
立川と福生を結ぶ、一本の線路と一本の境界
福生と立川の縁は、基地だけではない。
青梅線は、立川駅を起点にしている。福生市によれば、明治27年(1894)に青梅鉄道の福生駅が開設された。百科事典によれば、青梅鉄道は同じ1894年11月19日に、立川駅から青梅駅までを開業し、そのとき拝島駅、福生駅、羽村駅、小作駅、青梅駅が開業した。つまり福生駅は、立川から延びた線路の上に、開業のその日から立っている。福生市は、大正14年には福生と五日市を結ぶバスや五日市鉄道も通り、福生は西多摩地域の玄関として活気を呈すようになった、と書く。立川から延びる線路が届いたところで、福生は西多摩の玄関になった。
昭和の線路は、いまより一本多かった。百科事典によれば、1930年には五日市鉄道が立川駅から拝島駅まで、青梅線とは別の南側の遠回りの道筋で線路を延ばし、両方の鉄道が立川と拝島の間を並んで走っていた。1944年、国有化のときに、この立川と拝島の間は不要不急線として休止される。同じ年に、青梅線の立川と中神の間は複線になった。戦争の最中に、線路が一本消え、一本が太くなった。戦後の1949年には、朝の青梅発東京行きの直通列車が走りはじめている。福生から立川を抜けて東京へ。基地の街と都心をつなぐ通り道に、立川はいつもいた。
あのころ/いま
- あのころ(1943年)、牛浜の仮停留場で切符を扱ってもらえたのは、定期券を持つ軍関係者だけだった。いま、牛浜駅は日米友好祭の日に大勢の人であふれる。
- あのころ(1950年代から60年代)、白い平屋には米軍の家族が住んでいた。70年代半ば、空き家になった家に、家賃の安さに引かれた若者たちが移ってきた。経済誌の記事で、その時代を知る人は、当時の福生のまちには、日本ではまだなじみの薄かったアメリカの文化が漂っていた、と振り返っている。いま、残った家はカフェや撮影スタジオになり、観光協会が記念撮影の場所として勧めている。
- あのころ(1969年)、立川の滑走路から輸送機が飛び立ち、福生へ移っていった。いま、立川の跡地には公園の芝生が広がり、福生の滑走路は3,350メートルのまま、日米が共同で使う基地になっている。
年配の人には、立川の駅前で英語の看板を見上げた記憶があるかもしれない。若い人には、それが想像しにくい風景だろう。その風景のつづきは、いまも青梅線で十数分の先にある。
基地の縁も、もう一度整理しておく。横田基地は、昭和15年に旧陸軍立川飛行場の付属施設として生まれた。昭和44年末、立川基地の飛行活動の停止にともなって、C-130の空輸部隊などが横田へ移った。そしていまも、横田基地の土地のうち0.29平方キロメートルは立川市にある。立川の飛行場は、福生に子どもを産み、晩年に自分の飛行機をその子に預け、自分は公園になった。親子の物語として読むと、少し感傷的にすぎるかもしれない。だが、資料を並べると、どうしてもそう読めてしまう。
福生市の年表に、私がいちばん長く目を止めたのは、この一文だった。昭和37年頃から基地の町からの脱皮が真剣に考えられ、同年に首都圏整備法による市街地開発区域の指定を受け、都市計画を進めた。基地とともに育った町が、基地だけの町でなくなろうとした。その後、昭和45年7月1日、人口3万8,749人で福生町は福生市になった。いま市は、市民会館、図書館、体育館、公園、下水道と、暮らしの施設を一つずつ数え上げている。
立川も同じことをした。基地を返されたあと、その土地に公園と図書館と役所を置いた。立川は基地がなくなったあとに、福生は基地があるままに、それぞれ「基地だけではない街」になろうとしてきた。二つの街の違いは、フェンスがまだ立っているかどうかで、向かっている方向は、案外近いのかもしれない。
立川を知らない人にこそ、この順番で歩いてほしい。週末の朝、立川で青梅線に乗り換え、福生の16号を南北に歩き、夕方に立川へ戻る。基地の来歴の、始まりの街と、そのつづきの街を、一日で両方踏むことになる。
16号の通りを歩き終えて振り返ると、フェンスの向こうに、広い空がある。あの空の端は、地図の上では、いまも立川市につながっている。
寄り道クイズの答え
答えは(B)。百科事典にまとめられた牛浜駅の歴史によれば、多摩飛行場の周りに軍の施設が次々にでき、軍の命令で急いで開いた仮停留場では、定期券を所有する軍関係者に限って扱った。開業は1943年3月1日。いまは誰でも乗り降りでき、年に一度の日米友好祭の日には、大勢の人がこの駅から基地の第5ゲートへ向かう。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
訪ねる前に
- 立川駅からの行き方: JR青梅線で拝島へ(石川酒造の案内では立川駅から快速で約12分)。拝島の次が牛浜駅、その次が福生駅。百科事典によれば、国道16号沿いの商店街と基地は牛浜駅の東側約600メートル。福生駅の東口側には基地の第2ゲートがある。ダイヤと所要時間は JR東日本の案内で確かめてほしい。
- 都心・神奈川から: 立川までは、新宿からJR中央線快速で30分台、川崎からはJR南武線で乗り換えなしの約1時間。立川で青梅線に乗り継げばよい。時刻は各社の案内で確かめてほしい。
- 歩き方: 牛浜駅から東へ出て国道16号に当たったら、フェンスに沿って南北に歩く。観光協会によれば、商店街は南北の総延長1.6キロ。福生駅西口側に戻れば、七夕まつりの会場になる商店街がある。
- 基地の中: 普段は一般の人は入れない。日米友好祭などの開放日の日程と入場の条件(身分証の提示・持ち物の検査など)は、その年の公式発表と福生市の案内で必ず確かめること。基地の撮影や立ち入りには決まりがある。
- 福生市「横田基地関連(基地の概要)」: https://www.city.fussa.tokyo.jp/municipal/yokotabase/outline/index.html
- 福生市観光協会(イベントカレンダー・横田基地ストーリー): https://www.fussakanko.jp/
- 組み合わせるなら: 福生の東から西へ、多摩川の側へ歩けば、江戸時代から続く二つの造り酒屋がある(この特集の「福生の酒蔵と多摩川」の回で歩く)。立川へ戻ってから、基地の歴史を立川の側からたどるなら、立川市の歴史民俗資料館や中央図書館の資料が手がかりになる(「立川基地と砂川」の回で歩いた)。

基地の街から戻ったら、立川駅北口で
16号の通りは、片側にフェンスが続くぶん、歩いても歩いても景色が変わらない区間がある。気がつくと、思った以上に足が疲れている。青梅線で立川に戻るころには、ふくらはぎに1.6キロの往復がきちんと残っているだろう。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。夕方まで福生を歩いても、帰りに寄る時間は残っている。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。手ぶらで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
北口の駅前に出て、ふと足もとを見る。あの大きな基地の親は、この街だった。
冒頭の写真: 上空から見た横田基地。南北に延びる滑走路を、福生などの市街地が囲んでいる。(写真: ブルーノ・プラス / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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