首都直下地震に備えて、立川の役割はどう変わるのか。2026年に改められた国の基本計画、都が立川に建てる約465億円の「多摩地域の新たな防災拠点」、競輪場を特定避難所にした立川市地域防災計画、駅前の帰宅困難者対策、140の市民防災組織まで、内閣府・都・市の資料で「これから」をたどる。
1923年の関東大震災で、立川の倒壊率は、全壊で数えて0パーセントだった。
立川市の公式サイトの、立川断層帯の頁にそう書いてある。正確に言えば、市の職員が政府の地震調査委員会の委員だった大学教授を訪ね、その教授が、武蔵野台地は地盤として良いところで、関東大震災のときに立川の倒壊率がゼロだったことがその証しだ、と語ったという記録である。市の歴史の冊子『たちかわ物語』は、関東大震災の影響で、新聞社の航空部などが、いまの江東区の洲崎から立川の飛行場へ移ってきたと記している。大きな揺れのあとに頼られる、内陸の台地。100年前から、立川はそういう役回りを負ってきた。
その立川に、いま、国の災害対策本部の予備施設があることは、この特集の防災館の記事で書いた。官邸も内閣府も防衛省も使えないとき、政府の災害対策本部は立川に置かれる。首都の予備の頭脳である。
だが、予備は、いつまでも予備のままなのだろうか。2025年の暮れに国は首都直下地震の被害想定を改め、2026年の初夏には対策の基本計画を変えた。東京都は立川に、今の倍以上の広さの防災拠点を建てる計画をまとめた。立川市は、競輪場を避難所にすると決めた。首都を支える立川の役割は、これからどう変わるのか。資料の束を抱えて、立川の「これから」を歩いてみる。
首都直下地震の新しい想定と、立川の役割
まず、国の数字から始めたい。中央防災会議のワーキンググループは、2025年12月19日、首都直下地震の新しい被害想定と対策の報告書を公表した。想定の中心に据えたのは、被害が最も大きくなる「都心南部直下地震」、マグニチュード7.3である。

写真: ブルーノ・プラス / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
最悪の場合の死者は約1万8千人。そのうち約1万2千人は火災によるものだ。全壊と焼失は約40万棟。避難者は約480万人、帰宅困難者は約840万人にのぼる。災害関連死は、別に約1万6千人から4万1千人と見積もられた。死者と全壊・焼失棟数の約7割は火災による、と国の資料ははっきり書く。
この報告を受けて、政府は2026年6月12日、首都直下地震緊急対策推進基本計画を変えた。2015年3月にこの計画がつくられてから約10年ぶりの大きな見直しである。今後10年で、想定される死者数と全壊・焼失棟数を、それぞれ半分以下に減らす。それが新しい減災目標になった。具体的な目標の数は47から189へ、4倍に増えた。各家庭が食料を3日分以上備えている割合や、感震ブレーカーの設置率まで、物差しに入っている。
死者の7割が火災によるのなら、揺れのあとの火を出さないことが、いちばん多くの命を救う。地震の揺れを感じると電気を止める感震ブレーカーは、そのための道具だ。立川市も、2026年の地域防災計画の修正で、市民と協働で進める予防策の例として、感震ブレーカーの設置の促進と、避難所の運営計画づくりを挙げている。国の物差しと、市の手当てが、同じ方向を向いている。
では、この計画の中で、立川はどこにいるのか。
立川がこの役を負うようになった経緯を、短くおさらいしておく。1977年に米軍の立川飛行場が全面的に返され、1979年、国の審議会は、跡地を大規模な公園と広域防災基地の「二本の柱」で使うよう答申した。片方が昭和記念公園になり、もう片方が立川広域防災基地になった。くわしくは防災館の記事に書いた。
2014年3月に閣議決定された政府業務継続計画は、首都直下地震のときに政府の緊急災害対策本部を置く場所の順番を定めている。官邸が使えなければ、内閣府、防衛省、そして立川広域防災基地の災害対策本部予備施設の順である。同じ計画には、もう一つ大事な一文がある。東京の都心部以外に中央省庁の代替庁舎を設けるときは、立川広域防災基地の周辺を基本に検討する。さいたま新都心など別の地域に代替庁舎を設けるときも、立川との通信や輸送経路を確保することを考える、というのだ。国の予備の頭脳は、各省の予備の頭脳たちの集合場所でもある。
ただ、話はそこで終わらない。ワーキンググループの報告書は、この10年の進み具合をこう評している。政府の業務継続については、執行体制や執務環境、代替拠点の確保などはおおむね目標を達成した。一方で、課題として「東京圏以外でのバックアップ機能の確保」が指摘されている、と。2026年の基本計画も、東京圏で首都中枢機能を保てない最悪の事態まで想定して代替拠点を検討し、その詳細は政府業務継続計画で定める、と書いた。
立川は都心から約30キロ離れているが、東京圏の中にある。東京圏そのものが立ち行かなくなる事態を考えるなら、立川のさらに外側に、予備の予備が要る。国の議論は、いま、そこまで来ている。予備の頭脳の役目が軽くなるのかといえば、私はそうは読まない。東京圏の外へ機能を移すにしても、まず最初の数日を受け止め、外とつなぐ場所が要る。その最初の受け止め役として、立川の重みはむしろ増すのではないか。これは私の見立てである。
国の計画が「頭脳」を考えているあいだに、東京都は、立川に「手足」を建て直そうとしている。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
都の新しい防災拠点──米の倉庫の跡に建つ、約465億円の建物
東京都が2026年1月にまとめた「多摩地域の新たな防災拠点の整備に向けた基本計画」は、立川の防災の「これから」を、いちばん具体的に描いた資料だと思う。
対象は、立川広域防災基地の中にある都の二つの施設だ。一つは、平成3年に完成した立川地域防災センター。災害時には都庁の防災センターの指揮のもとで情報を集め、物資を備え、人を確保する多摩の拠点で、都庁の防災センターの代替施設にも位置づけられている。もう一つは、隣の多摩広域防災倉庫。国が平成2年に米の備蓄倉庫「立川政府倉庫」として建て、平成28年に都が取得した建物である。倉庫の来歴は防災館の記事で触れたので、ここでは、その倉庫がこれからどうなるかを書く。
都の計画は、二つの施設の機能を一つにまとめる。いまの多摩広域防災倉庫を取り壊し、その敷地に、防災センターの機能と、備蓄倉庫・広域輸送基地の機能をあわせ持つ「新たな防災拠点」を建て直すのだ。延べ床面積は約5万平方メートル。地下1階、地上4階、高さ約28メートル。概算の事業費は、解体と設計と建設を合わせて約465億円と見込まれている。
数字を並べると、変わり方の大きさが見えてくる。災害対策本部室や執務室の広さは、いまの約400平方メートルから約4,000平方メートルへ、10倍になる。収容人員は約550人を想定している。面白いのは、計画が参考として添えた一行だ。都庁舎の防災センター機能にかかる本部室や執務室の広さは、約2,000平方メートル。新しい立川の拠点は、その倍の広さを持つことになる。控えの部屋のほうが、本宅の部屋より広い。それだけ「本宅が使えない日」を本気で想定しているということだろう。
宿泊や仮眠の部屋は約3,200平方メートルで、約280人が泊まれる。物資を保管する広さは約11,200平方メートルから約16,000平方メートルへ。一日に運び出せる量は、約1,800パレットから約5,000パレットへ、3倍近くになる。国が被災地からの要請を待たずに物資を送り込む「プッシュ型支援」を受け止め、10トントラックが直接荷を下ろせる構造にするという。
古い倉庫には、米の倉庫だったころの名残がある。計画は、倉庫の中に残る貯蔵設備、つまりサイロを撤去すれば空間を有効に使えると書いている。国の米を寝かせていた建物が、壊されて、都民の命を支える建物に生まれ変わる。ここにも「あのころ/いま/これから」の三段がある。
この計画には、ちょっと覚えやすい合言葉も出てくる。「HTT」。電力を「へらす」「つくる」「ためる」の頭文字だという。断熱と自然の光で使う電気を減らし、屋根の太陽光で電気をつくり、蓄電池にためて夜の外灯にまわす。防災の拠点が、同時に脱炭素の見本にもなる。ローマ字の略語が好きな役所らしい命名だが、意味はまっとうである。
電気の備えも念入りだ。異なる二つの系統から電気を受ける「2回線受電」にし、非常用の発電は油に加えて、中圧のガス管を引いてガスでも発電できるようにする。耐震は、国の官庁施設の基準で最も高い水準を目標にする。大きな地震のあとでも、構造体を補修せずに使い続けられる建物である。
工事のあいだも、物資の拠点を空けるわけにはいかない。都は、近くの立川市富士見町に約2万5千平方メートルの土地を確保して代替施設を整え、物資を移してから古い倉庫を壊す。この代替施設には、さらに約63億円を見込む。計画の日程表では、2025年度の基本計画のあと、基本設計、実施設計と進み、代替施設へ物資を移して古い倉庫を解体してから、新しい拠点の工事に入る。竣工は2033年度、令和15年度中を予定している。
ただし、計画自身が但し書きをつけている。事業費は現時点の試算で、建設物価の動向に注意しながら設計の段階で精査する。竣工の時期も、設計の段階で改めて精査する。資材の値上がりが続く時代に、465億円という数字がこのまま保たれるかは分からない。これからの論点の一つになるだろう。
新しい拠点は、災害の日だけのための建物でもない。都の計画は、平時には多摩地域の「防災ハブ」として、近くの市町村の防災の相談にまとめて応じ、自治体や関係機関と泊まりがけの訓練や研修を開くと書く。国や運送会社と組んで、倉庫を実際に回す訓練も企画するという。ふだんから使っていない拠点は、いざというときにも動かない。その当たり前を、建物の使い方に組み込んでいる。
役目を終えるいまの立川地域防災センターにも、次の仕事が考えられている。平時は都民が防災を学び体験する施設やサテライトオフィスに、災害時は都の各局の活動スペースにする方向で、使い方を検討していくという。
数字で読む 立川と首都直下地震のこれから
- 0% — 関東大震災での立川の倒壊率(全壊)。市の頁に載る専門家の言葉である。地盤のおかげである。住民の手柄ではないが、自慢はしていい。
- 4番目 — 国の緊急災害対策本部を置く場所としての立川の順番。官邸、内閣府、防衛省の次。
- 約4,000平方メートル — 都の新しい防災拠点の本部室や執務室の広さ。都庁の同じ機能の約2倍。
- 約465億円 — 新しい防災拠点の概算事業費。ほかに代替施設に約63億円。
- 2033年度 — 竣工予定(令和15年度中)。いま小学1年生の子が、中学2年生になるころである。
- 140 — 2026年4月現在の立川市の市民防災組織の数。国や都の計画がどれほど立派でも、最初の数時間に隣の家の扉をたたくのは、この140の組織の人たちだ。
旅人の寄り道クイズ
都の基本計画は、新しい防災拠点を建てる敷地の条件を表にまとめている。「高さ制限」の欄に、第2種高度地区と並んで書かれている規制は、次のどれか。
- A 景観条例による高さの規制
- B 航空法による高さの規制
- C 文化財の保護による高さの規制
答えは、この記事の終わり近くで。
国と都の大きな計画を見てきた。だが、地震が起きたその夜、立川の人が実際に向かう場所は、もっと身近なところにある。たとえば、競輪場である。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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