ヨガをする前に暇つぶしのための哲学3

ソクラテス以前の哲学者

ヨガをする前の時間つぶしのための哲学 前編です

ヨガをする前の時間つぶしのための哲学2 前編です

第八回 パルメニデス

パルメニデス(Parmenides、前6世紀後半)はエレア生まれの哲学者で『自然について』という著書を書きました。そこでは、パルメニデスは女神から真理の認識に至るべき正しい道と誤まれる道との二つを啓示されることが述べられています。二つの道とは真理の道と俗見の道であり、前者があるものをあるものとして、あらぬものをあらぬものとして捉え、後者があるものをあらぬものとしたり、あらぬものをあるものと捉える道であるとされます。さらにまた、前者が真理(主に矛盾律)にしたがって、必然的なことを確信するのに対して、後者は、事物のその時々の偶然的な外観に感覚的に惑わされて矛盾したことをいう愚衆の見解とされました。したがって、ここでの考察ではあるもの(to eon)のみが対象となるのであり、それのみが合理的に思惟されうるとされるわけです。また、あらぬもの(to me eon)は、まったく無いのである以上、理性的に認識しようがなく、合理的に思惟することも語ることもできないわけです。このように、真に実在するものはあるもののみであると考えられました。ここで、注目すべきことは、パルメニデスがあるものを、ある特殊な物質によって表現するのではなく、それを論理的な無矛盾性(矛盾律)によって説明しようとしていることです。後の論理学の用語を用いれば、同一律と矛盾律とをもって、あるものの必然的な存在性が語られたといえるでしょう。こうして、論理による合理的な認識の対象のみが、すなわちあるもののみが真の実在とされ、他のなにものもなく、あるものを分かつ空虚なるものもなく、さらにまたあるものがあらぬものへ、あらぬものがあるものへといった変化も一切認められないということに考えられることになったわけです。

さて、ここで以上のようなあるものについて少し纏めてみましょう。それは、主に四つの事柄に分類できそうです。まず一つ目は、あるものは不生不滅にして、無始無終にして、過去-現在-未来の区別も無い端的に永遠の実在であり、全一にして唯一者である、ということです。二つ目は、あるものは分かつことのできないもの、すべて一様に同質的で充実したものであり、空虚の無い全きものとして、不壊不可侵であるということ。三つ目は、あるものは緊密な統一体として不変にて不動であり、動くための空虚もなければ、生成消滅もありえない、ということです。そして、最後四つ目は、あるものは中心からどの方向に対しても均衡の取れた限界あるものにして、一塊の美しい丸い球のようである、ということです。最後の四番目はこれまで話して来たことからは少し想像がつかないかもしれませんが、パルメニデスはあるものをある種の球体として捉えていたのです。この意味では、論理性を重視しつつも、パルメニデスもまた最後には矢張り物質的存在を想定していたということでしょうか。パルメニデスについてはこれぐらいにしておきますが、以後西洋の歴史においてパルメニデスの思惟というのは、重大な影響を及ぼしつづけていくことになります。本来ならば、ソクラテス以前の哲学者中もっとも重要な哲学者ともいえるようなパルメニデスをこのように乱雑に取り扱うのはいささか心苦しいのですが、以後作業の速度をあげていきたいので、詳しいことはご自分でお調べいただくことをお勧めいたしたいと思います。このノートが少しでも皆さんの学習の契機になれれば幸いです。

原典からの引用

「いまこそ わたしは汝に語ろう。汝はこの言葉を聞いて心に留めよ。
まことに 探究の道として考えうるのは ただこれらのみ。
そのひとつ すなわち、「ある」そして「あらぬことは不可能」の道は、 説得(ペイトー)の女神の道である。――それは真理に従うものであるから――。
他のひとつ すなわち、「あらぬ」そして「あらぬことが必然」の道は、 この道は まったく知りえぬ道であることを 汝に告げておく。
そのわけは あらぬものを汝は知ることもできず――それはなしえぬこと――、また 言うこともできぬからである。」(断片 2)

「ここに現われてはいないが、しかし知性には牢固として現存するもの」(断片4)

「しかしつぎには 死すべき人間どもが なにひとつ弁え知らぬまま、 双つの頭をもちながら 彷徨い歩く道を禁ずる。
(中略)彼らには、「ある」と「あらぬ」が同じであり かつ同じでないとみなされる。」(断片6)

「理(ロゴス)に従うことによって」(断片7)

「道について 語る言葉としてなお残されているのはただひとつ 「ある」ということ。この道にはきわめて多くのしるしがある。
すなわち あるものは不生にして不滅であること。
なぜなら それは(ひとつの)総体としてあり、不動で終りなきものであるから。
それはあったことなく あるだろうこともない、それは全体としてあるもの、 一つのもの、連続するものとして 今 あるのだから。」(断片8)

「ここで 私は 汝への信ずべき言葉と真理についての思索を終ろう。
これよりのちは、汝は死すべき者どもの思惑を学ぶがよい、 わが言葉の実なき欺瞞の構成に耳傾けて。」(断片8)

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