デカルト『方法序説』


【テキスト】

デカルト『方法序説』岩波文庫[1637]

デカルト[René Descartes: 1596-1650]:1619 年『音楽提要』、1623 年頃までに数学研究を終える。1620 年代半ばには、パリで光学研究に従事、1627 年頃に『精神指導の規則』を執筆、1628 年にはアムステルダムに移り住む。1629 年頃、「われ思うゆえにわれ有り」を形而上学の第一原理として確立。また同年、『世界論:光に関する論考』を草したが、1633 年にガリレオが断罪されたことから、この出版を断念。代わって 1637 年に『方法序説』を出版する。1641 年『第一哲学についての省察』を刊行。1643 年にはユトレヒト大学でデカルト哲学の禁止、1644 年に『哲学の原理』を刊行、1649 年に『情念論』を刊行する。同1649年には、クリスティーナ女王の招きでスウェーデンのストックホルムに向かったが、北国の寒さと早朝の起床が災いして、風邪から肺炎となり、1650 年 2 月 11 日に死去。デ
カルトは生涯、毎日 10 時間眠り、とりわけ朝は存分に眠る習慣があった。
・この書物の本来の名称:「かれの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を求めるための方法の序説、なおこの方法の試みなる屈折光学、気象学および幾何学」(3)
・「『真理を求めるため』には、おのれの才能のごときものは、たとえそれが多少あったとしても、そんなものを信頼しないで、ことごとく振り捨ててしまうがいい、理性をその本来の姿へ連れ戻す『方法』をもってこれに替えねばならぬ。著者はこのようにおのれ自身を戒めるのである。」(解題より)
第一部
・【良識と理性の平等】「良識(bon sens)はこの世のものでもっとも公平に分配されている。なぜというに、だれにしてもこれを十分にそなえているつもりであるし、ひどく気むずかしく、他のいかなる事にも満足せぬ人々さえ、すでに持っている以上にはこれを持とうと思わぬのが一般である。このことで人々がみなまちがっているというのは本当らしくない。このことはかえって適切にも、良識あるいは理性(raison)とよばれ、真実と虚偽とを見分けて正しく判断する力が、人々すべて生まれながら平等であることを証明する。」(12)
・「精神の完成に有用なこれらの素質[敏活な思索、鮮明な構像、豊富な記憶]はといえば、その一つだとて私は持ち合わせぬようである。それでもいいわけで、理性あるいは良識が私どもを人間たらしめるもの、私どもを動物と区別する唯一のものであるかぎりは、それは完全にひとりびとりにそなわると私は考えたい。」
・【方法の考案】「だが、私は憚らずに言おうとおもう、ある知見と格率に私を導いた道のごときものに、年少にして[22-23 歳頃]めぐり逢えたことはまことに幸福であったと。これらの知見と格率から私はある方法を組み立てた。それによって、私の認識をだんだんと増してゆき、私の凡庸な精神と短い障害が到達させうる最高点にまで、少しずつ高めていくという手がかりを私は得たように思われる。」(13)
・【内省と世間から獲得した新しい方法】デカルトは 10-18 歳までラフレーシュ王立学校で学び、19-20 歳までポワティエで法律学と医学を学んだ。「先生たちの監督を離れてもいい年齢に達するやいなや、私は書物による学問をまったくやめてしまった。そうして私自身のうちにか、あるいは世間という大きな書物のうちに見いだされうるであろう学問のほかはどのような学問にしろもはや求めまいと決心し、旅行するために、宮廷と軍隊を見るために、さまざまの気質や境遇を有する人々を尋ねるために、さまざまの経験を重ねるために、運命のさし出す偶然の事件でおのれを鍛錬するために、また到るところで目の前に現れてくる物事については、そのものから何か利益を引き出せるような反省を加えるためにも、私は残りの青年時代[20-23 歳]を用いたのであった。」(19-20)
・「実をいえば、よその人たちの風習を眺めることだけしかしなかったあいだは、そこに私をして確信せしめるに足るものをほとんど私は見出さなかった……。……私がそれから引き出した最大の収穫と言えば、私どもにとってこそ甚だ異常な笑うべきものに思われても、他の処処方方の大民族によっては一般に受け入れられ、是認される多くのことのあるを見、たんに実例と慣習だけで自分を承服させてきたような事は、これをあまり堅く信じすぎてはならならぬと覚ったことである。」(20-21)
第二部
・【設計主義的発想】「やむをえずおいおいに法律を作ってきた民族は、寄り集まった最初から思慮の深い立法者の憲法を守り通した民族ほど立派には開けてゆけぬであろう。……いにしえのスパルタは華やかに栄えたといわれるが、……それらの法律がただ一人によって制定され、単一な目的に向かっていたからであると思う。」「種々雑多な人たちの意見で少しずつ組み立てられ大きく太らされてきたような学問は、当面に現れた事柄について、良識ある一箇の人間が生まれつきの固有の力をもって進めうる単純な推論ほどには真理に近づけるものではないであろう。」(23)
・【自生主義的発想】「[かの巨大な政治組織]の不完全性について言えば、それがあるとしたばあい、それらの組織の複雑なものを見るだけでも、その多くが不完全であることは十分に証明される。その不完全をば、うたがいもなく、慣習がまことにうまく緩和してきたのである。慣習によってそういう多くの不完全性はいつしか遠ざけられ、あるいは改善されてさえしてきたのである。かようなこと、それは智力をもってしては、慣習が作用するほどに、それほどよく工夫できるものではない。要するに、そのような組織の不完全性は、ほとんどつねに、組織の変革がおこるよりは、よほど忍びやすいのである。それはちょうど、山々のあいだを迂回する本道は、踏まれ踏まれつして少しずつ平らにされ歩きやすくなってゆくのと同じで、岩に攀じたり絶壁の下まで降りたりして近道を行こうと企てるよりは、この本道を進むほうがどれくらいいいかわからない。」(25)
第三部
■日々の行動のための準則
・【第一の格率】「神の恵みをもって私を幼時から育ててきた宗教をつねに守りながら、またその他のすべての事においては、私がともどもに生きてゆかねばならぬ人々のうちの、最も聡明な人たちが実践上では一般に承認する最も穏健な、極端からは最も遠い意見にしたがって自分の舵を取りながら、国の法律および慣習に服従してゆこうということ」。「ペルシャ人やシナ人の間にも、おそらく私どもの間におけると同じくらいに聡明な人たちがいるであろうけれど、私の協働して生きなければならぬ人々を標準にして自分を律することが最も有益であろうと思われたし、またどれが本当にかれらの意見であるかを知るためには、かれらのいうところよりはむしろその行なうところに注意しなければならぬようにも思われた。」(34-35)
・【第二の格率】「私の平生の行動の上では私に可能であるかぎり、どこまでも志を堅くして、断じて迷わぬこと、そうしていかに疑わしい意見であるにせよ、一たびそれとみずから決定した以上は、それがきわめて確実なものであったかのように、どこまでも忠実にそれに従うということであった。このことを私は旅人になぞらえたのであった。かれらが森の中で道に迷ったならば、もちろん一か所に立ちどまっていてはならないばかりでなく、あちこちとさまよい歩いてはならぬ、絶えず同じ方角へとできるだけ真直ぐに歩くべきである。」(36)
・【第三の格率】「運命に、よりはむしろ自分にうち勝とう、世界の秩序を、よりはむしろ自分の欲望を変えよう、と努めることであった。」(37)
・「最後に、私はこのような行動原理の結論として、この世の人々の営む雑多な仕事に眼を通し、そのうちから最善のものを択ぼうとした。いま自分以外の人の仕事についてかれこれ言うことはやめるが、当時の自分として与えられた仕事をつづけてゆくこと、すなわち私の理性を開発するために、私が私に命じた方法に従って力のかぎり真理の認識へと前進するために、全生涯を使い尽くすことより以上に善いことを為しえないと私は考えたのであった。私のこの方法を活用しはじめて以来、この世において人はこれ以上に楽しい、これ以上に清浄な満足[エピクロス的な快楽説にもとづく最高善の獲得]を味わうことはできまいと信じたほどのいうべからざる満足を私は感じた。」(38-39)
・これらの格率を考案してから、デカルトは「広く人々と交わるほうが自分の仕事をいっそうよく成就しうるであろう」と思い、以降、九年間の旅にでる。(40)
第四部
・【ゴギト・エルゴ・スム】「いささかでも疑わしいところがあると思われそうなものはすべて絶対的に虚偽なものとしてこれを斥けてゆき、かくて結局において疑うべからざるものが私の確信のうちには残らぬであろうか、これを見とどけなければならならぬと私は考えた。」(44)「……かつて私の心のうちにはいって来た一切のものは夢に見る幻影とひとしく真ではないと仮定しようと決心した。けれどもそう決心するや否や、私がそんなふうに一切を虚偽であると考えようとするかぎり、そのように考えている『私』は必然的に何ものかであらねばならぬことに気づいた。そうして『私は考える、それゆえに私は有る』というこの真理が極めて堅固であり、きわめて確実であって、懐疑論者らの無法きわまる仮定をことごとく束ねてかかってもこれを揺るがすことのできないのを見て、これを私の探究しつつあった哲学の第一原理として、ためらうことなく受けることができる、と私は判断した。/次に、私とは何であるかを注意深く検査し、何らの身体をも私が持たぬと仮想することができ、また私がその中で存在する何らの世界も、何らの場処もないと仮想することはできるが、そうだからといって私がまったく存在せぬと仮想することはできないこと、それどころではない、私が他のものの真理性を疑おうと考えるまさにこのことからして、私の存在するということがきわめて明証的に、きわめて確実に伴われてくること……このことからして、私というものは一つの実体であって、この実体の本質または本性とは、考えるということだけである。そうして、かかる実体の存在するためには、何ら場処をも必要とせぬし何ら物質的なものにも依頼せぬものであることを、したがってこの『私』なるもの、すなわち私をして私であらしめるところの精神は身体とまったく別個のものであり、なおこのものは身体よりはるかに容易に認識されるものであり、またたとえ身体がまるで無いとしても、このものはほんらい有るところのものであることをやめないであろうことをも、私は知ったのである。」(44-46)
・この真理は、「神なる本性」によって「私のうちに注入されたもの」である(48)。以上のことを知るためには、物質的なものに対する感覚的な考え方を改めて、感覚を「精神」へと高める必要がある。「感覚のうちには、神の観念も精神の観念も決して無かったことは確かである。」(50)
*トマス・アクィナス(1225?-1274)は「神の感覚的起源」について語っているが、これに対してアウグスティヌス(354-430)は、神の精神的起源を見出そうと努めている。
デカルト『精神指導の規則』岩波文庫[1627?=1934]
・【諸学は相関する】「[人々は]ただ一つの技術(artes)のみを練習する者の方が容易に優秀な技術家となること……を見て、学問も同じであると考えた。そして諸々の学問を対象の相異によって互いに区別し、一つ一つ別々に、他のすべてと切り離して、研究すべきだと考えたのである。これは明らかにかれらの誤りである。何となれば、あらゆる学問は人間的智慧(humana sapientia)にほかならず、このものはいかに異なった対象に向けられても常に同一であることを失わず、……一つの真理の認識は、一技術の練習が他の技術の獲得を妨げるように、他の真理の発見を妨げることがなく、むしろかえって助けるのだからである。」(9-10)「そこで、すべての学問が相互に結合していて、一を他から分離するよりも、すべてを一度に学ぶ方が、はるかに容易であることを、よく心得なければならない。したがって、何びとでも真面目に事物に真理を探究しようとするなら、どれかただ一つの学問を選んではならない。」(11)
・【事物の真理を探究するには方法が必要である】「人間というものはまったく盲目な好奇心に捉えられているので、しばしば、何の見込みももたず、ただみずからの求めるものが見つかるかどうか試してみたいばかりに、知らぬ途によってその精神を導くものである。あたかも、宝を見出そうという愚かな欲望に燃える者が、絶えず街路をうろつき、何か旅人の落とした物でもひょっと見つかるかと探しまわる、と同じである。すべての化学者、大多数の幾何学者、少なからざる哲学者が、そういう努力をしている。そして実際、かれらが迷い歩くうちに、時として幸いにも何らかの真理を発見することがあるということを、私は否定しない。けれども、だからといって、かれらが他の人より有能だというわけではない。より運がよいといえるだけである。ともかくも、事物の真理を探ねるのに、方法なしでやるくらいなら、それをまったく企てない方がはるかにましである。というのは、そういう無秩序な研究や不明瞭な省察によって自然的光明が曇らさせ精神が盲にされるにきまっているからである。そして誰でも、そのように暗闇の中を歩き慣れると、視力を弱らせてしまい、後には明らかな光に堪えられなくなる。」(23)
・【方法】「ところで私が方法というのは、確実な容易な規則、それを精確に守る人は誰でも、虚偽を真理として認容すること決してなく、精神の努力を無益に費やさず常に知識を増しつつ、その達しうるかぎりの事物の、真の認識に到達するであろうような、規則である。」(24)
・【神的なタネの栽培】「実に人間精神は、なにか知らぬが神的なものをもっていて、その中には有益な思想の最初の種子が蒔かれており、しばしば、いかに捨ておかれたまた誤った研究によって窒息させられていても、おのずからにして果を結ぶものである。このことをわれらは、最も容易な学問すなわち数論と幾何学とにおいて、認める。……かつまた私は、この果実が、今までのところ、これら二つの学問のきわめて単純な対象に関して、他の学問におけるよりも見事に成長したことを、不思議には思わない。他の学問ではいっそう大なる障碍が、それら果実を窒息させているのが常なのである。しかしそのような学問においても、充分な注意をもって栽培しさえすれば、完全な成熟に達しうるであろうこと、疑いえないのである。」(25-26)
・【数学の重要性】「才能と学識を具えた人々の大多数が、この学問[数学]の味をみた後、それを児戯に類する空しいこととして直ぐに捨ててしまったり、または反対にきわめて困難なものと考えて、やりかけのところでもうその学習から遠ざかってしまったりするのを見ても、私は驚かなかった。何となれば、実際、たんなる数や想像上の図形に熱心に携わって、さような詰まらぬものの認識に甘んじようとするかに見えることほど、空しきはないからである。」(27)「けれども私は自分の弱さを自覚しているがゆえ、事物の認識を求めるに当たっては、常に最も単純、最も容易なものからはじめて、もはやそこにこれ以上望むべきことが残っていないと思われるまでは、決して他へ移り行かぬ、という順序を固く守ることに決めた。そのゆえに私は今まで、かの普遍数学をば、私の能力の及び得たかぎり、研究してきた。それで今度は、早まった熱意のゆえではなしに、もう少し高い学問に携わりうる、と思っている。」(31)
・【方法に従う人、方法を蔑ろにする人】「方法全体は、何らかの真理を発見するために、精神の力を傾けるべき事物の、順序と配置とに存する。しかして、複雑な不明瞭な命題を、段階を追っていっそう単純なものに還元し、しかる後、すべてのなか最も単純なものの直観から始めて、同じ段階を経つつ、他のすべてのものの認識へ、登り行こうと試みるならば、われわれは正確に方法に従うことになるであろう。」「けれども多くの人は、この規則の命ずるところを顧みず、あるいはまったく知らず、あるいはそれを必要とせぬと思いこんでいて、しばしばまっく無秩序にきわめて困難な問題を吟味するので、かれらのなすところは建物の最低部から頂きに登るに当たりそのために設けられた階段をあるいは蔑ろにし、あるいは気づかないでただひととびで達しようと努める、に同じいと私には思われる。すべての占星学者のやることがそれである。」(33)
・【絶対的なものの認識】「絶対的と私が呼ぶのは、いま問題になっている純粋な単純な本質を自己の中に含むところのものである。例えば、独立的、原因、単純、普遍、一、相等、類似、垂直、その他同様なもの。しかして私はそれを、あらゆるもののなかで最も単純最も容易なものと呼ぶ。」(36)「しかして、すべての事物において、最高度に絶対的なものを、注意深く看取するところにこそ、全方法の秘密が存する。」(37)「第二に注意すべきは、純粋な単純な本質の数は、厳密に言えばごく少ない、ということである。」(38)「第三に注意すべきことは、研究をば困難な事物の研究からはじめるべきではなく、何か限定された問題に手をつける準備をする前に、おのずから現れる真理をまず手当たり次第に集め、後漸を追って、それから他のものが演繹されうるかどうか、さらにまたこのものからして他のものが演繹されるかどうか、を次々に見ていくべきことである。」(39)
・【凡庸な精神でも可能】「さてわれわれはこの論文全体において、真理の認識への、人間に許されたすべての途を、できるかぎり正確に探究し、できるかぎり分かりやすく説明するに努め、もってもこの方法全体を完全に習得したすべての人をして、かれがいかに凡庸な精神であっても、他人が達しえて彼自身の達しえぬものは一つもないこと、およびかれがあることを知らぬとしても、それは精神または方法の欠陥によるのではないこと、を悟らせよう
と思う。」(57)「すべての人は、一度にごく少しの単純なものを思惟によって捉える習慣をつけ、もって、最も判明に認識するところと相等しき判明さをもって直観するものでなければ、何ものをも知ったと思わぬようにならなければならない。」(59)
・【方法に自覚的な生活】「打ち明けていえば、私の精神の生来の傾向として、私が常に研究の最大の楽しみとしてきたのは、他人の説を聴くことではなく、それを自ら工夫して発見することであった。そしてただこのことのみが、まだ若い時分に、私を学問研究に誘ったのであるから、何らの書物がその表題において新たな発見を約束している場合はいつも、進んでその書物を読む前に、同様なものが私の生具の推理力によって獲得されはしないかどうか、試してみた。こうして私は、早まった読書によって、かの罪のない[無垢な]喜びを奪われないように、充分注意したのである。さてこのことが何度もうまくいって、ついに私は気づいた。もはや自分は、他の人が常にやるように、不規則なかつ目当てのない研究により、方法にというよりむしろ偶然に力をかりて、事物の真理に到達するのではなく、かえって、真理発見に大いに役立つ確実な規則をば長い経験によって見出したのだと。その後私はこれらの規則を、さらに多くの事柄の発見に用いた。かくてこの方法の全体を細心に作り上げ、結局、自分が始めから何よりも有効な研究方法に従ってきたと、自信をもつに至ったのである。」(62-63)「しかしながら、すべての人の精神がかように独力で事物の本質を探究するように生まれついているとはかぎらない。そこで上の規則は教える、われらはすぐさま労多き困難な事柄に携わるべきではなく、まず何かきわめて些細な単純な技術を追求すべきである、すなわち、より多く順序が支配する技術を追求すべきである、と。」(63)「方法とは、このようなささいな事柄においては、通常、順序の…不断の遵守にほかならない。」(63)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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