立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎

立川市羽衣町の矢川緑地は、東京都が昭和52年に指定した7番目の保全地域で、立川の「東京の名湧水57選」。立川段丘の崖「はけ」から湧く水の仕組み、1日5,758立方メートルの湧水量、ミクリやホトケドジョウの湿地、5000年前の環状集落、狛蛇の弁財天、国立のママ下湧水まで、矢川の見どころと行き方を掘り下げるルポ。

東京の湧き水は、少しずつ消えている。ところが東京都の調査を立川市の欄までたどると、20年のあいだ、数字がひとつも動いていない。

立川といえば駅前のデッキとモノレールと大きな商業施設で、水が湧くような街だとは思われていない。私も、少し前まではそう思っていた。立川で水と言われても、たいていの人は多摩川のほうを指さすだろう。

ところが東京都の資料をめくると、立川の名前は意外なところに出てくる。都が「東京の名湧水」として選んだ57か所の22番目に、立川市羽衣町の矢川緑地がある。しかも都の別の頁は、そこから流れ出す小川について、冬場にも涸れることがない、とわざわざ書き添えている。

立川駅から南武線に乗って二つ目、住宅地のまんなかで、一年じゅう涸れない川が生まれている。その水はどこから来るのか。なぜ冬にも止まらないのか。そして、地元で「はけ」と呼ばれる崖は、この水と何の関係があるのか。答えを探して、私は南へ向かうことにした。

立川の矢川緑地とは 住宅地に残った2.1ヘクタールの湿地

まず、場所の話をしておきたい。

矢川緑地を流れる矢川。石積みの護岸のわきを、底の透ける浅い水が流れる
矢川緑地を流れる矢川。石積みの護岸のわきを、底の透ける浅い水が流れる
写真: 珈琲牛乳 / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons

立川市の紹介によれば、矢川緑地は羽衣町の南端にあり、国立市と隣り合っている。広さは約2.1ヘクタール。東京都の記録では、もう少し細かく21,071.70平方メートルとある。小数点以下まで測ってある緑地は、なんだか信用できる。

緑地の真ん中を、矢川という小さな川が流れている。市は、矢川を、立川段丘を水源として立川市の東南部から国立市の西南部を流れ下り、青柳段丘の崖の先で谷保用水に合流する、長さ約1.3キロメートルの川だと説明する。1.3キロ。歩けば20分もかからない。東京で暮らしていると、川というのは山の奥から何十キロもかけてやって来るものだと思いがちだが、この川は、生まれてから用水に吸い込まれるまでの一生を、ほとんど二つの町の境目で終えてしまう。

東京都環境局の雑木林のみちの案内は、矢川を、立川段丘の崖の下から湧きだす湧水を集めて流れる幅2メートルほどの小さな流れ、と書いている。幅2メートル。助走をつければ跳び越えられそうな川である。もちろん、跳ばないほうがいい。後で述べるとおり、この川の中には、跳び越えた靴底で踏みつけてはいけないものが、たくさん暮らしている。

緑地の中には、上流の南側に湿地が広がり、下流の北側に樹林がある、と市は書く。湿地では木道の上を歩きながら、湿地に生える草を間近に見ることができる。樹林はシラカシ、ケヤキ、コナラなどからなる。都の記録によれば、川の北側は保全事業で植えた木々、南側が湿地という配置になっている。

木道に立つと、足もとのすぐ横までヨシやスゲが迫り、その向こうに家々の屋根と二階の窓が見える。湿地と住宅のあいだに、境目らしい境目はない。二階のベランダから、ヨシ原を見下ろせる暮らしが、この街にはある。少しうらやましい。

立川市緑化推進協議会は平成15年2月、市内の緑の名所を「立川市緑の十二景」として選んだ。矢川緑地はその5番目で、テーマは「原風景」。見どころとして、豊かな湧水に恵まれた貴重な植物の宝庫、野鳥も多く自然を満喫できる、と書かれている。協議会は、選んだ十二景が、市指定有形文化財の「立川村十二景」に続く現代の緑の文化遺産になれば幸いだ、とも書いている。緑の名所を、未来の文化財として選んでおく。気の長い、良い仕事だ。

それにしても、この湿地の水は、いったいどこから来ているのか。地図を見ても、上流に山はない。あるのは、段差だけだ。

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はけ 段丘の崖という、立川の地形の正体

立川の地形を一言で言えば、階段である。

東京都環境局は、立川崖線と国分寺崖線を、古代の多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた河岸段丘の連なり、と説明している。川が台地を削り、少し南へ移ってはまた削る。そのたびに一段ずつ低い平らな面ができ、面と面のあいだに崖が残る。その崖の連なりを、学術的には崖線(がいせん)と呼ぶ。

土地の人は、この崖を別の名前で呼んできた。立川観光コンベンション協会は、矢川緑地をめぐるまち歩きのコースを、多摩川流域の、立川から国分寺にかけての地理的な特徴である「はけ」をめぐるコース、と紹介している。国立市側の湧水について、東京都は「ママとはこの辺りで『崖』のこと」と書く。同じ崖に、はけ、まま、と呼び名がいくつもある。この土地の人が、毎日、崖を上り下りして暮らしてきた証しだろう。隣の小金井市には、いまも「はけの道」や「はけの森美術館」という名前が残っている。

その崖の中に、立川の名を冠したものがある。立川崖線だ。東京都によれば、立川崖線はJR青梅線の青梅駅付近から調布市と狛江市の市境あたりまで続く、延長約40キロメートルの段丘崖である。下流ではほとんど高さがないが、上流部の立川付近では15メートルほどの高さになる。40キロの崖のうち、いちばん背が高いのが立川のあたりだ。

もう一つ、市民に教えたい事実がある。世田谷の成城学園や二子玉川の近くを通る国分寺崖線は、東京都の説明によれば、立川市砂川九番から始まる。南東へ延びて野川に沿い、二子玉川駅付近で多摩川に近づき、大田区の田園調布付近まで、延長約30キロメートル続く。上流の立川ではほとんど高さがないが、下流の成城学園から先では20メートルを超える。成城学園の街を縁取る20メートルの崖の、最初の一歩は立川にある。

崖線は東京じゅうにある。都と区市町村が平成22年に定めた「緑確保の総合的な方針」によれば、都内には大小約40か所、延長約230キロメートルの崖線があり、その45パーセントが緑に覆われている。都はこの崖線の緑を自治体の境を越えて守る取り組みを始めるにあたって、立川崖線を主体とする多摩川由来の崖線をモデルに選んだ。東京の崖を守る仕組みの、手本の一つが立川の崖だったのである。

崖そのものも、少しずつ守られている。立川崖線緑地保全地域は平成6年11月に指定され、国立、立川、昭島、福生、羽村、青梅の6市にまたがる。面積は28,014.39平方メートル。都によれば、宅地化や農地化が進み、いま崖線の面積に対して立川崖線には約23パーセントの樹林しか残っていない。崖の4分の3以上は、すでに家や畑になっている。崖の上に住み、崖の下に住む。私たちは、ほとんど崖に住んでいるのだ。

地層の世界でも、立川の名前は使われている。東京都が湧水の湧き方を説明するために描いた断面図には、台地の表面を覆う赤土の層として「立川ローム層」という名前が書き込まれている。自分の住む街の名前が、土の名前になっている。立川の人はもう少し足もとを誇っていい。靴の裏の赤土を払うときくらい、少し丁寧になってもいい。

では、この崖と赤土が、どうやって水を生むのか。仕組みは、意外なほど単純だった。

湧水の仕組みと、1日5,758立方メートルという数字

東京都環境局は、湧水を、地下水が台地の崖下や丘陵の谷間などから自然に湧き出しているもの、と定義している。湧き方には大きく二つのタイプがあり、台地の崖の前面から湧き出すものを「崖線タイプ」と呼ぶ。矢川の水は、このタイプだ。

都の湧出模式図を見ると、話はこうなる。台地の上に降った雨は、表面の赤土、つまりローム層にしみこむ。その下には礫、つまり小石まじりの層があり、水はそこを地下水となって流れる。台地の端が崖で断ち切られているところでは、地下水の通り道が崖の途中に顔を出す。そこから水がにじみ出る。崖は、地下水の切り口なのだ。都の図は、崖線タイプの湧水を養う土地、つまり雨を集める範囲を、0.1から1平方キロメートル程度と書いている。思ったより狭い。崖の上の住宅地の、せいぜい数ブロック分に降った雨が、時間をかけて崖の下に出てくる計算になる。

では、矢川ではどれほどの水が出ているのか。立川市は毎年、崖線の湧水を調べて、その結果を「たちかわし環境ブック」に載せている。2025年版の資料編には、令和6年度の測定値が並ぶ。7月10日の朝9時2分、矢川緑地の入口の湧水は、1日あたり5,758立方メートルと記録されている。矢川緑地の北側では1,192、弁財天の横では620、近くの一般の宅地の中にも1,245という湧水がある。

5,758立方メートルを秒に直すと、1秒あたり約67リットルになる。2リットルのペットボトルなら、1秒に33本あまり。それが一日じゅう、休まずに出ている。台所の蛇口を全開にしてもとうてい追いつかない量が、住宅地の片隅で黙って湧いている。

同じ表のほかの地点と比べると、矢川の豊かさがよく分かる。富士見町の富士見緑地は1日4立方メートル、農林水産振興財団の敷地は28。富士見町の高架下の弁天湧水は495。立川の湧水の中で、矢川の湧き方は桁が違う。

水温も記録されている。7月の矢川緑地入口は20度前後。1月15日に同じ場所を測ると15.2度だった。真冬の小川が15度を超えている。夏の盛りには周りの空気よりずっと冷たく、冬には外の空気よりずっと温かいはずの水だ。私はこの数字を見て、自分の家の冬の水道水のほうがよほど冷たいと思い、少し負けた気がした。

ただし、量のほうは冬に減る。同じ入口の湧水は、1月の測定では1日673立方メートルだった。7月の8分の1ほどである。涸れはしないが、ぐっと細くなる。そして冬の調査では、ほかの多くの地点が「欠測」、つまり測れなかったと記録されている。

涸れる崖と、涸れない崖

ところで、立川の湧水がみな涸れないわけではない。

環境ブックには、市民団体の報告も載っている。富士見町の富士見緑地で立川崖線の自然を守ってきた団体は、2年間続けた湧水量の観察をまとめている。春から秋はおおむね毎秒50ccから200cc。大雨が降ると毎秒1,000ccを超え、令和6年9月には毎秒5,000ccを記録した。大雨のあとは1週間ほどで普段に戻る。そして冬は、枯れることが多い。団体は、流域が狭いわりに雨水の地下浸透と流れが速いのだろうか、と書いている。

同じ立川崖線の湧水でも、富士見町の湧水は冬に枯れ、羽衣町の矢川は冬にも涸れない。都の雑木林のみちの案内は、矢川を「冬場にも涸れることがありません」と書く。何が二つを分けているのか。

答えのすべてを私は持っていない。ただ、手がかりはある。立川市の散歩コースの解説は、矢川に合流する立川段丘崖線の湧き水がほかにも数か所あると書いている。環境ブックの表でも、矢川には入口、北側、池の北側、弁財天の横、宅地の中と、少なくとも五つの湧き口が記録されている。一つの泉に頼る川ではなく、崖のあちこちからにじみ出る水を束ねて流れる川なのだ。一本の蛇口が止まっても、ほかの蛇口が開いている。冬に強い理由の半分は、たぶんそこにある。

もう半分は、崖の上の土地にあるのかもしれない。湧水を養うのは崖の上に降る雨で、その雨が地面にしみこめるかどうかは、上の土地がどれだけ舗装されているかで変わる。その答えは、この記事の終わりで、都の調査の数字からたどってみたい。

数字で読む矢川

  • 1.3 — キロメートル。矢川の長さ。生まれて、用水に合流するまで、歩いて20分足らずの一生。
  • 7 — 番。東京都の保全地域で、矢川緑地が持つ番号。昭和52年の指定。
  • 21,071.70 — 平方メートル。都が記録する矢川緑地の広さ。小数点以下まで測ってある。
  • 5,758 — 立方メートル。令和6年7月10日、矢川緑地の入口で測った1日の湧水量。2リットルのペットボトルで毎秒33本あまり。
  • 15.2 — 度。同じ場所の、1月の水温。真冬の小川としては、かなり温かい。
  • 22 — 番。「東京の名湧水57選」での矢川緑地の番号。立川市から選ばれたのは、ここだけである。

東京で7番目の保全地域 昭和52年、矢川は守られることになった

東京都には、自然を守るための「保全地域」という制度がある。根拠は「東京における自然の保護と回復に関する条例」。名前が長いのは、守りたいものが多いからだと思うことにする。

都の一覧によれば、保全地域には自然環境、森林環境、里山、歴史環境、緑地の5種類があり、令和8年3月末の時点で53番まで番号がついている。1番は昭和49年12月に指定された野火止用水の歴史環境保全地域。2番から6番は昭和50年12月26日に、町田の七国山、武蔵村山の海道、日野の東豊田、青梅の勝沼城跡、国立の谷保の城山が一度に指定された。そして7番が、昭和52年3月31日に指定された矢川緑地保全地域である。

都内で7番目。番号の若さで言えば、矢川は東京の保全地域の草分けの一つだ。住宅地のあいだを流れる、幅2メートルの湧き水の川を守る。昭和52年の東京は、ずいぶん目の利いた判断をしたものだと思う。その後、昭和58年と昭和60年に区域が変更され、いまの21,071.70平方メートルになった。

立川は、この制度とよく縁のある街でもある。都の一覧を数えると、立川市内にかかる保全地域は、野火止用水、矢川、玉川上水、立川崖線の四つある。

都は、指定したときの植生を記録している。それを読むと、湿地の顔ぶれがよく分かる。矢川の右岸、つまり南側のまとまった湿地と、左岸の二つの湧水地のまわりには、ヨシ、ガマ、オギ、チゴザサ、アゼスゲ、ヌマトラノオ、オモダカ、ミゾソバなどが生える。左岸側にはオランダガラシやセキショウ、池の縁にはキショウブ。川の流れの中には、水の深さや速さの違いに応じて、ミクリ、オランダガラシ、セキショウモ、ミゾソバ、ミゾホオズキ、カワヂシャが入り組んで育っている。

オランダガラシは、いわゆるクレソンのことだ。湧き水の小川にクレソンが茂る。どこか高原の避暑地のような話が、南武線の駅から歩いて行ける場所にある。ただし、保全地域の植物は採ってはいけない。サラダにしたい気持ちは、駅前で買うクレソンにぶつけるべきだろう。

記録には、水位が下がって乾いたところに、ギシギシなどの道ばたの雑草が入りこみ始めている、とも書かれている。湿地は、放っておけば湿地のままでいてくれるわけではない。水が減れば乾き、乾けば別の草がやって来る。だから人が手を入れる。都によれば、矢川では「矢川ふれあいボランティア」が保全活動を行っていて、活動の内容は草刈りや湿地の管理などだ。市は、都が環境公社に委ねて、保全地域で初心者でも参加しやすい自然体験のプログラムを開き、新しいボランティアを探していることも案内している。

指定のときの記録には、いまの矢川緑地からは想像しにくい植生も書き留められている。「耕作放棄水田雑草群落」。耕作をやめた田んぼに、ハルジオン、ゲンゲ、キツネノボタン、ナズナ、スズメノテッポウが茂っていた、というのだ。ゲンゲは、れんげ草のことである。春の田んぼを薄紫に染めた、あの花だ。もう一つの「路傍雑草群落」の説明には、人の出入りがあまり激しくない市街地の空き地で、木は庭木が数種あるだけ、とある。

あのころ、昭和52年の矢川のほとりには、耕作をやめた田んぼと、庭木の残る空き地があった。いま、川の北側には保全事業で植えられた樹林が育ち、南側の湿地には木道が通っている。れんげの田んぼは、立川の側からは消えた。だが田んぼそのものは、川を1キロあまり下った国立の矢川おんだしに、いまも残っている。

湿地は、自然と人の共同作品である。木道を歩きながら、刈り揃えられた草の縁を見るとき、私はそこに誰かの午前中を見る。草を刈り、湿地の手入れを続ける人たちがいなければ、ここはとうにギシギシの原に戻っていたはずだ。

では、その手入れされた湿地には、誰が暮らしているのか。住人の名簿をめくると、絶滅危惧種の名前が混じっている。

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