ヨガと共に学ぶ憲法の論証集

憲法総論

(人権享有主体性/私人間効力/違憲審査基準論/訴訟形式/狭義の文面審査)

外国人と基本的人権

総論

憲法による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、外国人に対しても等しく及ぶ(マクリーン事件参照)。人権は前国家・前憲法的性格を有しており、憲法98条が国際法規遵守を定めており、人権は国際化されるべきだからである。

日本社会の構成員としての結びつきを重視し、特別永住者、一般外国人等と分類して憲法上の権利の享有の有無や程度を決する見解がある。しかし、このように区別してある種の外国人を優遇すべきとする明文の規定はない以上、この見解はとりえない(東京都管理職選考事件参照)。

各論

政治活動の自由

政治活動の自由は、日本の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等、外国人の地位に鑑みこれを認めることが相当でないものを除き、憲法上保障される。

ただし、外国人に対する基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎない。したがって、在留の許否の判断において政治活動を消極的な事情として考慮することは許される(マクリーン事件)。

これに対し、憲法上の保障を受けている人権の行使により不利益処分を行うことは許されないとの見解がある。しかし、外国人の入国・在留の許否については国家主権の問題として自由裁量が認められ、かつ入国・在留の自由自体は憲法上の権利として保障されているわけではない。また、在留条件については、違憲な条件の法理の問題として対処しうる。したがって、この批判は当たらない。

出国の自由

22条2項から、外国人にも保障される。

入国・在留・再入国の自由

国際慣習法上、外国人の入国・在留の許否は国家主権に属する権限とされる。したがって、外国人の憲法上の権利としては保障されない(マクリーン事件、森川キャサリーン事件)

参政権

憲法15条1項及び国民主権の原則に照らして、国政の参政権を基本権として外国人に保障されることはない。ただし、地方参政権については、法律で保障することは憲法上許容されていると解する。地方政治は国政とは異なり、住民の日常生活に密接に関連する事務を行うのであり、住民の意思を反映させる形態を採用することも可能だからである。

社会権

社会権の保障は各人の属するそれぞれの国の責務であるから、外国人は社会権の享有主体たりえない(塩見訴訟)。

法人と基本的人権

法人・団体も、性質上可能なかぎり、憲法上の基本権を享有する。法人も社会的実在であり、結社の自由のうち団体自体の自由を憲法は予定しているからである(八幡製鉄事件参照)。

パターナリスティックな制約

総論

判断能力が未熟な者においては、本人にとって不利益となるような権利行使がなされるおそれがある。したがって、このような者は、パターナリスティックな制約(自己加害の防止や本人の利益を増進することを目的とした制約)を受けるのであり、上記不利益の相当の蓋然性があれば、制約は合憲である(岐阜県青少年保護育成条例事件参照)。

もっとも、過剰規制とならないように、各人の認識・判断能力に応じて、その自律性を尊重すべきであり、これを怠って一律に制約を課すことは、違憲と解すべきである。

*認知症の老人のような心身の疾患・障碍等のために通常の判断能力を欠いている場合や、自殺行為者など重大で不可逆的または永続的な侵害をもたらす場合には、未成年に準じて、パターナリスティックな制約も可能と考えられている。

各論

表現の自由(情報受領権)

青少年は精神的に未熟であり、選別能力に欠けるから、青少年の情報摂取の自由の制約について、成人とは異なり、厳格な審査基準が適用されない。社会の共通認識に照らし、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性が認められれば合憲と解する。

他方、以上の理由から有害図書が自販機に格納されない結果、成人も自販機によってこれを入手する便宜が奪われる点で、成人の情報受領の自由が制約される。もっとも、表現の自由の保護範囲に含まれるとしても、有害図書は一般的に価値がないか極めて乏しい。他方で、自販機販売の性質や、個別指定制度を採った場合に懸念される脱法行為を防ぐ必要性に照らし、付随的規制と解される。よって、青少年の健全な育成を阻害する有害環境浄化という目的を達するため、他に選びうる規制手段がないときは、やむを得ないとして許容される。(岐阜県保護育成条例事件伊藤補足意見)。

公務員と人権

総論

公務員の行政上の公務については、行政の中立的運営に対する国民の信頼を維持し、国民全体の利益のために政治的中立性を維持する必要がある(憲法15条2項参照)。(猿払事件)

各論

政治的行為の自由

一般人と異なり、公務員の政治的中立性を損なう恐れがある政治的行為を禁止することは、合理的で必要やむをえない限度にとどまる限り許容され、上記限度にとどまるかどうかは、①禁止の目的の正当性、②目的と禁止される行為の合理的関連性、③禁止により得られる利益と失われる利益との均衡によって判断する(猿払事件)との見解がある。

もっとも、上記①②は非常に緩やかな要件であって、事実上機能しない。また③は、国家的利益に対し、意見表明そのものではなくその行動のもたらす弊害の防止を狙いとする制約によって失われる利益が単純比較衡量されるのであって、裁判官の恣意が入りこむ可能性をも考慮すると、ほぼ充足すると考えられる。つまり、公務員の政治的行為への制約が許容されない場合が、ほぼ考えられないこととなる。

他方で、政治的行為の自由は、立憲民主制の政治過程において不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎づける重要な権利であるとしたうえで、「政治的行為」は、公務員の地位(管理職的地位)や職務内容等を考慮し、その職務の遂行の中立性を損なうおそれが、観念的なものにとどまらず、現実に起こりうるものとして実質的に認められるものをいうと限定的に解する(堀越事件)見解がある。

両基準の適用について、上記1の基準は、2で述べたような限定的に解された「政治的行為」への該当性が著しく明白であるような、極限的な場合に限って適用され、一般には、2で述べた基準が適用されると解する。

刑事施設収容者と人権

憲法は18、31、34条等で刑事施設の存在と自立性を認めているものの、収容者の人権も原則保護され(、とくに無罪推定が及ぶ未決拘禁者は原則として一般市民としての自由を保障され)る。

よって、収容者の身体・行動・表現の自由への制限は、これを認めることにより監獄内の規律及び秩序の維持、収容者の逃亡・罪証隠滅、受刑者の改善・更正等の上で放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合に限り許され、かつ、制約は、当該障害発生防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきである。(よど号事件、信書送付不許可事件)。

部分社会論

総論

自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の争訟は、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるべきであって、司法審査の対象にはならない(富山大学単位不認定事件)。

各論

大学内部紛争

宗教団体の内部紛争

私人間効力(契約関係)

憲法上の権利の効力は、私人間の関係には及ばない。しかし、基本的自由や平等に対する具体的な侵害の態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、私的自治に対する一般的制限規定(民法1条、90条や不法行為法)を通して、間接的に憲法上の保障を考慮に入れることで、適切な調整を図ることができる(三菱樹脂事件参照)。

明確性の原則と合憲限定解釈

憲法31条ないし13条に照らし、人の行為を規制し処罰する法律は、本来憲法上保護される行為を委縮させることにならないよう、明確な構成をとらねばならない。他方、法規は一般に抽象的なものであることを免れない。したがって、通常の判断能力を有する一般人の理解においてその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれない場合に限り、曖昧不明確ゆえに文面上違憲無効と解する(徳島市公安条例事件参照)。

また、表現の自由に対する規制について、仮に文面上違憲の疑いがあるとしても、合憲限定解釈を施すことにより明確になる場合、問題はない。限定解釈がゆるされるのは、これにより①規制の対象となるものとならないものが明確に区別され、②合憲的に規制しうるもののみが規制対象となることが明らかにされ、かつ③上記判例の規範をみたすこととなる場合である(税関検査事件)。

過度の広汎性故の無効の法理と合憲限定解釈

憲法13条、31条に照らし、過度に広汎な制約は、その存在自体が本来憲法上保護されるべき行為にも委縮効果を及ぼすことから、文面上違憲無効と解する。もっとも、表現の自由に対する規制について、仮に文面上違憲の疑いがあるとしても、合憲限定解釈を施すことにより規制が適切な範囲に限られる場合、問題はない(広島市暴走族追放条例参照)。

限定解釈がゆるされるのは、これにより①規制の対象となるものとならないものが明確に区別され、②合憲的に規制しうるもののみが規制対象となることが明らかにされ、かつ③上通常の判断能力を有する一般人の理解において具体的場合にその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読みとれるようになる場合である(税関検査事件)。

第三者の人権侵害の主張の可否

憲法は付随的違憲審査制をとっている以上、自己の憲法上の権利を侵害する法令・処分の違憲のみを争える。

もっとも、⑴同じ法令中にあり、適用規定と密接不可分の関係にある他の規定の主張、あるいは法令全体の違憲を主張することは許される。⑵特定の第三者の権利が侵害される場面において、第三者が違憲主張することが困難又は不可能で、当該侵害が自己の憲法上の権利と利害関係を有する場合には、例外的に争える(第三者所有物没収事件参照)。

*不特定者の権利侵害は、文面審査を参照。

違憲審査基準論

(基本的人権の重要性、制約程度の強度、立法裁量を尊重すべき事情などが関係)

厳格審査基準

①目的がやむにやまれぬ利益のためであって、②手段が目的達成のために必要最小限度であれるときに限り、合憲である。

(あてはめ)

①→目的の正当性+重要性+制約の必要性(立法により除去されるべき存在又は害悪発生の具体的危険)

②→過剰規制も過小規制も許されない。

中間審査基準

①目的が重要なものであって、②手段が目的達成のために実質的な関連性を有するのであれば、合憲である。

(あてはめ)

①→制約される基本権とその対抗利益とを衡量したうえで重要。

②→基本権を制約することがより少ない他の代替的手段がない、つまり過剰規制は許されない(相当性)。

合理性の基準

①目的が正当であって、②手段が目的と合理的関連性を有するときは、合憲である。

(あてはめ)

①→規制目的それ自体は憲法に違反しないこと

②→目的を促進させる程度でよい。

立法行為の争い方

立法行為の争い方(国賠違法)

法律の違法確認訴訟は、公法上の当事者訴訟(行政事件訴訟法4条後段)のうち公法上の法律関係に関する確認の訴えと解される。もっとも、現に存する紛争の直接的かつ抜本的な解決のために適切かつ必要とはいえないから、対象選択の適切性の観点から確認の利益が認められず、訴えとして不適法である。

他方、当該法律の立法行為又は立法不作為が国賠法上違法だと主張する場合において、違法性は、国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容の違憲性とは区別される。

もっとも、立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害することが明白な場合や、国民の憲法上の権利行使の機会を確保するための立法措置をとることが必要不可欠であることが明白にもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国賠法上違法となる(在外国民選挙権訴訟)。

(あてはめ)〇在外国民の権利行使の機会を確保するためには在外選挙制度を設けるなどの立法措置を執ることが必要不可欠であるところ、昭和59年に在外国民の投票を可能にするための法律案が閣議決定されて国会に提出されていたから、立法措置の必要は明白だった。〇同法律案が廃案となった後本件選挙の実施に至るまで10年以上の長きにわたって何らの立法措置も執られなかった。

*違憲の法律を改廃しなかった場合の国賠は、再婚禁止期間一部違憲判決を参照

現在の立法の違憲性の争い方(地位確認の訴え)

現在の立法の争い方(違憲確認訴訟)

幸福追求権=プライバシー権、自己決定権等

憲法13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

保護範囲

総論

憲法13条の保障する幸福追求権は、人格的生存に不可欠な権利をいう。憲法の保障する権利は、個人の尊重原理(13条前段)との関係で、憲法に列挙されている権利と同等の価値をもつことが必要だからである。

他方、幸福追求権を人間の行為一般の自由と捉える説もある。しかし、13条によって保障される権利の範囲が過度に広がりすぎ、人権保障の弱体化のおそれがあるから、この説はとりえない。

各論

プライバシー権(私生活上の自由)

判例は、13条の保護範囲に前科等の名誉・信用に直接かかわる事項をみだりに公表されない自由(前科照会事件)や、承諾なくみだりにその容貌を撮影されない自由(京都府学連事件)が含まれるとした。

もっとも、このような人格的利益に不可欠といえる権利と異なり、みだりに指紋押捺を強制されない自由(指紋押捺事件)や、個人情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由(早稲田大学事件、住基ネット事件)も、13条の保護範囲に含まれるとされた。

以上、人格的生存に直接かかわる情報だけでなく、これを害するおそれのある外延情報であれば、これを取得されない自由は、13条の保護範囲に含めてよいと解する。

さらに、取得された情報をみだりに管理・利用されない自由について、上記各判例は述べていない。情報を取得された以上は、当然利用されるから、保護に値しないとする見解(イスラム教徒監視事件)もあるが、情報漏出・誤用のおそれや行動への委縮効果が生じることから、別個の人権として保護すべきである(名古屋DNA型データ抹消請求事件)。

自己情報コントロール権

今日のマスコミュニケーションの発達した社会において、自己情報を自己において適切にコントロールすることが、個人の人格的利益を保つうえで必要不可欠なものであるとして、自己情報コントロール権が憲法13条によって保護される。

自己決定権(平成29年)

自己決定権は個人の人格的生存に不可欠な私的事項について、公権力から干渉されることなく各自が自律的に決定できる権利として13条の保護を受ける。

具体的には、子どもをもつかどうかなどの家族のあり方についての自己決定や、自己の生命身体の処分に関わる自己決定(エホバの証人輸血許否事件)は、上記私的事項に含まれると解する。

判断枠組み

プライバシー情報の取得に対しての制約の正当化基準

前科照会事件では、前科等の有無が訴訟等の重要な争点となっていて、他に立証方法がないような場合には前科照会は可能だが、その取り扱いには格別の慎重さが要求されるとした。

他方、早稲田大学事件は、個人識別のための単純情報も、個人の人格的利益を損なうおそれがあるから、慎重な取り扱いが必要であるとした。また、指紋押捺事件では、指紋それ自体は個人の私生活や内心に関する情報ではないとして、押捺を強制する立法の目的の合理性と必要性、制度の相当性につき判断した。

以上から、人格的生存に不可欠な情報については中間的な基準で審査し、そうでない外延情報については、ゆるやかな審査基準を採るべきものとされていると解する

プライバシー情報の利用に対しての制約の正当化

無罪確定後もDNA型を継続保有するには、データベース化の拡充の有用性という抽象的理由では足りず、再犯や余罪の可能性があるなど個別具体的な必要性が認められなければならない。

*名古屋DNA型データ抹消請求事件では、DNA型データは「指紋と同程度には保護されるべき情報」としているから、プライバシー外延情報だとして審査の厳格度を下げる方向に論じる余地もある。反対に、DNAは指紋よりも要保護性が高い(人格的生存に直結する)とすれば、厳格度を上げる方向に議論することもできる。

法の下の平等

憲法14条第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(以下略)

保障内容

憲法14条1項の「平等」とは、合理的な根拠に基づかない差別的な取り扱いを禁止するという、相対的平等を指す。したがって、合理的な区別は許される。

なお、同1項後段列挙事項は、許されない区別として歴史的に位置づけられてきたものであって、本人の意思や努力によってはどうにもならないものだから、当該事項に該当する区別は、不合理な差別であると推定されるべきとする見解がある。しかし、不合理な区別は、後段列挙事項についての区別のみに限られない。そこで、14条1項後段を例示とみて、当該区別が自らの意思ではどうにもならない種のものについては審査密度を上げるのが妥当である。

別異取り扱い

区別される権利・利益

・精神的自由や選挙権などの重要な権利について区別がなされている(二重の基準論)。

・基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受けるうえで意味をもつ重要な法的地位である国籍について区別がなされている(国籍法違憲判決)。

・租税法の定立については、正確な資料を基礎とする立法府の政策的・技術的な判断にゆだねるほかはなく、裁判所は基本的に立法府の裁量的判断を尊重すべきである(税金サラリーマン訴訟)。

・法定相続分は相続制度に関わるところ、相続制度は立法府の合理的な裁量判断に委ねられている(法定相続分規定違憲判決)。

・憲法24条1項は、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきとの趣旨の規定である。また、婚姻のもたらす重要な効果や法律婚を尊重する国民の意識も考慮すると、婚姻の自由は十分尊重に値する。そして、再婚禁止期間について定めて規定は、婚姻に対する直接的制約を課すものである(再婚禁止期間違憲判決)。

区別のカテゴリー

・父母の婚姻により準正子となるかどうかは、自らの意思や努力によって変えることのできない事柄であるから、これを理由とする国籍取得要件に関して区別することの合理性判断においては、慎重な検討を要する(国籍法違憲判決)。

・父母が婚姻関係になかったことは、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄である(法定相続分規定違憲判決)。

判断枠組み

尊属殺人重罰規定違憲判決、国籍法違憲判決、再婚禁止期間違憲判決

上記別異取り扱いについては、権利の重要性と区別のカテゴリーに照らし、①区別の立法目的に合理的な根拠があり、かつ②区別の具体的内容(の程度)と立法目的とに合理的関連性がある場合には、合憲である。

サラリーマン税金訴訟

上記別異取り扱いについては、権利の性質と区別のカテゴリーから、緩やかに審査し、①立法目的が正当であり、②区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、合憲と解する。

選挙権の平等

憲法44条

(前略)但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

憲法14条(法の下の平等)

第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(以下略)

憲法15条(選挙権)

 第1項 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

第3項 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

訴訟形式

公職選挙法204条の訴訟は、違法な選挙の効力を失わせ、適法な選挙の再実施を予定するものである。他方、これは現行法上選挙の適否を争える唯一の訴訟で、他に公選法の違憲を主張してその是正を求める機会はない。また、およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正・救済の途が開くことが憲法上要請される。

したがって、選挙無効訴訟の中で投票価値の平等について争えると解する(昭和51年判決)。

保護範囲

15条1項等の歴史的背景に照らし、憲法は、選挙権に関しては、国民はすべて政治的価値において平等であるべきであるとする徹底した平等化を志向する。よって、14条1項、15条は投票の価値の平等をも保護範囲に含む(昭和51年判決)。

選挙の違憲状態及び議員定数配分規定の違憲性

憲法43条2項、47条が選挙制度の仕組みの決定を国会の裁量に委ねていることに鑑み、投票価値の平等は、他の政策的目的等との関連において調和的に実現されるべきである。とくに、区割や議員定数配分の決定において、人口数と議員定数配分との比率の平等が最も重要かつ基本的な基準であるものの、従来の選挙の実績、選挙区としてのまとまり具合、行政区画、社会の急激な変化等も考慮される。

しかし、具体的に決定された区割と議員定数の配分の下における選挙人の投票価値の不平等が、国会において通常考慮しうる諸要素をしんしゃくしてもなお、一般的に合理性を有するとは到底考えられない程度に達しているときは、もはや国会の合理的裁量の限界を超えているものと推定され、裁判所は違憲状態と評価する(昭和51年判決)。

そして、憲法の予定する司法権と立法権との関係から、国会が裁判所の判断を踏まえて適切な是正を講ずることが、憲法の趣旨に沿う。したがって、合理的期間内における是正が憲法上要求されているのに行われない場合に違憲となる。同期間が経過したか否かは、期間の長短、是正措置の内容、検討を要する事項、必要となる手続等を総合考慮して、国会における是正の実現に向けた取り組みが司法の判断の趣旨を踏まえた立法裁量権の行使として相当かどうかで判断する。(平成25年判決)。

反論として、昭和51年判決では、合理的期間は人口変動の観察期間と捉えられていたところ、平成25年判決では、国会がどの程度努力したかを評価の中心にしており、違憲判断が主観化しているとの批判がある。

しかし、裁判所が国会に代わって立法をなし得ない以上、一概にこの立場を否定すべきではなく、国会と裁判所の相互作用を適切に機能させ、あるべき憲法秩序を追求する観点からは、合理性がみとめられる。

なお、参議院についても、衆議院との選挙制度の同質性や参議院の役割の増大に照らし、二院制に係る憲法の趣旨との調和の下に、衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する責務を負っていると解される。したがって、参議院議員選挙であること自体から、直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見いだし難い。

そこで、参議院についても上記の理が妥当すると解する(平成24年判決参照)。

違憲の範囲

いったん決定された選挙区割と議員定数の配分は、相互に有機的に関連し、一部分の変動は他部分にも波及的に影響を及ぼすという意味で、不可分一体をなす。したがって、議員定数配分規定は全体として違憲の瑕疵を帯びると解する(昭和51年判決)。

選挙の効力

違憲とされる定数配分規定に基づいた選挙を当然無効と解することはできない。選挙を無効としても憲法適合状態が直ちにもたらされるわけではなく、かえって当該選挙により選出された議員がすべてその資格を有しなかったことになる結果、当該議員の議決を経て成立した法律等の効力にも問題が生じ、また、今後の衆議院の活動が不可能になり、議員定数配分規定を憲法に適合するように改正することもできなくなるからである。

ところで、行政事件訴訟法31条には一般的な法の基本原則に基づくものとして理解すべき要素も含まれている。確かに、公選法219条は同規定の準用を排除しているが、その趣旨は選挙が公選法に反する場合を念頭に置いており、公選法自体が違憲である場合には及ばない。

そこで、上記基本原則に基づき、選挙を無効とすることにより公の利益に著しい障害が生ずる場合には、選挙が違憲な議員定数配分規定に基づいて行われた点で違法だと判示するにとどめ、選挙自体は無効としない(昭和51年判決)。

一人別枠方式

各都道府県に1名を配分する一人別枠方式は、中選挙区制から小選挙区制への移行に伴う激変緩和措置である。よって、新しい選挙制度が定着し、安定した運用がされるようになった段階においては、合理性は失われる(平成23年判決)。

選挙権

憲法43条(国会議員の地位)

1項 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

憲法79条(国民審査権)

 2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。

 3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

憲法93条(地方議員の地位)

 2項 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

保護範囲

国民審査権

憲法15条1項は、選挙権として、公務員の選定及び罷免の権利を保護しているところ、79条2項、3項は、衆議院議員総選挙の際に、最高裁判所(81条参照)の裁判官を罷免すべきか否かの審査権の行使を、主権者である国民の権利として保障している。このことに照らし、国民審査権も15条1項の保護範囲に含まれると解する(在外邦人国民審査違憲判決参照)。

立候補の自由

被選挙権は選挙権と裏表一体の関係にあり、自由公正な選挙を維持するうえで極めて重要であるから、15条1項の保護範囲に属する(三井美唄労組事件)。

制約

全面的不作為

 在外国民の国民審査権の行使に必要な立法がされていない。

法律上の制約

 受刑者、成年被後見人(当時)、住居を有しないホームレスが選挙権を行使できるようにする法律の規定が存在してない。

事実上の制約

 精神的原因によって投票所において、事実上選挙権を行使できず、これを可能にする法律の規定が存在しない。

判断基準

選挙権、選挙権を行使する権利、国民審査権の制限の正当化

選挙権は議会制民主主義の根幹をなすものだから、国民の選挙権及びその行使を制限することがやむを得ないと認められる事由がない限り、制限は許されない。そして、選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難というのでなければ、やむを得ない事由があるとはいえない。

この理は、国民の選挙権行使を可能にするための措置をとらないという不作為による制限であっても同様である(在外国民選挙権訴訟)。

 ⑴在外国民選挙権訴訟(改正前)のあてはめ

在外公館の人的、物的態勢を整えるなどの所要の措置を執る必要があったが、その実現には克服しなければならない障害あった。しかし、昭和59年の時点で、選挙の執行について責任を負う内閣がその解決が可能であることを前提に法案が国会に提出されており、昭和61年に実質的審議なく廃案したあと10年以上、国会が在外選挙制度を創設しないまま放置している。この点に照らすと、本件選挙当時、在外国民の投票を全く認めていなかったことには、やむを得ない事由は認められない。

⑵在外国民選挙権訴訟(改正後)のあてはめ

立法当初は事務処理上の合理性があったが、法改正後に在外選挙は繰り返されており、また通信手段が地球規模で発達し、参議院比例代表選挙について名簿登録者の氏名の自書が原則とされたことにともない、在外国民についてもこの制度に基づく選挙権が行使されている点に照らすと、おそくとも、次の選挙について在外国民の投票を認めないことについて、やむを得ない事由があるとはいえない。

⑶成年被後見人選挙権制限事件のあてはめ

後見開始の審判は財産管理の能力に注目してなされるのであるため、成年被後見人が選挙権を行使する能力が欠けるわけではなく、成年被後見人に選挙権を認めることで、高い頻度で不公正な投票がなされるといった事実も認められない。以上に鑑みると、成年被後見人の選挙権に対する法の制限は、やむを得ない事由は認められない。

⑷精神的原因による投票困難者事件のあてはめ

在宅障害者については、投票者において投票を行うことが極めて困難な状態にあるか否かの認定が難しいという問題はある。しかし、診断書や療養手帳等の併用によってできないわけではなく、上記認定が簡単ではないという程度では、選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であるという、やむを得ない事由は認められない。

⑸あてはめ一般 

国会は○○のような代替措置をとれば、選挙の公正を確保したうえで選挙権の行使を認めることができたはずである。そして、これは可能であったし容易であった。にもかかわらず、これを怠って現在のような制約を選挙権等に課していることについて、やむを得ない事由があるということはできない。

立候補の自由の制限

立候補の自由が、国民が国政に参加する機会を保障するのに不可欠であることに照らすと、選挙権と同様の保護を与えるべきとして、きわめて厳格な審査基準をとることも考えられる(在外国民選挙権訴訟参照)。

もっとも、議員の資格について立法府に裁量がある(44条本文)ことから、選挙の公正の実現という重要な目的と、その達成手段が実質的関連性を有する場合には合憲であるが、44条但し書き列挙事由による差別については、やむにやまれぬ目的のため必要最小限度の手段かどうかで合憲性を判断する。当該列挙事由は、歴史的に見て、選挙の公正を害する由縁とされてきたものであり、憲法が特に差別を禁止することを宣言したと解されるからである。

思想良心の自由

憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

保護範囲

総論

19条にいう「思想及び良心」とは、世界観・人生観・歴史観等の個人の人格形成の核心をなすものをいう。

なお、世界観等に限らず、事物に関する是非弁別の判断を広く含むとする見解もあるが、「思想及び良心」、「信教」及び「学問」との内的関連性に照らすと、この見解は広汎に失しており妥当でない。

各論

国歌斉唱拒否

「君が代」が軍国主義に一定の役割を果たしたとの国歌斉唱拒否の理由は、歴史観ないし世界観から生ずる社会生活上ないし教育上の信念等ということができるから、当該拒否行為は、19条の保護範囲に含まれる。

制約

内心に反する行為の強制

直接的制約

一般的客観的に見て、強制される外部的行為について、①その性質が自己の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくもの、または②特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識される場合は、思想又は良心を直接重大な危機にさらすから、直接的な制約である。

他方、思想良心の自由を最大限保障する観点から、一般的客観的に見るのではなく、本⼈の主観において、思想・良⼼と⾏為との関連性があり、強制されることに精神的苦痛を感じるのであれば⾜りるとする見解がある。もっとも、当該思想等の保有者の主観的判断に委ねるとすれば、法の客観性を阻害するものというべきである。

(あてはめ)①慣例上の儀礼的な所作としての性質を有する。②外部からもそう認識される。だから、直接的制約ではない。

間接的制約

一般的客観的に見て、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を強いるものである場合は、当該行為を強制することに付随して、思想又は良心を事実上危機にさらすこととなるから、間接的制約といえる。

(あてはめ)個人の世界観からみれば、敬意の表明の拒否をとることとなるところ、一般的客観的に見て敬意の表明の要素を含む行為が強制されている。

内心を理由とする不利益処分

特定思想をもち、またはもたないゆえに不利益な処分がされることは、思想及び良心を重大な危機にさらすから、思想及び良心の侵害に当たる。

内心の告白の強制(沈黙の自由)

人格の核心に関わる事項を告白するよう強制する行為は、思想及び良心を重大な危機にさらすから、思想及び良心の侵害に当たる。

内心の操作

公権力によって非権力的な形で特定の考え方が推奨されることは、思想及び良心を重大な危機にさらすから、思想及び良心の侵害に当たる。

判例の判断枠組

総論

直接的制約/間接的制約

直接的制約の対象は、表見的には人の外面領域であるが、その目的は人の内面領域の否定である。他方で、間接的制約の対象はあくまで人の外面領域にすぎず、そのような制約を介して人の内面領域も一定の制約を受けていると評価し得るのみである。したがって、後者は前者よりも制約の強度は小さいといえる。

各論

君が代起立斉唱事件(間接的制約、公務員)

1 個人の歴史観ないし世界観が内心にとどまらずに外部に行動として現れ、これが社会一般の規範と抵触する場面においては、外部的行為の強制の①目的、②内容及び③行為態様を総合衡量して必要性及び合理性が認められる場合には、上記制約は許容される。

2 〇処分の目的→高等学校教育の目標や卒業式等の儀式的行事の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るもの。

〇処分の内容→公立高等学校の教諭に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めるもの。

狭義の信教の自由

憲法20条1項前段 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。(以下略)

保護範囲

総論

憲法20条1項前段にいう信教の自由とは、内心における信教の自由(信仰をもつ・もたない自由、信仰告白をする・しない自由)、宗教的行為の自由(儀式、布教、宣伝等をする・しない自由)、および宗教的結社の自由(個人による宗教団体の結成不結成、加入不加入、成員としての継続不継続の自由と、宗教団体の団体としての意思形成と意思実現のための諸活動の自由)からなる。

各論

静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送るべき利益

信教の自由の保障は、自己の信教の自由に対して強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものではない限り、自己の信仰と相容れない信仰に基づく行為に対して寛容であることを要請している。したがって、当該利益は、憲法20条1項前段の保護範囲に含まれない。

制約 

内心・宗教的行為・宗教的結社の禁止または強制

直接的制約

直接的制約とは、信仰の核心部分と密接に関連する真摯な動機にでた行動を、その信仰のゆえに直接制限し、内心における信教を直接重大な危機にさらすものをいう(神戸高専事件参照)。

(あてはめ)〇宗教団体の解散命令は、専ら世俗的側面だけを対象として法人格を失わせるのみであり、信者の宗教的行為の禁止といった、宗教的側面に対する法的効果を伴わないので、これにあたらない。〇不利益処分・刑罰は、行動を強制するものではないから、これにあたらない。

〇破防法上の団体解散命令は、信仰を理由に、世俗面にだけでなく宗教的側面まで禁止するのであり、信者の宗教的行為を法律上全面的に禁止するものであるから、これにあたる。

間接的付随的制約

間接的付随的制約とは、信教の自由以外の観点からされる処分等により、間接的付随的に信教の自由に事実上の不利益が及ぶ場合をいう。

(あてはめ)〇重大な不利益処分をさけるため、自己の信教上の教義に反する行動をとることを事実上余儀なくされている場合は、これにあたる。

〇また、解散命令は、著しく公共の福祉を害する団体から法人格を剥奪することで、宗教法人に属していた財産や施設を清算手続により処分させるものであり、宗教的行為に事実的な支障をきたすから、これにあたる。

(参考:信教の自由と思想良心の自由とがともに内心の自由であって、一義的に制約があるかどうか、どの種の制約かを定めることができないことは同じであるから、国歌斉唱事件を参酌することが考えられる。

同判決では、一般的客観的に見て、強制される外部的行為について、その性質が自己の歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結びつくもの、または特定の思想又はこれに反する思想の表明として外部から認識される場合は、思想又は良心を直接重大な危機にさらすから、直接的な制約であるとし、慣例上の儀礼的な所作としての性質を有し、外部からもそう認識される起立国歌斉唱命令はこれに当たらないとした。

また、一般的客観的に見て、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行動を強いるものである場合は、当該行為を強制することに付随して、思想又は良心を事実上危機にさらすこととなるから、間接的付随的制約といえるとし、個人の世界観からみれば、敬意の表明の拒否をとることとなるところ、一般的客観的に見て敬意の表明の要素を含む行為が強制されているから、これにあたるとした。)

信教の操作

公権力によって非権力的な形で特定の宗教が推奨されることは、信教の自由を重大な危機となり、侵害に当たる。

判例の判断枠組み 

権利の重要性

二重の基準論

精神的自由である信教の自由の重要性に思いを致し、解散命令の合憲性について慎重に判断しなければならない(オウム真理教解散命令事件)。つまり、経済的自由の場合におけるよりも厳格に審査すべきである。

その根拠として、①精神的自由の方が個人にとって経済的自由よりも重要であること(自己実現)が挙げられる。②精神的自由の確保は民主制の過程を健全なものにすること(自己統治)が挙げられる。③経済的自由は制度に依拠しているため制度全体がうまく機能するために規制を設ける必要性が特に認められるが、精神的自由は制度に依拠しないため、そのような規制の必要性が認められないことが挙げられる。

制約態様

間接的制約は、直接的制約に比べ、規制効果が限定的である。

各論

宗教的行為と公共の安全・秩序の対立(牧会活動事件・加持祈祷事件)

著しく反社会的な宗教的行為は正当行為とはいえず、違法である(加持祈祷事件)。他方、内面的信仰の自由を事実上侵さないよう、最大限の慎重を要するとしたうえで、罪を犯した若者を教会で匿うとの牧会活動と刑事司法作用という保護法益を、社会的実際的感覚により比較衡量したうえで、信教の自由の憲法上の保障を明らかに逸脱していない場合は、正当行為であって違法ではないとした牧会活動事件の裁判例がある。

3 以上から、宗教的行為と公共の安全秩序が対立する場面においては、信教の自由を重視し、後者よりもできるだけ前者を優先するような比較考量がされていると解される。

宗教的行為と日常生活上の規範の対立(神戸高専事件・日曜日参観事件)

信仰上の真摯な理由から履修を拒否した学生に退学処分をするときは、処分の重大性及び信教の自由の重要性に鑑み、代替措置をとることが実際上不可能、もしくは政教分離に反するといった事情がないかぎり、校長には、代替措置の積極的な検討義務がある。にもかかわらず、十分な検討を怠ったことは、社会観念上著しく妥当性を欠き、裁量の逸脱・濫用であると評価される(神戸高専事件)。

他方、欠席扱いという軽微な処分の場合は、信教の自由の重要性に関わらず、裁量の逸脱濫用とはされない(日曜日参観事件)。

2 宗教的行為と日常生活上の規範が対立する場面においては、信教の自由を重視し、後者よりも前者をできるだけ優先するような比較考量がされていると解される。

宗教的結社の自由(オウム真理教解散命令事件)

解散命令は専ら団体の世俗的側面を対象とし、精神的・宗教的側面に容喙する意図はなく、制度目的は合理的である。また、サリンを生成するなど宗教団体の目的を著しく逸脱した行為に対処するには、解散ないし法人格の剥奪が必要かつ適切である。他方で、宗教上の行為に何らかの支障が生ずるとしても、信教の自由に対する制約は間接的かつ事実上のものにとどまる。そのうえ、司法審査によって解散命令が発せられるから、手続の適正も担保されている。

以上から、解散命令は合憲である(オウム真理教解散命令事件)。

政教分離規定

憲法20条

1項後段 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

3項 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

憲法89条前段

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、(中略)これを支出し、又はその利用に供してはならない。

国家による宗教団体への援助の合憲性

1 問題の所在

地方自治法242条の2第1項1,3,4号の住民訴訟を提起するにあたり、国による当該援助行為は、89条、20条1項後段に違反するとの主張は認められるか。

*20条3項ではないことを論じなければならない。

2 判断基準

⑴89条は、「宗教上の…団体」に対する公金等の支出及び利用提供を禁止している。20条1項後段は、「宗教団体」への特権の付与を禁止している。これら宗教団体とは、特定宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする団体をいう(箕面忠魂碑事件)。

⑵政教分離規定は、国家と宗教との分離を制度的に保障することで、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保し、もって信教の自由を間接的に保障することを目的としている。他方で、社会的文化的諸条件に照らせば、国家と宗教の完全分離は実際上不可能である。そこで、上記規定は、国家と宗教との関わり合いが、上記諸条件に照らし相当とされる限度を超える場合は、これを許さないとする趣旨と解する。

相当限度を超えた公金支出又は特権の付与等かどうかについて、一方では、㈠主催者が宗教家であるか、㈡順序作法が宗教の定める方式に則ったものであるか、㈢当該行為の行われる場所、㈣一般人の宗教的評価、㈤行為者の意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、㈥一般人に与える効果、影響等を考慮して、㋐行為の目的が宗教的意義をもち、㋑その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるかどうかで判断する手法がある(愛媛玉串料事件、津地鎮祭事件)。

他方で、a施設の性格、b無償供与・公金支出に至った経緯、c当該供与・支出の態様、dこれらに対する一般人の評価等を総合して判断する手法がある(空知太事件、孔子廟事件)。

両手法のいずれを用いるべきかについて、前者は、行為が宗教的とも世俗的ともいえる場合において、どちらを重視するかの決定基準であるところ、後者は、宗教性が明らかな行為について、前者の基準を機械的に用いて違憲とすればかえって信教の自由を著しく制約し、政教分離規定の上記趣旨に反する結果となるゆえに、柔軟な解決を志向してこれをできるだけ避けるところにその主眼がある。

したがって、行為に宗教性と世俗性が混在している場合は前者、宗教性が独在している場合は後者を用いる(空知太事件藤田補足意見参照)。

(米国におけるレモンテストでは、ほぼ同じ要件判断をするが、①または②いずれかに該当すれば宗教的行為性を認めるものであるところ、日本の当該基準では、両方の充足を要する点で、審査の厳格度が不当に低い、との反論がある。これに対して、6つの要素を厳格に審査することで、レモンテストと遜色ない厳格な適用しうる、との再反論がある。

継続的行為の場合は汎用性の高い総合判断、一回的行為の場合は目的効果基準と解したうえで、一方の判断基準を採用すべきだとの意見がある。これに対し、その区別基準によれば、目的効果基準は不要となるところ、判例上当該基準も用いられていることとの整合性が保てない、との再反論がありうる。)

3 本問における検討

⑴目的効果基準を用いて違憲になる場合

当該宗教的行為は、時代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているということができず、㈣一般人がこれを社会的儀礼の一つにすぎないと評価できない、㈤これを行う者においても宗教的意義を有するという意識を持たざるを得ない。他の宗教団体の儀式に対して同様の支出がされたという事実がないことも踏まえると、㈥一般人に対して、当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別なものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こす。

→㋐行為の目的は宗教的意義をもつ。㋑特定の宗教に対する援助、助長、促進の効果をもつ。

⑵総合考慮して違憲になる場合

①本件氏子集団は町内会に包摂される団体ではあるものの、町内会とは別に社会的に実在しており、宗教的行事等を行うことを主たる目的としている宗教団体であり、該当する。

②a本件神社物件は神社神道のための施設であり、その行事も宗教的行事として行われている。bもともとは小学校敷地の拡張に協力した用地提供者に報いるという世俗的、公共的な目的から始まった。c本件氏子集団は、祭事に伴う建物使用の対価を町内会に支払うほかは、本件神社物件の設置に通常必要とされる対価を何ら支払うことなく、その設置に伴う便益を享受している。d一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない。

→本件利用提供行為は、市と本件神社ないし神道とのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものとして、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たる。

国家による宗教的活動の合憲性

(基準等は20条3項後段、89条と同じ。)

⑴目的効果基準を用いて合憲になる場合

㋐専門の宗教家である神職が、㋑神社神道固有の祭式に則って行ったもの。しかし、儀式の宗教的意義は次第に稀薄化してきており、㋓一般人の意識においては起工式にさしたる宗教的意義を認めず、㋔関係者の意識も宗教的意義を認めなかった。わが国における宗教意識の雑居性等の事情や起工式に対する一般人の意識に徴すれば、⑥参列者及び一般人の宗教的関心を特に高めない(宗教的団体への特権的扱いがされている、との印象なし)。

→①目的は社会一般の慣習に従った儀式をおこなうという専ら世俗的なもの。②本件起工式の効果=神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉等を加えるものとは認められない。

⑵目的効果基準を用いて違憲になる場合

当該宗教的行為は、時代の推移によって宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているということができず、㋓一般人がこれを社会的儀礼の一つにすぎないと評価できない、㋔これを行う者においても宗教的意義を有するという意識を持たざるを得ない。他の宗教団体の儀式に対して同様の支出がされたという事実がないことも踏まえると、㋕一般人に対して、当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別なものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こす。

→①行為の目的は宗教的意義をもつ。②特定の宗教に対する援助、助長、促進の効果をもつ。

⑶総合考慮して違憲になる場合

(i)本件施設は、その構造や外観から、社寺との類似性がある。さらに、霊を迎え入れるという儀式を行う場所である。よって、宗教性の濃厚な施設である。(ii) 本件免除がされた経緯は、市が本件施設の観光資源等としての意義や歴史的価値に着目したもの。しかし、本件施設の再築が焼失したものの復元とはいえず、かつ法令上の文化財ではないこと等に鑑みると本件免除の必要性及び合理性を裏付けるものとはいえない。(iii) 本件免除によって享受する利益は相当に大きく、継続的に利益を享受する可能性。(iv) 一般人の目から見て、市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない。

→本件免除は、市と宗教との関わり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとして、憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当する。

表現の自由

憲法21条

1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。

2項 検閲はこれをしてはならない。(後略)

保護範囲

総論

憲法21条は、人の精神的活動にかかわる一切の情報の伝達に関する行為を国家により妨げられない自由を保障している。

具体的には、情報提供の自由とともに、情報は受け取る行為があって初めて意味をもつという意味で情報受領の自由、また、情報伝達は情報収集活動に依存するから情報収集の自由も保護範囲に含む。

各論

情報提供の自由

 報道の自由/報道機関以外による事実伝達の自由/営利的表現

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に参与するにつき重要な判断資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するから、事実の報道の自由は、21条の保障のもとにある(博多駅事件)。

報道機関以外の者の情報提供・営利的表現は、国政や国民の知る権利に奉仕するとはいえない。もっとも、自由な情報流通を保護する21条1項の趣旨から、上記判例を敷衍して、報道機関以外の者による事実伝達も、保護範囲に含む。

意見広告には表現の自由の保障を及ぼし、純然たる営利広告には及ばないとする説があるが、その区別は困難であるし、後者も消費者にとって重要な情報であるから、同説は採りえない。

政治的行為をする自由(猿払、堀越)

政治的行為は、政治的意見の表明としての側面も有し、憲法21条の保障を受ける。

検索結果を提供する自由(グーグル検索結果削除事件、ツイッター事件)

事業者の用いている情報収集・整理・提供の自動プログラムは、その方針に沿った結果を得ることができるように作成されたものであって、検索結果の提供は表現行為といえ、憲法21条の保障を受ける。

低価値表現の自由(名誉・プライバシー侵害表現、ヘイトスピーチ等)

社会的害悪をもたらす内容を含む表現(以下、低価値表現)は、保護に値しないから、21条の保障の範囲外と解する見解もある。

しかし、低価値表現を広く解釈してしまうと、本来保護されるべき表現行為が広く規制されることになりかねない。したがって、低価値表現を含むからといって直ちに21条の保障の範囲外だと解することは許されない。

情報受領の自由

各人が自由に意見や情報等を摂取する機会をもつことは、個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活に反映させていくために必要であり、また、立憲民主制の政治過程において国民が政治に参加し、共同意思を形成するために不可欠である。

したがって、閲読の自由は、憲法21条の派生原理として当然に導かれる(保障の程度は下がらない)(よど号事件)。

また、筆記行為の自由は、意見、情報等を摂取することを補助するものとしてなされる場合、憲法21条1項の規定の精神に照らして尊重される(レペタ事件)。

情報収集の自由

報道のための取材の自由/報道機関以外の取材の自由

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に参与するにつき重要な判断資料を提供し、国民の知る権利に奉仕する。したがって、事実の報道の自由は、21条の保障のもとにある。そして、報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するというべきである(博多駅事件)。

報道機関以外の者の情報提供・営利的表現は、国政や国民の知る権利に奉仕するとはいえない。もっとも、自由な情報流通を保護する21条1項の趣旨から、上記判例を敷衍し、情報伝達の前提としての一般人の情報収集の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値すると解する。

報道機関が取材源を秘匿する自由

報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に参与するにつき重要な判断資料を提供し、国民の知る権利に奉仕する。したがって、事実の報道の自由は、21条の保障のもとにある。そして、報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する。

ところで、取材源をみだりに公表すると、取材される者との信頼関係が損なわれ、将来にわたる自由で円滑な取材活動が妨げられる。報道機関の業務に深刻な影響を与え、以後その遂行が困難になる(NHK証言拒絶事件)。したがって、取材源を秘匿する自由も、取材の自由に含まれ、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する。

報道機関が取材資料の提出を強制されない自由(博多駅)

報道機関の報道は、国民が国政に参与するにつき、重要な判断資料を提供し、国民の知る権利に奉仕から、表現の自由を規定した21条の保障のもとにある。そして、報道機関の報道が正しい内容をもつために、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値すると解する。

ところで、取材資料が犯罪捜査等に利用されるとなると、将来、取材対象者から協力を得ることが困難になる。したがって、取材資料の提出を強制されない自由も取材の自由に含まれ、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値するということになる。

制約 

検閲

判例上、検閲とは、①行政権が主体となって、②思想内容等の表現物を対象とし、③その一部または全部の発表の禁止を目的として、④対象とされる一定の表現物につき一般的網羅的に、⑤発表前にその内容を審査の上、⑥不適当と認められるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものをいう(税関検査事件)とされ、かかる検閲は、歴史的経験にかんがみ、絶対的に禁止される(憲法21条2項)。

もっとも、このように解すると検閲に該当する場合がほとんど想定できないから、検閲は、①表現行為に先立ち②行政権が③その内容を事前に審査し、④不適当と認める場合にその表現行為を禁止することと解する。

事後規制/事前抑制(許可制)

事後規制とは、一定の表現行為の制限禁止があらかじめ定められており、表現が行われた後にそれが制限・禁止に該当したと判断されるときに、制裁を加えることをいう。

事前規制とは、表現行為が行われる前に当該行為を禁止・制限することをいう。

内容規制/内容中立規制

内容規制とは、その伝達するメッセージに着目して規制するものである。

内容中立規制とは、その表現の内容に直接関係なく制限するものである。

もっとも、内容中立規制でも、①全面的な表現禁止など規制の程度、②表現者がその表現方法に依拠する必要、③禁止によって生じる受け手の層の偏りなどに照らして、表現の自由に対し実質的な脅威を与えるものは、規制の強度は内容規制に準じる。

見解規制/主題規制(内容規制)

見解規制は、様々な立場や見解がある中で特定の立場や見解を禁止する規制である。

主題規制は、特定の主題につき、その主題に関してどのような立場を取るかとは関係なしに、その主題を内容とする表現を禁止するという規制である。

直接的制約/間接的制約/付随的制約

直接的制約は、意見表明そのものを直接に制約するものである。

間接的規制は、意見表明以外を対象とする制約の結果、偶然的に意見表明にも不利益が及ぶ場合をいう。

付随的制約とは、意見表明が直接もたらす弊害以外の理由で規制した結果、偶然的に意見表明にも不利益が及ぶ場合をいう。

判断枠組み  

総論

権利の重要性

 表現の自由の保障の意義(よど号ハイジャック記事抹消事件参照)

 表現の自由を保障する意義は、①個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活に反映させていくために不可欠であること(自己実現)、②立憲民主制の政治過程において国民が政治に参加し、共同意思を形成するのに不可欠であること(自己統治)、③真理への到達に必要な、思想の自由な競争を行うために不可欠であること(思想の自由市場)にある。

二重の基準論

自己実現(精神的自由の方が個人の人格形成にとって経済的自由よりも重要)・自己統治(心的自由の確保は民主制の過程を健全なものにする)の観点から、経済的自由の場合よりも精神的自由、とりわけ表現の自由に対する制約の場合には、その合憲性判断につき厳格な審査基準を適用すべきである。

また、①経済的自由は制度に依拠しているため制度全体がうまく機能するために規制を設ける必要性が特に認められるが、精神的自由は制度に依拠しないため、そのような規制の必要性が認められないことや、また、②経済的自由の方が表現の自由よりも萎縮しにくいことも挙げられる。

政治的行為の自由

政治的行為の自由は、立憲民主制の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎づける重要な権利である(堀越事件)。

インターネット上での低価値表現の自由

インターネットで低価値表現がなされる場合には、21条による保護を厚くし、規制はできるだけ避けるべきとの見解がある。インターネットでは利用者が対等に言論を取り交わすことが可能なため、言論にはあくまで言論で対抗すべきと考えるからである。

しかし、インターネットに掲載されたものは、瞬時に不特定多数の者が閲覧することができ被害は深刻なものとなるおそれが大きいうえ、損なわれた名誉やプライバシーの回復は容易ではなく、対抗言論の原則といっても、反論により十分にその回復が図られる保証もない。したがって、書籍等による場合と同様の保護を受ける。

営利的言論(広告)

もっとも、政治的言論等に比べて自己実現・自己統治に結びつかないこと、営利を目的とするため萎縮効果を考慮する必要がないこと、国民の経済生活や健康に直接影響を与える場合があること、商品の効能等については真偽の判定が可能であることから、通常の表現よりも保障の程度は下がる。

裁判所における筆記行為の自由

21条1項により直接保障されるわけではないから、当該自由の制限又は禁止には、表現の自由一般に必要とされる厳格な基準が要求されない(レペタ事件)。

制約の強度

表現の委縮効果

自らの言論によって不利益な取り扱いを受けるとなると、表現することをためらうこととなる。つまり、表現の萎縮を招き、表現の自由への重大な制約となる。

事前規制

表現行為に対する事前規制は、その表現物が自由市場にでる前に抑制し、その意義を失わせて公の批判の機会を減少させる。そのうえ、その性質上予測に基づくものとならざるを得ないので、規制が広汎にわたりやすく、濫用の恐れがあり、事後規制よりも実際上の抑止効果が大きい(北方ジャーナル事件)。

内容規制

内容規制は、思想の自由市場をゆがめて真理に到達する道を閉ざし、不当な動機に基づく規制の恐れを惹起し、メッセージが受け手に起こす反応(伝達効果)を理由とする規制となる可能性がある。したがって、表現の自由に対する重大な制約といえる。

見解規制(内容規制)

見解規制にあっては、特定の立場や見解に国家が優越的地位を与えるに等しくなり、不当な動機に基づいて思想の自由市場を著しくゆがめるおそれが著しいから、表現の自由に対する制約は著しい。

間接的付随的制約

間接的付随的制約にとどまる場合は、意見表明の自由自体を制限するものではなく、単に場所・時間・方法の禁止に伴う程度での限定的な規制だから、表現の自由に対する制約としては緩やかである。

審査基準

低価値表現

憲法上保障すべき表現が広く規制されることを防ぎ、また予測可能性を担保して表現の委縮を回避する観点から、あらかじめ表現の自由の価値と規制の必要性とを抽象的に衡量した上で、規制の対象となる表現行為とそうでない行為とを明確にする規定の解釈(「定義」)を定め、個別の事案に対して裁判所はその「定義」を要件判断の形で適用するという、定義づけ衡量をすべきである。

各論

北方ジャーナル事件(公人、名誉侵害、事前抑制)

1 個人の名誉は、人格権として憲法13条の保障を受ける。他方で、憲法21条の保障を受ける表現行為が名誉を侵害する場合には、両権利が衝突し、慎重な調整を要する。

2 表現行為に対する事前規制は、その表現物が自由市場にでる前に抑制し、その意義を失わせて公の批判の機会を減少させる。そのうえ、その性質上予測に基づくものとならざるを得ないので規制が広汎にわたりやすく、濫用の恐れがあり、事後規制よりも実際上の抑止効果が大きい。

したがって、表現行為に対する事前規制は、検閲を絶対的に禁止する21条2項の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとでのみ許容される。

3 表現内容が公務員や公職立候補者等の評価など、公共に関する事項であるときは、私人の名誉に優先する社会的価値を含むから、事前規制は原則として許されない。

もっとも、①その表現内容が真実でなく、または専ら公益を図る目的でないことが明白であって、②被害者が重大かつ著しく回復困難な損害を被る恐れがあるときは、例外的に、事前抑制も許される。当該表現行為が被害者の名誉に劣後することが明らかであるし、事前規制の有効適切な救済手段としての必要性も肯定されるからである。

4 また、事前規制としての仮処分命令手続をするにおいては、原則として、口頭弁論又は債務者審尋を要する。表現の自由を確保する上での手続的保障の要請があり、また、表現行為者側の防御方法が公益目的性と真実性の立証にあるからである。

もっとも、債権者の提出資料において3で述べた事前規制の正当化要件を共に満たすと認められるときは、口頭弁論または債務者審尋を経ずに仮処分命令を発しても、憲法21条の趣旨に反せず、適法である。

私人、プライバシー侵害、事前規制(週刊文春事件)

1 憲法13条の保障する幸福追求権とは、個人の人格的生存に不可欠な権利をいうところ、人格的自律権ないしプライバシー権は、これに含まれる。他方で、憲法21条の保障を受ける表現行為がプライバシー権を侵害する場合には、両権利が衝突し、慎重な調整を要する。

2 プライバシーを侵害する低価値表現について、憲法上保障すべき表現が広く規制されることを防ぎ、また予測可能性を担保して表現の委縮を回避する観点から、あらかじめ表現の自由の価値と規制の必要性とを抽象的に衡量した上で、規制の対象となる表現行為とそうでない行為とを明確にする規定の解釈(「定義」)を定め、個別の事案に対して裁判所はその「定義」を要件判断の形で適用するという、定義づけ衡量をすべきである。

また、表現行為に対する事前規制は、その表現物が自由市場にでる前に抑制し、その意義を失わせて公の批判の機会を減少させる。そのうえ、その性質上予測に基づくものとならざるを得ないので、規制が広汎にわたりやすく、濫用の恐れがあり、事後規制よりも実際上の抑止効果が大きい。したがって、表現行為に対する事前規制は、検閲を絶対的に禁止する21条2項の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとでのみ許容される(北方ジャーナル事件)と解する。

他方で、名誉侵害表現と異なり、プライバシー侵害表現の場合は、表現内容の真実性が認められるとなおさら被害が重大なものとなるから、表現者に真実性の立証による正当化を要求することはできない。

3 そこで、①公共の利害に関する事項といえず、②専ら公益を図る目的でないことが明白であって、③被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被るおそれがある場合には、例外的に、事前規制も許されると解する(週刊文春事件参照)。当該表現行為が被害者の当該事実を公表されない自由に劣後することが明らかであるし、事前規制の有効適切な救済手段としての必要性も肯定されるからである。

4 また、公共の利害に関する事項についての表現行為の事前規制としての仮処分命令手続きにおいては、原則として、口頭弁論又は債務者審尋を要する。表現の自由を確保する上での手続的保障の要請があるからである。

もっとも、債権者の提出資料において3で述べた事前規制の正当化要件をすべて満たすと認められるときは、口頭弁論または債務者審尋を経ずに仮処分命令を発しても、憲法21条の趣旨に反せず、適法である。

夕刊和歌山時事事件(公人、名誉侵害、事後規制)

1 個人の名誉は、人格権として憲法13条の保障を受ける。他方、21条1項の保障を受ける表現行為により名誉が侵害された場合には、両者が衝突し、その慎重な調整を要する。

2 刑法230条の2は、人格権としての名誉の保護と表現の自由との保障との調和を図る趣旨である。そこで、表現の委縮を回避する観点から、表現された事実が真実であることの証明がなくとも、①公共の利益に関する事項にかかり、②その目的が専ら公益を図るものであって、③真実であると誤信したことにつき相当の理由があるときは、免責される(夕刊和歌山時事事件)。この理は、民事事件においても妥当する(北方ジャーナル事件参照)。

3 公務員ないし公人に対する名誉毀損的表現について、その表現が虚偽であることを本人が知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものか、それを公務員ないし公人は立証しなければならない(現実の悪意の法理)とすべきだとの批判がある。

しかし、いくら公人といっても人格権が侵害されている以上、名誉毀損の違法性について、侵害者の主観的態様を立証する責任を被害者に負わすのは利益の均衡を欠く。したがって、当該批判は当たらない。

「逆転」事件(私人、プライバシー侵害、事後規制)

1 前科等の事実は、その者の名誉や信用に直接かかわる事項であるから、当該事実をみだりに公表されない自由は、憲法13条によって保護される(前科照会事件)。他方、21条1項の保障を受ける表現行為により当該自由が侵害された場合には、慎重な考慮を要する。また、名誉侵害表現と異なり、表現内容の真実性が認められるとなおさら被害が重大なものとなるから、表現者に真実性の立証による正当化を要求することはできない。

2 そこで、事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し、前者が後者に優越する場合には、違法となると解する。その際、①前科を公表された者のその後の生活状況、②事件の歴史的又は社会的意義、③当事者の重要性やその者の社会活動及びその影響力、④その著作物の目的、性格等に照らした事実公表の意義及び必要性を考慮する。

3①社会復帰し新しい生活環境を形成した。②事件の重大性や現在の社会における当該犯罪の先例的意義、③無名の市民であって、批判・評価の一資料としての当該事実の公表を受忍すべきであるような、公的立場にある人物ではなかった。④プライバシー情報が伝達される範囲と具体的被害の程度、表現媒体の性質、報道的か否か。実名を載せる必要性は認められない。

グーグル事件(私人、プライバシー侵害、事後規制、インターネット)

1 名誉侵害表現と異なり、表現内容の真実性が認められるとなおさら被害が重大なものとなるから、表現者に真実性の立証による正当化を要求することはできない。

2 前科等名誉や信用に直接かかわる事項をみだりに公表されない自由は、憲法13条の保護を受ける(前科照会事件)。他方、憲法21条1項の保障を受ける表現行為により当該自由が侵害されたときは、慎重な調整を要する。また、インターネットが果たす情報流通の基盤としての重大な役割をも考慮すべきである。

そこで、事実を公表されない法的利益と、これを検索結果として提供する理由とを比較考量し、前者が後者に優越することが明らかな場合に、違法(削除命令すべき)となると解する。その際、①当該事実の性質及び内容、②プライバシーに属する事実の伝達の範囲と具体的被害の程度、③その者の社会的地位や影響力、④表現物の目的や意義、⑤表現行為時の社会的状況のその後の変化、⑥当該事実を記載する必要性などを考慮する。

3 ①④⑤児童買春をしたという被疑事実に基づき逮捕されたという事実は、他人にみだりに知られたくないプライバシーに属する情報だが、社会的非難の対象とされ、罰則をもって禁止されていることに照らし、今なお公共の利害に関する事実である。②その者の居住する県の名称および氏名を検索条件とした場合の検索結果の一部に過ぎないから、伝達される範囲はある程度限られる。③妻子とともに生活し、一定期間犯罪を犯すことなく民間企業で働いていた。

*犯罪報道に関する投稿行為(ツイッター)の差止請求事件では、グーグルによる検索結果提供と、投稿された記事の検索結果の提供とは異なるとしたうえで、後者については考慮要素⑥を明示せず、判断基準も単に「優越する場合は、」としており、「明らか」要件をなくしている。そして、草野補足意見は、刑の言渡しから8年経過して効力を失った事実、犯罪報道記事を転載して速報することを目的としてされた投稿であるから氏名部分だけでなく全体の削除が命じられた点、実名報道の社会制裁・社会防衛・外的選好という3機能をあげて社会的意義を基礎づけるものかどうか触れている点を、注目している。グーグル事件判決に影響を及ぼすか不明。

大阪市ヘイトスピーチ条例事件

①各規定の目的のために制限が必要とされる程度、②制限される自由の内容、性質、③制限の態様・程度等を衡量して、規制が合理的で必要やむを得ない限度にとどまっているか判断する(よど号ハイジャック事件参照)。

(あてはめ)①→条例HS抑止という目的。人種民族を理由に特定人を社会から排除するため、殊更、当該人種民族への憎悪・差別を誘発・助長し、または生命身体に危害を加えるといった犯罪行為を扇動するというHSの内容・態様。ここから、制限の必要が高い。②上記の通り、

過激で悪質性の高い表現。③事後的に、看板撤去・記事削除等の拡散防止措置を採られるにとどまり、これに応じなくとも罰則はない。発言者の公表についても、これを特定するための法的強制手段はない。

博多駅事件(刑事事件、報道機関の取材の自由、取材資料の提出命令)

取材の自由は、公正な裁判の実現という憲法上の要請があるときは、ある程度の制約をうける。許容される制約の程度は、一方で、①犯罪の性質、軽重及び取材資料の証拠としての価値、公正な刑事裁判を実現するにあたっての必要性の有無を、他方で、②取材の自由が妨げられる程度及び報道の自由に及ぼす影響の度合い等を比較衡量して決する。

また、たとえ提出強制が容認される場合でも、憲法上の保障を受ける取材の自由が制約される以上、それによる報道機関の不利益が必要な限度を超えないよう配慮されなければならない。

3 ①犯罪が重大であって、被疑者・被害者の特定困難な状態であり、第三者の証言も期待できない。証拠散逸のおそれもある。撮影フィルムは中立の立場から撮影されており、罪跡の有無の判定にほとんど必須。②〇提出されるべきフィルムは放映済みで、報道の自由に現在の不利益は生じない。将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるにとどまる。

外交官秘密漏洩事件(報道機関の取材行為の自由)

1 国家秘密を探知する取材行為は、公務員の守秘義務と対立する。他方で、報道機関といえども、取材に関し他人の権利を不当に侵害する特権は有しない。

したがって、その取材行為が、①真に報道の目的から出たものであり、②方法が社会観念上是認される場合には、正当行為として違法性を欠く。

②について、取材方法が一般の刑罰法令に触れる場合のほか、取材対象者の人格の尊厳を著しく蹂躙する等の場合は、充足しない(西山記者事件)。

2 社会的相当性を取材活動に求めたのは妥当でないとの批判がある。合法とされているのに、倫理観を根拠に取材の可否を決するのは、裁判所の恣意を許し、予測可能性を害するからである。しかし、法は社会一般人の観点から違法性のある行為を民事上法ないし刑事法上制約しているところ、取材行為が表現の自由の保護範囲内にあるからといって、社会的相当性に反する行為を許容することはできない。したがって、当該批判は当たらない。

NHK 事件(民事事件、報道機関の取材の自由、取材源秘匿)

1「職業の秘密」とは、公開されると職業に深刻な影響を与え、それ以後その遂行が困難になるものをいう。もっとも、証言拒絶が認めるには、秘密の公表によって生ずる不利益と、証言拒絶によって犠牲となる真実発見及び裁判の公正とを比較考量して、保護に値する秘密といえることがさらに必要である

2 もっとも、取材の自由の意義に照らせば、取材源の秘密は、取材の自由を確保するために必要なものとして、重要な社会的価値を有する。したがって、当該報道が特に公共の利益に関するものであるときは、原則として証言拒絶できる。ただし、取材方法が刑罰法規に触れるか、取材源の秘密開示に承諾があるか、社会的価値のある重大な民事事件において公正な裁判を実現するため当該証言が必要不可欠であるといった事情があるときは、例外的に、証言拒絶は許されない。

石井記者事件(刑事事件、報道機関の取材の自由、取材源秘匿)

いまだ言いたいことの内容も定まらず、これからその内容を作り出すための取材に関し、司法権の公正な発動につき不可欠である証言義務を犠牲にして、取材源の証言拒絶の権利を保障すべきとは解されない(石井記者事件)。

これは、民事訴訟法197条1項3号のような、職業の秘密を理由とする証言拒絶を定めた規定が刑事訴訟法にないこと(同法149条参照)、刑事訴訟においては実体的真実発見の要請が強いことに根拠すると考えられる。

しかし、NHK事件の趣旨に鑑み、取材源の秘密保護が憲法上の要請と解する限り、刑事事件における証言拒絶を一切認めないとすることは相当でない。中間審査基準が妥当である。

猿払事件・堀越事件(公務員、政治的表現)

1 公務については、行政の中立的運営に対する国民の信頼を維持し、国民全体の利益のために政治的中立性を維持する必要がある(憲法15条2項参照)。

そこで、一般人と異なり、公務員の政治的中立性を損なう恐れがある政治的行為を禁止することは、合理的で必要やむをえない限度にとどまる限り許容され、上記限度にとどまるかどうかは、①禁止の目的の正当性、②目的と禁止される行為の合理的関連性、③禁止により得られる利益と失われる利益との均衡によって判断する(猿払事件)との見解がある。

もっとも、上記①②は非常に緩やかな要件であって、事実上機能しない。また③は、国家的利益に対し、意見表明そのものではなくその行動のもたらす弊害の防止を狙いとする制約によって失われる利益が単純比較衡量されるのであって、裁判官の恣意が入りこむ可能性をも考慮すると、ほぼ充足すると考えられる。つまり、公務員の政治的行為への制約が許容されない場合が、ほぼ考えられないこととなる。

2 他方で、政治的行為の自由は、立憲民主制の政治過程において不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎づける重要な権利であることに鑑みる必要がある。

したがって、「政治的行為」は、公務員の地位(管理職的地位)や職務内容等を考慮しつつ、その職務の遂行の中立性を損なうおそれが、観念的なものにとどまらず、現実に起こりうるものとして実質的に認められるものをいうと限定的に解する(堀越事件)見解がある。

3 両基準の適用について、上記1の基準は、2で述べたような限定的に解された「政治的行為」への該当性が著しく明白であるような、極限的な場合に限って適用され、一般には、2で述べた基準が適用されると解する。               

よど号事件(刑事収容施設、情報受領)

1 閲読の自由の重要性や、被拘禁者も原則として一般市民としての自由を保障される。よって、刑事施設の規律及び秩序維持のために閲読の自由を制限する場合には、目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきである。

2 したがって、閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性なければならず、かつ障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきである。

岐阜県青少年保護育成条例(未成年、情報受領の自由、成年者への影響)

青少年は精神的に未熟であり、選別能力に欠けるから、青少年の情報摂取の自由の制約に対する審査の厳格度について、成人とは異なり、厳格な基準が適用されない。社会の共通認識に照らし、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性が認められれば合憲と解する。

他方、以上の理由から有害図書が自販機に格納されない結果、成人も自販機によってこれを入手する便宜が奪われる点で、成人の情報受領の自由が制約される。もっとも、有害図書は一般的に価値がないか極めて乏しい。他方で、自販機販売の性質や、個別指定制度を採った場合に懸念される脱法行為を防ぐ必要性に照らし、規制は付随的なものと解される。そして、青少年の健全な育成を阻害する有害環境浄化という目的を達するため、他に選びうる規制手段がないことから、やむを得ないと認められる。(岐阜県保護育成条例事件伊藤補足意見)。

国家による表現の給付

1 表現の自由の請求権的側面を否定する一般論

憲法21条1項は、自己の内心を外部に公表すること(表現)を国家により妨げられない消極的自由を保障するものである。国家に対して表現を提供するための作為を請求する権利を保障するものではない(天皇コラージュ事件参照)。船橋市立図書館事件判決でも、公立図書館が表現活動の場として設置されるわけではないとしているのも、このことを述べていると解される。

2 自己の表現物を閲覧に供させる人格的利益を認めた判例

船橋市立図書館事件判決では、以下のように述べられている。

図書館は、住民に図書を提供する公的な場である。また、そこですでに閲覧に供された図書の著作者にとっては、思想意見等を公衆に伝達する公的な場でもある。

したがって、このような著作者は、思想意見等を公衆に伝達する人格的利益を有するのであって、当該思想意見等を理由に公務員の独断的評価によって著作物を廃棄するなど不公正な取扱いをすることは、上記人格的利益の侵害にあたる。

3 判例の敷衍

上記判例は、表現の自由に請求的性格を認めたわけではないが、すでに給付した著作物についての見解中立性を要求しているといえる。実際、国家の裁量による特定表現の給付は、言論市のコントロールのおそれを内包している。さらに、国家という優位性ある主体による特定表現の給付行為を通じて、真理への到達に必要な、思想の自由な競争を歪めるおそれがある。

以上から、すでに国家が給付した著作物をその思想ゆえにあえて給付中断をされない権利は、国家による表現を妨げられない消極的表現の自由の保護範囲に含まれる。そして、給付を中断することは、上記おそれを生ぜしめるものとして表現の自由の制約となる。

4 審査基準

(権利の重要性→自己実現、制約態様→内容規制・表現の萎縮、審査基準→厳格審査。その際、3段階審査をするのか、行政法的に裁量の逸脱濫用として論じるのかは不明。)

*天皇コラージュ事件の事案にもこの判例の射程が及ぶと解すれば、作品の観覧を不許可、売却・焼却するなどは、作品に対する公衆の敵意(抗議など)を消極的に是認するにすぎないことから、国家が給付した著作物を思想信条ゆえにあえてしたとは言えず、合憲とされる。集会の自由の問題とすれば、泉佐野市民会館事件判決の射程は及ばないとしたのが高裁判決(集会の自由よりも情報受領権が当事者間で問題とされたから、あるいは、公共事項ではなく芸術表現の問題だから。)。及ぶとしたのがその原審。

選挙について政府が設定した政治的表現の自由の場の規制(戸別訪問禁止事件)

各候補者は選挙の公正を確保するためのルールに従って政治的意見を表明し運動する。そして、ルールの内容については、立法政策にゆだねられている範囲が広い(憲法47条参照)。よって、通常の表現の自由への規制と異なり違憲推定は働かず、厳格な審査基準は適用されない。

集会の自由

憲法21条1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する(以下略)。

保護範囲

総論

憲法21条1項の保障する集会の自由とは、集会の開催・参加を公権力によって妨害ないし強制されない自由をいう。そして、集会の自由は場所の利用を前提としているところ、もし同意を得た場所でしか集会が認められないとすると、およそ憲法が集会の自由を認めた意義が失われる。したがって、政府の所有・管理する施設(地方自治法244条1項「公の施設」)については、これを拒絶する「正当な理由」がない限り、その施設の特徴に応じた場所利用権が認められる(同2項参照)。

各論

デモ行進の自由

集団示威行動などの集団行動も、「動く集会」として集会の自由で保障される。

伝統的パブリックフォーラム

公園や公道等、長い伝統によって集会等にささげられてきた場所では、通常の表現の自由と同程度の保障が及ぶ。

指定的パブリックフォーラム

市民会館等、表現活動のための集会場所として公衆に開放している場所も、いったん設置・維持された限りでは、通常の表現活動と同様、憲法21条1項の保護範囲に含まれる。

非パブリックフォーラム

市役所や学校等の公共財産は、表現活動の場として設置されるわけではないから、見解規制(様々な立場や見解がある中で特定の立場や見解を禁止する規制)がなされていない限り、集会の自由の保障の程度は相対的に小さいと考えられる。

私有財産におけるパブリックフォーラム

一般に、私有施設等の所有者は、その場において集会を容認する義務はない。しかし、①通常の利用形態として公衆に開放され、または集会の用に供されてきており、②当該私人の財産権の行使を阻害せず、③集会にける言論は当該私人のものと誤解されることがないなどの特段の事情がある場合は、公共財として集会の自由に供される場所と実質的に同視できるから、当該私有財産もパブリックフォーラムに位置づけられる(私鉄駅校内ビラ配布事件伊藤補足意見参照)。

*SNSなども、私人の管理する表現の場として、ブリックフォーラムと位置付けられ得る。

制約

事後規制/事前抑制(許可制)

事後規制とは、一定の表現行為の制限禁止があらかじめ定められており、表現が行われた後にそれが制限・禁止に該当したと判断されるときに、制裁を加えることをいう。対して、事前規制とは、表現行為が行われる前に当該行為を禁止・制限することをいう。

内容規制/内容中立規制

内容規制とは、表現行為をその伝達するメッセージに着目して規制するものである。対して、内容中立規制とは、その表現の内容や伝達効果に直接関係なく制限するものである。

もっとも、形式的には内容中立規制でも、①全面的な表現禁止など規制の程度、②表現者がその表現方法に依拠する必要、③禁止によって生じる受け手の層の偏りなどに照らして、表現の自由の個人的社会的価値に対し実質的な脅威を与えるものは、内容規制に準じるものと解する。

見解規制/主題規制

また、内容規制は、見解規制と主題規制とに区分される。前者は、様々な立場や見解がある中で特定の立場や見解を禁止する規制である。後者は、特定の主題につき、その主題に関してどのような立場を取るかとは関係なしに、その主題を内容とする表現を禁止するという規制である。

直接的制約/間接的付随的制約

また、内容中立規制は、とくに直接的制約と間接的付随的制約に区分される。前者は、意見表明そのものを直接に制約するものである。後者は、表現行為がもたらす弊害の予防を目的として間接的付随的に規制するものである。

地方自治法244条2項「正当な理由」(屋内・指定的パブリックフォーラム)

施設利用は、上述のパブリックフォーラム論から言えば、一度設置された以上、通常の表現の自由と同程度の保障を受けるものである。したがって、当該条例の解釈適用に当たって、集会の自由を実質的に否定することにならないよう、慎重な検討が必要である。

非パブリックフォーラム(体育館等)の利用拒否

本施設は、もともと集会のために設置されているわけではない。したがって、当該施設利用において集会をする自由が、通常の表現の自由と同様の保障を受けると解することはできず、単に時間的場所的な制約がかけられているにすぎない場合は、集会の自由に対する強い制約と解すべき余地はない。

判断枠組み

総論

集会の自由の重要性

集会は、個人として思想及び人格を形成・発展させ、これを反映する場である。また、立憲民主制の政治過程において国民が政治に参加し、共同意思を形成するのに不可欠である(成田新法事件参照)。

二重の基準論

自己実現(精神的自由の方が個人の人格形成にとって経済的自由よりも重要)・自己統治(心的自由の確保は民主制の過程を健全なものにする)の観点から、経済的自由の場合よりも精神的自由、とりわけ表現の自由に対する制約の場合には、その合憲性判断につき厳格な審査基準を適用すべきである。

また、①経済的自由は制度に依拠しているため制度全体がうまく機能するために規制を設ける必要性が特に認められるが、精神的自由は制度に依拠しないため、そのような規制の必要性が認められないことや、また、②経済的自由の方が表現の自由よりも萎縮しやすいことも挙げられる。

事前規制

表現行為に対する事前規制は、その表現物が自由市場にでる前に抑制し、その意義を失わせて公の批判の機会を減少させる。そのうえ、その性質上予測に基づくものとならざるを得ないので、規制が広汎にわたりやすく、濫用の恐れがあり、事後規制よりも実際上の抑止効果が大きい。したがって、表現行為に対する事前規制は、検閲を絶対的に禁止する21条2項の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとでのみ許容される。

内容規制

内容規制は、思想の自由市場をゆがめて真理に到達する道を閉ざし、不当な動機に基づく規制の恐れを惹起し、メッセージが受け手に起こす反応(伝達効果)を理由とする規制となる可能性がある。したがって、表現の自由に対する重大な制約といえる。

見解規制(内容規制)

見解規制にあっては、特定の立場や見解に国家が優越的地位を与えるに等しくなり、不当な動機に基づいて思想の自由市場を著しくゆがめるおそれが非常に大きいから、表現の自由に対する制約は著しい。

間接的付随的制約(内容中立規制)

間接的付随的制約にとどまる場合は、意見表明の自由自体を制限するものではなく、単に場所・時間・方法の禁止に伴う程度での限定的な規制だから、表現の自由に対する制約としては緩やかである。

判例の判断枠組み

デモ行進(道路、事前規制、内容中立規制)(平成25年出題)

1 集団行動は群集心理により一瞬にして暴徒と化す危険が存在する。したがって、不許可すべき場合が厳格に判断され実質的には届出制と異ならない以上は、規制対象となる場所を包括的に掲げて事前規制することもやむをえない。たとえ不許可処分や許可保留に対する救済手段が法定されていないとしても、違憲とは言えないとの判例がある(東京都公安条例事件)。

2 しかし、デモ行進は、本来国民が自由にできることであるから、一般的な許可制を定めて事前抑制することは、憲法21条に反して原則許されない。上記判例は、安保闘争に関する特殊事例と解すべきである。

また、道路が伝統的パブリックフォーラムであることに鑑みると、集団暴徒化の抽象的危険にもとづく包括的禁止は到底許されるものではなく、①特定の場所又は方法についての合理的かつ明確な基準の下で、②公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが具体的に予見される場合にのみ不許可とする等でなければ、合憲とは解されない(新潟県公安条例事件参照)。この場合は、集団行動を一般的に禁止する趣旨ではなく、単に場所又は方法についての制限だからである。

公園における集会(公園、事前規制、内容中立規制)

皇居前広場事件は次のように述べた。公園は、国民がその供用された目的に従って、その範囲内で利用できる。したがって、管理権者は、公園の種類等を考慮し、公共財としての使命を達成せしめるよう適正に管理権を行使すべきであり、もしその行使を誤り、公園利用不許可処分をして国民の利用を妨げれば、違法となる。

もっとも、集会の場として利用されてきた屋外施設を集会のために使用することは本来自由なはずである。また、同じく屋外施設である道路での集団デモの許可について述べた新潟県公安条例事件判決では、①特定の場所又は方法についての合理的かつ明確な基準の下で、②公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが具体的に予見される場合にのみ不許可とする等でなければ違憲であるとした。

よって、公園における集会の不許可処分の合憲性は、中間審査基準で審査する。

泉佐野市民会館事件(屋内施設、事前規制)

「公の施設」が集会の用に供されている場合、住民は、原則としてその使用を認められる。よって、その管理者が「正当な理由」なく利用を拒否することは、21条の保障する集会の自由を不当に制限することになる。

また、集会の自由等の精神的自由への制約は、経済的自由への制約よりも厳格に審査する必要がある。

したがって、条例にいう「公の秩序を乱すおそれがある場合」に該当して利用拒否ができる場合とは、施設管理・利用競合上の理由を除けば、当該施設における集会の自由を保障することの重要性よりも、人の生命・身体・財産等、公共の安全が損なわれる危険を回避することの必要性が優越する場合に限定される。そして、ここでの危険の程度としては、客観的な事実に照らし、明らかな差し迫った危険が具体的に予見されることが必要である。

この危険性判断の際、主催者が平穏な集会を行おうとしているのに、反対勢力が実力でこれを阻止し、紛争が起こるおそれがあることを判断資料として上記危険性を認定し、利用拒否することは、集会の自由の趣旨(現代民主主義社会において、相互に交流し意見表明する場であるから、立憲民主制の政治過程において国民が政治に参加し、共同意思を形成するのに不可欠である(成田新法事件))に反して許されない。正当な権利者による集会開催の可否が、反対勢力の動向によって左右されるのは不当だからである。したがって、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができない特別の事情があるときのみに限って、危険性判断の資料となりうる(上尾市市民会館事件、表現の不自由展事件も参照)。

結社の自由

憲法21条1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する(以下略)。

保護範囲

憲法21条1項の結社の自由は、(個人が団体の結成・不結成、団体への加入・不加入、団体の成員の継続・脱退につき、公権力による干渉を受けないこと(個人の結社の自由)と)団体が団体としての意思を形成し、その意思実現のための諸活動につき、公権力による干渉を受けないこと(団体自体の自由)を保障している。

したがって、団体には内部組織の運営について自主的な決定権が認められる。

判断枠組み

会社・労働組合の事案における二段階審査

法人・団体は定款に定められた目的の範囲内で権利能力を有する。よって、その自律権と構成員の協力義務が衝突する場面においては、①団体の性質(公益法人か営利法人か)に照らして当該行為が目的の範囲に含まれること、及び②強制加入性(よって、構成員には様々な思想・信条を有するものが存在することが当然に予定されているかどうか)、金銭徴収を伴う場合は徴収方法およびその多寡、決議内容(政治団体への寄付等、投票の自由と表裏をなすものとして、各人が市民として自主的に決定すべき事柄であるか否か)等から、団体の行為の必要が構成員個人の自由に優越し、協力義務が認められる場合には、団体の行為は適法である(炭鉱労組事件、国労広島地本事件参照)。

特定職業従事者の強制加入団体の事案における一段階審査

法人・団体の自律権と構成員の協力義務が衝突する場面においては、①団体の性質(公益法人か営利法人か)、②強制加入性(よって、構成員には様々な思想・信条を有するものが存在することが当然に予定されているかどうか)、金銭徴収を伴う場合は徴収方法およびその多寡、決議内容(政治団体への寄付等、投票の自由と表裏をなすものとして、各人が市民として自主的に決定すべき事柄であるか否か)等から、定款に定められた目的の範囲内の行為であって、団体が有効になしうるものかどうかを決する(群馬司法書士会事件、南九州税理士会事件等参照)。

+

職業選択の自由

憲法22条1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。(以下略)

保護範囲

職業とは、人が自己の生計の維持のためにする継続的活動である。また、分業社会において、社会の存続と発展に寄与する社会的機能分担の活動たる性質を有する。加えて、各人が自己のもつ個性を全うすべき場として、個人の人格的価値とも不可分の関連を有する。以上から、職業の選択、つまり開始、継続、廃止において自由であるばかりでなく、職業活動の内容、態様においても、原則として自由であることが要請される。従って、憲法22条1項には、狭義における職業選択の自由ばかりでなく、職業活動の自由も含まれる(薬事法違憲判決)。

制約

届出制

許可制

本来人が自由に行うことのできる行為を一般的に禁止ししたうえで、一定の要件が満たされたときに禁止を解除する行政処分の制度。

資格制

一定水準の資質や能力のあることを証明したときに、職業を行う権利を与える制度。

特許制

 本来国民の自由ではない、公益性の高い事業を行う権利を特別に与える行政処分の制度

国家独占

判断枠組み

権利の重要性

二重の基準論

職業は、本質的に社会的かつ経済的な活動であって、社会的相互関連性が大きい。そのため、精神的自由に比較して公権力による規制の要請が強い(薬事法違憲判決)。また、経済的自由は、精神的自由と異なり、社会制度を前提として保障されることも、広い規制を認める論拠となる。

職業選択の自由/職業遂行の自由

職業の選択(開始、継続、廃止)の自由は、選択した職業の内容及び態様の自由よりも重要である。後者は、職業の選択自体は確保されていることを前提に、その遂行のあり方の決定を問題にしているにすぎないからである。

制約態様

許可制

一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限といえる(薬事法違憲判決)。

客観的条件/主観的条件

当該職業を希望する者が、自らの意思と能力によって左右することのできない基準を職業開始等の条件とすることは、一定の資質、能力、設備等を基準とするよりも制約強度は強い。

制約目的

積極目的/消極目的

経済活動の自由においては、憲法は、社会経済全体の均衡のとれた調和的発展・社会公共の便宜の促進・経済的弱者の保護等を図るため、国家による積極的な社会経済政策の実施を予定している(25条、28条参照)。したがって、精神的自由の場合と異なって、経済的自由に対しては、積極目的規制に講じられうる(小売市場事件参照)。この理は、22条や29条が特に「公共の福祉」による外在的制約の可能性を明らかにした趣旨に適う。

そして、積極目的規制の場合は、自由な職業活動が社会公共に対してもたらす弊害を防止するための消極的目的規制に比べ、審査基準を緩やかにする。後者では因果の連鎖がたどりやすく、比例的な判断が行いやすいのに対し、前者では複雑な相互作用が問題となり因果がたどりにくいため、裁判所に充分な審査能力がないからである。

他方、目的がどちらともいえない場合でも、目的事項が立法政策にゆだねるべきものであれば、裁判所の審査能力に限界があることは同じであるから、審査基準を緩める。

(あてはめ)

〇積極目的:経済的弱者の保護、過当競争の防止、過少薬局地域への薬局開設の促進

〇消極目的:不良医薬品の供給の危険

〇目的が複数認められるときは、どれが主たる目的で、どれが補充的な目的かを摘示の上、主たる目的に沿って、上の論理に当てはめる。

各論

薬事法違憲判決(狭義における職業選択の自由+許可制+消極目的)

許可制を合憲というためには、原則として、①重要な公共の利益のために必要かつ合理的な措置であることを要する。また、それが積極目的規制ではなく、消極目的規制である場合には、②許可制に比べて職業の自由に対するよりゆるやかな制限である職業活動の内容及び態様に対する規制によっては目的を十分に達成することができないと認められることを要する。そして、この要件は、許可制そのものだけでなく、個々の許可条件についても要求される。

(あてはめ)〇想定される危険が「単なる観念上の想定」であって、①の目的の達成になんら寄与しないときは、LRAに当てはめるまでもなく、②を充足しない。

小売市場事件(狭義における職業選択の自由+許可制+積極目的)

積極的な社会経済政策の実施については、正確な基礎資料の収集や諸条件についての適正な評価と判断が必要であり、これは立法府の専門的技術的判断にゆだねるほかない。

したがって、立法府がその裁量権を逸脱し、当該法的規制措置が著しく不合理であることの明白である場合に限って、違憲としてその効力を否定することができる。

(あてはめ)

〇著しく不合理なことが明白な場合=一般消費者の利益を犠牲にして営業者に対し積極的に独占的利益を付与するためのものであることが明白な場合

酒税法事件(狭義における職業選択の自由+許可制+租税徴収目的)

租税法の定立については、正確な資料を基礎とする立法府の政策的、技術的な判断に委ねるほかはない。したがって、租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための規制については、その必要性と合理性についての判断が、著しく不合理でない限り違憲にはならない。

憲法22条(移動の自由)

1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

(以下略)

保護範囲

22条2項により外国へ一時旅行する自由が保障される(帆足計事件参照)以上、国内を移動する自由も憲法上の保障に値すると解するのが自然である。また、22条1項の居住・移転の自由は、人身の自由としての側面を有している。したがって、一般的な移動の自由は22条1項により保障される。

判断基準

また、自己の選択するところに従い社会のさまざまな事物に触れ、人とコミュニケーションをとることは人格的生存に重要であるところ、移動の自由はこの不可欠の前提となる(熊本ハンセン病事件参照)。したがって、経済的自由に対する制約よりも厳格に審査すべきである。

婚姻の自由

憲法24条1項 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2項 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

保護範囲

憲法24条1項は、婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻するかについては、当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきとの趣旨の規定である。また、婚姻のもたらす重要な効果や法律婚を尊重する国民の意識も考慮すると、婚姻をする自由は十分尊重に値する(再婚禁止期間一部違憲判決)。

憲法24条2項は、婚姻及び家族に関する事項は、それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的判断によって定めるべきものであるから、法律によってこれを具体化することがふさわしい。そこで、同規定は、同事項について具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきである要請、指針を示すことによって裁量の限界を画したものである(夫婦別姓訴訟判決)。

制約

再婚禁止期間について定めて規定は、婚姻に対する直接的制約を課すものである(再婚禁止期間一部違憲判決)。

民法750条は婚姻の効力の一つとして夫または妻の氏を称することを定めたものであって、婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではなく、事実上制約されることになっているに過ぎない(夫婦別姓訴訟判決)。

判断基準

婚姻及び家族に関する法制度を定めた規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き、国会の立法裁量の範囲を超えるかどうかで判断する(再婚禁止期間一部違憲判決)。

生存権

憲法25条

1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

保護範囲

憲法25条1項2項自体は、国民に具体的権利を保障したものではない。他方、25条1項の「権利」という文言から、権利性を認めないとすることはできない。よって、立法による具体化を経ることで、憲法上国家に対し「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を請求できる旨定めた規定である。

制約

憲法の趣旨に反した立法作用に基づく処分

行政基準、給付行政の撤回・一部撤回(=生活扶助扶養料の切り下げ、受給資格はく奪処分)

判断基準

制度後退禁止原則

生存権保障の後退をもたらす措置については厳格な裁量統制に服するとする見解がある。その根拠は、25条2項の文言や、法令等が一定の基準額を最低限度の生活とした以上、その減額は最低限度の生活水準を下回ることになる蓋然性が高いといったことが考えられる。しかし、ある制度が「健康で文化的な最低限度の生活」という憲法の要請を下回るかが問題であり、それは制度の創設か後退かで差は生じるものではない。したがって、この見解はとりえない。

1項2項分離説

 25条1項は緊急的生存権を規定し(救貧施策)、2項は1項以上の生活水準の維持・向上についての国家の努力義務を規定した(防貧施策)として、1項の権利性を強め、最低生活保障にかかわる施策の切り下げについて、緊急生存権侵害のおそれありとして、厳格な合理性の審査に付すべきとする見解がある(堀木訴訟控訴審判決参照)。しかし、そもそも「最低限度の生活」が抽象的相対的である以上、救貧施策か防貧施策かを機械的に分けることは実際上困難であり、あらゆる施策を防貧施策と解するおそれもある以上、相当でもない。したがって、この見解を採る意義はない。

堀木訴訟(立法裁量の統制。法律の合憲性)

憲法25条の最低限度という文言は抽象的・相対的であり、その時々において決定されるべきである。また、立法段階では国の財政事情を加味した専門的政策的判断が必要になる。よって、具体的な立法措置について立法府に広い裁量があり、著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用があった場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しないとするのが判例である。

しかし、このような緩やかに過ぎる判断基準では、25条に法規範性をみとめた意味が実質上失われるから、最低限度の生活保障の場合には厳格な合理性の基準を、より快適な生活保障の場合には判例同様の明白性の原則をもって合憲性判断すべきである。

朝日訴訟(行政裁量の統制。処分の合憲性)

(憲法25条の趣旨を反映した)法令中の「最低限度」という文言は抽象的・相対的であり、その時々において決定されるべきものであり、かつ、処分にあたって専門技術的政策的判断や財政事情の考慮が必要となるから、行政庁の裁量が認められる。ただし、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等、裁量権の逸脱濫用があると認められる場合には、違法な行為として司法審査の対象となるとするのが判例である。

しかし、このような緩やかに過ぎる判断基準では、25条に法規範性をみとめた意味が実質上失われるから、最低限度の生活保障の場合には厳格な合理性の基準を、より快適な生活保障の場合には判例同様の明白性の原則をもって合憲性判断すべきである。

教育を受ける権利

憲法26条1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

保護範囲

国民各人が自ら教育を施すことには限界がある。また、国民各自が自己の人格を実現するために必要な学習をする固有の権利を有し、とくに自ら学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に要求する権利を有するとの観念が存在している。

以上から、憲法26条1項は、国に対し合理的な教育制度と施設を通じて適切な教育の場を提供することを要求する抽象的権利を保障していると解する。

もっとも、教師における教育内容の決定権について、(憲法23条が教授の自由を保障しており、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請がある。しかし、大学と違い普通教育においては、児童生徒には教授内容の批判能力が乏しく、教師が児童に対して強い支配力を有しており、また、子どもに学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請がある。したがって、)普通教育における教師には、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないが、完全な教授の自由は認められない。

親は、(子の将来に関心を持ち配慮すべき立場にある者であるから、)主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由として、子女の教育の自由を有する。

それ以外の領域においては、国は、(広く適切な教育政策を実施し、子どもの利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、)必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容について決定する権能を有する。(たしかに、教育に党派的な政治的影響が入り込む危険があるから、教育内容に対する国家的介入はできるだけ抑制的であることが要請されるし、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは許されない。だが、子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではない)(旭川学テ事件参照)。

財産権

憲法29条

1項 財産権は、これを侵してはならない。

2項 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

保護範囲・文言解釈

憲法29条1項2項は、私有財産制度だけでなく、国民の個々の財産権を保障する(森林法違憲判決)。

憲法29条3項は国家による財産権の制約が正当化されたときの補償の要否について定めた規定で、法律に補償規定がなくとも、直接29条3項にもとづき補償請求できる。

「公共のために用ひる」には、被収容財産が私的な用に供される場合であっても、公共の利益実現の手段としてなされるものは含まれる。

「正当な補償」とは、補償対象となる財産の客観的な市場価格の全額補償をいう(昭和48年土地収用法判決)。当該財産について合理的に算定される相当額であれば、市場価格を下回ることがあっても是認されるとする判例(平成14年判決)もある。しかし、当該判例の事案は、本来の自由な取引価格が観念できない特殊事案であったから、合理的に算出される金額をもって「正当な補償」としたのであって、その射程は限定的である。

制約

事後法による既得権制限(1項関係)

・直接的制約(使用・収益・処分を直接的に制限する制約)

・間接的・付随的制約(使用・収益・処分を事実上困難にする等の制約)

財産権の内容形成事案(2項関係)

憲法上の財産制度の核心として一物一権主義があるところ、民法256条の共有物分割請求権は、当該主義を貫徹するものである。したがって、これを否定する森林法の規定については、違憲の疑いがある。

判断枠組み

財産権の内容形成事案(森林法違憲判決、証取法合憲判決)

1 精神的自由に比較して、経済的自由への規制に対する審査の厳格度は緩やかになる。

これは、精神的自由の方が個人の人格形成にとって経済的自由よりも重要であり、心的自由の確保は民主制の過程を健全なものにするだけでなく、経済的自由は制度に依拠しているため制度全体がうまく機能するために規制を設ける必要性が特に認められるが、精神的自由は制度に依拠しないため、そのような規制の必要性が認められないこと、また、経済的自由の方が表現の自由等よりも萎縮しにくいことにも根拠する。

規制の目的,必要性,内容,その規制によって制限される財産権の種類,性質及び制限の程度等を比較考量し、①規制目的が正当でないことが明らか、または②規制手段が目的達成手段として必要性又は合理性に欠けることが明らかな場合は、違憲としてその効力を否定する。

既得権制限が合憲とされた場合の損失補償(農地改革事件、河川付近地制限令事件)

私有財産の制限が個人に対して特別の犠牲を強いるものである場合には、損失補償が必要であると解する。そして、特別な犠牲であるか否かは、①制約が一般的か特定人に対してのものか、②その制約が本質的に強度なものか否か、から判断する。

(あてはめ)〇①消極目的規制の場合は一般的制約であるから、特別な犠牲がない。〇積極的規制の場合は、①一部の者にのみ負担を課し、②財産権の剥奪になる類いのものであるとき、要補償。

適正手続保障

憲法31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない。

保護範囲

31条は、13条から派生する刑事に関する基礎的規定であって、他の憲法条項によって尽くされない科刑手続や実体要件の適性性の問題をカバーする趣旨である。したがって、科刑手続・実体要件の双方について法定されるだけでなく、その内容の適性性をも要求している。

 行政手続だからといって当然に保障範囲外とは解されない。①行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度と、②行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を比較衡量して、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えて適正手続をはかるべきか否か決すべきである(成田新法事件)。

(あてはめ)

①工作物の使用を禁止することで、暴力破壊活動や妨害行為が禁止される一方で、②国家的、社会経済的、公益的、人道的見地から安全が強く要請される。高度かつ緊急の必要があるから、事前の告知等なくとも禁止は憲法31条の法意に反しない。

不当な捜索・押収・不利益供述の強要からの自由

憲法35条

1項 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

2項 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

憲法38条

1項 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

保護範囲

憲法35条1項、38条1項は、刑事手続における強制行為が、司法権による事前抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、刑事責任追及を目的としない強制行為にも適用されうる。

①(刑事責任の追及を目的とするか否かという)手続の一般的性質、②(実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を有するか否かという)手続の一般的機能、③(相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているといえるか否かという)強制の態様・程度、④公益性、⑤(目的、必要性にかんがみ、実効性確保の手段として不均衡、不合理なものかという)目的と手段の均衡等を総合して、裁判官の令状を要するか否か決する(川崎民商事件参照)。

統治機構

I憲法改正

・96条1項が要求する過半数の賛成とは、何を意味するか。

この意味については、有権者総数、投票者総数、有効投票総数と解する三説がある。前者では棄権と反対票とが同じ意味を持ってしまうこととなるし、中者では、無効投票も反対票と同じになってしまうので、どちらも不当である。したがって、有効投票総数の過半数の賛成が改正要件であると解する。

・明治憲法と日本国憲法の法的連続性について、憲法改正限界論にたてば否定することとなるが、無限界論に立てば肯定することとなる。そして、各々の立場の中で、日本国憲法が無効と解するか、有効と解するかの立場が存在する。

もっとも、無効と解するのは歴史的に見ても実際的に見ても妥当とは言えない。また、憲法制定権力の所在を変更することは、もはや新たな憲法であって改正ではないと解される以上、両憲法の法的連続性は否定することとなる。

そこで、法的連続性は否定しつつも、他の論拠により有効と解する。他の論拠とは、国民主権を要求するポツダム宣言の受諾により、一種の革命が起こったとする説がある。ただし、国民主権を要求していたとは必ずしも言えず、受諾により国内法規に変革が生じたとみることは困難であること、宣言受諾後も明治憲法による統治が行われていたなどと批判される。

対して宣言後も明治憲法秩序は維持されており、天皇が同宣言を履行する趣旨から改正がなされたと解することができる。法的連続性はないが、主権者たる国民の意思が議会を通じて顕現し、しかもその制定方法として明治憲法所定の手続きを、政治的配慮から借用したとするのである。

II有権者団・選挙制度

・在外日本国民の選挙権

国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されないが、制限がやむを得ない場合、つまり、その制限をすることなしには、選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使をみとめることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、違法である。

・日本新党事件

選挙会が当選者を決めるにあたって、政党から除名されたものは、除外される。除名の有効性について、法は、選挙会への除名届のみを求めている。このような形式的審査のみとしている趣旨は、政党の内部的自律権をできるだけ尊重したからである。したがって、適法な除名届がなされている以上、裁判所が、公序良俗に反するなどの特段の事情があるから除名が無効であるなどとすることは、法は予定していない。

III代表

日本国憲法における国会議員の代表観としては、民意の反映と同時に独自に国家意思を形成するものと、命令的委任により直接民主主義の手段として拘束されるとするものがある。しかし、権力は国民の代表者がこれを行使するとの全文、43条①、45・46条、41条、51条無答責の原則ン度に照らし、後者の説はとれず、前者の説が妥当である。

IV立法機関たる国会

・立法の意味

立法とは、実質的意味での立法(法規)を形式的意味での法律(議会手続きを経て成立する法規範)によって行うことをいう。そして、実質的意味での立法(法規)とは、国民の権利を制限し義務を課す規範を言うと解される。他方、一般的抽象的規範性を有するものを法規とする説もあるが、95条などが個別的法律の存在を予定している以上、問題がある。

・国会中心立法の原則とは、国会が国の立法を独占することをいう。そこで、行政立法が認められてよいのかどうかが問題となる。委任命令の法的根拠73条6号但し書きのもちろん解釈。白紙委任の禁止、委任の範囲の逸脱の禁止。

・国会単独立法の原則とは、国会が他の機関の参与なしに立法を行うことをいう。内閣の議案提出権は、立法の準備行為であって、国務を総理するいじょう、72条の議案に法律案も含まれ、正当化されると解される。

V 条約締結と国会

・条約とは

条約とは、名称のいかんを他わず、外国との間の国際法上の権利義務感官系の創設変更にかかる文書による合意。ただし、司法上の性質を有するものや行政取り決めは73条3号の「条約」にふくまない。

・条約に事後の承認が得られなかった場合の有効性

条約の確定的成立時を基準に、事前に承認を得ることが条文上原則である。ただし、内閣が条約を締結し、事後の承認が得られなかった場合には、国会の承認がない以上、国内的には実施できない。国外的には、ウィーン条約を参考にすると、不承認すなわち無効と破壊されないが、承認なしに締結された事実が明白かつ基本的な重要性を有する屋内法の規定に反するときは、無効となると考えられる。

・国会の条約修正権

条約の承認は一括して行われ、全体として承認するか否認するかのいずれかであるから、国会に終生はできない。修正したとしても、それは法的には否認であって、内閣に再交渉の注文という政治的意味をもつにとどまると解される。

VI議員自律権

・議員の資格争訟は、55条が司法権の例外を定めた趣旨から、司法の対象とはならないが、当選の効力については司法裁判所の管轄である。

・議事手続について、国会法と議員規則が違う場合、後者に従うのは適法か

国会は、41条・国会中心立法の原則により、立法権を独占している。他方、58条では、議員規則制定権が認められている。これは、58条が41条の冷害に当たり、議員自律権に基づいてその議員規則に従うことが許容されていると解される。国会法の定めは、憲法負う認められた事項に関する限り、紳士協定であると解されうr。言い換えれば、国民の権利を制限し義務を負わせる国会に関する規定については、法律の根拠を要する。

・議事手続について司法審査は及ぶか

議員自律権を絶対視し司法審査を否定する説と、裁判所の合法性維持機能を重視して肯定する説がある(明白な憲法違反がある場合に限って審査されるなど)。適正手続きを経たものである場合は、自立性を尊重して司法審査を否定するのが妥当である(判例)。

VII議員の特権

・不逮捕特権

50条の保障する不逮捕特権は、行政府による逮捕権の濫用により議員としての活動が妨害されることを防ぎ、もって議員の活動力の保全を図ろうとする趣旨である。もっとも、院外における現行犯やその院の許諾ある場合は、犯罪事実が明白または逮捕権の濫用の恐れが小さいから、議員であっても例外的に逮捕されうる。

そこで、院が許諾を与えるかどうかの判定基準については、逮捕が正当か否かによるべきとする説と、その議員の逮捕が議院の職務遂行にとって妨げとなるか否かによるべきであるとする説がある。上記趣旨から鑑みれば、正当か否かという法技術的判断は求められておらず、後説が妥当である。

ただし、後説によっても、期限・条件付きでの許諾は、議院運営・審議上の考慮に基づき可能であるとする説と、行政権の濫用を防ぐためには無条件の許諾でなければならないとする説がある。職務遂行の妨げにならないなら逮捕することも濫用には当たらないのであるから、前者が妥当である。

・免責特権

51条の保障する免責特権は、院内における議員の発言、評決の自由を最大限に保障したものである。責任を問われないとは、民事刑事上の法的責任だけでなく、公務員としての懲戒責任をも負わないという意味で、歴史的経緯からみて、絶対的保障である。

議員の発言により個人が名誉毀損の損害を被った場合であっても、公務員である議員個人は損害賠償責任を負わない。

もっとも、国が国賠法により賠償責任を負うことはありうる。具体的には、多数決原理により統一的な国家意思を形成する活動ではなく、質疑等国家意思の形成に向けられた行為については、職務上の義務違反がありえる。前者については、議員は国民全体に対して責任を負うのであって、個人に対して負うことはないからであるが、後者については個別の国民の権利義務に直接かかわりうるからである。ただ、質疑等においても議員はその職務上広い裁量が認められることは、51条の保障する免責特権の趣旨(院内における議員の発言、評決の自由を最大限に保障したものである。責任を問われないとは、民事刑事上の法的責任だけでなく、公務員としての懲戒責任をも負わないという意味で、歴史的経緯からみて、絶対的保障である)から見ても明らかである。

そこで、議員がその職務とはかかわりなく違法または不当な目的をもって事実を適示し、虚偽であることを知りながら敢えてその事実を適示するなど、議員がその付与された権限の趣旨に明らかに反して行使したと認めうるような特別の事情があれば、国賠法上違法となりうる。

VIII 内閣総理大臣の権能

憲法72条は総理大臣の行政各部の指揮監督権を保障しているが、それは内閣を代表しての権能なのか、総理大臣独自の権能であって閣議での決定なくして指揮監督ができないのかどうかについて争いがある。

この点、憲法66条(首長)、68条(任免権)などに照らし、総理大臣は、内閣を統率し、行政各部を統括調整する地位にあるといえ、少なくとも内閣の明治の意思に反しない限り、行政各部に対し随時その所掌事務について一定の方向で処理するよう指導、助言等の指示を与える権限を有するとかいされる。

IX地方自治

・地方自治権の性質

地方自治権の本質については、一方で、国家の統治権に伝来し、国家の委任・承諾に基づくものであるから、地方団体は国家の統治機構の一環であるとする見解があり、他方で、個人の基本的人権と同様、地方団体固有の前国家的なものであって、国法によりみだりに制限してはならないとする見解がある。

もっとも、後者の説については、憲法92条の明文や主権の単一性に反しているし、憲法の立脚する個人主義の原則からして地方団体が自然権を前提にしたと見ることは困難である等から、妥当でない。

そこで、前者の説を採りつつ、憲法八章は国会といえども侵すことのできない本質的内容(国家主権の構成・秩序のあり方、中央と地方の権力配分のあり方等)を保障する制度的保障を定めたものであると解する。

・「地方自治の本旨」の意義

92条の「本旨」は、住民自治(その支配意思の形成に住民が参画すること)と団体自治(地方団体が自律権を有すること)を含む。

もっとも、その権能行使のあり方を自ら決定する組織的・手続的権能をも地方団体に与えることは、92条等が国法により定めるとしていること、憲法制定の経緯から見ても、過度に連邦制的であって、不可能である。地方団体はあくまで国家の統治機構の一部だからである。

・地方団体の意義、道州制の可否

92条の「本旨」は、団体自治(地方団体が自律権を有すること)を含むから、憲法上の地方公共団体とは、①事実上住民が経済的文化的に密接な共同生活を営み、共同体意識をもっているという社会的基盤が存在し、②沿革的に見ても、また現実の行政の上においても、相当程度の自主立法権、自主行政権、自主財政権等、地方自治の基本的権能を付与された地域団体を指す。

(もっとも、①は漠然としすぎており、②は、国家があらかじめ自主立法権を奪っておけば充足されないことになって不当であるとも考えられる。)

上記基準からしても、都道府県が地方団体であることは否定できないが、これを廃止し、かわりに道州制を導入して地方自治に関して定める組織権能を与えることはできると解する。憲法は必ずしも、現行の市町村と都道府県の二層構造を保障したものではないからである。

・住民投票制度

住民投票という直接民主制は、憲法の定める間接民主制の意義と、住民自治(その支配意思の形成に住民が参画すること)及び団体自治(地方団体が自律権を有すること)の意義から見て、間接民主制と併存しうる。他方、世論の誘導の危険に配慮すべきであるし、92条との関係では、法的拘束力をもつ裁可型決定型の住民投票は困難である。法律で地方団体の組織運営が規律されるところ、住民投票が法律に準じると見ることはできないからである。対して、諮問型助言型の住民投票は、憲法上問題は生じない。

・法律留保事項と条例による規制

条例は、法律の媒介なく地方団体が自主的に制定できる(94条)。そこで、財産権の規制に関する29条2項の関係では、また刑罰に関する31条、73条6号の関係では、「法律」を「条例」に読み替えて、条例による規制も可能であると解する。

30条、84条の租税法律主義については、92条「地方自治の本旨」94条の行政執行権能や条例制定権を根拠に、地方団体が固有の課税権の主体となることが憲法上予定されているといえる。他方、法律において課税の準則が定められたときは、これに従いその範囲内で行使されねばならない。92.94条の文言や課税負担・財源配分の観点からの調整が必要であることがその理由である。

・法令と条例の競合

94条、地方自治法14条1項では、法令に違反しない限りにおいて条例制定権を地小自治体に認めている。では、条例と法令の矛盾抵触はどのように判断するか

この点、条例と法令それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較したうえ、①ある事項について法令中にこれを規律する明文の規定がない場合でも、法令全体から見て放置すべき物とする趣旨であるときは、条例の規定は法に違反して無効ということになるし、逆に②特定事項について法令と条例が併存しているときでも、後者が前者とは別の目的に基づく規律を目的としているものであり、その適用により前者の規定の意図する目的効果を何ら阻害しないときや、③同一目的に出たときであっても、法令がそれぞれの地方団体においてその実情に応じて別段の規制をかけることを容認する趣旨であるといえるときは、両者間に矛盾抵触はないと解する。

X 司法権の観念

・実質的意味における司法権とは、具体的な争訟事件について法を適用し宣言することでこれを解決する国家作用をいう。つまり、具体的な争訟事件が提起されない限り、司法権は発動しない(司法権発動要件としての事件・争訟性)。

これに対応し、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」は、①当事者の具体的権利義務又は法律関係の存否に関する紛争であって、②法律の適用によって終局的に解決できるものとされる。ここにいう「法律上の争訟」は、上記の具体的争訟と同義であると解される。そして、76条1項は、憲法に特別の定めのある場合を除き、この意味での司法権を独占的に行使できることを認めている。

このような事件・争訟性が司法権発動要件とされているのは、紛争当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争うだろうことを前提に、公平な第三者(裁判所)がそれに依拠して行う法原理決定に当事者が拘束されるという構造が、司法権の司法権たるゆえんだからである。この構造は、自己決定の原則(国民の代表者による立法のもとで国民各自の具体的法関係については自ら決定していくとの原則)、デュープロセスの思想(具体的法関係については自己が適正に代表されていない過程によって拘束されるのは不公正だとの思想)、先例拘束性の原則(具体的紛争解決に必要な限度で判断し、その判断に裁判所自身が拘束されるとの原則で、裁判所がむやみに抽象的紛争に踏み込むと当該原則は崩れる)を裏付ける関係にある。

他方で、上記の三つの原則ないし思想を動揺させないならば、事件・争訟性がなくとも、司法権を発動して構わない。具体的には、非訟事件、客観訴訟(行訴5条6条)である。これらは、具体的権利義務又は法律関係の存否に関する紛争ではないため、これを扱う権限は76条1項の「司法権」に含まれない。しかし、法政策上裁判所に認められた裁判権であり、裁判所法3条1項の「特に定める権限」にあたる。

もっとも、裁判による法原理的決定に馴染み、かつ終局性のある紛争の解決の「権限」しか裁判所には付与されえないと解する。無限定に裁判権を認めることは妥当でないからである。その際、81条により当然に違憲審査の対象にもなる。

そこで、行政上の義務の履行をもとめて行政機関が民事執行制度を利用できるかにつき、

判例は、法規の適用の適正ないし一般公益の保護目的であって自己の権利利益の保護救済を目的としないから、法律上の争訟要件①を欠き、特別規定なき限り不適法であるとした。しかし、それでは刑事訴訟の位置づけが曖昧になり妥当でない。この場合も法律上の争訟であるとして限定なく司法権を発動すべきである。

XI 司法権の限界、帰属、裁判所の構成

・大学における部分社会の法理

大学は、国公立と私立とを問わず、学則等で教育研究施設として必要な諸事項を規定し、実施できる自律的包括的権能を有しているのであって、一般社会とは異なる特殊な部分社会を形成している。したがって、一般市民法秩序と直接に関係を有しない内部的な問題は司法審査の対象から除かれるべきである。

よって、単位認定行為は、一般市民法秩序と直接の関係を有する特段の事情がないかぎり、司法審査の対象にならない。専攻科修了認定行為は、学生が一般市民として有する公の施設利用権に関わる問題であるから、上記の特段の事情があり、司法審査の対象になる。

学説上は、憲法のどの規定に基づき司法権行使の対象から除外しているのか不明であると批判がある。学問の自由23条の保障する大学の自治から基礎づけるべきである。

・地方議会と部分社会の法理

地方公共団体の議会における懲罰決議をめぐる紛争について、村議会出席停止事件において、自立的な法規範をもつ社会ないし団体に有っては、当該規範の実現を内部規律の問題として、自治的措置に任せ、必ずしも裁判をまつに適当としないものがあるとし、出席停止のごときものはそれに当たるとした。他方、除名処分は、司法権の権限内であるとした。地方議員の地位は実体法上保護され、除名は地方議会からの排除という重大な結果を生むからだとされた。

この点、岩沼市議会出席停止事件では、出席停止処分も司法審査の対象とされ、判例変更された。選挙で選ばれた住民代表たる議員としての中核的活動が、出席停止によりできなくなるから、議会の住民自治原則を尊重しつつも、その自主的判断には任せられないとされたからである。

・政党と部分社会の法理

政党は内部的には自律的規範を有し、党員に対して政治的中性を要求し一定の統制を施すなど自律的権能を有する。国民がその政治的意思を国政に反映・実現するのに最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える重要な存在である。

その自主性に鑑みると、政党の内部的自律権に属する行為は尊重すべきであり、自立的運営としてした除名処分の可否は、原則として自律的解決に委ねるのを相当とする。よって、政党が党員に対してした処分が一般の市民法秩序と直接の関係を有しない内部的問題にとどまるかぎり、司法審査はおよばない。他方、一般市民としての権利利益を侵害するばあいでも、政党の自律的規範が公序良俗に反するときでない限り当該規範に照らし、それがないときは条理に基づき、適正手続きに則ってされたか否かのみが司法審査の対象となる。(共産党袴田事件)

選挙会が当選者を決めるにあたって、政党から除名されたものは、除外される。除名の有効性について、法は、選挙会への除名届のみを求めている。このような形式的審査のみとしている趣旨は、政党の内部的自律権をできるだけ尊重したからである。したがって、適法な除名届がなされている以上、裁判所が、公序良俗に反するなどの特段の事情があるから除名が無効であるなどとすることは、法は予定していない。(日本新党事件)

もっとも、選挙システムの一部に政党が組み込まれている場合に、公序良俗に反するような除名手続を認めてよいのか、という批判がある。

・宗教上の事項の部分社会の法理

宗教上の地位を確認する訴えなどは、具体的権利関係解決の前提問題として提起され、判断内容が宗教上の教義の解釈にわたらないといった場合でない限り、却下される。法律上の権利義務関係に関する訴えであっても、法適用による紛争の終局的解決が望めない場合も同様である。

他方、このように解すると政教分離原則には適合するが、信教の自由の保護には欠ける。そこで、具体的な私法上の請求権が訴訟物である以上本案判決をすべきであるから、前提問題である宗教上の事項については団体の自治に委ね(信教の自由20条1項、3項、89条)、その決定がある場合には、それが公序良俗に反しない限りそれを基礎に判断すべきである。

・独立行政委員会の合憲性

独立行政委員会とは、特定の業務事務について、内閣から独立して行う、複数の委員からなる合議機関をいう。これは準司法作用を有しているが、このことと76条1項が裁判所に司法権の独占を認めていることに矛盾しているのではないかが問題となる。

ところで、76条2項後段は、行政機関による終審としての裁判を禁止している。これは、準司法的行政機関を設置し、準司法化された手続により決定を行わしめて事実認定をさせ、裁判所は終審として法律審的に捉えようとする趣旨の規定であると解されるから、独立行政委員会による裁判も合憲である。当該委員会が法律に根拠をもつことも合憲であることの証左である。

・裁判員制度の合憲性

裁判員によって裁判所を構成することは、32条、又は80条に違反するとの主張がある。つまり、裁判所では内閣により任命された裁判官による裁判を受ける権利を保障しているところ、一般国民から無作為に選出された裁判員による裁判は憲法上容認されていない、との主張である。

しかし、立法経緯や裁判所法上、32条がそのような趣旨を含むとは考えられず、また内閣による裁判官の任命が民主的正当性を付与する趣旨の制度であるとすると、主権者たる国民から無作為に選ばれた裁判員に関して、任命がないことを問題とする必要がない。また、立法政策上、裁判員の身分保障も図られている。

したがって、裁判員制度は合憲である。

XII 司法権の活動

・裁判の公開

82条1項の「裁判」とは、訴訟事件であり、原則一般公開を要する。そして、当事者の意思にかかわらず終局的に事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定することを目的とするものが、性質上純然たる訴訟事件である。他方で、本質的に非訟事件の裁判(後見的立場から合目的的に裁量権を行使して形成する裁判)は、公開を要しない。

他方、このような区分は不明確であり、また、審判で権利義務関係の具体的内容を定めながら、訴訟でその前提となる権利義務自体を争いうるというのは不自然だとの批判がある。

そこで、公開・対審・判決を基礎としつつ、プライバシーが大きく関わる場合や、営業秘密の関わる紛争など、事件の類型や性質によっては、公開手続によらずに権利義務関係の存否を含めて終局的に解決しても憲法上許容される場合があるとすべきである。

その憲法上の根拠としては、82条1項の「公の秩序」を広く解し上記のような事案をそこに含める説があるが、文言上刑事事件の公開停止をも許容することとなり、妥当でない。そこで、「公の秩序」を例示と解して、民事訴訟については、公の秩序に匹敵するような重大な事由がある場合には公開停止が可能であり、具体的には、問題となる人権の性質内容と公開によって生じる害悪の程度、非公開審理を回避しうる方策の有無から判断すべきである。

・特別裁判所

憲法は、「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として 裁判を行ふことができない」と規定する(76 条 2 項)。ここにいう「特別裁判所」とは、 「一般的に司法権を行う通常裁判所の組織系列に属さない裁判所」のことで、「単に特別 の管轄をもち裁判所」のことではない。したがって、家庭裁判所のよう な意味で「行政裁判所」を設けることは許されるが、明治憲法下のような「行政裁判所」 (明治憲法 61 条)は許されない。また、「行政機関は、終審として裁判を行ふことができ ない」のであるから、行政機関が前審として裁判を行うことはむしろ日本国憲法の予定す るところで、このような行政機関を「行政裁判所」というとすれば、それは許される「行 政裁判所」ということになる。

XIII 違憲審査制

・わが国における違憲審査制

抽象的違憲審査制とは、司法権発動の前提である具体的な争訟事件と関わりなく憲法判断を行い、その判断が判決主文に示されるあり方であり、付随的違憲審査制は、具体的な争訟事件の処理に必要な範囲で憲法判断を行い、その判断は判決理由中に示されるありかたをいう。

81条をもって前者の制度を日本は採用していると解する説もあるが、違憲審査権が米国憲法の解釈として樹立せられたものであって、また、将来を予想して抽象的判断を下すことは裁判所の政治化を招く恐れがあるから、このように解することはできない。したがって、日本は付随的違憲審査制をとっている。

また、76条1項の「司法権」に抽象的違憲審査権を含めたうえで、立法政策によって抽象的違憲審査制を採ることも可能であるとする説もあるが、司法権の範囲に含まれるものが、立法により権限が与えられることによって判断可能となるというのは、困難がある。提訴権者についての定めも憲法にはない。事件・争訟性が司法権発動要件とされているのは、紛争当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争うだろうことを前提に、公平な第三者(裁判所)がそれに依拠して行う法原理決定に当事者が拘束されるという構造が、司法権の司法権たるゆえんだからである。この基盤を離れれば、司法審査が政治上の多数決で決めたことを覆すことの正当性が掘り崩されることとなる。したがって、立法によっても抽象的違憲審査制を採ることはできないと解する。

・下級裁判所の違憲審査権

76条1項3項や、我が国に違憲審査が通常の民事刑事訴訟における司法作用の一環として行われるのであって憲法訴訟という訴訟類型がないことに鑑みると、下級裁判所も具体的争訟事件解決に必要な範囲で違憲審査権を行使できるものと解する。81条は、下級裁判所の違憲審査権を制限する趣旨をもたないのである。

したがって、当該権利を法律で制限すると、違憲である。

・司法消極主義、憲法判断の回避

司法権は、具体的事件争訟の解決に必要な範囲内で憲法判断をする(付随的違憲審査制)。司法権は、実質的には、事件争訟を契機に法を解釈適用して解決を図る国家作用であるし、民主主義体制下にあっては、違憲審査権は自己抑制的に行使されるべきであって、法原理機関たる裁判所が政治の領域に過度に踏み込むことを避けねばならないだからである。(狭義の憲法判断の回避)

もっとも、これは、ひとたび憲法判断するとなったときの当該法律の違憲又は違憲の疑いの回避とは別問題である(広義の憲法判断の回避)。立憲民主制の維持保全を原理面で支えていくという観点からは、憲法判断をする以上、積極的に違憲とすることが求められると考えられる。

このように、いわゆる司法消極主義には、憲法判断をするかどうか、するとして違憲とするかどうか、の二つのレベルがある。

IX 憲法訴訟のあり方

・憲法上の当事者適格

裁判所に憲法判断を仰ぐためには、自己の権利自由が具体的に侵害されて不利益を被っていることを示し、具体的に違憲性を争うことが求められる(当事者適格)。したがって、他人の権利自由の侵害を理由として違憲性を争うことは、原則として許されない。

もっとも、第三者の権利侵害により自己にも不利益が及ぶといった利害関係があれば、他人の権利侵害を理由に違憲主張することも認められる余地がある。

また、第三者が自己の権利を主張しえず、又は主張することが著しく困難であるという事情があった場合や、訴訟当事者が申し立てている損害が同時に第三者の憲法上の権利を侵害するようなものであり場合や、訴訟当事者と第三者に或る種の実質的な関係がある場合には、司法権との関係では、訴訟当事者に当該他人の権利主張を例外的に認めても問題はない。

・ムートネスの問題

事件争訟性を欠くに至った場合、裁判所はなおも違憲判断できるかについては、原則としては、事件争訟性がない以上司法審査は及ばないが、繰り返されるが審査は免れるといった事情があるときは、例外的に可能であると解する。

もっとも、このようなムートネスの問題は、憲法との係留関係が明確ではない。

X 違憲審査の対象

・条約に対する違憲審査の可否

条約の内容が憲法に反しないかにつき違憲審査が及ぶか否かについては、81条・98条1項2項を根拠に及ばないとする説もあるが、憲法全体の精神・構造を根拠に、憲法優位の原則を貫徹させ、司法審査が及ぶものと解する。

もっとも、違憲とされたとしても国内的効力が否定されるのみで、国際法上は有効であるし、確立した国際法規については、憲法に優位するので違憲判断の対象にはならないというべきである。

・立法不作為の「違法性」

国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背したかどうかの問題は、当該立法の内容の違憲性とは区別されるべきであって、国会議員は、立法の関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない。

もっとも、立法の内容又は立法不作為が国民の憲法上の権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、憲法上の権利の行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠るときには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国賠法上違法となる。

・統治行為論

統治行為とは、政治部門の行為のうち、法的判断が可能であっても、その高度の政治性のゆえに、司法審査の対象とされない行為をいう。これは、裁判所の裁量的自制と、権力分立体制における司法権の内在的制約に根拠しており、①国家全体の運命に関わる重要事項、②政治部門の組織、運営にかかわる基本事項、③政治部門の相互関係、④政治部門の政治的・裁量的判断にゆだねられた事項、の4つの事件類型で認められる。

このうち、②については、議員自律権の問題であって統治行為は厳密には問題にならない。

①については、砂川事件では、一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは司法審査は及ばないとしている。

③④については、苫米地事件が、衆議院の解散の憲法上の根拠につき、極めて高い政治性を有する国家統治の基本に関係する行為であって、裁判所の審査の範囲外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断にゆだねられているとした。

XI 憲法判断の方法

・合憲限定解釈

合憲限定解釈には積極的に評価できる面と、消極的に評価せざるを得ない面がある。

前者は、民主制下にあって法律は一応合憲と推定されること、法秩序の維持の観点から法律に関し憲法に適合した解釈をすべきこと、法律の違憲判断に伴う法的混乱をできるだけ避けるべきこと等を背景にしつつ、基本的人権の保障に一定の積極的な役割を果たしうることが挙げられる。東京都教祖事件では、公務員の一切の争議行為を禁止し、争議行為のあおり行為等をすべて禁止する趣旨と取れる地方公務員法上の規定につき、労働基本権につき定めている28条の趣旨から、禁止の対象となる行為にはおのずから合理的な限界が存するとした。

後者は、無理な解釈を施して法律の予見機能を失わせ、また法律の合憲性についての厳密な検討を回避する方便とされるおそれがあることが挙げられる。福岡県青少年保護育成条例事件では「淫行」の意義につき合憲限定解釈をしたが、一般人の理解として淫行という文言から読み取れる限界を超えた解釈であって、31条の保障する罪刑法定主義、構成要件の明確性の要請に反するとの批判がある。

もっとも、全農林警職法事件では、東京都教祖事件でなした合憲限定解釈につき、構成要件の保障機能を失わせ、31条違反の疑いがあるとして判例変更し、争議行為の一律禁止を合憲としている。

このように、どのような場合に合憲限定解釈をしていいのか、あるいはしてはならないのかが不明確であって、当該解釈手法は恣意的に用いられ、その運用に統一的原理がないのではとの批判がある。

・表現の自由にたいし規制する法令の合憲限定解釈の可否

表現の自由にたいし規制する法令を合憲限定解釈することが許されるのは、①その解釈により規制の対象となるものとそうでないものが明確に区別でき、かつ②合憲的に規制されうるもののみ規制の対象となることが明らかにされ、また③一般国民の理解において具体的場合に当該表現物が規制の対象となるかどうかの判断を可能ならしめる基準をその規定から読み取れることができるものでなければならない。

・違憲審査の範囲(取り組み方)

違憲審査の範囲は、文面審査と適用審査とに二分される。

前者は、具体的な事実関係を離れて法令の文面上の合憲性を検討するもので、そのうち、立法事実について顧慮しないもの(狭義の文面審査)と、顧慮するもの(広義の文面審査)がある。

後者は、法令の当該事件に適用される限りでの合憲性を検討するもので、違憲審査の範囲は、当該事件にかかる司法事実から抽出される事実類型(適用事実類型)に限定される。

・違憲判断の方法

法令全部違憲は、狭義・広義の文面審査、また適用事実類型が法律の中核を占めているような場合の適用審査によって帰結する。

法令一部違憲は、適用審査を行ったうえで効力が否認される法令の範囲が適用事実類型を超えるものをいい、文言上の一部違憲と意味上の一部違憲とがある。

適用違憲(法令が当該事件に適用される限りでの違憲)は、適用審査によって帰結するものであり、法令に瑕疵があるとの判断を含むものである。この瑕疵にもかかわらず合憲と解釈できないかがまず探られるところである。①にもかかわらず合憲限定解釈の手法で解決できたにもかかわらずそれをせずに適用したときに、その適用行為を違憲とする類型があり、②そもそも合憲限定解釈が不可能な場合に、そうして法律を本件のような事例(適用事実類型)に適用した限りにおいて違憲とする類型があり、または、③法律自体には問題はなくとも、具体的適用が法律の想定した範囲を逸脱し憲法上許容されないゆえに違憲とする類型、の3つがある。

②と法令一部違憲は類似する。もっとも、後者は法令の合憲な部分と違憲な部分を明示するものに対し、前者は、適用事実類型以外の類型への適用については、憲法判断しない。

処分違憲とは、法令の規定自体やその適用のあり方ではなく、公権力の行使としてなされた個別具体的な行為そのものの憲法適合性を問題とする類型である。つまり、法令の瑕疵自体を問題としない。これは、上記の③に位置付けられることもある。

立川で学ぶ「ヨガの思想」

『ヨーガ・スートラ』を学んでヨガを深く知る(1)

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バガヴァッド・ギーターの教え(ヨガの古典の経典を通してヨガを学ぶ)

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