ベンサム『道徳および立法の諸原理』

【参照テキスト】
ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』 An Introduction to the Principles of Morals and Legislation [1789]→『世界の名著 38 ベンサム J.S.ミル』[1967]山下重一訳、中央公論社、所収
■ 功利性の定義
・【功利性の原理】「その利益が問題になっている人々の幸福を、増大させるように見えるか、それとも減少させるように見えるかの傾向によって、…すべての行為を是認し、また否認する原理」(82)(ここで「行為」は政府の政策も含む。)
・さしあたって、幸福=利益=便益=快楽=善とされている。
・「ここでいう幸福とは、当事者が社会全体である場合には、社会の幸福のことであり、特定の個人である場合には、その個人の幸福のことである。」(83)
・社会の利益とは、「社会を構成している個々の構成員の利益の総計」である。(83)
・「功利性の原理に適合している行為については、それはしなければならない行為である、また少なくともしてはならない行為ではないと、いつでも言うことができる。また、そのような行為をすることは正しいことである、少なくとも悪いことではないと言うことができる」(84)。
■ 功利性の原理に対立する人間
・「どんなに愚かでひねくれているとしても、多くの場合に、おそらく生涯のたいていの場合に、功利性の原理に従わないような人間がいるはずはないし、過去においてもいたことはない。」「それと同時に、この原理を純粋に、留保なしに受け入れようとする人々は、最も賢明な人々のうちにも、おそらくは多くなかったであろう。功利性の原理をどのように適用するかということを、いつでも理解しているわけではないために、また、それを検討することがこわかったり、それから離れることがたえられないような、何らかの偏見のために、ある場合に功利性の原理に対立した覚えがないような人々は、なおさら数少ないであろう。人間とはそんなものなのである。原理的にも実践的にも、また正しい行動についても、不正な行動についても、人間の性質のうちで、首尾一貫しているものはきわめて少ないのである。」(85)
・[1882 年に追加された注]「この[最大多数の最大幸福という]原理は、一人の支配者を含む、このような官僚の利益――悪意ある利害 sinister interest――にとって危険である。そして訴訟費用の中から引きだされる利益を得るために、司法その他の手続の遅延や煩わしさや費用を最大限にすることが、彼らにとって利益になるのである。」(86)
■ 功利性の原理と異なる二つの原理(89)
(1) 功利性の原理とつねに対立する「禁欲主義」
(2) 功利性原理と、ある時は対立し、ある時は対立しない「共感と反感の原理」
■ 禁欲主義に対する批判
・「禁欲主義の原理」とは、「行為が当事者の幸福を減少させる傾向をもつかぎりにおいて是認し、それを増大させる傾向をもつかぎりにおいて否認するような原理」(89-90)である。
・「禁欲主義の原理を受け入れてきたように思われるのは、きわめて性質を異にする二種類の人々、すなわち、道徳家と宗教家である。」「希望、すなわち快楽の予想が、道徳家をそそのかしたように思われる。その希望とは、哲学的な虚栄心という心の糧(かて)、すなわち人々から栄誉と名声が与えられることに対する期待である。恐怖、すなわち苦痛の予想が、宗教家をそそのかしたように思われる。その恐怖は、迷信的な幻想の起源であって、それは気むずかしくて復讐心に富む、神の手による来世の処罰に対する恐怖である。」(90)
→「栄誉や名声」は、効用(快楽)ではないか。また「来世の処罰」を恐れる人禁欲主義者は、「期待される苦痛を最小化」している点で、功利主義者ではないか。
・「禁欲主義は、もともとせっかちにものを考える人々の幻想であったように思われる。彼らは、ある種の快楽が、ある状況のもとに生み出される場合に、長い目で見ればそれをうわまわる苦痛をともなうことを知って、またはそのように想像して、快楽という名のもとに現れるすべてのものを非難するはめに陥ったのである。彼らはこのように行き過ぎを犯し、脱出する地点を忘れて盲進し、苦痛を愛することを立派なことのように思い込むまでになったのである。われわれは、このようなことでさえも、根底においては、功利性の原理の誤った適用に他ならないことを知っているのである。」(94)
■ 「共感と反感の原理」に対する批判
・「共感と反感の原理」:「ある行為を、その利益が問題となっている当事者の幸福を増大させる傾向や、その幸福を減少させる傾向によってではなく、単にある人がその行為を是認または否認したいと思うゆえに、是認または否認し、その是認や否認をそれ自体として十分な理由であると考えて、なんらかの外部的な理由を探し求める必要を否定するような原理を意味する。」(94)
・「人がある原理の中に見出そうと期待するのは、是認や否認の内的な感情を正当づけ、これを導いていく手段として、ある外的な理由を指示するような何ものかであるが、是認や否認の感情をそれ自体の理由および基準として掲げる以外のことはしないような命題によっては、このような期待は満足させられないであろう。」(99)
・ベンサムが否定している議論(100-)
(1) 善悪の判断を自分の「道徳感(moral sense)」に基礎づける人たち。シャフツベリ、ハチソン、ヒュームなどのスコットランド啓蒙思想家たち。
(2) すべての人類によって所有される常識(common sense)によって判断する人。
(3) すべての善良で賢明な人々がもっている悟性(understanding)によって判断する人。

等々
・「以上のような思考と議論の諸方法…のすべてに共通する誤りは、専制主義の、口実、見せかけおよび補強としての働きをすることである。」(102)
・「共感と反感の原理は、きびしさという点で最も誤りを犯しやすい。その誤りとは、刑罰に値しない多くの場合に刑罰を科したり、ある刑罰に値する場合にも、それが値する以上に刑罰を科したりすることである。」(105)
■ 道徳感情と功利性の関係
(1) 「道徳感情が功利性の考慮以外の源泉から根元的に認識されるかどうか」という問題。
(2) 「道徳的感情が、事実の問題として、自分自身を内省する人々によって、検討と反省のもとに、功利性以外の基礎のうえに実際に主張されたり、正当化づけられたりするかどうか」という問題。
(3) 「道徳的感情が、権利の問題として、社会に向かって語りかける人によって、功利以外の根拠に基づいて、適切に正当づけられるかどうか」という問題。
・ベンサムは、以上の三つの問題のうち、(3)の実践的問題に「功利性の原理」が有効であると主張する。これに対して(1)と(2)は「思考の問題」であって、大した問題ではないとしている。(103)
■ 快楽と苦痛の[総価値量の]計算
・「快楽とそして苦痛の回避ということは、立法者が考慮しなければならない目的である。したがって立法者はその価値を理解しなければならない。」(113)
・快楽と苦痛の価値は、以下の七つの条件に依存する(114)。
(1) その強さ。
(2) その持続性。
(3) その確実性、または不確実性。
(4) その遠近性。
(5) その多産性[快楽の場合は他の諸快楽を伴う可能性、苦痛の場合はその反対]。
(6) その純粋性[快楽の場合は、苦痛を伴わない可能性、苦痛の場合はその反対]。
(7) その範囲(それによって影響を受ける人々の数)。
■ 単純な快楽
・「人間が感じうる若干の単純な快楽とは、次のようなものであると思われる。(1)感覚の快楽、(2)富の快楽、(3)熟練の快楽、(4)親睦の快楽、(5)名声の快楽、(6)権力の快楽、(7)敬虔の快楽、(8)慈愛の快楽、(9)悪意の快楽、(10)記憶の快楽、(11) 想像の快楽、(12)期待の快楽、(13) 連想に基づく快楽、(14)解放の快楽。」(117)
■ 慈愛と悪意:他人の快楽(苦痛)に対する快楽(苦痛)
・「他人に関するものの部類にはいる快楽と苦痛は、慈愛および悪意の快楽と苦痛だけであって、他のすべての快楽と苦痛は、自己に関するものである。」(122)
・「慈愛の苦痛とは、他の人々が受けると想像される苦痛を考えることから生みだされる苦痛である。それは、好意または同情、慈悲深い感情、または社会的感情の苦痛とも名づけることができる。」→福祉事業が要請される根拠。
・「悪意の苦痛とは、たまたまある人の不興の対象となっている人々によって、享受されていると想像される、快楽を考えることによって生み出される苦痛である。それは悪意または反感の苦痛、悪意ある感情または反社会的感情の苦痛とも名づけることができる。」(122)
■ 若干の複合的な快楽についての目録
・「一、感覚の快楽
(1) 緑の畑、波打つ木の葉、きらめく水などの、快い色や形を見ることによって呼び起される、視覚の単純な快楽。
(2) 鳥のさえずりや、水の流れる音や、樹間をわたる風の音を聞くことによって呼び起される、聴覚の単純な快楽。
(3) 花の香りや、刈られたばかりのまぐさ[馬や牛の飼料とする草]や、発酵の最初の段階にあるその他の植物性のものの香りをかぐことによって呼び起される、嗅覚の快楽。
(4) 血液のさわやかな奔流や、町と比べれば田舎でしばしばずっと新鮮な空気が、肺に流れることによって生みだされる快い内的感覚。

二、連想によって生みだされる想像の快楽
(1) 目にするものの所有から生みだされる豊富の観念、またその観念から生み出される幸福の観念。
(2) 鳥や羊や牛や犬や、その他のおとなしい動物や家畜の、無邪気さと幸福の観念。
(3) これらの動物すべてによって享受されていると想像される、健康の不断の流れという観念。それは、それを見る人によって享受されている健康の、たまたまの流れから生み出されやすい観念である。
(4) これらの祝福の創造者として仰がれる、万能で恵み深い神を考えることによって、呼び起される感謝の念。
これら四つはすべて、少なくともある程度まで共感の快楽である。ある人をこのような種類の快楽から追いのけることが、投獄から生み出されやすい害悪の一つである。…」(124)
→ベンサムは「祝福の創造者」である「万能で恵み深い神」を想定することから得られる快楽を目録に挙げている。
■ 快楽の感受性
・「快楽と苦痛の量は、その原因、言い換えればその原因によって呼び起された力の量に比例して、いつも同じであるわけではない。」→その人の「感受性」によって左右される。
・「感受性に影響を与える諸事情」:「(1)健康、(2)強健、(3)強壮(hardiness)[物理的苦痛に対する過敏性が欠けていること。教育のたまもの]、(4)肉体的欠陥、(5)知識の量と質、(6)知力の強さ、(7)精神の堅固さ、(8)精神の持続性、(9)好みの傾向、(10)道徳的感受性、(11)道徳的傾向、(12)宗教的感受性、(13)宗教的傾向、(14)同情的感受性、(15)同情的傾向、(16)反感的感受性、(17)反感的傾向、(18)精神異常、(19)習慣的な仕事、(20)金銭的事情、(21)共感のうえでのつながり、(22)反感のうえでのつながり、(23)肉体の基本的構造、(24)精神の基本構造、(25)性別、(26)年齢、(27)地位、(28)教育、(29)気候、(30)血統、(31)政府、(32)宗教的信仰。」(126)
→快楽に対する感受性を高め、苦痛に対する感受性を弱めるという統治術が求められることになる。
・【共感と反感】「幸いなことには、共感の場合とちがって、人間性の中には反感の根源的かつ恒久的な源泉のようなものはない。反感とは正反対の愛情の対象が存在するのとはちがって、人間にとって自然的に、そして必然的に反感の対象であるような人々がいつもいるわけではない。」(135)しかし他方で、「共感そのものが、反感の源泉を倍増させるということにも注目されなければならない。あなたの友人に対する共感は、あなたの心の中に、その友人にとって反感の対象である人々に対する反感を、またその共感の対象である人々に対する共感を生みだすであろう。…反感は共感の源泉をも倍増させる。あなたの敵に対する反感は、あなたの心の中に、その敵にとって反感の対象である人々に対する共感を、またその共感の対象である人々に対する反感を生み出すであろう。」(135)
・【上層の人のほうが、快楽と苦痛の感受性が高い】「他の条件が変わらないとすれば、感受性の量は、上層の人々の場合のほうが、下層の人々よりも多いように思われる。」(140)
→例えば、知識の量と質、精神の堅固さ、好みの傾向、道徳的感受性、支出の習慣などにおいてすぐれているから。
■ 立法者による効用計算の限界
・(1)健康と(2)強健は、裁判官や行政官によって考慮することができる。これに対して(3)強壮、(4)知識の量と質、(5)知力の強さ、(6)精神の堅固さないし持続性、(7)道徳的・宗教的感受性(傾向)などは、考慮に入れることができない。(144-145)
・「立法者が主として左右することができるのは、苦痛または苦痛を与える種類の諸原因である。立法者は、快楽を与える種類の諸原因については、ときおりの偶然以外には、ほとんど何事もなすことはできない。」(145)「立法者が主として左右することができる刺激的な諸原因は、有害な行為であり、それを防止することが立法者の仕事である。もう一つは刑罰であり、立法者は刑罰の恐怖によって、有害な行為を防止しようと努力しなければならない。」(145-146)
・「政府の仕事は、刑罰と報償によって、社会の幸福を促進することである。」(148)
■ 動機の問題
・【「悪い動機」は存在しない】「快楽はそれ自体として善である。それは苦痛を免れることを除けば、唯一の善である。そして、苦痛はそれ自体として悪であり、実際に例外なしに唯一の悪である。これ以外の意味では、善悪という言葉はなんらの意味ももつことはない。…それ自体として悪いものであるような、どんな種類の動機も存在しない」(176-177)。
・「しかし、さまざまの行為について、よい動機または悪い動機から起こるというのがふつうである。そのような場合には、動機とは内的な動機を意味する。そのような表現はけっして正確なものではない。」「動機が善または悪であるのは、ひたすらその結果によるのである。すなわち、それは快楽を生み出し、または苦痛を避ける傾向のために善であり、苦痛を生み出しまたは快楽を避ける傾向のために悪なのである。」(177)
・【新しい用語法の提案】しかし一般に、敬虔(piety)や名誉心(honour)の動機は善いとされ、色欲(lust)や貪欲(avarice)の動機は悪いとされる。このようなゆがめられた観念連合を除去するためには、「一つの不愉快な打開策しかない。それは古い用語法をやめて、新しい用語法を発明することである。」(179)「例えば色欲という言葉の代わりに、二つの日用語を組み合わせて、性的欲望(sexual desire)という中立的な表現を作ることができるし、貪欲(avarice)という言葉の代わりに、これまた二つの日用語を組み合わせて、金銭的関心(pecuniary interest)という中立的な表現をつくことができる。」「真相は、私が『色欲は悪い動機である』という場合に、それは色欲という言葉の意味にだけ関係を持っている主張であり、同一の動機について用いられる性的欲望という別の言葉で言い換えれば、その主張は誤りになるということである。」(194)
・【意図と動機の関係】「一つの動機を安全に、また正当に、よいとか悪いとかいうことができる唯一の方法は、個々の場合のその結果に関連させて判断を下すこと、とくにその動機が生み出す意図に関連させて判断を下すことである。」「もっと便利な方法は、当事者自身は問題外として、動機を他の社会の成員の利益に与える影響によって分類すること」である(195)。「このような構想によれば、動機は社会的なもの、反社会的なもの、自己中心的なものの三つに分類されるであろう。社会的な動機の分類には、(1)好意、(2)名声への愛、(3)親睦の欲望、(4)宗教が数えられるであろう。反社会的な動機の分類には、(5)不愉快が、自己中心的な動機には、(6)肉体的欲望、(7)金銭的関心、(8)権力への愛、(9)自己保存――感覚の苦痛の恐怖、安逸への愛および生命への愛を含む――が数え上げられるであろう」(196)。社会的な動機については、「好意の動機だけが純粋に社会的な動機という名称を与えられ、名声への愛、親睦の欲望および宗教の動機は、ともに準社会的な動機という分類のもとに一括されるであろう。」(196)
・【「好意」は功利性の原理に最も合致する】「以上のさまざまな動機のうちで、好意はその命令が、一般的にみれば功利性の原理に最も確実に一致する動機である。なぜならば、功利性の命令は、もっとも広範囲の、そして開明的な[すなわちよく熟慮された]慈愛の命令にほかならないからである。」(196)
■ 慈愛の道徳>名声への愛>親睦への愛>自己中心的な動機
・開明的な慈愛の道徳は、動機として、最も確実に功利主義の要請と一致するものである。ただしそれは、慈愛の命令が、もっと広範囲な、拡大された慈愛の命令と矛盾しないことが前提である(196)。部分的で私的な慈愛は、それを禁止する広範囲な慈愛と直接競合しない場合には、実践することができる(197)。
・功利性の命令に一致する二番目の動機は「名声への愛」である。「この動機の命令があらゆる場合に功利性の命令に一致することを妨げる事情は、ただ一つしかない。それは人々が行為のある様式に対して、したがってその行為をするように思われる人々に対して、自分の好き嫌いによって是認または否認の態度を示す場合に、人々の好意または悪意は、必ずしも全面的に功利性の原理の支配を受けているわけではないということである。人々はときには禁欲主義の原理の支配を受け、ときには共感と反感の原理の支配を受ける。」(198)
・第三番目の動機は「親睦へ愛(親睦の欲望の命令)」である。「名声への愛」も「親睦の欲望」も、それが慈愛の原理に一致する限りで、確実に功利性の原理に結び付くが、しかし「親睦への愛」が慈愛と一致する範囲は限られている。
・「親睦への愛は人間の生涯のさまざまな時期に、その人が相当数の人々に貢献するようにうながすが、自己中心的な動機は生涯のはじめから終わりまで、自分というただ一人の個人について配慮することに限定される。」
・「親睦の欲望の命令は、一定の条件を変更すれば、ある人が親睦を望む人々の数に比例して名声への愛に次第に一致するようになり、したがって、功利性の命令に一致するようになる。たとえば、イギリスの議会の議員は、その人自身の欠点やその親睦を培わなければならない人民の愚昧さにもかかわらず、おそらく一般的にいえば、コンスタンティノープルの旅券査定官やヒンドスタンの書記よりも、よい性質をもっているのである。」(199)

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【監修者】宮川涼
プロフィール早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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