多摩モノレールの景色と車窓を、立川北駅・立川南駅から読み解くルポ紀行。富士山が見えるのはどちら側の席か、ダイヤモンド富士が見える時期・時刻・駅のホーム、立日橋で渡る多摩川、桜の車窓、駅名の由来、そして空の道が道路の真上を走る理由までをたどる。
立川北駅からモノレールで3分、立川南駅の隣の駅のホームで、冬の夕方、太陽が富士山の頂に吸い込まれていく。
それを知っている立川の人は、多くない。立川の人は、ときどき自分の町を「何もない」と言う。駅前に大きな店が並ぶだけの、通り過ぎる町だと。だが立川駅の北口を出て、歩行者用の通路から空を見上げると、頭の上を太い灰色の梁が横切っている。その梁の上を、4両の車両がまたがって走っていく。
鉄道とは本来、地面の延長だったはずだ。枕木があり、砂利があり、踏切がある。ところが多摩モノレールは、そのどれとも無縁に、地面から離れた高さを滑っていく。そして梁の下をしばらく目で追うと、妙なことに気づく。支柱が立っているのは、たいてい道路の真ん中か、道路の脇だ。空を自由に走れるはずの乗り物が、なぜか律儀に、地上の道路の上ばかりを選んで進んでいる。
空の道は、なぜ地上の道の真上を走るのか。この小さな謎を手帳に書きつけて、私は改札を通る。答えは、窓の外の景色の中にあった。富士山まで含めて。
多摩モノレールの景色と車窓は、立川北駅から始まる
多摩モノレールの立川の駅は、一つではない。JR立川駅を挟んで、北に立川北駅、南に立川南駅がある。会社の駅案内は、立川北を「JR立川駅北側の連絡駅」、立川南を「JR立川駅の南側の連絡駅」と書く。二つの駅の間は0.4km、所要1分。19ある駅の中で、いちばん短い一駅である。乗ったと思ったら、もう降りる。

写真: Dick Johnson from Tokyo, Japan / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons
百科事典の路線解説には、立川北駅を出ると大きなS字カーブを描き、その直下にJR立川駅が見える、という一文がある。空の道の最初の見どころは、発車してすぐ、足もとを流れる中央線の線路と駅の屋根なのだ。東西に延びるJRと、南北に延びるモノレール。立川駅は、その二本の線が十字に交わる場所だ。多摩都市モノレールの会社概要は、この路線が考えられた理由を、東京を職と住のバランスのとれたまちにするため、そして多摩地域の公共交通を一層充実させるため、と書いている。東京の路線図を思い浮かべると、線の多くは都心から外へ放射状に延びていて、郊外どうしを横につなぐ線は思いのほか少ない。多摩モノレールは、その放射状の線をいくつも横切って、多摩を南北に縫い合わせる糸の役を負った。
糸を通す話は、昭和のうちに始まっている。立川基地が全面返還されたのが1977年、東京都が基本計画の調査をしたのが1979年、会社ができたのが昭和61年、1986年の4月である。昭和の立川の子どもが駅の北口で見上げた空には、まだ梁も軌道もなかった。いま同じ場所で見上げれば、灰色の梁の上を4両の車両が渡っていく。最初の乗客を乗せたのは、平成10年の秋である。
その糸の、最初のひと針は立川で刺された。会社によれば、開業は二度に分かれている。1998年11月27日に立川北から上北台まで、2000年1月10日に多摩センターから立川北まで。最初に乗客を乗せたのは、立川北から北へ向かう区間だった。会社の本社も立川市泉町にある。多摩を縦に結ぶ空の道は、立川を起点に動き出したのである。
株主の顔ぶれを見ると、その性格がよくわかる。筆頭は東京都の78.84%で、ほかに西武鉄道、京王電鉄、小田急電鉄、銀行、そして沿線の市や町が名を連ねる。立川市の持ち分は0.65%。自分の町の名を二つの駅名に載せている市の取り分としては、ずいぶん控えめである。名前は大きく、株は小さく。
出発の駅の足もとも、二つの顔を持つ。会社の駅案内によれば、立川北駅のまわりには百貨店をはじめとする商業施設が立ち並び、一大ショッピングゾーンを形づくっている。立川南駅は立川駅とペデストリアンデッキでつながり、飲食店が多いうえ、北側に比べて諏訪神社など歴史を感じさせる場所が残っている、という。北は新しく、南は古い。同じ町の北と南で、空の道の入口の景色はまるで違う。
では、この糸は、どんな土地の上に張られているのか。駅の名前を読めば、ほぼ分かる。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
16.0km・19駅、駅名で読む多摩の履歴書
東京都の監査資料によれば、多摩センターから上北台までは19駅、16.0km。第1期の立川北から上北台が8駅・5.4km、第2期の多摩センターから立川北が11駅・10.6km。会社の運賃表を見ると、立川北から上北台までは13分、多摩センターまでは23分。端から端まで乗っても、40分に届かない。
駅の名前を北から順に並べてみる。上北台、桜街道、玉川上水、砂川七番、泉体育館、立飛、高松、立川北、立川南、柴崎体育館、甲州街道、万願寺、高幡不動、程久保、多摩動物公園、中央大学・明星大学、大塚・帝京大学、松が谷、多摩センター。
体育館の名が二つある。方向感覚に自信のない私は、泉と柴崎を取り違え、反対側の体育館の前で途方に暮れる未来の自分がはっきり見えた。そこで会社の駅案内を開いてみると、答えはあっさり書いてある。泉体育館駅は立川市の公共施設、泉市民体育館から、柴崎体育館駅は駅から徒歩3分ほどの柴崎体育館から名づけられた。誰もが知る建物を目印にした、きわめて実用的な命名だった。
もっと古い名もある。砂川七番の由来について、会社の案内は、江戸時代に年貢を集めるため砂川地区が1番から10番まで分けられていたことによる、と書く。江戸時代の税の区割りが、空中の駅の名になって残っている。立飛駅については、立川飛行場の跡地に接していることから駅名が立飛駅になった、とある。年貢の村、飛行場、体育館、大学。駅名の一覧は、そのまま多摩という土地の履歴書だ。
この路線は、つくり方も変わっている。会社の説明によれば、東京都が橋脚や軌道桁などのインフラ部分を、会社が運営基地や変電所、車両など運行にかかわる部分を受け持った。駅前で見上げたあの灰色の梁は都が架け、その上を走る車両は会社が持つ。東京都のパンフレットは、この方式を跨座型モノレールと呼ぶ。全線が複線の高架専用軌道で、踏切は一つもない。
踏切がないということは、地上の何物にも視界をさえぎられないということでもある。だが、景色の話に入る前に、この空の道がいちど落ちかけた話をしておきたい。落ちかけたのは、桁ではなく帳簿である。
着工から8年、開業から8年、空の道は一度落ちかけた
会社が2019年にまとめた経営改革プランの年表は、淡々としている。1990年11月、第1期の立川北から上北台の工事に着手。1991年11月、第2期の多摩センターから立川北の工事に着手。1998年11月に第1期が、2000年1月に第2期が開業した。最初の杭を打ってから最初の乗客を乗せるまで、8年かかったことになる。オンライン百科事典ウィキペディアは、鉄道雑誌を出典に、1990年11月26日に上北台駅の建設予定地で起工式が行われ、1997年12月19日に立川北から砂川七番の間で本線の試運転が始まった、と書いている。東京都が基本計画の調査をしたのは1979年だという。構想から開業まで、ほぼ20年である。
この線は、開業したあとも楽ではなかった。東京都の監査資料は、率直にこう書いている。初期の設備投資の多くを長期借入金でまかなったため、2007年度末には債務超過に陥っていた。橋脚も桁も駅も、借りた金で建てた空の道は、開業から8年ほどで、帳簿の上では地面より下に沈んでいたわけだ。
救いの手は、2008年度に差し伸べられた。監査資料によれば、東京都が210億円を出資し、都が持つ債権89億円を株式に変えた。沿線の市は固定資産税の減額期間を延ばし、都と市と金融機関は借金の返し方を組み直した。その結果、2008年度から自己資本比率はプラスに転じ、資料は、会社は債務超過を解消したことで危機を脱した、と記している。株主名簿の筆頭に東京都が78.84%という大きな数字で座っているのには、こうした事情がある。
立ち直ったあとの数字は、右肩上がりだ。同じ百科事典は新聞報道を引いて、利用者が2002年11月に延べ1億人、2012年6月に5億人を超え、5億人到達はモノレールとして国内最速だったとしている。2010年の東京都の監査資料は、2009年度の乗客数を1日平均12万2千余人と記している。経営改革プランによれば、1日平均の乗車人員は2014年度の129,820人から、2018年度には144,139人まで増えた。営業収益の伸びについて、プランは一つの出来事を名指ししている。駅に直結する大規模商業施設が2015年12月に開業し、その年度の営業収益は前年より6.8%増えた、と。立飛駅の隣に開いたららぽーと立川立飛のことである。飛行機の会社の土地にできたショッピングモールが、空の道の帳簿を押し上げた。立川の北の一角で、二つの物語が交差している。
プランには、もう一つ、利用者の声に応えた話が出てくる。始発と終電の時刻を改めてほしいという声に応えて、開業以来はじめての本格的なダイヤ改正を行った、と。百科事典によれば、それは2019年3月23日のことだった。空の道は、乗る人の暮らしの時間に合わせて、少しずつ形を変えてきた。
では、その空の道の窓から、いま何が見えるのか。
車窓ガイド 富士山はどちら側の席から見えるか
多摩モノレールに乗る人がいちばん知りたいのは、たぶん「どちら側に座ればいいか」だろう。

写真: osekkai / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
手がかりは方角にある。国土交通省関東地方整備局の「関東の富士見百景」は、立川の多摩川緑地から見える富士山を、南西の方角、丹沢と秩父の山並みがぶつかるあたりの背後にある、と紹介している。路線図で見れば、多摩モノレールはおおむね南北に延びる。とすれば、富士山が浮かぶのは西側の窓だ。立川から多摩センターへ南に向かうなら進行方向の右、上北台へ北に向かうなら左。理屈で言えばそうなる。富士見百景の紹介文は、富士が「特に天気の良い冬場によく見られます」とも書く。空気の澄んだ冬の晴れた朝や夕方が、いちばんの狙い目ということだ。
会社自身も、この眺めを売りにしている。2018年の発表資料には、主に道路上の高い軌道の上を走る多摩モノレールは、眺望の開けた場所を通る区間が多く、富士山を眺望できるスポットが多いことで知られている、と書かれている。
南へ向かう区間では、川が見どころになる。立川南を出て柴崎体育館を過ぎると、視界が大きく開け、多摩川を渡る。軌道の下には立日橋がある。東京都建設局の広報によれば、多摩川に架かる代表的な橋の一つで、1989年に開通し、橋の上空には多摩都市モノレールが走っている。読みは「たっぴばし」。道路の上に、もう一段、空の道が重なった二階建ての橋だ。一階は車、二階は電車。眺めのいいのは二階のほうだが、家賃を払うのはどちらなのだろうと考えかけて、やめる。同じ広報によれば、同じ多摩川に架かる日野橋は1926年8月の竣工で、架け替えが進められている。
川を歩く人の目にも、この橋は印象に残るらしい。多摩川右岸を河口から40kmあたりで歩き始めた人の登山記録には、写真に添えて「奥に見える橋はモノレールと自動車が一緒になった珍しい橋です」と書かれている。橋の名は書かれていないが、たぶん立日橋のことだろう。旅行の口コミサイトには、立日橋の橋詰めに、かつてここに渡船場があったことを示す解説板がある、という書き込みも並ぶ。甲州道中の日野の渡しである。あのころ、旅人は冬には仮の橋を、夏には舟を待って、この川を越えた。いまは、座ったまま、その頭の上を越えていく。空の道の下には車の道があり、その下には、舟で川を渡った時代の記憶が埋まっている。
春の車窓は桜になる。会社の駅案内によれば、泉体育館駅のあたりはモノレール沿線でも有名な桜の名所で、体育館まわりの桜のトンネルには毎年多くの見物客が訪れる。柴崎体育館駅の近くには根川緑道が整備され、こちらも桜の名所として知られる。高い軌道から桜並木を見下ろすのは、地上を歩く花見とはまるで別の体験だ。
四季の車窓を、南から北へ、会社の駅案内に沿って拾っていく。多摩センター寄りの大塚・帝京大学駅から歩いて10分の大塚神明社には、樹齢500年と推定される大イチョウがあり、八王子市の文化財に指定されている。中央大学・明星大学駅は、西に中央大学の多摩キャンパス、東に明星大学のキャンパスがあり、駅からペデストリアンデッキでそれぞれにつながる。多摩動物公園駅は、約60ヘクタールの多摩動物公園から歩いて1分。程久保駅の近くは道路沿いに桜並木があり、駅案内は、春にはモノレールから満開の桜を楽しめる、とはっきり書いている。高幡不動駅は関東三大不動の一つ、高幡不動尊の最寄り駅で、あじさいまつりや菊まつり、紅葉まつりと、季節ごとに祭りが続く。駅案内そのものが、空から眺める季節の暦になっている。
南へさらに下れば、歴史の名所もある。会社の案内によれば、万願寺駅は新選組副長、土方歳三の生家と墓所のある石田寺の最寄り駅で、隣の甲州街道駅は宿場町として栄えた日野宿の最寄り駅だ。空の道は、幕末の男たちが歩いた土地の上も通っていく。甲州街道駅は中央高速の日野バス停との連絡駅でもあり、歩いて約7分のバス停からは、世界遺産の富士山方面へ向かうバスにも乗れる、と駅案内は書く。車窓で眺めた富士に、乗り換えれば本当に行ける。眺めるだけの山ではないのである。
北へ向かえば、景色は現代の町に変わる。会社の案内によれば、高松駅の周辺には2009年に立川市役所や地方裁判所が新しく開庁し、その後も駅の南側に商業施設や合同庁舎が相次いで建ち、景色が大きく変わった。
北の区間にも、思いがけない車窓がある。玉川上水駅の南側には、江戸時代に用水路として作られた玉川上水が東西に流れ、沿道は緑道になっている。桜街道駅は、駅のすぐ南を東西に走る桜街道が名の由来で、駅の東側には乳業メーカーの工場の広大な敷地が広がっている、と駅案内は書く。空の道から、牛乳の工場を見下ろす。富士と牛乳を同じ窓で眺められる路線は、そう多くないはずだ。
北の端にも景色がある。上北台駅は狭山丘陵に近く、会社の案内は、新東京百景に選ばれた多摩湖を見どころに挙げている。プロ野球の試合がある日には、上北台からベルーナドームへの直通バスが出て、最短12分で着くという。空の道の終点は、野球場への入口でもある。高松駅には、モノレールの車両基地へ向かう分岐点がある。風速計が置かれている高松分岐橋は、その分かれ道の橋だ。
数字で読む多摩モノレール
- 16.0 — 全長(km)。端から端まで乗っても40分に届かない。
- 0.4 — 立川北と立川南の距離(km)。所要1分、窓の外を見る暇もない最短区間。
- 0.65 — 立川市の持ち株の割合(%)。駅名に「立川」を二つ載せた町の、つつましい取り分。
- 20と25 — 運転を見合わせる風速と、止める風速(毎秒m)。空の道にも、我慢の限界は二段階ある。
- 25と22 — 冷房と暖房の設定温度(度)。家庭なら一晩もめる問題が、ここでは規則で決まっている。
- 144,139 — 2018年度の1日平均乗車人員(人)。債務超過の年度から11年後に、ここまで乗るようになった。
- 2か月半 — 車窓からダイヤモンド富士を狙える、冬至前後の期間。残りの9か月半は、ただの美しい富士である。
最後の数字には、時刻表のような細かい続きがある。作ったのは、太陽の運行表まで組む鉄道会社だ。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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