落ち葉が宝だったころ──雑木林と鎮守の森の秋
ケヤキの次は、雑木林と鎮守の森の秋である。

写真: mrhayata / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons
先の『戦争体験記』の一番町の人は、砂川の雑木林のこともこう書き残している。砂川の南、昭和町との間に林があり、西の福生との境や、北の瑞穂、村山、大和、小平との境にも雑木林があった。その雑木林は村民の燃料の薪となり、落ち葉は肥料に使われていた。子どものころ、大人に連れられて、餅の弁当を持って落ち葉掻きに行き、枯れ枝で粟餅などを焼いて食べた。砂川には田んぼが少なく、米は陸稲しかなく、米の餅は大切で、粟やきびを混ぜて搗いていた、と。
落ち葉は、拾い集める宝だった。弁当を持って、家族で林へ出かけ、熊手で掻いて、肥料にする。焚き火で粟餅を焼く匂いまで、その一文から立ちのぼってくる。
いまはどうか。立川市の緑の基本計画は、街路樹や保存樹木、保護樹林地を守るうえでの課題として、近隣からの落ち葉の苦情を何度も挙げている。保存樹木が解除されたり、強く剪定されて樹形が崩れたりする背景の一つが、管理の負担と落ち葉なのだという。計画は、協働による落ち葉清掃などを通じて、木の持ち主の負担を軽くする取り組みも掲げている。
あのころ、落ち葉は餅の弁当を持って掻きに行くものだった。いま、落ち葉は苦情の電話になる。同じ葉が、半世紀あまりで宝から厄介ものに変わった。どちらが正しいという話ではない。ただ、ケヤキの下を歩くとき、足もとの葉が、かつては畑の土を肥やしていたことを思い出しておきたい。
同じ寄稿には、もう一つ、立川の来歴を一行で言い当てるような話がある。大正11年に立川へ移ってきた陸軍の飛行第五連隊と飛行場は、雑木林を切り開いて作られた、と書かれているのだ。寄稿の題は「戦争で山林(雑木林)が飛行場に化けた」。落ち葉を掻きに行った林の一部は、飛行機のための平らな土地になった。
その飛行場の跡が、いまの昭和記念公園である。公園の北のほうに、こもれびの丘という小高い丘がある。もとは平らだった場所に、米軍基地を撤去したときの瓦礫と、多摩ニュータウンの工事で出た残土を芯にして、関東ローム層と、はじめに剥ぎ取っておいた表土を盛り、木を移して造った雑木林だと公園は説明する。主な木は落葉広葉樹で、秋には赤や黄色に染まり、落ち葉は腐葉土になって、さらに林を育てる。公園ボランティアが毎週、下草刈りやササ切り、落ち葉かきをして、林の床には季節ごとに約180種の山野草が咲くという。
雑木林が飛行場になり、飛行場の瓦礫が雑木林になった。そして、そこではいまも、人が落ち葉を掻いている。餅の弁当こそ持っていないかもしれないが、昭和の砂川の子どもたちがしていたのと同じ仕事を、平成と令和の人々が、基地の瓦礫の丘の上で続けている。立川の秋でいちばん胸に残った事実を一つ挙げろと言われたら、私はこれを挙げる。
鎮守の森は、その落ち葉の時代の面影をよく残している。緑の十二景の7番目は「諏訪神社周辺」。神社の周辺は大木の緑に囲まれ、鎮守の森として親しまれていると市は書く。道を一本隔てた北の諏訪の森公園は、もとは神社を取り囲んでいた鎮守の森の一部で、戦後に市民公園に姿を変えた。約1,200年の歴史をもつ神社には、かつてうっそうと木々が生い茂り、昼でも暗がりになるほどだったという。昼でも暗い、という言葉が、ここでも出てくる。昭和の立川には、昼でも暗い場所があちこちにあったのだ。
8番目は砂川の阿豆佐味天神社で、見どころは昔ながらの鎮守の森と、歴史を感じさせる木造の社殿。その拝殿は文久2年(1862)に完成した総欅造りで、都内でもまれに見る豪壮な建物だと市は書く。森のケヤキが色づくころ、拝殿もまたケヤキでできている。木の中に、木の建物が建っている。
6番目は、同じ砂川の流泉寺の周辺。大木に歴史の重みを感じ、周りには砂川用水や屋敷林、ケヤキの並木があると市は書く。流泉寺は、砂川村の一番組から十番組までの菩提寺として、慶安3年(1650)に創建された。明治時代には境内に学校が置かれ、約30年のあいだ教育の中心だったという。寺の大木は、村の子どもたちの頭の上で、何十回もの秋を見送ってきたはずだ。
南の崖の秋もある。緑の十二景の3番目は、東京都農林総合研究センターの周辺の立川崖線で、崖線に残る武蔵野の雑木林が見どころだ。羽衣町の矢川緑地の林は、シラカシ、ケヤキ、コナラなどでできている。北の玉川上水の緑道も、十二景の1番目に選ばれた武蔵野の雑木林の中の道である。常緑のシラカシに、色づくケヤキとコナラが混じる。雑木林の秋は、一色ではない。
雑木林と鎮守の森を見てきた。最後は、街の真ん中のケヤキと、公園のイチョウである。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
街のケヤキ並木──北口大通りから市役所、松中団地まで
緑の十二景の10番目は「ファーレ入口周辺」。見どころは、旧立川基地の入口の貴重な緑と、立川北口大通りのケヤキ並木だと市は書く。基地の入口だった場所の緑が、いまは駅前の並木になっている。
駅の北口からモノレールの下を北へ延びるサンサンロードにも、ケヤキが並ぶ。冬の灯りの催しの案内は、この道を代表するケヤキを48本と数えている。サンサンロードのことは、それだけで一編になっているので、ここでは秋にケヤキが色づくことだけを書いておく。
さらに北の市役所のまわりにも、ケヤキ並木がある。市の緑の基本計画は、立川市役所周辺のケヤキ並木は、樹木の大きさだけでなく樹形も美しく、都市に風格をもたらしていると書く。役所が自分の庁舎まわりの並木を、計画書の中でここまで素直にほめるのは珍しい。けれども同じ計画は、道幅の狭い道の街路樹については、根上がりや歩道の幅、落ち葉の苦情、強い剪定による樹形の崩れなど、維持の難しさも正直に書いている。並木は、広い道でこそ風格になる。
緑の十二景の11番目は、緑町の中央南北線周辺。広い歩道は緑が多く散歩に最適で、近くに昭和記念公園がある、と市は書く。12番目は「ケヤキの並木」で、場所は松中団地。見どころは「市の木ケヤキ並木のトンネル」と、四季を通して豊かな緑に癒されること。十二景の最後の一景を、協議会は市の木の並木で締めくくった。
市の計画は、これからの取り組みとして、ケヤキとサクラの街路樹の調査や、五日市街道のケヤキ並木の実態の把握と保存の方法の検討を挙げている。立川は、植木の生産で全国的に知られる街だと、同じ計画は書く。木を育てて売る街が、街の木の世話に頭を悩ませている。植木屋の家の庭が、いちばん手入れが行き届いていないという話を、どこかで聞いた気がする。
昭和記念公園のイチョウと紅葉は、どこで見るか
そして、立川の秋のいちばん華やかな舞台が、国営昭和記念公園である。公園の来歴と四季は別の一編で詳しく歩いたので、ここでは秋の見どころだけを短く書く。

写真: mrhayata / CC BY-SA 2.0 / Wikimedia Commons
立川ゲートを入ってすぐのカナールのイチョウ並木は、長さ200mの水路の両側に並ぶ。木の頭が四角く刈られているのは、隣の自衛隊の滑走路の航空制限のために高さを抑えているからだ。西立川ゲートから歩いて約7分の「かたらいのイチョウ並木」は約300mで、こちらはイチョウ本来の自然な形のまま伸び、11月の最盛期には黄金色のトンネルになる。どちらの並木も、米軍基地の時代からある木を移したり残したりしたものだ。
カナールの並木は左右対称に2列ずつ、合わせて106本。かたらいの並木では、令和元年(2019)から黄葉のライトアップも行われてきた。
紅葉は日本庭園がいい。平成9年(1997)4月に誕生した約6haの池泉回遊式の庭で、首都圏では戦後最大の規模だという。モミジやコナラなどの落葉広葉樹が全体の6割を占めるように植えられ、日本庭園ができたことで、それまで公園では見られなかった紅葉が楽しめるようになったと公園は書く。花木園やこもれびの丘でも、モミジ類が色づく。
イチョウについて、いくつか知っておくと面白いことがある。イチョウには雄の木と雌の木があり、ギンナンがなるのは雌の木だけだ。種子の外側の柔らかい部分は熟すと強い匂いを放ち、素手で触るとかぶれやすい。黄葉の並木の下で、急に鼻をつまみたくなったら、そこに雌の木がある。
イチョウが街路樹に多い理由も、百科事典に書いてある。樹皮が厚く、火に強いとみなされ、江戸時代には火除け地に多く植えられた。大正の関東大震災で延焼を防いだ例があったことから、防災を兼ねて街路樹にイチョウが多く植えられるようになったという。都がイチョウを都の木に選んだときの説明にも、公害や火にも強いという一文があった。東京のイチョウは、美しいから並んでいるのではなく、まず燃えにくいから並んでいる。黄金色は、そのおまけである。
一方、ケヤキの都・立川の公園にも、もちろんケヤキがある。みんなの原っぱの真ん中に立つ大ケヤキは、公園ができる前からそこにあった木で、原っぱはこの一本を中心に設計された。黄葉のイチョウ並木を見た帰りに、原っぱの大ケヤキの渋い色を見上げてみると、都の木と市の木の秋を、一日で見比べることができる。
立川の秋は、何色か
最初の問いに戻ろう。立川は、なぜ都が選ばなかったケヤキを市の木にしたのか。
市の答えは、はっきりしている。ケヤキは武蔵野に原生し、昔から防風林として市民の生活と共存してきた。赤土を巻き上げる冬の北風から、五日市街道の家々を守ってきた。昭和10年ごろの砂川では、欅と樫の垣根が街道を昼でも暗くするほど茂り、夏には涼しい影をつくった。都民が投票で選んだのが、街路に並ぶ都会の木だったとすれば、立川が選んだのは、畑と家を守ってきた村の木だった。
立川の秋は、何色か。昭和記念公園のイチョウの黄金色も、日本庭園のモミジの紅も、立川の秋だ。けれども、この街の秋の地の色は、たぶんケヤキの黄褐色と赤褐色である。派手ではない。写真映えもしない。ただ、何代にもわたって、風を防ぎ、影をつくり、落ち葉で畑を肥やしてきた木の色だ。
あのころ、人々は餅の弁当を持って落ち葉を掻きに行った。いま、私たちはカメラを持ってイチョウを見に行く。木を見に行く理由は変わったが、秋になると立川の人が木の下へ出かけていくことだけは、変わっていない。
新宿から中央線で一本、川崎からなら南武線で一本。11月の週末、公園のイチョウを見に来たら、帰りに駅前のケヤキも見上げていってほしい。都の木と市の木の秋が、一つの駅の両側で待っている。
牧水の歌の見送りは、桜の紅葉の陰だった。百二十年後の駅前では、ケヤキの葉の下で、今日も誰かが誰かを見送っている。
寄り道クイズの答え
答えは(C)モミジ。昭和41年の都民の投票の候補は、ケヤキ、イチョウ、ソメイヨシノの三種で、選ばれたのはイチョウだった。ソメイヨシノはのちに都の花になり、ケヤキは昭和49年に立川市の木になった。
訪ねる前に
- 見頃の目安: 昭和記念公園は、イチョウの見頃を10月下旬〜11月下旬、モミジ類の紅葉を10月下旬〜12月上旬と案内している。年によって前後するので、その年の花だよりで確かめてほしい: https://www.showakinen-koen.jp/flower-information/
- 国営昭和記念公園: カナールのイチョウ並木は立川ゲートを入ってすぐ。立川ゲートはJR立川駅北口から約18分、あけぼの口は約10分。かたらいのイチョウ並木は西立川ゲートから徒歩約7分で、西立川ゲートはJR青梅線西立川駅から約2分(公園による)。入園料・開園時間・休園日、夜間の催しの有無は公式で確かめてほしい: https://www.showakinen-koen.jp/
- 八幡神社大欅: 柴崎町1-7-8地先。諏訪神社(柴崎町1-5-15、JR立川駅から徒歩10分)の南の鳥居から西へ約200m。諏訪神社の菊花展は毎年11月に約2週間(諏訪神社による)。案内は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/bunka/1004244/1004847/1019994/1004862.html
- 立川市緑の十二景: 若葉町の大ケヤキ、阿豆佐味天神社、流泉寺周辺、諏訪神社周辺、ファーレ入口周辺、中央南北線周辺、松中団地のケヤキ並木などの一覧は https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/sports/1002924/1002994/index.html
- 牧水の歌碑: JR立川駅北口のバスロータリーの中央。
- 半日で回るなら: 北はJR立川駅北口から牧水の歌碑を見て、サンサンロードのケヤキの下を抜け、昭和記念公園のあけぼの口へ(約10分)。南は立川駅南口から諏訪神社(徒歩10分)、八幡神社大欅(南の鳥居から西へ約200m)を回り、市の散歩コース「古村を歩く」に沿って普済寺へ。
- 足を延ばすなら: 北の砂川へ。玉川上水の緑道から阿豆佐味天神社と流泉寺を回れば、鎮守の森と屋敷林の秋に出会える。
- 遠くから: 新宿からはJR中央線快速で立川まで乗り換えなし(30分台)。神奈川からは、川崎からJR南武線で乗り換えなし(立川まで約1時間)。時刻と所要時間はJR東日本の公式で確かめてほしい。
- 屋敷林や保存樹木の多くは個人の家の木である。通りから眺めるにとどめよう。
歩いたあとは、立川駅北口で
秋の立川を歩くと、日の暮れが早い。イチョウ並木の黄色に見とれているうちに、風が冷たくなってくる。落ち葉を踏んで歩いた足は、思ったより冷えている。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。公園の閉園時刻のあとでも、寄る時間はある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。カメラと落ち葉の付いた靴のまま、身ひとつで寄れる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
駅前のケヤキの下を抜けて、ビルの3階へ上がる。窓の外では、市の木が、今年の色に染まっている。
冒頭の写真: 昭和記念公園の黄葉したイチョウ並木。青空の下、足もとは落ち葉で黄色く染まる(写真: coniferconifer / CC BY 2.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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