立川で働く・生まれる仕事の今と未来──昼の人口が夜より2万人多く、開業率は多摩26市で一番の街

立川はなぜ人が「働きに来る」街なのか。昼夜間人口比率と開業率はどちらも多摩26市で1位。経済センサスの数字、立川に本社を置く飛行機会社の末裔やスーパーやゲーム会社、基地の跡に来た国の研究所、創業の窓口とスタートアップの芽、令和8年度からの市の産業振興計画が描く未来と弱点まで、統計と公式資料でたどる。

立川は、夜より昼のほうが混んでいる。

令和2年(2020)の国勢調査で、立川市に住んでいる人は18万3,581人。ところが昼間に立川にいる人は20万7,832人だった。その差、2万4千人あまり。毎朝、市の外から、ちょっとした町ひとつ分の人が立川へやってきて、夕方になると帰っていく。

ベッドタウンの多い多摩で、これは珍しい。国勢調査の値で見ると、多摩26市のうち、昼の人口が夜を上回るのは立川市と武蔵野市の二つだけだ。しかも、この街ではいま、多摩でいちばん多く新しい事業所が生まれている。人は何をしに、立川へ来るのか。そして、この街の次の仕事は、どこから生まれようとしているのか。駅前の人波の行き先を、統計と計画書でたどってみることにした。

立川はなぜ「働きに来る街」なのか──昼夜間人口比率は多摩26市で1位

まず、冒頭の数字を正確にしておきたい。

住んでいる人100人に対して、昼間に何人いるかを示す数字を、昼夜間人口比率という。立川市の産業振興計画が総務省の令和2年国勢調査から引いた表によれば、立川市は113.2で、多摩26市の中で1位。2位の武蔵野市が108.0、3位の多摩市は99.5で、多摩26市の平均は91.7にとどまる。100を超えるのは、立川と武蔵野だけだ。

東京都がまとめた同じ国勢調査の報告書では、立川市は115.4になっている。数字が違うのは、都が回答の不詳を補った値を使っているからで、こちらでも市部の1位は立川である。どちらで数えても1位。統計の物差しを替えても順位が動かないのは、なかなか心強い。

昼に立川にいる人のうち、働きに来ている人を数えた数字もある。都の報告書によれば、立川市で働いている人、つまり昼間就業者は12万543人で、市部では八王子市、町田市、府中市に次ぐ4番目だ。ところが、そこに住んでいて働いている人、常住就業者の多い市の上位5つに、立川の名前は無い。住んでいる人の数では上位に入らないのに、働く場所としては4番目に入る。立川は、働く人を外から呼び込む力の強い街なのである。

働く場所の側から数えると、こうなる。立川市の産業振興計画によれば、令和3年(2021)の経済センサスで、市内の民営事業所は7,692、そこで働く人は11万5,163人。事業所の数は平成24年(2012)以降ほぼ横ばいで、働く人は平成26年(2014)以降増えている。

計画は、立川の事業所の顔ぶれに一つ特徴があると書く。近隣の自治体と比べて、全事業所に占める支所・支社・支店の割合が多いのだ。本社は都心に置き、多摩を受け持つ拠点を立川に置く。そういう会社が多いということである。多摩で営業するなら、まず立川に看板を出す。駅前のビルの案内板に「多摩支店」の文字が多いのは、気のせいではなかった。

産業の得意分野も、数字に出ている。多摩26市と比べた立川の特化係数は、付加価値額で見ると「金融業,保険業」が2.64、「不動産業,物品賃貸業」が2.07、「サービス業(他に分類されないもの)」が1.92。1.0を超えるほど、その産業が立川に偏って集まっていることを示す。小売と卸売を合わせた年間の商品販売額は8,100億円で、多摩26市で2番目に大きい。市内の企業の売上高を合計すると1兆6,558億円になる。多摩でいちばん大きい八王子市の、6割台の規模だ。

金融、不動産、商業、サービス。並べると、立川という街の職業欄が見えてくる。お金を動かし、土地を貸し、物を売り、人を派遣する。ものをつくる街というより、多摩じゅうの人と金が行き交う、結節点の仕事である。

だが、昔からそうだったわけではない。この街の職業欄には、もっと油の匂いのする時代があった。

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あのころ──飛行機の工場と基地が、立川の職場だった

昭和5年(1930)、東京の月島にあった石川島飛行機製作所が、工場を立川へ移した。のちの立川飛行機である。昭和9年(1934)からは「赤とんぼ」の名で知られる練習機をつくり、その数は累計2,398機にのぼった。飛行場の隣で、街の働き手の多くが飛行機をつくっていた。

戦争が終わると、職場はひっくり返る。市の『たちかわ物語』によれば、昭和20年(1945)9月に進駐した米軍は、飛行場と隣接する工場を接収した。工場の労働者は職場を失い、故郷へ帰る者が続出した。

ところが、職場はすぐに別の形で戻ってくる。立川基地が極東随一の輸送基地になると、修理工、料理人、ハウスメイド、運転手など、多くの雇用が生まれた、と同じ冊子は書く。昭和25年(1950)の統計で、立川の人口は「軍都」と呼ばれた昭和19年の6万人をついに上回った。飛行機をつくる街から、飛行機を直し、兵士の食事をつくる街へ。働く場所の主が替わっても、立川は人を呼び続けた。

駅前の魚屋も、時代と一緒に姿を変えた。明治33年(1900)に鮮魚商として始まった稲毛屋は、昭和31年(1956)に立川北口店でセルフサービス方式を取り入れ、都下で最初のスーパーマーケットを始めた。いまの「いなげや」である。この話は商業の街の回で詳しく書いた。

その後の立川は、基地の返還と、もう一つの大きな出来事を経験する。市の計画によれば、平成12年(2000)から平成13年(2001)にかけて、日産自動車村山工場の閉鎖の影響を受けて、市の製造品出荷額が大きく落ち込んだ。令和3年(2021)の出荷額は775億1,900万円である。

あのころ、立川の職場には工場の音があった。いま、職場の多くはオフィスと売り場の中にある。では、これからの立川の職場は、どんな顔をしているのか。その手がかりは、この街に本社を置く会社の顔ぶれにある。

本社は立川にある──空の会社、魚屋の末裔、駅前のゲーム会社

支店の街と書いたが、本社もある。それも、なかなか個性的な本社だ。

立川市栄町の立飛ビル。飛行機づくりから始まった立飛グループの本社が置かれている。
立川市栄町の立飛ビル。飛行機づくりから始まった立飛グループの本社が置かれている。
写真: 運動会プロテインパワー / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

一つ目は、空の会社の末裔である。立飛ホールディングスの会社概要によれば、本社は立川市栄町6丁目1番地の立飛ビル3号館。グループの創立は大正13年(1924)11月で、従業員は739名。飛行機づくりから始まった会社は、いま立川市の約25分の1にあたる約98万平方メートルの土地を持ち、その土地で商業施設やアリーナや砂浜をつくっている。飛行機をつくっていた会社が、いまは街をつくっている。

二つ目は、魚屋の末裔だ。いなげやの会社概要によれば、本社は立川市栄町六丁目1番地の1。本社の機能を立川へ移したのは昭和60年(1985)のことだという。住所を並べて、私は少し笑った。飛行機の会社とスーパーの会社が、同じ栄町6丁目1番地に本社を構えている。空の歴史と台所の歴史が、番地の上で隣り合っている。

三つ目は、地域の金融機関だ。多摩信用金庫の本店は、立川市緑町3-4にある。令和2年(2020)に新しい本店・本部棟へ移り、その中に美術館まで開いた。信用金庫の本店で、絵を見る。この街の金融の特化係数が高いのも、うなずける気がする。

四つ目は、駅前のゲーム会社である。日本ファルコムの会社概要によれば、所在地は立川市曙町2-8-18、東京建物ファーレ立川ビル。昭和56年(1981)創業で、「イース」や「軌跡」のシリーズで知られる。109点のアートが車止めやベンチの姿で並ぶファーレ立川の一角で、冒険の物語が書かれ、北米や欧州でも発売されている。海外のゲーム好きが立川の駅前を訪ねる理由は、アニメの聖地だけではない。

市の産業振興計画は、この方面について、少し得意げなコラムを載せている。題は「立川はサブカルチャーのまち?」。立川には世界中のファンに愛されるホビーメーカーの本社や、歴史あるゲームメーカーの本社があり、近年はアニメーションや3DCGを扱う映像制作会社など、コンテンツ産業に関わる拠点の立地も確認されている、と書く。そして最後に、もはや立川はサブカルチャーのまちだけでなく、多摩地域における制作と発信の拠点とも言えるのではないでしょうか、と結ぶ。行政の計画書が疑問形で胸を張っている。私は嫌いではない。

市は、会社を呼ぶ仕組みも用意してきた。計画の年表によれば、平成22年(2010)に「立川市都市軸沿道地域企業誘致条例」を定めている。都市軸とは、基地の跡地を南北に貫くサンサンロードのことだ。飛行場だった平らな土地に、会社を呼ぶための条例ができた。

本社の次は、国の機関である。立川にはもう一つ、別の種類の「働く人」がいる。

研究所と役所が引っ越してきた──業務核都市という国の設計

国土交通省の資料によれば、昭和61年(1986)の第四次首都圏基本計画で、国は八王子と立川を「業務核都市」に位置づけた。同じ資料の言葉を借りれば、立川は首都圏の業務核都市として、商業や業務の集積を図り、文化、研究、防災などの広域的な都市機能を整える街になった。平成7年(1995)には「八王子・立川業務核都市基本構想」が承認された。構想は、立川で国の行政機関などの移転をはじめ、業務と商業の機能を強め、文化・情報・交流の機能を入れると書いている。

緑町の研究所街。国立極地研究所と統計数理研究所の図書室が、一つのガラスの入口に並ぶ(2016年撮影)。
緑町の研究所街。国立極地研究所と統計数理研究所の図書室が、一つのガラスの入口に並ぶ(2016年撮影)。
写真: Sho Kuroda / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

その構想どおり、返還された基地の跡には国の機関が来た。平成15年(2003)に自治大学校、平成17年(2005)に国立国語研究所、平成20年(2008)に国文学研究資料館、平成21年(2009)に統計数理研究所と国立極地研究所。国交省の資料は、平成23年(2011)の時点で5機関の職員を合わせて345名と数えている。同じ一角に裁判所の合同庁舎が、隣に市役所が移ってきた。研究所街の話は南極の回で歩いたので、ここでは働く場所としての意味だけを書いておく。日本語や統計や南極を仕事にする人が、毎朝、立川へ通っている。

市の第4次観光振興計画は、この一角にもう一つの可能性を見ている。国の研究機関が点在しているので、視察や研究に伴って外国人研究者などが訪れる機会が増えるだろう、というのだ。統計数理研究所の構内には、世界の統計学者が知る名前を冠した研究者のための宿泊施設、Akaike Guest Houseまである。研究の仕事は、国境を越えて立川へ人を連れてくる。

働く人を支える公の窓口も、立川に集まっている。市の産業振興計画は、東京都よろず支援拠点立川事務所、東京都多摩地域事業承継・引継ぎ支援センター、TOKYO創業ステーションTAMA、ハローワーク立川、マザーズハローワーク立川、東京しごとセンター多摩などの名前を並べる。令和4年(2022)には、立川駅南口に東京都と立川市の合同施設が開き、東京しごとセンター多摩などが移ってきた。仕事を探す人も、会社を始める人も、会社を継ぐ人も、相談するならまず立川へ。業務核都市は、相談の核にもなっている。

数字で読む「立川で働く」

  • 113.2 ── 立川市の昼夜間人口比率(令和2年国勢調査)。多摩26市で1位。夜より昼に、2万4千人多い。
  • 120,543 ── 立川市の昼間就業者の数(人)。市部で4番目。住んでいる人の数の順位より、働く人の順位が高い。
  • 7,692 ── 令和3年の市内の民営事業所の数。看板に「多摩支店」と書く会社が多い。
  • 2.64 ── 金融業・保険業の特化係数(付加価値額)。信用金庫の本店に美術館がある街らしい数字である。
  • 345 ── 平成23年時点で、基地の跡に移った国の5機関で働く人の数(人)。南極と統計と日本語の仕事が、ほぼ同じ番地にある。
  • 6 ── 立飛ホールディングスといなげやの本社の住所の丁目。どちらも栄町6丁目1番地。空と台所が隣同士である。

旅人の寄り道クイズ

立川商工会議所が掲げる、立川をイノベーションの生まれる場所にする将来像の名前はどれだろう。(A)Innovation Farm TACHIKAWA(B)Innovation Port TACHIKAWA(C)Innovation Station TACHIKAWA。答えは最後に明かす。

ここまでは、いま立川にある仕事の話だった。次は、これから生まれる仕事の話をしたい。実はこの街は、多摩でいちばん、新しい事業が生まれている。

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