昭島散歩 立川から9分、海のない街にアキシマクジラと「島」がある理由

立川から青梅線で9分の昭島は、200万年前は海だった。多摩川の河原で見つかった新種アキシマクジラの化石、名前に「島」がある内陸の市の由来、拝島の大日堂と樹齢800年といわれるフジ、昭和飛行機と昭和の森、そして用水と鉄路でつながる立川との縁まで、昭島の見どころを一次資料でたどる日帰り散歩のルポ。

足もとのマンホールで、クジラが潮を噴いている。入道雲の浮かぶ海を泳いでいる。東京湾まではおよそ40キロ、海抜は100メートルほどの街の、道路の蓋の上で、である。

立川駅から青梅線に乗り、西立川、東中神、中神と過ぎて、4つ目が昭島だ。昭島市の案内によれば、昭島駅から立川駅までは9分。缶コーヒーを1本飲み終えるかどうかの距離である。

ここで2つの疑問が立つ。海のない街の蓋に、なぜクジラがいるのか。そして海のない街の名前に、なぜ「島」の字が入っているのか。立川の隣町を、私はずっと「立川の西の住宅地」としか思っていなかった。ところが調べはじめると、この街の地面の下からは、海と島の話ばかりが出てくる。

昭島散歩の入口──立川から9分、マンホールのクジラ

昭島市は、東京都のほぼ中央にある。市の概要によれば、東と北は立川市、西は福生市、南は八王子市と日野市に接し、面積は17.34平方キロメートル。北西から南東の多摩川に向かって、土地がゆるやかに下っていく。

その多摩川の河原から、昭和36年(1961)の夏、クジラが出てきた。

産業技術総合研究所の地質調査総合センターが出している「GSJ地質ニュース」は、マンホールの蓋から郷土の地質を読み解くという、少し変わった連載を載せている。その第4回が昭島のクジラだった。筆者は、丘陵地帯の市のマンホールになぜ海の哺乳類が描かれているのか、と問いを立て、こう書いている。昭島を訪れると、マンホール以外にもさまざまな場所でクジラを模した構造物やキャラクターが目につく。市内には名前に「クジラ」を含む店や施設があり、公園、病院、薬局、葬儀社、駐車場、介護施設、ラーメン屋にまで及ぶ。市民の祭りも、合唱団も、道路の名前も、クッキーも饅頭もクジラだ、と。

国の研究機関の技術者が、街じゅうのクジラを、ラーメン屋まで数え上げている。同じ記事は、クジラのマンホールが最初に設置されたのは1989年だと書く。少なくともそのころまでに、市民のクジラへの愛着は根づいていたのだろう、と。

市の案内には、クジラの見つかる場所が列挙されている。拝島駅のステンドグラス、マンホールの蓋、緑町一丁目のポケットパークの壁画、つつじが丘通りの街灯。駅のガラスにまでクジラがいる。この街のクジラは、地面の下からも、頭の上からも、旅人を見ている。

では、そのクジラはいつ、どうやって見つかったのか。発見の日の記録は、思いのほか細かく残っている。

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アキシマクジラ発見の夏──1961年8月20日、多摩川の河原で

昭島市の公式ページは、アキシマクジラの発見を、いつ、どこで、だれが、どうして、と新聞記事のような順で書いている。

多摩川に架かるJR八高線の鉄橋を渡る電車。化石はこの鉄橋の下流の河原で見つかった。
多摩川に架かるJR八高線の鉄橋を渡る電車。化石はこの鉄橋の下流の河原で見つかった。
写真: っ / CC BY-SA 3.0 / Wikimedia Commons

いつ。昭和36年(1961)8月20日、昼過ぎ。

どこで。多摩川の河川敷、JR八高線の多摩川鉄橋の11番橋脚から、下流へ約36メートルの地点。

だれが。当時、昭島市立玉川小学校の教諭だった田島政人さんと、4歳の長男。

どうして。夏休みを使い、親子二人で、貝や魚の化石を探し、飯盒炊さんをするために、河原へ来ていた。

日本最初のほぼ完全なクジラの全身化石は、飯盒でご飯を炊きに来た親子に見つかった。私はこの「どうして」の欄を、何度か読み返した。歴史的な発見の動機の欄に、飯盒炊さん、と書いてある。

当時の多摩川の河床は、いまとは姿が違った。市によれば、戦後のビルや道路の建設で、コンクリートの材料として砂利が採られ、200万年前の地層がむき出しになっていた。土地の人が「なめ」と呼ぶ、砂と粘土の中間ほどの粒の地層である。貝や魚の化石がよく見つかる場所で、八高線の橋脚をつくるときにも多くの貝の化石が出たという。

田島さんは、地表から化石の先端が顔を出しているのを見つけた。長さ10センチ、幅3センチ。あたりを見回すと、十数メートルにわたって、化石が眠っているしるしの小さな穴が続いていた。市が発見者の著書から要約した経過によれば、田島さんは、これは恐竜かもしれない、いや地層からしてありえない、象にしては大きすぎる、と考えをめぐらせた。そして最初の化石を石で隠して、家へ帰った。

ここからの数日が、私はいちばん好きだ。百科事典を読みあさっても分からない。毎日現場に通い、簡単な記録をとる。8月26日、同僚の教諭に相談し、教育委員会にも知らせる。8月28日、教師仲間5人と教育委員会の職員2人で、発掘が始まった。

翌29日、鑑定に呼ばれたのは、国立音楽大学の考古学の教授、甲野博士だった。市の記録には、博士の言葉としてこうある。おそらくクジラの骨ではないか。地層から見て100万年以上前と思われる。発掘していた教諭たちは、クジラと聞いて唖然とした、とも書かれている。

国立音楽大学といえば、いまは立川市柏町にある大学だ。立川の文化施設をめぐった回で書いたように、大学は大正の終わりに国立の大学町へ移って育ち、昭和53年(1978)に立川へ移ってきた。1961年の夏、多摩川の河原で「クジラ」と最初に口にした人は、のちに立川の大学となる学校から来ていたことになる。

30日には、国立科学博物館の尾崎博士らが新聞記者を連れて到着した。記者会見での発表は、500万から200万年前のクジラの化石、体長15、6メートルの中型のヒゲクジラと思われる、これだけそろった化石は日本では初、世界でも珍しい、というものだった。テレビとラジオが報じ、市長と教育長が陣頭に立ち、市民も加わって、作業の人手は一気に増えた。現場にはテントが張られ、教育委員会の職員が泊まりこんだ。

発掘は9月3日まで続いた。化石の広がりを後で再現するために、1メートルおきに水縄を張りめぐらせ、位置を記録しながら掘る。化石はもろく、石膏で固めながら、近くの市立成隣小学校の空き教室へ運んだ。

そして9月4日。前の晩から降り続いた大雨で、発掘の現場は川の底に沈んだ。

市はこれを、奇跡のひとつに数えている。化石の一部が地表に出ていた一瞬に見つかったこと。大雨が降れば、川に削られて流れていたはずだったこと。飯盒炊さんの日が、あと数週間ずれていたら。そう考えると、少し背筋が冷える。

200万年前、昭島は海だった──新種「アキシマエンシス」まで57年

成隣小学校の空き教室で、化石の復元は一年がかりで続いた。発掘に加わった市内の教諭たちが「地学研究会」をつくり、放課後や土曜、日曜に作業をした。泥と砂を落とし、折れた骨をボンドでつなぎ、もろくなった骨は水で薄めたボンド液に浸して乾かす。段ボールの山から部位を合わせる。作業が終わったのは、昭和37年(1962)8月23日。その年の12月14日から16日まで一般に公開され、見学者は口々に、大きい、思っていた以上にでかい、と驚いたという。同じ年、この発掘は「日本最初のほぼ完全なクジラの全身化石の発掘」として、昭和36年の科学・技術百選のひとつに選ばれている。

アキシマエンシスの展示ケースに並ぶ、アキシマクジラの骨の化石。
アキシマエンシスの展示ケースに並ぶ、アキシマクジラの骨の化石。
写真: 漱石の猫 / CC BY-SA 4.0 / Wikimedia Commons

名前がついたのは1963年だ。鯨類研究所の西脇昌治博士と、国立科学博物館の尾崎博博士が、「アキシマクジラ」という通称を与えた。化石は2012年3月まで国立科学博物館の新宿分館に保管され、その後、群馬県立自然史博物館へ移されて、本格的な研究が始まった。

研究は約4年半に及んだ。クジラの種類の違いがいちばんよく出るのは頭の骨だという。そこで世界中の博物館のクジラと比べるため、研究者は何度も海外へ渡った。論文は2016年9月に投稿され、翌年3月に受理され、2018年1月1日、日本古生物学会の英文誌に載った。執筆したのは群馬県立自然史博物館の長谷川善和名誉館長と木村敏之学芸員、国立科学博物館の甲能直樹博士である。

結論はこうだった。アキシマクジラは、いま北太平洋に生きるコククジラと同じコククジラ属の、これまで知られていなかった新種である。学名は、エスクリクティウス・アキシマエンシス。市の子ども向けのページは、「アキシマエンシス」には「昭島生まれの」「昭島で見つかった」という意味がある、と説明している。発見から57年。世界中の研究者がこの先ずっと、クジラの話をするたびに「アキシマ」と口にすることになった。コククジラ属で化石の種が見つかったのは、これが初めてだという。

化石は、世界にひとつしかない模式標本に指定された。新しくクジラの化石が見つかって研究するとき、比べる基準になる標本である。だから厳重に管理され、研究者に公開されなければならない。新種の決め手になった頭の骨は、いまも群馬県立自然史博物館に常設展示されている。昭島で生まれたクジラの頭は、群馬で世界の基準を務めているわけだ。

では、なぜ内陸の昭島にクジラがいたのか。地質ニュースの答えは明快だ。関東平野の地下には、最も深いところで6,000メートルほどの大きな凹みがあり、かつては昭島のあたりを含む広い範囲に海が広がっていた。その海に堆積物が流れこみ続け、埋め立てられてできたのが関東平野である。アキシマクジラが出たのは、およそ195万年前から177万年前にたまった「小宮層」という地層で、ちょうど海が埋まっていく途中の時代にあたる。昭島市は、200万年前の昭島には海岸線があり、半分が陸、半分が海だったと考えられる、と書く。

一緒に出てきたものが、当時の海を語っている。サメの歯、魚や貝の化石。市によれば、発掘のとき肩甲骨にはフジツボの化石がついていた。浅い海だった証拠のひとつだという。陸にはアケボノゾウやシカがいた。

市の案内は、コククジラについての雑学も添えている。コククジラは体を右側に大きく倒し、顔の先で海底を引っかくようにして泥を巻き上げ、その泥水を口に入れて、ひげで餌だけを漉して食べる。右側を下にする個体が多いので「右利きのクジラ」と呼ばれる。体じゅうにフジツボがつくのに、右の頭にだけは少ない。毎日、顔で海底を掃除しているからだ。200万年前の昭島の浅瀬でも、大きな生きものが右の頬を砂にこすりつけながら、昼ご飯を探していたのかもしれない。こちらも、やっていることは飯盒炊さんと大差ない。

数字で読むアキシマクジラ

  • 1961年8月20日 ── 発見の日。暦を繰ると日曜日。先生の休日の、昼過ぎの出来事だった。
  • 4歳 ── 発見者のひとりの年齢。新種の発見者に、幼稚園の年中さんの年ごろの子が名を連ねている。
  • 約13.5メートル ── 化石の全長。市によれば、鎌倉の大仏(台座を含む)くらい。市の史跡めぐりの案内には約16メートルとあり、クジラは資料によって少し伸び縮みする。
  • 57年 ── 発見から、新種として論文に載るまで。
  • 2本 ── コククジラの腹の「うね」の数。たくさん水を飲むシロナガスクジラには、もっと多い。
  • 65周年 ── 2026年。郷土資料室の記念展は10月24日まで、全身の実物化石を並べている。

旅人の寄り道クイズ

昭島市は、アキシマクジラの化石の大きさ(約13.5メートル)を、何にたとえて説明しているか。

(A)東京タワーの大展望台までの高さ (B)鎌倉の大仏(台座を含む) (C)新幹線の車両1両分

答えは、この記事の最後のほうで。

ところで、クジラの化石が「アキシマ」の名を世界に運んだのはいい。だが、その「アキシマ」という名前自体は、どこから来たのか。海のない市の名前に「島」の字があることを、私はまだ説明できていない。

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