
学校のこれから──千人いた校庭と、若葉台小学校
立川市の市立学校は、小学校が19校、中学校が9校ある。そのうち二つの小学校は、もう地図に無い。
けやき台小学校は昭和41年(1966)に開校し、52年で4,246人の卒業生を送り出した。若葉小学校は昭和46年(1971)に開校し、47年で3,257人を送り出した。どちらも大きな団地の建設に合わせて生まれ、昭和50年代には児童が1,000人を超えていた。二つの学校の閉校式は、けやき台小が3月3日、若葉小が3月10日に開かれた。
二校を一つにした若葉台小学校が、その年の4月に開校した。市は2017年3月に新しい校舎の基本構想をまとめ、2021年3月の完成を目指して設計を進めた。新しい校舎の落成式典は、感染症の広がりを受けて規模を縮め、児童の喜びの言葉と校歌は、事前に作った動画で披露されたと市は記録している。団地とともに生まれた二つの学校が、一つの新しい学校として生まれ直したのだ。
統合の道のりは、平らではなかった。新しい校舎の基本構想をまとめる前の2017年1月、市は二つの学校の保護者や近所の人を対象に説明会を2回開き、延べ40人が参加した。新しい校舎への期待が語られる一方で、通学路の安全対策をさらに考えてほしいという要望が出たと市は記録している。学校が一つになれば、通う道は長くなる子もいる。統合は、校舎の話である前に、毎朝の道の話なのだ。
あのころ/いま──三世代の校舎
駅の南、諏訪神社の森のそばにある第一小学校も、建て替えを経験した。市によれば、建て替えを求める請願が出たのは平成15年(2003)で、工事に着手したのが平成25年(2013)2月。学校と柴崎学習館などをまとめた複合施設が完成し、平成26年(2014)8月30日に落成式典が開かれた。午後の内覧会には2,000人を超える人が訪れたという。
市の報告には、三世代にわたって一小の卒業生だという参加者の、新しい学校と学習館が地域のシンボルになればという言葉が残っている。明治3年(1870)に郷学校として始まったと統計年報が書く学校が、平成26年に新しい建物になり、その校庭の先には、いまも諏訪神社の緑が広がっている。古い学校が新しい建物に入れ替わる。それは、この街の時間の流れ方そのものだ。
給食と、相撲のテント
給食の現場も新しくなった。市は、老朽化した二つの学校給食共同調理場を一つにまとめるため、民間の資金と経営のノウハウを使うPFIという方式で新しい調理場を整え、平成25年(2013)4月から小学校へ給食を出している。設計から運営までを一体で契約し、およそ15%の費用を縮めながら、より安全でおいしい給食を目指すという。調理場の愛称を市立小中学校の子どもたちから募ったところ、645件が集まり、「みんなのくるりんキッチン」に決まった。くるりんは市のキャラクターだ。
意外な寄付の話もある。夏巡業の大相撲立川立飛場所の実行委員会が市に寄附金を贈り、市の教育委員会は、それを運動会などの学校行事のための備品に充てた。テントやマイクなど、各小中学校が望んだ105点を買ったという。土俵ではなく、テントである。力士の巡業が、子どもたちの運動会の日よけに姿を変えた。立川らしい、地に足のついた恩返しだと思う。
旅人の寄り道クイズ
大相撲立川立飛場所の実行委員会から立川市に贈られた寄附金で、市内の小中学校が買った備品として、市が挙げているものはどれか。
- (A)子ども用の土俵
- (B)テントやマイク
- (C)ちゃんこ鍋の大鍋
答えは、記事の終わり近くで明かす。
学校と給食が整っても、家族が暮らすには家が要る。立川の住まいは、いまどこで増えているのか。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
新しい住まいと、駅前の32階──「ベッドタウン化」という心配
立川駅の北口、線路沿いに32階建ての塔が立っている。立川タクロスだ。市によれば、立川駅北口西地区の第一種市街地再開発事業として、約0.7ヘクタールの土地に、地下2階、地上32階、高さ約130メートルの建物が建った。商業、業務、駐車場のほか、319戸の住宅が入っている。
準備組合ができたのは平成13年(2001)10月。都市計画の決定が平成20年、工事の竣工が平成28年(2016)7月29日で、8月4日にまちびらきを迎えた。最初の一歩から、15年かかっている。駅前の再開発は、子どもが生まれて中学を出るくらいの時間を食べて、ようやく形になる。
市の北西、昭島市との境の基地跡地でも、住まいの土地が生まれた。独立行政法人都市再生機構が施行した立川基地跡地昭島地区の土地区画整理事業で、立川市域が9.5ヘクタール、昭島市域が56.6ヘクタール。整備された道路と公園は平成29年(2017)4月に使えるようになった。飛行場の跡地は、ここでも暮らしの土地に生まれ変わっている。
拠点か、寝床か
ところが、市はいま、住まいが増えることに、ある心配を口にしている。2025年から動きはじめた「立川駅周辺の未来ビジョン(仮称)」の検討の背景に、市はこう書いた。近年、商業地域の便利さや高い容積率を生かして、共同住宅に土地の使い方が変わる例が増えている。このままでは拠点としての機能を失い、区部中心部のベッドタウン化が進むおそれがある。
立川は、昭和61年(1986)の国の首都圏基本計画で「業務核都市」に位置づけられ、都心への一極集中を和らげる街として育てられてきた。昼にいる人が夜に住む人を13%上回る、多摩で一番の「昼の街」である。その駅前が、寝に帰るだけの街になってはもったいない。住む人を増やしながら、働く場と遊ぶ場を手放さない。市の心配は、成功した街だけが抱く種類の悩みだ。
未来ビジョンの策定は、2025年10月のシンポジウムを皮切りに、2026年10月28日に第1回のワーキンググループが開かれる予定になっている(市の頁による)。まだ形はない。だが、検討の背景の文章には、見逃せない一行がある。立川は、東京駅や羽田空港と、富士山や高尾山、奥多摩の自然との中間点にある。だからゲートウェイ、つまり玄関口の役割を担える、と市は考えている。
南の線路でも、変化が予定されている。東京都と国立市、立川市、JR東日本は、南武線の谷保駅から立川駅までを高架にする連続立体交差化の計画と、関連する道路、西国立駅の駅前広場の計画について、2025年10月に都市計画案の説明会を4日間開いた。踏切で待つ時間は、いずれ減っていくはずだ。

住みたい街ランキングの立川──「今後、街が発展しそう」7位
では、外から立川はどう見えているのか。リクルートの「SUUMO住みたい街ランキング2026 首都圏版」で、立川は17位だった。前年の2025年版は15位で、こちらが過去最高。2024年版は22位だった。1都4県の20歳から49歳の9,000人の答えを集計したもので、立川の得点には、多摩モノレールの立川北駅と立川南駅の得点も合算されている。モノレールの駅まで助っ人に呼んでいるのだから、立川駅も心強い。
数字を少し細かく見ると、立川の性格が浮かぶ。東京都にある駅だけで並べると、立川は9位。東京都に住む人の投票だけで並べると6位になる。住みたい自治体のランキングでは、立川市は首都圏で32位、東京都民の投票では16位だった。
面白いのは、街の魅力ごとの順位だ。住みたい自治体として「今後、街が発展しそう」と思われている順で、立川市は首都圏の7位に入った。上位には千葉県印西市や茨城県つくばみらい市など、新しい街が並ぶ。開発の歴史が長い立川が、まだ「これから」の街と見られている。「いろいろな場所に電車・バスで行きやすい」「通勤・通学など特定の場所に行きやすそう」「駅周辺に生活に必要な施設が揃っており便利だ」の三つでは、いずれも4位だった。
同じ調査の「穴場だと思う街」では、立川は23位。家賃の相場は、シングル向けの1Kや1DKが8.3万円、ファミリー向けの2LDKや3K、3DKが15.0万円と載っていた。私はその数字を見て、そっと表を閉じた。穴場と呼ぶかどうかは、読む人の財布が決めることだ。
海の向こうから来た隣人たち
立川の「移ってくる力」は、国の内側だけのものではない。市の外国人住民は、2017年1月の3,859人から、2026年1月には6,591人に増えた。9年で7割を超える増加だ。国籍別に見ると、ベトナムが142人から810人、ネパールが127人から539人、ミャンマーが6人から162人へ。中国の2,459人がいちばん多いのは変わらない。
市のウェブサイトには、百を超える言語に切り替えられる機械翻訳がついていて、「がいこくじんのかたへ」という頁には、ふりがな付きで暮らしの情報や日本語教室の案内が並ぶ。立川は、住む人の国籍の地図も、少しずつ描き変えている。
海外から旅で来る人にとっても、立川は案外わかりやすい街だ。市自身が書くとおり、東京駅や羽田空港と、富士山や高尾山のあいだに位置している。新宿から中央線で一本、神奈川の川崎からは南武線で乗り換えなしに着く。高層の再開発ビルのすぐそばに、昭和の団地と、江戸の村の鎮守の森が並んでいる。街の時間が何層にも重なって見える場所は、東京でもそう多くない。

謎の答え──峠の向こう側
2015年度の予言が4万人も外れた理由は、結局のところ、人が来つづけたことにある。推計は、過去の傾向を未来へ延ばす。だが立川には、その傾向を毎年少しずつ書き換える力があった。駅前の再開発、基地跡地の新しい街、多摩でいちばんの昼の賑わい。人は、仕事と買い物と遊びのある場所に、住もうとする。
それでも、2028年の峠は来るのかもしれない。生まれる子どもが減り、20代の一部は都心へ出ていく。給食費の無償化には、2027年度以降の検討という但し書きがついている。待機児童は一度8人まで減って、また45人に増えた。未来は、計画書のなかでも、まだ決まっていない。
その計画書は、市役所3階の市政情報コーナーや図書館で読める。第5次長期総合計画の基本構想の冊子は1,100円、前期基本計画は4,000円で買えると、市の頁にある。街の未来の設計図が、ランチ数回分の値段で手に入る。市は計画づくりにあたって、高校生のワークショップや中学生のアンケートでも声を集めたという。2065年に14歳以下が1割を切る街の、その1割になるかもしれない子どもたちが、すでに設計に加わっている。
江戸の柴崎村の1,065人から、18万7,440人へ。峠を越えたあとの道がどう続くかは、いま立川に住みはじめる人たちが、これから決めていく。
寄り道クイズの答え
答えは(B)テントやマイク。立川市教育委員会によれば、夏巡業大相撲立川立飛場所の実行委員会からの寄附金で、各小中学校が要望したテントやマイクなどの備品105点を購入し、運動会などの学校行事で使っている。
訪ねる前に
- 市の計画を読むなら: 第5次長期総合計画、第3次総合戦略、第5次夢育て・たちかわ子ども21プランは市のウェブサイトで読める。冊子は市役所本庁舎3階の市政情報コーナーと各図書館で閲覧できる(立川市による)。市役所は立川市泉町1156-9。
- 総合計画: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/sesaku/1006565/index.html
- 総合戦略: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/sesaku/1006558/1006568.html
- 子ども21プラン: https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/sesaku/1024458/1024459/1024918.html
- 子育ての窓口: 保育園や学童保育などの窓口は、子ども未来センター1階(立川市錦町3-2-26)。JR立川駅から徒歩13分、JR西国立駅から徒歩7分(立川市による)。受付時間や手続きは市の頁で確かめてほしい: https://www.city.tachikawa.lg.jp/kosodate/m-kosodate/1026214.html
- 給食費・医療費助成・待機児童の最新: 制度や数字は年度ごとに変わる。給食費は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kosodate/gakko/1004248/1004283/1021536.html 、待機児童数は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kosodate/m-kosodate/1004946/1005094/1005111.html で。
- 街の変化を歩いて見るなら: 立川駅北口の線路沿いに立川タクロス、諏訪神社の公式の案内ではJR立川駅から徒歩10分で、その森のそばに第一小学校がある。駅周辺の公園や昭和の団地の跡を歩くなら、特集の公園めぐりや南口のオニ公園の記事と組み合わせると半日の行程になる。
- 都心と神奈川から: 新宿からJR中央線で乗り換えなし。神奈川県の川崎からはJR南武線で乗り換えなしに立川駅へ着く。
- 外国語の案内: 立川市のウェブサイトは機械翻訳で多言語に切り替えられる。外国人住民向けの頁は https://www.city.tachikawa.lg.jp/gaikoku/index.html (Tachikawa City, For Foreign People)。
街の未来を考えたあとは、立川駅北口で
人口の表と計画書を読みながら街を歩くと、頭は忙しいのに、体はいつのまにか固まっている。数字は肩に乗るのだ。
立川駅の北口から歩いて1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。保育園の送り迎えの前でも、仕事の帰りでも、寄れる時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
18万7,440人のひとりとして、駅前のビルの3階で、ゆっくり息を吐く。街の峠がどこにあっても、自分の体の峠くらいは、今日のうちに越えておける。
冒頭の写真: 立川駅のホームの先に立つ立川タクロス。32階の住まいの塔が、晴れた秋の空へまっすぐ伸びる。(写真: Syced / CC0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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