立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る

立川のサイクリングは、国営昭和記念公園の約14キロの自転車専用コースと約2,000台の貸し自転車、そして多摩川沿いの「たまリバー50キロ」が軸になる。飛行場の用地に選ばれたほど平らな地形の来歴、レンタサイクルの使い方とルール、行き方まで、資料でたどる。

日本で最初の民間の定期旅客便は、立川から飛び立った。昭和4年(1929)の7月、行き先は大阪。滑走路に選ばれたのは、この街の、どこまでも平らな地面だった。いま、その平らさの上をいちばん楽しそうに走っているのは、自転車である。

立川には坂がない、と言えば言いすぎになる。坂はある。ただ、探さないと見つからない。自転車に乗る人間にとって、これほどありがたい話はない。立川市の資料は、市域の南を多摩川が流れ、その段丘の崖に緑の多い斜面があるほかは、地形はおおむね平坦だと書いている。駅前から北へ向かっても、西へ向かっても、ペダルはほとんど重くならない。

だが私は、この平らさの来歴を調べているうちに、少し妙なことに気づいた。立川の平らさに最初に目をつけたのは、自転車乗りではなかった。100年ほど前、ここを「広大で平坦な土地」として選んだ者たちがいる。彼らは何を走らせようとしたのか。そして、その平らさは、どうやっていまの私たちの自転車にまで回ってきたのか。それを確かめるために、私はまず、国営昭和記念公園の貸し自転車の案内を隅から隅まで読むことにした。案内というものは、隅のほうがいちばん面白い。

立川でサイクリングするなら、昭和記念公園の約14キロの自転車専用コース

国営昭和記念公園の公式サイトは、園内に「車や歩行者を気にせず走れる約14kmの自転車専用コース」があると書く。公園の中に、自転車のためだけの道が14キロ。東京の真ん中あたりで、信号もなく、車も来ない道を14キロ続けて走れる場所を、私はほかにすぐ思い浮かべられない。

国営昭和記念公園の立川口。広い石畳の広場の先にゲートが並ぶ
国営昭和記念公園の立川口。広い石畳の広場の先にゲートが並ぶ
写真: nekoneko / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

自転車は、園内の3か所のサイクルセンターで借りられる。立川口サイクルセンターは立川ゲートを入ってすぐ左手にあり、約900台。西立川口サイクルセンターは約600台、砂川口サイクルセンターは約500台。合わせて約2,000台だ。公式のよくある質問には、18インチから26インチまでの自転車、2人乗りのタンデム車、子ども乗せ自転車など約2,000台を用意している、とある。有料で、当日の先着順。ひとつの公園が、小さな町の駐輪場ほどの自転車を抱えている。

車種の案内を読むと、家族連れのための気配りが細かい。大人用は22、24、26インチ、こども用は18、20インチ。チャイルドシート付きの自転車は、前乗せが15キロまで、後ろ乗せが21キロまでと重さが決まっている。タンデム自転車は身長140センチ以上から。新しくクロスバイクもそろえたが、こちらにはカゴも泥よけも付いていないと、わざわざ断り書きがある。弁当を載せたい人は、ふつうの自転車を選んだほうがよさそうだ。

そして、この案内の中で私がいちばん気に入った一行がある。一輪車は、立川口サイクルセンターのみ。立川口は、サイクルセンターで唯一、14インチから24インチまでの一輪車を貸していて、隣には一輪車のコースまである。自転車を借りに来たつもりが、車輪が一つ足りない乗り物まで借りられる。一輪車を貸し出す国営公園というのが、日本にほかにどれほどあるのか、私は知らない。ただ、私が借りる勇気を出す日は、たぶん来ない。

料金は、公式の料金表では3時間で大人600円、中学生以下350円、クロスバイク800円、タンデムは1台1,500円で、超過は30分ごとに加算される(2026年10月時点の案内による)。貸し出しの受付は9時30分から閉園の1時間前まで、返却は閉園の30分前まで。借りたセンターに返す決まりで、ほかのセンターでは返せない。どこまで走っても、最後は最初の場所に戻ってくる。この公園の自転車は、帰巣本能を持っている。

3時間で足りない人のために、繁忙期を除けば1日券もある。大人800円、中学生以下400円。ただしタンデムの1日券は売っていない、と公式の注意書きは書く。二人乗りで一日じゅう走り続けるのは、脚より先に仲がもたない、と心配してくれているのかもしれない。

ちなみに、この公園でペダルをこぐ乗り物は、自転車だけではない。料金の案内には、ボートハウスで貸し出す2人乗りの「サイクルボート」も並んでいる。陸で14キロこいだ脚で、池の上でもこぐ。立川の公園は、脚を休ませる気がないらしい。

自転車の練習は、禁止

注意事項を読んでいると、思わず二度読みする一文に行き当たる。サイクリングコースでは、自転車の練習は禁止している。

自転車の公園なのに、練習してはいけない。最初は意地悪に聞こえたが、続きを読むと理屈は通っている。コースは自転車専用で、歩くことも、ペットを並んで走らせることも、補助輪付きやペダルのない二輪車、キックボードで入ることもできない。補助輪付きの自転車は貸し出してもいない。乗れる人が、それなりの速さで、一方向に流れていく道なのだ。逆走もコースの外を走ることも禁じられ、傘をさしての運転や、携帯電話を使いながらの運転もできない。変形自転車は、公園に持ち込むことさえできない。

このコースは、乗れるようになった人へのご褒美なのだ。練習は家の近所で済ませてから来てほしい、ということだろう。補助輪を外した子どもにとって、ここは最初の遠足の目的地になる。

ヘルメットの着用も求めている。貸し出し用のヘルメットは大人用も子ども用もあるが数に限りがあるので、持参してほしいと公式は頼んでいる。貸し出す自転車には、自転車向けの保険が付いた「赤色TSマーク」が付いている。

自分の自転車で来る人は、公式のよくある質問によれば、各ゲートから入れる。立川口と西立川口には自転車専用の持込口があり、園内では必ずサイクリングコースを走る決まりだ。公園の入口は、有料区域に立川口、西立川口、砂川口、昭島口、玉川上水口の5つ、無料で入れる「みどりの文化ゾーン」にあけぼの口、天皇記念館口、高松口の3つがある。目的地によって、電車、モノレール、自動車、自転車と、来かたを選んでほしいと公式は書く。入口が8つもある公園で、自転車の持込口が決まっているのは、迷わせないための親切だろう。車で来る人への案内にさえ、西立川口の駐車場の近くにはサイクリングロードがあるので、入るときに気をつけてほしいと書き添えてある。この公園では、自転車が車に道を譲られる側にいる。

コースの路面についての注意も正直だ。天候によって落ち葉や水たまりがあり、滑りやすいところがある。樹木が育って、根が持ち上がり、起伏が生じているところもある。木が育つと道が波打つ。公園の木々が、ちゃんと生きている証拠でもある。

平らな公園の、坂

もうひとつ、サイクルセンターの案内で笑ってしまった箇所がある。西立川口サイクルセンターは、西立川ゲートを入って右手に約100メートル、坂を下りた先にある。

平らな公園に、坂。公園事務所の資料は、園内はほぼ平坦な地形で、地層は立川ローム層だと書いている。それでも、西立川口のセンターへは坂を下る。立川の坂は、探さないと見つからないが、自転車を借りに行く道にはちゃんとある。帰りにはその坂を上ることになるが、借りた自転車はセンターに返したあとなので、そこは歩いて上る。

公園の季節ごとの楽しみ方を書いた公式の案内は、春は桜並木を走り、見ごろの花畑の近くの駐輪場まで行けること、夏は木陰の涼しさと新緑、秋は紅葉、冬は空気が澄んで遠くの山まで見える日もあり、サイクリングで体を温めよう、と勧めている。各施設の近くに駐輪場が整っているので、行きたいエリアで自転車を止めて歩けるのもいい、とある。公式の案内は、広い園内を効率よく回れるので、歩くのに比べて時間を有効に使える、とも書いている。歩けば足が棒になる広さも、自転車なら、花の見ごろを追いかけて端から端まで行き来できる。

ところで、この公園がなぜこんなに広く、こんなに平らなのか。その答えは、公園ができる前の、この土地の仕事にある。

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飛行場が選んだ、広くて平らな土地

立川市の散歩コースの案内は、大正10年(1921)、立川に飛行場が造られることになった理由を挙げている。首都に近いこと、広大で平坦な土地があること、鉄道が通っていること、そして気象の条件。翌大正11年(1922)には、岐阜県の各務ヶ原から陸軍の飛行第五大隊がやってきた。

飛行機は、広く平らな土地がなければ降りられない。立川の地面は、その注文に応えた。冒頭に書いた昭和4年(1929)7月の立川と大阪を結ぶ便は、立川市の飛行場の歩みをまとめた資料に、日本で最初の民間定期旅客輸送として記されている。日本で最初の旅客便が離陸した平らな地面。それが立川の地面だった。民間航空は昭和8年(1933)に羽田へ移ったので、立川が東京の空の玄関だった時代は、そう長くは続かなかった。それでも、最初の一便がどこから飛んだかは、もう変わらない。羽田で飛行機に乗るたびに、立川の人は少しだけ先輩風を吹かせてよい。

戦後、飛行場は米軍の基地になり、昭和52年(1977)に全面返還された。その跡地の一角が、いま自転車で走っている国営昭和記念公園である。公園は立川市と昭島市にまたがり、総面積は180ヘクタールに及ぶ。公園事務所の年表によれば、昭和58年(1983)10月26日に最初の70ヘクタールが開園した。滑走路のために選ばれた平らさが、半世紀あまりを経て、自転車のための平らさに変わった。飛行機のために整えた土地を、いまは子どもが補助輪なしで走っている。

では、立川の地面はどこまで平らなのか。立川市の市史編さん室の広報紙『たちかわ物語』vol.6は、立川市の地形を、多摩川に沿った低地と、一段高い武蔵野台地とに分けて説明する。市内で最も標高が高いのは北西部の西砂町で125メートル。そこから南東へ向かって、だんだんと低くなっていく。

だんだんと、というところが大事だ。立川の地面は、北西から南東へ、ほとんど気づかないほどの傾きで下っていく。自転車で北西へ向かう日、なぜか少し脚が重いと感じたら、それは気のせいではないかもしれない。気のせいにしておいたほうが、体には優しいが。

そして南の端で、台地は急に終わる。多摩川が長い年月をかけて台地を削った崖の連なりがあり、その下が川沿いの低地になる。『たちかわ物語』vol.12は、こうした崖の連なりを崖線と呼び、崖の際は水源が豊富な反面、水害に遭いやすい場所でもある、と説明している。台地の上は水に乏しく、崖の下は水に近い。立川の暮らしは、この段差をはさんで組み立てられてきた。自転車にとっては、行きは楽な下り、帰りは立川で数少ない本物の上り坂になる。立川で本当の坂に出会いたければ、南へ向かえばいい。

線路の跡の、遊歩道

飛行場は、平らな地面のほかに、もうひとつ道を残した。『たちかわ物語』vol.3によれば、大正11年(1922)の飛行場の建設とともに、貨物専用の引込線が飛行場の東西に敷かれた。戦後は米軍も使ったが、昭和52年(1977)に基地が全面返還されると線路は撤去され、昭和55年(1980)に遊歩道に生まれ変わった。同じ号は、その跡地につくられた遊歩道として「栄緑地」の名を挙げている。

飛行場へ貨物を運んだ線路の跡を、いまは人が歩く。線路は急に曲がることができない。だから線路の跡の道は、たいてい、ゆるやかな線を描いて続く。曲がり角のたびに地図を確かめる方向音痴の私には、ありがたい性格の道である。

もうひとつ、立川と自転車の縁で欠かせないのは、昭和26年(1951)に全国で59番目の競輪場として開かれた立川競輪場だろう。その話は、ここでは一行にとどめる。立川の平らさは、選手たちの勝負の舞台にも、子どもの初めての遠出の舞台にもなってきた。

さて、公園の14キロを走り終えて、まだ脚に余裕があるなら、次は南へ下りたい。台地の端の崖を越えた先に、もっと長い道が待っている。

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