インドの思想とヨガ
01 インドとはなにか?
本記事では、インドの思想とヨガの関係について、インド思想に焦点を当てながら、ヨガについて読み解いていきたいと思います。もっとも、単純にヨガだけを取り上げて話せば、ヨガという言葉自体は、かなり日本では一般に浸透しているため、容易にイメージが湧く方も多いかと思います。しかし、それに対して、ヨガではなく、ヨガを生んだ元になるインドの思想といってもなかなかイメージが湧きづらいかと思います。
さて、インド思想史ということは、つまりインド的なものの考え方の歴史と言い換えることもできるでしょうが、インド的なものの考え方とは一体なんでしょうか。インドの思想が現代の日本人に語りかけるイメージとはなんでしょうか。人によっては、懐かしいというような感想を抱く方もいるかもしれまんが、それでは、どうして遠く離れた国インドが私たちにそのような感じを抱かせるのでしょうか。
日本人は、元来インドのことを「天竺」と呼んできました。西遊記のイメージも強いかもしれません。日本人は無宗教な国民であるといわれますが、それでも神仏習合だとか、悪くは葬式仏教とも揶揄されることがあるとはいえ、仏教は比較的身近な宗教でしょう。インドは、その仏教を作ったガウダマ=シッダールタ(釈迦)が生まれ育った国です。そして、世界史的にみれば、地理的にも思想史的にも一つの極点、あるいはゼロの観念を生んだ地でもあり、原点ともいえる場所です。
このように、我々はどうしてもインドというと、一つの国、一つの単一なものとして考えてしまいますが、現実のインドは、われわれの想像を遥かにこえるような地理的広さと、多種の民族、多種類の言語(750以上といわれています)、多様な文化からなる巨大な複合体です。インドというと、ホットヨガ宜しく、灼熱の炎暑の気候が思い浮かばれますが、実際には、コートの襟を立てるような寒さもインドでは経験されます。また、日本人にとって身近なカレーライスやマンゴーの実なども思い浮かびますが、その食生活の実相は、魚や米を常食する人たちが多数存在しているのがインドです。
02 ヒンドゥー教とは?
ヒンドゥーとは、インドの大河インダス川のサンスクリット語名「スィンドゥー」に由来する呼称です。漢訳では、「身毒」「印度」と訳され、西遊記の唐の僧、玄奘訳では「印度」とさえ、それが定着しました。この「スィンドゥー」がペルシア語を経由し、「ヒンドゥー」として西欧世界に伝えられ、また同じ語がギリシア語を経由することによって「インド」として西欧世界に入り、それぞれから英語の「Hindu」「Hinduism」および「India」「Indian」が作られ、インドへ逆輸入したのです。
英語の「Hindu」は、まずイスラーム教徒との対応において今日用いられるのが一般的です。つまり、イスラーム教徒以外では、キリスト教徒、シク教徒、パルシー教徒、ジャイナ教徒、仏教徒などのような小宗派(といっても、一千万人以上、少なくとも数百万人の信者数を有します)を除いた、インドで九億人を超えるようなマジョリティを締めるインド的な複数の有神教宗派の教徒の総称です。
しかし、Hinduismの意味と用法は、もっと広範で多義的です。この語によって、インド哲学・宗教全体を示すばかりではなく、それとともに、インド人の社会制度も、生活習慣もあわせたそれらの総合、渾然と一体になった全体を表す用いられ方が、インド人によってもなされています。まさに、「インド的ひとの生き方」を意味している語です。
したがって、この語の最も広い意味・用法においては、インドにあり、またかつてあったものの一切が含まれ、インダス文明にまで遡るものだといえます。それでも一般的には、アーリア民族のインド定住以後そして現代にいたるまで連続して存在するインド的伝統をさすことが一番妥当でしょう。このうち、仏教以前に存在した宗教を「バラモン教(Brahmanism)」と呼びます。また、特にヴェーダ時代の宗教思想を「Vedic Religion」と呼ぶこともあります。ただし、これらの呼称は西欧において作られたものに留意する必要があるでしょう。ちなみに、漢訳仏典のなかの「仏教」「内道」に呼応する「婆羅門教」の用い方にも対応しています。
それに対して、「ヒンドゥー教」の狭い意味における用いられ方としては、仏教隆盛以後発達して有力になったもの、特に中世・近世のインドにおける大衆宗教運動(ヨガも含む)としてのシヴァ教徒、ヴィシュヌ教徒などの有神的民衆宗教の側面を意識しての呼称である場合が多いです。
ところで、先程カレーの話をしましたが、ヨガと同じくカレーも日本人には大変なじみ深い言葉ですが、この言葉は、十五世紀末に喜望峰まわりで南インドのゴアを訪れたポルトガル人が、現地人の食べているものを「カリ」または「カリル」と聞いて記録したことに由来します。この言葉が英語に取り入れれて「カレー」になったわけですね。現地語では、「料理されたもの」の総称、「そうぞう(惣菜)」または「具」とか「身」とかに相当するものです。
カレー粉の正体は、ターメリック(鬱金、生姜科の多年草の根茎)やフェンエル(茴香、漢方で風邪薬や健胃剤に用いられる芹科の草の実)やコエントロ(胡荽)やチリ(赤唐辛子の実)など、その他種々のこしょうなどの香辛料、木皮、草などを乾燥させて石臼で粉にひいて混ぜ合わせたものです。家々の主婦によって、その配合のあんばいは微妙に異なり、味も様々です。唐辛子の量が多ければ、当然、激辛になりますね。
きわめて日本的なものであるたくわん漬けの黄色染料に用いられるターメリックが、このきわめてインド的だと考えられているカレーの内容を形作っていることなど印象的です。要するに、カレー粉とは、混ぜ合わせ、組み合わされた複合物であり、決して単一の固定的な物品ではありません。「インド人は毎日カレーを食べる」という言説は、実は「日本人は毎日醤油で食べる」という言説に似て、間違いではないものの、正確さには欠けるのです。
03 カーストとは?
カーストという言葉も有名かもしれません。中学校の社会や世界史で習った覚えもあるのではないでしょうか。実は、これもカレーと同じく、インドを訪れたポルトガル人が、現地の社会が多数の排他的な集団の成員から構成されているのを観察して、こうした社会を「カスタ(血、血統、家柄)」と呼んだことに由来します。
サンスクリット語では、皮膚の色を意味する「ヴァルナ」が、階級(種姓)・身分を表します。ブラーフマナ(バラモンのことで、司祭・僧官階級)、クシャトリア(王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属民階級)の四つの身分制度で、この区分は、既にヴェーダ時代に成立していました。
この「ヴァルナ」と密接な関係にあり、ある面では重複するものとして、「ジャーティ(出生)」があります。インドの地域社会の日常生活、とりわけ職業の世襲や集団内部のみの通婚、そして成員とのみ食卓をともに共餐などの面において、強い規制力をもって機能している排他的な集団構成原理が、「ジャーティ」です。
各ジャーティは、不可触民や外国人を除いては、すべてヴァルナの四階級のいずれかに属するとされます。このようなジャーティは、今日インド全体で二千から三千に達するとされ、また一つの小村に二十以上のジャーティの種類の存在が知られるなど、インド人たちの日常の行動を細部にわたって複雑に規制するものである。
さらに、主として婚姻に関する集団構成原理として、大きなジャーティの場合には、その内部に族内婚を求める複数のサブ・カーストが存在し、また父母両系統で近親の通婚を禁ずるサピンダの規定とか、さらにはゴートラやプラヴァラという特定の伝説的祖先(リシ、聖仙)に由来する家系別によって、複雑に婚姻が規制されている。
「カースト制度」という呼び名は、これらのヴァルナおよびジャーティを包摂したインドの社会階層制のダイナニズム全体を大掴みするのに便利であって、かつ、ヴァルナとか、ジャーティとかの個々の呼び名によっては見逃される本質的問題提起をなすものとして、インド人自身も採用するに至っています。「インド社会はカーストによって構成されている。」というのも、カレーと動揺曖昧さを持った表現になるわけです。
04 国と言語
「インド」という国名も、上述のスィンドゥーというサンスクリット語の河名に基づいて、日本の「ジパング」と同様に外国人によって命名されたものである。インド人は自ら連邦国家を「バーラタ」と呼ぶ。しかし、インド人にとっては、コミュナル(地域・民族・宗教・社会集団的)な意識がナショナル(国家的)な意識に優先する場合が圧倒的に多いようです。各地方の持つ民族的・言語的・文化的相違とその多様性、独自性の主張は、一つの国家としての統一意識を超えて存在しています。
代表的なものは、北インドと南インドの間に見られる対立と抗争で、アーリア民族系と先住のドラヴィダ民族系に遡る民族とのあいだの対立に由来すると考えられています。歴史的に、北インドの都市国家群を最初に統一したチャンドラグプタのマウリヤ朝以来、クシャーナ朝、グプタ朝と続いていく民族と、デカン高原に成立した南インドのサータヴァーハナ朝以降、インドは南北で国家を異にしてきました。現代でもそれは、たとえば、ヒンディー後の「国語」採用問題などのように、連邦共和国が一国家として行動を起こそうとするときに鮮明に問題化しています。
地方規模においても、ベンガル地方はベンガル文化の独自性を主張し、マラータ人はかつてのムガル帝国勢力に対して勇敢に戦ったマラータの栄光を何よりも誇りとしています。パンジャーブ出身者は、自分の地方のその他に勝る豊かさを騙り、ベナレス生まれは、宗教文化の中心地であることを誇示して他に譲ることはありません。問題は、単なる地方性ということを超えて、想像を絶する規模の多数の異民族、異文化の一国内における併存と対立です。加えて山岳部地帯における小数民族の存在は、「マイノリティ」といいながら、多種多様にわたり、総数は膨大な人数にのぼり複雑な問題を孕んでいます。
歴史的にインド人が自分たちの統一国家を意識するのは、近代になっての外国人による帝国主義支配、パキスタン分離独立、あるいは中国との国境紛争といった外在的要因に刺激されての場合が多かったようです。
さらに、インドの「ことば」に注目してみると、インドで実際使用されている言語は750以上あるといわれ、また一説には、インドでは18キロメートルごとに異なった言語が話される地域に入るともいわれるほどに、多種多様です。百万人以上の話者人口をもつ言語ですら、33言語を超え、一千万人以上の話者人口を持つ言語も13言語もあります。しかもこれらの各言語の間の相違は、方言の差異ではなく、われわれ日本人の感覚からすれば、まったく異なる国語であるとも判断したくなるほど大きな差異が存在します。
「インド連邦憲法」の付則では、15の言語を「とくに発展・普及されるべき」公用語として掲げています。このうちヒンディー語の話者人口は2010年の統計で3億1千万人を超えています。しかし、全人口12億以上に比すれば、このヒンディー語ですら圧倒的に優位な言語とはいえません。また、南インドで話されているタミル語・カンナダ語・テルグ語などはドラヴィダ語系の言語であり、ヒンディー語・マラーティー語、ベンガーリー語などのアーリア語系のものとは、まったく言語系統が異なり、根幹からして違うともいえるほど違いは大きいです。
この「インド連邦憲法」の付則の最後に掲げられているサンスクリット語は、話者人口はわずか二千五百人と圧倒的に小数ですが、インドの思想形成と維持に与える大きな影響力を持つ重要な言語といってよいでしょう。ヨガもその一つです。
サンスクリット語は「梵語」と漢訳仏教文献において翻訳され、「梵天(ブラフマー)」によって人間に与えられた天賦の言語として大切にされてきました。このような伝説はさておくとしても、サンスクリット語は、言語の系統としては、インド=ヨーロッパ語族のインド・イラン語に分類されます。その起源は、西暦紀元前1500年頃からインドに移住してきた想定されているアーリア民族の言語に求められる。
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住所 | 東京都立川市曙町2-14-10エトロワビル 3階 |
TEL | 042-595-8039 |
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対応エリア | 立川、西国分寺、国分寺、国立、昭島、東大和、日野、青梅、あきる野、府中、武蔵村山、福生、羽村、八王子など |
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |