季節と時刻で歩く GREEN SPRINGS
街区の植物は350種類以上。冬から早春にはクリスマスローズ、ロウバイ、スイセン。3月から4月にはミツマタ。春から初夏にはヤマブキ、ヤマアジサイ、アヤメ。夏にはアガパンサス、キキョウ、エキナセア。秋から初冬にはアスターやツワブキが咲き、11月から翌1月にはマンリョウが赤い実をつける。どの月に来ても、何かが咲いている。多摩の野の草花の暦が、駅前の屋上で回り続けている。
暦を見ると、歩き方の見当がつく。5月から7月はヤマアジサイ、6月から7月はホンアジサイ、5月にはアヤメ。梅雨どきは、水辺の花が重なる季節だ。夏はキキョウとエキナセアが10月まで粘り、秋にはアスターが11月まで、ツワブキが12月まで咲く。冬を寂しい季節だと思っている人は、ロウバイとスイセンとクリスマスローズの名前を、この表の中に見つけて驚くだろう。12月から2月、駅前の屋上で、ロウバイが黄色く咲いている。
時刻の話もある。アサザの花は日中にしか開かない。水草に会いたいなら、昼の光の中に来ることだ。
夜には別の作品が目を覚ます。WERCの「TANE」は日が沈むと点灯し、その日の気象条件によって光り方を変える。三本の脚で持ち上げられた中村哲也の「上昇輝竜」は、夜にはライトアップで浮かび上がる。そして広場は閉じない。2025年の国土交通省の資料によれば、GREEN SPRINGSは24時間開放されている。店の灯りが落ちたあとも、カスケードの水音は止まない。昼の賑わいを知っている人ほど、その静けさに驚くはずだ。
見上げれば、SORANO HOTELの屋上にはインフィニティプールがある。公式サイトによれば、季節を問わず使える屋外のプールで、宿泊者とスパの会員だけが入れる。散歩の旅人には縁がない。下から見上げて、あの水の向こうに昭和記念公園の緑が広がっているのだろうと想像するくらいが、ちょうどいい。屋上の川と、屋上のプール。この街区は、とにかく屋上に水を張りたがる。飛行場だったころ、この土地に求められたのは、広く平らであることだけだった。いまは、その平らさの上に水を張ることに熱心である。
季節と時刻の話はここまでだ。だが、この街区にはもうひとつ、条件として課された「文化」がある。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
美術館と遊び場と、100年の彫刻
落札の条件だった約1万平方メートルの文化系施設。その答えのひとつが、多摩地区で最大規模の約2,500席をもつ多機能ホール、TACHIKAWA STAGE GARDENである。公式サイトによれば、スタンディングでは3,000人を超える人が入り、ホールの中と屋外がつながったり、野外劇場が現れたりする。屋上を含む外周部を歩くこともできる。

写真: Kakidai / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
街区の一棟には、PLAY! MUSEUMとPLAY! PARKが入っている。2階が美術館、3階が屋内のキッズパークで、施設は自らを、美術館と遊び場を融合した、ありそうでなかった複合文化施設と紹介する。2026年の秋は、絵本作家きくちちきの展覧会が12月13日までの会期で開かれている。PLAY! PARKの合言葉は「未知との出会い」。名物の「大きなお皿」では、風船や新聞紙、建築資材を使って大型の遊具がつくられる。読み終えた新聞にとって、これ以上ない再就職先だろう。
街区には9つのパブリックアートもある。中村哲也の「上昇輝竜」は、鳥の曲線と工業製品の格好良さを合わせた抽象形態である。夜に目を覚ますWERCの「TANE」のことは、すでに書いた。TACHIKAWA STAGE GARDENの入り口の横には、赤川政由の「3本のプラタナスの木としあわせな三楽士」がある。再開発で伐られる予定だった3本のプラタナスを残そうとした人々の活動を背景にした作品で、プラタナスの妖精がオーボエ、クラリネット、ファゴットを奏でている。公募で選ばれた作品もある。Keita Mori Sculpture Projectの「GATE」は、美術家の盛圭太の「糸のドローイング」を金属で立体にした門で、立川の養蚕と飛行機の歴史を、人と文化の未来に結ぶ象徴とされている。荒木美由の「呼吸する石」は穴のあいた石で、種が落ち、苔がむし、時間とともに表情を変えていくことが意図されている。星槎国際高等学校立川学習センターのアートゼミによる「幸せのクローバー」は、透明な四つ葉に参加者が絵を描き、花壇に植えていく。立川の市民と高校生が一緒につくる作品だ。
ヤギの次は、木の妖精である。この土地では、人間以外の住人がいつも厚遇される。
エマニュエル・ムホーの「mirai」は、2020年から2119年までの100年を目に見えるかたちにした彫刻だ。5層に分かれ、1年ごとに違う色で塗られている。モノレールの車窓からも眺めてほしいと説明にある。最後の層の色を確かめられるのは、おそらく、まだ生まれていない誰かである。2119年の立川の子どもが、この彫刻を見上げて、自分の生まれ年の色を探すのかもしれない。
国土交通省に出された資料は、24時間の開放を、ここは商業施設ではなく地域の人々の空間だ、という考えからだと説明している。
商業施設ではない、と開発した側が言い切る。では、この街区は何のためにあるのか。手がかりは、看板の横文字の中にある。
ウェルビーイングと、多摩という48番目の県
GREEN SPRINGSの看板の言葉は「空と大地と人がつながる、ウェルビーイングタウン」である。ウェルビーイングという言葉は、近ごろあちこちで見かける。正直に言えば、私はこの手の横文字に身構えるほうだ。
だが、連載の中で平賀達也氏が語る説明は、少し違った。ウェルビーイングのウェルは「We will」、つまり個人ではなく私たちの意志なのだという。英語の綴りの上では強引な読み方だが、言いたいことは伝わる。平賀氏はまた、予防医学の研究者である石川善樹氏の話として、21世紀の三大苦は退屈、孤独、不安だと紹介している。芝生と縁側と水の音は、その三つに対する、ひとつの返事なのかもしれない。連載によれば、開業の前年の2019年6月25日には、ウェルビーイング・フォーラムのvol.0が開かれている。
街区ができたあと、周りで何が起きたか。国土交通省の資料によれば、開業で地域を盛り上げようという機運が高まり、2021年にエリアマネジメントの団体が発足した。資料は、地域の人が誇れる場所ができたこと、周辺の施設の売上や地価にも良い影響があったこと、近くの住宅が「GREEN SPRINGSから徒歩何分」と売り出されるようになったことを挙げている。不動産の広告に、駅でもなく、公園でもなく、広場の名前が使われる。それは、街区が街の目印になったということだ。
もうひとつ、連載で久保憲一氏が紹介している数字がある。多摩信用金庫の資料によれば、多摩を48番目の県と見立てると、その経済の規模は全国で10番目ほど、埼玉県と同じくらいになるという。東京の中の「多摩」は、それだけでひとつの県に匹敵する。平賀氏は、立川は都心と奥多摩を結ぶ流通の結節点だったと語る。屋根の勾配に西の山並みを写し、多摩産の木材を使ったのは、その結節点に立つ街区としての名乗りでもあった。
48番目の県の、その真ん中の駅前。そう言い換えると、立川という街の見え方が、また少し変わる。
さて、冒頭の謎に戻ろう。
謎の答えは、空と水にあった
なぜ、駅から8分の一等地で、床の3分の1も使わなかったのか。
資料をたどって見えてきた答えは、ひとつではない。空には航空法の高さの制限があった。国からは文化施設の条件が課されていた。土地の持ち主は市の25分の1を持つ会社で、一棟の採算より街の値打ちを選んだ。そしてヤギが、この土地が駅前の「空き地」として人に愛されうることを、先に証明していた。
だが、それだけだろうか。私には、もうひとつの答えが見える。この土地は100年前、空へ向かって開かれていた。飛行機は、広く平らで何もない土地を必要とした。GREEN SPRINGSは、建物で空をふさぐ代わりに、その広さを人のために残した。滑走路は水の流れになり、離着陸の角度は散歩道になった。飛行機の会社が、飛行機の土地に、空の広さを返したのだ。そう読むのは、旅人の思い込みかもしれない。答えの残り半分は、カスケードの段の上で、それぞれが確かめればいい。
冒頭で、立川は自慢しにくい街だと書いた。資料を読み終えたいま、その言葉を引っ込めたい。この国で最初の民間の定期旅客便が飛び立った土地のすぐそばに、屋上緑化で国土交通大臣賞を受けた庭がある。多摩地区でいちばん大きなホールがあり、絶滅のおそれのある水草が駐車場の屋根の上で守られ、広場は夜も閉じない。経済の規模で数えれば全国10番目ほどになる多摩の、その結節点の駅前にある。そして開発の物語の最初に、ヤギがいる。これだけの話を一か所に抱えた駅前を、私はほかに知らない。自慢するのに照れる必要は、どこにもない。
ひと巡りして芝生を歩き、カスケードの段を上り下りすると、体は思いのほか使っている。水辺を渡る風は、駅前より少し冷たい。気づけば肩の力が抜け、呼吸が深くなっている。
新宿から中央線で乗り換えなし、駅から歩いて8分。それで、屋上を流れる川と、夜も閉じない広場に着く。ヤギを惜しんだ役所の担当者から、四つ葉の作品を植える高校生まで、この街区はずっと地元の人に見守られてきた。週末の夕方、その芝生に座りに来てほしい。
寄り道クイズの答え
答えはA、ヤギである。公式サイトの連載によれば、国有地だったころは年2回の除草だけだった土地に、落札から着工までのあいだ、立飛ホールディングスがヤギを入れた。駅に近いこともあって喜ばれ、行政の担当者にまで、いなくなるのかと惜しまれた。
訪ねる前に
- 都心からは、JR中央線で新宿から乗り換えなしで立川駅へ。神奈川からは、JR南武線が川崎駅と立川駅を結んでいて(全長35.5km)、乗り換えなしで来られる。横浜方面からは、横浜線で八王子へ出て中央線に乗り換える道もある。時刻と所要時間は JR東日本の公式で確かめてほしい。
- 所在地: 東京都立川市緑町3番1
- 行き方: JR立川駅北口のペデストリアンデッキに出て、モノレール立川北駅の方へ進み、伊勢丹を右手に見ながらモノレール下の通路を進む。サンサンロードに降りてまっすぐ進むと左手。JR立川駅から徒歩約8分、多摩都市モノレール立川北駅から徒歩約4分(公式サイトの案内による)
- 所要時間: 公式には滞在時間の目安は示されていない。広場は24時間開放と、2025年の国土交通省の資料にある。PLAY! MUSEUMやホールの催しは、それぞれの公式サイトで時間を確かめて組み合わせたい
- 見どころ: 中央広場のビオトープ、120メートルのカスケード、昭和記念公園を一望できるスカイデッキ、9点のパブリックアート。アサザの花は日中にしか開かない
- 組み合わせて回るなら: 国営昭和記念公園のあけぼの口は、JR立川駅北口から約10分、立川北駅の公園口から約8分(公園の公式案内)。同じ緑町の南極・北極科学館は、立川駅北口から徒歩およそ25分、モノレール高松駅から徒歩10分(科学館の公式案内)。立川駅北口の周りには、ファーレ立川の109点の作品がある(JR立川駅北口から徒歩3分、ファーレ立川アートの公式案内)。特集の「昭和記念公園」「ファーレ立川」「南極北極科学館」「立飛」の回とあわせて読むと、飛行場の跡の一日がつながる
- GREEN SPRINGS 公式サイト: https://greensprings.jp/ (開放時間、イベント、駐車場の料金は公式サイトで最新を確かめてほしい)
- アクセスの案内: https://greensprings.jp/access/
- 季節の植物: https://greensprings.jp/plant/
- 開発の物語(ヤギの話もここに): https://greensprings.jp/story/
- PLAY! MUSEUM/PLAY! PARK: https://play2020.jp/ (開館時間、入館料、展覧会の会期は公式サイトで確かめてほしい)
- TACHIKAWA STAGE GARDEN: https://www.t-sg.jp/
- 国営昭和記念公園: https://www.showakinen-koen.jp/ (開園時間、入園料、休園日は公式サイトで確かめてほしい)
歩いたあとは、立川駅北口で
GREEN SPRINGSから駅へ戻る道すがら、ほどけた体をもう少しほどいておきたいと思うことがある。そういうときの寄り道として、立川駅北口から歩いて1分の場所に、オンザショア立川店がある。東京都立川市曙町2-14-10、エトロワビルの3階だ。
ここは溶岩ホットヨガのスタジオである。溶岩のプレートを敷いたスタジオで、温かさの中でヨガをする。ほかに常温のヨガ、ピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもある。ヨガだけで25種類以上のレッスンがあるので、その日の体の具合に合わせて選べる。
営業時間は8時から23時30分まで、年中無休で、どの曜日も同じ時間に開いている。朝、アサザが咲く時間に合わせて歩き、その足で汗をかく。あるいは、夜の水の音を聞いたあとで、遅い時間のレッスンに入る。どちらの過ごし方もできる。
初めての人には、税込1,980円のヨガの体験レッスンがある。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれている。手ぶらに近いかたちで立ち寄れる。
ただし、妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できない。その代わり、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
- オンザショア: https://ontheshore.jp/
- 料金: https://ontheshore.jp/price/
- 体験の予約: https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp
ヤギのいなくなった土地で、今は水が、草を刈る代わりに鳴っている。
冒頭の写真: GREEN SPRINGSの広場。敷石の広場を、木々と軒の深い低い建物が囲む(写真: 突撃二号 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
立川さんぽ特集のほかの記事
- 立川の空襲と戦争の記憶 北口の広場は建物疎開の跡だった。山中坂の壕と13回の空襲
- 立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物
- 立川 基地の町の文化を歩く ユーミンが歌ったゲートと、コーラの瓶を返せという通達
- 立川基地と砂川闘争の歴史を歩く──広がらなかった滑走路と、返された土地の使いみち
- 立川の銭湯と湯の文化 6円が600円になるまで、市内に残る3軒の湯けむり
- 立川防災館と立川広域防災基地を歩く──首都の予備の頭脳は、なぜ立川にあるのか
- 立川の橋めぐり 「無名橋」から二階建ての立日橋まで、橋の名前が覚えている街の来歴
- 立川シネマシティの極上爆音上映──映画館が消えた街に、東京初のシネコンが立つまで
- 立川の文化施設をめぐる──「国立」音大は立川にあり、美術館は信用金庫の1階にある
- 立川をサイクリング──昭和記念公園の14キロと多摩川へ、飛行場が選んだ平らな街を走る
- 立川の踊りと市民の祭り 立川音頭は4つある、そして「立川はフラフラだ」
- 立川ゆかりの人びと 小澤征爾は立川の小学校に通い、彗星の発見者は立川で生まれた
- 立川ゆかりの有名人 ノッポさんは立川の高校を出て、「ダバダ〜」の作曲家は立川基地で弾いた
- 立川 ファーレ立川アートの見どころと回り方──世界の巨匠が、駅前で車を止めている
- 立川の農業と直売所を歩く 23区の畑の半分を超える町で、一番広く育つのは木だった
- 立川で始まった「日本初」 世界初の量産電気自動車、全国初の女性議長、サザエさん裁判
- 立川の民話と伝説を歩く 残堀川は大蛇の血の跡と伝わり、送り狼には「ごくろうさま」を
- 立川・普済寺と諏訪神社を歩く 国宝の石と千二百年の社、立川という名が生まれた村
- 立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街
- 立川の新しい文化と公演のこれから──バレエの国際予選も「学園都市」の祭りも駅から歩ける
- 立川の緑と環境のこれから CO2を6割減らす街の足湯と、消えては現れる緑
- 立川と外国人観光の今と未来──東京を訪ねた旅人の2.3%だけが知る街へ、羽田からバス1本
- 立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠
- 多摩モノレール延伸はいつ? 箱根ケ崎まで7駅、町田へ16km──立川が多摩の背骨の真ん中になる日
- 立川と首都直下地震のこれから──465億円の新しい防災拠点と、競輪場が避難所になる日
- 立川・昭和記念公園のこれから レインボープール跡地に、なぜ誰も手を挙げなかったのか
- 立川駅周辺の再開発とこれから 「ベッドタウンにしない」と決めた駅前の、デッキとグリーン車の未来
- 立川・立飛とGREEN SPRINGSの次の十年 市の25分の1を持つ会社と予測を超えた街
- 立川観光と散歩の総合案内──国宝も南極の氷も砂浜もある、空の都の歩き方
- 立川の地形と坂を歩く 平らな街は、なぜ北から南へ50メートルあまり傾いているのか
- 立川の歴史を歩く(出典つき年表) 畑と桑の村は、なぜ百年で多摩の中心になったのか
- 立川飛行場と神風号 午前2時にロンドンへ発ち、羽田へ帰った国産機と空の都
- 立川は神奈川県だった 明治26年の三多摩東京移管と、賛成の砂川・反対の立川村長
- 立川競輪場(立川けいりん)を歩く──グランプリ発祥のバンクが、街の図書館と学校を建てた
- 立川の子どもの昭和史 駄菓子屋「デモ屋」と、基地のクリスマスに配られた3.5トンの飴
- 立川の航空神社と、羽田より先の「東京飛行場」──空に祈った社はなぜ駐車場の片隅に
- 立川・昭和記念公園のこもれびの里と日本庭園──飛行場の跡に、狛江の名主の家が建っている
- 立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで
- 立川のライブハウスと音楽の街 元キャバレーの舞台と、「TM」が多摩だったころ
- 立川まんがぱーくの見どころと行き方──市役所だった建物で靴を脱ぎ、畳の上の4万冊にもぐる
- 立川の花火大会と祭り 昭和記念公園の五千発は、なぜ打ち上げ場所が秘密なのか
- 昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由
- 福生散歩 横田基地はなぜ横田にないのか、国道16号のアメリカンな街の親は立川飛行場
- 福生の酒蔵散歩 石川酒造と田村酒造場、多摩川のそばで川の水を使わない二つの蔵
- 八王子城跡散歩 立川の武士が仕えた、1日で落ちた山城と日本でただ一つの「桑の都」
- 八王子・高尾山散歩 立川から乗り換えなしで行く「世界一」の山と、首を賭けて守られた森
- 日野散歩 土方歳三と新選組のふるさとへ、立川の岸に「日野の渡し」の碑が立つわけ
- 国分寺散歩 お鷹の道と真姿の池、武蔵国分寺跡を立川から歩く 「はけ」は立川から始まっていた
- 国立散歩 「国立」の立は立川の立──大学通り、一橋大学、谷保天満宮を立川から歩く
- 御岳山散歩 武蔵御嶽神社と御岳渓谷、山の神社は参拝の道順を立川から書き起こす
- 青梅散歩 昭和レトロの街並みと映画看板、青梅線は青梅の人が立川へ引いた線路だった
- 立川・根川緑道から多摩川へ散歩 市名の「川」はどの川か、市も知らない
- 立川・猫返し神社(阿豆佐味天神社)と水天宮──名付け親は宮司ではなくジャズピアニストだった
- 立川の夜景と朝の富士山──冬至の夕日は富士の方角へ沈む、デッキとモノレールの空の時刻表
- 立川の夜を歩く──北口と南口の飲み屋街・横丁の歴史、闇市の広場と10館の映画館
- 立川のラーメンとうどん──ラーメンスクエアと武蔵野の小麦、婚礼のご馳走はうどんだった
- 立川は23区に負けているのか 公園は区部の3倍、富士山は新宿より23キロ近い
- 立川の古い村と史跡を歩く──石碑と井戸ばかり残るのは、村が引っ越し好きだったから
- 立川・オニ公園(錦第二公園)へ子連れで──鬼門を守る赤鬼は方角を45度まちがえたのか
- 立川の公園めぐり 一人あたり都平均の2倍、二百六十の公園と「やり投げの月曜日」
- 立川の町名・地名の由来を歩く 曙町と羽衣町は、なぜ名前を取り替えたのか
- 立川で南極に触れる 入場無料の南極・北極科学館と、飛行場の跡に生まれた研究所街
- 立川 雨の日の過ごし方と時間つぶし──雨が一番多いのは梅雨でなく9月、駅の二階から歩く
- 立川市歴史民俗資料館の見どころ──国宝は複製、蚕は本物。立川の歴史を預かる小さな館
- 立川の桜・花見の名所を歩く 駅前の「玉桜」から根川の土手、基地の引込線まで、百年の花の地図
- 立川の学校と学び舎の街──制服の無い百年校、夜の教室、鐘の鳴る音大、南極を学ぶ大学院
- 立川のロケ地と作品の舞台を歩く──神様も防衛隊員も、なぜ立川へ「休みに」来るのか
- 立川の養蚕と桑畑の歴史 砂川は桑苗の生産で全国一だった、空の都の下に眠る蚕の村
- 立川はなぜ「なんでもある」のか──商業の街の百年、魚屋のスーパーから都内初のIKEAまで
- 立川・昭和記念公園の見どころを歩く イチョウ並木が四角いのは、空のせいだった
- 立川の姉妹都市サンバーナディノと世界──東京で最初の姉妹市と、国際司法裁判所長になった交換高校生
- 立川のお土産と名物──59品の「立川のたいこばん」と、酒蔵のない街にある東京の地酒の本部
- 立川のスポーツ観戦と走る場所──仮設のアリーナから日本一が二度、滑走路から1万人が走る街
- 立川駅の歴史をたどる 村はずれの停車場は、なぜ多摩でいちばんの駅になったのか
- 立川の夏の過ごし方と水遊び レインボープールが眠る公園で、森は30分ごとに霧になる
- 立川・サンサンロードを歩く──車の入れない幅40メートルの道に、冬は60万の灯り
- 立川・立飛の歴史と見どころ 飛ばなくなった会社は、なぜ「飛」の字を手放さないのか
- 立川の歴史と立川氏 街の名を名乗った武士は去り、700年前の古文書だけが帰ってきた
- 立川・多摩モノレールの景色と車窓 立川の隣の駅で、富士に日が沈む
- 立川と多摩川の水害と橋の歴史 汽車は人より37年早く川を渡った、渡し船と堤防の物語
- 立川の玉川上水と砂川を歩く 散歩の見どころと歴史、江戸の水道はなぜ川の下へ潜ったか
- 立川の名物・名産品、東京うど 地下3メートルで白く育つ野菜は、夏を高原で過ごす
- 立川の鉄道さんぽ 200メートル遠回りする「短絡線」と、横田へ燃料を運ぶ列車
- 立川の水道と井戸 蛇口の水はどこから来るのか、街の下に眠る水源井戸をたどる
- 立川はなぜ「東京初」が多いのか IKEAも伊勢丹の支店もシネコンも、西の街から始まった
- 立川の野鳥と生きもの タヌキは下水管で眠り、ホタルは公園に住み、タカの居場所は書かれない
- 立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎
- 立川の週末さんぽ 横田基地から青梅線で14分、基地の「親」だった街を案内する
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
2




