場合もつねに、区別された二項のうち前者を優先視し、後者を貶めて軽視する。これがロゴス中心主義の根本にあるやり方であるが、しかしほんとうは後者こそが優先的・基本的なのであって、前者はそれから派生した形態にすぎない。すなわち、真実は虚構の派生的変形であり、理解は誤解の、事実は見かけの・・・(以下同様)一形態であって、後者(虚構、誤解、見かけ・・・)がまずあってこそ、はじめてありうるものなのである。そしてロゴス中心主義の誤りの根本を衝いてまさにこのことを示すのが、「脱構築」の作業に他ならないのである。
”理に合わぬ”ことを根本方針とする言説である以上、すでにこの辺から訳がわからなくなる人も多いだろうが、しかし驚くのはまだ早い。
右にあげた二項区別のリストのうち、ふつうならおそらく哲学的にそれほど重大事とは思われないだろう二項区別は、最後の「話す/書く」と「男/女」であろう。しかしデリダにとっては、この二つこそ、そしてそれぞれ前者(「話す」「男」)を優位におくことこそ、ロゴス中心主義における最も重要な諸悪の根源であったように見受けられる。形而上学の歴史は「つねに文字言語(エクリチュール)の貶下であり、それを”充溢的”な音声言語(パロール)の外に放逐することであった」と言われて、「ロゴス中心主義」は、そのように「話される言葉」を「書かれた言葉」の上に優先させる「音声中心主義」(phonocentrisme)と等置される。また「父権的なロゴスを立てる(エレクト)ことと、”特権的な意味指示者”としての男根(phallus)を立てる(エレクト)ことと」は同一のシステムであると言われて、「ロゴス中心主義」はまた「男根中心主義」(phallocentrisme)と等置される。
「男根」の話はいまは敬して遠ざけることにして、デリダが一貫して最も強調しているように見える「音声中心主義」のこと、つまり、ギリシア以来の西洋の哲学者たちは今日までつねに話し言葉を重視して書き言葉を軽視してきたというのは、いったいほんとうだろうか。そんなことはありえないだろう。哲学の歴史は事実上哲学者の書物の歴史であり、哲学者たちは思想を書き記すことに主力を注いできた。「ロゴス中心主義」というならその一つの代表的なあり方といえるアリストテレス以来の論理学、とくに今世紀における厳格な数学的論理学は、記号として明確に定着される文字言語を「放逐」して話すことだけに頼っていては、そもそも成立不可能であろう。
デリダは、プラトンが『パイドロス』(274C sqq)のなかで、書かれた言葉がもたざるをえない限界を指摘して、文字言語を万能視することを諌めている箇所を、鬼の首でも取ったように何度も引き合いに出している。しかしこのテクストから「書く」こと(文字言語)自体の蔑視と、それに対する「話す」こと(音声言語)一般の優先視を読みとるというようなことは、(前述のように)理解とは誤解することだと考える人にして、はじめて可能なことであろう。プラトンは、書物に対しては質問しても、書かれてあること以外には答えてくれないという当然の指摘をしているまでであって、これと対比されるのは「学ぶ人の魂の中に知識とともに植え付けられる」ような言葉(276A)、「人が対話知により、ふさわしい相手の魂の中に知識とともに植えつける」ような言葉(276E)である。音声言語それ自体を文字言語と対比して、話される言葉(音声言語)ならどのようなものでも、右のような文字言語の限界と欠陥を免れているなどとは、むろん言われていないし、むしろそうした欠陥の可能性については、口で語られる言葉は文字に書かれる言葉と、まったく同等であることが明言されているのである。
いずれにせよこうして、今日までの哲学の全歴史は音声言語の重視と文字言語の軽視の歴史であったとは、とても信じがたいけれども、しかしかりにそれが事実でありえたとしても、そのこと自体なぜデリダには、告発する悪であると思われたのであろうか。デリダはこの音声言語中心主義なるものを「脱構築」して、実際には「書くこと」がまず先にあって、「話すこと」はそれから派生した形態にすぎないのだ、とわれわれに教えてくれる。だがこれはいったい、どういうことか。ここでもまた、われわれは当惑せざるをえない。
私の理解(誤解?)しえたかぎりでは、これはしかし、あっけないほど簡単なことのようである。デリダの言い分によれば、伝統的な「ロゴス中心主義=音声中心主義」が誤まって文字言語にだけ特有のことと錯覚してきた諸特性――”意味”とか”ロゴス”とか”存在”とかが直接そこに現前しなくなること、意味と言語との間のずれ、差異とくり延べ(differanceという造語が当てられる)、記号としての痕跡性、反復性、――は、実は、話される音声言語にも確在しているのであって、こうした本質的な諸特性を「原エクリチュール」(archi-ecriture)として立てなければならない――ロゴス=音声中心主義の「現前性の信仰」を脱構築するために。――「話す」ことに対する「書く」ことの先在性という奇想天外にみえる主張は、要するに、「書く」の意味を拡大して、「書く」(ふつうの意味で)ことと「話す」ことをともに包含するように定義し直したうえで、この再定義された「書く」こと――「原エクリチュール」――が「話す」ことよりも先にある(あった)と、いうことであるらしい。
しかし、これ以上デリダの解説めいたことをしても仕方ないだろいう。しばしばデリダと同系統の思想家とみなされるミシェル・フーコーは、デリダの文体を”obscurantisme terroriste”(字義通りに「テロリスト的な晦渋主義」)と評したという。何を言っているのかさっぱりわからないから(=obscurantisme)、その点を批判すると「お前はばかだ」と怒られる(=terroriste)ということである。だがおそらくこの文体の戦略は、あまりにもわかりにくためにかえって、奥には何か深い意味があるに違いない、と思わせるところにあるのだろう。
もちろんデリダの語る個々の論点には、例えば右の「原エクリチュール」の概念のように、それだけ取り出せば興味深い問題提起としての意味を与えうるものもある。しかし、「ギリシア以来の西洋哲学の全伝統」=「ロゴス中心・音声中心・男根中心主義」とか「脱構築」とかいった全体の枠組みまでも、(一種の知的遊戯やファッションとしてならともかく)哲学として大まじめに”深い意味”があると信じて受入れる信奉者たちは、正常な第三者には意味不明の用語を交わして互いにうなずき合うだけの結社となるほかはないだろう。デリダを畏敬する先述のローティは、クーンの「通常科学」という用語法になぞらえて、これまでの哲学を、固定的なパラダイムの支配下にあった「通常哲学」と呼び、デリダのような(そしてまたローティ自身のような、という気持ちであろうが)立場を、”伝統的パラダイム”の変換による革命的な「異常哲学」として性格づけている。しかし実情としては、こうしてつくられる流派はいま言ったように、クーンの用語法を離れた語の本来的な意味において「アブノーマル」(異常)な症状におちいり、そしてそのアブノーマルなあり方をそのまま常態として固定したミニ「通常哲学」と化するのである。
~西研『ヘーゲル・大人のなりかた』より~
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<あらゆる対象は意識の場面において経験される。意識の≪外側≫を考える必要はない>――これはちょっと荒唐無稽な話に聞こえるかもしれない。私たちのふつうの語感からすると、意識という言葉はかなり狭い範囲のものだからだ。例えばフロイトだったら、無意識の欲求が人間のなかにあって意識はほんの表層にすぎない、と考える。また、意識されていること(知っていること)に対して、知られていない広い現実がある、と私たちは考える。つまり、広い海に浮かぶ島のように、きわめて狭く限定された領域として、私たちは<意識>というものをイメージする。
けれど、ちょっと見方を変えてみよう。<意識の外側>を考えているのも意識なのではないか、と。たしかに、私たちは意識の外側にいろいろなものを想定している。<無意識>の領域、知られざる現実、絶対に認識されない<物自体>、あるいは<神>。確かにそれらは、感覚的に経験され意識されるものではないけれど、やはり意識されているのだ。例えば、無意識。<なるほど、意識の背後に無意識があると考えた方がいろんな説明がつくなあ>というふうに私たちは考える。このとき、無意識の存在を考えて納得しているのは、意識なのである。
神についても同じことになる。<絶対に不可知の存在としての、端的な外部としての神。それについてはだれも語ることができない>と思う。しかし、神をそういう<不可知なもの>と見なしているのは、意識なのである。
そう考えてみたとき、意識に対する<絶対的な外側>を、私たちは想定することができないことがわかる。むしろ、意識こそが根源的な場面であって、そこにいっさいの対象や知が登場してくるのだ、と考えるしかなくなる。手でさわれる感覚的な対象(物)も、物理的な法則も、現実の彼方に思い描かれる至福の世界も、自分自身がどういうものかということさえ、意識の場面に登場してそこで経験されるのだ。
これは、二十世紀初頭にフッサールが創始した<現象学>と、基本的に同じ考え方である(フッサールはヘーゲルをまったく読んでいなかった。だからフッサール現象学とヘーゲルの『現象学』には直接のつながりはない)。両者には大きなちがいもあるけれど、<意識を根源的な場面と考える>というかぎりでは、まったく同じ発想をしているのだ。