立川の図書館を歩く──たぬきと招き猫と牛のマーク、図書館の無かった市が全国上位になるまで

立川市の図書館はどう使えばいいのか。戦後すぐの都立立川図書館、移動図書館「大空号」と6,600人の署名、たぬきや招き猫のマークを持つ9館と特別コレクション、中央図書館の地域資料と明治の子ども雑誌、全国上位の貸出、隣の8市との相互利用まで、市の公式資料でたどる。

立川市の図書館には、それぞれ動物がいる。柴崎はたぬき、上砂は招き猫、西砂は牛、多摩川はめだか。

市の図書館のサイトで9つの館の案内を順に開いていくと、どの頁にも小さなシンボルマークと、その由来が書いてある。たぬきは、このあたりが立川村と呼ばれていた時代に多く棲んでいたから。牛は、かつて館の近くで飼われていたから。図書館のマークが、そのまま土地の思い出帳になっている。

この街の図書館の来歴を調べていて、私は一つの食い違いに行き当たった。市の図書館基本計画は、こう書き出している。かつて立川市は多摩地区で数少ない図書館のある町の一つでした。ところが同じ文書の少し先で、市立の図書館が条例で生まれたのは昭和53年(1978)だと書く。戦後すぐから図書館があった町が、なぜ自分の図書館を持つまでに三十年かかったのか。そして、出遅れたはずの図書館が、いまでは同じ規模の市の中で全国上位の貸出を続けている。その間に何があったのか。

立川の図書館の始まり──都立立川図書館と「図書館のある町」

戦後の混乱のさなか、昭和22年(1947)1月、立川市内に都立立川図書館が置かれた。東京都立図書館の沿革にも、昭和22年1月に都立立川図書館開館、3月に都立青梅図書館開館、と並んでいる。

ここで小さな謎が一つある。市の基本計画は、立川図書館を多摩地区で青梅に次いで二館目と書く。都の沿革の日付を信じれば、立川の方が二か月早い。どちらが一番かを決める資料に、私は出会えなかった。立川の人なら、ここは都の沿革の方を持ち出したくなるところだ。

市の基本計画は、当時の様子をこう描く。文化施設がほとんどなかった多摩地区で、二つの都立図書館は文化の源として輝いていた。立川周辺の町や村から、学生や文化的な欲求を持った人々が立川図書館までやってきた。立川市民にとって、市内に図書館があることは喜びであり、誇りでもあった。行政の計画書にしては、ずいぶん熱のこもった文章である。

その都立図書館は、どこにあったのか。計画によれば、およそ20年のあいだ、柴崎町の諏訪の森にあった立川市公民館に併設されていた。昭和43年(1968)、錦町6丁目に建った都立社会教育会館の中へ移る。昭和62年(1987)5月には、都立多摩図書館が開館した。都の資料によれば、所在地は立川市錦町6-3-1の多摩教育センターの中である。平成21年(2009)には、そこに雑誌を専門に扱う「東京マガジンバンク」が開かれた。

そして平成29年(2017)1月、都立多摩図書館は国分寺市泉町へ移った。都の資料によれば、専有の延床面積は4,351平方メートルから8,972平方メートルへ、収蔵できる量は103万冊から285万冊へ増えた。古い建物と、あふれた書庫と、足りない閲覧席が理由だった。戦後すぐから70年近く、都の図書館は立川にいて、手狭になって隣の市へ引っ越していったのである。立川から見れば、下宿していた大きな親戚が、もっと広い家を見つけて出ていったようなものだ。

その多摩教育センターの跡地には、令和7年(2025)、都立のチャレンジスクール、立川緑高校が開いた。学校の話は特集の学び舎の回に書いた。本のあった土地に、いまは学ぶ若者が通っている。

では、立川市そのものは、その間なにをしていたのか。

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移動図書館「大空号」と、6,600人の署名──市立図書館ができるまで

市の基本計画は、戦後の多摩の図書館の歩みを丁寧にたどっている。昭和30年代の中ごろまでは、どの市町村も道路や水道や学校の整備に追われ、図書館を自分の仕事として取り組むところはごく少数だった。図書館は、どちらかといえば都道府県の仕事と考えられていた。

流れを変えたのは、昭和38年(1963)に日本図書館協会が出した報告、通称「中小レポート」だったと計画は書く。市民と密着した中小の公共図書館こそが公共図書館だ、という考え方である。そのころ多摩には大きな団地が次々に建ち、新しい住民から図書館を求める声が高まった。隣の日野市は、移動図書館の車だけで図書館の活動を始め、図書館とは建物ではなく、資料を市民に届ける働きと組織のことだと示した。昭和45年(1970)に東京都が建設費と本の購入費の補助を打ち出すと、昭和46年から50年の間に、図書館の無かった13市と2町が図書館を持った。

都立図書館のある立川は、ここで少し出遅れる。身近に立派な図書館があったことが、かえって自前の図書館を急がせなかったのではないか、と私は想像する。計画はそこまでは書いていない。

ただ、手をこまねいていたわけではない。合併前の砂川町は、早くから公民館に図書室を持っていた。立川市は昭和43年(1968)に移動図書館の車の巡回を始め、昭和46年(1971)に中央公民館に図書室を置き、昭和48年(1973)には砂川の公民館にも図書室を設けた。

そして市民が動いた。昭和50年(1975)2月、「立川の図書館をつくる会」が結成され、6月には6,600名の署名を添えて、市立図書館の設置を求める請願が市議会に出された。西砂川地区の子ども会の団体からも請願が、若葉町の住民からも陳情が続いた。請願は採択され、市は図書館計画審議会をつくり、その答申を受けて昭和52年(1977)12月に「図書館行政基本計画」を定めた。翌昭和53年(1978)7月、図書館条例が施行され、立川市図書館が歩きはじめる。

最初に開いた館について、資料の書き方が少し揺れているのが面白い。市の基本計画は、西砂図書館の開館を皮切りに、と書く。ところが図書館の事業報告にある施設一覧では、開館の日付は幸図書館が昭和53年7月1日、西砂図書館が7月11日になっている。設置の日付はどちらも7月1日だ。最初の館はどちらだったのか。十日の差を、二つの館が今も譲り合っているように見える。

それからの伸び方は、数字が雄弁だ。計画によれば、公民館時代の昭和50年度の貸出は約10万冊。それが昭和54年度に約70万冊、昭和56年度には104万冊と、100万冊を超えた。6年で十倍。待たされた市民が、本を借りに一斉に押し寄せた様子が目に浮かぶ。

8つの地区図書館がそろうまで、その網の目を補ったのが移動図書館だった。計画はその名前を記している。移動図書館「大空号」。飛行場の街の本の車が、空の名前をもらっていた。命名の由来は資料に無いが、立川の人に名前を付けさせれば、まず空を見上げるのだろう。大空号は、平成7年(1995)に中央図書館が開いてネットワークが完成したあと、廃止された。図書館協議会は平成9年(1997)に「移動図書館車とその図書の再利用について」答申している。役目を終えた本の車にも、その後の行き先が議論されたのである。

あのころ。本は車に積まれて、団地や広場へやって来た。

いま。立川市の図書館は9館で、令和7年度に借りられた資料は142万点を超える。本の車を待っていた町は、いまは本を取りに行く場所を9つ持っている。

9館のマーク──たぬき、招き猫、牛、めだか

9つの館は、生まれた年も、置かれた建物も、得意なものも違う。マークの由来とあわせて、順に歩いてみる。

立川市柴崎図書館の入口。打ち放しのコンクリートの建物の1階に、ガラスの扉が開く。
立川市柴崎図書館の入口。打ち放しのコンクリートの建物の1階に、ガラスの扉が開く。
写真: Suikotei / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

西砂図書館は、昭和53年(1978)の開館。五日市街道の西、西部連絡所と西砂学習館の複合施設の中にある。マークは牛だ。かつてこのあたりでは畜産が盛んで、館の近くで牛が飼われていたという。この館には「特別コレクション飛行機・飛行場コーナー」がある。立川飛行場の跡地や米軍横田基地に近いことから、開館当初から置かれてきた。館の案内は、飛行場が立川の発展の原動力になった一方で、基地があったために空襲などの被害も受けてきた、という歴史を踏まえて、と書く。戦前の民間機、旧日本軍、自衛隊、米軍の飛行機、自衛隊立川基地や米軍横田基地に関わる本を、約300冊集めている。牛のいた土地で、飛行機の本を読む。

幸図書館も昭和53年の開館で、こぶし会館に併設されている。多摩モノレールの砂川七番駅から徒歩3分。マークはおひさまだ。毎日明るく元気が出る図書館に、という願いだという。蔵書の総数は9館でいちばん少ないが、館の案内は、読みたい本が棚に無くても、市内のほかの館や都立図書館から取り寄せると書いている。小さな館の背後には、大きな網がある。

多摩川図書館は、昭和54年(1979)の開館。新奥多摩バイパスと多摩川にはさまれた都営アパートの1階にあり、和室の読書室と、ベンチを置いたテラスがある。マークは、めだか。めだかの学校のように、子どもから大人まで集まる学びの場に、という願いだそうだ。この館には「特別コレクション空襲の記録コーナー」がある。昭和20年(1945)、立川は2月16日から8月2日まで少なくとも13回の爆撃を受け、330余名が犠牲になった。4月4日の未明には、富士見町の山中坂の防空壕に爆弾が当たり、42名が亡くなった。その山中坂に近い館として、空襲の資料を開架に約150冊、閉架に約600冊持っている。めだかのマークの館が、町でいちばん重い記憶を預かっている。

高松図書館は、昭和55年(1980)6月28日の開館。あじさいの咲く季節に開いたので、あじさいをマークにした。わかりやすい。高松学習館と同じ建物の3階で、ガラス張りの明るいフロアだ。近くに、立川で最初の映画館「立川キネマ」に由来する「シネマ通り商店街」があることから、最新の映画とその原作を並べる「BOOK&CINEMAコーナー」を常設している。映画の街の名残を、図書館が棚で引き継いでいる。

錦図書館は、昭和60年(1985)の開館。マークは、立川市の木のけやきだ。館の近くにかつて大きなけやきがあったことに加えて、中央図書館ができるまでは中心館の役目を担っていたからだという。竜馬や鬼平に会える時代小説の文庫コーナーがある。

若葉図書館は、昭和61年(1986)の開館で、若葉会館に併設されている。けやきの大木と緑に囲まれた館だ。マークは木の葉と、キジバト。敷地の木にキジバトが巣をつくったことがあり、一緒にマークになった。図書館の庭に巣をかけた鳥は、それだけで永久に館の顔になれる。

上砂図書館は、平成12年(2000)に今の場所で開いた。上砂会館や児童館が入った都営アパートの2階にあり、地区図書館の中でいちばん広く、開架の資料もいちばん多い。マークは招き猫。よく見ると右手が「おいでおいで」をしている。多くの人に来てほしい、という願いだそうだ。地区で一番大きな館が、まだ客を招いている。商売熱心な図書館である。

柴崎図書館は、平成26年(2014)に第一小学校などの複合施設の中へ移った。立川駅南口から歩いて10分ほど。円形の閲覧机がある明るい館だ。マークのたぬきが作られたころ、館は諏訪の森公園の北側にあった。立川村の時代にたぬきが多く棲んでいたので、地域ゆかりの動物として選ばれたという。いまはたぬきを見かけることは少なくなった、と案内は正直に書いている。

そして中央図書館。平成7年(1995)1月12日、ファーレ立川に開いた。立川市図書館の中で最後につくられた館で、マークは立川市の花、こぶしだ。たぬきと招き猫と牛とめだかの上に、花が一輪咲いて、9館の動物園ならぬ植物園が完成した。

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