立川・矢川緑地と「はけ」を歩く──真冬も15度の小川と、20年減らない湧き水の謎

湿地の住人たち ミクリ、ホトケドジョウ、そしてカワセミ

湿地の主役は、人ではない。

矢川緑地の小川に浮かぶ水鳥。岸の草木が水面に影を落としている
矢川緑地の小川に浮かぶ水鳥。岸の草木が水面に影を落としている
写真: 珈琲牛乳 / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons

都の名湧水の頁は、矢川緑地を、立川市民のみならず広く都民の憩いの場であり、ホトケドジョウなど貴重な生物の生息地だと紹介している。ホトケドジョウは、きれいな冷たい水を好む小さなドジョウだ。立川市は毎年、矢川で水質調査を年2回、魚類調査を年1回行っている。環境ブック2025年版によれば、水質は良好で、きれいな水に生息するホトケドジョウ(絶滅危惧種)が確認された。矢川には水質の基準がないので、市は流れ込む先の多摩川の基準と比べている。基準を超えたことはない。

ホトケ、という名前の魚が、立川の住宅地の小川で絶滅の危機をしのいでいる。拝みたくなるのは、こちらのほうである。

都の雑木林のみちの案内は、矢川の流れの中にミクリやヤナギモなどの植物が育ち、シマアメンボなどの生きものが見られ、カルガモやコサギなどの野鳥が集まってくる、と書く。立川観光コンベンション協会は、ミクリを「とても珍しい」と紹介している。都のリーフレットの写真を見ると、ミクリは流れの中に細長い葉をなびかせる水草だ。都の記録では、ミクリは流れの深さや速さの違いに応じて、ほかの水草と入り組んで育っている。速いところ、緩いところ、深いところ、浅いところ。幅2メートルの川の中にも、住み分けがある。

湿地を作っているのは植物だけではない。都の案内は、崖の下の湧き水を集めて流れる小川とそのまわりには、いろいろな生きものが見られる、と書いたうえで、「石の裏側には、小さな水草を食べて生活しているカゲロウやトビケラの幼虫がきっと見つかるでしょう」と、子どもに呼びかけるような調子で続ける。水の中にはそれを食べる魚、魚をねらうコサギやカワセミ。崖の上の雑木林、崖の下の湿地、川の中の流れ。それぞれに暮らしがあり、それが食べる、食べられるの関係でつながっている。都の案内は、崖線を「生態系の見本園」と呼んでいる。

春から初夏にかけては、湿地の緑がいちばん濃い。秋には草の穂が揺れ、冬には木々が葉を落として、湿地と川の形がよく見えるようになる。湧水の温度が一年を通してあまり変わらないので、冬の朝、冷え込んだ空気の中で、川面だけが周りより少し柔らかい表情をしているように見えることがある。湿地の見頃を一つに決めるのは難しい。行くたびに、違う住人が表に出ている。

旅人の寄り道クイズ

東京都が平成15年1月に発表した「東京の名湧水57選」。立川市から選ばれた湧水は、いくつあるだろう。(A)1か所(B)3か所(C)5か所。答えは最後に明かす。

湿地の住人の話は、このくらいにしよう。この崖の水を最初にありがたがったのは、カワセミでもホトケドジョウでもなかった。ずっと昔の、人間である。

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5000年前のムラ 崖の上の向郷遺跡

矢川緑地の北側、一段高いところに、向郷遺跡がある。

立川市はこの遺跡を、市内で最も著名な遺跡だと書いている。下に矢川緑地を見下ろす立川崖線の縁に立地し、存在は戦前から知られていた。昭和20年に最初の発掘調査が行われ、それから100回以上も調べられてきた。100回。同じ場所をそれだけ掘り返しても、まだ何か出てくる。立川の地面は、話の長い年寄りのようなものだ。

遺跡の中心は旧石器時代と縄文時代で、いちばん知られているのは縄文時代中期の集落である。市の説明によれば、縄文時代中期前半の勝坂式期、およそ5400年前から5000年前には、崖線から少し離れた、いまの羽衣町3丁目交差点の付近にムラがあった。昭和41年、その交差点の付近で行われた水道工事で、勝坂式の土器が数点見つかり、状態のよい2点が昭和45年に立川市の重宝、いまでいう市の指定有形文化財になった。

水道工事で、5000年前の土器が出る。水を引くために掘ったら、水のそばに住んでいた人たちの器が出てきたわけだ。偶然にしては、話ができすぎている。

中期後半の加曽利E式期、およそ5000年前から4500年前になると、集落は崖線の縁へ移る。市営錦町住宅の地点の発掘調査では、集落の中心に広場があり、その周りを墓域、ピット群、竪穴住居跡群が同心円状にぐるりと取り囲む様子が分かった。環状集落と呼ばれる形だ。墓域には290を超える墓穴があり、その一部からは、逆さまになった縄文土器が見つかった。亡くなった人の頭に土器をかぶせて葬った「甕被葬(かめかぶりそう)」と考えられている。墓からはコハク製や滑石製の垂れ飾りも出ている。平成25年、こうした土器や装飾品が「向郷遺跡環状墓群出土の遺物」として、一括で市の指定有形文化財になった。

なぜ、ムラは崖の縁へ移ったのか。市の散歩コースの解説は、「近くに旧石器・縄文時代の痕跡を残す向郷遺跡の人たちも、この豊富な湧き水を利用していたことでしょう」と控えめに書いている。崖の上は乾いて平らで、家を建てやすい。崖の下には、一年じゅう涸れない水がある。上に住み、下で水を汲む。5000年前の人たちが選んだ暮らし方は、崖の上の住宅地から湿地を見下ろす、いまの羽衣町の暮らしと、それほど違わない。

東京都は、湧水の役割を説明するなかで、野川上流部などの湧水の周辺から縄文時代の遺跡が多数見つかっていることを挙げ、湧水は古代から生活用水の源の一つとして人々の暮らしと深く関わってきたと考えられる、と書く。矢川は、その一つの見本だ。市営住宅の北側には、向郷遺跡の掲示板が立っている。

崖の上で、5000年前のムラのことを考えたあと、私は崖を下りて、もう一度水のほうへ向かった。崖の下で、白い蛇が待っている。

矢川弁財天と狛蛇 崖の下で、水を守るもの

矢川の水源のそばに、矢川弁財天がある。

立川観光コンベンション協会の紹介によれば、矢川のほとりに残っていた古い祠の弁財天を、土地の所有とともに受け継いだことから、大正時代の終わりごろに境内をつくり、新しくお社を建てて矢川辨財天として祀った。そして、代々個人で守り継いでいる。大正の終わりから数えて、百年近く。一つの家が、町の水の神様の世話を続けてきたことになる。古い祠は、昔近くにあった「みのわ城」に祀られていた守り神だという言い伝えもある。協会は別のまち歩きコースで、この城を「幻の箕輪城」と呼んでいる。幻、と付くと、とたんに城が立派に見えてくるから不思議だ。

境内には、弁財天の使いである白蛇が、橋の欄干の上や、狛蛇として鎮座している。協会のまち歩きの紹介は、これを「狛犬ならぬ狛蛇にご挨拶」と書く。狛犬の代わりに、蛇が二匹、こちらを見ている。ご挨拶のときに、つい声が小さくなる。竜神の池もあり、鯉が泳いでいる。

水のそばに弁財天を祀るのは、日本の各地に見られることだ。東京都は、湧水が昔から社寺と関わってきた例として、深大寺や国分寺、不動の滝を挙げている。矢川の弁財天も、その系譜の小さな一つなのだろう。ただし、ここは個人が代々守ってきた境内である。協会の案内には参拝できる時間が書かれていて、4月から10月は朝8時から夕方6時まで、11月から3月は夕方5時まで。訪ねるなら、その時間の中で、静かに手を合わせたい。

この弁財天は、ときどき画面にも出てくる。協会のロケ地の記録によれば、2013年1月4日、テレビ朝日の情報番組「東京サイト」が、巳年最初の放送にちなんで、立川の名所として矢川弁財天を取り上げた。巳年の正月に、白蛇の弁財天。番組の担当者の、ほとんど駄洒落に近い真剣さに、私は好感を持つ。2023年には、フジテレビのドラマ「忍者に結婚は難しい」の第8話に、弁財天のまわりと「みのわ通り」が登場した。協会は、撮影について、全力で走らせてもらった、と書いている。幻の箕輪城の名を残す通りを、忍者が全力で走る。言い伝えのほうが、少し喜んでいそうだ。

弁財天の横の湧水は、環境ブックの表で1日620立方メートル。祈りの場のすぐ横で、いまも水は湧き続けている。

そこから、川は国立へ向かう。1.3キロの旅の後半を、たどってみよう。

1.3キロの旅の終わり 国立のママ下湧水と矢川おんだし

矢川は、立川市の東南部から国立市の西南部へ流れ込む。市の境を越えた先にも、崖と湧水が続いている。

国立市のママ下湧水。石積みの下に、小石の底が透けて見える澄んだ水がたまる
国立市のママ下湧水。石積みの下に、小石の底が透けて見える澄んだ水がたまる
写真: Aimaimyi / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

都の雑木林のみちには「矢川・青柳コース」という全長5.9キロメートルの道がある。南武線の矢川駅を起点に、矢川緑地保全地域から矢川沿いを南へ下り、ママ下湧水、矢川おんだし、谷保の城山歴史環境保全地域、城山公園を経て、谷保駅で終わる。都のリーフレットは、新宿からJR中央線で30分の立川駅で乗り換え、南武線で10分の矢川駅で降りる、と道順を書いている。愛称は「せせらぎのみち」。

ママ下湧水は、国立市矢川3丁目にある。先に書いたとおり、ママとはこの辺りで崖のこと。都は、ここを青柳崖線を代表する湧水で、都内でも有数の湧出量があり、市民に親しまれ、市外からも一年中訪れる人がいる、と紹介している。東京の名湧水57選では39番。近くの谷保天満宮の「常盤の清水」も40番に選ばれている。名湧水の番号が、22番の矢川緑地から39番、40番へと、川の流れに沿って飛び石のように並ぶ。

矢川の流れが段丘の崖を下って、府中用水に合流する地点は「矢川おんだし」と呼ばれる。崖の雑木林とともに、水田とナシ園が昔からの景色を伝えている、と都は書く。

この矢川おんだしが、ごく最近、新しく守られることになった。都の一覧によれば、令和7年3月27日、国立市の「矢川おんだし里山保全地域」が指定された。面積は13,972平方メートル。番号は51番である。昭和52年に7番として守られた矢川の上流から、半世紀近くたって、51番の下流へ。一本の小さな川が、上と下で、東京の保全地域の古株と新顔を両方抱えていることになる。

指定に先立つ都の資料は、この区域を、武蔵野台地の青柳段丘のほぼ南端にあり、樹林地や耕作地、湧水由来の河川などからなる里山だと説明している。区域の中央を矢川が南北に流れ、崖線の直下の湧水路とともに府中用水に合流する。調査で確認された生きものは、昆虫類だけで14目132科335種。鳥類は34種、魚類は8種、植物は94科282種にのぼる。注目すべき種として、ホトケドジョウ、ゲンジボタル、カワセミ、ニホンアカガエル、キツネノカミソリ、ナガエミクリなどが挙げられている。

立川の崖から湧いた水が、国立の田んぼを潤し、ホタルを育てて、用水へ入っていく。矢川という名前は1.3キロで終わるが、水そのものは、用水と名前を変えて旅を続ける。

謎を回収する なぜ冬にも涸れないのか

さて、最初の問いに戻ろう。立川の住宅地で、なぜ一年じゅう涸れない川が生まれているのか。

答えの半分は、地形にある。立川は、古代の多摩川が台地を削って作った階段の上の街だ。段と段のあいだの崖、つまり「はけ」が、地下水の流れを断ち切り、その切り口から水がにじみ出る。矢川は、その切り口のあちこちから湧く水を束ねた川である。一つの泉ではなく、崖のあちこちを水源にしているから、一つが弱っても流れは止まらない。私はそう読んでいる。

もう半分は、崖の上の土地にある。湧水を養うのは、崖の上の住宅地に降った雨だ。東京都の調査では、都内の湧水は平成25年度の616か所から、平成30年度の608か所、令和5年度の591か所へと、少しずつ減っている。都は、その原因を、建物の建設や土地の造成、そして地表が建物やアスファルトに覆われて雨水が地下にしみこまなくなったことにあると考えている。

ところが、冒頭に書いたとおり、立川市の欄だけは数字が動いていない。市町村別の湧水地点数で、立川市は平成15年度、平成20年度、平成25年度、平成30年度、令和5年度のすべてで11か所。都内の湧水が減っていくこの20年のあいだ、立川の湧き水は一つも数を減らしていない。

それがなぜなのか、資料ははっきりとは答えない。都は湧水を守るために、雨水浸透ますの設置を呼びかけ、立川市も環境ブックに載せた行動計画の中で、立川崖線の湧水調査を続け、雨水浸透施設の設置を要請・指導・助成すると書いている。崖の上で暮らす人の家の雨どいの先、庭の片隅のますの中で、雨が地面にしみこんでいく。その一滴一滴が、いつか崖の下の矢川で湧き出す。

崖の上に住む人が、崖の下の川を養っている。5000年前のムラの人たちは、崖の上に住んで下の水を汲んだ。いまの立川の人たちは、崖の上で雨を地面に返して、下の水を守る。湧き水の数が20年減らなかった街の自慢は、名所よりも、たぶん、この地味な手入れのほうにある。

立川の住宅地を歩くとき、自分の足の下を、来年の湧き水がゆっくりと流れていると思うことにしている。週末の朝、南武線を矢川駅で降りて、崖の下まで歩いてみてほしい。新宿からは立川で一度乗り換えるだけ、川崎からは乗り換えなしで着く。東京にまだこんな水の音が残っていたのかと、きっと少し驚く。

寄り道クイズの答え

答えは(A)1か所。東京都の「東京の名湧水57選」で立川市から選ばれているのは、22番の矢川緑地だけである。都内に57しかない名湧水のうち一つが、南武線の駅から歩いて行ける住宅地の中にある。

訪ねる前に

  • 都心と神奈川から: 新宿からJR中央線で30分の立川駅で南武線に乗り換え、10分の矢川駅で降りる(東京都環境局の雑木林のみちのリーフレットによる)。南武線は川崎駅と立川駅を結ぶ線なので、川崎方面からは乗り換えなしで矢川駅まで来られる。時刻はその日の時刻表で確かめてほしい。
  • 矢川緑地(矢川緑地保全地域): 立川市羽衣町。都の名湧水の案内では立川市羽衣町3-26。東京都の雑木林のみち「矢川・青柳コース」は南武線の矢川駅が起点で、駅から矢川緑地保全地域へ向かう道順が地図で示されている。立川駅からは南武線で二つ目(都のリーフレットでは立川駅から南武線で10分)。
  • 立川観光コンベンション協会の「矢川緑地と立川南地区散策コース【市民マップ4】」は、JR西国立駅から向郷遺跡、矢川弁財天、矢川緑地をめぐって西国立駅へ戻る、所要約2時間のコース: https://tokyo-tachikawa.org/course/course-14653/
  • 都の「矢川・青柳コース」は全長5.9キロメートル。矢川緑地からママ下湧水、矢川おんだし、谷保の城山を経て南武線の谷保駅まで歩ける: https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/natural_environment/tokyo/thicket_way/course_08
  • 保全地域では植物や生きものを採らないこと。湿地は木道の上から見る。矢川弁財天は代々個人で守られている境内で、協会の案内では4月〜10月は8:00〜18:00、11月〜3月は8:00〜17:00(変わることがあるので現地の案内に従ってほしい)。
  • 都は湧水を飲み水としては勧めていない。手を浸すくらいにとどめたい。
  • 矢川緑地(立川市): https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1003006.html
  • 矢川緑地保全地域(東京都環境局): https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/nature/natural_environment/tokyo/area/07_yagawa/
  • 組み合わせて歩くなら、西国立駅から少し西へ足を延ばして根川緑道と立川公園へ。崖線の湧水と、埋められた川の上の緑道が続いている。立川駅の南口側に戻れば、旧市役所を使った立川まんがぱーくもある。

湧き水の街の、駅の北口で

矢川を歩いたあと、南武線で立川駅に戻ると、街の音が急に大きくなる。木道の上で聞いていた水の音が、まだ耳の奥に少し残っている。崖を上り下りした脚には、気持ちのいい重さがある。

立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。

営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。朝のうちに矢川を歩いても、夕方の湿地を見てから戻っても、寄る時間はある。

ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。

妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。

料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。

崖の上で降った雨は、時間をかけて崖の下で湧く。今夜この街に降る雨も、いつか矢川のどこかで、冬の15度の水になって顔を出す。

冒頭の写真: 矢川緑地の湿地を横切る木道。両側にヨシなどの草が茂り、奥に樹林が見える(写真: 珈琲牛乳 / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons)

この記事の情報は2026年10月時点のものです。

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