立川で雨の日はどこで過ごすか。時間つぶしの答えを、駅の二階のデッキ、多摩でただ一つの東京都観光情報センター、蔵書52万点の中央図書館、無料の科学館や資料館、子ども向けの屋内施設まで一次資料でたどる。立川でいちばん雨が多いのは梅雨ではなく9月、という意外な事実も添えて。
立川のあたりでいちばん雨の多い月は、梅雨の6月ではない。9月である。
それを知ったのは、立川で雨に降られたらどこへ行けばいいのか、という問いに、しばらく答えに詰まったあとだった。駅ビルがある。百貨店がある。それだけ言って済ませるのは、雨の日の旅人に少し不親切な気がして、雨の立川を、雨の側から調べなおしたのである。意外な事実は、ほかにも出てきた。東京都が都内に置いた観光案内所は6か所しかなく、多摩にあるのはそのうち1か所、立川駅の中だけだ。そして駅の北口は、かつて雨が降るたびに水が引かず、町の議会に陳情が出るほどの場所だった。
いまその北口では、人は地面より先に、二階の高さの床に出る。水が引かなかった駅前が、なぜ雨の日にいちばん頼れる場所になったのか。その謎を半分ずつ解きながら、雨の立川を歩いてみる。
立川で雨の日の時間つぶしは、駅の二階から始まる
先に答えを置いておく。立川で雨の日に時間を潰すなら、まず駅の改札を出て、二階の高さの歩行者デッキに乗ることだ。そこから先は、使える時間で行き先を選べばいい。
1時間なら、駅の中で足りる。改札の内側のエキュート立川には、朝7時から開くカフェがある。その3階に、東京都の観光情報センターがある。北口の駅ビルのルミネ立川には、夜10時まで開いている書籍の売り場がある。
2〜3時間あるなら、北口のデッキからファーレ立川の街区へ渡り、立川市中央図書館に入る。蔵書はおよそ52万点。平日なら夜8時まで開いている。
半日あるなら、雨の日だからこそ行きたい場所がある。モノレールで2駅の高松駅のそばには、南極の氷に触れられる国立極地研究所の南極・北極科学館と、江戸の書物を展示する国文学研究資料館があり、どちらも入場は無料だ。子ども連れなら、GREEN SPRINGSの屋内の遊び場と美術館、旧市庁舎を使った立川まんがぱーく、本物そっくりの揺れを体験できる立川防災館がある。
以上が、急いでいる人のための答えである。急いでいない人には、もう少し付き合ってほしい。立川の雨には、案内図には載っていない来歴がある。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川の雨は、梅雨より秋に多い
雨の日の話をするなら、まず、立川にどれだけ雨が降るのかを知っておきたい。
立川市の中には気象庁の観測点がない。いちばん近いのは、東へ6キロほどの府中にあるアメダスだ。気象庁が1991年から2020年までの30年分をならした平年値によれば、府中の1年の降水量は1,598.9ミリになる。
ここで、小さな可笑しみに出会った。都心の大手町にある「東京」の観測点の平年値は、1,598.2ミリ。多摩の真ん中と都心とで、1年に降る雨の差は0.7ミリしかない。30年ならして、目薬ほどの違いである。雨は、23区と多摩を分け隔てしない。
冒頭の一行は、月ごとの数字から来ている。府中でいちばん雨の多い月は、9月で246.7ミリ。次が10月の228.0ミリ。6月は166.6ミリで、9月の7割ほどしか降らない。梅雨の季節より、台風と秋の長雨の季節のほうが、この辺りではずっとよく濡れる。
私はずっと、雨の季節といえば6月だと思っていた。たぶん多くの人もそうだろう。だが数字を見るかぎり、立川で雨の日の過ごし方を本気で考えなければならないのは、紫陽花の季節より、彼岸花の季節なのだ。運動会と遠足の予定を立てる人には、あまり聞かせたくない話である。
逆に、雨がいちばん少ないのは冬だ。府中の1月は56.9ミリ、2月は52.4ミリ、12月は58.7ミリ。9月の4分の1にも満たない。冬の立川は乾いていて、空が高い。その冬の空の話は、特集の別の一編、夜景と朝の回に譲ることにする。
降った雨はどこへ行くのか。立川の地面は、火山灰が積もった関東ローム層と、その下の礫の層でできている。台地に降った雨は地中に染みこみ、段丘の崖の下でふたたび湧き出す。特集の矢川の一編で歩いた「はけ」の湧き水も、根川の一編で歩いた崖下の水も、もとをたどれば台地に降った雨だ。雨の日に駅の二階を歩いている私の足の下で、9月の雨はゆっくりと地中を下り、何年かかけて崖の下へ向かっている。そう考えると、傘を叩く音にも少しだけ奥行きが出る。
ところが、その染みこむはずの雨が、駅の北口ではうまく引いてくれなかった時代がある。
雨のたびに水が引かなかった北口と、二階の床
大正14年(1925)、立川の町議会に、駅前の浸水への手当てを求める声が上がっている。このまちアーカイブスがまとめた立川の年表は、北口の辺りが雨のたびに水の引かない場所だったことを伝えている。排水路の工事に手がついたのは昭和18年(1943)ごろで、完成しないまま終戦を迎え、できあがったのは昭和22年(1947)だった。2年後、その水路は緑川と名づけられた。この話は特集の立川駅の一編で詳しく書いたので、ここでは要点だけにとどめる。

写真: ISSHIE / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
要点とは、こうだ。駅の北口は、もともと雨に弱い場所だった。
昭和の立川で雨に降られた人は、どう過ごしていたのだろう。手がかりは、駅の年表の中にある。
線路の北と南を結ぶ道は、長いあいだ地下にあった。立川市歴史民俗資料館の手引によれば、駅の地下道が通じたのは昭和7年(1932)。昭和37年(1962)には、東の踏切のそばにも地下道ができた。線路の上を渡る南北自由通路が完成したのは昭和57年(1982)で、北口の駅ビルはこのとき「WILL」という名前で開いている。ルミネ立川に名を改めるのは、10年後の平成4年(1992)だ。年配の人なら、WILLの名前に覚えがあるかもしれない。若い人にとっては、ルミネに前の名前があったこと自体が小さな驚きだろう。
雨の日の行き先も、いまとは違った。このまちアーカイブスによれば、昭和35年から44年にあたる1960年代、立川駅の周りには映画館が10館あった。昭和45年(1970)には、伊勢丹が新しい店に移り、立川髙島屋が開いている。雨が降れば地下道をくぐって線路の向こうへ渡り、映画館の暗がりか、百貨店の明るい売り場に入る。それが、あのころの立川の雨宿りだったのだろう。
あのころ、人は雨の日に線路の下をくぐった。いま、人は雨の日に駅前の二階を渡る。道が地下から空中へ引っ越したあいだに、北口の地面の上に、もう一枚の床ができた。
その北口が、いまは雨の日にいちばん人の集まる場所になっている。立川市の年表によれば、平成11年(1999)に南口の歩行者用デッキの供用が始まり、平成13年(2001)に北口と南口の駅前広場で歩行者専用デッキが一部開通し、平成17年(2005)に南口と北口のデッキが開通した。車とバスは地面を走り、人は二階を歩く。水の引かなかった地面の上に、人のための床をもう一枚張ったのである。
立川市は、自分の街を紹介するときに、JR立川駅の周辺には歩行者専用のデッキが整備され、と書き添えている。デッキが伊勢丹や髙島屋S.C.をどうつないだかは、特集の買い物の一編に書いた。雨の日の旅人にとって大事なのは、その先だ。伊勢丹立川店の公式の案内によれば、JR立川駅の北口からペデストリアンデッキを通って2階の正面玄関まで徒歩2分、多摩モノレールの立川北駅からは3階の連絡口まで徒歩1分。南口のグランデュオ立川は、公式サイトの題に「立川駅直結」とうたう。
ひとつ、正直に書いておかなければならないことがある。デッキのどこに屋根があり、どこに無いのかは、私が開いた資料のどこにも書いていなかった。だから「濡れずに歩ける」と言い切ることは、私にはできない。駅と建物のあいだを二階の高さで行き来できる、というところまでが確かめた事実だ。傘は持って出るのが無難である。案内記事として格好はつかないが、濡れた読者から苦情が来るよりはいい。
もうひとつ、雨の日に覚えておきたい場所がある。北口のデッキからモノレールの下の通路を進み、サンサンロードを北へ歩いた先のGREEN SPRINGSだ。公式の説明によれば、建物の考え方は「まちの縁側」で、軒が半屋外の空間をつくっている。縁側とは、もともと雨の日に家の中から外を眺めるための場所だ。駅から徒歩8分ほど、その軒の下に入れば、雨に煙るサンサンロードを、濡れずに眺める場所がどこかに見つかるだろう。
数字で読む 雨の日の立川
- 0.7 — ミリ。府中と都心の、1年の降水量の平年値の差。30年ならして、ほぼ引き分け。
- 246.7 — ミリ。府中で雨がいちばん多い9月の平年値。梅雨の6月は166.6ミリ。紫陽花より彼岸花のほうが濡れている。
- 1925 — 年。北口の浸水への手当てを求める声が町議会に上がった年。雨の悩みは、ちょうど100年前からある。
- 2005 — 年。南口と北口のデッキがつながった年。人はこの年から、駅の北と南を二階で行き来できるようになった。
- 6 — 東京都の観光情報センターの数。そのうち多摩にあるのは、立川駅の中の1か所だけ。
- 52万 — 点あまり。立川市中央図書館の蔵書。全部読むには、雨の日が足りない。
では、その「多摩でただ一つ」の案内所から、雨宿りを始めてみよう。
多摩でただ一つの東京都観光情報センターは、立川駅の中にある
東京都の観光の公式サイト「GO TOKYO」は、都が設けた観光情報センターを6か所挙げている。東京都庁の第一本庁舎、バスタ新宿、羽田空港の第3ターミナル、京成上野の駅、八重洲、そして多摩。多摩のセンターは、立川市柴崎町3-1-1、エキュート立川の3階にある。
23区の外にある都の観光案内所は、ここだけだ。羽田と新宿と上野と都庁と八重洲。東京の玄関と呼べる場所に並んで、立川駅が名を連ねている。都は、多摩の玄関をここに置いた。立川市民が人に話してよい一行だと思う。
開いている時間も、雨の日の旅人に向いている。公式の案内によれば、月曜から土曜は午前10時から午後9時まで、日曜と祝日は午後8時まで、年中無休。都内と全国の観光案内、観光地や観光ルートの紹介、交通の案内、都内の宿の紹介、無料のWi-Fi、東京都観光ボランティアの紹介をしている。車いすやベビーカーの貸し出しもある。グッズやチケットの販売、荷物の預かりや外貨の両替は、ほかのセンターだけの仕事だと断ってある。雨の日に荷物を預けて身軽に歩きたい人には残念だが、多摩の雨の日の過ごし方を相談する相手としては、これ以上の人はいない。
エキュート立川そのものも、雨の日の時間つぶしには都合がいい。公式の案内では、3階のカフェは朝7時から開いていて、1階にも朝7時から夜11時まで開くカフェがある。始業前に雨が強まったとき、駅を出る前に一杯飲んで雨脚を見る。そういう使い方ができる駅は、案外少ない。
もうひとつの案内所もある。ファーレ立川のアートマップの置き場所を並べた一覧には、エキュート立川3階の東京都観光情報センター多摩と並んで、立川市観光案内コーナーが、立川タクロスの1階にあると載っている。都の案内所と市の案内所が、駅の北と中に一つずつ。案内所の数で言えば、立川は旅人をずいぶん大事にしている。
案内所で地図をもらったら、次は本格的な雨宿りの場所へ向かいたい。北口のデッキの先に、52万点の本が待っている。
52万点の雨宿り──立川市中央図書館
立川市中央図書館は、駅の北口から歩いてすぐ、ファーレ立川センタースクエアの2階から4階にある。立川市図書館の案内によれば、開館は平成7年(1995)1月12日。ファーレ立川のまちびらきの翌年だ。基地の跡地にできた新しい街区の真ん中に、市は図書館を置いた。

写真: Abasaa / Public domain / Wikimedia Commons
数字が大きい。2024年3月末の時点で、開架の書架に371,742点、保存書庫に154,249点。合わせて52万6千点ほどになる。1日に1冊読めば、1,400年あまりかかる計算だ。私の人生の雨の日を全部集めても、たぶん書架の端にも届かない。
階ごとの作りも、雨の日に長居するのに向いている。2階の東側には人文・社会、自然科学、商工業、家庭実用書、文学の一般書が、西側には雑誌と新聞のコーナーがある。3階は芸術、スポーツ、言語の本と文庫本、外国語の資料、ヤングアダルトの本で、視聴覚のカウンターと、調べものを手伝ってくれるレファレンス室もある。4階は「子どもの本のくに」と名づけられた児童書のフロアだ。
開いている時間は、平日が午前10時から午後8時まで、土日と祝日は午後5時まで。4階の児童フロアは毎日午後5時までになる。休みは毎週月曜と毎月第3木曜、そのほか年末年始などだ。平日の雨の夕方、仕事帰りに寄れる時間まで開いているのは、駅前の図書館ならではの親切だろう。
この図書館には、立川の雨宿りにしか味わえない楽しみがある。立川市図書館の手引きによれば、中央図書館は立川基地と飛行場についての資料を特別コレクションとして集め、分類番号W-3-10として一か所にまとめている。ファーレ立川のパブリックアートの資料もW-5-10にまとめ、3階のレファレンス室には作家ごとの経歴と代表作のファイルがある。飛行場の跡地に建つビルの上で、その飛行場の記録を読む。窓の外の雨の下に、かつての滑走路の跡が広がっている。読書の場所として、これほど話の早い組み合わせはない。
市内にはほかに、柴崎、上砂、幸、西砂、多摩川、高松、錦、若葉の図書館があり、中央と合わせて9館になる。雨の日に家の近くの分館で過ごすのも悪くない。だが旅人なら、やはり駅前の中央館がいい。
旅人の寄り道クイズ
東京都が都内に置いた観光情報センターは6か所。そのうち23区の外にあるのは何か所だろう。(A)1か所(B)2か所(C)3か所。答えは最後に明かす。
本の山から顔を上げたら、次は、雨の日だからこそ行きたい場所の話をしよう。晴れた日に行くには惜しいほど、屋根の下に広い世界がある。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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