立川の紅葉・イチョウを歩く 都が選ばなかったケヤキと、市でただ一本の天然記念物

立川の紅葉とイチョウの見頃と名所はどこか。昭和記念公園のイチョウ並木と日本庭園に加え、市内でただ一本の天然記念物・八幡神社大欅、五日市街道の屋敷林、北口のケヤキ並木、鎮守の森まで歩く。都の木の投票で敗れたケヤキを市の木に選んだ理由、東京の黄葉が70年で1か月遅くなった記録、落ち葉が肥料だった昭和の砂川まで、一次資料でたどる秋のルポ。

昭和41年(1966)、東京都は都の木を決めるために、都民の投票を行った。候補は三つ。ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノ。勝ったのはイチョウで、いまも都の木はイチョウである。

その8年後の昭和49年、立川市は市の木を決めた。選ばれたのは、ケヤキだった。都の選挙で負けた木を、立川は自分の木に選んだのである。

判官びいきにしては、8年越しと気が長い。なぜ立川はケヤキだったのか。そして、イチョウの黄色で知られる昭和記念公園を抱えながら、立川の秋の本当の色は、どこにあるのか。紅葉の名所を探すつもりで市の資料を読みはじめた私は、気がつくと、この街の風と土と、昭和の落ち葉の話をたどっていた。

立川の紅葉・イチョウの見頃と名所──まず一枚の地図

先に、実用の答えを置いておく。

立川でイチョウの黄葉を見るなら、まず国営昭和記念公園である。公園は、イチョウの見頃を10月下旬から11月下旬と案内している。立川ゲートを入ってすぐのカナールのイチョウ並木が約200m、西立川ゲートに近い「かたらいのイチョウ並木」が約300m。ほかにサイクリングコース沿いや、こどもの森もすすめている。モミジ類の紅葉は10月下旬から12月上旬で、日本庭園、花木園、こもれびの丘などで見られる。11月には「黄葉・紅葉まつり」が開かれ、令和元年(2019)からは日本庭園などの紅葉を夜に照らす「秋の夜散歩」も行われてきた。

公園の外では、ケヤキが主役になる。立川市緑化推進協議会が平成15年に選んだ「立川市緑の十二景」には、ケヤキが繰り返し登場する。立川北口大通りのケヤキ並木、五日市街道沿いの若葉町の大ケヤキ、松中団地の「市の木ケヤキ並木のトンネル」。鎮守の森として選ばれた諏訪神社と阿豆佐味天神社、大木のそびえる砂川の流泉寺。そして柴崎町には、市内でただ一本の天然記念物、八幡神社大欅が立つ。

見頃は年によって違う。気象庁が都心で続けている観測では、東京のイチョウの黄葉日の平年値は11月23日、カエデの紅葉日の平年値は11月28日。2025年は、イチョウが11月22日、カエデが11月23日だった。立川は都心から西へ離れているので、これはあくまで目安で、出かける前には公園の花だよりなど、その年の便りを確かめたほうがいい。

ひとつ、目を疑った数字がある。東京のイチョウの黄葉日は、気象庁の記録の表の最初の年、昭和28年(1953)には11月3日だった。いちばん早かったのは昭和32年の10月26日。いちばん遅かったのは2024年の12月3日である。文化の日に色づいていた東京のイチョウが、いまは師走に色づくことがある。その2024年は、カエデの紅葉日も12月3日で、黄と赤がそろって師走にずれこんだ。私の子どものころの「秋」と、いまの子どもの「秋」は、暦の上で、ひと月ほどずれているのかもしれない。

初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。

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牧水が立川駅で見た「さくら樹のもみぢ」

立川の秋の話は、駅前から始めたい。

明治39年(1906)、歌人の若山牧水が立川駅に立ち寄った。駅前には汽車を待つ客のための茶屋があり、大きな桜の木もあった。牧水はそこで、こう詠んでいる。

「立川の駅の古茶屋 さくら樹のもみぢのかげに 見送りし子よ」

桜の木の、紅葉の陰。春の花ではなく、秋の葉の下での見送りを詠んだ歌である。立川市図書館の資料によれば、この歌碑はいま、立川駅北口のバスロータリーの中央に立っている。碑の裏には、市制施行十周年を迎えて郷土の過去を顧み、遥かな将来を臨む里程標としてこれを建てる、という意味の言葉が刻まれているという。茶屋のあった場所はいまバスターミナルになり、その一角に碑がある。

明治の駅前の桜には、名前の付いた木もあった。市の文化財「立川村十二景」は、郷土画家の馬場吉蔵が明治30〜40年代の立川村を描いたスケッチに、昭和の初めに色を付けたものだ。その中の「立川駅前千本桜」には、明治35年ごろの駅と、「玉桜」と呼ばれて駅の関係者や住民に親しまれた桜が描かれている、と市は書く。牧水が葉の陰に立った桜が玉桜だったかどうかは、どの資料にも書かれていない。ただ、明治の立川駅の前で、桜は春も秋も人の目印だった。

桜は、春の木だと思われている。けれども、桜の葉もまた紅く色づく。根川と多摩川の一編にも書いたとおり、10月の根川緑道では、桜並木の葉がもう色を変え、落ちはじめる。イチョウやカエデが本番を迎えるより前に、桜は先に秋を始める。牧水が見たのも、そういう、少し早い秋の色だったのだろう。

明治の駅前の秋は、桜の紅葉だった。では、いまの立川の秋を代表する木は何か。市が自分で選んだ答えがある。

都が選ばなかった木──市の木ケヤキと「赤っ風」

東京都の木の選定では、東京の木選定委員会が選んだケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノの三種について都民の一般投票を行い、昭和41年11月14日にイチョウが発表された。イチョウは古代植物の生き残りとされ、公害や火にも強いので、街路樹にも使われている、と都は説明していた。ちなみに三番手のソメイヨシノは、のちの昭和59年に都の花になっている。負けた二つのうち、一つは花として拾われた。残るはケヤキである。

赤褐色に色づいたケヤキの梢(茨城県神栖市で撮影。立川市の木と同じ種類)
赤褐色に色づいたケヤキの梢(茨城県神栖市で撮影。立川市の木と同じ種類)
写真: 小石川人晃 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

立川市が市の木と市の花を決めたのは、昭和49年。広く市民に選定を呼びかけ、市長の諮問を受けた市緑化推進協議会が6月に答申した。市は答申にもとづいて、市の木をケヤキ、市の花をコブシと決めた。協議会は、市民の声を尊重しつつ、立川の気候や風土に合うもの、親しみやすいものという条件を考えに入れて審議した。そして、ケヤキもコブシも武蔵野に原生していること、ケヤキは昔から防風林として市民の生活と共存してきたゆかりの深い木であることを、選んだ理由に挙げている。

防風林。ここに、答えの半分がある。

立川市の緑の基本計画は、北部の五日市街道のまわりについて、こう書く。江戸時代に新田開発で砂川新田が開かれ、玉川上水の開削をきっかけに、集落は五日市街道に沿って東西に広がった。街道の周辺にはいまも、短冊の形をした敷地割りの農地や、北風や砂ぼこりを含む「赤っ風」から家を守る防風林の役割を果たしてきた農家の屋敷林が残る。その屋敷林の一部であるケヤキの保存樹木が、玉川上水とともに、武蔵野の面影を残す郷土の景観をつくっている。

赤っ風。関東ローム層の赤土を巻き上げて吹く、冬の北風のことだろう。畑の土を空に持っていかれないよう、家の北側にケヤキを並べた。立川のケヤキは、景色である前に、暮らしの壁だったのだ。

昭和の砂川の姿を書き残した人がいる。平成28年に市が市民の戦争体験をまとめた『戦争体験記』に、一番町の人の寄稿がある。昭和10年ごろの砂川村は、五日市街道が福生町境から東へ国分寺まで一本道で、両側に農家が並び、その家を囲む欅と樫の垣根が風よけになっていた。五日市街道は昼でも暗いくらいに茂っていて、夏でも涼しかった。道路は舗装ではなく砂利道で、バスは立川駅から砂川九番を回っていた、と。

ケヤキと樫の垣根で、昼でも暗い街道。いまの五日市街道を車で走る若い人には、想像しにくい景色かもしれない。年配の人の中には、その暗さと涼しさを、足の裏の砂利の感触と一緒に覚えている人もいるだろう。

ケヤキとカシを組み合わせた屋敷林は、とくに関東地方で知られる、と百科事典は書く。冬に葉を落とすケヤキと、一年じゅう葉を茂らせるカシ。夏は両方で日を遮り、冬はカシが風を受け止め、葉を落としたケヤキの枝の間から日が差す。よくできた組み合わせである。ケヤキという名は、古い言葉で「すばらしい」を意味する「けや」に由来し、「けやしの木」がなまったものだといわれる。強くて手に入れやすいので、建材としてもよく使われてきた。屋敷を守り、ときに屋敷そのものになる。すばらしい木、という名に偽りはない。

その景色は、いまどうなっているか。市の緑の基本計画は、五日市街道の沿道を「五日市道風致地区」(約12.0ha)、玉川上水の沿道を「玉川上水風致地区」(約11.7ha)として、自然の豊かな景観を守る区域に指定していると書く。それでも、上から見て木々や草に覆われた土地の割合、緑被率は、五日市街道地区で平成25年の29.7%から令和5年の26.3%へ、玉川上水地区で45.8%から40.5%へ下がった。昼でも暗かった街道は、少しずつ明るくなっている。

緑の十二景の9番目「若葉町の大ケヤキ」は、その名残である。テーマは「屋敷林」。見どころは、五日市街道沿いの屋敷林、空っ風を防いできた大ケヤキ、そして裏に続く農の風景だと市は書く。市は、地上1.5mの幹回りが1.5m以上、高さが10m以上の健全で美しい木を保存樹木に指定していて、2024年度末で445本ある。その多くが五日市街道の沿線と立川崖線のまわりに分布する。ただ、前の計画を立てたときから19本減った。管理の負担から伐られたり、強く刈り込まれて形が崩れたりする木もある、と計画は書く。

市はこのとき、市の花としてコブシのほかに、市民が親しめる花を昭和55年10月に6種追加している。スミレ、ツツジ、サルビア、コスモス、サザンカ、スイセン。秋のコスモスと、晩秋から冬のサザンカが入っている。いま昭和記念公園で9月から10月にコスモスまつりが開かれているのを思えば、昭和55年の選び手には先見の明があった。

ケヤキの秋の色についても、市はきちんと書いている。ケヤキは高さ30m、幹の直径は2mにもなることがある落葉の大高木で、幹がまっすぐに立ち、枝が扇のように広がる。葉は秋に、黄褐色または赤褐色に美しく色づいて散る。イチョウの黄金色ほど派手ではない。カエデの紅ほど燃えない。茶色がかった赤と黄の、渋い色だ。都民が投票で選ばなかったのも、少し分かる気がする。けれども、風よけの垣根として何代も家を守ってきた木の色としては、これ以上ない色だと私は思う。

では、立川でいちばん長く生きているケヤキは、どこにあるのか。市の文化財の一覧をめくると、意外な事実に行き当たった。

立川市でただ一本の天然記念物──八幡神社大欅

立川市内にある国・都・市の指定文化財を一覧にすると、国宝が一つ、国の史跡が一つ、重要文化財が一つ、国の登録有形文化財が一つ、都の史跡と有形文化財が一つずつ、そして市の指定文化財が三十あまり並ぶ。その中で「天然記念物」の欄にある名前は、ただ一つ。八幡神社大欅である。

立川市で、天然記念物に指定された植物は、このケヤキ一本しかない。市の木に選ばれたケヤキが、市でただ一本の天然記念物でもある。立川の木の世界は、ケヤキの一強なのだ。

指定は昭和30年3月10日。所在は柴崎町1-7-8地先。八幡神社が創建された場所から南に30mほど離れたところに、幹回りのひときわ大きな木がある、と市は書く。この大欅は文政7年(1824)の野火で被災し、木の上部には、そのときの焼け跡が近年まで残されていたといわれている。八幡神社はのちに諏訪神社に合祀され、社は引っ越していった。木は、残った。この木と古い柴崎村の来歴は、立川の古い村を歩いた一編と、普済寺と諏訪神社の一編に書いたので、ここではこれ以上深入りしない。

ひとつだけ、街の声を添えておく。立川の散歩の名所を写真で紹介している個人のサイトは、この大欅について、今なお残る幹の太さから、もし災害が発生していなければ迫力のあるとても大きなケヤキだったことが想像できる、と書いている。二百年前の野火がなければ、もっと大きかった木。天然記念物は、失われた背丈の分まで含めて見るものらしい。

大欅は、諏訪神社の南の鳥居から西へ200mほどのところにある。秋に見上げるなら、11月がいい。諏訪神社では毎年11月に約2週間、菊花展が開かれる。神社で菊を見て、少し歩いて大欅の色づきを見る。秋の柴崎は、花と葉の二本立てで回れる。

数字で読む立川の秋

  • 1 — 本。立川市の天然記念物の数。しかも、市の木と同じケヤキ。
  • 445 — 本。立川市の保存樹木の数(2024年度末)。地上1.5mの幹回りが1.5m以上、高さ10m以上という堂々たる木ばかりである。
  • 3 — 候補。昭和41年に都の木を決めた投票の候補の数。ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノ。立川は、敗れた一本を拾った。
  • 11月23日 — 東京のイチョウの黄葉日の平年値。昭和28年は11月3日、2024年は12月3日。文化の日から師走へ。
  • 11月28日 — 東京のカエデの紅葉日の平年値。イチョウより5日遅れて、赤が追いかけてくる。
  • 300 — メートル。昭和記念公園の「かたらいのイチョウ並木」の長さ。本気で歩けば数分、写真を撮れば一時間。

旅人の寄り道クイズ

昭和41年に東京都の木を決めた都民の投票で、候補に入っていなかった木はどれだろう。(A)ケヤキ(B)イチョウ(C)モミジ。答えは最後に明かす。

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