
海外の人が驚く立川──アニメの学園都市、南極、国宝、海の無い砂浜
さきほど覚えておいてほしいと書いた数字に戻る。東京を訪れた外国人の13.4%が、アニメのイベントやアニメゆかりの地を訪ねていた。同じ調査で、その体験を「大変満足」と答えた人は76.5%にのぼる。
立川は、その「ゆかりの地」の一つである。立川観光コンベンション協会によれば、立川は人気アニメ「とある魔術の禁書目録」「とある科学の超電磁砲」に出てくる架空の「学園都市」のモチーフになっている。一般社団法人アニメツーリズム協会が国内外のアニメファンの投票などで選ぶ「訪れてみたいアニメ聖地88」に、立川市は「とある科学の超電磁砲」で2018年から8年連続で選ばれている。市内にはこのシリーズの絵を巻いた自動販売機が21か所ある。作品との長いつきあいは、ロケ地の回で書いたとおりだ。海外のファンにとって、立川は地図の上の「学園都市」の答え合わせができる街なのである。
しかも、物語の中の立川はなぜか、休みに来る場所として描かれがちだ。ブッダとイエスがバカンスを過ごす漫画「聖☆おにいさん」の舞台も立川で、2024年には「怪獣8号」の防衛隊員の休日を題にした催しが、等身大の怪獣8号を街に立たせた。神様も防衛隊員も、休みは立川。この街の休日の格は、なかなか高い。
アニメの外にも、旅人の目を丸くさせるものがある。
南極の氷だ。緑町の国立極地研究所の南極・北極科学館は入場が無料で、南極の氷に触れられる。日本の南極観測を動かす中心の研究所が、立川にある。南極という単語は、どの国の言葉に訳しても、少し胸が高鳴る。
国宝もある。普済寺の六面石幢は延文6年(1361)の銘を持つ石の柱で、緑泥片岩の6枚の板に仁王と四天王が刻まれている。立川市でただ一つの国宝だ。
海が無いのに、砂浜もある。多摩モノレールの立飛駅から徒歩1分の「TACHIHI BEACH」は、日本最大のビーチBBQ場を名乗っている。運営する側も「海がないはずの立川で」と書いている。東京の内陸で砂浜を見つけた旅人は、たぶん地図アプリを二度見する。
駅前には、世界の美術がすでに立っている。ファーレ立川には、36か国92人の作家による109点のアート作品が、車止めやベンチや換気塔の姿をして街に溶け込んでいる。旅人が自分の国の作家の名前を、立川の歩道の脇で見つけることもあるだろう。
そのファーレ立川のビルの一つには、ゲーム会社が入っている。日本ファルコムの会社概要によれば、所在地は立川市曙町2-8-18、東京建物ファーレ立川ビル。1981年創業の会社で、「イース」や「軌跡」のシリーズで知られる。同社の沿革には、北米と欧州で発売された作品の名前がいくつも並ぶ。海の向こうで遊ばれている冒険の物語が、立川の駅前のビルで生まれている。ゲームの好きな旅人には、これだけで巡礼の理由になりうる。
体験もある。多摩の旅を海外に向けて売る「West Tokyo Wonders」の頁には、立川の競輪場の舞台裏を見る英語のツアー「Ride the Spirit of Keirin」が、1人1万円からで載っている。観客席から見るだけでも面白い競技の、その裏側に入れる。英語で案内される競輪場の舞台裏は、旅人にとって、たぶん東京のどこでも代わりがきかない。
アニメの学園都市、南極の氷、14世紀の国宝、内陸の砂浜、世界の美術、海外で遊ばれるゲーム、競輪の舞台裏。並べてみると、立川は「ついでに寄る街」というより、それ自体が一つの目的地になれる顔ぶれをそろえている。では、なぜ2.3%なのか。市自身の答えを読んでみる。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
立川をもっと世界に開くために──第4次観光振興計画が描く未来と弱点
立川市は令和7年(2025)、第4次観光振興計画をつくった。期間は令和7年度から令和11年度までの5年間。目指す将来像は「なんどでも 次の“好き”が見つかるまち 立川」である。
計画の数字は、旅人の目で読むと面白い。東京都の調査をもとにすると、令和4年(2022)の立川市の年間の観光入込客数は約395万人で、都内全体の0.5%。市が2023年に行った来訪者アンケートでは、立川に来た人の93.1%が日帰りで、泊まった人は6.9%だった。来た目的は「ショッピング(飲食含む)」が54.4%でいちばん多い。来訪者の7割以上が都内から来ていて、その88%は多摩26市から。滞在時間は2時間から3時間がいちばん多い。
つまり、いまの立川は、近所の人が買い物に来て、数時間で帰っていく街なのだ。悪いことではない。だが、海を越えて来た人に、その滞在の仕方は似合わない。
計画は目標を三つ掲げる。観光入込客数の増加、来訪目的の複数化、滞在時間の延長だ。モバイルデータで数えた国内と外国の旅行者の数は、令和5年(2023)の1,285万人から、令和11年(2029)には1,920万人にする。滞在時間のいちばん多い層は、2時間から3時間を、3時間から5時間へ延ばす。買い物に来た人に、もう一つ、もう二つ、立川を好きになる理由を見つけてもらう、という考え方である。
外国人旅行者について、計画は具体的な手を書いている。令和6年度から令和10年度までの5年をかけて、インバウンドガイドを育てる。市内と多摩の魅力をつないだ外国人向けのガイドツアーをつくり、海外の旅行予約サイトに載せ、海外の旅行博にも出す。宿泊施設や商業施設、交通機関と組んで、ハラル認証への対応など、多様な文化や習慣に配慮する。市民の観光ボランティアとも連携する。そして、立川を「ゲートシティ」、つまり多摩地域への玄関として、奥多摩や青梅の自然と組み合わせた広域の観光ルートをつくる。
もう一つ、計画には立川らしい一文がある。立川広域防災基地の一帯には国の研究機関が点在しているので、視察や研究に伴い、外国人研究者などが訪れる機会が増えてくると考えられる、というのだ。観光客ではなく、研究者。南極や統計や日本語の研究所がある街ならではの、ほかの市には書けない旅人の想定である。
実際に動き始めたものもある。立川観光コンベンション協会が事務局を務めるまるたまプロジェクト連絡協議会は、多摩に住む人を通訳ガイドに育て、「West Tokyo Wonders」の名で外国人向けのツアーを売っている。その頁には、立川のホテルに泊まった米国からの客を、戦前と戦後の立川基地の歴史を感じる一日に案内した、という実績が載っている。市に残る資料を調べ、資料館の学芸員の協力も得て、一日の行程をつくったという。かつて米兵が闊歩した街を、いま米国からの旅人が歴史として歩く。あのころと、いま。その二つが、一本のツアーの中でつながっている。
計画は弱点も隠していない。これまで、多摩モノレールの立飛駅の周りの商業施設や集客施設に何人が来ているのか、数字を把握できていなかった、と書く。具体的な数値目標で施策の進み具合を測ることもできていなかった、とも書く。来訪者が増えれば、ごみや夜の騒音で暮らしが損なわれる「オーバーツーリズム」の心配もある。計画は、そうならないように取り組み、先進的な自治体を調べると書いている。旅人を呼ぶことと、住む人の暮らしを守ること。その両方を一つの計画に書いているのは、誠実だと思う。

私の見立て──立川は「東京の西の玄関」になれるか
ここから先は、私の見立てである。
東京都は、2030年に外国人旅行者を3,000万人超にする目標を掲げている。2025年の実績は約2,865万人。目標はほぼ手の届くところにあり、旅人の数を増やすことより、旅人をどこへ散らすかが問われる段階に入りつつある、と私は思う。渋谷や浅草に6割、5割の人が集まる一方で、立川は2.3%。この差は、裏返せば伸びしろだ。
立川には、三つの手札があると思う。
一つ目は、空港からの近さだ。羽田からバス1本で着き、そこから中央線と青梅線と南武線とモノレールで、多摩のどこへでも行ける。高尾山にも、奥多摩にも、昭和記念公園にも。立川に泊まり、毎朝ちがう方向へ出かける旅は、都心に泊まって毎朝満員の電車で西へ向かう旅より、たぶん楽しい。市の計画が言う「ゲートシティ」は、旅人の側から見ると「西の東京の基地」になる。基地という言葉が、ようやく明るい意味で使える。
二つ目は、物語だ。日本で最初の定期旅客便が飛んだ飛行場があり、国際空港と呼ばれた時代があり、米軍の基地の時代があり、返された土地に公園と研究所と美術の街ができた。百年で、空の玄関から軍の街へ、そして文化の街へ。これほど一本の筋で語れる街は、東京でもそう多くない。歴史を知りたい旅人には、教科書の何章分かが、駅から歩ける範囲に埋まっている。
三つ目は、もう世界が住んでいることだ。立川市の統計によれば、2026年1月1日の外国人住民は6,591人で、2017年の3,859人から1.7倍になった。国籍別では中国が2,459人でいちばん多く、ベトナムが810人、ネパールは9年で127人から539人に増えた。住民のおよそ28人に1人が外国籍である。旅人を迎える街の中に、すでに旅人の言葉を話す隣人がいる。
ただ、足りないものもある。ガイドブックは日本語だけで、市の計画は立飛の周りの人の流れをまだ数えきれていない。来た人のほとんどが日帰りで、泊まる人は1割に満たない。泊まる理由をどうつくるか。それがたぶん、次の5年の宿題である。
立川の夜は、意外に長い。駅の周りは遅くまで明るく、ホテルもある。昼に南極の氷に触れ、夕方に学園都市の街角を歩き、夜にもう一泊する。そういう旅程を、英語でひと続きに案内できるようになったとき、2.3%という数字は動きはじめるのだろう。
寄り道クイズの答え
答えは(C)10言語。立川市の「観光お役立ち情報」によれば、「たちかわ観光デジタルマップ」は日本語、英語、中国語(繁体・簡体)、韓国語、スペイン語、フランス語、ベトナム語、インドネシア語、ミャンマー語、タイ語に対応している。アプリのダウンロードも会員登録も要らない。
訪ねる前に
- 羽田空港から: 立川バス・京浜急行バスの「羽田空港線」。第3ターミナル(国際線)は4番のりば、第1ターミナルは9番、第2ターミナルは10番のりば。大人2,000円、交通系ICカード可。立川方面行きは空港の券売機・カウンターで乗車便を指定した券を買う。所要時間は道路事情で変わる。最新の時刻表と運賃は公式で: https://www.tachikawabus.co.jp/highway/haneda/
- 電車なら: GO TOKYOの英語版によれば、羽田空港から電車で1時間25分、成田空港から電車で2時間15分(リムジンバスなら2時間45分)、新宿駅から中央線の中央特快で30分、東京駅から50分。英語の案内: https://www.gotokyo.org/en/destinations/outlying-area/kunitachi-tachikawa-and-around/index.html
- 神奈川からは、JR南武線で川崎駅から乗り換えなしで立川駅へ着く。
- 東京観光情報センター多摩: 立川市柴崎町3-1-1 エキュート立川3階(JR立川駅の改札内)。開館時間と休みは公式で: https://www.gotokyo.org/jp/plan/tourist-info-center/index.html
- 多言語の地図と案内: 立川市「観光お役立ち情報」(デジタルマップ10言語、観光ガイドマップは日本語・英語・中国語繁体字) https://www.city.tachikawa.lg.jp/kanko/m-kanko/1003028.html
- 外国人向けのガイドツアー(英語): West Tokyo Wonders https://wtw-japan.com/
- 立川市第4次観光振興計画(令和7年度〜令和11年度): https://www.city.tachikawa.lg.jp/shisei/sesaku/1024458/1024465/1024966.html
- 組み合わせるなら: 南極・北極科学館(多摩モノレール高松駅から徒歩10分ほど)、ファーレ立川(立川駅北口から徒歩3分)、国営昭和記念公園。それぞれの開館日と料金は公式で確かめてほしい。

長い旅の途中に、駅の北口で
空港から立川へ着いた日の体は、思っている以上に固まっている。飛行機の座席とバスの座席で、半日ほど同じ姿勢をしていたのだから。
立川駅の北口から徒歩1分、立川市曙町2-14-10のエトロワビル3階に、オンザショア立川店がある。溶岩プレートを敷いたスタジオで行うホットヨガのスタジオだ。常温のヨガやピラティス、女性専用のキックボクササイズ、ボクササイズ、HIIT、パーソナルトレーニングもあり、ヨガだけで25種類以上のレッスンがある。
営業は8時から23時30分まで、年中無休で、曜日による違いはない。昼前のバスで羽田から着いた日の夕方でも、翌朝に高尾山へ向かう前でも、寄れる時間がある。
ヨガの体験レッスンは税込1,980円。60分のレッスンに、バスタオル2枚、フェイスタオル1枚、ヨガマットのレンタルが含まれる。スーツケースの中身をほどかなくても、身ひとつで参加できる。
妊娠中の人は溶岩ホットヨガには参加できないが、常温のマタニティヨガがある。医師から運動を止められている人は利用できない。
料金は https://ontheshore.jp/price/ 、店の案内は https://ontheshore.jp/ 、体験の予約は https://site.locaop.jp/C0aVK?_src=hp で確かめられる。
かつて国際空港と呼ばれた飛行場の街で、長い旅の疲れを汗と一緒に流す。立川は、空から来た人を迎えることに、百年前から慣れている。
冒頭の写真: 立川のサンサンロード。左に映画館が建ち、頭上を多摩モノレールの高架が横切る。(写真: 深鸣 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons)
この記事の情報は2026年10月時点のものです。
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