立川駅南口から歩いて6分、錦町の錦第二公園には、通称の由来になった赤い鬼の滑り台がある。1981年に開いた公園の来歴、「鬼門を守る」という言い伝えの謎、すぐ脇を走る中央線・南武線と貨物列車、ドラマのロケ地としての顔、そして子どもと歩く立川の公園と遊び場まで、資料と街の声でたどる立川さんぽ特集の一編。
街の鬼門を守るために置かれたという鬼がいる。ところが地図の上で方角を測ると、その鬼は、守るはずの北東から45度ずれた場所に座っている。
立川駅の南口から、線路に沿って東へ歩く。6分ほどで、マンションと事務所の建物のあいだに、ぽっかりと空がひらける。そこに、鬼がいる。
赤い顔の鬼だ。目を大きく見開き、口をあけ、両肩を地面に向かってなだらかに下ろしている。その肩が滑り台になっている。子どもたちは鬼の肩をよじ登り、鬼の顔の横を滑り降りる。鬼のほうは、怒っているのか笑っているのか分からない顔のまま、黙ってそれを許している。
正式な名前は錦第二公園という。だが、立川でその名前を口にする人は少ない。たいていの人は「オニ公園」と呼ぶ。
この鬼には、言い伝えがある。ここは街の鬼門にあたる場所で、鬼門から入ってくる災いを防ぐために、鬼の滑り台がつくられたのだという。鬼門を、鬼で守る。毒をもって毒を制す、の公園版である。
鬼門とは北東のことだ。では、この鬼は、いったい何の北東に立っているのか。私はその問いを抱えて、南口から鬼に会いに行くことにした。
立川駅南口から6分、オニ公園への行き方
東京都のロケ地案内「東京ロケーションボックス」は、錦第二公園の所在地を立川市錦町1-5-13とし、JR立川駅から徒歩6分と書いている。立川観光コンベンション協会の観光案内「たちかわ観光ナビ」も、同じ住所でこの公園を「オニ公園(錦第二公園)」として載せている。観光協会の見出しで、通称のほうが先に来ている。正式名称が括弧の中に入っている公園を、私はほかにあまり知らない。
道順は単純だ。南口を出たら、線路を左手に見ながら東へ歩く。地元の情報サイト「多摩てばこネット」は、この公園の場所を、立川駅から東、立川通りがJRの線路をくぐるアンダーパス「立川立体」の南西側と説明している。線路の下へ潜っていく車の流れが見えてきたら、その手前の角に鬼がいる。
駅から地図の上で測ると、オニ公園は立川駅の真東よりほんの少し南、直線でおよそ420メートルの位置にある。迷いようのない距離だが、方向音痴の私なら、勢いあまって立川通りの坂を線路の下まで下りていきかねない。坂の下に鬼はいない。車がいるだけだ。
南口という出口そのものが、昭和5年、1930年まで存在しなかった。その話はこの特集の立川駅の記事に譲る。
南口の駅前が今の形になるまでには、さらに長い時間がかかった。東京都立大学の都市計画の研究室のサイトに載った資料は、1960年代の立川駅南口を、米軍の立川飛行場を抱えて栄える北口に比べ、駅によって分断され、駅前広場もない密集市街地だったと書いている。南北の格差を正すために、立川市は立川駅南口土地区画整理事業を計画した。
1964年の都市計画決定から2015年の完了まで、半世紀あまりかかったこの事業の長さは、夜の横丁の記事でも触れた。ここで足しておきたいのは、市の事業誌に残る別の数字だ。区域は約28.2ヘクタールで、柴崎町2丁目・3丁目と錦町1丁目・2丁目の一部にわたり、事業計画は合計12回も変更された。事業誌は、すでに家や店が建ち並んでいる市街地で区画整理を行うのは当時としては珍しかった、とも記している。
半世紀かけて街が組み替えられていくあいだ、その東のほうで、鬼はずっと滑り台をやっていた。
組み替えの手つきは、ときに大胆だった。事業誌には、移転の方法のひとつとして「曳家」の例が載っている。建物を壊さず、ジャッキなどで持ち上げて、新しい土地まで少しずつ引いていく工法だ。地区の中にあった3階建ての病院は、入院患者がいたため、この曳家で移されることになった。工事は1981年の3月から1983年の8月までかかり、そのあいだも病棟は使われ、患者は入院したまま建物ごと引っ越していったという。
2年5か月をかけて、病院が街の中を歩いていく。同じ南口の錦町で、同じ1981年に、鬼が一歩も動かずに公園に腰を下ろした。動く病院と、動かない鬼。南口の昭和50年代は、なかなか見ものだったはずだ。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
赤い鬼の滑り台と、1981年の立川
鬼の顔は、正面から見ると一枚の大きなお面のようだ。ニッポン旅マガジンの紹介によれば、両肩の部分が滑り台になっていて、向かって左側は幅が広く、顔の上から滑り降りることができる。右肩の側は、階段で途中まで上って滑る、小さな子ども向けの滑り台だという。鬼の右と左で、対象年齢が違うわけだ。

写真: Rsa / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
子どもを連れてここへ通う人のブログには、子どもが水鉄砲を持って鬼退治に向かい、ずっと鬼に水の攻撃をしかけていた、と書かれている。桃太郎の話を聞いて育った子どもにとって、鬼は遊び相手であり、同時に退治の対象でもある。鬼のほうは、水をかけられても滑り台をやめない。
雑誌『散歩の達人』の2023年12月号に載った公園探訪の記事は、この鬼がコンクリートでできていることを伝えている。同行した人が試しに滑ってみると、途中で一度ふわっと体が浮くような感覚があったという。記事の中で公園を訪ねた人は、この鬼の下には実は胴体が埋まっているのではないか、という想像が止まらないとも語っている。言われてみると、地面から首と肩だけを出した巨人に見えなくもない。そう思って見ると、子どもたちは巨人の肩の上で遊んでいることになる。記事には、鬼が定期的にきれいに塗り直されているように見える、という感想も添えられている。
鬼のまわりには、ふつうの公園の道具立てがそろっている。多摩てばこネットは、鬼の滑り台のほかにブランコと、カメレオンやジープをかたどったスプリング遊具があり、南側は広いグラウンドになっていると紹介している。植えられている木はサクラとアジサイ。春には、満開の桜の下で花見をする人たちを、鬼が見守るような格好になる。鬼に見守られる花見というのも、考えてみれば妙なものだ。
公園には多目的トイレと水飲み場がある、と『散歩の達人』の記事は書いている。自動販売機と灰皿はない。子どもを連れて行く人には、これで十分だろう。
では、この鬼はいつからここにいるのか。
ニッポン旅マガジンは開園を昭和56年9月19日とし、『散歩の達人』の記事も、立川市に問い合わせた結果として1981年9月の開園を伝えている。二つの資料が、同じ年と月を示している。
1981年の立川を、市の年表で眺めてみる。この年、立川駅では仮駅舎の使用が始まり、駅ビルの工事が始まった。そして、米軍基地の跡地に国営昭和記念公園を造るための区域の都市計画決定がなされている。南口の区画整理の事業誌を開くと、同じ年の3月に、区画整理に反対する住民の会と市とのあいだで10項目の覚書が取り交わされたことが記されている。
つまり鬼は、駅が建て替わり、街が組み替えられ、北の基地跡に巨大な公園の青写真が描かれた年に、南口の片隅で生まれたのだ。昭和記念公園の一部が開園したのは1983年である。立川の公園の歴史のなかで、オニ公園は、国営公園より2年ほど先輩にあたる。
それにしても、なぜ、鬼だったのか。滑り台なら、象でもキリンでもよかったはずだ。
鬼が生まれたころの南口、地下道と駄菓子屋
鬼が生まれた昭和56年の南口は、どんな街だったのか。
市の年表の翌1982年の項には、立川駅舎、立川駅ビル、立川駅南北自由通路の完成が記されている。いま北口と南口を結んでいる幅の広い自由通路は、鬼より1年だけ年下なのだ。それより前の駅を知る人には、地下の通路の記憶があるらしい。1993年に撮られた南口の写真がネットで話題になったとき、ニュースサイトに寄せられた声のなかには、地下通路がある時代を思い出した、というものがあった。その写真の南口は、ニュースサイトの言葉を借りれば、とても素朴だった。
南口の近くで少年時代を過ごした人の聞き書きが、多摩てばこネットに残っている。昭和40年代から50年代の思い出だ。よく通った駄菓子屋。諏訪通りにあった布団の打ち直しの店。遊び場だった諏訪公園の滑り台は、らせん状の小道をのぼりきったところから2本の滑り台が出ていて、高いところから長い距離を滑り降りる、当時としては珍しいスリリングなものだった。公園には噴水と藤棚とあずまやがあり、公園を見張っているおじさんがいた。南口大通り沿いの、いまモノレールの立川南駅があるあたりには、民家がずらりと並んでいた記憶がある、とその人は語っている。
あのころ、南口の子どもは、らせんの小道をのぼって滑り台を滑り、見張りのおじさんの目を気にしながら遊んだ。いま、南口の子どもは鬼の肩によじのぼり、その背中を中央線が通り過ぎていく。布団を打ち直す店は街から姿を消し、民家の並んでいた場所には駅ができた。それでも、高いところから滑り降りたいという子どもの欲だけは、半世紀たってもまったく変わっていない。
昭和の公園の滑り台は、子どもに少しだけ怖い思いをさせる道具だった。コンクリートでできた鬼の顔の滑り台も、その系譜の上にいる。『散歩の達人』の記事が伝えた「一回ふわっとなる」感覚は、たぶん、昭和の子どもたちが知っていたのと同じ種類の怖さだ。
だが、鬼はもともと、子どもを怖がらせるためにここへ来たのではないらしい。言い伝えによれば、鬼の仕事は門番である。
鬼門の鬼は、どちらを向いているのか
鬼門という言葉を、辞書で引いてみる。デジタル大辞泉は、陰陽道で邪悪な鬼が出入りするとして万事に忌み嫌われた艮(うしとら)、つまり北東の方角と説明している。精選版日本国語大辞典の「丑寅」の項には、陰陽道などで丑寅の方角が神霊や鬼の訪れる方位とされることから、とくに鬼門の意味がこめられることがある、とある。
鬼の絵を思い浮かべてほしい。頭に牛のような角を生やし、虎の皮の腰巻きをつけている。あの姿は、丑(うし)と寅(とら)の方角、つまり鬼門から来ているという説がある。絵本の鬼は、自分の住所を頭と腰に書いて歩いているようなものだ。
鬼門を気にしてきたのは、庶民だけではない。平安京では内裏から見て北東に比叡山延暦寺が、江戸では江戸城から見て北東に寛永寺が置かれたといわれる。京都御所の築地塀は、北東の角だけがへこんでいて、そこには木彫りの猿がいる。「猿ヶ辻」と呼ばれる場所で、丑寅の反対の方角が未申、つまり羊と猿であることから、猿が鬼門よけになったと説明されることが多い。都をつくる人も、城を構える人も、北東の角にはそれなりの手当てをしてきた。
近代の役所も例外ではなかったらしい。1936年、文部大臣経験者が相次いで急死した直後、文部省が鬼門の位置に造ったばかりの大臣専用の便所を取り壊し、迷信を取り締まる側が何をしている、と大阪毎日新聞に批判された、という話が伝わっている。鬼門は、国の役所の便所の位置まで動かした。
鬼門に寺を置く都があり、猿を置く御所があり、便所をどけた役所がある。そして立川は、鬼門に鬼を置いた。都も城も、こんな大胆な手は打っていない。
では、オニ公園の鬼は、何の鬼門を守っているのか。
『散歩の達人』の記事によれば、立川市に問い合わせたところ、まずこの場所が風水でいう「鬼門」に該当するとされ、そのうえで、1981年9月の開園の際、公園の設計者が街の鬼門を守り、災いを防ぐことを意図してつくったという答えだった。たちかわ観光ナビには由来の記述がなく、ニッポン旅マガジンは、町の北東にあたる表鬼門に位置するため、町の鬼門を守って災いを防ぐために作られたとされる、と書く。
どの資料も「町の」「街の」と言うが、どこを中心にした北東なのかは書いていない。
地元の人の書いたものを探すと、答えらしきものが出てくる。地元の情報サイトや昭和レトロの名所を訪ね歩く人のブログは、ここが旧立川市役所の鬼門にあたると書いている。立川の市役所は、2010年に泉町へ移るまで錦町にあった。その跡地には、いま立川市子ども未来センターが建っている。市役所の鬼門を、鬼が守る。役所の守り神が鬼というのは、なかなか洒落ている。
ところが、である。国土地理院の住所検索で、子ども未来センターとオニ公園の住所の代表点の座標を引き、方角を計算してみると、オニ公園は旧市役所から見てほぼ真北、およそ377メートル先にあった。北東ではない。北である。鬼は、守るべき方角からおよそ45度ずれた場所に立っていることになる。
駅から測ると、公園はほぼ真東だ。これも北東ではない。
半ば意地になって、私はほかの基準点を探した。立川という街の古い中心は、駅の南西に広がる柴崎町だ。柴崎村が立川村と名を改めたのは1881年で、それ以前、このあたりの暮らしの中心は柴崎にあった。その柴崎町三丁目の代表点から測ると、オニ公園の方角は北東、それも鬼門の範囲の中に収まった。
古い村の北東を、新しい公園の鬼が守っている。そう読むこともできる。ただし、設計者がそこまで考えていたという資料は、どこにも見つからなかった。旧市役所説が、方角を大まかにとらえた言い伝えなのか、それとも私の知らない別の中心があるのか。分かっているのは、市に問い合わせた人が受け取った答えが「この場所が鬼門に該当する」だったことと、鬼が今日もここにいることだけだ。
鬼門の謎は、半分だけ解けて、半分は鬼の口の中に残った。
数字で読むオニ公園
- 1981 — 開園の年。鬼は2026年で45歳になる。人間なら厄年はとうに越えている。
- 6 — 立川駅から歩く分数。改札を出て鬼に会うまで、カップ麺を2つ作れる程度の時間しかかからない。
- 2 — 滑り台の数。幅の広い顔の側と、階段で途中から上る小さな子どもの側。鬼の右と左で年齢制限が違う。
- 377 — 旧市役所の跡からオニ公園までのメートル数。方角は、北東ではなくほぼ真北。
- 28.2 — 南口の区画整理の区域のヘクタール数。完了まで半世紀。鬼のほうが先に住んでいた。
- 79 — 立川市の街区公園の数(2024年4月1日現在)。そのうち鬼が座っているのは、私の知るかぎり一つだけだ。
旅人の寄り道クイズ
オニ公園が開園した1981年に、立川で起きた出来事はどれか。
- A 多摩都市モノレールの開業
- B 国営昭和記念公園の区域などの都市計画決定
- C ファーレ立川のまちびらき
答えは、この記事の終わり近くで。
鬼がどの方角を守っているのかは、ひとまず置いておこう。それより、この公園にはもうひとつ、子どもたちが鬼と同じくらい夢中になるものがある。音で分かる。鬼の背後を、何かが大きな音を立てて通り過ぎていく。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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