立川のスポーツを、観る・走る・使うの三方向からたどるルポ。アリーナ立川立飛で生まれた二度のB1優勝、立川ダイスと立川アスレティックFC、滑走路から走り出す立川シティハーフマラソンと箱根駅伝予選会、市民体育館と陸上競技場、多摩川沿いの道、そして400mの日本記録まで。
「仮設型」として世に出た体育館から、日本一のチームが二度生まれた。その体育館は、立川にある。
立川はスポーツの街か、と聞かれたら、たいていの人は少し考えるだろう。プロ野球の球場はない。Jリーグのスタジアムもない。私も、立川といえば駅前の人の波で、歓声のする場所を思い浮かべたことはなかった。
ところが資料を読みはじめてすぐ、一つの日付に行き当たった。2017年10月14日、土曜日。多摩モノレールの立飛駅のそばに建ったばかりの体育館で、男子プロバスケットボールの試合が開かれた。新しい建物の、最初の興行である。その日コートに立ったチームは、そのシーズンと次のシーズン、2年続けて日本一になった。仮の建物から、本物の日本一が出たのだ。しかも、日本一になったチームはやがて立川を離れたのに、体育館の予定表はいまも埋まっている。なぜ、立川では物事がよく「始まる」のか。その答えを、体育館と滑走路と川の道をめぐって探してみることにした。
立川のスポーツ観戦はアリーナ立川立飛から──「仮設」の体育館で生まれた二度の日本一
立川でスポーツを観るなら、最初に向かう場所は決まっている。アリーナ立川立飛だ。多摩モノレールの立飛駅から歩いて1分。公式の案内は、イベントや観戦で来る人のための駐車場も乗降場所もないから、公共交通機関で来てほしいと書く。観客は全員、駅から歩いてくる。駅前のスポーツ観戦としては、これ以上ないほど潔い。
立飛グループが2017年10月6日に出した知らせによれば、所在地は立川市泉町500番4。ららぽーと立川立飛から、立飛駅をはさんだ反対側に建つ。鉄骨造の地上2階建てで、敷地は8,368.13平方メートル、延床面積は5,988.56平方メートル。収容は3,275人。男子プロバスケットボールのリーグが定めるB2ライセンスの試合開催基準を満たす仕様で、バスケットボール、バレーボール、フットサル、バドミントン、卓球に使えるとある。
施設の頁に並ぶ数字は、もう少し体育館の手ざわりを伝えてくれる。コートの広さは28.16メートルに55.33メートル。天井の高さは最大14.89メートル。床は木だ。バスケットボールなら最大2面、バレーボールなら3面、バドミントンなら9面がとれる。9面のバドミントン。18組の人が同時に羽根を打ち合っている光景を思い浮かべると、それだけで少し目が回る。
柿落としは、冒頭に書いた2017年10月14日だった。立飛グループの知らせによれば、男子プロバスケットボールのリーグの2017-18シーズン第3節、ホームゲームの初日で、相手は横浜ビー・コルセアーズ。興行を主管したのはアルバルク東京である。B.LEAGUEの公式の記録を開くと、年間優勝クラブの欄に、2017-18もアルバルク東京、2018-19もアルバルク東京とある。立川の新しい体育館で最初の笛を吹いたチームが、その季節と次の季節、続けて日本一になったのだ。
「仮設型」の話に戻ろう。アリーナの事業を伝えた日本経済新聞の記事の見出しは、「50年もつ仮設アリーナ、建設費と工期半減」だった。公開されている冒頭によれば、開発した会社は、建設費や工期を従来の半分以下に抑え、最長50年ほど使える仮設型のアリーナを売り出していた。仮設で、50年。人間の仮住まいなら、半世紀は長すぎる。だが体育館の世界では、それが賢いやり方なのだろう。早く、安く建てて、長く使う。立川らしい実利の匂いがする。
アルバルク東京は、いまは別の場所にいる。クラブの公式サイトでは、10月のホームゲームの会場はTOYOTA ARENA TOKYOと表示されている。チームの名は東京で、立川はあくまで一時の住まいだった。ただ、同じ公式サイトには、2026年10月14日の東アジアスーパーリーグの試合が、アリーナ立川立飛で開かれると載っている。柿落としからちょうど9年後の同じ日付に、かつての住人が国際試合を持って戻ってくる。偶然かどうか、私には分からない。だが、こういう巡り合わせには、つい意味を探したくなる。
では、東京の名を背負ったチームが本拠を移したあと、この体育館は何で埋まっているのか。アリーナの予定表を開くと、答えはすぐ見つかる。そこに並ぶチームの名には、「立川」の二文字が入っている。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川ダイス──商工会議所が振った賽は、B3の「最後の王者」になった
立川ダイスは、少し変わった生まれ方をしたチームだ。クラブの公式サイトのチームプロフィールによれば、2016年、立川商工会議所や立川市商店街振興組合連合会など、地域の経済団体が中心になって誕生した。はじめは3人制のチームだった。バスケットボールのチームを、商店街の人たちが作った。普通は逆で、チームができてから商店街が応援する。立川では、応援する側が先に動いた。
ダイスはサイコロのことだ。公式の説明は、サイコロが昔から運命をつかさどる道具とされてきたこと、「賽は投げられた」という言葉にちなみ、どんな強豪が相手でも不退転の決意で勝ちに行く意志を込めたことを語る。理念は「スポーツの力で、多摩を盛り上げる。」。商工会議所が名づけ親の一人だと知ってから読むと、運命を賭ける覚悟と、地元の景気をよくしたいという願いが、同じ賽の目の裏表に見えてくる。
立飛グループの知らせは、その先の歩みをこう書く。2021年に5人制のチームが発足し、2022-23シーズンからB3リーグに参入した。そして2025-26シーズン、B3リーグの年間優勝を果たした。リーグの再編で、そのシーズンがB3という名の最後の季節になったため、クラブは「B3リーグ最後の王者」と名乗っている。最後の王者。ずいぶん格好のいい肩書きだが、実際にそうなのだから仕方がない。2026年からは、新しく生まれたB.LEAGUE ONEで戦っている。
新しい季節に向けて、チームは指揮官を迎えた。同じ知らせによれば、ヘッドコーチは陸川章。2000年から2024年まで東海大学男子バスケットボール部の監督を務め、全日本大学バスケットボール選手権で7回優勝し、ユニバーシアード日本代表のヘッドコーチも務めた人だという。商店街が作った3人制のチームが、10年で、大学バスケットボールの名将を迎えるところまで来た。
ホームはアリーナ立川立飛だ。立飛グループのスポーツ事業の頁は、アリーナ立川立飛を立川アスレティックFCと立川ダイスのホームアリーナと書き、グループがどちらにもトップパートナーとして協賛していると記す。アリーナの予定表には、2026年10月17日に、B.LEAGUE ONEの立川ダイス対東京八王子ビートレインズの試合が載っていた。多摩の街どうしの対戦だ。応援する側も、たぶん中央線で帰れる。
立川観光コンベンション協会が認める立川の名産品の中には、チームのマスコット「たっちー」から始まるキーホルダーがある。協会の紹介によれば、昭和記念公園や玉川上水、地域のスポーツチーム、駅などを描いたアクリルのキーホルダーで、パズルの形をしていて、6種類以上を集めるとサイコロが組み立てられる。賽を投げる前に、まずは賽を組み立てる。気の長い話である。
数字で読む立川のスポーツ
- 3,275 — 人。アリーナ立川立飛の定員。立川の中学校の全校集会を、何校分か一度に開ける。
- 14.89 — メートル。同じアリーナの天井の高さ(最大)。ボールが当たる心配より、首が痛くなる心配のほうが先に来る。
- 9 — 面。同じアリーナに張れるバドミントンのコート。18組の羽根が同時に飛ぶ。
- 2 — 回。柿落としのチームがB1で年間優勝した回数。新築祝いとしてはできすぎている。
- 40 — メートル。立川シティハーフマラソンのスタートラインになる滑走路の幅。片側1車線の道に慣れた市民ランナーには、目のくらむ広さだ。
- 44.44 — 秒。立川第一中学校を出た選手が持つ、男子400mの日本記録。
体育館の数字はここまでにしよう。立川のスポーツには、もう一つ、府中から渡ってきた物語がある。
立川アスレティックFC──府中から来た蹄鉄と、立川の頭文字
フットサルのチームの名を、Fリーグの公式サイトで確かめる。立川アスレティックフットボールクラブ。ホームタウンは東京都立川市。チームカラーはブルー。Athleticという言葉には、サッカーとフットサルを中心に、ホームタウンの誇りとなる地域に根ざしたスポーツクラブへ育っていく、という理念が込められているという。
このクラブには前の名前がある。クラブの公式サイトはエンブレムを説明して、府中アスレティックFCの長い歴史を受け継いだ馬の蹄鉄と、立川市の頭文字である「T」をかたどったと書く。府中といえば、東京競馬場のある街だ。そこで生まれたクラブが、蹄鉄を胸に立川へ渡ってきた。馬の街の記憶を、馬のいない立川が引き受けている。
いつ、どう渡ってきたのか。立飛グループの頁によれば、クラブは2018-19シーズンからアリーナ立川立飛をホームとし、グループはトップパートナーとして支えてきた。2019年度からは女子チームの立川アスレティックFCレディースにも協賛している。日本サッカー協会の大会の頁には、2022年3月の第27回全日本フットサル選手権大会で、当時の「立川・府中」が、3度目の決勝で名古屋を破って初めて優勝したという見出しが残っている。二つの街の名を並べていた時代の、最初の日本一だった。
立川に移ってからのクラブは、公式サイトで正直に書いている。ここ立川の地で走り始めて4年がたち、この4年間、タイトルを手にすることはできなかった、と。勝った話より、勝てなかった話を先に書くクラブを、私は信用したくなる。2026-27シーズンのFリーグの日程を見ると、ホームゲームはアリーナ立川立飛と、泉市民体育館の二つで開かれている。日程表の略称は「立川立飛」と「立川泉」。ホームが二つある。どちらも立川だ。
立川をホームタウンにするチームは、ほかにもある。東京ヴェルディのクラブの頁は、ビーチサッカーのチームを2017年に設立した部門と紹介し、立川市をホームタウンにしていると書く。全日本ビーチサッカー大会で5連覇を果たし、世界クラブ選手権での最高成績は4位だという。立飛グループの頁によれば、拠点はTACHIHI BEACHである。海のない立川に砂浜があり、その砂浜を本拠にする日本一のチームがいる。立飛の記事で砂浜の話は書いたので、ここではこれだけにしておく。
ハンドボールのジークスター東京も、アリーナ立川立飛で試合を開く日がある。その公式サイトには、「立川プロスポーツ連絡会」の第9回ロードサポート事業の知らせが載っていた。2026年9月23日の祝日の朝、立川駅南口のくるりん像の前に集まり、グループに分かれて別々の道のごみを拾う。軍手もトングもごみ袋も主催者が用意する。プロのチームが、試合のない祝日の朝に、駅前のごみを拾っている。勝ち負けのない競技では、たぶん全員が勝っている。
旅人の寄り道クイズ
立川市の立川公園陸上競技場では、団体の予約がない日、個人が投てき種目を練習できる曜日が決まっている。では、月曜日に練習できる種目はどれだろう。(A)砲丸投げ(B)円盤投げ(C)やり投げ。答えは最後に明かす。
チームの話はこのくらいにして、次は自分の足の番だ。立川には、走り出すための、ほかの街にはない場所がある。滑走路である。
滑走路がスタートライン──箱根駅伝予選会と立川シティハーフマラソン
まず、秋の話を短く。関東学生陸上競技連盟の公式サイトによれば、2026年10月17日、東京箱根間往復大学駅伝競走の予選会が、陸上自衛隊立川駐屯地から立川市街地を通り、国営昭和記念公園へ至る道で開かれる。正月の箱根を目指す学生たちは、立川の滑走路から一斉に走り出す。この予選会のことは、立川の基地の歴史をたどった記事で書いた。ここでは、春のほうの話をしたい。

写真: Rikujojieitai Boueisho / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
立川シティハーフマラソンである。大会の公式サイトは、大会の特徴をこう書く。陸上自衛隊立川駐屯地の滑走路をスタートし、公道を経て国営昭和記念公園でフィニッシュする。スタートラインは幅40メートルの滑走路だ。広いスタートラインから走り出せる、と。市民ランナーが、学生ランナーと同じ滑走路に並べる。東京で、自分の足で滑走路の上を走り出せる大会は、そう多くないはずだ。
2027年の大会要項を読む。開催は2027年3月14日、日曜日。主催は立川市、立川市教育委員会、東京陸上競技協会、立川市スポーツ協会、立川商工会議所、それに読売新聞東京本社。主管は立川市陸上競技協会。後援には陸上自衛隊立川駐屯地と国営昭和記念公園、立川観光コンベンション協会などが並ぶ。滑走路を持つ側と、公園を持つ側と、街の商売をする側が、一つの大会のために名を連ねている。
種目と定員がまた面白い。ハーフマラソンは21.0975キロで7,000人。10キロのレースが1,000人。ファンランの3キロが600人。1マイルのレースが1,500人。親子ペアの部は450組900人。足し算をすると、1万1,000人がこの日の立川を走る計算になる。1マイル。メートル法の国で、わざわざマイルで走る。たぶん、走る人の多くは1マイルが何メートルかを知らないまま走り出し、走り終えてから調べる。私なら確実にそうする。
参加の条件も細かい。ハーフと10キロは、中学生を除く15歳以上。1マイルは小学3年生以上。ファンラン3キロは中学生以上。親子ペアは小学1年生から3年生と、その保護者。要項はスタートの時刻も種目ごとに分けていて、10キロが9時30分、ハーフが10時、親子ペアは午後2時ごろだ。朝の滑走路を大人が走り抜けたあと、午後の公園を子どもが親と走る。一日の時間割が、そのまま年齢の時間割になっている。
ハーフマラソンには関門がある。5キロ付近が10時37分、7.5キロ付近が10時55分、10.5キロ付近が11時16分、15キロ付近が11時47分。そして12時40分にハーフは終わる。関門の時刻を眺めていると、走らない私まで、なぜか腕時計を見てしまう。
大会の事務局は、立川市スポーツ協会に置かれている。スポンサーの欄には、立飛ホールディングスや多摩信用金庫と並んで、立川に本社を置く模型やフィギュアの会社、壽屋の名もあった。立川の会社が、立川の滑走路を走る人たちを支えている。
なぜ立川の大会は、滑走路から始まるのだろう。答えの半分は、もう見えている。滑走路があるからだ。広くて、平らで、まっすぐな土地が、街の真ん中にある。ほかの街なら、1万人を並べるだけで道を何本も止めなければならない。立川には、最初から並べる場所があった。残りの半分の答えは、走る人ではなく、毎日そこで体を動かしている市民の側にある。次のページでは、立川の市民がふだん汗を流している場所を歩いてみる。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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