立川に外国人旅行者はどれだけ来ているのか。東京都の調査では、東京を訪れた外国人のうち立川を訪ねたのは2.3%。羽田空港から乗り換えなしのバス、多摩でただ一つの都の観光情報センター、10言語の地図、海外の人が驚く立川の顔、そして市の観光振興計画が描くインバウンドの未来と弱点を、統計と公式資料でたどる。
2.3。東京を旅して帰国する外国人に「どこへ行きましたか」と聞くと、100人のうち2人と少しが「立川」と答える。
東京都が羽田と成田の出発ロビーで、日本を発つ外国人旅行者1万6千人あまりに尋ねた調査がある。訪ねた場所の一覧は、渋谷の60.3%から始まり、銀座、東京駅、新宿、浅草と、見慣れた名前が続く。その下へ、下へと目でたどっていくと、21番目に、ようやく立川が出てくる。2.3%。
少ない、と思った。それから、待てよ、と思い直した。東京の中から25か所しか選ばれていない一覧に、立川という地名が、ほかの街と抱き合わせにされず、単独で載っているのだ。100人に2人の旅人は、わざわざ立川まで来ている。では、その人たちは何を見に来たのか。そして残りの98人に、この街は何を見せればいいのか。数字の裏を、歩いてみることにした。
立川を訪れる外国人旅行者は何人か──数字で見るインバウンドの今
まず、大きな数字から始めたい。
東京都の発表によれば、2025年に東京を訪れた外国人旅行者は約2,865万人で、前の年より15.6%増え、過去最高になった。東京で使ったお金は約4兆5,534億円。これも過去最高である。都は2030年に3,000万人を超える目標を掲げているが、その背中はもう見えている。
その2,865万人は、東京のどこへ行くのか。冒頭の調査、東京都の「国・地域別外国人旅行者行動特性調査」の令和7年版は、羽田空港と成田空港の国際線の搭乗待合ロビーで、日本を出国する外国人に聞き取りをしている。回答は16,008人。訪ねた場所の上位は、渋谷60.3%、銀座54.1%、東京駅周辺・丸の内・日本橋51.8%、新宿・大久保50.8%、浅草46.9%。
多摩の地名は、ずっと下にまとまっている。吉祥寺・三鷹が4.0%、八王子・高尾山が3.2%。そのあと蒲田の3.0%をはさんで、立川が2.3%。立川の下には、亀有・柴又の1.5%、奥多摩の1.1%、青梅・御岳山の0.8%が続く。寅さんの柴又より、立川のほうが外国人に訪ねられている。これは市民がそっと誇ってよい事実だと思う。
ここで、乱暴な掛け算をひとつしてみる。2,865万人に2.3%を掛けると、およそ66万人になる。ただし、これは私の見立てにすぎない。調査は出国する人への聞き取りで、2,865万人という都の推計とは数え方が違う。だから、66万人は「その程度の桁の人が来ているかもしれない」という目安以上の意味を持たない。それでも、桁は大事だ。数十万人の旅人が、パスポートを持って立川の駅に降りている可能性がある。
同じ調査は、旅人が東京で何をしたかも聞いている。いちばん多いのは「日本食を楽しむ」で89.0%。次が日用品や化粧品、菓子の買い物で62.7%。アニメ・マンガ関連の商品を買った人は34.2%、アニメゆかりの地を訪れた人は13.4%いた。この最後の数字を、覚えておいてほしい。あとで立川の話に戻ってくる。
調査はもう一つ、旅人が東京の何を魅力と感じたかも聞いている。1位は「人が親切」で53.6%、2位が「衛生的」53.5%、3位が「治安がよい」51.8%。景色でも食べ物でもなく、まず人。親切がいちばんの観光資源だという結果は、旅人を迎える街にとって、ありがたくもあり、少し緊張もする。
では、なぜ立川は2.3%なのか。答えの半分は、昔の立川にある。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
あのころ、立川は東京でいちばん「外国」に近い街だった
外国の人が立川に来る。それは、実はまったく新しい話ではない。
立川市の年表によれば、昭和2年(1927)、立川飛行場にソ連の親善機が飛来した。立川に来た最初の外国機である。年表はその後をこう続ける。外国機の飛来が相次ぎ、立川飛行場は国際空港となる。いまから百年近く前、東京の空の玄関は立川にあった。羽田に民間航空が移るのは、昭和8年(1933)のことだ。
市の「立川飛行場のあゆみ」は、その時代をもう少し誇らしげに書く。外国から有名な飛行家が相次いでやってきて、立川の名は国際的にも有名になった、と。資料には、初めて太平洋の横断飛行に成功したアメリカの「ミス・ビードル号」の写真まで載っている。行き来は一方通行でもなかった。昭和12年(1937)4月6日の未明、朝日新聞社の国産機「神風号」は立川を飛び立ち、15,357キロを94時間17分56秒で飛んでロンドンに着いた。世界のほうから立川へ来て、立川から世界へ出ていった。百年前のこの街は、いまよりずっと、地球の大きさを身近に感じていたのかもしれない。
戦後、外国の人は空からではなく、ゲートの向こうからやってきた。昭和20年(1945)9月、立川に進駐した米軍は飛行場を接収し、立川基地を置いた。市の『たちかわ物語』は、基地に勤める米軍の将兵が、ゲートの周りの曙町、高松町、富士見町の商店街にとって大事な客になったと書く。昭和27年ごろの曙町二丁目の交差点の写真には、米兵向けの看板が並んでいる。
同じ冊子の別の号は、昭和25年(1950)の立川駅のクリスマスの写真を載せている。駅を飾るサンタクロースと、空を行く輸送機。立川は米国文化の最前線になった、と冊子は書く。外国人向けの土産物店、Souvenir Storeが、駅の北口にも、線路をまたいだ南口にも広がった。
英字の看板が並び、ドルで物が売られ、駅にサンタが立つ。昭和の立川は、東京の中でもいちばん「外国」の匂いがする街のひとつだったのかもしれない。年配の人には、あの看板の色を覚えている人もいるだろう。
あのころ、立川に来る外国人は、軍服を着ていた。いま、立川に来る外国人は、スーツケースを転がしている。そして、これから。市の計画は、その先に、また別の姿の旅人を描いている。けれど、計画の話の前に、まず旅人の足もとの話をしておきたい。空港から、どうやって来るのか。
羽田空港から立川へ──乗り換えなしのバスで、約1時間半
東京の公式観光サイト「GO TOKYO」の英語版は、立川と国立の頁をこう書き出している。新宿駅から西へ30分。都心の混雑と緊張から、ほっと一息つける場所。見出しには「Tokyo’s biggest park」、東京でいちばん大きな公園とある。国営昭和記念公園のことだ。

写真: Mister0124 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons
同じ頁は、空港からの行き方も示している。羽田空港からは電車で1時間25分。成田空港からはリムジンバスで2時間45分、電車なら2時間15分。新宿からは中央線の中央特快で30分、東京駅からは50分。
羽田からは、もう一つの道がある。立川バスと京浜急行バスが共同で走らせている「羽田空港線」だ。立川バスの時刻表によれば、羽田空港を出て、谷保、国立、立川、昭島へ向かう便が1日22本。国際線の第3ターミナルでは4番のりばから乗る。第3ターミナルの始発は6時40分、最終は22時40分。時刻表の目安では、立川駅北口までは1時間10分から2時間ほどかかる。朝の便ほど長い。道路の混み具合で変わる、と時刻表はわざわざ断っている。
運賃は大人2,000円、子どもは半額の1,000円。現金のほか交通系ICカードが使える。立川方面行きは、空港のバス乗車券のカウンターか券売機で、乗る便を指定した券を買ってから乗る。逆に立川から羽田へ向かうときは、予約は要らず、先着順の座席定員制だ。立川駅北口の13番のりばから、早い便は朝4時台に出る。乗り遅れたくない旅人の不安に、朝4時5分という数字は、なかなか頼もしい。
スーツケースを抱えて電車を乗り継ぐのは、言葉がわからない旅人には、ちょっとした冒険だ。羽田で一度バスに乗れば、あとは座って、窓の外の東京が低く、緑が多くなっていくのを眺めていればいい。東京を東の端から西の真ん中まで、2,000円で横断する。地図の上で考えると、これはかなり割のいい移動である。
着いた立川駅は、どんな駅か。立川市の産業振興計画によれば、立川駅の1日平均の乗車人員は、多摩26市にある中央線の駅の中で1位、中央線の全部の駅で見ても新宿駅、東京駅に次ぐ3位だ。JR東日本の2024年度の数字では、1日におよそ15万人が乗る。中央線、青梅線、南武線が集まり、多摩モノレールが南北に交差する。神奈川の川崎からは南武線で、乗り換えなしで着く。旅人にとっては、東京の西側のどこへでも行ける乗り換えの駅である。
駅に降りた旅人が、次に探すのは何か。たぶん、案内所だ。
多摩でただ一つの都の観光情報センターと、130の言語の入口
立川駅の改札の内側、エキュート立川の3階に、東京都の観光情報センターがある。都が都内に置く6か所のうち、23区の外にあるのはここだけだ。この話は雨の日の立川を歩いた回で詳しく書いたので、ここでは一つだけ足しておく。GO TOKYOの英語の頁では、このセンターは「Tama (ecute Tachikawa, 3F)」と書かれている。英語の旅行案内に、多摩の代表の窓口として、立川の駅の名前が載っている。

写真: ITA-ATU / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
案内所の外にも、言葉の入口はある。
立川市の公式サイトを開くと、頁の上に翻訳の入口があり、言語の一覧がずらりと並ぶ。数えてみると、130あった。英語、中国語、韓国語、ベトナム語、ネパール語はもちろん、アフリカーンス語、エスペラント、ハワイ語、ズールー語まである。ズールー語で立川のごみの出し方を読む人が、いつか現れるのだろうか。現れたら、その人とは仲良くなれそうな気がする。
観光の案内は、もう少し現実的だ。立川市の「観光お役立ち情報」の頁によれば、アプリのダウンロードも会員登録も要らない「たちかわ観光デジタルマップ」は、日本語、英語、中国語の繁体字と簡体字、韓国語、スペイン語、フランス語、ベトナム語、インドネシア語、ミャンマー語、タイ語に対応している。スマートフォンの現在地と地図が連動し、「遊ぶ」「食べる」「観る」「買う」「泊まる」などの目的から探せる。紙の「立川観光ガイドマップ」は、日本語、英語、中国語(繁体字)の3つで、おすすめの観光コースが4つ載っている。
ただ、同じ頁は正直でもある。市内の見どころを分野ごとに紹介した「立川散策ガイドブック」は、日本語版だけだと、英語で添え書きしているのだ。「Japanese version only.」 英語で「日本語だけです」と書く。誠実だが、旅人は少し笑ってしまうだろう。この一冊が英語になる日が、立川が世界に開く日の一つの目印になる、と私は見ている。
数字で読む「世界から見た立川」
- 2.3 ── %。東京を訪れた外国人旅行者のうち、立川を訪れたと答えた人の割合。柴又より多く、吉祥寺より少ない。
- 2,000 ── 円。羽田空港から立川駅まで、乗り換えなしのバスの大人運賃。東京を東から西へ横断する値段としては、良心的である。
- 130 ── 立川市の公式サイトで選べる翻訳の言語の数。ズールー語もある。
- 10 ── 「たちかわ観光デジタルマップ」が対応する言語の数。ミャンマー語もある。
- 6,591 ── 2026年1月1日の立川市の外国人住民の数。9年前の約1.7倍。旅人を迎える前に、もう世界は住んでいる。
- 109 ── ファーレ立川のアート作品の数。作者は36か国の92人。駅前の車止めが、すでに国際展である。
旅人の寄り道クイズ
立川市の「たちかわ観光デジタルマップ」は、いくつの言語に対応しているだろう。(A)3言語(B)6言語(C)10言語。答えは最後に明かす。
言葉の入口がそろったとして、肝心の中身はどうか。海外から来た人が、立川で思わず足を止めるものは何か。それを数えてみると、思っていたより多かった。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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