冬至のころ、ダイヤモンド富士を車窓で追う
富士山の頂に夕日がちょうど沈む瞬間を、ダイヤモンド富士と呼ぶ。会社は毎年、晩秋から冬にかけて特設のページを開き、見える場所と時刻を案内している。発表資料によれば、沿線で見られるのは多摩センター駅から立川南駅付近にかけて、冬至の前後の約2か月半だけ。2023年の案内では、11月14日から翌年1月29日までを眺望期間としていた。
面白いのは、見える場所が日ごとに移ることだ。2019年の会社のちらしを読むと、その動きがよくわかる。11月中旬は多摩センター駅のあたり、11月下旬には高幡不動、月末から12月の初めには万願寺、甲州街道と北へ進み、12月6日から12日ごろには柴崎体育館まで来る。年が明けると今度は南へ引き返し、1月の終わりに多摩センターへ戻っていく。時刻はいずれも午後4時を少し過ぎたころから、1月の終わりの4時45分ごろまで。2019年のちらしでいえば、もっとも早いのは12月初めの午後4時9分ごろで、11月半ばの多摩センター駅では4時17分ごろ、1月の終わりには4時44分から47分ごろに移っていく。夕方の会社帰りには、少し早い。休みの日の午後、あらかじめ時刻を調べてから乗るのがいい。太陽が沈む位置の季節の動きを、モノレールの駅が目盛りのように刻んでいる。
この時刻表は、誰が作っているのか。2016年から2017年にかけての会社のポスターの片隅に、小さな注があった。表示時間は3次元地図ソフト「カシミール3D」を利用した多摩モノレール調べ。鉄道会社の社員が、地図ソフトの中で富士山と太陽の位置を合わせ、駅ごとの日付と分を割り出している。運行ダイヤを組む会社が、太陽のダイヤまで組んでいるのである。同じポスターには、2011年11月29日に万願寺駅から撮った写真が使われていた。この眺めは、少なくとも十数年、会社が自慢し続けてきた景色ということになる。2017年には、富士の頂に沈む太陽を写真に撮って応募しようと、賞金つきの写真募集まで呼びかけていた。2023年には、撮った写真にハッシュタグを付けて投稿すると、抽選で5名に一日優待券2枚が当たる催しもあった。会社は、乗客に富士を撮らせたくて仕方がない。
駅のホームからも見える。2018年と2019年の会社の資料は、万願寺駅、甲州街道駅、柴崎体育館駅のホームからダイヤモンド富士を見ることができる、と書いている。立川南駅の隣、立川北駅から3分の柴崎体育館駅のホームで、冬の夕方に、太陽が富士山の頂に吸い込まれていく。立川駅のすぐ隣の駅のホームから、ダイヤモンド富士が見える。立川の人が、明日だれかに話していい一行である。ただし、ちらしにあるとおり、改札の内側に入るには入場券が要る。天候によって見えない日もあり、時刻にも多少のずれが出る。
動かない山と、動く太陽と、動く窓。その三つが一点で重なる時間は、ほんの短い。ここに四つ目の要素として、時刻表を読み違えがちな私を加えると、成功の見込みはさらに細くなる。
なぜ人は、この重なりを待つのだろう。富士山は毎日そこにある。夕日も毎日沈む。それなのに、二つが重なる数分のために、わざわざ時刻を調べて車両に乗る。ありふれたものが一度だけ特別な形をとる、その瞬間に立ち会いたいのだと思う。残りの半分の理由は、窓際に立った人それぞれが持ち帰ればいい。
地上から見たい人には、もう一つの手がある。富士見百景の多摩川緑地は、柴崎体育館で降りて根川緑道沿いに南東へ500mほど。車窓で見た富士を、今度は川の土手から見上げる。
さて、ここで一問。
旅人の寄り道クイズ
多摩モノレールの車内、暖房のときの設定温度は何度か。
- A 18度
- B 22度
- C 25度
答えは、謎の答えと一緒に。その前に、空の道の守り方を見ておきたい。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
風と地震と落とし物、空中の道の守り方
高い所を走る乗り物には、地上の鉄道とは違う心配がある。会社の安全報告書は、その心配に一つずつ答えている。
運転の基本には、開業時から車内信号式のATCが置かれ、ATOを中心とするコンピュータの仕組みで駅と駅の間を自動で走らせている。ホームには開業したときから全駅にホームドアがある。高い場所から落ちるという事態を、はじめから設計で消しておいたわけだ。もっとも、人が落ちなくても、物は落ちる。よくある質問のページによれば、ホームの下には高圧の電流が流れているため、営業時間中には拾えない。終電のあと、電気が止まったのを確かめてから拾い、翌日以降に駅の窓口で返す。落とし物は、ひと晩、空中で夜を明かす。
風の見張りは、立日橋と高松分岐橋の風速計が受け持つ。毎秒20m以上で状況によって運転を一時見合わせ、毎秒25m以上で直ちに止める。地震計は立川と東中野の変電所に置かれ、指令センターには、多摩センター、高幡不動、立川北、玉川上水、上北台などの予測震度と到達時刻を映す早期地震通報の仕組みもある。震度4なら時速25km以下で注意して走り、震度5弱以上なら安全を確かめ終えるまで止める。駅と駅の間で動けなくなったときのために、横取り装置を使って乗客を救い出す訓練を重ね、運営基地には脱出シューターの訓練設備まである。
車両については、2006年度の東京都の監査資料が、4両の固定編成で定員は410名から416名と記している。安全の取り組みを紹介する会社の頁には、1000系車両の名が出てくる。一本の桁にまたがった4両に、満員なら400人あまりが乗り、地面から離れた高さを走っていく。そう考えると、あの灰色の桁が、急に力持ちに見えてくる。
車内の温度は、冷房が25度、暖房が22度。多くの家庭でリモコンの奪い合いになる設定温度の問題に、この会社はとうに数字で決着をつけている。
空の道には、住人もいる。会社のPR担当は、タマオという名のキャラクターだ。公式の紹介によれば、誕生日は4月8日、性格は「ちょっとふてぶてしいお調子者(だけど憎めない性格)」、得意技は「おしりふりふり」、好きな食べ物はまんじゅうと緑茶。趣味は帽子集めで、よく行くところは古民家巡りと、季節の花とまんじゅうを探す街歩きだという。誕生日の4月8日は、会社の設立年月日、1986年4月8日と同じ日付である。偶然かどうかは書かれていないが、私は偶然ではないほうに賭ける。
タマオの仕事ぶりを記録した頁には、車両基地での見学ツアーや「多摩モノまつり」、アリーナ立川立飛で開かれた「立川最強マスコット選手権」への出場まで並んでいる。立川には、最強のマスコットを決める大会がある。それも第4回まで続いている。市外の人に話すと、たいてい一度は聞き返される一行だ。
会社には、ほかにも所属のキャラクターがいる。鉄道会社の制服を着たキャラクターを全国で展開する「鉄道むすめ」に、多摩モノレールからは「立川いずみ」と「万願寺さき」の2人が所属している。名字が駅の名で、一人は立川を名乗る。空の道の看板娘の片方が、立川の名を背負っている。
そして、地震対策の頁に、冒頭の謎を解く一文があった。
空の道は、なぜ道路の真上を走るのか
安全報告書は、軌道桁が支柱から落ちないよう落橋防止装置を付けている理由を、こう説明している。路線のほとんどの区間が道路上にあり、軌道桁が落下すると甚大な被害が発生するから。

写真: Araisyohei / CC BY 4.0 / Wikimedia Commons
空の道は、やはり地上の道の上にあった。それも偶然ではない。国土交通省が2025年5月9日に発表した延伸の資料を読むと、そのことがはっきりする。上北台駅から箱根ケ崎駅付近まで、複線7.0km、7駅、開業は2030年代半ば、事業費は約1,290億円。支柱、桁、駅舎は東京都が「インフラ部」として、車両や電車線、券売機は会社が「インフラ外部」として整備する。その説明の下に、小さな注がある。導入空間となる新青梅街道の拡幅は着手済み。
国の資料には、延伸に至る経緯も並んでいる。2016年4月の交通政策審議会の答申第198号が、箱根ケ崎、町田、八王子の三方面への延伸を位置づけ、2020年1月に東京都が箱根ケ崎方面の事業化に向けた予算を計上し、2024年7月23日に会社が軌道法にもとづく申請を出した。答申から特許まで、9年。空の道は、急がない。
導入空間。空の道を通すには、まず地上に、それを受け止める道がなければならない。延伸の工事は、桁を架けるより先に、街道の幅を広げるところから始まっている。多摩モノレールは、気まぐれに道路の上を選んで走っているのではない。地上の道を土台にして、その真上に、もう一本の道を重ねる乗り物なのだ。
そして、ここで謎は窓の外の景色とつながる。2018年の会社の資料の一文を、もう一度読む。主に道路上の高い軌道の上を走る多摩モノレールは、眺望の開けた場所を通る区間が多く、富士山を眺望できるスポットが多いことで知られている。道路の上は、建物にさえぎられない。広い道の真上を走るからこそ、視界が開け、遠い富士まで見通せる。空の道が道路の上を走る理由は、そのまま、この乗り物の景色がいい理由でもあった。
なぜ道路でなければならないのか。法律や費用の細かな仕組みという残り半分は、まだ私の手帳に書けていない。次に乗るときの、窓際の宿題にする。
クイズの答えはB、22度である。25度は冷房のときの温度で、暖房のほうが低い。知ってしまえば当たり前で、知らなければ引っかかる。
立川の人が「何もない」と言う町の真ん中から、富士の見える空の道が、多摩の南北に16.0km延びている。その起点は、立川だった。
新宿からは中央線、川崎からは南武線で、どちらも乗り換えなしに立川へ着く。そこから空の道に乗り換えれば、冬の夕方には富士の頂に日が沈む。今年の冬至のころ、一度、窓際の席を取りに来てほしい。
訪ねる前に
- 都心からは、JR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川からは、JR南武線が川崎駅と立川駅を結んでいて(全長35.5km)、乗り換えなしで来られる。横浜方面からは、横浜線で八王子へ出て中央線に乗り換える道もある。時刻と所要時間は JR東日本の公式で確かめてほしい。
- 立川北駅はJR立川駅の北側、立川南駅は南側の連絡駅。立川北駅の改札は「JR立川駅側」と「国営昭和記念公園側」に分かれ、地上と改札の間にエレベーターがある。
- 立川北からの所要時間の目安(会社の運賃・所要時間表): 立川南1分、柴崎体育館3分、甲州街道6分、万願寺8分、高幡不動11分、多摩動物公園15分、多摩センター23分。北へは高松3分、立飛4分、上北台13分。
- 富士山を見るなら西側の窓。南行き(多摩センター方面)は進行方向の右、北行き(上北台方面)は左が目安。冬の晴れた日がよい。
- ダイヤモンド富士は冬至前後の約2か月半、多摩センター駅から立川南駅付近で。日ごとの場所と時刻は毎年の特設ページで。万願寺駅・甲州街道駅・柴崎体育館駅のホームから見る場合は入場券が要る。
- 春は泉体育館駅まわりの桜のトンネルと、柴崎体育館駅近くの根川緑道の桜。
- 組み合わせて歩くなら、柴崎体育館駅から根川緑道と多摩川へ、立川北駅から徒歩8分ほどの国営昭和記念公園へ、駅前のファーレ立川のアートへ、北へ4分の立飛駅から立飛の街へ。
- 運賃・時刻表・運行状況・特設ページは公式で最新のものを: https://www.tama-monorail.co.jp/
降りたあとは、立川駅北口で体をほどく
モノレールの旅は、意外に体を使う。駅の階段を上り下りし、窓際に立って夕日を待ち、冬の河原で風に吹かれる。空中を滑っていた体が地面に戻ると、脚の重さや肩のこわばりが、あとからじわりと現れる。
立川北駅から地上に下り、JR立川駅の北口へ。そこから歩いて1分のところに、溶岩ホットヨガスタジオのオンザショア立川店がある。住所は立川市曙町2-14-10、エトロワビル3F。営業は朝8時から夜23時30分までで、年中無休だ。モノレールで富士を見送ったあとでも、まだ間に合う。
スタジオの床には溶岩のプレートが敷かれ、その上でホットヨガを行う。ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
初めての人には、ヨガの体験レッスンが用意されている。60分のレッスンで、税込1,980円。バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれているので、身ひとつで寄ることができる。妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
空の道を往復した一日の終わりに、地面に近い場所で、ゆっくり呼吸を数える。それもまた、立川という町の歩き方の一つだ。
- 店のトップ: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
窓の外で沈んだ太陽は、翌日もまた同じ山の、少しずれた場所に沈む。
冒頭の写真: 立日橋の上を走る多摩モノレール。車道の真上に、もう一本の空の道が延びる(写真: Tx-re / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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