ヨガとは何か?

01 ヨガの定義とは?

日本でも多くの人がヨガスタジオやスポーツジムのヨガクラスに通い、ヨガは日本でも広く定着しています。ヨガのレッスンやクラスに通う人はどのような目的で始めているのでしょうか。そう聞くと、多くの方が「健康になりたい」「ダイエットしたい」「ボディメイクしたい」「ストレスを解消したい」「心を落ち着かせたい」「自分磨き」といったような回答が多いと思います。

どうしても日本でヨガというと一般的に運動や身体のメンテナンス的な要素の目的が多いでしょう。では、運動や身体のメンテナンスならヨガ以外にもたくさんあるじゃないかということですが、その他のフィットネスやスポーツ、運動とヨガの違いには何があるのでしょうか。多くの人は、確かにフィットネス目的でヨガを始めることが多いと想うのですが、本来の意味でのヨガはフィットネスではありません。

日本で最もポピュラーなヨガ・スートラ、バガヴァッド・ギーター、ハタヨガ・プラディーピカなどの文献は、全く別の宗派に属する著者によって書かれています。ちゃんと読み比べると各経典の内容には多くの矛盾点がたくさん見つかります。しかし、それでも共通している大事な本質的な部分はあります。表現は多種多様で、形は違えども、読み込むことでみえてくる内容には類似する部分が多くあります。たくさんの種類があるヨガの共通点というのは「自分の本質を知ること」ということを目的にしていることではないでしょうか。そのためのアプローチは各宗派、流派によって異なる物の、目的はここに尽きると思います。

山頂を目指す登山では、複数の道が存在してもたどり着くゴールはたった1つです。ヨガの道というのも、それと同じで、ヨガの道も登山と同じように厳しく短い道もあれば、長く緩やかな道もあります。ヨガも登山も必ず自分の足で登らなければなりません。ゴンドラやヘリコプターではたどり着けない山であるわけです。

02 あらゆる古典ヨガとは、自分自身の本質を知るメソッドである

ヨガ・スートラの中では、有名なフレーズですが「ヨガとは心の働きを止めることである」と書かれています。心の働きを止めるというフレーズ自体は有名ですが、何の説明もないと日本人的には「心頭滅却すれば火もまた涼し」ぐらいの思考停止するような意味にしか受け取れられないと思いますが、このように思考を止めることが本当の目的ではありません。これは、思考を止めることで、自分自身の本質を見ることが出来るということで、それこそがヨガの目的なんです。

私たちは社会的な立場や肉体、思考で自分を認識していますが、それらは全て表面的な姿です。本来の私たちの姿は限りなく純粋で、外的な要因に一切影響されない存在だとヨガ哲学では考えています。しかし、普段は思考の波などが覆い被さってしまい認識することもできません。「心の働きを止めること」というのは、隠されていた私たちの核にある自己の本質(プルシャ、とヨガでは言います)を自覚することです。それがヨガ・スートラで書かれているヨガです。

一方、バガヴァッド・ギーターの中では「成功又は失敗に対する執着を捨てなさい。その平等の境地をヨガと呼ぶ」という表現や「物質的な苦しみからの解放がヨガである」と表現されています。バガヴァッド・ギーターのクリシュナは、「平等の境地」こそがヨガだと言います。これは、少しわかりにくい表現ですが、平等の境地というのは、物質的な変化、外的な変化に心が動かされない状態です。

私たちは、私たちの本質であるプルシャ(真我)、またはアートマン(我、個の根源)は「私のもの」という自我を持ちません。好ましいもの、好ましくないもの、どちらからも影響を受けることがありません。つまり、全ての物に対して平等にとらえ、常に平穏な気持ちでいることができるというわけです。平等の境地に達するということは、即ちアートマン(個の根源)の状態に居ることと同意でもあります。ヨガの状態、つまり、アートマンの本来の姿というのは、喩えるならば海にいているといえます。

海は水が流れ込んで満たされますが、海は不動を保っています。同じように、ヨガの智惠のある人は、富や名声、不幸を得ても平穏な状況を保つことができます。いかなることにも動揺させられず、純粋さを汚されない本来の自己の姿に達することがヨガであるわけです。ヨガにはこのように様々な流派や違ったアプローチがありますが、本当の自分を求めるための道という意味では共通しているわけですね。

03 ヨガの目的を理解しよう

ヨガは幸せを手に入れる方法と思われている方もいるかもしれませんし、これまでの話を聞いて、ヨガをすれば幸せになれるのかも、と思われた方もいるかもしれません。しかし、ヨガは幸せを手に入れるための方法ではありません。ヨガは、既に存在する幸せな自分に気付くための方法なのです。例えば、それこそヨガスタジオに入会するきっかけとしてよくある「痩せたいから」という目的があると思います。それ自体はとてもポジティブに聞こえますが、「痩せたら私は幸せになれる」という考え方は、裏を返せば「まだ痩せていない自分は幸せではない」という現在の不幸に変換されてしまいます。「痩せないと幸せになれない」という条件付きの幸せは一時的なものです。条件が叶わない限り、自身は不幸だという妄想を生んでしまいます。もちろん、痩せて満足することは結構ですが、決して痩せていない自分が不幸であるわけではないのです。確かに、ヨガの練習、ヨガのレッスンを受け続けていけば体重は減るでしょう。オンザショアの会員様の中では月10会会員様などで、3ヶ月で10㎏くらい痩せたというダイエット体験をされた方も複数いらっしゃいます。しかし、ヨガをすることの本当の目的は「痩せていても痩せていなくても幸せ」だと気付くことにあります。それが平等の境地です。

私たちの心は、自分にとって好ましくないものがあると、自然とそこに意識を向けてしまいます。ネガティブに意識が向いてしまうのは、危険から自分自身を守るための自然な志向の働きなので、否定する必要はありません。実際、私たち人類は、危険に対する管理能力で生物として生き延びてきました。しかし、必要以上のネガティブ思考は幸せの妨げになってしまうだけです。快適に生活するためには意識的に心をコントロール必要があり、そのためにヨガの手法を用いると良いわけです。ある女性は、学生時代にお金がなくて節約生活をしていたので、社会人になったら美味しいレストランに行けるようになりたいと切望していました。社会人になって自分のお金で食事に行けるようになり、最初はそれに大いに喜んだそうですが、嬉しかったのは最初の数ヶ月のみで、外食が続くことで体重が増えていき、今度はそれが不満となってしまいました。そこで、パーソナルトレーニングを始めたり、一生懸命ボディメイクをしました。しかし、今度はせっかく痩せても多忙になり過ぎてお洒落をして出かける時間も無く、男性との出会いもなくなり、それが新しいフラストレーションとなってしまったということでした。これは1つの具体例ですが、食事を他の物の置き換えてご自身の悩みなり、願望と取り替えて考えてみると同じようなことが起きると想像することができるのではないでしょうか。1つの目標を叶えても、まだ手には入っていない部分に意識が向いてしまうと、いつまでも理想を追いかけるループから抜け出せません。それは輪廻転生のように延々とループし続けるものです。欲望の悪循環といっても良いかも知れません。

このように、物理的な成功は、確かにある程度努力をすれば手に入る物でしょうが、真面目で努力家の人ほど、どうしても今持っていることよりも現在足りてない部分に意識が向いてしまい、いつまでも本当に満足することは難しくなってしまいます。せっかく頑張って手に入れても次から次へと足りない部分に目が行ってしまうと、どれだけ手に入れても幸せを追いかけ続けなくてはいけません。目の前に人参をぶら下げられた馬と変わらない状態に陥るわけですね。私たちが物理的な要求で手に入る高揚感は全て期間限定のものばかりです。ポルシェやランボルギーニといった高い車もハーレーダビッドソンのような高いバイク、アルマーニやプラダのような高い洋服、そういうものでも時間がたてば飽きるか古くなっていくだけです。ワークアウトした美しい肉体も、食べれば太り、努力を続けていてもいずれはおいていきます。外的な要因で一喜一憂していても真の満足には至れません。ヨガ・スートラには「ヨガとは心の働きを止めること」であると書いてあるという話をしましたが、これは決して無感情を目指すわけではありません。良いことがあれば嬉しいと感じるのが人間ですし、悲しいことに胸を痛めることは、私たちの心の正常な働きです。しかし、嬉しいことに必要以上に執着や依存をせず、悲しいことがあってもその感情に支配されないことのほうが、ヨガ的には大切だと考えるわけですね。そのために、ヨガの訓練を通じて、常に客観的に自身の心を観察できるようになる必要があります。悪いことがあったとしても、純粋な自分の本旨は全く汚されていないということを、ヨガを通じて知り、そこに不必要に心を奪われないようにしていくことが大事です。

04 ヨガで見付ける本当の自分とは?

「本当の私」と急に言われても答えに窮してしまうかもしれません。ふと「本当のあなたってなに?」と聞かれて当惑し、辛うじて自分の名前を返す方少なくないと思います。私は「りょう」という名前を持っていますが、これは生まれてから両親に頂いたもので、家族との関係性から得たものです。「りょう」という名前はその名前を呼ぶ相手が居て初めて身をもちます。親しい家族や友人は「りょう」と呼びますし、仕事上の関係では苗字で呼ばれます。名前は相手が居る前提で認識するものであり、自分自身の本質ではありません。同じように、「子ども」「母親」「社員」「サラリーマン」「弁護士」「先輩」「後輩」「先生」「日本人」など社会性の中で与えられた立場は相手との関係性によって変わるものです。これらの社会的な立場から与えられた「私」はすべて本来の私ではないと考えるのがヨガの考え方です。また、同時に「私」だと誤解しやすいのが、「私たちの肉体」でしょうか。多くの人は自分の身体をコントロールしていると思っています。しかし、実際、私たちの身体は自分の言うことを聞いてくれるわけではありません。病気になって十分に動けなくなったり、痛みが出たり、思うように運動できなかったり、大切なときに睡魔に襲われることもあるでしょう。事故などで、身体の一部を失うこともあります。腕などの一部を切断してしまった場合、その腕は「自分」なのでしょうか。自分自身のいうことを聞いてくれないものを、自分自身と呼べるのでしょうか。ヨガ思想の考え方ではこれも「いいえ」と応えます。

さらに多くの人は「心」が自分自身だと考えているでしょう。それこそ、デカルト以来、西洋的な考え方の根底には私=心であると考える人は世界中に大勢います。しかし、ヨガではこの「心」でさえ「自分の本質」とは考えません。私たちの心、思考の動きは周りの環境によって大きく左右されます。また、非常にコントロールが難しく、怠けたり、何かに執着したり、悲しんだりと望んでいない働きをしてしまいます。「運動をしよう」と決心をしても、面倒に感じてサボってしまったり、「周りの人に親切にしよう」と決心しても、つい感情的に接してしまい反省することも少なくないと思います。「心の動き」でさえ「私の言うことを聞いてくれないもの」なのです。では、身体や心をコントロールしようと思っている「私」とは何なのでしょうか?ヨガ・スートラでは「その時(心の動きが止まったとき)傍観者(真我)は本来の状態になる」と書いてあります。この傍観者というのが私たちの本来の姿だと考えるわけです。傍観者であるプルシャこそが私たちの本質だというわけですね。では、傍観者であるプルシャとは何なのでしょうか。すごく簡単な言葉で言うと、若干の誤解を生むかも知れませんが、「魂」のようなものと考えてもらって大筋間違っていないと思います。私たちの本質であるプルシャは、完全に純粋な存在で、常に静かで穏やかな至福の状態でいます。私たちが自分と意識しているものの内側に存在しています。思考や身体が忙しく働いていても、プルシャは動きません。私たちが自分自身と思っている身体や心は、神の宿るお寺のようなものです。神はお寺に一時期滞在し、人々はお寺の中の像を神として祈ります。しかし、お寺も神の姿の彫刻も神ではありません。私たちの本質であるプルシャは肉体に滞在し、心と結びつきますが、一時的に滞在しているだけだとヨガでは考えるのです。

05 本当の私は見えにくい存在

では、どうして私たちは本来の自分の存在を感じることができないのでしょうか。私たちのプルシャ(真我)は湖の底のようなものです。水が濁っていては底が見えません。物理的に不摂生をして体の状態を快適な状態に保っていなかったり、思考が鈍っている状態では水が濁っていて先が見えません。この濁っている状態をタマス(鈍質)と呼びます。食べ過ぎ、運動不足、寝不足などで身体が鈍っていたり、怠け心やアルコールなどで思考が鈍っている状態です。また、湖の水質が濁っていなくても、水の流れがあったり、波紋があると奥まで見えません。この状態をラジャス(激質)と呼びます。アクティブに行動しすぎたり、感情的になり過ぎている状態です。思考の動きも非常に活潑になり過ぎて、冷静に自分自身を見つめることができません。私たちが自分の本質を見るためには、心と体を純粋な状態に保ち、心の動きを鎮める必要があります。純粋な状態をサトビックと呼びます。それは透き通った水のようなものです。水が透き通っていると底辺も見えます。だから、私たちは心も体も汚れない状態に保つ努力をしなければならないわけです。

ヨガとは何か?(2)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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宮川涼
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