立川 GREEN SPRINGSの見どころ 一等地にヤギがいて、屋上に多摩川が流れる

立川駅北口から徒歩約8分、GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)の見どころと行き方。駅前の一等地で、なぜ床の3分の1も使わずに緑と水を選んだのか。ヤギのいた国有地から、国土交通大臣賞の屋上ビオトープ、120メートルのカスケード、PLAY! MUSEUMまで、資料でたどる。

立川駅から歩いて8分の一等地で、3年のあいだ、ヤギが草を食べていた。

冗談のようだが、開発した会社の公式の記録に書いてある。立川と聞いて人が思い浮かべるのは、中央線の乗り換えの駅、大きな駅ビルとデパートくらいのものだ。その先の言葉は、なかなか出てこない。立川に住む人でさえ、自分の街を自慢するのは少し照れくさいらしい。ヤギの話を知っていれば、少なくとも一つは自慢できたのに。

その立川の駅の北口に出ると、まず空が広い。ペデストリアンデッキが駅前を覆い、その上をモノレールの軌道が横切っていく。人の流れから少し外れて北へ向かうと、駅から歩いて8分ほどの場所に、GREEN SPRINGSという街区がある。

名前だけを聞けば、新しくできた商業施設のひとつだと思うだろう。私もそう思っていた。英語の名前がついた駅前の建物を、私の頭は勝手に「買い物」の棚に放り込む。

だが、資料を読みはじめて、ひとつの数字に引っかかった。この土地は、建ててよい床の3分の1も使っていない。駅から8分の一等地である。ふつうなら高い建物を建て、床を積み上げ、貸せるだけ貸す。それをしなかった。代わりに置かれたのは、芝生と、木と、120メートルの水の流れだった。

なぜなのか。誰が、何のために、儲けの種を手放したのか。その答えを探して、私は北へ歩く。

GREEN SPRINGSの見どころは、立川の空の来歴から始まる

GREEN SPRINGSの見どころを、芝生と水と美術館の順に並べるのはたやすい。だが、それではこの街区の面白さの半分を取りこぼす。謎を解く前に、土地の来歴をたどっておきたい。この街区のかたちは、100年前の空と切り離せないからだ。

広場に展示された、新立川飛行機のR-53型軽飛行機(2022年10月)
広場に展示された、新立川飛行機のR-53型軽飛行機(2022年10月)
写真: Hunini / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

立川市がまとめた「立川飛行場のあゆみ」によれば、立川に飛行場を造ることが決まったのは大正10年、1921年の秋である。首都に近いこと、人家のない広く平らな土地があること、鉄道が通っていること、気象条件に恵まれていること。それが選ばれた理由だった。翌1922年の3月に工事が始まり、11月には陸軍飛行第五大隊が立川へ移ってきた。

飛行場は民間にも使われた。1929年の7月には、立川と大阪のあいだで日本で最初の民間定期旅客輸送が始まっている。この国の定期旅客便は、立川の滑走路から飛び立った。昭和4年のことだ。あのころ、この辺りの空にはプロペラの音が満ちていた。いま同じ空の下で聞こえるのは、屋上を流れる水の音である。羽田で搭乗口を探して走る人のうち、その元祖が立川だったことを思い出す人は、まずいない。その民間航空も1933年には羽田へ移り、立川の飛行場は軍事の色を強めていく。

1945年9月、米軍が進駐した。1955年には基地の拡張に反対する砂川闘争が始まる。立川基地が日本へ全面的に返還されたのは1977年の11月だった。跡地は、国営昭和記念公園になり、広域防災基地になり、市街地になった。

昭和記念公園は1983年の10月に初めて開園し、計画面積は180ヘクタールに及ぶ。テーマは「緑の回復と人間性の向上」。回復という言葉は、一度失われたものにしか使えない。

GREEN SPRINGSは、その昭和記念公園と多摩都市モノレールの線路のあいだに建っている。施工した大林組の発表はそう説明する。飛行場の跡の公園と、駅前の都市とのあいだ。だが、この街区ができる前、ここに何があったのか。答えは、少し意外なものだった。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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一等地に、ヤギがいた

公式サイトの連載「GREEN SPRINGS STORY」によれば、この土地はJR立川駅の北側にある国有地で、「みどり地区」と呼ばれていた。2015年1月27日、立飛ホールディングスが入札で落札を決める。それ以前の入札は不調に終わっていたという。

国有地だったころ、この土地で行われていたのは年2回の除草だけだった。連載の中で、立飛ホールディングスの村山正道社長がそう振り返っている。駅から8分の土地が、年に2回、草を刈られるだけで眠っていた。

落札から着工までの3年間、立飛はここにヤギを入れた。年2回の除草だけでは面白くない、地域の人に喜んでほしい、という考えからだったと連載にある。駅に近いこともあって、ヤギは喜ばれた。

その人気ぶりを伝える逸話も残っている。設計を担った山下設計の古澤健児氏が、立川の建築指導事務所へ協議に出向き、ここで開発を考えていると話したとき、担当者は寂しそうな顔で、ヤギはいなくなってしまうのかと尋ねたという。行政との協議の席で、最初に心配されたのがヤギの身の上だった。古澤氏は、ヤギのおかげで認知度がとても高まったと語っている。

都市開発の資料で、ヤギがこれほど大事にされている例を、私はほかに知らない。立川の再開発で最初に地元の心をつかんだのは、建築家でも社長でもなく、ヤギだった。

この土地にはいくつもの条件がついていた。住宅を建ててはならない。約1万平方メートルの文化系の施設を設けなければならない。そして、落札から3年後には着工しなければならない。連載が伝える条件である。ヤギの時間は、最初から3年と決まっていたのだ。

ヤギは去った。では、その跡に、なぜ高い建物が建たなかったのか。

なぜ、建物を詰め込まなかったのか

駅のデッキからモノレールの立川北駅の方へ進み、モノレールの下の通路を抜けて、サンサンロードに降りる。そのまままっすぐ歩くと、左手に低い建物の群れが現れる。最初に気づくのは、その背の低さだ。

理由のひとつは空にある。近くに陸上自衛隊立川飛行場と在日米軍の横田飛行場があり、航空法による高さの制限がかかっている。飛行場は今も、この土地の背丈を決めている。伸びたくても伸びられない。背の低さを気にしてきた人間としては、少しだけ親近感がわく。

だが、高さの制限だけでは、床の少なさは説明できない。国土交通省の懇談会に、開発を担った立飛ストラテジーラボが出した2025年の資料がある。そこには、この土地の許容容積率は500パーセントなのに、実際は150パーセント程度にとどめたと書かれている。物を詰め込めるだけ詰め込んだ私の部屋の本棚に、聞かせてやりたい数字だ。

同じ資料は率直だ。民間の視点では、容積を使い切らないことは許されない。直接の収益を生まない緑や水景は、できれば避けたい。そう書いたうえで、この街区は緑と水をふんだんに置いた、と続ける。

土地の持ち主の来歴も、資料に記されている。立飛ホールディングスは1924年に飛行機メーカーとして創業し、戦後は不動産事業を展開してきた。立川市の面積の4パーセントにあたる土地を持つ。連載で村山社長は、これを立川市の25分の1の土地という社会資本だと表現している。持っている土地が市の25分の1ともなれば、ひとつの建物の採算より、街全体の値打ちを考えたほうが割に合う。資料も、物件単体の採算ではなく、エリアの価値を上げる開発をすると書いている。

工事は2018年の2月に始まり、2020年の2月に終わった。日本建築家協会の優秀建築選の記録にそうある。敷地は約3万8,900平方メートル、およそ4ヘクタール。設計は山下設計と大林組の共同企業体である。街区は2020年に開業した。

数字で読む GREEN SPRINGS

  • 500→150 — 建ててよい容積率と、実際の容積率(パーセント)。残りの350は、空と芝生に譲った。
  • 年2回 — 国有地だったころの除草の回数。その後、草刈りはヤギに引き継がれた。
  • 25分の1 — 立飛が持つ土地の、立川市に対する割合。市内を25歩あるけば、計算の上では1歩ぶんが立飛の土地である。
  • 約1ヘクタール — 2階の人工地盤の上の広場。芝生の下は駐車場である。
  • 120メートル — カスケードの長さ。滑走路を写したにしては短いが、上水を写したにしては長い。
  • 350種類以上 — 街区の植物。私が名前を言える植物は、その1割にも届かない。

数字はわかった。だが、これだけの街区を、誰が、どれほどの時間でつくったのか。そこにも、少し驚く数字がある。

3年で着工、1000人でつくった街

入札の条件のひとつは、落札から3年後に着工することだった。公式サイトの連載は、ふつうなら着工まで10年から15年かかる手続きを、3年で進めなければならなかったと伝えている。連載に登場する清水卓氏がこの計画に加わったのは、2016年の2月である。

開発全体のプロジェクトマネジメントを担った久保憲一氏によれば、2015年の時点では、何をつくるかさえ決まっていなかった。2017年までは、何をどうするかの話し合いが中心だった。着工は2018年の初め。工事にかかわった人まで含めれば、1000人以上がこの街区にかかわったという。

最初は数人だった、と立飛ストラテジーラボの横山友之氏は振り返る。組織づくりは、立飛ストラテジーラボという会社を立ち上げることから始まった。横山氏はこの開発を、立飛グループの100年弱の歴史の中でも最大級の投資案件と位置づけている。直営のホテル、ホール、バー、レストランまで手がけるため、内装も家具も運営の費用も、メニューの開発までも、自分たちで決めなければならなかった。

連載の第6話には、レストランの試食会の話まで出てくる。ハンバーガーにいちばんこだわっていたのは誰か、という冗談めいたやりとりだ。飛行機をつくり、土地を守ってきた会社の人々が、ハンバーガーの焼き加減に真剣になる。その場面を思い浮かべると、少し可笑しく、少し頼もしい。

連載の取材は2019年7月、開業の前の年に行われた。村山社長はそのころ、この街区が人に知られるまでには4、5年かかるだろうと見ていた。2020年の開業から数えれば、ちょうど今が答え合わせの時期にあたる。駅前の開発で「4、5年」と言える会社は、そう多くない。100年を生きてきた会社にとって、5年は短い。

では、3年で決め、1000人でつくった、その350の空き地を、設計者たちはどう使ったのか。

縁側と、斜めに交わる二本の道

街区の中に入ると、建物はぐるりと広場を囲んでいる。公式サイトは、建物のコンセプトを「まちの縁側」と呼ぶ。軒が深く張り出し、その下に半分だけ外の空間ができる。ガラス張りの建物の中にいても、外の気配が届くように造られている。

縁側ですることは、昔から決まっている。何もしないことだ。ここで人は、店に入るでもなく、帰るでもなく、ただ座っている。

屋根の形にも意味がある。連載で清水卓氏は、屋根の勾配に、多摩地域の西側に見える山のリズムを写したと語っている。建物には多摩産の木材がかなりの量使われた。ランドスケープを手がけた平賀達也氏は、街区に植える木を1本1本選んでいったと振り返る。駅前の屋根の稜線が、遠い奥多摩の山並みをなぞっている。気づく人はほとんどいないだろう。気づかれなくても、山はそこにある。

広場には二本の街路が斜めに走り、中央で交わっている。公式サイトはこれを、立川の歴史と未来が交差する場所の表現だと説明する。平賀氏によれば、この軸は飛行場の進入表面、つまり飛行機が離着陸する角度から着想したものだ。足元の道の角度が、かつて空から降りてきた飛行機の角度を写している。

そして、地面は地面ではない。法令上、駐車場を設ける必要があったため、1階を駐車場にし、その上に人工の地盤をつくった。大林組の発表によれば、この2階の人工地盤に、緑と水に囲まれた約1ヘクタールの広場が生まれた。

つまり、私たちが芝生を踏み、木陰で休んでいるこの場所は、建物の屋上なのだ。もっと言えば、駐車場の屋根である。土の柔らかさに「やはり大地はいい」としみじみしかけた足の裏は、まんまと一杯食わされている。そう感じさせるように造ったのだから、責めるべきは設計者の腕である。

旅人の寄り道クイズ

開発が始まる前、この土地の草を食べ、地域の人を喜ばせていたのは誰か。

  • A ヤギ
  • B ヒツジ
  • C 草刈りの職人だけ

答えは、この記事の終わり近くで。

屋上の広場には、もうひとつ、屋上らしからぬものがある。川だ。

屋上を流れる、多摩川と玉川上水

広場の一角から、水の音が聞こえてくる。カスケードと呼ばれる、段々になった水の流れである。

段々に水が流れ落ちるカスケード。段を上りきった先に、空が開けている
段々に水が流れ落ちるカスケード。段を上りきった先に、空が開けている
写真: 突撃二号 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

大林組の発表によれば、カスケードは長さ120メートルに及び、玉川上水のせせらぎや川面のきらめきを再生したものだという。一方、公式サイトは、このカスケードがかつてこの地にあった飛行場の滑走路をモチーフにしており、街路と多機能ホールの屋上をつないでいると説明する。滑走路の形に、上水の流れを写す。ひとつの造形に、ふたつの記憶が重ねてある。

段を上がっていくと、視界が開ける。公式サイトには、昭和記念公園を一望できるスカイデッキがあるとある。国土交通省の資料は、この場所を、都市の経済のエリアと昭和記念公園の自然のエリアの中間と表現している。駅の喧噪から公園の緑へ、建物の屋上が滑らかな坂になって人を導く。

広場の中央には、ビオトープがある。大林組の発表によれば、多摩川の湾処の環境を再現し、絶滅のおそれのある水生植物を保全している。湾処とは、川の本流の脇にできる、流れのゆるやかな水域のことだ。川の水辺の環境を、駐車場の屋根の上に移したことになる。この取り組みで、GREEN SPRINGSは第21回屋上・壁面緑化技術コンクールの屋上緑化部門で国土交通大臣賞を受けた。

公式サイトの植物のページには、ビオトープの住人の名が並ぶ。カキツバタは水辺に欠かせない青紫の花として咲く。アサザはハート形の葉と黄色い花をもつ水草で、その花は日中にしか見られない。夜型の人間には会ってくれない。朝に弱い私には、耳が痛い。ビオトープの周りには、ヤマアジサイ、ミソハギ、コムラサキシキブがあり、湿地を好むチョウジソウもある。

植物の名前を覚えたら、次は暦と時計である。この街区は、いつ来るかで別の場所になる。夜には、昼に眠っていた作品が光りはじめる。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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