西洋政治思想史(16)


思弁と解放、あるいはヒューマニズムの物語の終焉?
Ⅰポスト・モダンとは何か…「大きな物語」の終焉
「愛による原罪からの解放というキリスト教の物語、認識による無知や隷属からの解放という啓蒙の物語、労働の
社会化による搾取と疎外からの解放というマルクス主義の物語、産業の発展による貧困からの解放という資本主義
の物語」の終焉 J.F. リオタール『ポスト・モダンの条件』
「大きな物語」とは何か
近代政治理論:すべての人を包括する歴史=物語=法則、それを踏まえた解放の物語
原因→(救済論理)→結果という物語の構造
ポスト・モダニティ:近代の何が問題か? 近代的認識論批判が出発点
近代的認識論
「主体(主観)から独立した客体(客観)としての世界が実在し」、かつ「その主体が客体たる世界を正確に
前者:1)人間中心主義(認識論)の問題
後者:2)客観性問題
1)人間中心主義の問題: 神という中心の喪失
デカルトのコギト(近代的主体)
神の啓示にも共同体の習慣にも依拠しない私こそがその理性の力で真理を認識
自らが自らを基礎づける主体の実体化
このような強固な<近代的主体>が存在した、いやしうるだろうか。
ポスト・モダン的主体: 曖昧で弱く、傷つきやすい主体
・アイデンティティにどっぷりと定位しない主体(人間)つまり「曖昧で不確定な私」とその主体による世
界(現れの世界)の共有
・「力」、「強さ」を、ではなく人間の「非力」、弱さ」から出発した理論構築への転換の必要性
2)客観性問題
アリストテレスの破棄 → 目的論を廃した客観的世界把握=科学法則的認識
徹底的に唯物論的で機械論的な宇宙把握
「真理」という観念の発見 sub specie aeternitatis
近代=中世的世界像の崩壊
問題は「客観的な」世界を「主観」的にすぎない人間がいかにして把握できるか。
宗教改革は主体からの逃避だった。
cf. 「神の器」としての人間(ルター)
「神の道具」としての人間(カルヴァン)
主観的でしかない人間自身が「客観的世界」を把握する…自分の影を飛び越す? →<イデオロギー>の誕生
近代思想の躓きの石:主観的にすぎないもの、個別的にすぎないものを客観的なもの、普遍的なもののよう
に装う。
客観性問題の再定位
近代理論のエピステーメ思考(客観性、確実性、「価値自由」、「理論と実践の弁証法的統一」)の見直し
ポスト・モダン的な実践的間主観性
ポスト・モダニズムの戦略
言語ゲームの異型性を認めること‥‥それが含意しているのは、言うまでもなく、言語ゲームの同型性の実現を仮
定し、その実現を試みるテロルを放棄することである。第二の歩みは、もしそれぞれのゲーム、またそこで打たれ
る《手》を定義する諸規則についてコンセンサスが成り立つとしても、そのコンセンサスはローカルでなければな
らない、言い換えれば、その場のパートナー同士によって得られるもの、万一の場合には解除可能なものでなけれ
ばならないという原則である J.F. リオタール『ポスト・モダンの条件』
リオタールの戦略への疑問
1.「真理」なき「正当化」?

  1. 言語ゲームの多様性とそれらの間の「共約不可能性」
  2. 正当化主義、基礎付け主義の拒絶と相対主義の危険性
  3. 暴力と最小限倫理(狂信者の暴力の前に理性的議論は無力)
    Ⅱ近代における「政治的なもの」
    前近代における「政治的なもの」
    人的結合原理としての政治:
    活動(プラクシス)と言論(レクシス)
    アリストテレス「人間は本性上、ポリス的動物である」
    近代における「政治的なもの」
    権力現象・戦争モデルとしての政治
    ポスト・モダンの政治状況
    ポスト・モダンとは、社会が高度に流動化し、「島宇宙」化し、共通前提が失われて、より小さな単位へと切
    り離されていく個人化状況。
    インターネットを活用した直接民主主義(東浩紀)は可能か?
    ポピュリズムや二大政党制への期待は幻想
    二つのポスト集計民主主義(aggregative democracy)
    コンセンサス・モデルdeliberative democracy 異議申し立てモデルagonistic democracy/pluralism
    システム的に歪められていない自由で平等な討論 討論による差異の確認、議論そのものの価値
    説得による共同的選好形成 選考形成やり直しの可能性
    手続き的正義 矯正的正義
    「合意」の正統性:厚みのある多数決 (民主主義的)決定の暴力性
    共通善の政治 politics of difference
    コンセンサスや、説得、多数決に民主主義の価値があるのではない。デモクラシーに何らかの価値があると
    するならば、それは「議論をする」ということ、その議論によって、お互いの間にある差異、見解の相違を
    確認しあうことにある。
    民主主義的「決定」は真理でも正義でもない。むしろ、その「決定」によって、犠牲を強いられた人々、多
    数決に踏みにじられた少数派の意見が記憶され、次の議論の時にそのことが想起されることが「矯正的正義」
    として重要。
    合理主義的野蛮の20世紀
    「戦争と革命の世紀」のメガ・デス
    合理主義の主体(閉ざされた、自己完結したエゴセントリックな自我)と偽りの連帯を訴える政治哲学
    「未来はすでに到来した。すべてがすでに到来し た。・・・終点はすでにわれわれの背後にある」(リオター
    ル)
    <始まりにおかれた忘却>(リオタール)あるいは<過ぎ去った未来> (R. コゼレック)を考え抜く必要
    参考文献*
    ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』、水声社
    東浩紀『一般意志2.0』、講談社
    杉田敦『境界線の政治学』、岩波書店
    萩原能久「民主的ガバナンス論への道程」、『法学研究』第84 巻第2 号、2011
    シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』、日本経済評論社
    シャンタル・ムフ『民主主義の逆説』、以文社
    ラインハルト・コゼレック『批判と危機』、未来社
    John Dryzek, Deliberative Democracy and Beyond: Oxford: Oxford University Press, 2000
    Iris M. Young, Inclusion and Democracy, New York/Oxford, Oxford University Press, 2000
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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。



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宮川涼
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