立川の人口と子育てのこれから 外れた予言より4万人多い未来と、2028年の峠

立川の人口は2026年1月に18万7,440人で過去最高。2015年に市が描いた「2060年に12万3,800人」の予言はなぜ外れたのか。将来推計が示す2028年の峠、給食費の無償化や18歳までの医療費助成、待機児童、学校の統合と建て替え、駅前の新しい住まい、住みたい街ランキングでの立川の位置を、市の計画と統計で読む。

江戸の半ば、宝暦9年(1759)の柴崎村には、1,065人が暮らしていた。村明細帳に残る数字で、市の統計年報が「旧立川市(柴崎村)」の欄のいちばん上に載せている。

それから267年たった2026年1月1日、立川市の住民基本台帳には18万7,440人が載っている。過去最高だ。前の年からは1,183人増えた。日本の人口が減りはじめて久しいのに、この街はまだ、静かに人を集めている。

ところが、少し前の市の資料をめくると、まるで別の街の話が書いてある。2015年度に市がまとめた「たちかわ創生総合戦略」は、2060年に総人口が12万3,800人になると見込んでいた。2010年より約3割、5万6,000人の減少だ。新しい推計では、同じ2060年の立川は16万4,935人。差はおよそ4万人。外れて喜ばれる予言というものも、世の中にはあるらしい。

予言はなぜ外れたのか。そして、いまの推計が示す「2028年の峠」の先で、若い人と家族はこの街に住み続けるのか。市の計画と統計を、散歩の地図のように広げて歩いてみる。

立川の人口はいま何人か──18万7,440人、過去最高の冬

立川の人口は、2026年1月1日の住民基本台帳で18万7,440人、9万8,970世帯だ。市の統計年報の表は、江戸の村明細帳から始まって、令和の今年まで一本の線でつながっている。役所の表にしては、ずいぶん気の長い読み物である。

線をたどると、いくつかの段差がある。大正11年(1922)、柴崎村から立川村になっていた土地の人口は、前の年より28%増えて6,115人になった。表の摘要欄には「立川飛行場開設」とある。飛行機が来ると、人も来た。昭和15年(1940)に市制を敷いて立川市になったとき、人口は3万4,729人。昭和38年(1963)に砂川町と合併し、翌年には9万7,479人まで跳ねた。

あのころ/いま──団地の入居と、子どもの声

昭和40年代の摘要欄は、引っ越しの記録のようだ。昭和41年(1966)「けやき台団地入居」、昭和42年「富士見町住宅入居」、昭和46年「若葉・幸・柏・松中団地入居」。昭和47年には人口が1年で1割増え、12万9,395人になった。この年の摘要欄には「自衛隊移駐」とも書かれている。昭和52年には「基地返還」の4文字が、静かに置かれている。

団地が建つと、学校が建つ。けやき台団地と若葉町の団地のそばに開いた二つの小学校は、昭和50年代の児童の多い時期、どちらも1,000人を超えていたと市は書いている。校庭に1,000人。朝礼の校長先生の話は、後ろの列まで届いたのだろうか。

いまの立川で増えているのは、生まれる人ではなく、移ってくる人だ。2025年の1年間に生まれたのは1,112人、亡くなったのは1,999人。差し引きは887人の減少になる。それでも人口が増えたのは、転入が1万1,207人と、転出の9,403人を大きく上回ったからだ。月別に見ると、3月だけで1,972人が転入している。春の立川には、段ボール箱が集まる。

では、この「移ってくる力」は、いつまで続くのか。

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外れた予言──2060年の12万人はどこへ消えたか

2015年度の予言が外れた理由は、市自身の振り返りに書いてある。2025年度から始まった「立川市第3次総合戦略」は、これまでの戦略の成果をこう総括している。社会増減は一貫して社会増となり、成果があった。一方で、出生数の減少で少子化が加速し、若者世代の転入が必ずしも自然増につながっていない。

立川市立第一小学校の校庭と、建て替えられた校舎。校舎の向こうには高層の住まいの塔がのぞく。
立川市立第一小学校の校庭と、建て替えられた校舎。校舎の向こうには高層の住まいの塔がのぞく。
写真: Suikotei / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

転入超過は平成25年(2013)から続いている。令和2年(2020)以降は毎年1,000人前後だ。年代別に見ると、2015年に転出のほうが多かった30歳代が、2023年には転入超過に転じた。家族を持つ年ごろの人が、立川を選びはじめたということになる。

ただし、手放しでは喜べない数字もある。同じ戦略は、20歳代が東京23区へ転出する傾向が続いていると書く。とくに20歳代の女性の23区への転出が目立つ。地方からは若い人が来る。けれども、社会に出たばかりの年ごろの人の一部は、都心へ出ていく。立川は、上京の途中駅でもあるのだ。

2028年の峠と、追い越された推計

新しい推計は、第5次長期総合計画を作るために2023年に行われた。それによれば、立川の総人口は令和10年(2028)の18万6,390人を峠に、横ばいから減少に転じる。2025年から2045年までの20年で8,046人減り、2045年には17万8,211人。2065年には15万9,150人になる。

ここで、私は小さな事実に気づいて手を止めた。推計が峠と見た2028年の18万6,390人を、2026年1月の実際の人口18万7,440人が、すでに上回っているのだ。推計は1月1日時点の数字で、実績も同じ1月1日の数字である。峠は、思っていたより少し高いところにあるのかもしれない。これは私の見立てで、市が推計を改めたわけではない。

推計の先にあるのは、年齢の形の変化だ。2025年に64.0%だった15歳から64歳の人の割合は、2065年に53.1%まで下がる。14歳以下は2065年に9.4%と、1割を切る。2024年に50歳から53歳の団塊ジュニア世代は、2040年に65歳以上になる。高齢化率は2024年の24.8%から、2040年に30.7%、2065年に37.4%へ。

子どもの数も見ておく。合計特殊出生率は全国の平均より低い水準で、2023年は都内の自治体で31位、市部で18位だった。出生数は2013年の1,439人から、2023年には1,102人まで減っている。20歳から39歳の女性の人口には2020年以降、回復の兆しがあるのに、生まれる子どもは減りつづけている。市の戦略は、この食い違いを隠さずに書いている。

だから市は、第3次総合戦略の基本方針に、ずいぶんはっきりした一文を掲げた。「若者世代が立川で結婚し、生み育て、住み続けたくなるまちへ変革し、持続可能なまちとしていく」。変革、という言葉が入っている。役所の文章としては、なかなか強い。

その「変革」の物差しも、戦略には書かれている。結婚・出産・子育ての希望をかなえる、という基本目標の数値目標は三つ。2023年に1,102人だった出生数を、2029年に1,102人以上に保つ。2023年に1.07だった合計特殊出生率を、2029年には都の値を上回る水準にする。2023年度に2万1,194人だった14歳以下の人口を、2029年度に2万42人以上にする。最後の目標は、減ることを前提にした目標だ。増やすとは書かずに、減り方を推計より緩やかにする、と書く。正直な目標だと私は思う。夢を語るより、坂の角度を語るほうが、計画としては信用できる。

数字で読む立川のこれから

  • 1,065人 ── 宝暦9年(1759)の柴崎村の人口。いまの立川駅前のマンション3棟分ほど、と書くと叱られそうだ。
  • 18万7,440人 ── 2026年1月1日の人口。過去最高。推計が「峠」と見た2028年の数字を、すでに越えている。
  • 1万1,207人 ── 2025年の転入者数。このうち1,972人が3月にやってきた。春の引っ越し業者は、立川で眠れない。
  • 113.2 ── 2020年の昼夜間人口比率。多摩26市でいちばん高い。夜に住む人より、昼にいる人のほうが13%多い。
  • 9.4% ── 2065年の推計で、14歳以下が人口に占める割合。いまの子どもたちが、そのころの立川を支える。

では、その子どもたちを、いまの立川はどう育てようとしているのか。財布の話から始めたい。

子育ての財布──給食費ゼロ、医療証は18歳まで

まず給食だ。立川市は、市立の小学校と中学校の学校給食費を無償にしている。所得制限は無い。小学校は市長の公約にもとづいて2024年4月分から、中学校は東京都の「東京都公立学校給食費負担軽減事業」を使って2025年度分から無償になり、2026年度分も続けると市は書いている。保護者の手続きも要らない。

ただし、市は同じ頁に、2027年度分以降は国や東京都の動向を踏まえて改めて検討する、とも書いている。無償の給食は、いまのところ「続いている」のであって、「約束されている」わけではない。ここは公平に書き添えておく。

医療費も手厚い。高校生の年ごろの子ども、正確には15歳になった後の最初の4月1日から18歳になった後の最初の3月31日までの子どもを育てる人に、市は「マル青医療証」を出し、保険診療の自己負担分を助成している。2023年10月からは所得制限もなくなった。高校に通っていない子どもも対象だ。乳幼児の「マル乳」、小中学生の「マル子」と合わせて、生まれてから18歳の春まで、医療証が子どもについて回る。2026年4月からは、マイナ保険証が医療証の代わりに使えるようになった。

1歳の誕生日のころには、市から声がかかる。ファーストバースデーサポートと呼ばれる事業で、1歳前後の子どもを育てる家庭に子育てのアンケートを送り、情報の提供や相談支援とともに、育児パッケージを贈る。歩きはじめて、自己主張が強くなる時期だと市は書いている。親が少し参りはじめる時期でもあるはずだ。

待機児童──8人から45人へ

保育園の話になると、数字は少し揺れる。市の表によれば、待機児童は平成28年度(2016)の196人がいちばん多かった。市は平成27年度から31年度にかけて、認可保育所の整備などで700人以上の定員を増やした。その結果、令和7年度(2025)の4月1日には8人まで減った。

ところが令和8年度(2026)の4月1日には、45人に増えている。そのうち41人が0歳から2歳だ。市は今後の整備について、人口や保育ニーズの推移を見守りながら慎重に進めたい、としている。放課後の学童保育所にも待機があり、第5次の子ども計画によれば、令和5年度の4月1日で220人だった。子どもが増えている街だからこその悩み、と言えば聞こえはいいが、待つ家族にとっては切実な数字だろう。

2026年5月7日には、保育園や学童保育などの窓口が、泉町の市役所から錦町の子ども未来センターに移った。JR立川駅から歩いて13分、南武線の西国立駅からなら7分だ。

子どもの声を、市議会の議場で聴く

子育ての計画は、2025年度から5年間の「第5次夢育て・たちかわ子ども21プラン」が軸になる。この計画には、変わったところがある。小学生向けと中高生向けに、別々の概要版を作っているのだ。計画の会議には子どもの委員が加わってきたと、計画のなかのコラムは書いている。

同じコラムによれば、市民と行政が協働で立ち上げた基金によって、「こどもとおとなのはなしあい in 市議会議場」という催しが定着してきた。名前のとおり、市議会の議場を舞台に、子どもと大人が話し合う場だ。基金の名は「ウドラ夢たち基金」という。東京うどの産地らしい名前だと、私はひとりで感心した。白くまっすぐに育て、という願いなのかどうかは、確かめられなかった。

子どもの数え方が、少しずつ変わってきている。数として数えるだけでなく、声として聴こうとしている。そのことを確かめたうえで、次は子どもたちが毎日通う場所、学校へ足を向けたい。

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