立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか

国営昭和記念公園のこれからを、国土交通省と公園事務所の資料でたどる。開園42年でまだ6%が未開園という意外な事実、レインボープール跡地のPark-PFI公募に参加表明ゼロだった理由と「水と緑のエントランス」への見直し、2030年度末を目指す再整備、外国人2.3%と夜の公園という来園者の変化まで。

国営昭和記念公園は、まだ完成していない。開園から42年、年に380万人が歩く公園が、国の書類の上では工事中のままである。

立川の人に言えば、たぶん笑われる。あれだけ広い原っぱがあって、チューリップが咲いて、イチョウが黄色くなって、花火まで上がる。どこが未完成なのか、と。だが国土交通省の資料は、はっきり書いている。計画面積のうち開園しているのは94%。残りの6%を開けるのは、2030年度の予定だと。

その6%の真ん中に、かつて夏の立川を一手に引き受けたレインボープールの跡がある。国はここを民間の力で作り直そうと事業者を募った。ところが、手を挙げた者は一人もいなかった。

日本でも指折りの国営公園の、いちばん目立つ一角である。なぜ、誰も来なかったのか。そして、この公園はこれから何になろうとしているのか。公開されている行政の資料だけを手がかりに、公園の「これから」を追ってみることにした。

昭和記念公園のこれから──開園42年、まだ94%の公園

国営昭和記念公園の始まりは、昭和54年(1979年)11月30日の閣議決定にさかのぼる。昭和天皇の御在位五十年を記念する事業として、立川市と昭島市にまたがる米軍立川基地の跡地に、約200ヘクタールの国営公園を置く。閣議決定の文言は、そう定めている。

ここで、一つ目の意外な数字が出てくる。いま公園の計画面積として使われているのは約180ヘクタールで、200ではない。関東地方整備局の事業評価の資料によれば、留保地の状況を踏まえて、これまで180ヘクタールを計画面積として整備を進めてきたのだという。閣議で決めた広さと、実際に作っている広さが、最初から20ヘクタールずれている。ずれた20ヘクタールは、東京ドームに直せば4個分ほどになる。

昭和58年(1983年)10月26日、みんなの原っぱなど70ヘクタールで第一期の開園。その後、水鳥の池、こどもの森、日本庭園、盆栽苑、こもれびの里、花の丘と、公園は年輪のように少しずつ広がってきた。最後に大きく開いたのは平成26年(2014年)4月1日、みどりの文化ゾーンの第Ⅱ期区域である。この日に開園面積は169.4ヘクタールになり、それ以来、数字は動いていない。

国の令和8年度の事業概要は、計画面積を約181.3ヘクタール、供用面積を約169.4ヘクタールと書いている。開園の地図で青い枠に囲まれた「未開園エリア」が、公園の西の端、昭島市側に残る。ちょうど、プールの跡と、東京都の調節池が返された跡地のあたりである。

完成していない、ということは、まだ予算が付いているということでもある。事業評価の資料によれば、公園の総事業費は約710億円。前回の評価の650億円から60億円増えた。事業の期間も6年延びて、全面的な供用開始は令和12年度(2030年度)の予定になった。国はこの公園の損得を「費用便益比」という物差しで測っていて、その値は1.7。かかる費用1に対して、1.7の便益があるという計算だ。計算の対象期間は、昭和58年度から令和61年度、つまり2079年度までの97年間である。

2079年。いま公園で泥だらけになっている子どもが、孫を連れて原っぱに来るころまで、国は帳簿をつけるつもりでいる。公園というのは、気の長い事業だ。

令和8年度の予算の内訳にも、公園の年齢が出ている。整備費が約6.8億円なのに対し、維持管理費は約13億円。新しく作るお金の倍近くを、いまあるものを守るのに使っている。人と同じで、公園も40歳を過ぎると、伸ばすより保つほうに手間がかかる。

守り方にも、あまり知られていない仕組みがある。説明会の資料によれば、公園の管理運営は国から民間の事業者に委託されていて、令和4年度から8年度までは、一般財団法人公園財団などの共同体が受け持っている。地方自治体の公園でよく聞く指定管理者制度とは別物だと、資料はわざわざ注意書きを添えている。私たちが門で払う入園料は、その事業者の売上ではなく、国庫に納められる。原っぱの入口で払った数百円は、遠回りして国の財布に入っているのである。

基地の木が生き残った「緑の回復」

公園のテーマは、事業化のときから変わっていない。「緑の回復と人間性の向上」。飛行場の跡に、緑を取り戻す。

その回復の手つきは、思っていたより丁寧だった。2026年4月に公園事務所が民間事業者向けに開いた説明会の資料によれば、公園を作る前の基地跡地には、約1万9千本の木が生えていた。そのうち約6千本を、その場に残すか移植するかして生かした。みんなの原っぱの大ケヤキも、その一本である。イチョウやトチノキ、サクラの並木も、もとの樹形を残すように計画に組みこんだという。加えて、市民の手で約1万本を植えた雑木林をつくった。

基地の跡に一から植えた公園だと、私はなんとなく思いこんでいた。違った。基地の時代から生きていた木の、3本に1本ほどが、公園の木として生かされたことになる。飛行機の轟音のそばで育った木が、いまは花火の夜を迎えている。

では、未完成の公園を、いまどんな人たちが歩いているのか。数字は、思いがけない変化を語っている。

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年間380万人、累計1億人──数字で見る来園者の変化

あのころ、つまり開園から平成の終わりまで、昭和記念公園は年に約400万人を迎える公園だった。平成26年度から5年連続で400万人。令和2年度、コロナ禍で約179万人まで落ちこんだが、令和7年度には約380万人まで戻っている。そして令和4年(2022年)4月8日、開園からの累計入園者が1億人を超えた。

日本庭園の中の盆栽苑。色づいたカエデの盆栽が、瓦屋根の前の棚に置かれている。
日本庭園の中の盆栽苑。色づいたカエデの盆栽が、瓦屋根の前の棚に置かれている。
写真: Guilhem Vellut / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons

1億人。日本の人口に近い数が、この原っぱの門をくぐったことになる。もちろん、同じ人が何度も来ているのだが、それにしても多い。

いま、数字の中身が変わり始めている。説明会の資料を読むと、令和7年度は、4月、11月、1月の入園者が過去最高を記録した。11月は、月ごとの入園者の最高記録まで更新している。秋の夜散歩と名づけた夜間のライトアップには、30日間の開催期間中に約33万人が夜の公園に入った。夏の花火大会では、公園の中だけで約35万人が空を見上げた。

春の花と、秋の黄葉と、冬の夜。来る人は、季節ごとに大きな波になって押し寄せる。資料によれば、フラワーフェスティバルの3月から5月で約126万人、黄葉・紅葉まつりの11月で約53万人が来ている。

波が大きくなれば、岸にぶつかる。資料は、公園の悩みも隠していない。令和6年度には、繁忙期の週末と祝日に駐車場がおおむね満車になり、全部の駐車場が満車になった日が6日、西立川口の駐車場だけでも30日あった。入口にも偏りがある。有料のゲートのうち、立川口と西立川口の2つで入園者の8割以上を受け止めていて、昭島口から入る人は3%にすぎない。春と秋の週末は、イベントの受け入れもほぼ限界だという。

180ヘクタールの公園で、人が門の前で詰まっている。広い家に住んでいるのに、全員が玄関で靴を脱いでいるようなものだ。

もう一つの変化は、暑さである。資料には、気象庁のデータから作った「猛暑日」の日数のグラフがあり、2019年から2025年にかけて増える傾向にあると書かれている。真夏の昼に180ヘクタールを歩くのは、もはや冒険に近い。そこで公園は、夜に活路を探し始めた。夏には「ほしぞら散歩」という夜間開園を開き、開園時間を12時30分から21時に変えて、大ケヤキのライトアップや手持ち花火、星の観察会を催したという。

あのころの公園は、朝に開いて夕方に閉まる、昼の公園だった。いまの公園は、夜にも人を迎え始めている。そして、これからの公園には、もう一つ、決定的に足りないものがある。夏の主役である。

レインボープール跡地の公募は、なぜ参加表明ゼロだったのか

夏のシンボルだったレインボープールは、令和元年度(2019年度)の営業を最後に休止し、いま解体と撤去が進んでいる。プールの来歴と、国が民間の力を借りる「Park-PFI」で事業者を募ったいきさつは、この特集の夏の回に書いた。ここでは結末だけを繰り返す。2025年3月25日から6月16日までの公募で、参加を表明した事業者は一者もいなかった。

Park-PFIとは、公園の中にカフェや遊び場などの収益施設を民間が建てて営み、その儲けで周りの園路や広場も整えてもらう仕組みである。民間は普通なら最長10年の許可を、20年まで延ばしてもらえる。国は財布の負担が軽くなる。うまく回れば、双方が得をする。

それなのに、なぜ誰も来なかったのか。

2026年4月21日、公園事務所は民間事業者向けに現地説明会を開き、その資料と質疑応答を公開した。そこに、国自身による反省が書かれている。読んでいて、少し驚いた。役所の文書にしては、かなり率直だったからだ。

中止の主な理由として、資料は三つを挙げる。

一つ目は、世の中の値段である。原材料やエネルギーの品不足と値上がり、円安の影響で資材の価格が高騰し、国の見積もりと実際の値段に差が生じた可能性がある、という。建設業界全体の人手不足で、施工の体制を確保するのも難しかった。

二つ目は、土地の性格である。調節池の跡地については、希少な猛禽類を守るため、音や光を抑えた運営が必要だと書かれている。大きな広場で人を集めて儲けてほしい、ただし静かに、暗く。注文としては、なかなか難しい。都心から電車で来られる場所に、静けさを求める鳥がいる。それ自体が、この公園の自慢であるのだが。

三つ目が、いちばん根深い。国と民間の「想像図」が食い違っていたのだ。前回の公募で、国はエリアのコンセプトだけを示し、中身は民間の提案に任せた。自由に考えてほしい、という配慮である。ところが民間の側からすると、国がどんな機能と規模を期待しているのかが見えず、提案の方向を決めにくかった。資料の図によれば、国は「収益施設がエリアの大部分を占め、広場は補う程度」と思い描いていた。民間は「収益施設は一部で、広場が中心」と思い描いていた。

一方は「お店の多い公園」を、もう一方は「お店の少ない公園」を考えていた。これでは見積もりが合うはずがない。お見合いの席で、片方は同居を、片方は別居を前提に話していたようなものだ。

質疑応答には、お金の話も具体的に出ている。前回の公募では、広場などの整備費のうち国が約25億円を負担する予定で、負担の割合は8割以下という条件だった。しかもゲート棟や親水施設など、公園施設のほとんどを民間が整備する想定になっていた。

前回の構想には、夢もあった。事業評価の資料には、お手本として二枚の写真が載っている。新しい昭島口のゲートの例として、緑を生かしつつ周りに開けたシンガポール動物園の入口。新しい親水施設の例として、フランス、パリのアンドレ・シトロエン公園の水辺。立川の西の端に、シンガポールの門とパリの噴水を並べる。絵としては、なかなか壮大である。

参加表明ゼロという結果は、地味だが重い。夏の主役の席が空いたまま、また一つ夏が過ぎた。

だが、国は同じ失敗を繰り返さないための作り直しを始めている。その中身を見ると、公園のこれからの姿が、少しずつ輪郭を持ち始める。

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