立川の農業はどれほどの規模か。畑の広さは23区の畑を合わせた広さの半分を超え、ブロッコリーと東京うどと植木は都内1位。一番広く育てられているのは野菜ではなく植木だ。直売所みのーれ立川、援農ボランティア、市民農園、収穫体験、畑を守る生産緑地と防災の井戸まで、東京の畑・立川を統計と一次資料で歩くルポ。
立川市の畑を全部合わせると、東京23区の畑を全部合わせた広さの、半分を軽く超える。
立川駅の北口に立って、この数字を信じる人はまずいない。デッキの上を人が流れ、百貨店と駅ビルの看板が並び、頭の上をモノレールが渡っていく。多摩でいちばん都会らしい駅前である。だが、農林水産省の統計は涼しい顔で言う。立川市の畑は240ヘクタール。23区の畑は、全部足しても417ヘクタール。新宿や世田谷や練馬の畑を寄せ集めた広さの6割近くが、この駅の向こうに広がっている。
そして、調べるうちに、もう一つ妙な事実に行き当たった。立川でいちばん広く育てられている作物は、ブロッコリーでも、名物の東京うどでもないらしい。では何なのか。答えは、少し意外なものだった。東京の畑・立川を、統計の数字から歩きはじめることにした。
立川の農業はどれくらいの規模か──23区の畑の半分を超える畑の町
先に数字をまとめておく。農林水産省の「わがマチ・わがムラ」によれば、立川市の耕地面積は240ヘクタールで、すべてが畑。田は0ヘクタールである。市の総土地面積は2,436ヘクタールだから、市のおよそ1割が畑ということになる。都内の耕地のうち3.9%を、立川が持っている。同じ統計で都内の市を比べると、立川の畑は、八王子、青梅、町田、あきる野に次いで、26市の中で5番目に広い。
2020年の農林業センサスでは、立川で農業を営む経営体は244、農業に60日以上従事した人は507人。令和6年の農業産出額の推計は11億6千万円で、そのうち野菜が6億9千万円を占める。
都内1位の農産物も、立川には三つある。東京うど、ブロッコリー、そして植木だ。市が配る「たちかわ農産物ガイドマップ」は、立川の農業を、野菜、果樹、植木、花、畜産までそろった農業として紹介している。市の言葉では、立川は東京都内でも有数の生産量を誇る「都市農業」の先進地である。
駅前の印象からは、どれも想像しにくい数字だ。だが、これが立川のもう一つの顔である。
では、その240ヘクタールで、いちばん広く育っているのは何か。冒頭の謎の答えを、先に明かしてしまおう。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
一番広い作物は、木だった──植木と「立川印」の宝物
市のガイドマップの「数字でみる立川農業」の頁は、東京都の「区市町村別農業データブック」(令和5年度)から作物ごとの面積を拾って、円グラフにしている。野菜の円でいちばん大きいのはブロッコリーの2,024アール。次がホウレン草の1,726アール、キャベツの1,382アール、里芋の1,091アール。ここまでは、いかにも野菜の町らしい。

写真: katorisi / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
ところが、果樹とその他の円を見て、目を疑った。円のほとんどを、緑色の一切れが占めている。植木、8,747アール。ブロッコリーの4倍を超える。立川でいちばん広い面積を使って育てられているのは、食べられないものだった。
ガイドマップは、植木の生産面積と生産本数が都内1位だと書く。市内の緑地に植える木だけでなく、大きな開発に伴う緑化など、都市の景観や快適な空間づくりにも役立っているという。新しいビルの前に植えられたケヤキや、広場の街路樹の何本かは、立川の畑で育ったのかもしれない。都会の緑を、都会の畑が育てている。ファーマーズセンターみのーれ立川には、都内生産本数1位の植木を売る植木・花きスペースまである。ブロッコリーを買いに行って、木を一本抱えて帰ってきても、誰にも笑われない店である。
果樹の欄にも、小さな謎がある。ガイドマップは、ナシを市内でもっとも生産量の多い果実と書き、豊水や幸水、稲城などの品種を挙げる。ところが面積を見ると、ニホンナシは225アールで、ブルーベリーの443アールの半分ほどしかない。面積ではブルーベリーが倍近いのに、量ではナシが勝つ。実の大きさを考えれば、当然といえば当然である。1個のナシと同じ重さのブルーベリーを摘むには、相当な根気が要る。ほかにも栗が738アール、柿が546アールあり、梅、キウイフルーツが続く。
畜産の数字もある。乳用牛104頭、肉用牛38頭、豚1,100頭、卵をとる鶏6,700羽、肉用の鶏400羽、そしてみつばちが17群。立川には、牛も豚も鶏もいる。ガイドマップは、パンを飼料にして脂の香りがよく、柔らかい肉質にしたブランド豚「柔豚(やわらとん)」を紹介し、みのーれ立川のカフェでは、この豚を使った肉うどんが食べられると書く。パンで育った豚が、うどんになる。小麦は、形を変えて一周している。
こうした立川の農産物には、共通の印がある。立川市と、市内の農業団体の集まりである立川農業振興会議は、令和3年度に、市内の農家を代表する10人の生産者と9回の「作戦会議」を重ね、立川の農業全体のブランド「立川印」を生んだ。市の頁には、そのブランドに込めた生産者の思いが書かれている。立川農業を見て、感じて、あじわってほしい。そうしたら「立川くらいが、一番いい」と実感してもらえるはず。
立川くらいが、一番いい。私はこの一句を、この特集のどの記事の題よりも気に入っている。いちばんを名乗りながら、「くらい」で一歩引く。この街の人の、照れ屋の自慢を一言で言い当てている。
ブランドのメッセージは、立川印がつく宝物として、こだわりの野菜や果実、特産品の立川うど、動物から授かるいのちの恵み、心を潤すお花や植木、未来へつなぐ農育プロジェクトを並べる。木も、牛も、子どもの農業体験も、同じ印の下にいる。
では、宝物の中でいちばん名の知れた野菜、ブロッコリーの話をしよう。その「都内1位」には、思わず笑ってしまう但し書きがついていた。
ブロッコリー、練馬と1トン差の都内1位
立川市の特産品の頁は、ブロッコリーをこう紹介する。アブラナ科アブラナ属の野菜で、立川市は生産量が都内1位、多くの農家がブロッコリーをつくっている。旬は10月中旬から2月と、5月から6月中旬の年に二度。

写真: David Monniaux / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons
同じ頁に、東京都の農作物生産状況調査報告書から引いた順位の表がある。平成30年産のブロッコリーの収穫量で、1位は立川市の153トン。2位は練馬区の152トン。3位は東久留米市の98トン。
1トン差である。
都内の頂上を、立川と練馬が1トンを挟んで分け合っている。1トンは、1キログラムの袋にして千袋。153トンのうちの千袋で、首位が決まった。運動会の綱引きのような接戦である。表の下には、市の注として、収穫量をもとに順位をつけていると書いてある。面積なら立川の2,111アールに対して練馬は1,542アールと差があるが、収穫量では際どい。市が「収穫量ベース」と断り書きをしたくなる気持ちも、わからなくはない。
その後の数字でも、立川は首位を守っている。市のガイドマップは、令和5年度のデータブックをもとに、ブロッコリーは作付面積・収穫量ともに都内1位、と胸を張る。面積は2,024アール。立川の野菜の畑で、いちばん広い。
もう一つの都内1位、東京うどは、地下3メートルの室で光を知らずに育つ白い野菜だ。その話は東京うどの記事に詳しく書いた。冬の立川では、地上でブロッコリーが、地下でうどが、同時に旬を迎える。冬の畑は、上と下の二階建てである。
数字で読む東京の畑・立川
- 240 — ヘクタール。立川市の耕地面積。23区の畑を全部合わせた417ヘクタールの、半分を超える。
- 0 — ヘクタール。立川市の田の面積。米の飯は、よその田んぼに頼っている。
- 8,747 — アール。植木の生産面積。ブロッコリーの4倍を超える。立川で一番広い作物は、食べられない。
- 1 — トン。平成30年産ブロッコリーで、1位の立川と2位の練馬区の収穫量の差。
- 17 — 群。市内で飼われているみつばち。数え方は「匹」ではなく「群」である。
- 84 — 人。令和8年3月の時点で活動している援農ボランティア。農家の外から畑を支える人の数。
旅人の寄り道クイズ
平成30年産のブロッコリーの収穫量で、都内1位の立川市と2位の練馬区の差は、どれくらいだっただろう。(A)1トン(B)10トン(C)100トン。答えは最後に明かす。
昭和に生まれた畑の町の名前──砂川から立川へ
立川の畑が、どこにあるのか。市の援農ボランティアの頁に載る受け入れ農家の住所を並べてみると、地図が浮かんでくる。西砂町、一番町、上砂町、柏町、幸町、栄町、若葉町。駅の北、それもずっと北のほうの町ばかりだ。
この町名を、市の年表で探してみた。昭和45年(1970年)に「栄町スタート」。昭和46年に「若葉町・幸町スタート」。47年に「柏町スタート」。56年に「上砂町スタート」、57年に「一番町スタート」、58年に「西砂町スタート」。どれも昭和の後半に生まれた、新しい町の名前だった。
その前、この一帯は砂川町だった。昭和29年(1954年)に村から町になった砂川町は、昭和38年(1963年)に立川市と合併する。昭和45年に砂川町の町名地番整理が始まり、そのころから、栄、若葉、幸、柏といった明るい響きの新しい町名が、次々に生まれていった。いま畑のある町の名前の多くは、昭和の後半に生まれたものなのだ。砂川が新田として開かれた江戸の初めからの来歴は、玉川上水と砂川の記事で書いた。
昭和の立川の畑は、どんな姿だったのか。昭和記念公園の「こもれびの里」は、昭和30年代の武蔵野の農村の風景と暮らしを再現した場所で、水田、畑、農家と屋敷林がある。公園は、その時代を選んだ理由を、高度成長の少し前で、古き良きものがたくさん残っていた年代であり、それを自分の体験として知っている人から、直接伝えてもらうことができるから、と書く。昭和30年代は、立川でうどの本格的な生産が始まったころでもある。養蚕が衰えた昭和20年代のあと、冬の農閑期の収入を求めて、畑の下に穴が掘られはじめた。
市の年表には、昭和の農の行事も残っている。昭和50年(1975年)、「消費者農園の誕生」。昭和56年(1981年)、「第1回農業祭開催」。
並べてみると、こうなる。
- あのころ(昭和50年代): 消費者農園が生まれ、1981年に第1回の農業祭が開かれる。農家の住所は砂川町の字から、栄や若葉や柏の新しい町名へと移っていく。
- いま(令和8年): 柴崎町に2か所の市民農園が195区画、農園主に教わる体験型農園が5か所。農業祭は毎年11月、昭和記念公園のみどりの文化ゾーンで「たちかわ楽市」と一緒に開かれ、立川の農産物で作った「宝船」が飾られる。
昭和の第1回を覚えている人には、あのころ始まった祭りが、いまも秋ごとに宝船を飾っていることが感慨深いだろう。若い人には、駅から歩ける公園で農家が宝船を飾る、という光景そのものが新鮮かもしれない。
立川の畑の詩も一つ挙げておく。根川緑道の詩歌の道には、高村光太郎の詩「葱」の碑がある。立川の友達から届いた葱をうたい、「三多摩平野をかけめぐる 風の申し子、冬の精鋭」と呼んだ詩だ。詩人に届いた立川の葱は、冬の風をまとっていた。
昭和の畑の町は、もう一つ、意外なものを抱えている。東京の農業そのものを研究する場所が、立川にあるのだ。
東京の農業の研究拠点は、立川にある
立川市の年表には、大正9年(1920年)に、東京府の農事試験場が中野町から立川へ移りはじめたと書かれている。立川がまだ村で、飛行場もなかったころの話だ。
いま、立川市富士見町3-8-1には、東京都の農林水産業を支える公益財団法人東京都農林水産振興財団の本部がある。財団の沿革によれば、平成17年(2005年)4月、それまでの東京都の農業試験場、畜産試験場、林業試験場を一つにまとめて「東京都農林総合研究センター」を置き、都から試験研究を受託した。センターも、同じ富士見町にある。東京の野菜も、牛も、森も、ここで研究されている。
東京うどの記事で紹介した、眠りの浅いうどの品種づくりの研究も、このセンターが手がけてきたものだ。都内の畑の行く末を考える頭脳が、240ヘクタールの畑を持つ町に置かれている。畑の町に、畑の研究所がある。百年あまり前に東京府の試験場がやって来た街で、いまも東京の農業の研究が続いている。
研究所があり、畑がある。だが、都市の畑は、放っておけば残らない。立川の畑を守っている仕組みのほうへ、目を向けてみたい。
畑を守る仕組み──生産緑地、防災協力農地、44本の井戸
農林水産省は、都市農業を「市街地及びその周辺の地域において行われる農業」と定義し、新鮮な農産物の供給や農業体験の場、災害に備えたオープンスペース、やすらぎや潤いをもたらす緑地など、多様な役割を果たしていると書く。

写真: おむこさん志望 / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
市街地の中の畑を守る代表的な仕組みが、生産緑地である。立川市の頁によれば、生産緑地地区は良好な都市環境の形成を目的に都市計画で定められ、中で建物を建てたり土地の形を変えたりするには、市長の許可が要る。もとは500平方メートル以上の農地が対象だったが、平成29年の法改正で市町村が条例で引き下げられるようになり、立川市はその年の12月に条例を定めて、300平方メートル以上の農地でも条件が整えば追加できるようにした。
立川市が公開している最新の生産緑地地区の一覧には、333件、合わせて181.64ヘクタールが並ぶ。統計の年は違うが、耕地面積の240ヘクタールと単純に比べれば、立川の畑の4分の3ほどが生産緑地ということになる。一覧の最後の行には、砂川町の340平方メートル、若葉町の320平方メートルといった小さな畑も載っている。テニスコート1面と少しほどの畑も、都市計画の地図にきちんと名前を持っている。
生産緑地には期限の問題もある。指定から30年がたつと、所有者は市にいつでも買い取りを申し出られるようになり、税の特例も段階的に受けられなくなる。そこで平成30年4月から、30年たつ前に「特定生産緑地」に指定すれば、買い取りの申し出ができる時期を10年延ばせる制度ができた。立川市は令和7年3月3日に、特定生産緑地の告示をしている。畑は、10年ごとに延長される約束の上に残っている。
立川の畑には、もう一つの顔がある。防災だ。市のガイドマップによれば、立川市内の農地は、市と農業団体の集まりである立川農業振興会議が結んだ協定に基づき、非常災害のときには農産物の提供と一時的な避難所に使えることになっている。看板が立っている畑だけでなく、立川の農地全体が防災協力農地だという。さらに市内には、ふだんは農業用水を汲み、災害のときには周辺の住民に洗濯などの生活用水を出す「防災兼用井戸」が44基ある。
広域防災基地のある街は、畑まで防災の網の目になっていた。いざというとき、近所のブロッコリー畑が逃げ場になり、井戸から水が出る。駅前のビルの谷間からは見えない、もう一つの備えである。
初日の汗は、予約した人だけが持ち帰れる。
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